2019年8月

8/31・土

 朝はコンビニの炒飯。旨くないこと夥しい。そう言えば最近旨い炒飯を食べていない。また「福しん」に行きたいと思った。昼は半田の素麺。午後は駐車場の整備。草を山ほど取り、めり込んだ縁石の代わりにロープを張って目印とす。

 近鉄の新しい名阪特急は「ひのとり」だと。少し語感が悪いな(やはり平仮名三文字が佳い)。英訳はフェニックス。くれぐれもベイクドバードではありません。

今月の備忘録。獣医学校に通っていたENさんが退任。引っ越しして通いきれない模様。推定時給1100円くらいではねぇ。ちなみに唯一の学生さんだった。教員志望でも無い人はなかなかやれないよな(大して稼げない)。と言う訳でおじさんおばさん講師ばかりとなる。なお芥田先生にはコーヒーゼリーを送った。

 

8/30・金

 横浜でやっているアフリカ開発会議と言うのは日本政府主催なのだそう。でも今時アフリカに行く日本人や日本企業っているのかしらん(そんな所で苦労するより便利で快適な日本にぶら下がって生きていたいという人が多い)。確かに最後のフロンティアなんだけどね。かの地では中国の進出が目覚ましい。今回の会議に出るななどと言う横槍もあったらしい。チャイナアフリカのブロック経済圏だな。万が一にも第二店屋物事件を引き起こして世界中から怒られても、アフリカがあるから大丈夫と言うことなのだろうか。

 朝は真っ暗、そして大雨。朝の御通じはみな東京湾に・・・。矢鱈大きなビルを造るより、下水道の再整備と電柱の撤去の方が先だと思うのだけど。東京再開発会議をやるべきである。昼には降り止んだ。「オリジン弁当」の昼食。角部屋はルームクリーニング。ちなみに此の部屋の台所湯沸かし器はなくなり、風呂の給湯器から配水することになる。此れで室内焚きは本物件からは形式消滅となった。危ないものな。どんどん設備を更新す。

 午後出社。此の期に及んで理科の自由研究をやってくれと。パソコン内にあった「ダイアモンドはなぜ硬いか」と「雲の作り方」を只管書き写させた。退社後は中華とIで中量飲酒。機嫌がいいので久久に差し入れもす(千円相当)。

 

8/29・木

 ワイドショーは連日日韓問題を煽り立ている。大体他国の政府を非難するより、自国の政府の不正を検証すべきであろう。でもまあ総じて世論としては割と冷静な印象を受ける。テレビの影響力などは高が知れていると言うことかな。大体真面な大人は平日昼にテレビがある所に居ないよな。

 朝から草取り。晴れて来たので作業終了。大体二時間だね。以後暑くなる。現場監督が来て作業の確認。生コン打ちは来週になる。行水、昼飯、午睡の後、出社。夏休みもあと僅か。結局残るのは読書感想文。パソコン内のデーターベースから幾つか打ち出した。退社後はBに行くも誰にも行き合えず。Iに寄って帰った。

 

8/28・水

 年金に関する財政検証が公表される。給付は三十年で二割減るという。但し経済成長率がいい加減に設定されているから実際はもっと減るんだろうな。まあね、年金に関しては税投入を増やすしかないですよ。足りない足らない、只管二千万貯めろなどと言うと、みんな節約して個人消費が更に落ち込む。江戸時代ではあるまいし、倹約令ばかり出されてもね。経済が縮小するばかりである。また京都のテロ事件で被害者の名前が発表される。職業柄若い人が多い(特に女性)。言葉もない。もしもおじさんがもう少し居れば、もう少し助かったかな。「此処から早く飛び降りろ」とでも大声で叫ぶ人が居て欲しかった。

 南風吹き荒れ、大体雨。再び蒸し暑い。九州北部は大雨だそう。こうなると草取りも出来ず。暇に飽かせて最近リメイクされた「ヤヌスの鏡」を見ようと思ったら、ネット配信オンリーで見もしない番組も含めて月額888円も掛かるのだという。そんな馬鹿な。何でこういうものを地上波かせめてBSでやらないのだろう。大体テレビ局だろうに。大袈裟な科白回しとナレーション、人格が変われば服やメイクまで変わって仕舞うという不思議、ツッコミどころ満載のテレビ黄金期の名作なのにねぇ。基礎工事班にはお茶出し。家人が日日碌な物を食べていないというので、三丁目の豚肉で冷しゃぶ。200円の猫ドームはシロが気に入ったよう。よかったよかった。

 

8/27・火

 朝は曇り。以後一雨あった。まず草取り。漸く家作の前庭にも進出す。偶には変わったところで変わった昼飯を食べたいと思った。出鱈目な東横線に乗る。併し白楽、東神奈川、仲木戸と移動するも食指は動かず。結局鶴見の「ゆで太郎」に入った。そんな馬鹿な。でも富士そばより旨い。細打ちの自家製麵、茹で立て提供。ライバル続続登場である。以後市バスに乗るも、一の瀬という所で下ろされる。這う這うの体で綱島まで徒歩連絡。再び東横線に乗って帰った。何も収穫がなかったが、鶴見の樽町というところで猫用ベッドが200円で売っていたので二つ買って帰った。郊外は物価が安いと思った。

 さてさて夜も更けた頃に外出す。他県で先生になった平政君が上京して来たので無責任社長主催の歓迎会。職場近辺の居酒屋に向かう。苦労は色色あるだろうけど元気そうで何より。大貧学院での経験が役に立っていますと感謝の意を述べていた。まあ確かにこういう感じの学習塾は今となっては少ないだろう(但し彼は給料払って貰ったのだろうか?)。職場に泊まるというので鍵を貸して帰った。

 

8/26・月

 アメリカから余剰玉蜀黍を沢山買わされるとのこと。今時家畜も食べないよな。アフリカか北朝鮮に差し上げて仕舞えばいいか。其れともバーボンでも拵えるか。あんまり飲まないな。ああいう強い酒は食道に悪いし、薄めて飲むと大して旨くない。香港の警察官は拳銃を威嚇発砲。そもそもあんなデモ現場に銃を持って行くことからして何か可笑しい。真面な警備警察のやることではないな。本土の武装警察はどう思っているのだろう。まさか、全く手ぬるいとでも。恐ろしや。

 朝の内は曇り。其の間に草取り。晴れて来たので散髪に行く。引き続き基礎工事。コンクリートの型枠作り。角部屋はガス工事など。幸い次の入居者も決まる。各方面に飲み物を提供した後、遅めの出社。途中旧ダイエー碑文谷店に寄り、扇風機を購入。実は四番教室のエアコンが壊れたのだが、残りの夏は此れで凌ごうと言うことになった。一部の学校は今日から新学