2018年4月

4/30・月
 朝からインスタントラーメンを作って食べた。正にブレークファストといった感じ。凡そ18時間ぶりの固形物である。朝はパンを食べる人が多いのだろうが、パンを食うとどうにも胸焼けして仕舞う。時に牛丼も食べられるのに不便なものである。従ってパン食するなら午後以降と決めている。昼はココ一番のカレー。大抵フライドチキンカレーの二辛を頼む。此の可もなく不可もなくトッピングで食べさせる凡庸なカレーが偶に欲しくなる。
 連日晴れて暑い。振り替え休日の為、千寿も休校。須見伯母が来たので庭木の剪定。暑くて幾らも捗らず。真面な物を食べていないというので買い物は三便。併し材料はあっても家人の料理能力の低下に伴い大した物が作れない。在庫管理能力も低下し、馬鈴薯などは芽が出ている。全てコンポストに放り込んだ。夜になり風が止むと途端にドブ臭い。あちこちで滞留しているのだろう。
ところで三度目の買い物の帰りに追い掛けて来た巡査によると、吾人の自転車の後輪が揺れているとのこと。確かに特定の速度だと左右にぶれる感じがする。見た目でも分かるのだね。もう三十年も乗っている自転車だからな。大体自転車で三十歳となると鉄道車両だと五十歳くらいである。ネットで調べるとスポークの緩みらしい。こりゃあ、素人には直せん。何しろ吾人の工作能力など旧石器時代以前だから。元大リーガー=松坂投手の活躍で中日は五連敗を阻止。名古屋のドームは今季一番の入りだったらしい。こうして四月も終了す。


4/29・日
 やはりどうしても食べたくなり月波君を呼び出して地元の韓国料理屋に参る。一人前1500円のサムギョプサルは二人前からの注文。二人で二人前を頼んだら喰い切れないくらい出て来て困った。その他前菜類も合わせて少しずつ食べながら何とか冷麺まで辿り着く。二時間掛かり(7500円)。多少残ったが、中韓は完食文化ではないので此れぐらいは許して貰えるだろう。肝臓より先に胃が一杯になって仕舞い幾らも呑めず。少し散歩してコーヒー休憩の後に解散。本日は此の昼の一食のみ。両家人は今晩もコンビニ食。高齢化に伴いコンビニが繁盛する訳である。
 ちなみに店内は結構混んでいた。南北会談効果かもしれない。併し拉致問題が「進展」するとも思えず。其の時、日本国政府は不都合な事実を改めて受け入れ、世人を納得させることが出来るだろうか。何しろ煽り立てたのが当のAなのだから、御自分が炎上させた世論を御自身で鎮静化させて貰いたいものである。其の前に辞めちゃうかな。ちなみにまだ先方には「日本人妻」カードがあるがインパクトは小さいな。兎に角、行き来が出来なくなって困っている人を早く何とかすべきである。となるとTさんに国内の説得係りを頼むかもしれない。何時もと同じの外圧頼みである。


4/28・土
 昨日のどさくさに紛れる形で日銀は物価上昇目標を取り下げた。まあ、仕方がないな。総裁、ホテル代とラーメン代はどんどん上がっていますから気を落とさないようにして下さい。
 さてさて大型連休だが何の予定も約束もない。老家人の状態が悪化しているので伊那にも行けない。朝から家人が五月蝿いので強制外出。東急バス一日券で区の内外を巡る。まず自由が丘へ。古本屋が二軒とも面変わりしていて驚く。「結心」という店で付け麵(800円)。魚介と鶏の合わせ出汁を自前で取っている模様。人気店のようだが今となっては標準的な味。味の進化は怖ろしいほどである。付け麵は太麺だが割り箸が貧弱過ぎて上手く掴めず。隣の学生さんが啜っているラーメンの方が旨そうだった。此方は細麺。田園調布を経由して千歳船橋へ回航。チトフナは伯母の入居施設があったのでよく行った街。あれからもう二年。次は老家人の番である。もう少し回りたかったが暑さと紫外線で断念。午後には帰宅。
こうして外を歩いていて気付くのだが御酒の買い取り店が方方で増えている。いやしかし、下戸の人が何かの間違いで御酒を手に入れたとしても、態態に売りに行くというのが可笑しいと思った。通常は誰かに贈与するだろう。酒飲みの親類縁者、知人友人、はたまた出入りの職人さんとかに。そういう人が身の回りに一人も居ないのかね。其処まで人間関係が貧しくなっているのかな。最近の日本人は。今日の夜もコンビニ飯。吾人が積極的な買い物に行かない限り、真面な物が給仕されなくなって来ている。家人の能力低下も著しい。布団の外干しを強行したらくしゃみ止まらず。久久の抗ヒスタミン


4/27・金
 薄曇り。午前中から南北首脳会談。日本のテレビ局も生中継す。緑も映える時季だし、いい画である。素直にそう思った。こういう映像は御酒を飲みながら見たいとも思った。当然プルコギ、ビビンバ、冷麺付きで。あの豚バラの焼肉も旨よな。残念ながら構ってくれそうな行きつけの店がない。併し北の指導者は大きいな。態態大増量して恰幅を良くしていたのかもしれない。此の日の為に。それにしてもこういう雪解けは一年早くても良かった。昨年のミサイル騒動は何だったのか。何れ納得のいく説明者が現れることを願っている。
 川崎の叔父さんが来たので近所の洋食店で昼餐会。家の近くでは滅多に外食しないから初めての店である。家人持ちなので2500円のコースを注文す。空豆の冷製スープと鰈に掛かっていたバターソースは旨かったが他は居酒屋料理と大差なく。アルコールも高い。やっぱりコリアン料理屋に行きたかった。夜はコンビニの冷やし中華。本当は冷麺が食べたかった。


4/26・木
 残った野党が合同して国民民主党が出来るという。何処も彼処も民主党ばかりだから略称は国民党だな。序でに国共合作? 其れはないな。下らないこと夥しいが選挙戦略上は避けられない。いっそ困民党はどうだろう。すっきり晴れる。眩しいほど。午後出社。立ち飲みBとIに寄って帰る。


4/25・水
 午前中は大雨。昼からは徐徐に晴れた。午後出社。退社後は誰も掴まらず。バーIも閉じているので其のまま帰った。早く帰り着いたのでBSでやっていた「プーチンの復讐・前編」。アメリカ製の番組なので相当割り引く必要はあるだろうが、五割引きにしたとしても少少救いがない内容。尤もロシアがああいう国になったのはプーチン氏の人格にも問題があるのだろうが、民衆の要請があったという側面も否定しがたい。ソ連崩壊後のロシアが酷過ぎた。其のトラウマがあのような指導者を待望するようになったのである。一応選挙制度があった以上、独裁者は単独では成立しえないからね。何はともあれロシアはもう取り返しがつかない所まで行って(行って)仕舞った。こりゃあ第二の冷戦は不可避だな。ヘラヘラ近づいて行くAなども少しは見た方がいい。日本で恐露病が出ないのがつくづく不思議である。


4/24・火
 朝から曇り。今季初めての本格的な低木刈りと草取り。暖かいから伸びも速い。刈り込み鋏を久久に手にしたが少しの作業で手が震えて困った。随分体が鈍っていた。また草木との闘いの日日である。
午後介護ベッドが届く。介護保険対象外とのことでレンタル料月千円。電動式でよく出来ている。寝た切り防止の為に自動起床装置機能も付けて欲しいと思った。併し老家人にとっては少少ショックなのだろう。便利にはなるが、可成り不機嫌であった。夕方から小雨。


4/23・月
 空気が入れ替わり平年並みに戻る。此の気候が昨日欲しかった。デイサービスに行っている間に、老家人の部屋を片付ける。愈愈明日介護ベッドが入る。布団生活も今夜が最後の見込み。
 午後千寿に出校。途中神保町の三省堂で検定教科書と『現代文読解基礎ドリル』(駿台文庫)を購入。後者は中学生の授業で補助的に使おうと思う。大学入試用なのだが短文中心なので初学者にも使いやすい。というのも普段使っている『マイクリア』(教育開発出版)に出て来る文章が余りに詰まらないからである。読解力養成の鍵の半分は佳い問題文に出合うかに掛かっている。毒にも薬にもならないことを平気で書いてある文章には魅力がない。出版社の名誉の為に言うが此れは編集の問題ではないのだろう。同じ教育開発でも『新小学問題集・中学入試編』は結構面白い。恐らく『マイクリ』は公立高校の入試問題を採録し、『新小問』は私立中学の其れを載せているからであろう。評論ならば公平中立不偏不党無味無臭、小説ならば家庭円満進路明確順風満帆な問題文を採用せざる得ない都道府県立高校入試のものは総じて詰まらなくなるのである。退社後は町屋のBに回航。D店長指揮の下、二千円ほど使って帰る。


4/22・日
 昨日以上の暑さとなるも大学野球観戦の予定が入っているので九時過ぎのバスに乗り渋谷駅へ。此処から神宮球場まで軽く歩く。参加者は月波君と客乃間。十時半開始の立教戦。まだ四月だというのに異様なかんかん照りで風も無い。軽く三十度。遮光されている二階席でも十分暑い。試合は何となく決め手に欠き、五対五で漸く終了。早速アルコール昼食の番である。
表参道に古くて安くて年中無休の蕎麦屋があるというので行って見る。何時まで経っても見つからない。何と既に更地になっていた。見つからない訳である。情報が古い。併し休日の表参道など人人人で溢れ返っている。地元から僅か三駅離れただけだが、歩いている人も並んでいる店も丸で勝手が違うシャレオツタウン。従って入り込む余地も隙間も無し。困ったことになった。今更転進も撤退も出来ない。結局適当な中華屋に緊急避難す。其れ以上の死の行進は避けられたが、ランチはメニューも少なく、冷たい麺類も出来ないという。ビール+冷奴+板わさ+天麩羅盛り合わせ+冷酒+もり蕎麦+調子が良ければ親子丼かかつ丼の予定が、かた焼きそばとチンジャオロース飯に交代となっては飲酒も捗らず。半時間ほどで御開きとなる。いやしかし、商売を止める時は官報か何かできちんと告知をして欲しいものである。
メトロで一駅移動し吾人は晩食の買い出し。最早地下食品街などをうろつく元気もない。こういう時は一目散に崎陽軒である。三時過ぎに這う這うの体で帰着。丸で散散な内容であった。こんな日は家で猫でも弄りながら職業野球でも見ている方が佳かった(中日は三連勝)。もう半年先まで不要不急の外出は避けようと思う。夜は何度も上厠す。麦酒の飲み過ぎである。
公共放送は連日の北朝鮮特集。併し資金調達がどうしたこうしたとか、核開発はああしてこうしたとか、まだまだ不穏な動きがあるとか。企画立案は昨年だろうから内容は既に周回遅れ。何だか古新聞を読むかのよう。其れぐらいドラスティックな変化が今起きているのである。結局核ミサイル開発は国内の体制固めの為だったのだろう。余りに緊張が高まり過ぎて慌てて方針転換を図ったといった所か。アメリカとの関係改善はずっと前から考えていた既定路線でもあるから乗り換えも早いのである。そう考えると南のPさんが一年早く居なくなってくれて本当によかった。此れは世界にとっても僥倖である。序でにAも居なくなれば日朝交渉も少しは進むだろう。


4/21・土
 朝から夏のようなお天気。鶴木さんに川崎アジアンフェスタに行かないかと誘われていたが、両家人の体調不良を理由に不参加。尤も行かない理由の大部分は此の天候である。既に眼も眩むほどの紫外線。もう九月まで出歩けないと思った。
と言うことで近所を少しずつ回る。まずスーパーへ。続いて古本チェーンで『革新幻想の戦後史』。序でに唐揚げ屋の隣の隣の燕の帰巣を確認す。帰って来てくれて本当に良かった。此れで本年中の日本沈没はなさそうである。其の足で「誠屋」のラーメン。復路で家人向けに弁当を買いたかったが、「ほっともっと」という店は取り付け騒ぎのような長蛇の列。此のチェーンは作り置きをしないから昼時は何時もこうなる。超売れ筋商品だけでも昼前に作って並べておいて欲しいと思った。大体昼飯というのはみんな待てないだろう。結局コンビニ弁当。夕方環七の魚屋で鰹と鯛の刺身。
アメリカから戻ったAは桜を見る会。此方は帰って来なくていいのにね。膿を出し切るとか言っていたけど身から出た錆の間違いであろう。何度も言うが一刻も早く居なくなって欲しい。夜は映画「ミスト」。舞台は怪物に取り囲まれたスーパーマーケット。典型的なアメリカンパニックホラーである。終末論を唱える変なおばさんが出て来るところとか、「見るべき程の事をばみつ」といった悲観論が最後の最後で否定されているところとか。何だか妙に感心す。やはりボロボロなっていても浮いていることが大事である。勿論Aの事ではない。


4/20・金
 今日もかんかん照り。既に初夏以上のお天気。四月から此の陽気だから今年の夏が心配である。近所の惣菜ベーカリーも来月で閉店とのこと。フィッシュフライバーガーが旨かった。寄る年波には勝てないと張り紙がしてあった。困ったな、昼食の選択肢がまた減った。数軒先のアパートも建て替えが決まる。此方は拙宅より新しい物件。寄る住販会社の営業を断り切れなかったか。ところでインチキシェアハウスに大量に貸し込んでいたのは沼津の金融機関だという。つい先日まで融資が巧い早いと持て囃されていた地方銀行である。実態はこんなものであった。花粉症対策でずっと干してなかった羽毛布団をせめて室内で陽に当てる。此の所、濡れ煎餅のようになって仕舞って困っている。
金曜不出社。今年度は月水木の週三便体制と決まる。となると老人介護である。老家人の体重が半年で数キロも減少す。こうなったら意地でも食べさせるしかない。寝ているところを叩き起こしてスーパーのケーキを食べさせた。晩は一日遅れで赤飯を炊いたが茶碗半分も食べず。夜は映画「海と毒薬」。原作を照らしながら鑑賞す。いやしかし、結核を手術で治そうとした時代があったのだね。今から見ると丸で古代の医療施術だと思った。此の間、医学は超高速で進歩したが人間の方は・・・、という月並みな問いしか思いつかず。


4/19・木
 朝からかんかん照り。新潟の知事も女性問題で辞任。素晴らしい経歴の持ち主らしいが、自民と維新で国政に挑戦して落選し、原発慎重派の支持を受けて首長に当選していた。政治経歴から考えてみると、少し節操がない人かなあ。老家人は九十何回目かの誕生日。何にも目出度くない。愈愈布団からの寝起きが厳しくなってきたので、介護ベッドのレンタルをしようという段階である。
 連日のニュースの映像を見ていると何処かで見たことがある街並み。件の次官殿はどうにも拙宅の比較的近所に住まわれているらしい。出社の序でに見て行こうと思った。区境を越えて当りを付けて行くと報道関係者が立っていたから直ぐに分かった。併し若い男の記者が二人。前夜までの大騒ぎが嘘のよう。見たところ瀟洒ではあるが豪邸という程ではなし。高級官僚とは言っても公務員だからね。此の辺の人ではないらしいから土地を買って建物も建てたのだろう。今回の件で退職金が減らされたり天下りが出来なくなったりしたら返済計画も狂うと思った。それにしても長い長い官僚人生の最後の一週間は余りに劇的であった。其れを蝉の一生に譬うべきか。退社後は立ち飲みBへ。ほんの二三杯を飲んで帰った。


4/18・水
 誰も何の期待もしていないが日米首脳会談。こうして紙幅を割く価値も無し。昼過ぎまでたっぷり降った。午後出社。金弐万円受け取る。家人が風邪を引いたというので其のまま帰宅。朝は冷凍うどん、昼は納豆ライス、夜は持ち帰りの世界的ハンバーガー。麦酒と合わせると結構旨い。幸い家人は軽症の模様。
 早く帰ったので映画「アポロ18」。月の石にはエイリアンが潜んでいたというドキュメンタリー調のスペースホラー。低予算で雑な造りだが結構ヒットしたのかな。飛行士たちが「大統領だって嘘をつく」と発言した下りが気になった。ウォーターゲート事件のことを言っているのだろう。陰謀論の始まりである。逆に言えば、其の頃まで政治家連中が信用されていたのだから却って驚く。日本は? 軍部と政府にこっぴどく騙されたから、ずうっと前から元元信用されていない。件の次官は結局辞任。


4/17・火
 いやしかしね、次官の件は同性としてうかうかと馬鹿に出来ないと思い直した。上司、上官、上役と名の付く者は勿論、先生、先達、先輩、コーチ、監督・・・、人の上に立つ者、人より多くの権限を有する者は、下下の者に好かれていると何となく勘違いするものである。相手が異性の場合では其の割合は下がるとしても十人か二十人に一人ぐらいの割合でそういう感情を抱いても不思議ではない筈だと。極めて大いなる勘違いなのだろうが、そうしてセクハラ問題が起きるのだろう。でも態態破廉恥な事を言って好かれようとしていたあの次官、中学男子程度の口の利き方だなあ。所謂中二病なのだろう。重い曇り。結構寒い。取り立てて無為。夜から小雨。


4/16・月
 まあまあ晴れる。暑いような涼しいような。中目黒まで歩いて出社。途中「文藝春秋五月号」。こういう保守系論壇誌もAに引導を渡すかのような特集を組んでいる。愈愈放伐は近いな。Aが居なくなるのは結構として、問題はAノミクスである。ゼロに近い金利デフレーションは致し方ないとして、日銀に引き取らせた国債はどうするのだろう。日本国政府が日本国民の為についうっかり使い続けて拵えた借金であるから日本銀行日本銀行券を刷って消滅させることの何が悪いなどと抗弁することなく、何となく此のまま静かに凍らせて仕舞うことは出来ないだろうか。曖昧に穏便に。恰も元から無かったことのように。
借金が半分程度になるのだから財政再建も容易になるであろう。中くらいの増税で済めば何よりである。何事も厳格にやり過ぎては往けない。其れこそ希臘のようになって仕舞うからね。出鱈目な経済政策であったが結果として日本の財政と経済を救った宰相として、案外Aは歴史に名声が轟くかもしれない。勿論意図せざる結果だろうが。という訳で、吾人もAの事は多少は評価している積りである。何事も全肯定同様全否定も宜しくない。そんなことを考えながら五時から八時まで授業。何だか飲む気も興らないので其のまま帰宅。地下鉄では冷房が、拙宅では暖房が動いていた。冷凍食品と焼いた秋刀魚の缶詰で芋焼酎を飲んで御仕舞。耳鳴りは概ね治った。
 次官は突如として開き直る。万が一にもセクハラを受けた者は名乗り出て欲しいと。セクハラ録音、訴えなければ検断無し、ということにしたいのだろう。報じた週刊誌を訴えるとも。土日の間に考えた秘策なのだろうが、いやしかし、とんでもない論理だな。愈愈末期症状である。


4/15・日
 未明から早朝は春の嵐。九時前後には雨はすっかり止み、風も午後には収まる。取り立てて無為。昼はうどんチェーン。夜はスーパーの鯛を塩焼きで。という訳で食べた物ぐらいしか書くことがない。五号室の請求書が来る。見積もりプラス四万円。諸物価高騰中。


4/14・土
 今月から朝日の書評欄が土曜に移動。何か違和感があるな。大体同業他社は全て日曜だろう。こういう協定破りは宜しくない。シリアに再び巡航ミサイル。今回は英仏の参加を促した模様。併し効果は薄い。後ろに大国がいるからね。併しああいう国に肩入れし続けるロシアって、どうにかならないものか。アメリカという国もどう仕様もないが、ロシアには其の建前すらないもの。
晴れてはいるが、午後から強風。夕方に一雨。まず「サイクルスポット」でブレーキ修理。1400円。昼は「てんや」の天丼を持ち帰りで。丼物は其の場で食べるより、少し蓋で蒸らした方が旨い。暗くなった頃に老家人が寿司を食べたいと言うので「ちよだ鮨」に自転車を走らせる。此の所は食欲も落ち、老衰傾向が著しい。態態買って来たと言えば、少しは食べるだろう。あらら本日の消費支出は全て大手チェーン店であった(スイマセン)。


4/13・金
 今日も晴れて風が強い。花粉症と耳鳴りがぶり返す。漫画を勝手に載せていたサイトがブロックされた模様。先月吾人も使用したサイトである(スイマセン)。封鎖に当たり法的根拠が曖昧だと弁護士さんたちは批判声明を出す。隣の国を見ればわかるようにデジタル時代の方が検閲や統制が容易なのかもしれない。気に入った作品なら買うようにしなくてはね。
 夕方出社。行きしなに前輪ブレーキが破損。ワイヤーが切れたか外れたか。吾人は前輪しか使わないから消耗が激しい。何しろ古い車両だから。此の所、次から次へと卒業生が訪ねてくる。中高大学生、其れに社会人まで。こういう場合、勉めて適当な雑談をしてから返すようにしている。新生活に当たり少少不安なんだろうな。まあアフターサービスの一環である。という訳で今週は色色と良く働いた。退社後は中華立ち飲みとバーIへ。秋田出身の妙齢女性と出合う。ひょんなことから鉄道の話しになった。何時か五能線に乗りたいとおっしゃる。態態乗るより、新潟から「いなほ」に乗って帰れば景色は抜群に佳いと伝えると、帰省は飛行機と決めていると返された。一時頃帰宅。
 

4/12・木
 雨も降らないというのに大分の耶馬渓では山崩れ。彦根では十九歳の巡査が上役を銃撃して逃走。財務次官にはセクハラ発言報道が。国のトップが此れだからつくづくこういうことになるのである。禅譲では駄目だ。放伐しないと。併し日本には易姓革命の思想がないからな。
 四月からゴミ収集のダイヤが変わり、可燃ゴミは十時台と遅くなる。此れで斜め向かいのマンションに出せる。拙宅側は各戸別回収ということだが、成るべく纏めて出した方が回収効率がいい。通いの管理人が見張っている時間帯は其れが出来なかった。午後出社。久久の木曜日の本務校である。中学一年生は中学校に不満たらたら。彼らの言う通り、中学校とは理不尽で過酷な場所だろう。其の気持ちはよく分かる。(毎日仮釈放される拘留施設のようだとは言わなかったが)心を鈍感にして乗り越えるようにと忠告す。大抵の子は其の内に慣れるものである。いやしかし、結局能天気で体が丈夫な人が生き残るようになっている。そもそも中学校というものは、(以下略)。退社後の木曜日の歩き方が分からない。結局中華立ち飲みに寄る。二日連続で天屋先生と須々木さんと会う。昨日の今日だから何となくぎこちない。


4/11・水
 朝から南風強し。一雨あったが、午後は晴れた。衆議院予算委員会は怒号交じり。午後出社。金参万円受け取る。結局平政君の後釜には、嘗て勤めていた田川先生を頼むこととなった。実に六年ぶりの復帰となる。田川先生は大貧学院の卒業生であり、才媛であり、元講師であり、現在は高校の先生をしている。此の間に姓が変わるようなこともあったが、まあまあ元気そうで安心す。体があんまり丈夫でないからね。毎日行くような非常勤講師をずっとやっていて、途中所謂雇い止めのようなことにもあったらしい。任期制の雇用だと偶の手抜き授業も出来ないな(吾人の授業は毎日手抜きでスイマセン)。先生稼業に加えて通信添削の内職などもやっているというから、根を詰め過ぎないか依然として心配である。つくづく若い人にはもっといい仕事を提供すべきである。
 退社後は立ち飲みBへ。期せずして須々木さんや天屋先生を交えての時局談義となる。両人ともAへの不満はあるようだが、政権交代は勿論、自民党内の総裁交代すら望んでいない模様。丸山眞男大先生の「車中の時局談義」と全く同じ構図である。「これらの人々の政治的事実に対する直観的な把握がきわめて正しいものを含んでいるにも拘わらずそれから引き出された政治的判断は全く反動的な方向を取っている」。何が彼らをそうさせて仕舞うのだろう。恐らく幼少期から青年期に掛けての経験が物を言うのだろう。反抗心、いや批判精神というものが欠如している。四十を過ぎれば政治は自然と分かるようになるとは芥田先生の至言だが、分かった上での政治的判断はもう少し若い頃の思考様式に依存しているではなかろうか。野党指導者たちはこういう人たちにも届く声を考えていかなくてはならないが、其れは至難の業だな。何しろ吾人の声も届かないもの。花粉症は終了。


4/10・火
 北側の集積所には大量の可燃ゴミ不燃ゴミの日に出されていた。当方の家作の物ではないと思うが、半分ぐらい引き取って紙類を分別し直す。所謂引っ越しゴミだな。相変わらず東京ゴミ戦争である。終日晴れ。さてさて、まだまだ18きっぷがある。本日期間最終日。そうなると墓参りである。成るべくJR区間を長くすべく、武蔵野線の新小平から参る。田園都市線南武線に乗り、府中本町で乗り換え。折角なので205系を待つ。山手線に新車が入る関係で、此の度インドネシアに転出するとのこと。国鉄時代も全国区で転配をしていたが、今は転勤もグローバルである。乗った車両は昭和六十三年製。かの地であと二十年は働けるな。在来線車両は長命である。一方先月引退したスーパーあずさの車両は、もう壊されているという。同じ在来線でも非凡な車両は寿命が短い。尤もインドネシアで五十歳まで働けば、205系も傑出した車両と認められるであろう。長生きするのも芸の内である。
そんなことを考えながら適当に歩くと案外直ぐに霊園に着いた。墓参の後、駅前の「満北亭」で麦酒休憩。味噌ラーメンも食べたが、ふた味足らない。隣のおじさんは大量のニンニクを投入していた。成程、其の手があったか。でも其の手は使えず。歩き足りないので国分寺まで行軍す。少少草臥れた。此れ以上何処か遠くに行く気にもなれず、其のまま電気の力を利用して帰った。三時帰着。以後午睡。
 加計問題では新たな文書が発覚。今度は首相秘書官=通産官僚と愛媛県側との面会記録が出て来た。官邸の意向が強く働いていた形となる。愈愈御仕舞だな。本当に早く居なくなって欲しい。併し、此処まで官僚の皆さんが動揺したり、忖度したりするのはどういうものかと暫し考えた。恐らく、政治主導というものに慣れていなかったせいもあるのではないか。今まで我儘気儘に自転していた組織が、突如として人事に介入される。件の内閣人事局の御蔭である。三年に一度の割りに覚え目出度く出世転勤して往く官僚さんたちにとっては、自転的人事こそが全てである。(当然民間組織も自転はしているが好不況などの外的=公転的要素の方が大きいし、時として想定外の彗星や隕石が衝突することすらある。)其れこそ、晴天の何とやらだったのかもしれない。急に浮足立って仕舞ったのだと思う。今はある種の過渡期なのだろう。今後は異動に対するストレス耐性を備え、選良たちの理不尽な要求には是是非非で対応して欲しいものである。政治主導自体は悪くないアイデアなのであるから。
 夜は「銀河英雄伝説」の新作アニメを見る。旧作から三十年も経つとCG多用。登場人物もすっかり綺麗になり、軍艦の類も丸で新造の電子操縦といった感じ(205系と235系くらいの違い?)。やっていることは同じ宇宙戦争だけどね。此の物語も政治とか軍事とかに興味を持ち始めた中高生諸君にはいい教材かもしれない。千年先も戦争ばかりしているという結構救い難い内容でもあるがね。


4/9・月
 午前中は漫然とす。旅費の精算。グリーン代とバス運賃が1800円、見学料1000円、飲食費と御土産代数千円といった感じ。一枚2370円の18きっぷを使う為に、其の数倍の御金を使った計算である。家でぼんやりしながら飲んだり食べたりして使ったお金を差し引いても、数千円の内需拡大となるだろう。青春18も期間を拡大すれば、みんな家から這い出してきて全国の観光地が助かる。交通は国の産業の要石。鉄道開闢以来の使命である。
サッカーの監督も解任される。選手との不協和音が拡大していたらしい。言葉の問題? いや性格? むしろ年齢の方だろうな。老将の意向を忖度する程、選手が出来ていない。併しワールドカップまで二ヶ月。ちなみに今年の開催国はロシア。北の国のように態度を軟化してくれるといいが、ロシアに限って其れは無いなあ。
 今日も強風。何だか五月の陽気。今年は季節が早い。再び電車に乗って千寿に出校。途中散髪す。授業は五時から八時まで。千寿生活も五年目である。此方の監督とは意思疎通が出来ないままだがね。不要紙の持ち帰りも再開。町屋の立ち飲みBに軽く寄り、千代田線に乗る。改正後は伊勢原行きなんて言うのもあり、随分遠くまで行くと思った。こういう行き先を突然見ると旅情を掻き立てられる。例えば其れが伊勢原ならば、大山で豆腐でも食べたくなるように。大手町で半蔵門線に乗り換え。何だか途中で数分間動かなくなり超満員になって帰った。服薬から二週間。耳鳴りも七割方治まった。


4/8・日
 余った青春18きっぷを何とかすべく、始発のバスに乗り渋谷駅へ。7時16分発の宇都宮行きに乗る。例によって埼京線のホームは遠くて評判が悪い。此処も二年後には山手線に並べる計画だという。東横線がどいた後には、もう基礎部分が出来ていた。こういう工事物は日進月歩である。折角なのでグリーンにす(780円)。グリーン車があれば結局乗って仕舞う。ラーメン一杯分の贅沢。JRの増収策は的中しているな。
二時間走って到着。大谷石の博物館を見ようと思う。三十分バスに乗って参る。二時間半も北上すると山の桜がまだ咲いている。得をしたと思った。採掘場跡に其のまま入る。月並みな表現だが、地下神殿のよう。但し観光客も多く、場内は歓声がわんわんと木霊す。残念ながら荘厳とまではいかなかった。続いて大谷観音へ。御本尊を拝顔。平安初期の千手観音菩薩とのことだが、何となく天平シルクロードの香りがする。此方は霊験あらたかといった感じ。結構丁重に手を合わせた。
 バスで市内にもどり、「めんめん」という中華屋に入る。此処は餃子専門店という訳ではなく色色と頼める。併し何しろ一人ではね。羽根つき餃子一人前360円。麦酒にラーメンを付けた。例によって餃子というものは、(以下略)。しかし宇都宮には焼きそばの店も幾つかある。次回はそちらにも入りたい。
駅に戻り、13時33分発の逗子行きを待つ。ホーム上にはいい感じの立ち蕎麦屋がある。「野州そば」というらしい。併し胃にはもう入らないし、此処も(恐らく)NREだと思うと別腹を提供する訳にも行かず。其のまま乗車。此の列車は途中から快速運転す。モハに乗ったせいか、結構速く感じた。そもそも電車は速いのである。出し惜しみをしないで、こういうライナー性の列車をどんどん走らせれば、宇都宮や高崎までなら新幹線を使うまでも無い。其れでは儲からないというのなら、幾らか料金を請求すれば佳かろう。
 大宮で吾人のボックス席も埋まる。目の前には西洋のお人形さんのような恰好をしたおじさんが座った。都会には色色な人が居る。本当は女の子に生まれたかったのだろう。人生とは不如意の連続であると思った。大体みんなそういうものであるしね。大分経って仕舞ったが、自己実現出来て佳かったと思った。月波君が都内でお待ちしていますというので新宿で乗り換え。丁度二時間で市ヶ谷に着いた。都心なら新幹線が有利だろうが、東京西部や神奈川方面に帰るのなら在来線でも幾らも変わらない。一回りして、先日入れなかった「さくら水産」へ。猫も跨いで通った刺身を出した飯田橋店とは違い、市ヶ谷店の方は結構旨い。金目鯛、めごち、鰯、サヨリ等等。清酒「吉乃川」と金宮焼酎でどんどんと流す。二人で八千円近くも行って仕舞った。七時前解散。更に渋谷の「博多天神」でラーメン。八時前帰宅。十時就寝。花粉症は多少目が痒くなる程度で済んだ。此れは檜かな。


4/7・土
 朝から晴れた。朝から牛丼Sへ。映画「サバイバルファミリー」見了。何らかの原因で電気生活を失ったという設定。深刻になりがちなテーマをコミカルに描いている。悲惨なシーンは出て来ないから教育テレビでも流せる。ちょっと笑えて少し考える。こういうタッチの作品は余りない。アニメ化したら却って現実味が増して宜しくないし、万が一にもハリウッドがリメイクしたらパニックホラー大作にして仕舞うだろう。
 買い物は二便。夕方前、何時ものとり屋に焼き鳥を買いに行く。焼き鳥部門は来週で終了するとのこと。焼き担当のおじさんが引退するのだろう。考えて見れば吾人が幼少の頃から可成りのおじさんだったから、実は相当な高齢なのだろう。お疲れさまでした。ああこれで、また一つ、晩酌の当てがなくなったな。先月の電気使用料360キロワット。前年比二割減。
 

4/6・金
 評論家の入水を幇助したとしてテレビ関係者らが逮捕される。ロープを結ばせたらしい。師弟愛?年寄りの我儘に若い人を巻き込んではいけない。つくづく迷惑な話しである。
巡業先で倒れた人を救護しようとして土俵に上がった女性が注意された件も酷いが、其の後取り組みをしようとした際に大量の塩が撒かれた件も酷いと思った。最近は仏教界でも「清めの塩」を止めているという。穢れの概念が差別に繋がるという指摘を受けてのことである。となると、将来的には廃止されるかもしれない。併し何か撒かないと形が付かないということもある。ならば水でも撒くかな。水を打って取り組みに集中するとすれば批判も出ないだろう。併し相撲界の改革の速度を考えると相当先になると思うけど。
朝から南風が吹き荒れる。午後出社。吾人の授業はないが、テキストの配布と時間割の調整に当たる。平政君の穴は埋まらず。こういう場合、大抵の学習塾では嘗て勤めていた人に無理矢理頼むのだろうが、どうせ最後の方の給料を支払ってないから、其れも出来ず。全て無責任社長が悪い。吾人の知った事ではないので、八時に退社。五反田でやっている大将主催の金曜会に回航。参加者は、鶴木さん、須須木さん、鰻犬先生。以前よく行ったイタリアンレストランの移転オープンに合わせてのこと。併し一時間も遅れて行ったら、既に食べる物はなし。白ワインを只管がぶ飲みす。立ち飲みBの五反田店に回るも此方も満員。金曜の夜は凄いね。
驚いたことは、鰻犬先生も引っ越すのだという。此処で鰻犬先生の紹介を少し。住居が大貧学院の目と鼻の先にある関係で、授業を少し手伝ったことがある。ということで先生である。当然ウナギイヌとは当時の生徒が付けたニックネーム。吾人よりかなり年上だが、貸間と貸店舗を所有。此の度、全部売り払って田舎の方に行くとの事。建物自体は古いから其れもあるだろうが、土地を売った後は日銭が入らなくなる。鰻犬先生の老後は大丈夫だろうか。吾人と同じ独り身である。其のまま五反田で解散。本来ならラーメン屋でも物色しながら帰るのだが、大雨が降るというので鬼の形相をしながら帰った。


4/5・木
 未明に小咳。また風邪かと思い、直ちに「プレコール」。空気が代わり普通の四月に戻る。取り立てて無為。夜は中日巨人の三回戦。件の大リーガーも出た。五回三失点。可もなく不可もなく。月に二回ぐらいは投げられるかな。まだ三十代である。何しろ話題がない球団だから。


4/4・水
 一応散歩には連れ出した。僅かな段差も越えられず。其の度に「なんにも出来なくなった」と呟く。年を取るのも大変である。異様に暖かい。五月の陽気である。午後出社。立ち飲みBの後は、バーIに寄り、先日の花見会の顛末を聴いて帰った。


4/3・火
 遅起きなミケを掴まえて漸く予防注射に連れて行く。此れで三匹終了。今年は手間取った。さてさて今日も暖かい。青春18きっぷが二回分余っているので何処かに行くことは可能だが、すっかり気乗りがしない。花粉も酷いしね。
ところで、日日、老家人は其の為体ぶりを家人に批判されている。すると時折反撃して、此の所は家人と諍いが絶えない。併し老家人は今月で九十三である。流石にもう無理かな。吾人には少少諦めた観がある。其れとも家人のように心を鬼軍曹にして散歩に連れ出すべきなのかなぁ・・・。
使用期限を五年も過ぎた消火器を交換。家作の一階と二階の二本で一万四千円。つくづく無駄だと思うけど。最近の人は煙草も吸わないし、新型のガス台には停止装置も付いているし。それでもまあ本当に役に立つようなことが起こるよりかはね。晩食は残り物の総整理。締めは期限切れの防災御飯を同じく期限切れのお茶漬けの素で。此方は無駄にはならないな。イラクの日報も出て来る。詳しく検討すれば適当な答弁をしていたK元首相の評判も下がるだろう。


4/2・月
 朝から出社。時間割の都合上のことで別に今更転職活動をした訳ではない。併しこうして朝から行くのも春夏冬の講習期間中、其れも年に一二回の事である。そもそも混んだ電車に乗りたくないということで現在の職業を選択した割合も多い。
午前中は小さい子の面倒を見る。やや粗暴な子が一人、異様に落ち着きのない子が一人。うちの猫より年下なだけに、猫より聞き分けがないと思った。人を育てるのはつくづく大変である。とは言うものの幼児教育は吾人の範疇ではない。心のベクトルをゼロにして耐え忍ぶ。午後は高学年。少しは人語を解してくれて助かった。諸諸の雑用を済ませ三時半退社。此れでも七両編成である。碑文谷で鯛とトビウオの刺身を買って帰宅。暗くなる前から飲み始めた。服薬から一週間。耳鳴りは若干収まってきた。


4/1・日
 未明には逆流す。と言ってもポロロッカというほどでは無し。八時にはすっかり回復し、早速富士蕎麦でラーメン(420円)。軍縮、開国へと傾く北の皇帝に暗殺の危険があるという。詰まり失業を心配した軍人たちが、和平に反対するというシナリオである。そう言えば此の国でも玉音放送に抵抗した勢力が居たものな。何時の時代もどの国でも見当外れの強硬派ほど度し難いものはない。
 昼は録ってあったBSの「英雄たちの選択・崇徳上皇の涙」を見る。天皇家にはこういう放埓で魔術的な部分もある。21世紀になっても暴走しないとは限らない。だから現行憲法による縛りが必要なのだと思う。此れが、天皇は国事行為に専念して欲しいと願う吾人の理由である。
中日は開幕三連敗。今年も野球は見なくて済みそう。こんな状態がもう何年も続いているから、中継を見ても選手の半分ぐらいしか分からない。何度も言うが首脳陣はどうする積りなのだろう。何の戦略も無いらしい。何しろ格安で手に入れた元大リーガーでナゴヤドームを何回か満杯にする皮算用をしているくらいだから。
 夜はとんかつ。珍しく家人が揚げた。併し衣は剥がれ、油を節約した為か全般的に焦げた感じに。家人の技量も落ちたと思った。もう揚げたてのかつも外で食べるものとなった。地上波テレビ、頗る詰まらない。各局とも同じようなスポーツバラエティばかり。テレビは諦めてラジオを点けた。

2018年3月

3/31・土
 血液検査の結果はまあまあ良好とのこと。コレステロール、尿酸等も基準値×1.2程度。血糖値も低い。買い物に続いて、拾った携帯電話を交番に持って行く。午後はバーI主催の花見会。三時に店に集合して近所の公園に向かう。参加者は十名程度。吾人より年下が多い。みな常連なのだろうが、一堂に会したことがないから、誰が誰だか分からない。唯一分かるのは店主だけである。まあそれでもアルコール力を借りればどうにかなるから不思議である。暗くなった頃に店に引き上げ、二次会へ移行。酔いが回った吾人は、頃合いを見計らって離脱す。十時には就寝(多分)。差し入れ分を含め会費は五千円。こうして健弱な三月も終了す。
三月の備忘録。本務校の商店街ではクリーニング屋が閉店。此の所、自前で作業しているような所はどんどん閉じている。また豆腐屋さんも長期休業中。どちらも店主高齢の為。三江線も廃止。


3/30・金
夜半から未明にかけて大風。異様に暖かい空気は何処かに流される。其れでも平年並みの気温。沖縄の伝統食品を放射性廃棄物の味がすると表現した高校の英語の教科書が訂正される。既に刷ってあるから総回収だな。日本を食べ歩いた英国一家の文章をそのまま載せてしまったよう。英国流のブラックユーモアの部分は手直しすべきであった。其れとも、何処かで「放射能の」という形容詞と「廃棄物」という名詞を差し込みたかったのだろうか。大抵の英語の教科書は必要な単語と文法を無理矢理組み込んでいるから、何だか不自然な遣り取りになるものである。
月波君が都心の桜でも眺めましょうと言うので出掛けた。市ヶ谷から飯田橋まで歩く。まだ三時過ぎたが、会社員などもブルーシートを広げている。佳い会社だと思った。そういえば今日はプレミアム何とかであった。桜は既に半分程度。世田谷に比べ少し早い。今年は特に早いから新入生や新入社員は間に合わなかった。もし後者が駆り出されているとしたら、其れはブラック何とかである。一方鳳生大学もどんどん建て増ししている。京都の駅みたいになっていて驚いた。
刺身でも食べようとさくら水産を目指すも、何時の間にか「腹八分目」という安めの居酒屋になっていた。一応入って見る。インスタ映えを狙っているのだろう、矢鱈大きな唐揚げが名物のよう。今更唐揚げを大量に食べさせられてもね。客乃間も来るというので腹五分で「備前」というラーメン店に移動。併し既にスープも麺もないというので水餃子を食す。麺が食べたくなり、結局何時もの「えぞ松本店」に。数千円を費消して十時過ぎに帰宅。


3/29・木
 北の小皇帝は北京に参り、中華の新皇帝と会う。こう書くと身も蓋も無い感じだが、米朝会談の下準備の為である。開国の意思は変わらない模様。何となく冷戦が終わるときの感じに似ている。此処は敢えて楽観論で行きたいと思う。但し日本は自ら蚊帳の外である。せめてジンドーエンジョをちらつかせるべきである。期限切れの防災食を送ることに反対する人は少ないだろう。
 異様に暖かく、異様に花粉が飛んでいる感じ。ロラタジンという薬を飲み、マスク掛けで閉じ籠っていてもくしゃみ止まらず。取り立てて無為。録り貯めてあった「ポツンと一軒家」という番組を見る。此れは衛星写真で見た一軒家を実際に見に行くという企画。中には都会から移住したような威勢のいい人もいるのだが、今回の放送では行って見ると廃屋だったり、空き家だったり。一軒家ではないが、集落で人が住んでいるというのは一軒だけというものもあった。当然住んでいるのはお年寄りばかりである。此れが地方の現実、そして全日本の未来の姿である。まあみんな比較的楽しそうに住んではいたけれどね。


3/28・水
 朝から区の健康診断。と言っても何時もの内科である。可もなく優も無く。血液検査の結果は数日後。ちなみに選抜野球では彦根東慶應に勝利。名前から言って県立高校で、ルーツは彦根藩の藩校だという。ウィキペディアによると設立は1798年。詰まり寛政高校である。歴史的にも勝っているな。こういう地方の伝統校には少し憧れる。何しろ高校は横浜市北部の某私立高校だったから。
 午後出社。二時半から八時までずっと授業。口から沢山息を吐き出したら耳の方が治るかと思ったが、残念ながらそう言う事にはならなかった。服薬二日目、今のところ変化なし。退社後は晴雷亭に行くも誰にも行き会えず。こういう時にはバーIに回航す。すると近近に花見をするから是非来るようにと店主に言われた。今年はこういう企画にも出て見ようかと思った。誘われる内が華である。十時半ごろ帰宅。


3/27・火
 カキーンという左の耳鳴りが収まらないので、先日の耳鼻科に参る。今日は年増で小柄な女医の診察を受ける。割と気さくで丁寧な感じ。院長先生なのだろう。院内は大混雑であった。結局ビタミン剤や血流改善薬、むくみを取る漢方薬等が処方される。鼻が悪いと耳にも悪いから、抗アレルギー剤もきちんと飲むようにと言われた。診療報酬520円、薬代2020円。実際は此の3.3倍である。飲み代が減って、国民の医療費が増大している。良くない傾向である。早く治さなくては。
 午前午後と国会は証人喚問。件の局長、前国税庁長官の番である。余り詳しくは見なかったが、何故そのような改竄が行われたかについては、刑事訴追の恐れがあるので答えられないと繰り返した。そもそも喋る気がないから、喚問も時間の無駄といった感じ。併し此の人も高級官僚人生の最後の最後にこういうことになるとは予想し得なかっただろう。今まで以上に涙目で、ふさふさの髪にも白い物が増えたように見えた。何処で何をどう間違えたのか。何だか憐れだな。恐らく、忠勤過ぎたのだな。あれでは家産国家の家産官僚である。
 潮流に乗って東急も座席指定列車を走らせるという。但し大井町線の急行で夜間、編成に一両だけ組み込むことに。何とも中途半端である。併し通勤ラッシュ程無駄な物はない。本来なら、フレックス何とかと在宅勤務、地方分散でとっくの昔に緩和されている筈なのだが。デフレ時代の労働強化と東京集中で全く其の芽は摘み取られて仕舞ったのである。終日異様に暖かく、午後は昏昏とする。昼はスーパーの弁当。夜は冷蔵庫の残り物を片付ける。


3/26・月
 沢山寝ても、朝からぼんやりす。耳鳴り酷し。御昼前からテレビ桟敷で野球観戦。春の選抜高校野球、仲田大将の母校が出る試合である。二十一世紀枠という特別枠での出場だが、相手は生憎の超強豪校。軍事に準えるなら最早戦闘というものに成らず。幾ら予想されたこととは言え、見ていても気の毒である。まあアウトは死だが、戦争と違って本当に死ぬ訳ではないけど。
併し人口が減少している田舎の公立高校と強豪私立高校とでは、予算も人員も一ケタ違う。全国から選手を集めた後者は都道府県の代表ですらない。そんな高校野球というものがよく続いているな。日本の七不思議である。さて試合はと言うと、当初はどうなるかと思ったが、後半善戦し、見せ場も幾つか作れた。応援に行った大将も満足して帰京するであろう。午後出社。退社後は中華立ち飲みに鶴木さんを尋ねるも、井満さんの悪態が酷く、直ちに立ち飲みBに避難す。飲み屋の客にも明白な序列がある。様態、職業、話しの面白さ等等を掛け合わせて総合的に決まるのだが、此の所の井満さんは転落が著しい。何しろ髪はぼうぼう、話しは本当に完全に壊れたテープレコーダーだから。矢張り男は仕事をしていないと駄目だな。何はともあれBでは久久に閉店近くまで飲み通した。2300円。


3/25・日
 やめろ止めろというのに、西日本の原子炉が相次いで動き始める。大体此れからの季節は陽光煌めくのだから電気だって余るだろうに。一部には電気料金を引き下げて、顧客を囲い込もうという会社もあるよう。何度も言ったが原子力発電が安いというのは出鱈目である。動かして出て来たあがりは、莫大な廃炉費用と廃棄物の十万年分の保管料の積み立てに充てるべきである。
 昼は外に出た。新町のとむちゃんでトンコクラーメン(640円)。其の後は駒沢の公園に寄る。桜は満開。既に大変な人の出である。少しは見て歩きたかったが、あっという間に目も鼻も大破。急いで戻り、目を洗い、髪を掃除機に掛けた。今年の花見は無理だな。アルコールと抗ヒスタミンをほぼ同時に飲んだら、重力に逆らって立つことすらも出来ず。九時就寝。


3/24・土
 気が付けば右も左もメードインチャイナばかりだと怒り狂ったTさんは、鉄の関税を25パーセント引き上げるという。Tさんが怒る訳も分からないことはない。特に溶鉱炉は止められないから、鉄鋼は昔から問題になりやすい品目である。まあ何パーセントが適切かどうかは分からないけど。米中貿易戦争勃発? 其の内に怒りも収まるだろう。
 未明に激しい胃もたれ。旨いからといってもたれないとは限らない。こういう場合水分を多く取って、直ちに胃薬である。最近は「アコファイド」という処方薬を使う。そして胃の辺りに懐炉を張り付けた。一時間ほどで収まる。無事寝直した。
風邪はどうにか治った。実に二週間も掛かった。気が付いたら桃も桜も咲き出している。此の間は悉く記憶喪失、丸で空白の二週間である。ところで昨夜のテキストに志賀直哉の「焚火」が出て来たので早速読み直す。いやしかし、赤城山の方にも全く行ったことがないと思った。前橋からバスで一時間半だという。大正時代は足尾線の水沼から歩いて入ったらしい。吾人の体力なら夏場でもヘリコプター搬送だな。
午後は録ってあった映画「この世界の片隅に」。ディテールが細かい分、若い人は何回か見ないと理解できないだろう。スフとか、間諜とか、忠臣楠木公とか、敗戦の日に太極旗が挙がる意味とか。学校では習わないことが山ほど出てくる。一方、戦争が描かれていないとか、被爆の描写が簡素過ぎるだとか、加害責任がないとか、色色な批評も出来るだろうが、こういう余白を残した作りにしてあるというのが本作がヒットした一つの理由であろう。鑑賞者の想像や後後の学習に委ねる形となっている。精密だが敢えて主張を控える、詰まりすずさんの愛した水彩画のような作品であると思った。


3/23・金
 朝には喉の痛みは半減す。午後出社。行けば仕事が目白押し。来週からの講習の予定も詰める。夜は小雨。濡れて帰る。途中碑文谷の王将に寄る。餃子と炒飯。帰り掛けに今日の炒飯は旨かったと伝えると、妙に有り難られた。調子に乗って、「炒飯は中華の基本にして最高峰、火を恐れず、火を司る。謂わば火の王に認められた者だけが真に旨い炒飯を作る有資格者となる。君には其の資格が存分にある。」などとは言わなかったが、具と飯の混ざり具合、調味料と油の量等も確かに申し分なかった。一日一回は他人を褒めなくてはね。一日一誉である。喉の痛みは綺麗に取れた。流石に処方箋薬は効き目が素晴らしい。但し何だか眠くて仕様がない。一方耳鳴りは治らず。


3/22・木
 朝まで大雨。以後曇る。喉も耳も少しも治らないので耳鼻咽喉科に行く。耳鼻科は掛かりつけがないので、先日老家人を連れて行った新店舗に参る。吾人より年下の医官のような女医が突っ慳貪に診察す。鼻診て喉診て耳も診て二分で終了。喉の風邪が耳に移って中耳炎を起こしているとの見立てである。最後に三分ほど蒸気を吸引す。耳鼻科に来たのは十数年ぶりだが、治療手順は小学生の頃と大して変わらないと思った。初診料込みで1250円。耳鼻科も安いね。併し此の医院、働いている人も患者も女性ばかり。産科婦人科と見紛うくらいである。こうなると吾人の存在自体がまるで異物であると思った。
処方箋には抗生剤から漢方薬まで大量に出ていて1950円。トラネキサム酸もあったが市販品とは容量が違う。凡そ二倍の処方であった。貴重な国民の医療費である。早く治して、残った分は次回の風邪に使おうと思う。昼は「野郎ラーメン」。午後は少し晴れた。買い物は二便。薬のせいか昏昏と午睡す。夜はスーパーのピザとコンビニのパスタ。耳鳴り酷し。


3/21・水
 再び朝から冷たい雨。御昼前から雪になる。彼岸中日だがつくづく今年は寒い。終日引き篭もる。アメリカで実験中の自動運転車が死亡事故。夕暮れに霞んだ歩行者が見えなかったよう。自動運転など当分先だろうな。広く太い道ならともかく、拙宅の近所のように、人と自転車と看板を掻き分けてでものろのろと進めるようになるのは多分二十二世紀だな。まずは自動ブレーキと飲酒運転防止装置である。併し物を細かく動かすのは極めて難しい。此の分野は人間がやるしかなかろう。給仕や配送なんて仕事は最後まで残るに違いない。


3/20・火
 昨日の夜から冷たい雨。耳鳴りも治らず。午後は止んだが、外出も来客も無し。午睡の際、みたび喉を傷めた。併し抗生物質三日分、ロキソニン十錠以上、ペラック数十錠、プレコール、抗ヒスタミン点鼻薬浅田飴等等数千円分を投入しても少しも治らない。こんな風邪があるものかと落胆す。詰まり、吾人の生命力が落ちて来たのかもしれない。


3/19・月
 暫らく休みなのだが、とうとう何の計画も思い付かなかった。二三日出掛けることも検討したが、体調が佳くない上に、今週は菜種梅雨だという。という訳で只管自宅に駐屯す。老家人をデイサービスに送迎し、午後は植木屋さんが松を切りに来る。時節がら和菓子屋に御萩を買いに行って出した。先月移した桃は無事根付いたそう。夜はコンビニの冷やし中華。咳はどうにか収まりつつあるが、喉はまだ痛む。「プレコール」を買って備える。
 参議院は森友問題集中審議。とは言え真相は分からず。国会は取り調べ室ではないからね。其れに忖度を立証するのはそもそも難しい。与党は全部理財局の責任にしてしまいたいよう。それにしても一局の判断で公文書の改竄までするかね。結局、疑問と疑惑しか残らない。まあ支持率が下がるのは結構なことだけど。そもそも此処まで政権与党がやりたい放題になり、高級官吏の世界でも忖度が蔓延するのも、与党が大きすぎるからで、其れは即ち自民を勝たせ過ぎた国民の(無)責任である。


3/18・日
 朝から買い物。パン、野菜、猫餌の三便。朝だというのにぞろぞろと大学の方に人の列が伸びている。人相からして資格試験らしい。聞けば医療経営士だという。そんな資格があるとは知らなかった。世の中が高度化すればするほど様様な資格が必要なことは分かるが、こうも次から次へと資格を増やされてもね。其の内、道を歩くにも資格が必要になるかもしれない。試験は昼前には終わったよう。またぞろぞろと歩いていた。正味一時間半、マークシート方式だな。折角受けに来たのだから、もっと色色と受けさせてやればよいのと思った。そもそも日本の試験は時間も科目も少なすぎる。午後は肉を買いに行き、夜は鋤焼きにした。
 圧倒的多数でロシア大統領は再選される。いやしかしあと何年やるのだろう。ソ連崩壊後の混乱状態より独裁の方が増しという判断なのだろうが、未来永劫権力を握るという訳にも行かない。権力の継承ということを考えなくては。交代が巧く行かないと、また内戦からやり直しである。民主制は治世としては賢明な王政に劣るのだろうが、継承ということを考えるとやはり最善に近い政治制度である。


3/17・土
 朝から冬型の晴れ。シロとグレを獣医に搬送。恒例の予防注射。各6480円。何だか少し値下がりした。ジェネリック品なのかな。何だか草臥れて午後は昏昏とす。買い物にも行けず。昼夜ともに缶詰と冷凍食品。嗅覚も戻らないから食欲も不振の極み。


3/16・金
 朝方は大量の寝汗。すると今度は耳鳴り。何だか不定愁訴のオンパレードである。痰の絡んだ咳が多くなる。午前午後と漫然とす。夕方千寿に向かう。月曜の振り替えである。例によって地下鉄の長旅。マスク掛けだが、途中何回か咳込み他客の顰蹙を買った。苦行難行の上に辿り着いたが、肝心の授業は七時には終了。正味一時間である。そんなに生徒が居ないのならば適当な自習か演習にして欲しかった。何はともあれ今年度の千寿出校は本日で終了。清清す。町屋のBに寄るも、Dオーナーは相変わらずの不在。麦酒一杯で終了(940円)。此の一週間の外食費の少なさは記録に残るであろう。帰宅後は抗生剤にペラックを白ワインで。前線通過に伴い夜は冷えた。


3/15・木
 日中暖かく風強し。花粉も大量飛散なので外出は無し。先日のペンキの残りを使って、あちらこちらの汚い所を塗り直す。午後も体調優れず。何だか寒む気もする。喉も治らない。ぶり返した。抗生剤の残りも呑もうと思う。


3/14・水
 アメリカの外務大臣も解任されて仕舞った模様。政権内の数少ない常識人であるが、大統領とは元元不仲であった。此れが半年前なら少し心配した。併し現在では、御大自ら平壌でも板門店でも乗り込まれる勢いだから、大船に乗った積りで安心することにしている。何事も明るく考えなくては。兎に角、瓢箪から一度でも当たり駒を出してくれ。頼みます、大統領閣下。
 終日異様に暖かい。朝から小咳。喉を此れ以上痛めてはならない。「プレコール持続性せき止めカプセル」を呑む。何だか効いたよう。一方老家人は数日前から微熱傾向。一応何時もの内科へ搬送す。風邪等の取り立てての自覚症状はない。レントゲンまで撮ったらしいが原因は掴めず。要は老化により、全身のあちらこちらの細胞が痛んで、崩壊熱のようなものが出ているのだろう。長生きするのも大変である。
 午後出社。金七萬円受け取る。喉は益益痛む。ペラックを追加購入。其のまま帰宅。家に着いたらまずロキソニン。吾人も立派な薬物中毒である。痛みが取れ始めた頃に遅い夕飯。白ワインで流し込む。


3/13・火
 喉の腫れは半分程度。結局痛い。結局ロキソニン。抗生剤を止め、ペラックを併用す。そもそも風邪に抗生剤は効かない筈である。喉を治すには鼻通りも確保せねばならないので、点鼻薬と抗ヒスタミンも多用。市販薬の複合競技である。
三日間ほぼ寝た切りだったので、昼は外に出た。あちこちのドラッグストアーで品揃えと価格をチェックし、富士蕎麦に寄る。何だか異様に塩辛かった。味覚もリセットされた感じ。嗅覚もリセット。序に人生もリセットして欲しい所だが、其の為には途轍もない大病が必要であろう。それにしても今回の風邪もまあまあの規模であった。夕方久久の入浴。麦酒は刺激が強くて飲めず。赤ワインを少少。


3/12・月
 朝方はかなりの寝汗。喉の痛みは全く収まらず。水も涎も呑み込めず。続いて小咳。ペラック効果はゼロと判定。一日三回のところを四回服用したのだけど。まるでインチキ薬だと思った。第三類医薬品だからかな。毒にも薬にもならず。詰まり丸二日寝ていても殆ど良くならない。
 高脂血症の薬もない頃なので何時もの内科で診て貰った。インフルエンザは陰性。喉の炎症には抗生剤とありきたりの鎮痛剤(ロキソプロフェン)が処方された。ロキソニンなら家にもあった。診察料2300円。普段より850円プラス。早速服用す。一時間ほどで効き始め、あれほどの痛みは雲散霧消。しかし鎮痛剤というのは凄いね。痛みの原因は其のままにして痛みだけを取れるのだから。依存症が増える訳である。千寿校は欠勤。午後はずっと就寝。昼は御粥、夜はコンビニ食。白ワインをコップに一杯。ネットの情報によると、喉の痛みにはペラック+ロキソニンの組み合わせが市販薬では最高とのこと(現役薬剤師さんがそう言っている)。成程、なるほど。
 財務省は公文書の書き換えを正式に認める。政治家の関与を示した部分をごっそり削除したものを国会に出していたとのこと。次なる問題は誰がそういう指示したかということになる。高級官僚が官邸の意向を忖度して、ありのままの記述がしてあった地方部局が拵えた決裁文書を改竄したという事らしい。モリの問題は一年経って、振り出しに戻ったな。今更言うのも何だけど、財務大臣のぞんざいな態度には、呆れるのを通り越し、最早適切な表現が見当たらない。前局長を早速呼び捨てにしていた。


3/11・日
 熱は概ね下がるも、喉の痛みが酷い。併し拙宅には浅田飴しかない。家人にトラネキサム酸を買ってくるように指示する。「ペラックT錠」(第一三共)。早速服用す。本来なら昨日飲みたかった。具合が悪いとそういうことすら思い至らない。薬売りというのも必要だな。
 被災から今日で七年。当初震災日記ということで始めた此の日誌も、最近は関係の無いことばかり書いている。少し反省した。大地震も心配だが、南九州の火山も気になる。米朝会談の実施を受けてT氏も張り切っているよう。目立ちたがり屋にはこういう場が似合う。吾人とて期待を寄せております。大統領閣下、是非とも朝鮮半島に平和を。夜は再び発熱す。三十七度台前半。どうしてこんなに風邪ばかり引くのだろう。前回からほぼひと月である。朝は御粥、昼はコンビニ食、夜も御粥。二日続けて無酒。


3/10・土
 ひと眠りすると喉が痛む。詰まり喉風邪だな。今季二度目である。明け方に軽く発熱した感じ。漸く節節の痛みは取れた。午後は少し晴れた。ぼんやりしていると警察官がいる。愈愈無実の罪に問われる時が来たかと思った。隣のマンホールの蓋が壊れていたから器物損壊容疑で通報があったそう。蓋の素材は強化プラスチック。重い乗用車を停めていたから自然に割れたに決まっている。増して私有地である。警視庁は勿論東京都水道局の管轄ですらない。常識外れの通報をされて警察官も迷惑だと思った。写真を撮って直ぐに帰って行った。こういう頓珍漢な通報をするとなると、とどのつまり、隣の建物の新オーナーは非常識人ということになるだろう。会ったことはないが、気を付けなくてはならないと思った。特に外猫が心配だ。
終日安静にしていても少しも治らず。節節と喉は再び痛み、夜は三十八度台を記録。咳とくしゃみは一つも出ない。喉と熱のみ。またインフルエンザかもしれない(多分A型)。昼はうどん、夜は麻婆茄子。本日無酒。


3/9・金
 未明は大雨と大風。今年の春は狂暴である。暖気が入り窓ガラスは外から曇る。雨風が止んでも曇りのまま。北はどうも本気らしい。米朝会談すら実現の勢いで、核の凍結ではなく、放棄も言い出している。本気で脅した後は、本気で緊張緩和を求めて来るあたり、独裁者のやることはつくづくドラスティックだね。併しいい時期に五輪があったものだな。南の政権交代も(幾ら何でも其処まで見越していたとは思えない)。デタントを受けてイージス何とかもストップすべきである。早くしないとキャンセル料が掛かるぞ。
 何の予定も無いが午後出社。行っても行かなくてもいい日だが、月波君が飲みに来るというので片づけに出る。澱のように溜まっている古いテキストや書類を只管廃棄す。七時半退社。まず佐渡屋へ。鶴木さんと須々木さんも合流す。併し何だか調子が良くない。体の節節が痛む。また風邪を引いたと思った。中華立ち飲みに転進するも店は大混雑。紫煙も酷く窒息する感じ。月波君を遺棄して早早に退去した。夜は小雨。ぐっと冷えた。十一時半就寝。件の国税庁長官も辞任。何しろモリを巡っては死人も出たという。「点と線」と同じだな。何時の時代も課長補佐辺りが犠牲になる。鳳生大学出身かもね。


3/8・木
 朝からずっと冷たい雨。取り立てて予定も無い。こんな日は国会中継だが絶賛空転中。買い物序に昼を食べに出た。以前入ったアリパパという店がなくなっていたので、ワンツーシーというチェーン店で回鍋肉定食。一般的な味付けで可もなく不可もなく。御供の唐揚げが二個ついて950円(高い)。回鍋肉というと飯田橋のえぞ松だが、そもそもあの店の味が独特過ぎるのだと最近気づいた。何しろ和味噌ベースの味だからね。午後は久久に漫画を読む。最近は無料サイトがある。違法との声も大きいが、何しろ立ち読みしたくとも本屋自体がなくなっているからね。


3/7・水
 更に冬型に。而も曇っているので余計に寒い。午後出社。ところで就職先が決まらない平政君は、其のまま郷里に帰る予定だという。困ったな、彼に辞められると理系担当が居なくなる。今更数学を教える気力など吾人には残っていない。退社後は立ち飲みBとバーIへ。途中公共放送テキストの『100分で名著・松本清張』を買って読む(565円)。放送大学のテキストと違って安くていい。寝台特急と座席の夜行急行を巡る階級論が面白い。今はどちらもなくなって仕舞ったが、後者に当たるものは高速(ツアー)バスだろうな。辛い上に危ない。
 相撲に引き続きスポーツの騒動はレスリングに飛び火。教え子に巣立たれたコーチが怒って嫌がらせをしているらしい。素直を送り出せないのだろうな。あらゆる権力は腐敗する。そう言えば中国の国家主席は終生主席になるという。名誉主席とか適当な役職では満足できないらしい。本当は皇帝になりたいのだろう。恐ろしいこと限り無し。


3/6・火
 雨はすっかり上がる。再び冬型に戻る。朝からゴミの分別とゴミ拾い。蛙の横死多し。何匹も側溝に流した。今更どうでもいいことであるが、本日は吾人の四十云回目の誕生日でもある。昼は冷凍牛丼。夜はスーパーで一匹三百円の小鯛を買って焼いて食べた。
 南の訪問団を北の皇帝は歓迎したとのこと。どういう魂胆があるかまでかは思い至らないが、少なくとも国家理性というものを失ってはいないという印象を受けた。自棄になってニイタカヤマを登ってくる可能性は低くなった。取り敢えずは佳い方向である。


3/5・月
 今日も異様に暖かい。冬が寒かった分、何だか全身が弛緩した感じ。居眠り運転が増えそうである。昼頃から南風吹き付け、雨となる。止み間を狙って、千寿に出校。八時に退社。町屋の立ち飲みBを覗くも、Dオーナーは居ないらしい。余り飲む気も興らないので「町屋商店」という店で付け麵のみ。地名を冠していてもチェーン店なんだろうな。冷や盛にしたら麺が冷た過ぎた。あれでは冷や素麺である。粗熱を取るくらいが小麦の風味も感じられて丁度いい。帰路『戦争調査会』。帰宅後もう一雨。本日ほぼ休肝


3/4・日
 偶には出掛けませんかということで、梅でも見ようかと水戸に行くことにした。同行は月波君と客乃間君。まず朝早く上野に行き、青春18きっぷを買い、勝田行き普通列車に乗る。行きはグリーンにした(780円)。平屋建ての所を貸し切り状態にして麦酒を傾ける。「ゆうづる」も「はくつる」も何処かに飛び去って仕舞ったとか、「フレッシュひたち」は「いなほ」として頑張っているなどと話しをす。併し常磐線に乗るのも久久だが、ずっと関東平野なので面白みがない。海はないし、山も大して近づかない。詰まり人家が減り、蓮根畑が増えて行くことくらいしか変化がない。そんな中、梅山が見えて来たので偕楽園駅に臨時停車。結構な人の出である。梅の開花は半分くらいかな。桜と違って色色な種類があり、而も長く咲いているから観光には適している。平安時代までは花見といえば梅だったのだけどね。江戸末期にソメイヨシノが現れてからは、梅は完敗状態である。気温は異様に高く、風も強まり花粉が直撃。マスクをしていてもくしゃみ止まらず。
レストハウスに暫し避難。梅ワインで休憩す。店内は大混雑。高齢女性まで給仕に出ていた。早速注文を間違えていて気の毒そう。此れも一億総活躍だな。観梅の後、再び臨時駅から電車に乗る。偕楽園駅には上りのホームはないから、ひと駅下って、水戸駅下車。併し駅の南には何の店も無い。漸く「水戸駅南食堂」を探し出し入店す。所謂定食チェーンのようだが、最低限の御酒も出すようなので丁度良かった。店が少ないらしく、店内は二時だというのに混雑していた。
再び駅に戻る。観梅客で上りの特急も軒並み満席だという。三時半頃の普通列車普通席に乗車。まあまあ混んではいたが全員着席。ボックス席に陣取ったが、うとうとす。どうせ寝て仕舞うから普通もグリーンも同じである。五時半に上野駅着。早速座り飲みBに立ち寄る。U店長も居た。来月には退職するのだという。Bも人材流出だね。二時間ほど飲んで本日は解散。メトロに乗ってもくしゃみ止まらず。向かいに座っていた外国人親子は透かさず避難して行った。おいおい、インフルエンザではないんだけどね。海外に花粉症はないのかな。併し飲み疲れ、歩き疲れ、くしゃみ疲れた。持参したキッチンペーパーの束は全てなくなった。直ちにシャワー入浴と抗ヒスタミン。九時半就寝。一万八千歩。


3/3・土 
 モリカケのもりの方で、公文書改竄疑惑が浮上。朝日が報じている。早速国会で問題となっていたが、政権御自慢の朝日批判が封印されているから、疑惑は事実なのだろう。財務省の立場が弱くなるから、却っていいのかもしれない。此れで増税延期は確定だな。
小田急の複複線化工事が完了す。ダイヤ改正は二週先だが、利用者は待ち遠しいだろう。工事開始から三十年。計画段階を入れると更に長い。それにしても三十年か。若い社員でももう五十代である。早期退職に応じたり子会社に移籍したりする頃である。そう言えば、鳳生大学で習ったE先生は確か麻生区に住まわれていて、小田急線が混んで遅くて堪えられないとしばしば嘆かれていた(二限スタートでも)。そんなE先生も数年前に退官されて仕舞った。先生、お元気でしょうか。小田急線が速くなりますよ。朝粥の後は、中華食堂であんかけ焼きそば+炒飯のセット(800円)。大関で牛肉を買って帰った。イチボという部位だったので味は良いが、高齢者には少少噛み切れなかった。
 ところで轍田さんの息子さんも都立高校には合格したという。是非将来は鳳生大学に進ませたいと言っていた。何処かいい学習塾がないかとも尋ねられた。いやしかし、中学の成績がオール三程度では厳しいだろうと思った。そもそも勉強が嫌いな人が大学に行ってはいけないし、子どもに大学に行って欲しいからと高校生にもなる息子を強制的に塾に通わせるという選択も無い。何か別の所を伸ばすべきである。


3/2・金
 今日も春という感じ。花粉酷し。薄着でもマスクは厚着。午後徒歩出社。此の時期に大した生徒がいる訳ではないから雑用のオンパレードである。模試の会社に合否報告をし、エアコンのフィルターを掃除し、例によって一方的に送り付けられて来た学校パンフレット類の分別廃棄。どれも一ページも見ない。つくづく紙の資料は無駄である。
六時半に退社。滅多に乗らない都営地下鉄で内幸町へ。件のちゃんぽん屋さんで仲田大将主催の金曜会。他に鶴木さん、鰻犬先生と田岡さん。大将は母校が春の甲子園に行くというので終始上機嫌。何時もの「よかよか節」炸裂で、呉豆腐から始め佐賀牛のステーキ、連子鯛の南蛮漬け、鯨の刺身等等を高級日本酒で押し流す。会費は三千円で済んだ。酩酊状態の大将をJRに押し付け、吾人はメトロで帰宅。今日は万事首尾が良い。胃も肝臓も財布も時間もセーブしたから首尾というより守備だな。


3/1・木
 明け方は激しい雨。以後急速に回復。大風は吹かなかったが、暖気が入り春の陽気となる。こういう日は古い中華屋でラーメンと炒飯が食べたいと思った。併し拙宅周辺のそういう店は全てなくなって仕舞った(思いつくだけで、さつき亭、二宮、来々軒、中華一番・・・)。そういえば坪上君の家の近くには「どさんこ大将」があったことを思い出したので、のこのこと出掛けた。辿り着くには着いたが、昼の営業はやらないみたい。ならば下北沢に優れた古本屋があると聞いたので行って見た。此方も営業前。つくづく店運がない。其処で茶沢通りにある「丸長」という中華屋に入る。此れは当たりであった。街中華の要素が全てある。「散歩の達人」の取材も受けたよう。ラーメンと炒飯のセット840円。でも代沢か。少し遠いな。高齢な店主夫婦には頑張って欲しいと思うが。
帰り掛けに八百屋と巻き寿司屋に寄る。いい店はみんな国道の向こう側にあるから不便極まりない。夕方前に老家人を散歩に連れ出す。併し百メートル先で断念。吾人も花粉に巻かれ緊急入浴す。続いて老家人も強制入浴。凡そ二週間ぶり。

2018年2月

2/28・水
 朝から塗装工事。下塗り、本塗、二度塗りをする。大した壁面積ではないが、間に乾燥時間を設けなくてはならないので案外時間が掛かる。午後出社。本務校の中三の授業も本日で御仕舞。自習と質問タイムにしたが何の質問も出ず。何でもいいから発言するようにとしたのだが。此の学年も出入りが激しく、終始盛り上がりに欠けた印象。教科指導を除くとコミュニケーションが成立しない。退社後は立ち飲みB。春の嵐が近づいて来るというので早目の帰還。塗り直しの終了した玄関に入る。綺麗にはなったが、余り代わり映えがしない。いっそピンクとかにすればよかったな。こうして二月も過ぎ去る。
 裁量労働制の拡大は見送られたよう。専門職的な働き方を一般的な社員に広げようという事からして無理があった。派遣労働の全面的解禁の時と同様、どんどん拡大されてとんでもないことに成りかねない。今やるべきことは週休三日、若しくは週三十時間制の導入ぐらいだろう。生産高が同じで労働時間が減れば生産性は向上する訳だし。まあ労働法制が機能するのもある程度の規模以上の企業群だけどね。


2/27・火
 見て歩くと、五号室の給湯器から軽く水漏れしている。水抜き栓の辺りから。先月は余りに寒く、凍結防止措置をしたから、少し緩んでいたのだろう。適当に締め直したら収まった。よく分からないけど直って欲しい所である。買い物は二便。散歩も一便。日中暖かく、取り立てて無為。夜は玄関付近の品物の疎開留置。招き猫から観葉植物、自転車の空気入れ等等、ないようで実は物が溢れていると思った。無駄な物はない筈なんだけどね。
 女子カーリングチームはお国入り。夜のニュースで生中継されていた。現在の常呂北見市常呂町という区分らしい。サロマ湖の辺りである。鉄道は既にない。それどころか根元の石北線も危ない感じである。北見市にはふるさと納税が殺到しているらしいが、矢張りふるさと運賃制度が欲しいと思った。いやいや、そもそも東海道新幹線と山手線の阿保みたいな上がりのほんの一部でも三島会社に回すべきである。政治家は何をしているのだろう(特に自民党の旧来派)。もっと予算を取って来いよ。石北線がなくなったら玉葱も運べなくなるのだぞ。
 寝しなにBSドキュメント「麻薬中毒の街・ルイセローが見たアメリカ」。吾人も色色な物に依存しているのだろうが、薬物というものは桁が違うな。緑豊かな田舎町には深刻な依存患者が続続と。目の前でどんどん御注射を打たれていた。超強力な医療用鎮痛剤の濫用が招いた結果らしいが、つくづく社会が荒廃すると恐ろしいことになる。ウエスバージニア州は所謂ラストベルトになるのかな。アメリカという国も一度くらい亡びないのが不思議。アメリカは広いからな。でも半分ぐらいはもう沈んでいる計算である。


2/26・月
 寒い、遅い、風が強い、そもそも雪が降らない所だろうと散散な事を言われた平昌五輪も閉会。而も次は北京だというから驚く。パラリンピックも終わればまた政治の季節だな。
 午後千寿に出校。再び神保町で教材購入。序でに古書店も覗いたが何にもヒットしない。此の所余り頭が動かない。ならば積んである本を読めばいいという事にもなるだろうが、積んであるものを崩すにはもっと力がいる。退社後は町屋のBへ。併しD元常務は不在。早目の納杯となった。


2/25・日
 久久に出鱈目散歩に出る。出鱈目といっても一応目的地がある。相模原市に古い自動販売機を集めたところがあるというので行って見ようと思った。田園都市線を終点まで乗り、小田急線に乗り換え。相模大野下車。適当なバスに乗り、少し歩いたら着いた。そばうどん、ラーメン、ハンバーガー、トーストの定番自販機は皆揃っている。元元古い機械を集めていた人が、直して稼動させて売り出したら人気が出たとのこと。本業はタイヤ屋さんである。従って積年のオートレストランの雰囲気はないが、其の心意気に感謝したいと思った。早速天ぷらそば(300円)を食う。箱入りハンバーガー(280円)も頬張った。さてさて任務終了。以後出鱈目に歩く。
周辺は住宅開発もされているが、雑木林が残り、郊外型店舗の他には物流センターや自動車屋さんなどが点在。例によって歩いている人は稀である。吾人もこういうところに強制移住させられれば、軽自動車くらい運転しなくてはならないな。神奈川中央交通は頑張っているが、バスと自転車と時時タクシーでは生活が維持できない。特に両家人の通院が困る。
十六号を越え、横浜線を潜り抜け、都下に入った辺りでギブアップ。再び神奈中バスに乗り町田駅へ。町田と言えば、矢張り行天屋である。豚骨醤油ラーメン(700円)を脂少な目で。併し両隣りの学生さんはもやしと分厚い豚肉が沢山載った二郎のようなラーメンを食べている。「ぎ郎」というらしい。インスパイヤーばやりだな。糖質に加え塩分も取り過ぎた。駅周辺を暫し散策。「高原書店」にも寄ったが収穫は無し。横浜線で帰ることとす。長津田崎陽軒の弁当を三つ。此れで晩食の準備も終了。帰宅は三時前。交通費概算1400円。二万歩。


2/24・土
 朝から時刻表を買いに行く。例によって改定号だが何も面白い所は無し。改定されればされるほど詰まらなくなるのが此の世界である。次にイヤダカライヤダを繰り返す老家人を、一日歩かないと三日歩けなくなる(日が近づく)と諭して、散歩に連れ出す。併し150メートル先でギブアップ。復路は車椅子搬送となる。今年中には歩行困難、来年は寝た切りになるな。もう少し頑張って貰わなくては。本人にとっても周りの人にとって不幸である。
昼は環七の福森で付け麵(800円)。煮干しと豚骨の合わせ出汁。久久だけど矢張り旨い。小上りは小さな子連れで満員。世田谷の出生率はこんなにも高かったかと愕然とす。いやしかし翼翼考えて見ると、座敷のあるラーメン店は少ないからだな。本当に小さい子には畳の方が佳い。店のおばちゃんが手際よく捌いていた。つくづく給仕は年増の女性に限る。ファミレスや日高屋ではこうは行くまい。
近くの大関で晩食用の刺身盛りを買って帰る。夕方更に鳥屋の焼き鳥。午後からは暖かくなった。何度も出たり入ったり自転車で駆け回っているから鼻が可笑しい。愈愈来たようである。五号室入居。入居者とは先日顔を合わせたから、本日の挨拶は無しとした。
 ベネズエラ経済は大変なことになっていると今朝の新聞が伝えている。ハイパーインフレーションとなり、輸入に頼っていた店の棚は空っぽ。人人はみな痩せっぽっちになって仕舞ったとのこと。下らない品物で溢れ返っている日本の棚と取り換えたいと思った。いやしかし、まあまあの国でも僅か数年でこんなことになるのだね。此の国のスパイラルデフレーションも経済失政の一種だろうけど、今の所は飢えて死ぬことはない。其れでも将来のことは分からないと思った。
 女子カーリングはイギリスに競り勝ち銅メダル。カーリングが話題になったのは何回前の五輪からだろう(確か他の競技でメダルが余りに取れなさ過ぎて、結果としてカーリングが注目されたと記憶している)。立ち飲みSの小さいブラウン管テレビで遅くまでみんなで見た覚えがある。あれから苦節十云年の快挙であると思った。再開発でSはなくなり、「みんな」の中で残っているのは鶴木さんくらいである。


2/23・金
再三再四の銃撃事件を受けて学校の先生も拳銃くらい腰からぶら下げるべきだという議論が成されているとのこと。馬鹿馬鹿しいにも程があるが、併し学校というものは狙われやすい(恐らくショッピングセンターよりも)。矢張り学校で酷い目に遭って、先生や級友に恨みを持っている元生徒が多いという事なのだろう。アメリカのような所でもそうなのだから、日本など校舎ごと爆破されても可笑しくはない。爆薬が近くに在ればの話であるが。つくづく学校というものはもう少し何とかならないものだろうか。
 朝は小雨が残り結構寒い。本日は枝垂れ桃の植え替えだけやって終了。八時に来て九時に帰って行った。今年は寒くて雪が降って、植木屋さん泣かせだな。ぼんやりしていると今度は電気ポットが壊れたとのこと。まだ五年物である。汲み上げ機能は生きているが加熱が不能。電気魔法瓶式で結構高かったのだけれど。週に二度しか働かない炊飯器と違って二十四時間勤務だからかな。基盤が少し壊れただけだろうが、こういう品物は直せない。今更薬缶の生活には戻れないから、早速買いに出掛けた。早逝した象に代わり虎にしたかったが、省エネ式の物は象の物しか売っていなかった。約一万円。優湯生とかいう大そうな名前が付いているが、どの道数年の寿命だろう。同じ会社の物だから使い勝っても全く同じ。年寄りには丁度良かった。
ところで此の日記を始めて来月で七年。此の間殆ど全ての家電が入れ替わったと思った。洗濯機、冷蔵庫、エアコン二台、パソコン、吾人の携帯電話は故障により置き換え(結構な損耗率だ)。テレビは壊れていないけど強制買い替え。替わっていないのは、給湯器、ブルーレイレコーダー(ともに2010年製)と家人の携帯電話くらいだな。あと電子レンジと二台の掃除機は其のままだ。
ところで量販スーパーの向かいの牛丼屋には朝だというのに行列が出来ていた。携帯電話の会社が無料券を配っているらしい。どういうビジネスモデルだか知らないが、人をお貰いさんにするのは宜しくない傾向だと思った。大体只の物など此の世にはない筈である(太陽を除く)。
無責任社長が面談に間に合わないというので午後早目に出社。途中チラシ配り。八時前の退社後は晴雷亭、中華立ち飲みと連戦す。一方女子カーリングは韓国に必死に追いすがる。併し追い越せない。緊迫した場面で他の酔客に状況分析を求められた。延長十回ノーアウト満塁と応えた。野球の例えでは分からないというので、お腹を壊して乗った地下鉄が人身事故で動かなくなったようなものとした。矢張り最後の一投で決められた。事実上の完敗だな。帰宅は十二時頃。


2/22・木
 朝から小雨。非常に寒い。雪でも降ってきそう。植木屋さんは明日に順延となる。午後は国会中継を眺める。厚生労働省が提出した資料が出鱈目だったそうで、目下問題となっている。論文なら撤回、本なら絶版回収レベルの大間違いだという。日本で一番難しい大学を優秀な成績で出た人たちが作ったのだろうけどね。一体どうしたのだろう。ひょっとして学力低下
 夜は早速鯖の水煮の缶詰。其れにしても構成員の年齢がどんどん上がっているから、国民の関心事の上位は常に健康問題である。誠に情けない話であるが、四十過ぎの吾人ですら病気は怖い。ああなってこうなって結局死んで仕舞ったという話を聞くと実は震える。全ては運命だが、中には防げる病気もあるだろう。是非病気の体験館のような物があったら行って見たいと思った。こういうおしっこが出たら拙いとか、こういう見え方をしたらあの病気を疑うべきだとか、そういう病気の前触れのようなものを可視化し体験させて欲しい。入り口で血液検査をして、出る頃に検査結果を知らせてくれれば尚宜しい。当然併設の食堂は禁酒禁肉。健康長寿食を食べて貰う。施設は成るべく駅から遠い方がいいだろう。
 そう言えば昨日の社会科の問題で、地方自治体の業務にない物を選べと言うものがあって、正解は条約を結ぶというものがあった。いやしかし、自治体外交というものもあるだろう。例えば東京都が独自に条約を結んで、都下は絶対に狙いませんなどと署名させることは可能なのだろうか。幾らか対価を支払っても面白いと思った。現に山陰の方の県は余計な記念日を作って日韓関係を悪くしている。ならばその逆も可能という事である。


2/21・水
 午前中は塗装屋さんが下見に来る。カビだらけで余りにみすぼらしいので、玄関付近を塗り直すことにした。午後出社。金伍万円受け取る。年度末が迫り結構忙しい。退社後は立ち飲みBへ。更に天屋先生の姿が見えたので久久にバーI。三つ目の金メダルより有名俳優の急逝の方が話題となる。いい役者だった。心筋梗塞らしい。鯖を食べるとコレステロール値は急減すると先生に教えられた。最後に碑文谷で天麩羅蕎麦。一時頃帰宅す。久久に遅くまで飲んで回った。全部で三千円くらい。


2/20・火
 少し精をつけようと自転車で二十分走り、農大近くのラーメン「陸」へ。所謂二郎系(730円)。偶に食うと矢張り旨い。再び二十分走って帰宅。何だか草臥れて昏昏と午睡。夜は冷凍食。ぼんやりとテレビを見ているとメダルセレモニー。此処は君が代より「信濃の国」が相応しいと思った。練習の際にも国の世話にも余り成っていないようだし。


2/19・月
 概ね晴れ。午後千寿に向けて出校。神保町で途中下車(東急メトロパス利用)。三省堂で検定教科書を買う序でに「みすず」も入手。恒例の読書アンケート号である。雪掻き、インフルエンザ(多分)、確定申告に阻まれ最近本を読んでいない。何かしらのヒントを得ようとす。再び半蔵門線に。そう言えば電車にも乗っていない。時間があるので草加まで行って折り返した。東武の新特急と擦れ違う。併し会津には丁度去年の今頃行って仕舞った。出来れば電車特急よりディーゼル特急に乗りたいと思った。
此方の中三の授業は本日で終了。今後会うことは少ないだろうが、やる気と元気で高校生活を楽しんで欲しいと激励す。退社後は町屋のBへ。D常務は町屋店のオーナーとして独立したらしい。新たな従業員も雇い入れていた。少し独自メニューを開発してくれると有り難い。
帰宅後は時刻表を捲り返して検討す。併し何だか捗らず。「南紀」や「南風」や「宇和海」の文字を見ても心躍らず。鬱状態なのだと思った。そう言えば、一昨年の軽井沢の事故で低層大学の子がいなかったのは何故だろうと議論になった。金銭的な事情よりも、計画を立てて実行するだけの意志と能力がある学生が少ないからだろうという結論に達した。旅行計画を考えるというのは結構大変である。


2/18・日
 朝から晴れ。陽光煌めく。空気は冷たいがもう春は近い。家人は鎌倉で昼餐会。従妹の健二君の中国転勤の送別会でもある。本来なら吾人も出動する所だが、老家人一人を置いて措けないということで留守番す。北鎌倉の何だか高そうな洋食店を予約したそうだが、吾人は冷凍炒飯、老家人には冷凍饂飩。つくづく酷い人生である。
それにしても今月は警察署にも税務署にも赴いた。訴追と徴税は国家権力其の物である。鎌倉幕府の設立も最近は1185年と見る説が有力。其れは守護と地頭が設置された年である。出来れば官吏も税吏も居ない国に住みたいけどね。夜は女子スピードスケート。今大会二人目の金メダリストが誕生す。聞けば茅野の出身で松本の病院勤務。伊那の高校にも通っていたとのこと。飯田線にも乗ったのだろう。確かにあの辺は寒いことは寒いし、山もあるが、日本海からは離れているから雪は降らないな。


2/17・土
 午後には寒気が入り、再びの冬型に。偶には五輪中継を見る。男子フィギュアスケートでは金銀を独占す。大したものである。四年に一度の一瞬の大舞台に賭けるというのも、常人には推し量れないな。何しろ緊張感が違う。配られた夕刊には一時過ぎの出来事がもう出ていた。スポーツ中継もいいけど、此の後からの大騒ぎが厭なんだよな。
夜になって表彰式。君が代が流れていた。併しウインタースポーツというものもやれる所は限られる。まず第一に寒くなくてはならない。其の上にスキーやスノーボードをするなら雪が降らなくてはならない。山が必要である(寒くても土地が平たいオランダはスピードスケート一辺倒なのだという)。また逆にマリンスポーツは内陸県ではやりにくい。野球などの陸上球戯ですら未だに西日本が優勢である。結局日本という国も本来はバラバラなのである。明治政府に徳川家も参加させるアイデアもあったのだという。そうすれば廃藩置県は起こらず、日本は緩やかな分権型国家として近代をスタートさせた筈である。何れそうなったにしても海外侵略のスピードはもっとずっと遅かったに違いない。磯田という歴史学者が述べていた(2/10の東京新聞)。そっちの方が佳かったな。


2/16・金
 潮は満ち、大枚を上納する時が近づいた。愈愈税務署に進撃す。空いている窓口は三つだけなので、矢張り列が伸びている。二十分は待たされたが、まあまあの許容範囲。ちなみに初日からノコノコと申告に来るような人は御年寄りばかりである。eタックスなどは使わず、みな手書きの申告書の御様子(吾人も昨年まではそうだった)。医療費控除を受ける際、領収書の添付が不要になったことを知らない人多数。幾人も分厚い封筒を突き返されていた。また所得が少なくそもそもの申告が不要な人も多数来場す。区役所への住民税の申告だけで結構ですなどと言われている。とうとう税務署を間違えている人さえいた。相変わらずの珍プレー集である。併しこうして他人の間違いを見ていられるのも、余裕が出てきた証拠だと思った。老家人と吾人の二通出して三分で終了。現金で即時納付す。計測器にお札が吸い取られていく。丸でわが身が引き裂かれるかのよう。正しく血税。間接税や口座引き落としとは痛みが違うと思った。何はともあれ此れで全任務終了。
 早速、税務署の斜向かいの区役所の食堂に参る。麦酒でも飲みたい気分だったが、生憎まだ午前中なので麻婆飯のみ(830円)。両家人用に押し寿司を買って帰宅す。案の定、昼のニュースでは大物俳優が出て来て「納税は国民の義務」「早く申告するとすっきりします」などと言っていた。前者は大嘘だが、後者は本当である。漸く少し落ち着いた。
そう言えば、税務署付近にはインタビュアーもビラを配る人も居なかった。国税庁長官の罷免を求めて本日一斉デモンストレーションがあるそうである。何しろ大事な書類も綺麗さっぱり捨てましたと答弁した人だからね。領収書の束も山羊の大群が突如襲って来て一切合財食べられて仕舞いましたとでも言いたくなるよな。
 休憩の後、金曜日ではあるが、千寿に出校。途中散髪す。過去問演習等を執り行い早目の退社となる。町屋のBに行きたいところだが、何だか下腹部に自信がない。昼の麻婆豆腐が辛過ぎたか。(外の)トイレに行くべきか行かざるべきか、飲むべきか飲まざるべきか。一番無難な選択をして其のまま帰った。結局何ともなかったが、此れは結果論だな。兎に角、満員電車で脂汗、汚い便座に緊急着陸など、正しく悪夢である。


2/15・木
 久久に暖かい一日。まず老家人を床屋に搬送。帰りは頑張って歩いて貰った。昼は地元でとんこつ醤油ラーメン(700円)。最近碌な物を食べていないと家人が言うので、豚肉を買って帰った。塩麹を塗って焼いて食べる。


2/14・水
 午後出社。時節柄か小学生の女の子は色色な物を配っていた。最近は義理や友が主流とのこと。こうなると御中元や御歳暮や振る舞い酒と変わりがないと思った。経済というものの一定層が、贈与や喜捨で成り立っているというのも確かなことであるから、日頃の感謝の印しを配って歩くことは間違いでは無かろう。但し小学校の先生は公務員だから、社会的儀礼の範囲を越えたものを送ると贈賄に当たると指導した。そもそも贈り物に見返りを求めてはいけない。目指すべきは無償の愛と蕩尽、そして内需拡大である。
退社後は立ち飲みBへ。紫煙に巻かれ、くしゃみが止まらない。其れに何だかゾクゾクする。また風邪を引いたかもしれないと思った。早早に引き上げ(1200円)。帰り掛けにラーメンでも食べたかったが、最近はどの店も閉店が早い。空振りして帰る。
平昌五輪はメダルラッシュ。最近は少し強化予算が付いているのかな。能力があってもある程度の御金がないと伸ばせない。ちなみに国内のスキー人口は激減中である。交通宿泊費に加え、リフト代が掛かるからね。そもそもスキーというものは、発電所が拵えた力で位置エネルギーを貯め、運動エネルギーに変えている。詰まりモータースポーツの一種と考えるべきである(クロスカントリーを除く)。だから御金が掛かるのは仕方がない。JRなどは「(もう一度)私を(新幹線で)スキーに連れてって」なんてキャンペーンをやっている。残念なことに、寒い時期に寒い所に行く気力が沸かず、スキー場にはもう二十年も行っていない。併し此のまま太平洋側に人口が集中すれば、何れは五輪に出るような人が居なくなるかもしれない。雪も氷も出来れば無い方が有り難い。今年は特にそう思う。


2/13・火
 連日の大雪で北陸線の特急は運休続き。金沢から京阪神方面に行くのに、北陸新幹線プラス東海道新幹線を使うルートが推奨されている。此の場合、乗車券は其のまま使えるが、特急券は別途購入とのこと。北陸と東海道では乗り継ぎ割引も無いし、大変な出費になると思った。国鉄時代はもう少し頑張って走らせたのかな。詰まり早く新幹線を作って下さいと言うPRである。そう言えば長野五輪がなければ、あの新幹線はそもそも通っていたのだろうか。未だに軽井沢辺りまでの開業だったかもしれない。(189系のあさまリレー号とかが走っている?)
 寒気は関東まで入り込み、午後は何だか曇る。スマホの充電器を量販店に買いに行く。ラインアップを見ると案外高い。大体プラグと銅線で成り立つものであろう。そんなに高い訳がない。売り場の下の方にあったものを探し出して買い求めた。三百円。随分前の製品らしいが、機能に問題はなかった。
少し中味を整理しようと思い、スマホのデータをパソコン本体に移行す。すると4000件もの画像が勝手に転送される。三年近くでそんなにあったとは知らなかった(大半が勝手に保存されている)。中には伯母の最期に近い写真などもあるが、99%が全くの不要物である。98%を慎重に削除した。一時間以上も掛かった。何でも記録にとって措くということも考え物である。メモ魔という人に大抵碌な人はいない。


2/12・月
 再び冬型に。偶には変わったことをしようと思い、鶴木さんに昼食に誘われる。と言っても、行ったのは職場近くの晴雷亭。序でに一瞬だけ出社して資源ゴミを搬出。鶴木さんは早朝テニスの後に偶に寄っているのだという。他にも色色と御客が居て、昼から飲んだり食べたりしている。ところで晴雷亭のマスターはマスコミ取材を受けるかどうかで思案顔。夕方の民放ニュースの「人情商店」なんてタイトルで取材交渉をされたらしい。真面目なマスターは詐欺ではないかと心配している。見たところの企画書はA4一枚だが、幾ら何でも後から現金とかは請求されないだろう。長年の勤勉さが認められたのだから、是非受けるようにと常連客一同で説得した。
 昼飲みは麦酒一本で終了。帰り掛けに碑文谷の洋菓子店でショートケーキを購入。家人への土産とした。此の店は昔からあるので碑文谷の顔である。一個400円(税込み)。小学生の頃は一個300円位だったから良心的な価格設定だろう。どういう訳だか生菓子より焼き菓子の方に列が伸びていた。夜は五輪中継を垣間見る。強風で競技は大変そう。何しろシベリアから吹いてくるからな。日本海を隔てた側でも大荒れである。


2/11・日
 大体曇り勝ち。其れでも暖かい。スマホが充電出来ず。すわ故障かと思ったが、どうもケーブル側の破損のよう。通信兼用ケーブルでパソコンのUSBに繋いだところ通電できた。但し流れる電流が少ないらしく時間は倍掛かる。そう言えば本体の方も最近は調子が悪いし、こういうものは三年位で壊れるようになっているのだと思った。
 其の後日吉に向かう。鷺乃間君のおうちにお呼ばれす。坪上君同行。遅れて月波君。四時から八時までお部屋で飲酒。其の後、昨年も行った鯛めし屋に参る。閉店間際ということで一杯ずつ飲んで食べて御仕舞。鯛めしも上物は旨いが、御飯が悪いな。粒がバラバラでぼそぼそ。めし屋は飯が旨くないとね。連日の大量飲酒からか何だか調子も良くない。不完全気味に終了す。碑文谷駅から震えて歩いた。また冬になったみたい。


2/10・土
 朝はまあまあの晴れ。昼は「丸金」でラーメン(700円)。開店一番で入ったら豚骨の出汁が出てない感じ。あれでは丸大棒ラーメンの方が旨い。五号室落成す。他のどの部屋よりも完成度は高い。賃料ももっと高く出来たな。何しろ元が余りに汚かったから強気になれなかった。こうなったら早く入居して欲しい。空室を出さないことが賃貸住宅の基本。空き部屋は誰の利益にもならない。
 徐徐に曇って夜は小雨。比較的暖かい。南北首脳級会談。北の方から南北首脳会談の実施を持ち掛けて来たという。核開発の為の時間と資金稼ぎか、本気で方針転換を図って来るのかは全く不明。前者の割合の方が高いかな。実妹はニコニコとしていた。対立をエモーショナルに和らげようという積りなのだろう。表情から本心を読み取る機械とか、ないよなぁ。


2/9・金
 平昌五輪開幕に合わせて、北の高官も南入り。小皇帝の実妹もやって来る。妹なんていたんだね。常識人だといいけれど。融和モードは何時まで続くのだろう。閉会までかなぁ。
三恵新聞は米兵の美談を掲載し、掲載しない沖縄の新聞を好き勝手に非難していたらしい。美談はネット投稿の引用だそうで、そもそもそんな出来事は無かった。流石に訂正して謝罪したそうだが、酷い報道被害である。それにしても沖縄で三恵を取っている人なんているのだろうか。身の回りには偶にいる。床屋とか飲食店が多い気がする。安いからね。
午後出社。退社後は鶴木さんと須須木さんを佐渡屋に尋ねる。割と空いていた。御二人のお話しが余りに詰まらないので、テレビ画面に目を移す。丁度開幕式をやっていた。寒い時期に寒い夜中にやるとは、御苦労な話しである。Aも厭厭行ったらしい(但し誰にも構って貰えない)。パラリンピックの閉会式は何時だろう。出来れば無期限に延長して、通年開催として欲しいものである。


2/8・木
 寝て起きて見ると肩が軽い。確かに効果はあるのだけどね。度度鎌倉までは行けないな。かと言って、度度来て貰う訳にも。特に老家人は他者を家に上げるのを嫌がるから。殊に老境に達してからは益益。老いた姿を見せたくないのだろうけど。
 朝から晴れ。昼は「せい家」で付け麵。取り立てて無為。何時の間にか改憲は九条に絞られる形に。当初は九十六条だの、緊急事態条項だの、教育無償化などと言っていたのだが、何時の間にか外堀が埋められて、本丸を狙い始めている。愈愈行けないな。北陸の大雪は漸く止んだ。併し被害は相当なもの。数日分の食料は備蓄しておかなくてはね。元元は皆そういう生活をしていたのだけど。


2/7・水
 朝から晴れ。鎌倉で治療院をやっている年の離れた従兄のノリさんがやって来る。眩暈により遠出が出来ない家人の往診の為である。序でに吾人も治療して貰った。鎌倉から自家用車を運転して来て、大急ぎで施術して、疾風のように還って行った。どうもノリさんはせっかちでいけないと思った。
 其の後出社。立ち飲みBに寄って帰る。丁度マネージャーのМさんがいた。BチェーンもK社長の個人商店の段階から大手チェーンに経営転換を行っているとのこと。色色と不具合なところを直しているのだという。幸いにして従業員も休みが取れるようにはなったが、其の分メニューが画一的となり、昔からのお客様には御不便を掛けていると謝られた。休みが増えたのは佳いことであるし、メニューの画一化は時代の流れであるからな。つくづく店も大きくなると詰まらなくなる。


2/6・火
 朝から警察署に参る。別に何をした訳ではない。運転免許証の更新である。あれから五年も経って仕舞った。此の間、一ミリも運転しなくとも更新は更新である。三千円を支払い、視力検査を無事通過(少し危なかった)、写真撮影と進む。生憎次の講習まで三十分待ち。止むを得ず近所を散策す。隣には消防署がある。ぼんやりと眺めていると、丁度救急車が出場する所であった。指令によると腰痛により歩行困難とのこと。何だかのんびりと出て行った。そりゃまあ、女学生がマラソン直後に倒れ意識不明などとは気合が違うよな。
例によって講習後に新免許証が交付される。平成三十五年まで有効とある。併し平成は来年の四月で御仕舞である。三十五年は新元号の何年になるんだっけ。執拗に元号を使うのは御役所と金融機関だけだな。そろそろ止めにして欲しい。午後は日誌の整理。
日本海側は再三再四の大雪。特に福井が酷いらしい。アメリカの株安を請けて東京も全面安。それにしても、向こうの国の景気は順調なのだそうである。そうなると何れ金利が上がるから、取り合えず株を売って儲けて、其の結果として株価が暴落する・・・というのもね。相変わらずのマネーゲームであると思った。言うまでもなく、吾人の日記は月一回の更新である。ツイッターもやらない。株の取り引きも、其れぐらいの頻度に改めるべきであろう。
夜になり皇女の御成婚は事実上破談との報道がされる。此の所は男性側の家庭の問題が噴出していた。いやしかし、其処まで色色と粗を探されてもね。恋愛結婚などまず出来なくなる。異なる階級間での出合いの可能性がまだ其処にはあったのだけれど。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」す。とは言っても、日本国憲法天皇から始まるからな。


2/5・月
 朝から晴れた。通常勤務に戻る。まず老家人をデイサービスに連れて行き、其の足で量販スーパーへ。五号室に据え付けるガスコンロを購入。リニューアルの度に新造投入してきたが、もう何個目になるのだろう。何だか体力が落ちたようで這う這うの体で運び入れた。アンチネット通販派というのも結構辛い。
 午後千寿に出校。例によって半蔵門線に載っていると水天宮前で人身事故があり、神保町で動かなくなる。困ったものである。大手町まで行けば千代田線が待っている。僅か一駅。併しスイカで乗っているので振り替え乗車は出来ず。三田線に乗れば都営の運賃が余計に掛かる(更にメトロも)。困った困ったと考えている内に半蔵門が案外早く動くことに。無事千代田に乗り移れた。併しICカードで乗っていると、何でこういう扱いになるのかなあ。降りる駅を決めていないと輸送契約が完了していない計算になるからだそうだが、紙の切符で乗っている人など今時どれだけいるのだろう。(МXニュースによると歩きスマホの男性が線路に転落して無事に引き上げられたとのこと。迷惑な話しである。)
 退社後は町屋のBに。D常務はいなかったが、名代として宮川君がいた。色色と思い出話をし、今後のBの展望について語り合った。昔は常連客と店員さんでコミュニティーがあったのだけどね。こういう雰囲気も全ては懐かしい。大手飲食チェーンに買収されたBは愈愈酷いという事なのだろう。
 陸上自衛隊のヘリが佐賀で墜落。民家は全焼し、住民にも被害が出る。整備不良の模様。人数が足りてないのは米軍も自衛隊も同じらしい。


2/4・日
 早速朝からゴミ拾い。すると近所の社宅兼東京営業所も解体が決まったよう。ずっと前から空き物件であった。ネット検索によると持ち主は名古屋の食糧会社とのこと。売却してマンションにでもするのだろう。昔栄えた会社は色色と資産を持っているから、本業が傾いても何とかやっていける(黒字ならばスイマセン)。
 御昼になり成城にバスで出る。世田谷区選挙管理委員会主催の講演会を聞きに行く。帯同は月波君。例によって静岡に帰省していたそうなので小田原から小田急線でやって来た。講演者は生島ヒロシ殿。朝のラジオを聴いている人が多いと見え、参加者の大半が高齢者。御題は「明るい選挙」なのだが、大半は健康面のお話しとなる。まあこうして他人の話を生で聞くというのも最近は滅多にないことなので、結構楽しかった。三時半頃終了。
 其のまま下北沢に回航。立ち飲みBのステーキハウスに入店。新業態ということである。最近は肉ブームとのこと。USビーフ200グラムで1300円(税別)。さして旨いものでは無し。矢張り刺身に熱燗だな。まだ病み上がりの身なので、本日は此処で御開きとする(麦酒の味も戻らない)。バスに乗って帰宅。太子堂の魚屋で刺身盛り。まだ試運転状態なので結構草臥れた。そう言えば六十七歳のヒロシ氏は何十年も風邪を引いたことがないとおっしゃられていた。名護市長選挙では推進派の新人が当選。露骨な利益誘導にやられたか。其れに基地反対疲れというものもあるのだろうな。同じことを何十年も言い続けるのは大変である。それにしても基地について一言も発しない候補者というのも・・・。


2/3・土
 気が付いたらもう二月の土曜日である。今週は丸で記憶喪失である。まあまあ回復す。活力が染み出してくるという程ではないが、まず身の回りから片付け始める。日中曇り勝ち。とは言うものの此れと言って無為。
 例によって前任者を全否定するアメリカのTさんは、核戦力の強化を表明。まあ此の人もあと半年だな。其れにしても世界の半分以上が呆れ果てて居るというのに、「高く評価する」と真っ先に諸手を挙げて賛成する日本の外務大臣って、一体何なのだろう。Tと同じか、ひょっとしたら其れ以上に頭が可笑しいと思う次第である。


2/2・金
 昨夜からみぞれ交じりの降雪。最早雪掻きの気力体力なし。幸い熊手で掃く程度の積雪で済んだ。其れ以外は終日自室に籠る。私立中学を受けた女の子二人組は希望校に入ったよう。無給に近い状態で折角教えて、而も落っこちたのでは目も当てられない。幸いにして佳い方向に行ってくれた。大手の塾に行くよりかは佳かっただろう。また病人が心配なのか、時時シロが上がってくる。猫の御見舞い有り難う。御昼には止む。以後曇り。
 国会中継、与党系の質問、中味がないこと夥しい。解任されたT親方が、再び理事選挙に出て来て、落選す。此方も下らない事、甚だしい。不思議なもので何時まで経っても治った感じがしない。鼻水は収まったが、身体の強張りのようなものが取れない。発熱は少ないが、実はインフルエンザなのかもしれないと思った(多分B型)。昼は掛け蕎麦。夜は麻婆茄子。飲酒も一合程度。此の四日で使ったお金は1500円。一昨日購入した抗ヒスタミン代である。寒いのは辛い。


2/1・木
 強奪された仮想通貨の行方は、皆で監視しているらしく、容易に換金出来ないらしい。ネット上にはこういう「善意」も存在する。もう少しいい方向に生かせないものだろうか。
 朝起きて見ると、昨日よりかは具合がいい。けれど安静にす。買い物便は全て欠航。小雨の中、家人が買いに行くことになる。行って帰って来るまで小一時間。昼飯など腹が膨れれば何でもいいのだが、兎に角、早く戻って来て欲しいと思った。午後は微熱。鼻水止まらず。三日経っても少しも治らず。

2018年1月

1/31・水
 朝から晴天。昨日からずっと寝ているが体調は今二つ。抗ヒスタミンで鼻水を抑える。咳は無し。体はだるいが、風邪によるものか過眠によるものかは判断付かず。昨年の六月以来、凡そ半年振りの具合の悪さである。今年は本当に寒い。身も心も冷え切った頃に風邪を引いたのだと思った。
 午後出社。鼻水止まらず。何だかぼんやりする。風邪のせいか薬のせいか判別せず。過去問演習だが、マスクを掛け、成るべく遠目で小声で解説した。直ぐに帰宅し、レトルト親子丼。帰り掛けは夜空を見ている人が多かった。皆既月食らしいが、そんなことに構っていられない。吾人の人生自体が皆既蝕状態である。第一に月食など大して珍しくも無い。日食(NRE)も物凄い勢いで増殖しているし。こうして一月も終了す。


1/30・火
 朝起きて見ると喉が痛い。風邪という程でもないが、やはり昨日の寒む気は少し異状だった。確定申告と雪掻きで少し疲れたな。ちなみに今朝の気温は零度程度だが、此れで少少暖かいと思ってしまう。冬が寒い年は、夏が暑くなるというから、今から心配である。
終日自室に籠り安静にする。暖房も点けた。曇り勝ちで日中でも五度程度。今年の寒さは少し堪えた。昼は冷凍食品、夜は弁当。夜は少し発熱(した感じ)。やっぱり風邪を引いたよ。満願成就。


1/29・月
 朝から晴れた。漸く南の道路も全通す。従妹の優子さんに三人分の不動産所得収支内訳書を発送。此れで任務終了である。午睡の後、千寿に出校。ところで千寿校は二階にあるのだが、どうも一階の飲食店は長期休業の模様。因って冷気が上がってくる感じ。詰まり下から寒い。其れに此処のエアコンは新型の割りに利きが非常に悪い(そう言えば東芝だ)。鼻水も出て来る。また風邪を引いたのかと思った。退社後は町屋のBで中から温める。更に家系ラーメン。並びの「ジロリアン」は閉店していた。空いていてよかったのだけど、始終空いているようではラーメン店は続かないらしい。帰宅後に抗ヒスタミン


1/28・日
 朝は昨日の余り御飯を御粥にして食べた。日本人、中でも関東人は御粥を食べないな。病人食のイメージが強いよう。同じコメ文化圏でも中国や韓国ではもっと食べている。水分の多い御粥は、朝食には最適なんだけどね。牛丼チェーン辺りが売り出さないかな。朝粥、御代わり無料、しかも(安い)トッピング入れ放題とかやって欲しい。秋冬限定、売切れ御免でいいから。
 元闘将の死去に、前GMが肝いりで取って来た選手が次次と契約解除になるなど、碌な話題がない中日ドラゴンズだが、元大リーガーの獲得には成功した。而も格安で。痛めた肩が元に戻るとも思えないが、話題作りにはなるな。尤も大本命は愛工大名電出身のあの選手なのだろう。スターはスターのままユニフォームを脱いで仕舞うかな。うーん、暗黒時代は続く。
 冷え込みは漸く緩み、漸く普通の寒い朝となる。併しよくよく考えて見ると老家人は白色申告であった。最初から変な所をクリックしていたらしい。従って全部打ち直したが、内容は同じなので大した苦労は無し。マイナンバー通知カード等もコピーして貼り付け、確定申告書を全て完成させる。此れで吾人も確定申告の達人になったと思った(育成には数年掛かった)。
 チェーン店でのうどん休憩を挟み、午後は吾人の申告書の作成に移る。此処で問題となるのは昨年の大貧学院の給与である。何遍数えても五十万円しかなかった。不動産所得を足しても課税所得はごく僅か。予定納税額は二万数千円となる。恐らく、いや確実に、酒造会社に預けた税金の方が多いと言えよう。
それにしても所得税を納めるのは何年振りだろうか。大貧学院以前の職場は幾らか源泉徴収されていた筈である。吾人がきちんとした所に奉職し、八面六臂の活躍をするなどして世界に雄飛していたら、もっと沢山納められただろう。国民経済が縮小することにより失われた税収は所得税だけで如何ほどになるのか。此の十年いや二十年で軽く30兆、ひょっとしたら100兆円にも及ぶだろう。結局消費税頼みとなる。色色と腹が立って来たので、再びゴルフクラブで叩く。曇ってはいるが五度程度の気温はあるので結構砕けた。夕方には少し晴れる。少し向学しようと『世界(二月号)』を買って来て眺めた。夜は鯛刺しにお好み焼き。チリ産の安白ワインを一本。ワインの酒税って安いんだよな。こう寒いとビールはね。
夜更けに家人がブレーカーを落とす。浴室暖房機に電気ポットの使用が止めを刺した格好。電熱系は電気を食う。エアコンに勝る電気暖房はない。オイルヒーターなども法律で禁止した方が良い。拙宅からは随分前に撤去させた。


1/27・土
 依然として寒い。水曜日から殆ど解けず。例によって朝陽が当たる僅かな時間を見計らってゴルフクラブで叩く。例によって大して壊れず。鶴嘴が欲しいと思った。昼は「誠屋」でラーメン。買い物は計四便。
愈愈緑字の不幸の大型封筒が届いたので、合間合間に老家人の確定申告書の作成を開始。昨年は工事と引っ越しが多く、不動産所得は減少傾向。これら全てをホームページの案内に従って入力していくと、「青色申告特別控除」が記入されていませんなどと教えてくれる。そんな制度があるとはまるで知らなかった。何でも10万円の控除が受けられるらしい。自動で計算して貰い、あっという間に作成終了である(紙とトナー代は掛かるけど)。そんなこんなで所得税は結構減った(誤魔化した訳ではありません)。二月の十六日が待ち遠しい。此のままなら政府広報に出て来る芸能人のように初日に申告できる。世田谷税務署にマスコミ取材は来るのかな。「納税は国民の義務ですから」などと心にも無いことを一度言って見たい。
 なおインフルエンザが蔓延しているようだが、今シーズンはまだ風邪を引かない。別に何をしているという訳でもない。毎年無防備人間である。だから却って不気味である。また仮想通貨の大手取引所の「コインチェック」から「NEM」のほぼ全てが流出したのだという。こうして書いていても何のことだが分からない。要は鍵の薄い倉庫から球根が盗まれたのだな。つくづく終わりの始まりだと思った。


1/26・金
 続いての氷点下生活。日中晴れても五度程度。老家人は歯科医へ。往復歩いて貰った。のろのろと後ろから随行す。午後出社。小学六年生には過去問演習を、中学三年生には模擬面接を行う。明日は都立高校の推薦入試である。公立高校もこういう形式の入学試験をするようになって久しい。意欲のある子を取って学校生活をリードして貰おうなどという目論見があるのだろう。いやしかし、面接などというものも、対策をすればするほど、みんな同じようになって仕舞って詰まらなくなる。明るく元気に溌剌として頑張ります全体主義である。定員の幾らかは出鱈目な基準で入れた方が面白い。
 退社後は中華立ち飲みで1600円ほど。今週は良く働いた。家人の話しによると指輪は見つかったとのこと。夕刻本人が申告して来たのだという。そもそも駐車場で失くしたのではなかったのだろう。落とし物や忘れ物の類が見つからないのは、大抵見当違いの所を探しているからである。
拙室はいよいよ七度程度まで下がっていた。こうなるとパソコンも動きが悪い。日記も書けず。暖房は点けずに直ぐに就寝。アルコール式内部暖房を効かせてね。


1/25・木
 朝は結構冷えた。マイナス五度程度だという。まず道具屋へ行き、ポリスコップとアルミシャベルを購入。二つで3420円。前者は殉職した後任、後者は新任ということになる。今回の雪掻き作戦には間に合わないが、次回に備えなくてはならない。そう言えばハンマーも壊れている。仕方がないので、適当なゴルフクラブで叩く。されど打撃力が少なく効果は薄い。従って雪割り不能。駐車場の方は概ね終了したが、南側道路の困難は続くこととなる。今更ながら五号室の見積書が来る。95万円。予想より二十万は高かった。諸物価高騰中である。其の他の備品代を含めれば百を超える。家賃は五千円アップだから、償却には十年は掛かる計算。
 総じていうと、午前は雪叩き、午後は税務書類の作成に当たる。今年から国税庁のホームページに入力してプリントアウトすることにした。モリカケのモリの方で国税庁の長官は色色と責められてはいるが、此のシステムは案外よく出来ていると思った。ぼんやりしていると駐車場に人影が。若い女性に問い正すと、雪の日に雪遊びをしていて指輪を落としたのだという。併し既に雪はみな寄せて仕舞った。雪解け以後、探すことにす。春を待つ楽しみが一つ増えたと思った。昼はとんかつ弁当。夜は鋤焼きにして体力を補充す。


1/24・水
 晴れてはいるが異様に寒い。午前中から固まった雪を壊して歩く。鍬のようなもので叩き剥がす。特に南側道路が酷い。南、南と油断して対応が遅れて仕舞った。一旦固まったら数倍の労苦を要す。御向かいは業者さんに頼んだ模様。併し成年男子二人掛かりでも大して捗らず。玄関付近で作業終了となった。
そもそも南側と言っても、其れは拙宅からの方向であって、御向かいから見れば、即ち北側である。御向かいは四階建てに近い高さの三階建てになったから、建物の陰である北側区域が拡大して、道路全幅を覆い尽くし、愈愈全て北側道路となったと考えるべきであった。
 午後出社。退社後は祐天寺のB。併し知った顔など誰も居らず。直ぐに帰る。夜道を走っていても、雪掻きもされていない所多数。アイスバーンになっていて危険極まりない。大抵は空き家か荒ら屋か駐車場か無責任集合住宅か、気の利かないチェーン店(恐らく雪掻き道具が何もない)である。そして誠に残念ながら、拙宅の前も相当残って仕舞った。つくづく初動対応のミスである。今日から大変な寒波が来ているそう。電気も足りないというので中から温めて就寝す。


1/23・火 
 朝から晴れた。早速雪掻きだが人力の範疇を超えている。斜面と北側歩道を優先し、残りは太陽に任せることとす。御昼になって気が付いたのだが、南側の道路も大して溶けていない。ああそうか、四年前は御向かいは二階家だったからな。今更やっても既に圧雪となって容易に動かせず。雪掻き対象が増えたことに少し愕然とした。
 火曜だが千寿に出校。昨日の振り替え授業を行う。町屋のBに軽く寄って帰る。草津白根山が噴火。而も下の池の方からしたというから自然の事はつくづく分からないと思った。


1/22・月
 最近ではラストベルトの人も裏切られたと怒っているらしいけど、いやしかしアメリカであれだけ福祉が行き届かないのも、そもそもの軍事予算が多すぎるからである。年間数十兆円。アメリカの人口とGDPが三倍とすると、日本で言えば二十兆も使っている計算となる。富裕層が税逃れをしているとか、建国の理念に社会保障という概念がないとか、地方交付税交付金に当たるものがないとか色色と言われるけど、あんなに軍事費に沢山使って仕舞ったら、一般財源など残りゃあしない。此の点では民主党だろうと共和党だろうと大して変わらない(こういうことを言うと軍産複合体に殺される?)。何しろ日本など戦争も戦争準備もしていないのに借金1000兆円である。併し今後は戦争協力はさせられるな。此の先、一体幾らぼられることか。
 朝は曇天。小雪か小みぞれが降りしきる中、老家人を歯科に搬送。家人によると支払いは一回数百円足らずとのこと。×3.3をしても余りに安い。内科医など、お医者さんごっこのようなことをして毎回1450円である。歯科医が保険外治療に力を入れる訳である。
午後は大雪となる。千寿は休講とし警戒警固にあたる。予報より降り出しが早く、降り方も強い。四年前の大雪に近い感じ。帰宅を早めた御客の御蔭で各駅各線とも満員になる。こういう日に外に出てみたい気もするが、田園都市線は早い時間から殆ど動かなくなったというから出勤すら出来なかったな。併し雪が降るからといって大急ぎで退社して、其の結果、御客が殺到して電車が動かなくなるとは、一種の人災だと思った。雪で止まった訳ではないのである。今日から通常国会。雪の重みで施政方針演説も霞んだ。数次に分けて雪掻きす。四年ぶりにママさんダンプも出動さす。
猫さんの方も心配。使い捨てカイロを切り取った段ボールに貼り付けて猫小屋に放り込んだ。十時ぐらいには漸く弱まる。積雪は三十センチ近い。ポリスコップは、例によって首から上が取れて仕舞い役に立たず(一体何個目だろう)。となると鉄製の重いシャベルしかない。装備不十分である。


1/21・日
 女性向けシェアハウスの運営会社が経営破綻。サブリース方式で急成長していた会社らしい。実は其の物件から越してくる人が過去に居て、吾人も内緒で見に行ったことがある。建物自体は新しいが、立地の悪さと専有面積の狭さに比して、家賃の余りの高さに驚いたものである。入居率が低迷し、所有者に代金を支払えなくなったとのこと。さもありなんである。となれば家主の直接管理にして家賃を安くすればどんな物件でも直ぐに埋まるだろうけど、建設費の償還計画が大きく狂うな。そしてひょっとしたら、此れは、あれの終わりの始まりということになるか・・・。
 朝から胃も天気もすっきりしているので、出鱈目散歩に出た。小田急バスを成城の手前で下車。以後適当に多摩川を目指す。川べりを歩くと大量の書類が散乱している。解析すると中学三年の男の子の物らしい。むしゃくしゃして塾や学校のプリント類をほかしていったのだろう。見たところ、成績もまあまあである。こういうものはきちんと古紙回収に出すべきだと思った。其れに何しろネット時代だから、実名を晒される危険だってある。人より多少頭が良いなら分かるだろうに。此の場を借りて苦言を呈したい。
其のまま歩き通し、玉川高島屋脇の「いっせい」でラーメン休憩。鶏がらベースの落ち着いた味。大盛りサービス付きで七百円とは今時良心的だと思った。更に歩く所存だったが、何だか草臥れたので再びバスに乗って帰宅す。其の後夕飯の買い出し。全部で二万歩余り。折角二子まで行ったのだから、家人向けに瀟洒な店で体裁の良いお菓子でも買って帰るべきだったと思った。此の所は生活必需品の調達に追われ、嗜好品のことまで頭が回らなかった。


1/20・土 
 当然宿酔気味。朝はレトルト御粥。午後に煮麺。終日電気工事。どろどろになったエアコン(三洋機)も交換す。後継は吾人達ての希望で空調専門メーカー(ダイキン)にした。胃をさすりながら量販スーパーにLED照明を買いに行き、序に取り付けて貰う。ナショナルの国産品(二台で二万余り)。蛍光灯式のものは廃棄する。まだまだ使えるとは思うが、所謂創造的破壊だな。また別室の室外機がカタカタと五月蝿いので、此方も見て貰った。原因は掴めず。不整地に設置していたから、箱が傾いて捩れて仕舞ったのかもしれないとのこと。まだ五年物である。ちなみに此れは東芝機。原発メーカーが片手間に拵えたルームエアコンなどつくづく駄目だと思った。色色な物を噛ませて調整す。老家人は三度目の歯医者。何とか概ね治ったらしい。夜はベーコンエッグに納豆ライス。朝飯のようなものを食べて本日無酒とす。


1/19・金
 佐藤優氏が「本音のコラム」で、短期間で猛勉強して難関私大に入っても、幅広い教養が頭に入っていないから大学の授業には付いて行けなくなると述べていた。其れは確かにそう思うけど、吾人の経験上、大学でまともに勉強しているのは概ね二割程度だな。スポーツやサークル活動など学業とは関係ない所でキャンパスライフを満喫している学生が多くて三割。全体の五割程度はただ授業料を支払うだけである(そもそも勉強などしたくも無い)。そして此の五割の学生が居ないと私大経営というものは成り立たない。詰まり向学心に燃えた学生が万が一にも大勢入って来ても、もともとの先生が足りないからきちんと教えられない。国公立の事は分からないが、都心の大規模私大などは今も昔もこんなものである。
 大体曇り。大工工事が粗方終了したのでガス工事。案ずるよりするが易し。あっという間に終わる。引き続き、水道設備の改修(洗濯機置き場を中に入れる)。不動産賃貸業とは不動産改修業である。また何を隠そう此の五号室には極めて幼少期の吾人も入居していたらしい。二歳ぐらいまでであったので其の記憶はないが。其れに当時を知るような造作類は今回の工事までに全て無くなって仕舞ったけどね。
 其の後老家人を歯科に搬送。可成り奥までやられているらしい。切開までしたそうである。ふらふらになって帰宅す。暗くなった頃に月波君が来たる。まずもつ焼き屋へ参る。続いて坪上君も来る。古くからある御寿司屋へ移動。店の前を一万回は通ったことがあるが、中に入るのは初めて。今は代替わりして兄弟でやっているらしい。後継者がいるとは頼もしい限り。色色とサービスして貰えた。出前があって、会合やちょっとした法事にも使える寿司屋や鰻屋は沢山あったんだけどね。拙宅が贔屓にしていたような所は全て廃業して仕舞ったのであった。最後は中華屋で紹興酒。同じ世田谷の坪上君はタクシーに、月波君は最終電車に載せて返す。ふらふらになって帰宅。わざわざ御足労願ったので、吾人が多く支払った。一万数千円喪失す。


1/18・木
 再び晴れて来て暖かくなる。午後は曇る。老家人の歯痛益益酷くほぼ終日就寝す。市販の鎮痛剤も効かないらしい。いやしかし、折角ああして歯科に連れて行って、どうして前より酷くなるのだろう。世の中にはまだまだ不思議な事が沢山あると思った。
 節約しようと晩食は粉ものにした。豚肉二百円、キャベツ百円分、長芋二百円、その他概算二百円。此れで家人と二人で十分食べられる。外で食べる其れはどうしてあんなに高いのだろう。


1/17・水
 一転して曇天。老家人を歯科医院に搬送し、一時間後に迎えに行く。介添えした家人によると、担当医師は余りに突っ慳貪で、問診は刑事の取り調べのようであったという。年寄りの汚い歯など見たくもないのだろうな。一方の家人は保険内治療なので儲からないからだろうと推測す(初診料入れて二千円余り)。歯科というのも大変毀誉褒貶の激しい世界である。地元を対象とした匿名の掲示板でも歯科ネタは大抵荒れている。どちらにしてもあらゆる歯がグダグダで暫らく通院を要すとのこと。ある年齢まで行くと総入れ歯の方が楽だな。兎に角、また面倒なことが増えた。
 小雨のなか出社。金参万円受け取る。此の時期は過去問対策をするのだが、推薦入試が迫り中学生は上の空。面接と自己PR書の作成で頭が一杯の模様。入試の多様化も考え物である。立ち飲みBでOさんと会い、其のまま中華立ち飲みに。雨がすっかり止んだ頃に帰る。十二時過ぎ。


1/16・火
 昨日教えた中学生のテキストには「海と毒薬」が出ていた。学習塾向けの教材には色色なものがある。本務校とは違う教材会社だったので初読だった。幸い拙宅には「新潮日本文学」があるので(家人の嫁入り道具だったらしい)、早速読んでみる。中学一年用に引用されていたのは、研究生戸田の告白の所で、小学生の頃、転校生に酷薄な心の奥底を見透かされているようで恐ろしかったと振り返るシーンであった。其の後も彼は次から次へと問題を起こし、その都度何となく正当化に成功す(なまじ頭がいいからな)。段段と心が麻痺して仕舞い、ついに解剖実験に手を貸すことになる。いやしかし何処かで思い留まることは出来なかったのか。別に神様が居ないから罪の意識が育たないという訳でもない。要は心に常に「若林稔君」(転校生の名)を置いて措けば済むことである。神ではなく、彼が見ている。大抵の人は、其れで十分な筈なのだが・・・。何はともあれこういう作品を一個丸ごと読めば、相当な読解力が付くと思う(序に歴史の勉強にもなる)。短編やぶつ切りでは駄目だな。此の点は検定教科書も同じ。
 一日晴れて暖かい。家人は鎌倉の伯母さんの付き添いで御茶の水の医科歯科大付属病院へ。すっかり弱って仕舞って見ていて辛かったと宣う。伯母さんは心臓も悪いが最近はどうにも首が悪いらしい。なお東京駅で伯母を見送った際、家人は「スイカ」を落としたという。記名式ではないからどうにもならないな(特別損失凡そ三千円)。老姉老妹介助である。


1/15・月
 一日まあまあ晴れた。今後は冬型の気圧配置が崩れ、少しは暖かくなるとのこと。中目黒経由で千寿校に出社。途中『トラクターの世界史』。退社後は町屋の立ち飲みBへ。D常務と少し話しして帰る。千代田線に乗ったのだが、例によって尿意を催し大手町で降車す。併し相変わらず、地下駅は何処が何処だか分らない。地下迷宮である。最近のメトロはあらゆる駅で改修しているから尚更である。番号や色などで案内しているらしいが、そんなものは直ぐに忘れて仕舞う。目印になるものをもっと沢山置いて欲しいと思った。成るべく有機的なものがいい。例えば、別れの一本杉の模型とか、兄弟船のレリーフとか。そうすれば次のトイレは矢切の渡し舟のちょっと先だとか、目的の出口は暗い待合室の手前を左だとか。様様な記憶に焼き付けることができる。漂流者はそういうものを頼りにするから。
 老家人は歯痛を起こす。併し馴染みの歯科は過日閉院に。別の歯医者は明後日にならないと空かないという。痛い痛いと大騒ぎでつくづく閉口す。


1/14・日
 今日も関東は冬晴れ。T大統領の健康診断の結果は良好とのこと。頭もちゃんと調べたのかと言う声も大きかったそうだが。就任から丁度一年。もう此の人の事は無かったことにして、早く忘れたいという世論が大きい感じ。早く辞めさせた方が本人も喜ぶはずである。実を言うとT氏には感謝もしている。メークアメリカグレート(アゲイン)、第五文型の説明には最適だったしね。だから一刻も早く引導を渡して上げたいのである。昼は「誠屋」でラーメン。買い物便多数。夜は鶏つくね+豆腐+葱白菜他という出鱈目鍋にした。兎に角、鍋物にすればカセットガスの排熱も暖房として使える。


1/13・土
 昨日と同じような寒い一日。こんな中、大学入試センター試験日本海側いじめだな。目黒区の駒場東大前辺りにある大学入試センターも北陸方面に移転すべきである(そもそも東大の近くにあることからして宜しくない)。行って見たら、此れは酷い・・・、ならばもっと前にやりましょうという事にもなるだろう。でもセンター試験って、新しくなったらどうなるんだっけ。
いっそ大学入試そのものを六月くらいにしたらどうだろう。高校を卒業して三ヶ月みっちり勉強して、試験を受けて、九月に入学する。これぞ国際基準である。学習塾も少しは儲かる筈である。ただ此の方式だと高校の先生が困るな。卒業生の面倒を半年先まで見なくてはならないから。
 七号室入居。若い会社員のようだから滞納の心配はないな。一応挨拶す。昼はスーパーの弁当。夜は肉屋の焼き鳥。何度も出たり入ったりしていると、矢張り鼻が可笑しい。一月から花粉症だとすると、此の春は大変なことになる。


1/12・金
 日本海側は大雪。関東も結構冷えた。五号室は電気関係の集中工事。「家人の体調が悪い」ことにして本日欠勤す。勿論、嘘ではない。さてさて何処かに出掛けようと思った。丁度JRではスタンプラリーをやっている。対象は吾人も慣れ親しんだロボットアニメものである。一瞬食指が動いた。併し用があっても乗りたくない国電にわざわざ乗り、而も乗ったり降りたり走ったりするのは難儀である。其れに混んだ車内でインフルエンザでも移されたら両家人の命に係わる大問題である。
 という訳で田園都市線で下ることにした。長津田行きの急行にぼんやりと乗った。古参の8500系である。此の車両は吾人が幼少の頃から走っている。田園都市線の顔と言えば顔である。プレートを見ると昭和五十一年製とあった。関東の大手私鉄で此れだけ古い車両が活躍するのも奇跡のような話だと思った。というのも後継の5000系になまじ六扉車を組み込んだのが悪かった。後にホームドアを付けることになり、作ったばかりの六扉車は減価償却もままならず全車廃棄に。此処で更新計画が大きく狂ったのである(と推測している)。それでも東急は漸く第二次更新計画を明らかにしたから、8500の活躍もあと数年だな。
 冬晴れの中、淡淡と進む。前が詰まっているので自慢の爆発的モーター音が聞こえないのが残念。其のまま中央林間まで乗り通し、小田急に乗り換え。此方も江の島まで乗り通した。橋を渡り、適当な回転寿司屋で日本酒休憩。併し地酒の類は一合800円もす。そうなると450円の「松竹梅豪快」に逃げるしかない。二合飲み、神社まで登り、少しお祈りをした。さて此処から少し海岸を歩こうと思ったら、くしゃみが止まらなくなる。冷気に当たったのか、花粉症か、結局のインフルエンザか。其のまま帰ることす。併し江の島から帰るのは難しい。江ノ電、バス、モノレールと魅力的な交通機関が目白押しである(エスカーもある)。思案の末、一番乗っていないモノレールで帰ることとす。階段を延延と上り、湘南モノレール駅改札口に。経営は三菱系から事業再生などをやっている企業グループに移ったらしく、色色と改修工事中のよう。設備投資してくれるとは有り難い。ただカードの類は何も使えず、未だに現金で切符を買う仕組みとなっている。此の辺も早く改善して欲しい所である。
モノレールは日本に幾つも無い懸垂式とあり、其れ自体が遊園地のアトラクションのようなもの。江の島観光と組み合わせればもう少し御客も増えるだろう。乗って見ると、下に何もないからすっきりしている。坂を上ったり下りたり。民家の軒先や庭をかすめたり、マンションの部屋を覗けたり。いっそトロッコ車両のように窓を取り外したら面白いだろうと思った。「湘南(風が)ビューっとモノレール」とかね。而も揺れ方が違う。当然ながら上から篩に掛けられる感じ。此れも他に例がない。
 大船駅で蕎麦休憩。ホーム上の店は昔ながらの総立ち蕎麦である。暖簾にはNRE大船軒とあった。地元の駅弁屋と日本食堂、どちらに強い経営権があるのだろう。蕎麦自体は至って普通だった(やはりNREか?)。中から温かくしても依然として鼻水止まらず。斯くなる上は逃げの一手である。横浜で東横線。東急ストアーで晩食の材料を買い込み、東急バスで戻る。三時半過ぎ。崎陽軒の弁当でなくて家人はがっかりしたようであった。弁当より温かい鍋物の方が良いと思ったのだけどね(炊事が兎にも角にも面倒とのこと)。直ぐに抗ヒスタミン
 信越線で普通列車が遭難。満員のまま一晩閉じ込められたという。動かない列車に立ちっぱなしなど、想像しただけでも恐ろしい。新潟の人は辛抱強いと思った。吾人なら非常コックを開けて勝手に降りるな。行き当たりばったりに歩いて、ラッセル車に撥ねられるか、氷雪に倒れた方が増しである。


1/11・木
 近所のコンビニが新装開店す。経営統合された店なので、看板も架け替えられた。二ヶ月近くも休業して中味も作り替えた筈だが、何だか変わったようには思えず。大体誰が作っても同じようになるのがコンビニというものである。中小チェーンも淘汰が進み、此の業界も結局大手三社の寡占市場である。オーナー夫婦も交代した模様。夜勤担当の旦那さんの疲労蓄積状態が年年悪化していて、最後の方は見るに忍びない程であった。コンビニが儲かったとされているのって何年前までだっけな。其れでも本部だけは儲かる仕組みになっているそうである。
 昨日の新聞によると、あれほどロシア寄りとされた米政権内部でも、プーチン氏=(冷戦後の国際秩序の改変を狙う)修正主義者とする見方が強くなっているとのこと。修正主義か膨張主義かで、色色と議論が分かれると聞いたことがあるが、要は大国主義が中中消えないという事である。つくづく住むならば、矢張り小国、而も寡民が一番であると思った。尤も東アジアの中くらいの国は、寡民化のペースがやや急激な点が気になることである。其れはロシアも同じだったけな。
 昼は居酒屋チェーンで「鶏の唐揚げ定食」(750円)。注文してから出て来るまで二十分も掛かったが、出て来たものは結構旨かった。一応大庄グループは店内調理をしているというから、少しは待たなくてはね。午前午後と『ゴヤⅢ』。「戦争の惨禍」シリーズである。ナポレオン軍に蹂躙された国土では凄惨な殺戮戦が延延と続く。「憤怒を発した軍隊のやることはきまっている。またしても虐殺と掠奪である」。そして「人間はこのあとも戦争の惨禍をくりかえし、南京大虐殺からアウシュビッツ原子爆弾までも投げつけるのである」。現代に於いても、イラクからシリア、南スーダン周辺そしてビルマの山岳地帯でも・・・。「歴史のかかる光景に接していると、私もがゴヤとともに人間に絶望しなければならなくなる」。「この絶望を越えて、なおも生きて行くことが出来るためには、人間がかかるものであることを身に徹して認識し、表現してかからねばならぬ」。そういう覚悟のようなものが最近の政治家からは感じられないな。戦後の一時期まではあったそうなのだが。国民にもね。
犬型のロボットがソニーから再発売される。最新技術で感情の機微が分かるようなるそうである。更に気まぐれな猫を作るにはもっと時間が掛かるだろうと思った。其れに身体能力も違う。


1/10・水
 南北朝鮮は閣僚級会談実施で急転直下の雪解けムード。同じ民族だから対話もし易いだろう。過大な期待は禁物だが、取り敢えず核開発の凍結だけでもしてくれれば十分である。併し大慌てで対話を求めて来るあたり、セーサイキョーカもまあまあ効果が出ているらしい。其れに核実験場では山体崩壊に放射能漏れ、ミサイル実験の失敗でも相当な被害が出ているとの観測もある。小皇帝も流石に拙いと思ったのだろう。また韓国大統領は日韓合意を見直したいとの発言もしていた。PとAとが結んだものだから我慢ならないのだろうな。何しろAは歴史修正主義者だもの。
 良く晴れて風強し。午後出社。本務校で三週ぶりの授業。退社後は立ち飲みBへ。日本酒を一気に入れて中から温めて帰った。


1/9・火
 朝には止んだ。早速五号室の工事を開始す。まず古い造作の撤去。昼には終了す。すると午後はガス工事。併し既に大工さんは御帰りに。何も分からない家主を挟むと、意思の疎通は電話が頼りとなる。なかなか巧くいかず往生す。空いている七号室の流し台を見せて納得して頂いた。完成図があると分かりやすい。百聞は何とやらだな。南風が吹き荒れ、異様に暖かい。よくよく見るとナンバーサインがなくなっている部屋が多い。色の濃いボール紙に白い修正ペンで書き入れて貼り付け直す。他雑用多数。
 昨日の成人式の直前に晴れ着レンタル業者が倒産。多くの新成人が路頭に迷ったそう。其れでも従業員(数か月前から無給らしい)の自主営業やボランティア等の活躍により、何とか仕立てて貰って式に出られた人が多かったという。持ち逃げした社長は逮捕されるとして、所謂美談にはなるだろう。併し成人式など考えた事もなかった。あの日の吾人は何をしていたのだろう。そう言えば浴衣以外の和服など着たこともない。女の人はまた違うのだろうけど、二十歳人口も急減するから此の産業ももう御仕舞だな(そもそも新規参入してくる方が可笑しい)。何もない夜は白ワインを呑みながら、東京FМからJウェーブへ。FM局もよく勉強している。


1/8・月
 早目の成人の日。午前中久久に本務校に参る。本日は休講日だが、講習の後片付けや散乱したゴミの分別廃棄、事務仕事等等。一時間半ほどで終了す。直ぐに自転車でぶらぶらと帰る。途中、「六厘舎」がプロデュースしたとか云う店で、付け麵の並盛(630円)。安くて旨くて大変結構だが、みんなセントラルキッチン方式なんだろう。生産性を向上させると、結局こういう非の打ち所の無い店ばかりになる。いっそ生産性を低下させ、経済を非効率化させよ。面白いことが起こる筈である。午後から雨。夜は結構降る。
 大阪大で出題ミスが発覚。三十人が追加合格されることに。併し一年も経った所で、実は合格していましたと言われてもね。幾ら人生は出鱈目と偶然の連続とは云え少少辛い(特に十八歳には)。また追加合格はあっても、追加不合格というものはないから、代わりの三十人は神様の気まぐれで入学しているという事になる。其処で藤田省三先生が、入試の際は一人だけクジ引きで合格させておけばよいとおっしゃっていたのを思い出した。勿論当人には内緒で。そうすれば合格者は、ひょっとしたら自分は運が良かっただけなのかもしれないと悟ることになり、受験エリートの類にも少しは謙虚な姿勢が身に付くだろうと。一般入試が今より遥かに過酷だった頃の話しである。


1/7・日
 昨夜は色色と刺激された。少少向学しようと、朝から本を注文したり、読み返したり、また日誌の整理。数日来、買い物便が欠航して碌な物を食べていないというので、「オオゼキ」で牛肉を買って来て、焼いて食べた。


1/6・土
 冬型の一日。芥田先生の書斎で新年会の日。千葉市に向かう。まず渋谷で途中下車。のれん街で「ウエスト」の御菓子を購入。其の後東西線に乗り換え。西船橋の「めとろ庵」で蕎麦休憩。一時過ぎに参る。参加者は月波君、客乃間君、鷺乃間君。夕方遅れて藤松君と西嶋君。近況報告の後、『近代日本哲学思想家辞典』の中江兆民の項を講読。以後、奥様のお料理と持参した刺身盛りに御酒を交える。以降話題は多方面に散らばる。記憶に残った点を以下列挙す。
未来は暗いという時代は今まで余りなかった。明らかに下り坂の時代だが、それでいて何となく危機感がない。何とか知恵のある者が出て来て、多少は盛り返して行くようにしたいもの。こういう考え方は愚管抄にもある。(以下引用す。「そこで、世を治める君はほんの少しでも正しい心を取り出して、無間地獄に落ちるような無道の有様を少し普通にし、何といっても世の中には末世の道理を弁えた人が、僧俗の中に二、三人か四、五人くらいはいるであろうから、そういう人を召し出して、天下のために仕えさせてほしいものである。」)
一つの中国という概念は「排満興漢」以来の物で、漢民族とててんでバラバラ。中国は進み方によっては中華連邦のような連合国家になる可能性もあった。また現代中国の経済格差と情報統制は想像を絶するもので、何かの拍子に再び革命が起こる可能性がある。正にマルクスの予言した通りである。其れを防ぐために、現国家主席はやっきとなって経済成長させている訳で、別に中華帝国を復活させようなどという深慮遠謀がある訳ではない。少子高齢化は日本を上回るペースで進んでいるから、何れ自転車操業が止まってしまう可能性がある。其の時は・・・。
他には、①川上徹の『査問』は読む価値がある。そしてそのような党がいまだに存在していることが奇跡のような話で、天皇制と共に「世界遺産」に登録すべきである。詰まり、早く無くなった方がいい。②六十年代の私大教員の給与水準は極めて低く、みな第二種兼業農家のような生活であった。改善するのは私学助成が入った七十年代以降であった。③最後に勤めた公立大学の学生の実に三分の一近くは住民税が非課税世帯で、多くの学生は県から出て遊びにいくことすらままない。特に地方では貧困化が著しい。④Aには大した思想信条がある訳でなく、ただお爺さんの真似をしているだけ。既に家業である。後任を狙う筈のK氏にも覇気がない。其れも家業だからである。⑤政治学というものは四十を過ぎたら自然と分かるようになる。実社会的経験論。⑥お爺さんは九十過ぎたら駄目。婆さんは元気だけどね。
実に十時近くまでお邪魔する。再び電車に乗り、九段下経由で帰宅。十二時過ぎ。此れで年末年始の行事は全て終了す。


1/5・金
 未明に起き出し、五号室から出された大量の漫画雑誌と千寿から持ち帰ったテキスト類を表に出す。するとあっという間に白いワゴン車が来て持ち去って行った。あうんの呼吸で回収するあたりは沈黙交易のようだと思った。併し古紙の需要はまだまだあるのだね。出来れば千寿校まで取りに来て欲しい。ゴミの山、いや宝の山が其処にはあります。
 朝から曇り。寒の入りらしい天気。五号室退去。不動産屋さんのSさんと立ち会う。元元がリニューアルもしていない古い部屋だったが、見たところ、凡そ表現も出来ないような壊滅的状態となる。数年来真面に掃除もしていなかったらしい。こりゃあ全面改装だな。シンクもエアコンも壁紙も床材も。ちなみに未納分は数十万円。今後少しずつでも支払うようにと念書を交わした。いやしかし、こんな書面にどれほどの効力があるのだろう。半分ぐらいは払ってもらえるかな。それでもまあ何とか生活を立て直してくれれば・・・と思う次第である。何かの都合で所謂「事故物件」になるよりかはね・・・。其れに帰るべきクニやイエがある人は、まだまだ良好な部類である。
 午後千寿に出校。例によって理科と社会を中心に適当に教える。担当ではないが、どうにも物覚えが悪い生徒がいるらしく、教室全体にはS子先生の怒号が響く。集中攻撃に当たっているよう。他の部屋にも丸聞こえである。例によって辟易とす。例によってああいう子に激昂したところで、丸で仕方の無い話しである。平均すると吾人は週に一回の勤務だが、彼らは毎日のように言葉の暴力に晒されている。つくづくS子には教える能力がないと思った。こういう教室はもう滅んだ方がいい。そして廃業する前には、回収業者に入って頂いて、森林資源の回復に役立てていただければ、世の為や地球の為になると思う次第である。
七時過ぎに退社。町屋で途中出場。立ち飲みBの新店に入る。先月末にBチェーンはとうとう町屋にも進出した。運よくD常務も居た。D君は新規立ち上げ担当重役でもある。色色と言葉を尽くしながら新従業員に指導している。従業員といったところで大抵はずぶの素人であるし、そもそも言葉も違う。日中か日越連合チームである。S子にも見習わせたいと思った。少し話ししてから地下鉄で延延と帰った。


1/4・木
 未明から可成りの胃痛。何度か洗面台に顔をうずめた。新年早早碌なことがない。毎年のように節酒の誓いをしているよう思う。来世は下戸になりたいと願った。昼前にはどうにか収まる。
 今日から残りの講習。千寿に参る。途中「はなまるうどん」。何だか口も頭もよく回らない。休み過ぎたか(いや、飲み過ぎだな)。退社後は大橋の自動化寿司でノンアルコールビール。其のまま帰宅。地下鉄も結構空いていた。三が日も四が日にすべきである。本日完全休肝


1/3・水
 朝は御粥と御酒を一杯ずつのみ。正月だからといって二倍も三倍も飲んだり食べたりできない。もう鹿の食うようなもので十分である。あらゆるものが過剰だと思った。新聞を三紙も四紙も読めないのと同じである。詰まり情報も過剰である。鹿の耳と目がいいな。あと頭も。考えなくていいから万事楽である。
 恒例の駅伝見物に参る。晴れてはいるが北風強く、観衆も少ない。例によってA学院が独走す。其れでもオレンジ大学は往路の五区に山の神が降臨し、六区でも健闘したので六位に入った。少子化の故、何処の大学も駅伝に力を入れているよう。何しろ十八年後の十八歳人口は94万人である。併しね、駅伝を見て感動して、○○大学に入りたいとか思う子がいるかね。タレント教授が沢山出てきた方がまだ宣伝効果があると思うが。
寒風の中を川崎まで歩き、去年も入った「香楽園」で大量飲酒。総勢九名で飲み放題を付けたから、給仕が間に合わないほど。やはり中華は此れぐらいの人数で食べないとね。三百円均一の小皿料理ばかりを頼んでは可哀想なので、少し高めの料理も注文す。脱デフレは身近な所からである。其れでも一人2500円。更にカラオケに行き、イタリアンにも入った。流石に吾人は此処で早退す。ふらふらになって帰宅。


1/2・火
 再び冬型に。晴れてはいるが風強し。朝は和洋中の残り物で小量飲酒。昼は野菜たっぷりタンメン。夜は貰い物の蒲鉾とハム。四国の親戚から送って来たものだが、昨年来、幾らむしゃむしゃむしゃむしゃと食べても一向になくならず。あらゆるものがつくづく過剰であると思った。此の二日の消費支出は新聞代の330円のみ。そう言えば昨日の毎日新聞に、生産性を二倍にすればGDPが二倍になるとか言っている人がいて驚いた。ハムや蒲鉾が今の二倍も作られても一体誰が食べるのか。鹿の食うようなものを食べていた頃と勘違いしていると思った。ならばいっそ二倍高いハムや蒲鉾を作ればいいという算段にもなるだろうが、そもそもハムや蒲鉾には限度というものがあるし、そんなに高くなっては購入できない人もいるだろう。
 北の皇帝は南の五輪を歓迎する旨の演説をしたらしい。一応交渉の余地ありという事なのだろう。ただ当のアメリカの方は最早空中分解である。


1/1・月
朝から良く晴れた。テレビの討論番組甚だ酷し。昨夜に引き続き、和の段を解凍。伊那の御酒と合わせる。例によって大して旨いものでは無し。でも贅沢を言ってはいけない百鬼園先生の昭和二十年一月二日の日記には「朝も晩も動物園の鹿の食ふ様な物ばかり家内と二人で食べてゐる」とある。何しろ御雑煮はみそ汁が精精で、御酒も無く「こんなお正月は初めてであり今回限りに願ひたい」とも。「いやに空が静かだと思ったら、九十機位が編隊になりて名古屋を中心に浜松大阪等へ行きたる由也」(同一月三日)。増して現代にあっても餅も食えない人もいるというからね。
其れに味覚が変わって来たということもあるだろう。吾人とて、初めて伊達巻と栗きんとんを食べた時は、美味すぎて感動したものである。あれから云十年。何を食べても素直に旨いと思えなくなったのは、ひょっとしてあの漫画+アニメのせいかもしれないと訝った。第一に腹が減れば何でも旨い筈である。元旦到着の年賀状は十枚程度。鈴木君と佐藤君には第一子が誕生す。ともに同世代である。細君の年齢までは与り知らぬが、此れで第三次は終了だなとつくづく思った。
其の後老家人を散歩に連れ出す。数百メートル先の公園まで行って休憩して帰って一時間。往路時速一キロ半、復路は一キロといった感じ。介助というものは生産性とは対極に位置するものだと思った。午後になり社崎くんから電話があり、実に久久に話す。御母堂の具合が悪くなり在宅介護中とのこと。遠出は出来ないが、飲みに行くならば是非誘ってくれと言われた。元元元気な武闘派といった彼だが、最近は連絡がなく心配していたところであった。まあまあ元気そうでよかった。
夕方になると何だか寒気がする。すわインフルエンザかと思ったが、中華の段で麦酒を軽く飲むと直ぐに良くなった。買い物は無し。其れでも専売店とコンビニで日経と毎日を買い足した。元日の朝刊は何処も矢鱈と分厚いが大して読むところがない。ただ毎日の都内版には新橋のちゃんぽん店が紹介されていたので、早速大将にラインで知らせた。折角買った甲斐があったというものである。補足。中華は結構旨かった。家人にも好評。併し中華三段という訳にも行かないな。

2017年12月

12/31・日
 本年最後の日。午前中は白いものが舞った。何処かの国がとうとう実験でもしたのかと少し驚いた(幸い初雪とのこと)。来年はこういう心配をしないで済むようにして貰いたいところだが、何しろAとTではね。買い忘れていたものを何回か買い足しに行き、昼は牛丼S。街を歩くと、結構チェーン店でも閉まっている。結構なことだと思った。
 基本的には極めて寒い一日。例によって取り寄せたおせち料理で晩から飲み始める。経費節約の為、今回は冷凍ものにす。和洋中の三段で一万数千円。札幌何とかホテルの料理長が丹精込めて作ったらしいが、本当のところはよく分からない。まず洋の段から解凍す。御品書きを見るとメインディッシュの原料は全て海外産。牛は勿論、鶏はブラジル、豚はハンガリー、エビはベトナムといった感じ。万国博覧会である。其れでも味はまあまあであった。大体一晩で五千円分費消す。高くはないな。立ち飲み屋でもまあまあの物を頼めば三人で行けばそれぐらいするだろうし。内需拡大。一意専心である。
泥酔の後、茹で麺を温めて年越しそばとす。例によってふにゃふにゃだが、其れと分かって食べているのでさして不満はない。生蕎麦や乾麺を茹でるのは面倒だからね。夜は流石に寒い。拙室も初暖房。アルコールが回り十一時には就寝。


12/30・土
 今月の備忘録。本務校近くの中華屋と惣菜店が閉店。共に老舗といわれる店で繁盛店ある。親子でやっていたから、後継者もいない訳ではない。パパママ世代が引退するのは分かるとして、息子さんたちはどうするのだろう(共にアラフォー世代)。今更外で働くのは体が慣れないと思うが。店舗は自前だと言うから今後は不動産賃貸業だな。結局家族で汗水たらしても、賃貸収入に追いつく稼ぎ無しという事なのかな。
 山田線の海側の復旧が再来年の三月に決まる。南北が繋がり、名称はリアス線で統一されることに。実に百キロ以上の路線となる。観光客を呼び込むためには横串も充実させなくてはならない。山田線の山側ももう少し何とかならないものか(現在一日四本)。
 朝から良く晴れた。小松菜が足りないというので買い足しに行く。自転車を操り、環七を越え、環八も越え、岡本辺りの無人販売所で漸く見つけた。一束200円。根が張っていて逞しそう。多摩堤通りの「花月」でラーメン休憩。此の辺もどんどんと家が建っている。近近に農地も無くなるな。崖線を登り、再び環八と環七の順に渡って帰る。午後も片づけや掃除、そしてアルコール類の買い増し。


12/29・金
 何とかコインが人気のようで、価格が高騰しているらしい。其のコマーシャルが無意味で凄い。「明日はハレルさビットフライヤー」「みんなで踊ろう」云云かんぬん。仮想通貨には海外決済を容易にするという大義名分があった筈なのだが。それにしても、仮想通貨に投機マネーが集まる。一昔前でもなんのこっちゃという事態である。第一、みなさんまだまだ現ナマを使っているのにね。
また何時か見学に行ったヘリコプター搭載型超大型護衛艦も改造して「護衛空母」にするらしい。まだ見積もりを取る段階だが、どう考えても改造費の方が高いな。という訳でいっそ新造しますなどというシナリオがあるのだろう。何度も言うが明らかに憲法違反である。其れに航空機の整備と搭乗員の訓練等等、上物にも途轍もない御金が掛かる。奨学金何十万人分に相当するだろう。
 朝から活動す。まず玄関掃除。其の後青果専用便を運転。今年は小松菜等も高い。昼は「侍」でラーメン。味はまあまあだが750円は高い。其れに此の豚骨醤油味というものも限界だな。此れ以上旨くならないもの。ならば技術革新と生産性の向上で安く提供して欲しい(そうなるとセントラルキッチンになるのかな)。更に夕飯の材料を買って帰る。
 御酒を飲んでいると妙な警報音が。早速認ためると火災警報器の電池切れのサインのよう。併し此の機種、電池の交換が極めて難しい。「外周部をもってベース側に押しながら回してください」などと意味不明なことが書いてあるが、出来たためしがない。やっている内に段段腹が立ってくる。而もピィピィという警報音の間隔は益益縮まる。結局金槌で叩き壊すより手がなかった。見たところ2004年製。初期の製品はつくづく酷いと思った。晩酌を台無しにされたので、犯人は実名公表す。ナショナルの「SH11864」である。開発者には猛省を促したい。


12/28・木
 駐車料金を現金納付しているお肉屋さんは、払っても無い二カ月分を払ったと言い張っている。家賃手帳を見れば一目瞭然なのだが、紙に書いてあることまで信用できないと言い始めたら、我我は何を信じればいいのだろう。新手のポストトュルースだと思った。
 さて本日から正月休みである。28日から休めることなど近年なかった。此れも大貧学院衰退の御蔭である。まず家作の周りを軽く清掃し、神保町に参る。三省堂で『ゴヤⅢ』を購入して「キッチン南海」へ。開店前から既に大行列。而も大半が吾人より年長(学生さんなど殆どいない)。みんなよく食べるね(そんなに食べて大丈夫か?)。多少待ったが無事カツカレー(750円)に有り付けた。其の後はぶらぶらと古書店を覗くも収穫は無し。其のまま九段下方面へ。武道館を抜けて出鱈目に歩く。併しこういう都心のことなど何も知らないな。特に皇居周辺などは全く。宮城遥拝!などという時代が再び来なければいいとつくづく思った。
半蔵門から地下鉄に乗り、直通して帰宅。まだ二時にもなっていなかった。すると五号室が退去すると連絡が入る。色色と溜めた人だったが、年明け早早に故郷に帰るのだという。此の所、引っ越しが多い。部屋はボロボロだから大規模工事だな。夜は白ワインを呑みながらゴヤ。拙室のテレビは地上波しか映らないからラジオを掛ける。最近はFM局などでも結構いい情報番組をやっている。


12/27・水
 朝方は宿酔気味。流動食(御粥)を食べ、まず診療所に。例によって意味の無い遣り取りをして処方箋を貰う。一種のお医者さんごっこだと思った。其の足で千寿校に向かう。今日も理科と社会の組み合わせ。江戸の三大改革は元に戻そう戻そうという復古的改革だから、時代が進めば進むほど、何の成果も上がらなくなる。時代の変化を認めない改革も挙兵も大抵失敗すると講義した。序でにT親方の場合もそうなるであろうと解説す。彼は大相撲を明治時代に戻したいらしい。何という時代錯誤だろう。
 すかすかに減った腹を「えぞ松」の回鍋肉で満たそうと飯田橋に回航。併し外堀店は定休日だった。止むを得ず本店へ。同じ回鍋肉定食だが、本店はややあっさり指向。外堀店の方がもっと肉肉しくて、本日のような空きっ腹には相応しいと思った。瓶ビール一本で其のまま帰宅。九時少し前。家でも缶ビールのみ。二日連続で飲酒というものは出来ないな。飲もうとしても口や胃が拒否する感じ。本務校には戻らないから年内の勤務は全て終了す。S子先生の怒号も無責任社長の阿呆面も見ずに済むと思うと清清す。


12/26・火
 談合問題を契機に土管新新幹線の是非を問う言説も多少聞かれた。併し道路と違って部分開業というものも無いだろうから、最早止めようがないな(例えば山梨までつくったところで何の役にも立たない)。大体此の手の工事が見積り金額で収まったことなどないだろう。此の先どれだけ膨張するか、名古屋まででも十兆、いや十五兆かな。みんな土管代である。大体民間企業が勝手に始めた工事に何時の間にか公的資金が大量に入っている。工事自体が既に粉飾だと言えよう。今ならまだ間に合う? KとAの昵懇ラインが崩れればね・・・。既に掘った穴は洪水対策の地下貯水池にでもすればいいか。国土何とか化も少しは必要だし。
 今日から講習である。御昼に千寿に出校。昨日気付いたのだが、地元の駅にもホームドアが付いていた。此れで当駅発の人身事故はなくなるな。其処で思い出すのはМ子さんの事である。小学校で同級だった彼女は此の駅で亡くなったらしい。もう二十年も前の話しである。事故だったのか自死だったのか吾人には知る由もない。明るい女の子だったのだけど。此処に書いて備忘しておくこととす。
 授業は二時から七時過ぎまでぎっしりと。何度も行くのが面倒なので、年内二日、年明け二日に集約したから仕方がない。退社後は月波君と客乃間君が来たる。千寿の名店を案内したかったが、「大はし」も「天七」も「永見」も満席。辛うじて「加賀屋」に入り込む。其の後は混んでいる西口から空いている東口に避難。「かあちゃん」と「福しん」のチャーハンで締めて帰った。帰宅は十二時過ぎ。


12/25・月
 今年生まれた赤ちゃんは94万人だそうで、昨年より数万人も減ったことになる。減り幅から考えると、詰まり今までが第三次ベビーブームだったという事だな。大したブームではなかったが、ブームもバブルも去った後で、其れがブームやバブルであったと分かる。ブームでも現状維持が精一杯というのが、此の国の恐ろしい実情である。
 未明は大雨。たっぷり降ったが朝は綺麗に晴れた。本日は本務校も千寿校も休校日。デイサービスに老家人を預け、家人と墓参りに参る。滅多に乗らない西武線で小平へ。降り積もった欅の葉っぱを掻き出す。風が強いので線香は自粛。其の後、石材店の並びの御寿司屋へ参る。随分前(多分二十年以上)に法事をやったことがある店である。丁度御昼だったのだが、扉を開けるとカウンターに座っていた店主は少し驚いたようであった。当然他客は無し。最近は御客が減っちゃってなどと高齢となった店主と話をした。日本酒二合に上握り。二人で七千円。流行らない寿司屋は在庫管理が難しい。ネタも解凍品が多かった。
再び黄色い電車(と言っても最近は黄色くないが)に乗って帰る。食べ足りない吾人は渋谷で「博多天神」のラーメン(500円)。注文から一分で到着し三分で食べ終える。博多ラーメンはこうでなくてはね。ただ博多+天神という屋号は地名的にあり得ないらしい(下町山の手みたいな感じ?)。新玉川線に乗ったらバスの家人を追い越して仕舞う。ツーロックして来たので暫らく家に入れず。夜は掛け蕎麦。風邪予防と称して、後先考えず食べたいだけ食べているから、此の頃体重が非常事態である。
 区の広報紙を見ていたら、ふるさと納税地方消費税の算定方法の見直しにより、来年度の減収は七十億にも及ぶと書いてあった。特養も保育所も建てられなくなると区長は怒っているようだが、ある程度は仕方がないな。地方から出て来て、好き好んで東京に住んでいる人ばかりはいないから。月波君も文京区には払っていないと聞いた。人も金も集め過ぎて仕舞ったら、マドリードになって仕舞うしね。いっそ都会を滅茶苦茶にした方がいい。保育園と老人ホームは十年待ち、道路はぐちゃぐちゃ、電車は毎日故障、街角には掻っ払いと酔っ払いと物乞いが溢れていたら、みんな呆れて故郷に帰るだろう。


12/24・日
 明日まで休みなのだが、何処かに行きたいが、生憎何処にも行くところがない。寒い時期は大抵何処も寒い。伊豆辺りは暖かいだろうが、一人で泊まれるような所も無いだろうな。 
午後はまあまあ晴れた。少し歩こうと、駒沢、深沢、目黒区方面と大移動す。都立大学駅近くでラーメン休憩。確か一年前に入った店だが、何だか雰囲気が違う。屋号も違うから経営が代わったよう。味は豚骨醤油のままだから間違い探しのようでもある。繁盛していた感じだったのだが。「トリツセンタービル」も取り壊し中。更に歩いて帰った。全部で三時間半、二万歩。晩食はスーパーのグラタンとスモークサーモンで御仕舞。
夕方から夜に掛けて映画「64ロクヨン」。一週間しかなかった昭和六十四年に起きた未解決誘拐殺人事件を追う内容。組織内の対立とか、記者クラブとの対決とか色色な不協和音が同時進行して邪魔臭いが、要は死には大きいも小さいも無いということ。改元騒動で掻き消されてはならぬものが必ずある筈である。あと気になるのは、昭和のシーンが暗い蛍光灯に照らされたようになっていたことかな。昭和末期はもう少し色鮮やかだったと思うのだが。舞台が北関東だからか。1989年の一月だしね。
真っ暗に成った頃、伊那から郵便小包が届く。須見伯母が頼んだ伊那のお酒であった。配達員の手は黒く煤けていた。荷物殺到で今年も激務らしい。咄嗟にみかんを二つ握らせて帰した。見ようによっては芥川の「蜜柑」の再来だと一瞬思った。併し荷物が届くというだけで何だか落ち着かない。兎に角、一回で素早く受け取らなくてはね。


12/23・土
 天皇誕生日。2019年以降は平日に戻す案があるそうである。天皇制云云以前の問題として、休みを減らすことには反対である。今年は土曜だが、年末に一日休めると気分が違う。これぞ公共の福祉というものである。
 朝は「富士そば」。昼は「Sガスト」で竜田揚げカレー御飯少な目(450円)。出た序でに本屋を三軒寄ったが、目当ての本は無し。両家人向けに昼の弁当を買いたかったが、いやしかし弁当屋というものも全てなくなったな。スーパーの弁当は喰い飽いたので、結局コンビニへ。併し高齢者が食べられそうものなど何一つ置いていない。結局二軒梯子して助六寿司を一つずつ買い求めた。御金があっても使うことができないのだから、物が不足しているのだと思った。高齢者は外食できないのだから、コンビニこそ高齢者向けの商品を作るべきである。
 今朝の「権力の副作用」という「本音のコラム」は面白かった(文責は師岡カリーマ氏)。何でも権力を持つと実際に脳の一部が損傷して、他人を思いやれなくなるそうである。其れでセクハラやパワハラは朝飯前となり、矢鱈長い会議と下らない報告書の作成で周囲を苦しめることになるのである。夜は鶏屋のもも焼き(一本350円)。世間的にはクリスマスである。


12/22・金
 今年もあと十日である。退社後は中華立ち飲みの二階で座り飲み忘年会。十数人集まった。といっても、職場も住区も社会階層も年齢も違う。飲み屋で知り合ったという仲である。吾人も半分ぐらいの人とは面識がなかった。何だかぎこちなく始まったが、アルコールが回るに連れて、砕けた雰囲気となる。二次会はカラオケ。一時半頃帰宅。其の後柚子湯につかる。


12/21・木
 博多発東京行きの新幹線を、台車が壊れたまま走らせたのは、西の運転指令らしい。東海の判断で辛うじて名古屋で止めたからいいようなものの、つくづく指令ミスだな。何処かで誰かが何とかしない限り、事故は何時か必ず起きる。目利きが居て欲しい所だが、問題は其の人が権限を有しているとは限らない点である。くわばら、くわばら。
 日本の生産性はGセブンで最低とのこと。そりゃそうだろうな。例えば宅配便。近所に配達されるものの三つに一つは持って帰る感じである。二度行っても一度の生産しかしていない。例えばコンビニ。夜中まで開けていても御客など大していない。サービス業の生産性は極めて低くなる。それでは何でそんなに御客にサービスするのかというと、少ない御客を奪い合っているからであろう。詰まりは総需要が足りていないのだな。此れは現場レベルの問題だが、其れに加え、無駄な会議と計画書と報告書が多すぎるらしい。事務職の知人は口を揃える。あらゆる産業のお役所化である(当のお役所はせっかく作った記録をあっという間に廃棄したと言い張っているが)。其の内に、箸の上げ下ろしまで報告書を作れと言われかねないな。此れとて、何かあったらどうするのだという、縮み志向、責任回避、アリバイ作り、詰まりデフレマインドの現れということになりそうである。幸い大貧学院にはそれ等はない。全てが行き当たりばったりであるからね。
 朝から晴れて当然寒い。家人は眩暈。よって買い物は三便。どの店も一長一短だから、掛けずり回らなければ、真面な品物は手に入らない。エルサレムを首都と認めない国には援助しないとTは脅しに掛かる。もう末期症状だな。「社会の上層部に文化創造の力がなくなり、空虚さと退屈さ加減ばかりが大袈裟な舞台を占めはじめれば」「つまりは貴族階級というものの解体期が、すでに現実に来ているということ」で「〝革命前社会のマゾヒズム〟症状をとりはじめた」(『ゴヤⅡ』集英社文庫版)といえるだろう。アメリカも愈愈近近壊れるな。
夜は「まつやのとり野菜味噌」で鍋物。スペイン産の安白ワインを呑みながら。でも此のワイン、スペインの何処産なのだろう。「ドン・ロメロ・ブランコ」しか読めない。またカタルーニャの人も相当怒っているらしい。州議会選挙で再び独立派が勝利す。「スペインの都市(=マドリードのこと)は残酷なものである。周辺からすべてを吸い上げてしまって、如何なる意味でも還付を、反対給付をすることがなかった」(『ゴヤⅠ』)


12/20・水
 日中晴れ。午後出社。取り立ててどうということも無い一日。立ち飲みB。夕刊によると、中東情勢はかなり危ないらしい。シリア×サウジアラビア×トランプでとんでもないことが起きるかもしれない(と藤原帰一が言っている)。とは言うものの中東問題の分析に割ける時間もないし、担当の脳内参謀もおりはしない。まあこうして色色な専門家の見方が自然と目に入って来るのが新聞紙のいい所でもある。


12/19・火
 未明に火事。近くではないが、何台も何台も消防自動車が走って行った。大火事と見えて、サイレンも気合が違う感じであった。行ったからには消しに掛かるだろうから漸く静かになると思った。すると今度はヘリコプター。何時までも旋回す。
 朝方はチバテレビでやっているアニメ版「美味しんぼ」を見る。河豚の白子に匹敵する味として、牛や羊の脳味噌が紹介されていた。吾人も二十年ほど前に同様の物を食べた記憶がある。併し今は食べていいんだっけ(プリオン怖い)。最近頭が悪くなったと思うのは、ひょっとして・・・。矢張り脳を食ってはいけないと思った。何事にも遠慮というものが必要である。
 続いて吾人も現場検証に参る。環七から少し入った古い民家が燃えたよう(死者も出た)。奥まっているので全体像は見えず。あの辺も極めて密集している。何十台も駆け付けたらしいが、消すに消せないな。接道していないから建て替えもできないのだろう。建て替え不能という建物も実は多く存在す。其の後、年賀葉書を購入し、中味を印刷し、宛名をボールペンで書き、投函す。こういうものは一気呵成に限る。ちなみに文面は以下の通り。
―― 本年もどうぞ宜しくお願いいたします。両家人に外猫三匹(シロ・グレ・ミケ)共々、無事越年しました。昨年はおととしの八月に亡くなった伯母万代(大正八年生)の相続手続きが漸く終了し、以後何だか虚脱感に包まれた年でした。
一方学習塾の仕事の方はと言うと、益益暇になり、とうとう週に三日の出勤で事が足りるようになって仕舞いました。空いた時間で、最近弱って来た父(大正十四年生)の面倒を見ています。別に何処が悪いという訳ではないのですが、流石に九十を過ぎるともなると、意欲がなくなって仕舞うようです。齢を重ねるということは、ある意味、全く新しい自分になることなのでしょうね。
という訳で、今年こそ何か挑戦したいと思う次第です。まだまだ若いですから。私自身は至って暇ですので、皆さまどうぞお誘いくださいませ。大蹇朋来。たいけんほうらい。全く知らなかった言葉ですが、こういうTシャツを着た人が近所を歩いていたものでつい・・・。――――
草臥れたので回鍋肉定食(780円)の遅い昼食。初めての店である。味付けはいいが、豚肉がふにゃふにゃで、噛み応えゼロ。一体どういう肉なのだろうと訝った。回鍋肉は三枚肉でなくてはね。またテレビ等は大相撲に続き、上野のパンダで盛り上がる。実に無意味な盛り上がりだが、コラムニストのO氏が、白頭山辺りにも珍獣がいれば、平和外交のカードとして使えるのにと残念がっていたのが面白かった(昨日のラジオ放送にて)。いやしかし、仮にピカチュウみたいのがいたとしても、高額の貸し出し料金を請求されて、ミサイル開発の足しにされるなぁ。


12/18・月
 春の改定では九州の列車もごっそり減るらしい。分割民営化から三十年。当初は巧く行くかに見えた分社化だが、事態は最悪の方向に向かいつつある。つくづく未来予測など、高か知れていると思った。人口減や過疎化などはある程度は予測できたのだろうが、実際には此の異様な低金利が経営安定基金を無力化し、三島会社の経営を直撃した格好となっている。三十年前に将来の金利がゼロになることを予測した人などいないだろうな。仮に全額取り崩すとして四国や北海道はあと何年持つのだろう。
 一日晴れ。中目黒まで歩いて日比谷線に。途中散髪す。時間があるので「りんりん」でカレーライスを御飯少な目で(330円)。此方の通常授業も年内は本日で終了。高校三年のSさんは今更ながら他塾に転校。AO入試に三回も落ちたものが、一般入試で通るとも思えず。理学療法士の学校に入れるといいが。また相変わらずT君は遅刻した上に手ぶらで登塾。彼を中三の頃から見ていたが、何か変わったようには思えず。専門学校に行きたいらしいが、こういう子を教える先生も迷惑だろうな。週一回でも流石にうんざりである。「大江戸」で軽く飲んで御仕舞。行きも帰りも『若き日の詩人たちの肖像』。此の所、堀田ブームである。


12/17・日
 再び冬型に戻る。買い物は三便。午後は「人生フルーツ」という記録映画。ニュータウンの造成地に、家と庭と林と畑を一から作ったというお話し。日本には珍しい仲の好い老夫婦だと思った。映画の半ばで御主人が天寿を全う。残された奥さんの方が心配になった(仲が悪い大抵の夫婦は、我儘な旦那に死なれた後、妻の寿命が一気に延びる)。矢張り庭のある生活の方がいい。幾つになってもやることがある。マンション暮らしは楽だろうけど、昔から年寄り殺すに刃物はいらないというからな。人間も鮪と同じで、あれやこれやと動いている内が丁度いいと思った。昼は蕎麦を茹でる。最初は盛り、二杯目は掛けにして食べる。夜は「オオゼキ」の牛肉を焼いて食べた。取り立てて無為。
大宮の特殊浴場が炎上、死者複数。ああいう建物は建て替えが出来ないというから、防火対策も進まないのだろう。歌舞伎町のビル火災が思い出される。あの頃はまだ青のビニールシートで隠すという習慣がなかったらしく、担架からはみ出たピクリとも動かない足までバッチリと中継されていた(と記憶している)。また昨日の事故も施工ミスが原因とのこと。技術者が足りない(多分四十代前半が)。いや、賃金が足りない、そもそも下請け施工会社に回る御金が足りない?


12/16・土
 朝からまあまあ晴れた。午前中は屋根屋さんが再び参る。善後策を検討したところ、破風板を取り除いて見ないと、根本的なことは分からないとのこと。大掛かり過ぎるな。まあ越水するといっても年に数回。台風と集中豪雨さえ我慢すればいいか。そもそも実害も無いし。という訳で今回は断念す。
 京浜東北線で架線断線。東海道も横須賀も全部止まる。何処も彼処もメンテナンスが追いついていないな。また先日の東急線の設備故障は施工不良+点検不備とのこと。大儲かりしている会社でも此の為体である。
 月波君がボロ市を見たいというので、夕方出掛ける。吾人は徒歩で、月波君は渋谷からバスで参る。直ぐに日が暮れて来て、夜市の趣き。温めたワンカップを飲みながら出店を覗く。ナイトバザール。こういう雰囲気は中中味わえない。色色と面白そうなものも売っているが、併し此れ以上、箪笥の我楽多を増やしてもね・・・。少し油断しただけで、家は人生のゴミ箱と化すからな。結局何も買わずに松陰神社横の居酒屋、西太子堂の中華屋、三軒茶屋の立ち飲み屋と三連戦。夜も暖かく、文字通りの飲み歩きには都合がよかった。泥酔して帰宅。十時就寝。


12/15・金
 午前中は曇る。台車が壊れて動かせなくなった新幹線が名古屋駅を占有す。御蔭で交互発着できないので上り線は恒常的に遅れが発生しているとのこと。新幹線史上初の重大インシデントである。結構危ない所であった。整備不良だな。大丈夫か。一方ライバルの飛行機の会社は整備士も操縦士も足りないらしい。
 午後も寒い。夕方前出社。冬期講習の時間割を決める。するとCAを務めているKさんが尋ねてくる。入社二年目だが、もう国際線にも乗っているとのこと。人手不足である。深夜早朝はタクシー送迎もあるらしい。儲かっている大企業は違うと思った。其れに運輸業の中でも、飛行機は晴れの日の乗り物、華があるな。偶にはエアラインに載って見ようかと少し考えた。でも飛行機はやっぱり怖い(新幹線も)。早目の退社後は晴雷亭で中華丼(530円)。其のまま自分で自転車を運転して帰った。


12/14・木
 『怖い絵』経由で、堀田善衛の『ゴヤ』に到達す。芥田先生に推奨された時は、ゴヤとゴーヤの区別も付かなかったが、爾来一年、漸く読み始めるところまで辿り着いた。併し分厚い文庫で四分冊、大変な大著である。冒頭の「スペイン・光と影」を少し読むだけでも、スペインという国(そもそも国ですらないのかもしれない)の困難さが伝わってくる。ところで芥田先生で思い出したのだが、先日亡くなった重電メーカーの元会長は、先生が大学院で学んでいた時にお隣の研究室にいたのだという。原発を矢鱈推進し、会社を潰す原因を作った人である。政治思想などをやっていたのだから、もっと大局的な判断ができなかったものだろうか。つくづく残念である。
 今日も冬型の晴れ。異様に寒い。昼は池尻の「ホーチャン本店」で天麩羅そば(500円)。生蕎麦を茹でているので案外旨い。ゴヤの後、吾人も年賀状を作成す。今年は少し近況報告を挟もうと努力す。といっても大した報告内容がないが。


12/13・水
 関東はピリカン。関東以外は大雪らしい。午後早目の出社。滞留した事務仕事を片付け、年賀状を作成す。金参万円受け取る。そう言えば、小学六年のO君に「先生の授業は為になっているかは分からないが、色色と話される内容は何だか為になっている気がする」などとしげしげと言われた。何か心に残る所があれば、其れで十分である。退社後は立ち飲みBへ。色色な皆さんがいらっしゃったが、酔度が異なるので、今一つ会話に参加出来ず。夜はもっと寒い。


12/12・火
 再びの冬型。今季は厳冬だという。散歩がてら買い物に。大橋まで参る。まず駅直結の中型書店で『怖い絵』の続編を二冊。其の後は、ラーメン花月ではなく、「香月」に入る。元祖背脂チャッチャの店。元元は恵比寿にあったらしいが、近所で出来たり消えたりしている不思議な店でもある。最も基本的なラーメンが850円。諸物価高騰中だと思った。元を取ろうとサービスライスまでうっかり注文す。でもラーメンに付いてきた御飯って、食べるタイミングが掴めないよな。肝腎のラーメンは細麺で上品な造り。一昔前のヒット作である。ただ器が矢鱈大きく、多くのスープが無駄になる仕組み。もっと器を小さくして少し安くして欲しいものである。ライスの方はラーメンの具沢山な所を口に含んだ時に一緒に掻き込んだ。
其の後タワーマンション一階のスーパーに。併し大橋も変わったな。螺旋階段のようなジャンクションが出来ているそうだが、生憎通ったことは無し。ただ地上を行き交う人人には迷惑な存在で、歩道には風よけのアクリル板が増設されていた。既に数千本の傘をへし折り、数十人を吹き飛ばしたのだろう。
名古屋辺りの東海道線で架線切断。朝から夕方までたっぷり止まったそう。中京圏は大混乱だった筈だが、全国のニュースには全くならないから不思議である。名鉄振替だから大した不便はないのかな。夜は「ガイアの夜明け」。外国人技能実習生の問題を指摘していた。此の問題は今に始まったことではないが、いやしかし、一万二千円の高級ワンピースを時給400円の人が岐阜の田舎で作っていたとは。アパレルというのは恐ろしい業界だな。


12/11・月
 朝から晴れ。朝から勤労意欲が漲って来たので、梯子に上り、蔦を払う。物置小屋の屋根は剥いだが、高い所までは取り切れなかった。茎は切断したのでゆくゆく枯れて行くだろう。久久に領地が回復したので、早速シロが上がり、日向ぼっこをしていた。働いた甲斐があるというものである。更に須見伯母が来訪。庭木弄りも手伝う。月曜朝から重労働である。
 午後千寿に出校。師走には生徒も疲れて来るらしく、少し早目に切り上げる。其のまま帰宅しコンビニ食。往路も復路も『震える舌』の原作(講談社文芸文庫版)を読み耽る。映画も凄いが、原作本の方も凄い迫力である。医師兼作家である石黒達昌氏による解説も佳い。


12/10・日
 リニア式土管新新幹線の工事を巡って、大手ゼネコン会社が取り調べを受ける。新聞には九兆円のビッグプロジェクトとあったが、何時の間にか四兆も増えたらしい。此の先どれだけ膨張することか。
 今日も晴れた。割と暖かい。久久に何処にも行く予定の無い日曜日。有名プロ野球監督の奥さんが急死。所謂悪妻扱いされていた人だが、本当の所は分からない。特に女房に先立たれた男性は寿命が縮むというから、監督が心配である。
夜は暇に飽かせて「スカイバウンド」というB級映画を見る。大空の密室劇は一瞬面白かったが、内容はC級であった。いやしかし、よくこんな映画作ったね。何か褒めるところがあるとすれば、電波障害により現在起きていることが分からないので、主人公たちが機内の古新聞から何とか推測しようとしていたところ。スマホ中毒の若者としては少し涙ぐましいと思った。


12/9・土
 朝から良く晴れた。昼飯、夕飯、猫の飯と買い物は三便。昼時のステーキレストランには行列が出来ていた。ボーナス月でもある。みんな輸入牛だけどね。晴れてもやっぱり寒い。御向かいに遮られ、一階は二時半には陽が沈む。また近所の店舗兼住居の長屋も、謎の胸像のある立派な家も取り壊し。こうして身の回りから昭和が消えて行くのである。


12/8・金
 渋谷の放送局に受信料を支払うことは概ね義務であるとの最高判決が。強制加入、詰まり自賠責保険国民健康保険国民年金と同じように実質的な税金であるな。此れでは、彼らが一番嫌がる「国営放送」になって仕舞うと思った。両者が対等な契約であるという建前があれば、もっと視聴者の意見も聴くだろうに。国民の声を届けるという御題目のもと、政治介入が益益進むかもしれない。今月の電気使用量293キロワット。前年比10%減。既にエアコンは終夜運転の一日二十時間勤務だが、まあまあ少ない。新型転換効果が出ているのだろう。
 朝から曇天。午後出社。夕方から冷たい小雨。雪でも降ってきそうで。退社後は晴雷亭で炒飯を当てに酒を二合。中から温めて帰る。其れでも寒くて、祐天寺の本屋に緊急避難。何か買わないといけない雰囲気なので、『怖い絵』の文庫版を購入す。美術のことなど何も知らないので、こういう本をまずは手掛かりとしたい。
帰宅後にケーブルテレビでやっていた「震える舌」。幼い娘さんが破傷風に罹患して酷い目に遭ったというだけの内容だが、極めて恐ろしい作り。此の映画を確か小学生の時分にテレビで見て、世の中にはこんなに理不尽な病気があるものかと衝撃を受けたものである(ハショーフーの語感は極めて爽やかなのに比して)。爾来三十余年、今見直しても矢張り恐ろしい。特に血まみれの痙攣シーンなどは・・・。ただ此の映画、子どもが親の手に負えなくなると言う点で、反抗期の隠喩だな(「エクソシスト」は第二次で此方は第一次)。
それにしても、破傷風日本脳炎狂犬病結核、何とか熱、何某菌、ああだこうだウイルス・・・等等、こうした感染症のリスクは極めて小さくなった。医療の進歩、公衆衛生の向上、詰まりは文明化の偉大な恩恵である。まずは感謝しなくてはならない。其れでも病気は益益恐ろしい。我が身を見れば、加齢に伴う病気に震える日日である。幸い血圧と血糖値は高くはないが、尿酸とコレステロールと眼圧が高い。そろそろまた健康診断を受けなくては。


12/7・木
 朝から晴れた。両家人に弁当を食べさせ、吾人は家電量販店へ。購入したのは千円余りのキーボード。先代のパソコンから引き継いだものは十年選手で、左側のシフトキーの損耗が激しい。今回交換に至った。何しろひらがな打ちだから使用頻度が違う。併しキーボードもピンからキリまで色色とある。成るべくタッチが固い物を選んだ。万年筆や原稿用紙にこだわる作家さんは沢山いたらしいが、キーボードにこだわる人はどれくらいいるのだろう。パソコンの中身はみんな一緒だから、そういう外部品ぐらいしか最早こだわりが持てないと思うが。
グレとミケが喧嘩をしたらしく、同じ小屋に入らない。此の場合グレが追い出されて仕舞い、憐れにも無宿猫である(庇の上の座布団で寝ていた)。止むを得ずもう一軒建て増しす。此れで猫三匹に猫小屋が三軒。猫もひとり暮らしがいいらしい(シロは元元個室対応)。ひとり寝は寒いんだけどね。
 またTさんが何かやらかしたらしいが、知らない自由を行使させて頂くことにした。暫らく中東に目が向いてくれると、東アジアに時間的余裕が出て来るというものである。いやしかし、他人の不幸で喜んで仕舞っては往けないな。


12/6・水
 国連事務次長が平壌入り。アメリカは取り合わないようだから、愈愈国連に助け船を求めたらしい。そろそろ何とかしないと危ないことになると思った。また政府は巡航ミサイルの検討を始めたという。明らかに憲法違反である。北の皇帝も件の国営アナウンサーも益益激昂するな。今の所は半分以上は冗談だが、伊那への疎開も検討しようと思う。併し何十年も戦時体制が維持できるという北の政治体制も益益不思議である。いい加減、草臥れて来るだろうに。それにしてもAとTを何とかしないと本当に本当の無茶苦茶なことになるぞ。
 一日晴れ。暇に飽かせて「インスタグラム」というものも始めてみる(インスタグラム=簡単に言うと、画像投稿SNS)。かと言って取り立てて載せる写真も無い。猫と鉄道を撮ったものを幾つか挙げてみた。フォロワーが付くとも思えず。まあ其れは吾人が此れだけ書き溜めた文章とて同じことである。そもそも吾人は投壜通信の積りでやっている。何時か誰かに届けば、其れで十分である。
 午後出社。面談によると、O君に続きEさんも不登校になっているとのこと。明るい子だった故に、少し驚いた。共に中学一年生である。其れでも当学院には通って来ていたから、まるで気が付かなかった。つくづく中学校とは過酷なところだと思った。まあ不登校というのは色色と面倒だろうが、それでも家と学校以外にいるところがある子は、まずは幸せであると考えるべきであろう。特に最近の大貧学院は、トモエ学園化が著しいので、通いやすい環境であることは間違いない。無理して登校し続けて心身を病んだり、其のまま引き籠りのようになるよりかは、幾らかは増しだからね。退社後は中華立ち飲みへ。夜は結構冷えた。


12/5・火
一日概ね晴れ。家人は銀座で昼餐会。老家人にはコンビニのオムライス(450円)を食べさせ、吾人は「せい家」のラーメン(540円)。何とか兵衛という寿司屋に行ったらしいから、一人当たりは二十倍だな。まあ偶には贅沢して貰わないとね。猫にもスーパーの刺身を食べさせた。風が吹き、何度も落ち葉掃き。流石にザギンのシースーは旨かったらしい。感動気味に語っていた。


12/4・月
 朝方はかなりの宿酔。久久に黄色い物を見た。昼は煮麺。一日曇り。午後出社。此方の生徒に京成のイメージを聞いたところ、台風に強いという答えが。成程、何かいい所が必ずあるものだと思った。退社後は「かつや」で「ロースカツ定食」(745円)。例によって肉に何の味もないが、此の時間に此の値段である。店内は大混雑していた。
 夜はノンアルコールビールを飲みながら「呑み鉄本線日本旅・三江線」。列車本数があまりに少なく、周辺は超過疎地帯ということもあり、途中下車先に難渋していた。此処もあと数ヶ月で廃線である。完全休肝


12/3・日
 朝から出掛ける。目的地は佐倉。歴史民俗博物館の「1968年−無数の問いの噴出の時代」展を見る為である。千葉市在住の芥田先生もお誘い申し上げだが、生憎津和野に出張中との事。学生だけの参加となる。まず東西線で行けるところまで行き、京成線に乗り換える。西船橋駅から京成西船駅までは徒歩数分。まあでかい駅だと思えば腹も立たない(何しろ此の経路が一番安い)。併し西船橋といっても、JRと京成では丸で別物。前者は殷賑な駅ナカ商店街まであるが、後者は昭和四十年代で時が止まったかのような廃れよう。釣りかけモーター車でも走って来そうである。此方の線はスカイライナーも通らなくなったから、何だか見放されているな。やって来た新型の電車に乗り、只管下る。各駅停車は臼井止まり。後から来た快速も佐倉止まり。成田まで行くのは今もって一時間に三本しかない。酷いダイヤだと思った。北総や東葉高速は運賃バカ高、京成自体も決して安くはない(西の私鉄に比べて)。千葉には碌な鉄道会社がないと思った。いやしかし、こうして京成を各駅停車で巡ることは今までなかった。万事興味深い。
 博物館近くの「長寿庵」という蕎麦屋でアルコール休憩。月波君、藤松君、客乃間君の順に到着合流。中量飲酒ののち、今から歴博に行くのですよと言うと、店のおばさんが招待券(800円相当)をくれた。蕎麦代が只となった形。案外得をした。長者庵だな。さてさて企画展は、結構な人の出。特に大学紛争のコーナーに人が集まる。若い人もいるが、現役で暴れていたような人も多い感じ。しかし大権力や大資本や大空港相手に闘うことはあっても、大学の先生を吊るし上げようとはなかなか思わないな。まして芥田先生を。其れに問いはあっても、答えを探して来なかったから、日本社会は此の為体である。社会運動の類も一旦途絶えると流れを取り戻すことは容易ではない。
 その後常設展を中世から近代まで歩く。併し此処の展示物は膨大で、行けども行けども昭和まで辿りつかなかった。四時頃退出。佐倉在住の藤松君の案内で、「幸」という食堂で一献。吾人らは刺身定食。魚の食えない客乃間君は国産豚のとんかつ定食。店内はあっという間に満席。なかなか優れた店であると思った。さらに「福来軒」という中華屋にも寄る。
帰りはJRとなった。各駅停車で千葉まで出て、総武快速に乗り換える。大分止まっていたが、一旦走り始めると結構速い。120キロ運転である。新快速ほどではないが、圧倒的な走りである。此れでは京成は一たまりも無いな。京急のようにJRに対抗しようという気力も湧かないのだろう。態態鉄道で頑張らなくても系列のテーマパークは大儲かりだしね。結局品川まで乗り通す。山の手で目黒。運賃1144円。京成経由より勿論相当高いが、此れは快速料金込みだな。目黒からバス。九時半帰宅。


12/2・土
 朝から牛丼Sへ。入浴の次は散髪ということで、数百メートル離れた理容店に連れていく。行きは急いでいたので車椅子。帰りは歩いて貰った。兎に角、一日一仕事である。七号室正式退去。御菓子を貰った手前、うっかり持ち去って行った物干し竿の事は切り出せず。まあ相殺だな。買い物は二便。早速近所の工具屋で物干し竿を補充す(1250円)。その他は取り立てて無為。夜は缶麦酒一、白ワインをコップに半分。ほぼほぼ休肝


12/1・金
 昨日と同じようなお天気。老家人が久久に入浴したいという。浴室を温めるためにまず吾人が先行入浴す。朝風呂など滅多にしないから、何だか調子が狂う。其の後家人の付き添いで入浴。恐らく二週間ぶり。来年からは訪問入浴でも頼むしかないな。そう言えば施設に入っていた万代伯母などは、意識混濁、呼吸不全の状態でも入れられていた。流石に臨終の数日前に中止となったものだが。
 皇室会議改元はひと月遅れて再来年の五月となる。統一地方選に配慮したという事らしいが、何だか不自然。大体メーデーだろ。会計年度に合わせた方がいいと思うが。やはり四月と報じたA新聞へ当てつけだな。まあ、五月一日を臨時祝日にすれば国民も喜ぶ(すると三十日も二日も休みになるらしい)。大衆天皇制というやつだな。併し此れで、昭和、平成、新元号と、三つを頭の中で変換しなくてはならない。もう、無理だな。あ、そうそう大正生まれもいるぞ(老家人は大正十四年生まれである)。
大相撲の場外乱闘は依然継続。幸い、我慢し切れなくてついつい発射した北のロケット問題も霞んでくれた。またT親方は蒙人横綱を目の敵にしているよう。併し彼らの働きがなければ、国技館などとっくに昔に川崎球場になっていた筈である。感謝すれこそ、わざわざ非難してもね。大体日本人だって品格も何もないだろう。
午後出社。退社後は晴雷亭に鶴木さんを尋ねるも一足違い。ひとり酒である。其の内、大将から連絡があり久久にバーIへ。実に一年振りである。マスターもX女史も元気そう。大将から日本酒を貰う。父君の二十五周忌だそうで九州に帰省していたとのこと。

2017年11月

11/30・木
 五号室からは大量の一般ゴミが。通路に積み上がっていたので吾人も手分けして出した。以前部屋に入った工事屋さんによると、中は滅茶苦茶でゴミ屋敷のようだったと言うから、少しは整理したのかな。どんどん消費してばんばん廃棄しなくては経済も滞る。日本全国ゴミ出し無料の日を作れば、消費も盛り上がるな。買うためにはまず捨てなくてはならない。つまり金利をマイナスにして供給サイドにテコ入れし、生産性を革命的に向上させたとしても、凡そ無意味である。此の点は『消費低迷と日本経済』という新書にも詳しい。
 一日曇り。夜は豚バラ白菜鍋。出掛けてばかりいた十一月も終了。見直してみると旅行関連の記述も多いが、ゴミに関しての記述も非常に多い。さながらゴミ日記である。


11/29・水
 相撲部には危機管理委員会という部署があるそうである。最近は大忙しらしい。併し大相撲の危機を管理するとは何だろうな。まさか国技館が火事になったり、力士さんが交通事故に遭ったりすることに備えていますという訳ではあるまい。此の危機管理という取って付けたような名前そのものが、力士の暴力行為への想像力の無さを示している。(同協会には生活指導部というのもあるらしい。本来的には此方の管轄だと思う。)
改めて考えてみた、そもそも相撲の危機とは何だろうかと。恐らく其れは、相撲自体が国民から見放され、何だかまだやっているなぁーという感じになり、国技館が嘗ての川崎球場のようになり、例えば日本放送協会が、中継をそろそろ千秋楽だけにして貰えませんか、などと言って来ることだと思った。
事態は正反対である。相撲協会の皆様、今回の傷害事件は不幸でしたが、全く御安心くださいませ。マスコミその他の燥ぎようからして、本質的な危機は実は相当遠いものであります。みながみな、相撲が大好きなんですよ。―――― 結局当該横綱は引退へ。怒らせた方の力士も引退同様だな。こういうことが続くと、何時か本当の危機に陥るな。
朝から晴れて暖かい。午後出社。暇なので広告宣伝活動。あっという間に暗くなり、サスペンデットである。丁度宣伝促進用のマグネットとシャープペンシルも尽きた。そろそろ今季終了だな。併しこうやって、校区ならぬ学院区を歩いて見て、みなさんが実に恐るべきところに住んでいるということに気が付く。路地の奥の奥、狭い私道の奥の古い長屋の向こうに更に二軒といった感じ。恐らく一切陽が当たらないだろうし、消防車は勿論、救急隊や霊柩車のストレッチャーも入らない。所謂木造過密地帯である。住民の多くは高齢者だろうが、もう少し何とかならぬものか。全部潰して高層マンションに建て替えろとまでは言わないが。こういう住宅事情見ると、つくづく此の国は中進国止まりであると思った。
退社後は立ち飲みBへ。珍しくD君、いやもう一大立ち飲みBチェーングループのD大常務取締役がいた。昔のよしみということで、生牡蠣だの馬刺しだのと色色と勧められる。あっという間に2700円。食べ切れない鰯はミケに食べさせた。


11/28・火
 北のボロ漁船の遭難が相次ぐ。日本海沿岸に次次に打ち上げられている。激しいノルマを掛けられているのだそうで、嵐でも引き返せないらしい。つくづく酷い国家である。仮に核放棄若しくは開発の凍結を条件に、本領安堵したとしても、こうした人人の苦しみは変わらない。かと言って北の人民を解放するために全面攻撃するという訳にも行かず。せめて筏か何かに食料を括り付け北朝鮮に流せないものか。構造的に東風は吹かないか。
 バリ島のアグン山が噴火。バリ島は火山島だから実は山も魅力がある。何を隠そう吾人もバリには行ったことがある。十日ほど滞在し、インド洋で足を洗い、何とか高原で涼み、そしてアグン山の次に高いバトュール山に登ったものである。其の際、北欧のOLと一緒のグループになったので、拙い英語で話し掛けた。ハウロングイズユアバケーション? トュー・・・と応えて来たので、何だ案外短いなと思った途端、其の後の単位はウィークではなく、マンスであった。欧州と日本のある意味での格の違いを見せられた瞬間であった。あれから十数年。いまだに日本人は休みをデイで数えている。幸い噴火は軽微らしい。
 今日は不燃ゴミの回収。二号室から出された網棚や物干し竿を解体して出す。逆DIYだな。作ることは出来なくとも、其の反対は何とか可能である。幸い金属類は回収屋さんが直ぐに持って行ってくれた。
先日の「終末日記」を手掛かりに『全体主義の起原』のⅡ巻目を読み直す。1940年生まれの著者には入党→査問→離脱という経験がある。90年頃から藤田省三氏主催の読書会に参加し、アレントに出合ったとのこと。「外され者」が共産党に入党するという過程は、「全体主義体験」に良く似ているところがあるそうである。そういった人生及び読書経験も同日記には詳述されている。
午後になると月波君から資料が送られてくる。伊那に行って欠席した行政法のリポートを書いてくれと。彼は未だに放送大学に通っている。土曜日はスクーリングだったそう。二十年ぶりに法学部に戻った感じで調べ始める。でも方角違いだから、あんまり書き進まず。


11/27・月
 昨日の新聞を見ていると、丁度二十年前の今頃は恐慌寸前といった状況で、一部金融機関では取り付け騒ぎも起きていたのだという。ただマスコミ各社は報道を自粛。大混雑した銀行内部(引き出しに来たお客は意地でも外には並ばせないのだそうで)の写真はお蔵入りとなったそう。インターネット以前の事である。いささか牧歌的だと思った。
 今日から衆議院予算委員会与野党の時間配分変更の為、何時まで経っても与党の質問が終わらない。其のまま千寿に出校。退社後は「福しん」で炒飯のみ。ほぼ休肝


11/26・日
 朝から活動す。まず粗大ゴミの搬出。地方紙に広告の出ていた民間施設に持って行く。掃除機一、ガスコンロ二。無料で引き取って貰えた。続いてブルーベリーの木の撤去。
 昨日の鍋物にうどんを入れて軽い昼食とす。今回は伯母も含めて下山す。次に来るのは年末とのことであるから、冷蔵庫の残り物を片付け、水道管の凍結防止措置もせねばならない。今回は吾人が代行することになった。まず薪ストーブの鎮火を確認、元栓を締め、管に残った水を抜き、凍結防止ヒーターを点ける。高級官吏を務めている従妹の健二君が官僚的正確さを以て作ってくれた詳細な手引書を元に作業するも、何回確認しても安心できず。締めたところを何度も伯母に見直して貰った。やや強迫神経症的である。そもそも吾人には家を留守にするという習慣がないからな。結局余った茸や野菜や御菓子の類を、伯母や月波君、吾人の鞄に分散搭載。其れらに加えて吾人は大量の空いた酒瓶を持って帰ることとす。
 伊那北駅前の古い中華屋で休憩し、乗用車を返却。二時過ぎの飯田線に。岡谷で「あずさ22号」に乗り換え。昨日の内に座席指定は取っておいたが、連番はなく、通路側に分かれての着席となる。本日も指定席は売り切れとのこと。甲府で大量乗車。例によって自由席車両は溢れ返り、隣席も埋まった。併し超満員の特急というのも感心しないな。シーズンオフと見えて臨時も出ない。来月からあずさには新車が入るらしいが、先ずは此の貧弱な輸送力を増強して欲しいものである。
ちなみに御隣の大荷物の御婦人は鳥取に行くらしい。御苦労な話しである。ハイボールを呑むふりをして行程表をちらっと見たところ、八王子で横浜線に、新横浜で新幹線、最後は「スーパーはくと」に乗り継ぐ模様。そんな大荷物で大乗り換えなどは大変であろう。吾人ならば身延線の「ふじかわ」で静岡に行き、其処から「ひかり」に乗る。またまた経路検索ソフトに騙されているのだと思ったが、生憎手元に時刻表がないので確かめられず。併しそもそも西に行くのに、一旦東に行くというルートは、あり得ないな。わざわざ都心に向かい混雑を増すことも無いだろうし。
新宿駅定刻到着。伯母とは此処でお別れ。月波君と適当な酒場で軽く飲み、空き瓶にカチャカチャと音を立てさせながら七時過ぎに帰宅す。


11/25・土
 遅目の朝食。のちに木曽の方に出る。蕎麦を食べ、伊那に戻ると三時過ぎ。日帰り温泉施設に行く。人気の施設だが、来月は二週間休館するとのこと。ボイラーを木質ペレット式に換装するのだという。近所には間伐材や風倒木が有り余っているから、どんどん燃やすべきである。石油を燃やしてもアラブの王子様が喜ぶだけだからな。夜は鍋料理。月波君は疲労の為か早目の就寝。伯母も床に就き、泥酔した吾人だけが取り残される。不寝番をする覚悟で薪をくべ続けた。持参した『川上徹《終末》日記』は幾らも読み進まず。


11/24・金
 連日マスコミ各社は横綱の暴行問題。どうでもいいようなことで、よくよく盛り上がると感心す。併し多くの視聴者は、身近な会社や組織でしばしばあることであると、ある種の納得を以て見ていることなのだろう。狼藉を働いたらしい若い平幕、激昂した横綱、あくまで法廷闘争に持ち込もうとする親方、まるで管理能力の無い相撲協会、其の何処かに何かしらの既視感や親近感や嫌悪感がある。詰まり一種のRPGだな。
 退去した七号室の水が止まらない。洗濯機用の蛇口が劣化している模様。何しろ三十五年物だからな。不思議なことに元栓を閉じても止まらない。早速内装屋さんを呼び立てた。またプラスチック容器の解体を試みるが、案外丈夫で断念す。ハンマーで叩いても、ぐんにゃりとしか壊れない。腹立たしいこと限り無し。北欧のグローバル企業の製品だが、こういうものを頑丈にされては、世田谷の家主も、ゴミ収集車の人も困る。つくづく家具備品類の使い捨てはやめて欲しいと思った。
 夕方になり新宿駅に参る。今日から再びの伊那である。同行は月波君。吾人は大貧学院を休講としたが、仕事が忙しい月波君は夕方にならないと行けないという。六時過ぎから新宿で待ち構えていたが、七時の列車には間に合わず、結局次のあずさとなる。七時の次は八時ちょうどの「あずさ33号」だが、此れだと岡谷で二分の接続で駒ヶ根行き最終列車に乗り移れる。
何だか時間にゆとりがないというのに、折り返しの28号は山梨県内沿線火災の影響で二十分も遅れて来た。車内清掃を大急ぎで行い、蜷局を巻いて待っていた満員に近いお客を一気に飲み込み、大慌てで出発す。遅れは十分程度。併し都内ののろのろ運転で遅れは却って拡大す。トーキョーのセントラルラインが此の程度の線路状況ではね。ちなみに通勤ライナーは軒並みの満席、混雑の為か当初から全列車に数分の遅延が発生していた。
漸く山間部に入る。幾ら車体を傾けて全力運転しても、現状維持が精精。少少遅れても支線系統は接続を取るのが習わしだが、何しろ東と東海は仲が悪いからな。もう待てませんと飯田線が仲たがいして行って仕舞わないか冷や冷やす。甲府を過ぎた辺りで、接続確認が取れましたと車内放送がある。一安心である。車販員から白ワインを購入。岡谷で飯田線に無事乗り換え。213系の二両編成。疎らであるが席も埋まっている。結構なことである。
 伊那市到着11時半のちょっと手前。もう真夜中といった感じ。どういう訳か粉雪が舞う。遅れちまった悲しみに…、今日もなんとやら。ならば中央線は毎日大雪である。まあ、此処まで来ると遅れたところで困る人もいないけどね。
繁華街は森閑としているが、其れでも給料日の金曜日ということで、酔客もちらりほらり。飲酒は最大の娯楽であるな。駅前通りの深夜までやっている中華屋で一服し、タクシーで上がる。よく道を知ったベテランさんで2800円で行ってくれた。区間最安タイ記録である。宵っ張りの伯母も既に就寝中であった。


11/23・木
 朝は大雨。其れでもシロが上って来た。午前中は漫然とす。昨日は一万三千も歩いたからかもしれない。疲れと酔いが取れない感じ。一階の七号室が退去。そうなると引っ越しゴミの分別である。何しろ途中から二人で住んでいたから大量である。粗大ゴミと家庭ゴミの境界で悩む物多数。プラチスック製のケースだが、ハンマーで叩き壊すか。そうこうしている内に、二階の六号室も入居。何だか引っ越しラッシュである。挨拶に行くも当人は不在。
御昼には降り止み、急速に晴れた。折角暖かいので、イヤダカライヤダという老家人を散歩に連れ出す。二百メートル先で折り返し。復路途中から車椅子搬送となる。何とかもう少し意欲を持って貰わねば。夜は宅配ピザ


11/22・水
 朝方は三度まで下がる。となると猫も起こしに来ない。いい傾向である。薄曇り。夜は雨になるというので徒歩出社。中華立ち飲み、佐渡屋と行くうちに、バスに乗り遅れる。かといってタクシーで帰るほど酔ってはいない。併し歩いて帰るには寒い。久久に東急経由で帰る。下り下り上りと乗り継ぐ。此のルートで帰るのも随分久久だと思った。十年振りぐらいかな。


11/21・火
 綺麗に晴れた。晴れた分だけ、昼間は少し暖かい。昼は野郎ラーメン(780円)。隣家の片付けも再開。掛け布団は半分に切って家庭ゴミに。敷布団は・・・、無理だな此れは。
 買い物は二便。近くの肉屋で切り落としを買い、晩は鋤焼きにした。併し例によって老家人は神経痛。痛くなったら直ぐに飲むようにと言って措いた市販の鎮痛薬(ロキソニン)の使用が遅れ、また八つ当たりみたいな状況に。風呂にも入らない。つくづく年寄りには付き合い切れない。


11/20・月
 朝からずっと寒い。午前中は何だか漫然とす。午後千寿に出校。夏前後はサボっていたが、不要紙の持ち帰りも再開。一回数センチ。一月で二十センチ。順調に行っても撤去には数年掛かる計算である。まあ学習指導と違って、此方は確実な成果が上がるからね。
ホームでぼんやりとしていると、アジア系の男性に五反田は此の線かと尋ねられる。併し此処は千寿である。きっと五反野の間違いだろうと何度も問い正す。矢張りどうしても五反田に行きたいらしい。ならば此のまま乗って、アサクサターミナルで、トエーイサブウェイにトランジットするよう案内す。併し何処まで分かったかは分からない。三崎口とかに連れて行かれなければよいが。いやしかし異国からやって来て、此の超複雑な鉄道網に相互乗り入れと快速運転。悪夢のような大迷宮だろうな。乗り間違えれば即圏外(県外)である。いっそサボ(行先票)のようなものをぶら下げて歩けば、乗客がどんどんと教えてくれるだろうと思った。
晩食はコンビニ弁当に麦酒を一缶。ほぼ休肝。夜も寒い。しっとり冷たい帳が下りた感じ。夜中になって今更ながら映画「CUBE」。無数に近い立方体に閉じ込められた男女の脱出模様。巨大施設の目的も、放り込まれた理由も分からないから所謂不条理劇である。其れに立方体は移動するから、差し詰めルービックキューブである。併しあれは全く出来なかった・・・。だから列をなして移動する直方体の方に詳しくなったという訳でもないけど。


11/19・日
 朝から外出す。目的地は秩父。三年前にも行った、新そば祭りである。池袋駅で月波君と客乃間君と合流。九時半の特急で参る。会場には十一時過ぎに着いた。例によって大行列。カップ酒を大量に買い込み、岩魚の押し寿司、焼き鳥、椎茸の天麩羅、芋揚げ等等を肴に飲み始める。晴れて寒いが人出も多く、一部の蕎麦は売れ切れて始める。慌てて動きの良い列に並び、鴨そばを食べた(700円)。其の後送迎バスで市内に戻り、神社等を見物。併し「パリー食堂」は休憩中の模様。秩父の名物なんだけどね。盆地では三時には陽が陰り始め、途端に寒くなる。酔いも回り、歩くのは草臥れる。
 それでは帰りましょうということで駅に戻ると、上りの特急は満席。適当な列車に乗り込む。各駅停車飯能行き。4000系というクロスシート車に当たって良かった。飯能と小手指で乗り換え。何だかみんなで「福しん」に寄りたいということになり、練馬で途中下車。餃子、回鍋肉、炒飯等等。蕎麦の後は味の濃い物を所望す。吾人らは地下に潜って帰った。JR経由よりかなり高いが、休日の地下鉄は空いているから(山の手はラッシュ並みだろう)、不快指数は少ない。七時前と早目の帰宅。九時就寝。
 それにしても、行きの特急も満席、西武秩父駅併設の観光施設も満員、秩父神社にも観光客の姿が目立った。西武鉄道秩父観光地化計画も成果が出ている模様。養蚕で栄え、交通の要衝であった黄金時代(鉄道以前の頃)を取り戻せるかな。秩父というのは決して埼玉のどん詰まりではなく、山梨にも、群馬にも、ひいては信州にも抜けられる。しかし雁坂トンネルを除いては道が非常に悪い。道路行政が此れだけ進んでも、十石峠などは冬季閉鎖だし、オーバーな言い方をすれば、秩父困民党事件の頃と大差ない。それでも何とか回遊型の観光客を引き込めればいいのだけど。歴史マニアと、酷道マニアはやって来るかな。


11/18・土
 ホテルにチェックインし、いざ大浴場に向かう。併しタオルを忘れたことに気が付く。取りに帰ろうとしたが、酔っているので自分の部屋が思い出せない。微かな記憶を頼りに、あっちのフロアかこっちのフロアかと、自室を探して館内を彷徨う。何時の間にか夜も明けた。空腹である。併し朝食券がないから食堂にも入れず。みんな旨そうに何か食べている。ホテルの中でホームレスである。酔いが醒めた頃になって、従業員に自室を尋ねればいいということに思いが至る。こんな簡単なことに気が付かないのだから、酔っ払いはつくづく駄目であると思った。併し余りに巨大な建物で走っても走ってもフロントに辿り着かない。何でホテルの中で走れメロスみたいになっているのかと自分で自分に突っ込みを入れたところで目が覚めた。
 当然目覚めは最悪。朝から小雨と冷凍のホットケーキ。板門店で保護された北の兵士は栄養失調の上、回虫まみれだったという。日本で言うと敗戦直後のような生活状況らしい。Aは厳しい冬に向けてセーサイキョーカだと叫んでいるが、せめて期限の切れた非常食ぐらい配ってやるべきである。腹が減るのは辛いものな。取り立てて無為。


11/17・金
 「区立図書館に関する調査」というアンケートが来る。でも図書館は余り使わないな。基本的に本は購入することにしている(特にネット古書店が出てからは)。どうしても買えないような本は閲覧に行くか、パッと諦める。特に借りて読もうとは思わない。そもそも二週間で読めるような本はない(どんな本であれ本当に読むとなれば何年も掛かる)。ところで公共図書館が本を貸し出しすぎるという苦情が出版業界から出ているようである。確かに身なりの良い紳士が数百円の文庫本を読んでいて、○○図書館というラベルが付いているのを見ると、文庫や新書ぐらい買いなさいよと言いたくなるけどね。でもどんどんと増えて溢れて返って来るからな。
 朝から一段と冬型の晴れ。午後からAの所信表明演説。うとうとしている内に直ぐに終わる。其の間十五分。もはや何のやる気の欠片も感じられず。Aとしても、まさか自分がこんなに長期政権になるとは思わなかったのだろう。愈愈ネタ切れである。本当に早く居なくなって欲しい。また角界は、(瓶ビールで)殴った、いや殴っていない、重傷だ、いや実はかすり傷程度だのと場外乱闘に発展。何だかますます分からないまま、横綱国技館で事情聴取。被害届を提出された山陰の警察もいい迷惑である。第一に出張経費が勿体ない。結局どうでもいいことばかり姦しい。
其の後に出社。祐天寺の立ち飲みBに寄り直ぐに帰った。なお九月から慌てて指導したG君はSK大学には不合格。やはり志望書を丸ごと代書すべきだったか。いやしかし、いつかばれるな。不真面目ではないんだけど、何しろ英語も漢字も中学レベルだから。


11/16・木
 作文指導の真髄が針小棒大にあるとは昔からよくあるいい方である。例えば「運動会で頑張った」は、全身全霊で臨んだとか、「演奏会で優勝した」は、会場は割れんばかりの拍手に包まれたとか・・・。こういう風に書くのだと指導すると、大抵の生徒はそんなに書いて良いのですかと驚く。まあまあある程度の誇張や多少の大袈裟は、説得力を増すにはやむを得ない技法の一つである。その反対のケースもある。余りの事態に表現力が追いつかない例である。文字通り筆舌に尽くし難いということになる(いいことも悪いことも)。どちらのケースにも言えることは、起きた事と表現が一致しないということである。
表現をする以上、一定程度の齟齬が生じるのは避けられないこととは思う。どんなに表現者が誠実で客観的な記述を心掛けたとしても、文章力が足らなかったり、状況認識が甘かったり、其処に過不足が存在するのは当然である。其れでも私たちは、書かれて来たことは、そもそもは信じるに足ることであると信じて来たし、其れで相違なかった。しかし巷間にはマスコミ批判、ジャーナリズム不信、はたまた本音トークフェイクニュースが溢れ返るようになった。
ネットやメールを通して誰もが表現する時代である。恐らく其の過程で多くの人人が、自分で書いた物と、実際に体験した事との間に、どうしても埋められない懸隔があることに気付いたのではなかろうか。其れは嘘を並べ立てる悪質な発信者に限らない。むしろ真面目な書き手であるからこそ、自分で書いた物には説得力が足りない、いや自分で書いた物だからこそ、それらはそもそも事実ではないと。事実と表現の不一致。其の苛立ちのようなものが愈愈拡大し、自分の書いた物が事実に遠いならば、全く同様に他人の書いた物も事実ではないのだろうと類推し始める。不信はアマチュアからプロの世界へ広がり、メディア不信、引いては自分に都合の好い事実のみを信じるポストトゥルースということにつながるのである。
此の相互不信の状況から、いかに事実であるということを再建すべきか。今風に言えば、メディアリテラシーと言うのだろう。だが其れは受信者としての能力を向上させることに偏って来た感がある。何しろ双方向時代なのだから、発信者としての其れも大切である。真贋を見極める目と耳を持つことと同様に、正しい口を持つこと。詰まり、新たな綴り方教室が必要なのだろうな。
 終日晴れ。昼は先日の「希家」でとんこつ醤油ラーメン(680円)。横浜の総本山より旨いとは思うが、店内の張り紙の「リニューアル記念」の記の字が紀になっていた。漢字の本家ではそう書くのかな。どちらも創業の地を遠く離れているから仕方がない。序でなので紀伊国屋書店も覗いてみた。教科書シーズンも終わり店内は閑散。というかそもそも本棚が埋まっていない。最近の学生は本も読まないからな。併し棚ががらがらという本屋も何だか寂しいね。矢張り溢れるくらい積んでいないとね。
帰り掛けに大型スーパーに寄る。此処は少し前から精算が自動化された。商品スキャンは店員が行うが、支払いはATMのような機械で御客が行う。年寄りは右往左往していたが、概ね作業能率は1.5倍といったところ。此れで現金不可、クレカオンリーにすれば更に上がるだろう。でも雇用が無くなるなぁ。夜は豚バラ白菜鍋。三人分で千円も掛からず。


11/15・水
 朝から新玉川線が不通。生憎家人は鎌倉に行く予定。利用するのは東横線だが、煽りを受けて目黒行きのバスも超超満員。何とか後ろ扉から乗車させて貰って見送った。最近駄目だな此の線も。送電設備の故障らしいが、老朽化に点検が追いつかないのだろう。ジュネーブでの軍縮会議で高校生が演説しようとしたが、何処かの国が圧力を掛けて来たと西日本新聞が伝えている。結果として日本政府が折れ、今年の演説は見送りに。こういうものはもっと報道されるべきである。
 御昼にはまあまあ晴れた。午後出社。元生徒のK君が尋ねて来て、どのデザインがいいか見てくれという。彼はコミックマーケットに色色と出店して生活費の足しにしているのだという。まるで門外漢だが、兎に角、もっと水着の面積を少なくするように指示す。でもコミケはエロは駄目なんだっけ。退社後は中華立ち飲みに。主要メンバーとは行き合えず。留守部隊の中で市ヶ谷さんが応対してくれた。市ヶ谷さんは都内あちこちを飲み歩いているというから、お互いの居酒屋情報を交換す。


11/14・火
 朝から重い曇り。午前中は漫然とす。午後は大貧学院の住所録の更新。来る人去る人、夏前から数えると結構な入れ替わりがある。併し変な名前が多くて閉口す。綺羅綺羅何とかというやつだな。『新字源』を引き引き、一字を呼び出すのに何分も掛かった。オペレーター泣かせである。夕方に掛けて結構降る。終日在宅。朝は不味いうどん。昼は絶食。夜も小食小飲に努めた。
 横綱が平幕力士を瓶ビールで暴行したと報じられる。今日から休場。即引退だな。酒乱なんだろうな。つくづく酒とは狂い水である。缶ビールにしておけば防げたのかなぁ。またホープ亭の代表も身を引くとのこと。知事業務に専念するというが、政治家としても近近終了であろう。序にホープ亭も早く閉店した方がいいだろうが、比例で受かった議員は店を移ることも出来ず。加計学園も正式認可。何から何までAの思うままである。望月のかけたることもなし。


11/13・月
 概ね晴れ。今日もゴミ出し。家作人の方からは靴だの服だのと色色と出されていた。衣替えか部屋の整理でもしたのだろう。此の時期の月曜日の可燃ゴミは特に多い。集積所には小山が出来ていた。幸い収集車がみんな持って行ってくれた。勿体ないことだが、有難いことでもある。ちなみに吾人の第二の故郷、伊那市などは幾つにも分別したうえに、一枚何十円もするゴミ袋を買い、わざわざ名前まで書かないと持って行って貰えない。其れに習い、いっそ東京二十三区の家庭ゴミも有料にしたらどうだろうかと思った。でも不法投棄が増えて世の中が滅茶苦茶になるな。其の上、ゴミ処理の事を考えて、物品の購入量が減るかもしれない。万が一にも東京の消費が僅かでも減れば、東京に大量の物資を出荷している全国津津浦浦の生産者様、世界各国の輸出業者様が困るだろう。二十三区ゴミ有料化不況なんてのもあるかもしれない。結局、税金を使って茫茫と燃やすしかないな。此れは世界経済の為である。
 気が付くと月曜である。まず徒歩で本務校に出社。先日実施した漢字検定の答案発送や、資源ゴミの搬出等。其の後千寿に回航。退社後は大橋の自動化寿司。帰宅後は昨日やっていた映画「シン・ゴジラ」。いやしかし情報量の多いドラマだと思った。ずうっと誰かが高速で喋っているか膨大な字幕が出ている。デジタル映画である。会議マニア、行政マニア、自衛隊マニアには堪らないだろう。矢鱈ディテールが細かい分、ストーリーの建設は中中難しい。へんな特使にへいこらする辺りの対米追従ぶりもやや紋切型。其れでもラストシーンは少少気になった。ゴジラの尻尾って、リバイアサンだよね。フクイチもゴジラも結局は人災という事である。


11/12・日
 冬型の晴れとなる。朝から外出す。月波君は東京メトロのモニターをやっているとかで車両基地公開の招待券があるとのこと。其処で千代田線の北綾瀬まで出掛けた。一枚で四人までは入れるというので、鶴木さんを誘ったが直前に不参加。仲田大将も低反応。
月波君と合流し、まずは会場近くの蕎麦屋で来るか来ないか分からない人を待つこととす。いい感じで酔って来たところに大将からラインがあり、会場近くまで来て待っていたが誰も来ないので今から帰るという。此れは困った。あんまりしつこく誘うのも無粋だろうと思っていたことが裏目に出て仕舞った感じ。出て来た盛り蕎麦を一分で平らげ、直ちに大将を追跡捜索す。何とか支線の電車内で身柄を確保。宥めて賺して上野に向かう。
 取り合えず座り飲みのBへ。どんどんと飲ます内に、機嫌も直った。大人の男性もこじらせるとつくづく面倒臭い。丸で駄駄っ子、子どもおじさんだな。もっと素直な心で行くとか行かないとか予め言って欲しいものである。以後は何時もの大量飲酒コース。二軒目は肉の大山。八時前に御開きとす。結局車両基地には一センチも入れず。色色と反省しきりの一日であった。十時就寝。


11/11・土
 一日晴れ。朝六時に起きて仕舞う。ゴミ拾いの後、先日の量販店に参る。チーンと鳴らす受付ベルを購入(1100円)。というのも、家人と老家人は既に何十年も別の部屋で寝ている。特に老家人は下の階で一人寝である。何かあったときの為の非常ベルにしようと思った。夜は鍋物にした。


11/10・金
概ね晴れ。午後出社。九時まで授業。退社後は佐渡屋へ。取り立ててどうということも無い一日。夜は風強し。而も南風。
帰宅後に映画「起終点駅・ターミナル」。佐藤浩市扮する元裁判官で弁護士が、元被告人である本田翼と触れ合う内に生きる力を取り戻すという話。冴えない中年男とピチピチギャルという組み合わせはある意味定番だな。其れに弁護士さんは完全無気力人間になっていた訳ではなさそう。何しろよく料理をして食べていたから(ザンギが旨そう)。食とは生である(但し性はなかった)。それにしても釧路も暗い(「そこのみにて光り輝く」の函館も暗かった)。大丈夫か北海道。JR北海道も既に十分危ないし(主人公は「スーパーおおぞら」に乗って再出発するけど)。其れは此の国の地方の姿だな。早く何とかしなくては・・・。吾人は乗り鉄だから、手っ取り早く乗って助けないといけないと思った。渋谷のみどりの窓口で釧路まで頂戴!!って怒鳴ったら、結構気持ちいいだろうと想像した。


11/9・木
 再び晴れた。買い物は二便。昼は上馬の中華食堂。ラーメンに小型の回鍋肉丼が付いて700円。一気に掻き込む。矢張り昼飯は物量重視である。その他の時間は税金の計算を進める。昨年を御手本にすれば案外簡単である。日暮らしエクセルに向かひて、心に移り行くよしなし領収書などを、そこはかとなく計上しつれば、怪しうこそ物狂おしけれ。早く来い来い確定申告である。
また一階は三時には陽が沈むようになる。御向かいの影である。猫も寒そう。冬至にはまだ大分ある。夜は大関のイトヨリを焼き、牛も焼いて食べた。


11/8・水
 昨日のラジオ放送で加齢に伴って散歩が好きになるのは何故だろうと討論していた。吾人も散歩は好きな質であるが、其れも大人になってからの事だな。別に何を見るという訳でもない。季節の変化より、街の変化とか、植木とか、他人の家とか、猫とか、些細なものに関心が持てるというのは大人の特権であろう。詰まり其れはストーリーよりディテールを愉しむ姿勢であると言える。大人生活に大きなストーリーってあんまりないしね(今更、出世も成長もしないし)。何か出来事があるとしても慶事より凶事であることが多いし。情報筋によると、元元アジアが何処にあるのかも知らなかったT大統領に、セーサイキョーカを吹き込んだのはAらしい。つくづく先月の選挙が悔やまれる。
日中曇り。何時もの診療所で処方箋。隣りのマンションはリフォーム工事に入る。買い取った会社の社長が住むようなことを言っていたが、どうも工事が大規模過ぎる(見たところ全ての造作を撤去してスケルトンにしている)。まさか民泊部屋とかにしないとも限らないな。
午後出社。此方も何時の間にか試験前である。此の所は週に一二度しか出社しないから少し戸惑った。今まであまり喋らなかったような女生徒からの質問多し。矢張り少し張り切るな。すいません。退社後は中華立ち飲みへ。鶴木さん以外はフルキャストで出揃った。偶にはこういう晩も無いとね。今更ながら背中が痛い。のこぎりの筋肉痛が今頃来たよう。


11/7・火 
留守中の備忘録。破茶滅茶大統領が来日して離日す。異例の厚遇ぶりは恥ずかしくなるほど。米国大統領と名の付く者ならば誰でもいいらしい。マスコミの過熱報道も少し可笑しかった。またAの応援団が復活しているのかもしれない。併しそもそも何をしに来たのだろう。武器のセールスをしたらしいが、対日貿易赤字だって、ひと昔の水準ではない。牛肉だって沢山食べてやっているだろうに。
座間の事件は犯罪史上最悪の規模となる。確定的な死への願望があったとは云えないまでも、死に急ぐような若い人が多くて驚く。そういう人たちはまず酒場に行くべきあろう。女性ならば一層歓迎される筈である。店主や常連客と恋仲になるかもしれない。いっそ焼け糞で籍を入れてもいい。結婚生活を監獄に例える人も多いが、二十四時間入っているという訳でもない。夫がいなければ毎日仮釈放されるし、本当に嫌ならば脱獄すればいい。だから何も死ぬことはないのである。それにしても不愉快な事件だ。何処かの映画監督が、下らない選挙も終わり台風も去り、漸く秋を楽しもうと思っていたところを台無しにされたと怒っていた。吾人も全く同感である。
三位の横浜は一位の福岡に二つ勝って日本シリーズは御仕舞。二矢報いたというやつだな。其れでも若い選手が溌剌とするあたり、今の中日には全く見られない要素である。山田線の山側は運転再開。土砂崩れから二年掛かった。流石に東日本は修繕したようである。線路が流されたら兎に角直す。こういう当たり前がもう出来なくなっている。
 今日までずっと晴れ。午前中は住宅メーカー営業員の表敬訪問を受ける。隣りも建て替えたいのはやまやまだがね。また六号室の浴室ドアも交換す。古いサッシドアからブルートレインのような折戸にした。結構高かった(約六万円)。内装屋さんの親方さんも今年で引退するという。後任は吾人より若い人だった。また辞めないといいけど。
其の後、少し先に出来た量販店に参る。巨大な店である。元元雑貨に強かったディスカウントストアだったが、最近は肉に野菜に惣菜の類まで手を広げている。売っていないのは魚ぐらいだな。併しこんな大きな店を拵えても御客がいるのだろうか。店内は高齢者ばかりであった。相変わらずの供給過多である。トマトとレトルトカレーと猫餌を購入して帰える。以後何だか疲れて仕舞い朦朧と午睡す。旅費の精算をする。約四万円。一万円の掃除機を伯母のあずさ回数券(4370円相当)と相殺交換したから、少し高くなった。


11/6・月
 気が付くと月曜日である。午後千寿に出校。退社後は「福しん」へ一直線。中華丼のみ。630円。当然暫らくは緊縮政策である。「東京人」12月号の永井荷風特集を読みながら帰宅。


11/5・日
 午前中は薪の移動、次に茣蓙を仕舞い電熱絨毯を出すなどの冬支度。伯母はジャムづくりで忙しいというので、昼のバスで降りた(運賃480円)。一時過ぎの飯田線に乗り岡谷へ。あずさ20号を見送り、続行運転の52号に着席す。二時台は更に76号も出るが、何れも満席とのことである。三本合わせて約三十両。ざっと高速バス四十五台分である。甲府からはかいじも加わる。今時特急が此れだけ走る路線も珍しい。
 新宿定刻到着。16時47分。両家人向けに駅弁を買って帰ると言って仕舞ったが、新宿駅には碌なものが売っていない。散散迷って二つ購入す。新潟鮭弁当と彩り野菜弁当。NRE製だという事は秘密にしておいた。山の手線も東急線も大変な混雑でつくづく閉口す。九時就寝。


11/4・土
 朝から作業す。まず枝切り。其の後は少し降りて中華屋で昼御飯。午後は掃除の予定。此の時期は虫の死骸が多い。取りたいのはやまやまだが、まともな掃除機がない。という訳で伯母の運転で数キロ先の家電量販店に参る。売り場にはサイクロン式などの最新型が溢れているが、守旧派の紙パック式の物はなんと三種しかない。真ん中の製品を購入す。約一万円。ちなみに東芝製。此のブランドはまだあったんだ。という訳で90年製の日立機は引退させることにした。廃棄物(いや掃除機には車輪がついているから廃車両だな)も持って帰りたかったが流石に無理である。
午後も掃除と枝切りと風倒木の解体等。先日の台風では管理の悪い土地の杉が倒れ、道路を塞いだ上に、停電まで引き起こしたらしい。緊急撤去は行ったものの、何せ私有地だから行政は指導等もできないとのこと。所有権の絶対化はナポレオン民法典以来だが、もう少し何とかしなくてはならないな。となると、三世一身法くらいが丁度いい。勿論拙宅地は吾人が毎日耕しているから自動延長である。
寒気が入り一雨あった。以後基本的には冬晴れとなる。山は燃え、白い雲が時折架かる。夜は伯母の手料理。牡蠣フライと鶏の唐揚げであった。適度に酔ったところで、此の山荘の維持費は年三十万円程度(固定資産税と各種公共料金)だとしげしげと話しをされた。何でそんなことを言うのかというと、伯母の頭には既に相続というものがあるのだろう。最近紅葉を見てもあんまり心が浮き立たないのは、身の回りに冬を控えた人たちが大勢いるからだろうと思った。


11/3・金
 宿酔は無し。昨夜はいい日本酒を沢山飲んだからかもしれない。泊まったホテルはサンルートチェーンだったが、部屋はリニューアルしたらしく、頗る快適。例によって用事を言いつけに来る家人も、用もないのに矢鱈起こしに来る猫も、出さなくてはならないゴミも無い。結局だらだらだらだらと過ごし、八時半のバスになる。行って見ると既に長蛇の列。バスの会社も心得たもので直ぐに続行便の手配をす。戸隠キャンプ場行き、二台目に乗車。丁度全員着席。併し予備車と見えて相当古い。窓にはうろこ状の物質がこびりつき、何だか曇りガラスのよう(あれは落ちないんだよな)。
バスは市内をうろうろした後、山岳道路に入る。すると二号車はあっという間に引き離されて仕舞った。何しろギアの調子が悪いらしく、変速の度に数秒間は無動力となりぐっと失速する。其れにエンジンも悪い。喘ぎ喘ぎ、大分遅れて戸隠に着いた。道路混雑でも運賃収受でもなく、出力不足で遅れるというのも珍しい。
 さてさてまず奥社を目指す。其の後は少し山道を歩こうと散策路に入る。此れが良くなかった。水たまりに足を取られる。而も地面には落ち葉が広がり、何処から水面なのか見当がつかない。差し詰め落とし穴である。理論的には右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を差し出す。其れを高速で繰り返せば抜け出せる筈だが、そうは問屋が卸してはくれなかった。結局両足とも踝まで全没す。まるで風雲たけし城竜神池であると思った。ずぶずぶのまま、秋中行軍。アスファルトが見えた時は正直ほっとした。
早速蕎麦を食べたかったが、もたもたしていた内に、もう御昼である。何処の蕎麦屋も見たことがないような大行列となっている。どうにもこうにも、どうして観光地に来ると蕎麦ばかり食べたくなるのだろうと文句も言いたくなるが、何しろ戸隠は蕎麦の里だからな。靴下を乾かしつつ一時間も待つと、盛り蕎麦と野菜天麩羅セットにありつけた。当然蕎麦焼酎の蕎麦湯割り付き。再びバスで戻る。帰りは県道経由長野駅行き。此の系統は里山や集落を一つずつ降りて行く。どちらのルートも捨てがたい。
 16時過ぎの甲府行きに乗車。善光寺平を一望しながら松本方面へ。岡谷で飯田線に乗り換え。伊那市到着18時38分。運賃1940円。県内の移動に二時間半は掛かった。長野県はでかいな。伯母が晩食を用意しているという。バスがないのでタクシーで移動。2500円。


11/2・木
 それでは出掛けようと渋谷駅に参る。まず何処へ行くのかというと、今回も相変わらずの長野県である。吾人は長野を第二の故郷のように勝手に考えてはいるが、行くのは伊那か木曽ばかりである。偶には北信地域に行って見たいと思った。軽井沢から入信するので、まず高崎を目指すことにす。併し湘南新宿ラインは車両点検の影響とかで電車は全く来ない。結局数十分は待ちぼうけである。二十分は遅れてやって来た高崎行きに乗車。月波君から貰ったグリーン券を利用する。
 高崎到着、数分遅れ。回復運転もしたのだろうが、籠原で編成をぶった切る時間を節約した為である。早速立ち蕎麦休憩。其の後、信越線の横川行きに乗車。併し信州にも越後にも行かなくなって二十年経つが、未だに信越線を名乗っているのが不思議である。実質的には横川線だがね。新幹線を作ったら並行在来線の面倒はJRは見ないということになって、初めてのケースが長野新幹線だったと記憶している。横川軽井沢間は峠越えの高コスト路線だから、誰も引き継がなかった。以後日本全国の鉄路はますます分断されることとなる。おまけに途中に安中榛名などという余計な駅を作ったものだから、高崎軽井沢間の新幹線料金も跳ね上がった。つくづく、つくづくな新幹線である。
碓氷峠鉄道文化村を一回りして、適当な食堂に入る。入って見ると、店内は案外狭く、テレビ等は無し。まるで民家のよう。こういう食堂のメニューは概ね把握している積りである。麺類があり、丼ものがある。まず前者はさっき食べたばかりなので除外。炒飯はリスクが高く、揚げ物は店の人が面倒そうなので自粛す。カレーは既製品の確率が高い。という訳で一番無難な親子丼を注文す。大体誰が作っても同じようなものになるのが、此の定番料理である。しかし出て来て驚いた。まず全般的に白い。醤油類を使っていないらしい。鶏肉はうすしお味で、玉子は寿司のように甘い。あらゆる予想を裏切り、こういう親子丼があるものかと吾人の寡聞を恥じた。
代替バスに乗車。一応JRバスということになっている。軽井沢まで510円。乗客は十数人。旧道は走らず、18号バイパス経由でどんどん登るとどんどん山が色づいていく。群馬のどん詰まりだったものが、一気に開けて、空気も変わる。別天地といったところである。こういうものをアウフベーヘンというのだろうな。
駅に参り、しなの鉄道に乗車。日本全国ローカル線の光景は同じようなものだが、身なりのいい御婦人方が多いという点が少し違う。新幹線から乗り換えて、どこぞの別荘に向かうのだろう。併し止揚されたような方方はあっという間に下車されて、車内は何時ものように、女子供に年寄りと若干の旅行者となる。浅間山を後景に列車は進む。
快速列車だが案外速い。少しは新幹線に対抗しようという計画なのかな。115系の三両編成。新幹線車両は既に二代目だが、長野側の信越線はずっと此の車両。フンガァガァーというモーター音が轟く。国鉄、JR、第三セクターと持ち主は三つ代わった車両はすっかり古いが、まだまだ走れると思った。篠ノ井で大量乗車。長野到着16時25分。直ぐに駅前ホテルに入り、先日寄った「千石屋」へ。更に日本酒バーのような所にも入った。


11/1・水
 まあまあ晴れた。午後出社。金参万円受け取る。退社後は祐天寺の立ち飲みBで軽く飲んで御仕舞。月波君によると、飯田橋のまつやの御主人も亡くなったとのこと。享年九十。芥田ゼミ有志で御線香を送るよう指示す。

2017年10月

10/31・火
 先の選挙で大敗したAは漸く辞任を表明。公明と維新を足して辛うじて過半数なのだから、あと少しで政権を交代させるところであった。つくづく惜しかった。週末の日米会談が花道となるな。T大統領としても御同類が居なくなると寂しいだろう。そして自民党は総裁選。(以上フェイク日記)
 ネット等によると収支内訳書の明細書は自作も可ということで、早速エクセルで作り始める。此れさえ書けばあとは何とかなる。五名分も作ることになるが、大丈夫。自信を持たなくては。何せまだ十月である。朝から家人の振り込み。三万円から手数料が高くなるので、最近は29999円振り込むことにしている(此れだと216円)。異常な超低金利なので銀行さんも手数料収入が頼みだと言うが、気前よく432円も払えない。
結局カーテンだけは交換しようということになり、吾人が自転車で赴く。不良品ではないので交換は出来ず、一旦返品扱いになる。返金手続きをし、改めてカーテン売り場に参るも、Bフックのカーテンは一つもない。店の人に聞くと既製品はAしかないが、全てBに調節出来るようになっているとのこと。成程AはBを兼ねるという訳である。大手の店は考えることが万事合理的だと思った。感心してばかりもいられない。ならばそもそも返品する必要などなかったのである。返品を返品したかった。其れも何だか不格好なので其のまま帰える。誠に先週からやっていることが滅茶苦茶、いや鎮具破具だな。語源に迫るような迷走ぶりである。
気落ちしたお腹を膨らませようと、用賀駅前の松野やでとんかつ定食(530円)。更に駒沢公園で開催中のラーメンショーにも寄った。一杯850円。台風で具が掃けなかったのか、大振り厚切り叉焼二枚に煮玉子乗せ。少しは得をしたと思いたいな。ちなみに公園辺りでも矢鱈変な格好をした人が目立った。成程、西洋の南瓜祭りである。何にしろ内需拡大は国民の義務である。明細書作成と用賀遠征疲れで昏昏と午睡。
 座間のアパートから大量の御遺体が。殺人か、嘱託殺人か、自殺幇助かまではまだ分からないが、あのアパートは取り壊しだな。家主も可哀想である。殺したい人と死にたい人が巧く適合したのかもしれないが、こういうことはつくづく宜しくない。大体、人に限らずあらゆる生き物というものは、憐れにも時の流れに抗うことは出来ず、放っておいても方方で死んで行く存在である。だから態態殺したり、勝手に死んだりしてはならない。悠久でないのだからこそ、一日、一夜、そして一瞬に賭けるのである。だからハロウィンで燥いでいるくらいが丁度いい。一方福岡の現金強奪事件は犯人検挙。こうして雨ばかりの十月も終了す。


10/30・月
 快晴。風強し。冬型になり、木枯らし吹く。ぼんやりしていると税理士事務所から電話がある。本年分の確定申告書の作成を依頼する場合、法外な費用(数十万円)が掛かるとのこと。何しろ当方は相続専門なので御容赦くださいと謝られた。昨年は相続業務序での特別割引(数万円)だったのだろう。困ったことになった。自分で書くか。まだ十月だが、気分は既に二月である(今日の天気も)。去年とそっくり同じものを出したら怒られるかな。大体の収入と支出は計算できるが、あの矢鱈細かい不動産所得内訳書の作成が地獄級の苦しみなのである。早速細かいボールペンを買って来ようと思った。
 午後中目黒経由で出社。高校三年生が専門学校に入りたいというので志望書を口述筆記させる。書いてやりたいのはやまやまだが、生憎千寿校にはワープロの類がない。夕方に小諸蕎麦を食べたので腹も減らない。其のまま帰宅。またまたコンビニ食となった。パスタも案外旨くて感心す。よくよく見ると、容器の底に溝があり、脂やソースが滴り落ちるように出来ている。だから適度に混ざるのだろう。こういうものばかりが進化すると思った。


10/29・日
 先週と全く同じような大雨。一週間前に戻りもう一度投票をやり直したいところである。何度やっても、同じ結果になったかな。日曜は三週連続の雨である。偶偶点けていたテレビ番組で女子アナウンサーが倒れて仕舞う。働かせ過ぎだろうな。在京キー局ならば、自社アナにフリーアナと人材は幾らでもいるのだろうが、結局仕事は一部の人に集中する。労働組合もあるのだろうが何か機能しているようには見えず。
 昼はコンビニ食。序に毎日新聞を買う。読書欄で『維新の夢』の西郷論が紹介されていたので早速読み返す。そういえば次の大河ドラマ西郷隆盛だったっけ。来年は明治維新から150年だが、Aあたりはまた佳からぬ行事を考えているだろうな。つくづくもう一つの近代化というものは無かったものか。少なくともあんなに戦争ばかりではない、もう少し平和な近代があればね。其の末裔としても、多少は気が楽なのだけれど。
 カーテンに引き続き、今度はベッドカバーも返品したいという。此れで返品率四割である。而も品物が嵩んで一人では持って行けないと宣う。勝手にしなさいと吾人も激昂す。返品するより廃棄した方が楽である。つくづくあんな店に連れて行って、却って本当に損をした。夕方から土砂降り。九時頃には止み、十時には星が出ていた。風は吹かず。


10/28・土
鮭から卵だけ切り取られる事件が多発。腹を裂かれ魚体は捨てられていたという。二重の意味で腹立たしい。どうせ盗むのなら全部盗んで全部食べるべきである。身は石狩鍋かチャンチャン焼き、頭もなますにして食え。皮もパリッと焼くと頗る旨い。
例によって朝の五時にシロに起こされる。四時半から五時の間にやって来るのは定期便だから仕様がない(臨時便が本当に困る)。目覚めた序でにゴミ拾い。中流域も綺麗にしないとね。七時前にМ家で牛めし。また週末は雨だという。そしてまた台風だって。来週は何処かに出掛けようと思い、時刻表を開いて検討す。
須見伯母から蟹を貰ったので夕方から食べ始める。併し黙黙と解体してもズワイガニなど大して食べるところがない。冷凍食品で飢えを凌いだ。そう言えばソビエトが崩壊した直後は、矢鱈安いタラバガニが出回ったが、あれらはみんな食い尽くしてしまったのだろうな。つくづく惜しいことをした。尤も吾人は甲殻類は大して珍重しない質である。兎に角、酒さえ呑めれば、どんな憂き世も耐えられる。夜は本降り。夏の予定を秋に繰り下げた調布の花火大会も結局中止。つくづく、である。


10/27・金
 今日も晴れた。両家人はインフルエンザの予防接種。高齢者は区の補助で安く受けられるらしい。ちなみに吾人は其の効能を認めていないので、受けたことはなし(痛くて高い思いをしても罹らないとは限らない)。所謂無防備人間宣言をしている。大体各種インフルは既に一回以上は経験している筈だし。家人は安静にしなくてはならないというので、朝から買い物は二便。
 民進党の代表М原氏が辞任。例によってケロリンと謝罪していた。此の人は何時もそうだな。あんまり感情が出て来ない。信とか義とかあるいは怒といった、人間として押さえておくべき基本的部分が欠落しているような印象を抱く。だから頓珍漢だし、よく騙されるのである。
午後出社。チラシを配って歩く。数千歩。途中猫を犬のようにして飼っている家があった。詰まり、外には出してはいるが、綱に繋いでいる。解き放ってやろうかと一瞬思った。唯我独尊、誇り高き不羈独立の存在である御猫様を権力の下部のように扱ってはいけない。大丈夫、猫は必ず戻って来るよ。退社後は佐渡屋に直行。鶴木さんらと飲んでいる内に、通称ブータン国王(作務衣姿の初老男性)と出合う。今度若い女性を紹介するとおっしゃられたから、期待することにしよう。


10/26・木
 漸く朝から晴れた。所謂ピリカンである。用がなくとも出掛けたくなる。偶には海を見ようと東横線京急線に乗り、津久井浜下車。何時もの寿司屋に参る。併し客も少なく自動化コーナーしか開いていない。店内にはタブレット端末をクリックする音だけが木霊する。何だか活気の無い寿司屋というものもね。少しだけ飲んで退店。
 海岸線をてくてく歩く。例によって尿意を催す。すると当てにしていた公共厠は大破していて使用中止。何と土台がごっそりと持っていかれている。結局緊急放出を余儀なくされた。21号の被害は内海でも結構なものであった。砂浜には漂着物が散乱。大小無数のプラスチック類の他に、便座なんてのも流れ付いている。愛用のトングとゴミ袋と軍手と収集車さえ待機していれば、吾人も拾ってやるのにと思った。でも大量にあるから一個大隊ぐらい必要だな、ゴミ拾い隊は。
それにしても海は気持ちがいい。やはり川とは比較にならない開放感である。ぶらぶらと三浦海岸駅まで。再び京急線に乗り、横浜西口界隈を歩く。十年ぶりぐらいに「吉村家」にも寄った。但し麺揚げが最後の最後になり、ふにゃふにゃで量も足りず。何しろ一度に十五人分も茹でるのだもの。まあ家系は何処でも食べられるようになったから腹も立たず。総本山だからと言って何時までも最高峰という訳でもないしね。夕方帰宅。遠足経費、交通費1600円、飲食代4000円。一万七千歩。寿司酒ラーメンが胃にもたれ、晩は絶食。


10/25・水
 関東だけ冷たい雨。東京は二週間連続の降雨とのこと。リーグ優勝した広島は三位の横浜に一つも勝てず、日本シリーズに出られず。まあこういうサプライズがないとプレーオフをやる意味がないな。併しあの監督も優秀なんだね。中日はどうするのだろう。此のままではずっと最下位争いである。
 中国の国家主席は御満悦のまま二期目に。功績が認められ毛氏や訒氏と並んだそうである。まあ確かに、中国バブルが崩壊して仕舞えば、世界経済も道連れになるだろうから、其の点の手腕には感謝しなくてはならないな。独裁制と資本主義というものは案外相性がいいのかもしれない。国家主席の野太い腕である。併しコネの無い庶民には厳しい世界だろうな。最近は中央アジア南シナ海にも手を広げているらしいが、帝国の復活だとか、何かとんでもないことを考えていないといいが。主席の頭には宋や明あたりが理想としてあるのかもしれないが、彼らは元のようには攻めては来なかったしね。兎に角、中華思想は御料理だけで願い下げである。
午後出社。退社間際になって二十歳の男の子が訪ねてくる。曰く、仕事が詰まらないので公務員になりたいと。併しそもそもが勉強が苦手な子であった。現業職を狙うしかないだろうが、此れだけ民間委託が進んでいる世の中で、募集何てあるのかいな。面倒な相談者は無責任社長に預け、急いで立ち飲みBへ。此の所どうにも飲み過ぎであるから、二杯だけ慎重に飲んで帰った。またシロには猫用の枕を進呈する。一心不乱にふみふみした後は昏昏と寝るようになった。ペット用品というものはよく研究されている。猫工学の進歩である。漸く此れで矢鱈と起こされることも少なくなるといいが。


10/24・火
 Aは増税分は現役世代への社会保障に使うとか言っていたが、どのみち増税自体を反故にする積りであろう。公約違反には違いないが、嫌な増税がパーになるのだから拍手喝采である。国家的な詐欺だな、此れは。曇り時時晴れ。空気は秋の乾いた感じ。
 家人がカーテンを新調したいという。折角なので環八の沿いの大型店に案内しようと思った。まず駅に行き、電車に乗り、更にてくてく歩いて参る。矢鱈大きな店内を循環するうちに、シーツだのカバーだのと結構な量の品物を買う。併し配達してもらうには代金五千円ごとに五百円も掛かるのだという。買えば買う程に損をした感じで、意地でも持って帰りたくなるように出来ている。つまり車社会を前提としているのだろう。大荷物で電車に乗る気にもなれず、結局タクシーを利用。運賃2170円。得をしたのか損をしたのか。まあ、家人はああいう大型店には初めて行ったそうで喜んでいたから、此れも孝行の内である。
 疲れたので夜はスーパーの惣菜。食後に買ったものを認ためていると、カーテンのフックが違うとかで、家人は交換に赴くと宣う。やっぱり高い買い物についたな。いやしかし、フックに上と下があるとは、齢い八十の家人ですら気が付かないのだから、吾人などが分かる筈もない。こういうことは小学校で教えて欲しいと思った。


10/23・月
 夜明け前までには雨は峠を越し、代わりに大風が吹き始める。21号は其のまま上陸。超大型で非常に強い台風の割りには、どうということも無し。どういう訳だか通過後は暫らく凪のようになる(目だったのか?)。二、三時間して吹き返し。つくづく風というものは読みにくい。結局投票率は54%程度。台風が来なければもっと高かっただろう。紅林警部補も選挙区では落選。あと少しだった。
 昼には晴れた。実に十日ぶり。秋雨前線も吹き飛ばされたから当分は晴天であろう。二階の六号室退去。部屋は綺麗だが、一年半と少しで出られてはね。最低三年は入って貰わないと。若い人は色色とあるからな。
午後千寿に出校。架線付着物の為、久喜行きは押上止まりに変更。段落としを余儀なくされた。途中散髪す。ところで千寿校は古い雑居ビルの二階にあるのだが、何だか裏手で猫の声がする。腹を空かしたか、助けを求めているのかずっと鳴いている。何度も見に行ったが姿は見えず。猫餌も置いてやったが、食べた形跡は無し。よくよく見ると交番の裏の物置小屋辺りで声がする。巡査が内緒で飼っているのか、迷い猫を保護したのか。何しろ交番は無人だから確かめようも無し。猫が気になって気になって仕様が無くなるあたり、吾人も立派な愛猫家である。
九時半までみっちり指導。「福しん」で炒飯。帰宅後麦酒一缶。少しずつ飲みながら選挙のおさらい。夕刊を見てもまだ確定していない議席がある。台風の影響で投票箱が集められず、開票には苦労したらしい。つくづく迷惑な選挙であった。社民党は辛うじて二議席。公明減少、維新の会はぐっと少なくなってくれて清清した。


10/22・日
 昨日からずっと雨。当然雨脚は昨日より強くなる。七時になった途端に七分歩いて投票所に参る。投票は義務だと考えているので別にどうということは無し。そもそも毎日に通っていた中学校だしね(あまりいい思い出はないが)。ただ国民審査だけは何も書かなかった。全部に×を点けるのも大人げないしね。
 夕方からは更に降る。併し降らせているのが秋雨の雲だか台風本体の雲かは分からない。色色と気象予報士がああだこうだと解説してくれてはいるが、結局どうなるのかはよく分からない(特に風の予測)。台風予報には規制があるそうだから、予報士であっても独自の見解は述べられない。だから心に響いて来ないのだろう。いや、そもそも誰にもよく分からないのかもしれない。起きたことの把握ならば最近の技術の革新でまあまあ早目に分かるようになってはいるが、起きてないことの予測は想像以上に難しいのだろうな。
 あんまり見たくはないが、八時前後から開票速報を眺める。下馬評通り、というかAの思惑通りに与党は大勝す。ただ立憲民主も健闘す。一方現有議席の確保も出来なかったホープ亭は近近解散だな。此のまま立憲民主を中心に野党再編が進み、共産も解党合流してくれれば、次の選挙で一気に政権を交代させることも可能であろう。其れが小選挙区制というものである。私は絶望しない。たとえ最後の一人になっても(ここら辺は沖田十三風)。肝腎の五区は接戦の為、なかなか判明せず。翌二時頃になり立憲民主の候補者は僅かに及ばなかった。約二千票差。ホープ亭に四万も行ったから勿体ない話である。ただ重複立候補しているから五年ぶりの国政復帰は果たされたよう。


10/21・土
朝から大雨。朝から何度も上厠す。これらは東京湾直行だな。少し心苦しい。台風21号は異様に発達しているのだという。一方シロは小屋にも入らず、縁の下辺りを行ったり来たり。何が気に入らないのかは分からないが、つくづく困った猫である。
二週続けて週末は完全な雨となる。地元の大道芸祭りも中止。内需も落ち込む。昼はコンビニ食。流石に弁当類は売り切れが目立った。夜は保存食。食後は暇に飽かせてユーチューブのドライブレコーダー集を見る。数数の大事故小事故未然事故、嫌がらせの運転に運転者の罵り合い等等の映像は下手なホラー映画よりよっぽど怖い(その昔、悪魔の自動車が襲って来るという「ザ・カー」という映画があったが、此方は車から飛び出た生身の人間が襲って来る)。基本的にバス以外の自動車には乗らないが、自転車や歩行者といったレベルでも争乱になっているのをしばしば目撃す。つくづく平常心でありたいと思った。でも人生には色色な時があるからな。眠い時、いけ好かない時、また逆に矢鱈大らかな時とかも。


10/20・金
 一晩寝て起きてもまだ雨が降っている。おまけに台風まで来るらしい。雨雨降れ降れもっと降れ、投票率が低くなれと、与党や官邸辺りが祈った成果であろう。幸い北の方は静かにしてくれているが。
新聞によると平成は31年の三月までだそうである。忙しい年末年始を避け、会計年度に合わせた形。役所や学校関係にも配慮した模様。ただ現皇太子の誕生日は二月らしいから、休みを一日損したな。いよいよ此れで平成○○と付けた物も一気に古くなる。
 漸く昼前には止む。家人は期日前投票に参る。結構混んでいたとのこと。一方の吾人はあくまでも当日決行主義である。三時前に出社。此の所の運動が不足しているのでチラシを持って歩く。序に立憲民主のビラも配ってやろうかと思った。併し少なくとも三つの点で問題があると思い直した。(一)運動員でもないのに勝手に配り歩いて良いのかという法的な問題、(二)職場のある地域には残念ながら選挙区候補者がいないこと、(三)そもそもビラが手元にない。吾人もこうして色色な言説を偉そうに垂れてはいるが、実際的な運動となると何をしていいか皆目見当がつかない。
早目の退社後は祐天寺の立ち飲みBでひとり酒。霧雨に巻かれ復路は軌道を見失う。つい三宿周辺に迷い込む。夜の三宿など数年ぶりである。何だか店もすっかり減り、少し寂しい感じ。大体駅から遠い飲食街など、態態行かないものな。三十年前の住宅街に戻りつつあると思った(そもそもあの辺には吉野家しかなかった)。国道に出て、味噌ラーメン屋に入る。此処も御客がいない。薄めのスープが矢鱈入った擂り鉢のようなどんぶりから麺を掬い上げて食べた。此れも少し前のスタイルだと思った。


10/19・木
 「やすらぎの郷」のあとは「トットちゃん!」である。今週はトモエ学園編。戦時下であっても自由主義的な教育を行う小学校があったことは驚きに値する。翻って、現代にはあるのだろうか。ないのだろうな。其れこそ百校や二百校は欲しい所だが。学校教育法の下、認可されないのだろう。世の中が幾ら変わっても、初等中等教育は、相変わらずの前や右に倣えの全体教育である(不登校と自殺者が増える訳である)。もっと独自な教育を行う私学が出て来るべきだろうが、それでは大学に受からないからな(私学の目的が○○大学に△△人受かったというのでは少し悲しい)。大学入試も多少は変わって来たのだから、今後の創意工夫に期待したいところである(でもAS記念小学校なんてとんでもない学校が出来るだけかな)。本当に此の国の教育は、質的にも量的にも不足している。
 朝方は大雨。而も異様に寒い。エアコンに続き、ガスファンヒーターも投入す。地元の駅で配電盤がショート。田園都市線の地下区間、つまり新玉川線は長時間運休す。四十年前と同じだと思った。今ではとても信じられないことであるが、旧玉川線つまり玉電が廃止されて新玉川線が出来るまでの凡そ八年間、此の辺りはバスしかなかった。誰もが黙黙とバスに乗っていたもので、吾人にもそういう微かな記憶がある(渋滞で動かないと家人は憤慨していたような気がするが)。あの頃は拙宅の近所にも畑が点在し、小松菜やサツマイモなんかを栽培していた(と思う)。此の間、如何に都市化が進行したのか恐ろしいほどである。人口が丸で違うから、今では区内の御客さえとてもバスでは運びきれまい。ニュース映像によると停留所には長い長い列が出来ていた。
 夕方には漸く小降りとなる。電車に乗って新橋に向かう。件のちゃんぽん屋さんで仲田大将主催の久久の飲み会である。駅に参ると早速の謝罪文が張ってあった。B4サイズのワープロ打ち。誰も気にも留めず。大体通勤電車が止まったところで、嫌な学校や職場に行かずに済むのだから、大半の利用客は喜ぶ筈である。
鶴木さんと月波君も同席。肝心の大将だが、実に半年ぶりに会ったが、まあまあ元気そう。件のX女史との恋仲は続いているようだが、一時ほどの勢いはないらしい。散散日本酒を飲み、十時過ぎに解散す。佐賀の呉豆腐を御土産として貰った。


10/18・水
 朝から晴れた。実に久久である。家人が外出しているので、老家人にはスーパーの炒飯弁当を食べさせる。すると激しくむせて仕舞う。もう間もなく常人食は無理になるかもしれない。生きて行くということは実に痛痛しいことであると思った。
午後は次第に曇る。其の後出社。退社後は中華立ち飲みに。飲み屋政談はほどほどにして今夜は介護論壇。年寄りはどうしてあんなに意欲がなくなって仕舞うのだろうという一大疑問に至る。此れは登壇者の全員の共通見解であった。夜は再びの雨。


10/17・火
 目覚めてもずっと雨。此の所の天気もどうかしている。漸く午後には止んでくる。御昼は地元の瀟洒なラーメン店に入る。最も基本的なものが880円もする。不味くはないが、食べ終えても、あー食べたという感じがしない。同じ価格帯でも、例えば油淋鶏定食や焼肉丼セットの方が胃に叩き込んだという満足感があるだろう。ラーメンの原価を上げ、幾ら豪華にしても、効用には限界があると思った。
 昨日に引き続き『八月の砲声』に挑戦する。併し所謂通史もので内容もぎっしりだから中中読み進まず。こういうものは拾い読みも出来ないので苦労する。何しろ第一次世界大戦のことなど何も知らないからな。ウィキペディアを引きながら匍匐前進である。
 福井の中学校で担任と副担任に叱責された生徒が死亡。いやしかし、よくあれだけ一人の生徒をこっぴどく指導し続けたね。都会の学校では考えられないな。つくづく田舎の中学の先生は暇である。でも大学などでもパワハラ紛いの指導がしばしば問題となる。熱心と言えば熱心なのだろうが、学生の指導にそんなに沢山エネルギーを割ける先生がいるというのも少し驚きである。やはり人格に問題があるのだろうな。


10/16・月
 不思議なもので今日も雨。おまけに寒い。憂鬱な月曜日、ブルーマンデーである。二週ぶりの平日の月曜日でもある。交通情報によると混雑の影響で電車も遅れ気味。先週は平日が四日であった。別に週の休みを三日にしたところで、世の中は生産物で順調に溢れ返っている。プレミアムフライデーでも、シャイニングマンデーでも何でもいいから早くやるべきである。
 午後千寿に出校。退社後も小諸蕎麦のみ。早速温かいかき揚げ蕎麦。行きと帰りに『八月の砲声』を読み進める。此の本は過日の映画でも取り上げられていた。流石にK大統領は博学である。T現大統領は? 本など読んだことも無いだろうな。節税や財テクや女の口説き方の本とかは読んだとは思うが。帰宅後、家人の飲み残したビールを半缶。ほぼ完全休肝日。本日の支出360円。


10/15・日
 下らない今回の選挙の唯一の収穫は、都知事の暴言の御蔭で民進党が分裂し、立憲民主党が出来たことかもしれない。予てから民進党はもっと左に舵を切るべきだとは思っていたが、党内対立が酷くて其れも叶わなかった。当事者たちの意図せざる結果ではあるが、此の度、晴れて左に切ることが出来た。漸く此れで政治の対立軸がすっきりす。次の次の選挙で更なる躍進が狙えるだろう。其の前には経済危機も来るだろしね。
 昨日以上にずっと雨。雨が降っているので近間で遠出をしましょうということになり、高円寺に参る。景色を見ようとバスに乗る。渋谷からのバスは中野までしか行かないので一駅分歩いた。中野の辺りも丸で知らないが、何時の間にか大学街が出来ている。高円寺の古本屋も健在。
月波君と合流。実は此処には立ち飲みBから独立した人が店を構えている。若い人が多く店賃も多少は安いのだろう。起業しやすい街である。併し当該店はまだ営業前。仕方なく「大将」という焼き鳥屋と餃子の満洲国に入る内、腹がパンパンになり、目的の店では幾らも飲めなかった。這う這うの体で電車に乗り、七時過ぎには帰宅。また行かなくてはね。ちなみに店主のOさんは店に泊まり込んでいるという。家族とは週に一二度会う程度なのだそう。飲食業というのは大変である。職住が近くなくてはね。今日は一万五千歩。でも遅く歩いたから距離は少ないだろう。疲れ方が先週とは丸で違う。


10/14・土
 昨日と同じようなお天気。暫らく冷たい秋雨だという。家人も風邪を引く。昼は乾麺のうどん。食料が不足しているので買い物便多数。夜は厚揚げ麻婆。


10/13・金
 また沖縄で米軍のヘリコプターが不時着炎上。イージス艦の相次ぐ事故といい、米軍も人が足りていない感じ。カリフォルニアの山火事、メキシコ湾沿いのハリケーン被害も大きい。もっと本国の守りを強化すべきである。
与党圧勝の事前予測だが、こういう場合二つの反応が想定されるそう。一つはバンドワゴンと言って勝ち馬に乗る傾向、もう一つはアンダードッグと言って負けそうな方を応援する傾向。併し後者が出るのは昭和後期までだろうな。人人がそういう義侠心のようなものを失って久しいもの。一日小雨が降ったり止んだり。午後出社。退社後は晴雷亭と佐渡屋に。誕生会やら送別会やらが重なり店内は大混雑。
少し辟易しながら佐渡屋を出る。実を言うと数軒先には老夫婦の居酒屋がある。七、八年くらいまでは結構通った店である。最近は開店していても休業同様の状態らしい。店の明かりは既に落ち、二階の窓から気配が漏れる。あれはパパさんかママさんか。最近は店の上に越して来たのだと聞いたことがある。古い家屋だから住まうにも大変であろう。何だか少し申し訳ない気がした。


10/12・木
 新聞各紙序盤の情勢分析が出る。昨夜の吾人の世論調査と相違ない結果となる。あーあ、つくづく日本人に政治は無理だあ。特にホープ亭の失速が著しいという。本当にホープレスである。此れでラーメンの人も都政に専念することになるな。此の党に次は無いだろうし。最近はカップ蕎麦の「緑のたぬき」と言われているらしいが。つくづく、あーあ、あーあ、である。それでも民進党があのままあり続けたよりかは多少は良かったかあ。立憲民主は議席倍増の勢いらしい。元元が少ないけどね。
 朝から腹が立ったので、朝から腹が減った。牛丼のМ家に行き、四百円の朝定食。確かにこういう時でもパンは食べないな。結構晴れて、一昨日以上の異様な暑さとなる。午睡をしていると、老家人が喉が痛くて痛くて仕様がないので、今すぐ耳鼻咽喉科に行き、喉を焼きたいと宣う。医院まで拙宅から数百メートルの距離だが、しかしもはや歩けはしない。仕方なく簡易車椅子に乗せて搬送す。
酷い暑さの中を人と車を掻き分けて行く。ごろごろごろごろごろごろと押している内に、取っていた順番は疾うに過ぎて仕舞い、すると何と最後尾になるという。何しろ待合室は患者で溢れ返っている。併し耳鼻科というものはどうして何時もこんなに混んでいるのだろう。鼻が低くて息の通りが悪い日本人の宿命だと思った。兎にも角にも何十分も待てない。其処で新店を開発しようと、別の医院に転送す。再びごろごろと来た道を引き返し、別の道に入る。此方は最近出来た医療ビルに入っており、その名もずばり、お花クリニック。而も空いていた。まだ常連客が付いていないのだろう。耳鼻科の掛かりつけは此方に変更である。
さてさて肝腎の喉の方は大した炎症ではないと言われた。焼いたかどうかは知らないが、吸入器で何かを吸わせて御仕舞。大体万事大袈裟なのである。あれやこれやで一時間半も掛かった。家人共共草臥れ、買い物にも行けず。晩は焼き鮭にベーコンエッグ。一日に二度も朝飯を食ったことになる。併し老家人もとうとう歩けなくなった。こうして車椅子を押していても、何だか少し切なくてね。悲しい安白ワインを呑む。夕方から雨。一気に空気が入れ替わり、晩夏から初冬になるという。
酔いが回らないので映画「13ディズ」を見る。キューバ危機を描いた少し昔の作品。いやまあ、誤解や勘違いや行き違いで、くれぐれも米朝戦争の無いようにして頂きたいものだけど、あの大統領じゃあな。併しルメイという将軍はどう仕様もないね。危うく世界を滅ぼすところであった。流石に東京を丸焼けにした張本人なだけのことはあると思った。


10/11・水
 衆議院選が公示。引退した筈の元特命捜査課の紅林警部補なんかも立憲民主で出て来ている。三つ巴にならない分、案外田舎の方が勝つかもしれない。
新聞等によると、都心部のマンション等では、買った時より売る時の方が高くなる物件があるそうである。大体建物というものは経年劣化するのだから、スーパーの刺身のように古いものから安くなって行く筈である。其の逆の事態が起きているのだから、其れをバブルというより他はあるまい。
 日中曇り。併し案外暑い。午後出社。中華立ち飲み、立ち飲みB、そして中華立ち飲みに出戻る内に、暫し政治談議となる。吾人が、Aだけは早く辞めて欲しいと宣うと、A以外に誰がやるのと割と即座に反論される。政権が代わることに抵抗感があるようである(与野党交代がある場合だけでなく、自民党内の総裁の交代、つまり疑似政権交代に対しても)。そもそも日本の総理大臣は精精二三年で交代していたし、別に其れで混乱はなかった。騒乱が起きたり、その影響で水道が出なくなったり、ゴミ収集車が来なくなった訳ではない。必要以上に変化を恐れるあたりは、どうにも臆病になっているのだと思った。此れも高齢化の影響なのだろう。何だか仏頂面をしながら帰路に就いた。


10/10・火
 早速植木屋さんが参る。今回は御主人の奥さんが初登場す。併し吾人を加えても計三人。大方草取りに追われる。草刈り機でごおごおとやってもあんまり捗らず。而も今日は異様に暑く、吾人などあっという間に這う這うの体である。夕方までやっても木木は結構残り、二トン車も満杯にならなかった。
駐車場方面は綺麗になったが、拙宅周辺は手付かず。これらは来年に持ち越しとなる。家人もお茶出しや老家人の通院等に時間を取られ、買い物にも行けず。夜は冷凍食品。また建設会社の車は漸く今日から入った。どうやら前の工事が長引いていたのだろう。併しそもそもどうしてこんなに草木は生えて来るのだろう。不動産賃貸業というものはゴミと草との格闘であると思った。途端に汗疹と蕁麻疹。直ちにステロイド軟膏と抗ヒスタミン


10/9・月
 体育の日。更に晴れて夏日となる。昨日は交通費は掛からなかったが、二次会以降の経費を沢山出した関係で、すっかり御金が無くなる。暫らくは緊縮財政である。それにあれだけ食べても一日経つと腹は減る。此方も暫らくは菜食主義である。
 午後になり、近くの公園でパン祭りというのをやっていたのを思い出した。行って見ると既に大行列で会場に入ることすら出来ず。パンで行列など、丸で末期のソビエトである。いやしかし、みんな他に行くところがないのかね。よくよく考えて見ると、吾人はパンというものは週に一二度、一枚か一個食べるか食べないかである。従ってパンのことなど何も知らない。世の中にはパンマニアというのも相当いるのだね。昼は四百円の助六寿司。晩食は納豆豆腐に蒟蒻炒めに中量サラダ。
 御酒は控えめにして、夜は大人しく「ヨーロッパ1300キロ・爆走ラーメン屋台」(テレビ東京)という番組を見る。食材を現地調達しながらラーメンを作り、売った御金で旅をするという企画。出演は創作ラーメンで有名な店主。こういうタイプの料理人は、様様な食材に接するたび、イマジネーションがどんどん湧いてくるらしい。楽しくて仕様がないといった感じで、次次と新しいラーメンを生み出していた。(一方女房役の男性アイドルはかなり真面目な性格らしく、電卓片手で原価計算に追われていた。何だか対照的だった。)創作料理家というものは、コラムニストや随筆家の発想に似ていると思う。彼らもどんなネタからでも文章を編み出すからね。


10/8・日
 朝から数キロ離れた家電量販店へ。老家人の電気行火は余りに古く(推定年齢三十五)、火でも吹いたら困るので買い替えに出掛ける。広い売り場に行火は四種類。後継機種はあることはあったが、一種類で在庫も一つ。ナショナル製だが当然メードインチャイナ。それでいて七千円もした。こんなものを使うのは大年寄りだけだから、もはやライバル会社もライバル製品も無いのだろう。
 天気もいい。さてさて何の予定も無い単身者集団を誘って、飲みに行くことになっている。本当は何処か旅行に行きたかったが、女の独身者は出掛けるが、男同士では行かないからな。それでも偶には郊外に出ようということで、駒沢公園横の焼肉王という店に参る。参加者は月波君、客間君、藤松君、西嶋君。みなは都心から電車やバスで、吾人は歩いていく。妻帯者の坪上君も来てくれた。此の店は食べ放題に飲み放題。注文は自動化されて、どんどんと運んでくれる。サイドメニューも肉も予想以上に旨かった。四時に入ったのだが、帰る頃には大行列が出来ていた。こういう郊外型の店は珍しいからね。
結局欠食児童のように食べ過ぎた。公園で暫時休憩。更に上馬の中華屋に徒歩連絡。更に地元のカラオケ屋にも入る。人に聴かせる歌もないが、人の唄を聞くというのは面白い。偶にはカラオケもいいと思った。十一時頃帰宅。よく食べ、よく飲み、よく歩いた。一万六千歩。一階の六号室入居。但し入居者が男じゃね。挨拶に行く気もなれず。すいません。


10/7・土
 霧雨がしつこく残る。そんな中、御向かいは引っ越し。まずはオーナー家族。すると賃貸組も越して来る。搬入は大渋滞。新築だとこういうことになるな。引っ越し管制官が必要だと思った。
御昼には晴れた。さてさて本日から四連休だが、然したる予定も無し。火曜日に植木屋さんが来るというので乗り鉄にも出掛けられない。仕方がないので、久久に駅の向こう側の商店街を歩く。また新たなラーメン屋が出来ていた。各地で修業したラーメンマスターが満を持して開店したとのこと。叉焼は旨かったが、醤油を溶かしたようなスープに乾麺を茹でて七百円ではね。中中厳しいだろう。
失業率は過去最低になったなったなどと与党などは自画自賛しているが、併し全く賃金は上がってこない。恐らく仕事が自動化され細分化されているから、大した仕事がないのだろう。大体高等教育まで受けたところで、其れに似合うような仕事がないからね。大学を無料にして、世の中の皆が皆、学士や修士になったところで、収入が増える訳ではなし。しかし不思議だな。文明が進めば進むほど、却って労働が単純化されて行くのだから。厳しい労働から解放され、人はより創造的な存在に成れるんじゃなかったっけ? 併し創造性を発揮してもあんなラーメンじゃあなぁ・・・。矢張りラーメン大学は必要である。出来れば大学院まで出た方がいい。
老家人は喉が可笑しいと言って寝ている。見ると真っ赤な顔をしている。高熱が出ていて、すわ救急車かと心配したが、測ってみると三十六度少し。寒い寒いと言って布団を被り、電気行火まで点けていたから、すっかりのぼせたのだろう。つくづく年寄りには付き合い切れない。夜は薄味の鍋ものにした。


10/6・金
 未明に目覚める。膨満感と鼻づまり。其れに何だか息苦しい。肺に空気が入って行かない感じ。堪らず胃薬と抗ヒスタミン。三時間ほどのたうち回る。どうにも体調不良である。口呼吸が良くないのか。過呼吸なのか。季節の変わり目だからか。此の所、三時間程度しか寝られない。
 選挙報道に携わっていた女性記者が過労死したと渋谷の放送局が発表していた。選挙取材というのは大変だろうな。現場を歩いて声を拾い、予測をするのだが、公共放送ゆえ余計に間違いが許されない。プレッシャーが違う。そうして集めた情報を元手に、評論家やコラムニストや編集委員は、ああだこうだと偉そうなことを言うのだが、そう言えば彼らが過労死したというのは一切聞いたことが無いな。
 ラーメンの人は出馬しない模様。此の一週間で、追い風は向かい風に変わりつつある。勝てないとでも思ったのか。大体保守色が鮮明過ぎるし、余りに横柄だからね。火事は最初の三分間、選挙は最後の三日間などと言った政治家がいたらしいが、今回は珍しくこんな感じで目が離せない選挙となっている。なおAの応援演説の予定は極秘扱いとのこと。デモ隊が押し寄せて来るからだそうである。
 運動が不足している上に雨が降るというので歩いて出社。片道約六千歩。併し何処も彼処も解体工事と普請工事の真っ最中。バブルなど一向に崩壊して貰って困らないが、此の実需がなくなったら、一体日本経済はどうなるのだろう。家が建つと云う事は、建設関連業に留まらず、家具や家電の会社、引っ越し屋から蕎麦屋に至るまで極めて裾野の広い一大産業である。併しバブルというものは崩壊してみないことには其れがバブルであったとは分からないというから、予測不能だな。
退社後は佐渡屋に。ちなみに店主は佐渡に帰省中。此方は商売順調の証拠だな。更に日高屋に寄っている内にバスに乗り遅れる。やむを得ず、タクシーで帰宅。1770円。飲み代と合わせて丁度五千円。帰宅後は地震に大雨。


10/5・木
 東京湾の奥の方は汚くて水泳には適さないのだという。オリンピックの際は問題になりそうとのこと。特に大雨の後は酷いらしい。合流式下水道の為である。確かに拙宅の汚水と雨水は同じところを流れて行く。手っ取り早く下水道を整備するためには合流式しかなかったのだろう。今から分流式にするのには巨費が必要である。ならば大雨時の大便は御遠慮下さいと注意喚起するしかないな(してもいいけど流すなと)。いやしかし後進国丸出しである。
 朝から御向いの舗装工事。があがあとやっているので寝て居られない。従って溜まった事務仕事を片付ける。まず電電公社に電柱の土地使用承諾書の発送。名義が変更されたので新たに出さなくてはならない。年三千円が振り込まれるとのこと。併しよくよく考えてみれば此の引き込み線に繋がっているのは、今となっては拙宅だけである。電話会社というのも案外気前がいいと思った。続いて老家人の個人事業税の振り込み(約一万円)。更に日本工業炉厚生年金基金に書類を送る。基金清算後に御金が少し余ったので幾らか振り込まれるらしい。長生きすると得をする。更に信託銀行に送金。此れは遺言書の預かり賃である。長生きには経費も必要である。すっかり一時間半も掛かった。生きて行くのも楽ではない。続いて蔦の撤去。南側に生えた其れは常緑性で粘着質。鋏を数か所入れて一本一本引っ剥がした。夜はスーパーのとんかつその他。


10/4・水
 ところで三台も借りた建設会社は一切車を入れに来ない。所謂架空経費なんだろうな。何ヶ月か本当に借りて、実際は何年も借りたことにするのだろう。未明に空気が入れ替わり涼しくなる。
 ホープ亭が候補者を発表。半分以上は民進出身。まあ一旦受かって仕舞えば、出馬の際の所謂踏み絵を反故にすることなど造作もないことであろう。兎に角、今は数が必要である。但し都市部を中心にかなりの選挙区は三つ巴となる。肝腎の東京五区も民進の元職が立憲民主党で出て来る模様。うーんどうしたものかなあ。もう少し何とかしないと。午後出社。金四万円受け取る。事務仕事と質問が同時に押し寄せてもの凄い忙しさであった。げんなりして佐渡屋に行き、一人で飲んで帰った。


10/3・火
 ホープレス亭に入店を拒否された元官房長官立憲民主党をつくる。併し立憲とは少少名前が古いな。一応第三極ということだが、一極二極に比べ圧倒的に小さい。形式的とはいえ護憲や革新やリベラリズムを唱える民進党が無くなると、もはや改憲勢力ばかり。つまり戦前の保守二大政党の時代と同じである。そういえば民政党も政友会もどちらも立憲が付いたっけ。ならば自民もホープレスも改憲と頭に付けるべきである。次の次は愈愈翼賛選挙ということになりそうだな。ラスベガスで銃乱射。通りの向かいのホテルの上から機関銃で撃たれたら逃げようがない。恐ろしいものは遠くの弾道弾より隣の弾丸である。
 報道によると、七月の豪雨で壊れた日田彦山線の南側は何の工事もされていないらしい。昨年の台風で流された根室線の一部区間も放置状態。どんどんと鉄道が途切れて行く。「日本の鉄路を大切にする会」で一人ぐらい国会に送り込めないものか。
 何だか異様に蒸し暑い。小量の草取りをしつつ、ゴミ袋に余裕が出来たので空き家の片付けも再開。例によって全く捗らないが、少しずつ捨てて行く。夜は鶏の唐揚げ他。


10/2・月
 案外曇って蒸し暑い。不思議なもので一週間も経つと、新党の熱気も何だか冷めた。もうラーメン劇場にもうんざりである。投票まで三週間もあると言うべきか。夕方から雨。
 中目黒まで歩いて出社。退社間際に大きな音がしたと思ったら、目の前の交差点でタクシーと乗用車が激突していた。幸い重傷者はなさそう。道路は途端に大渋滞。若い巡査が早く交通規制しろと上役に怒鳴られていた。千寿辺りだと警察官の気性も荒いね。多少検分してから駅に参る。小諸蕎麦を食べた後、缶入りのハイボールを買って乗る。メトロの車両が来て助かった。車端部に物を載せるスペースがあるから飲食には向いている。でも東急や東武車にはないから不思議である。本日は此の一缶のみ。


10/1・日
 都民の日。とはいうものの学校が休みにならないから、あまり実感はない。そもそも此の処ずっと都知事の日日である。併しあの横柄な物の言い方を見ると、愈愈鼻白むな。結局民進党は左右に分裂。半分はホープレス亭へ。半分は社共の方へ。民進党は何れこうなるこうなると言われていたことだから、大して驚かないが。併しМ原代表もいいように手玉に取られたな。其れに三つ巴になって仕舞ってはね・・・。
残念ながらリベラル系など精精三十、共産を足しても五十も受からないだろう。恐ろしい時代になったものである。第二段階として、ホープレス亭も分裂して、三分の二は自民に入り、三分の一くらいは帰って来るかな。そして政界再再編である。いやしかし、此れは一種の究極の選択だな。Aを追いやる為にホープレスに入れるか、其れによりにリベラルが事実上壊滅するか・・・。
 朝からよく晴れた。七時台から再びの出鱈目散歩。田園調布にバスで出て、以後多摩川まで降りる。少し河川敷を歩いた後、蒲田まで歩く。「山田うどん」に入りたかったが、店はまだ準備中。別のうどんを食べ、大森経由で帰宅。一万五千歩。可成りの距離をバスに乗り移動したが、車道を堂堂と遊弋する自転車に接触し掛ける。車道はバス優先である。頭の悪い自転車乗りが多くてつくづく閉口す。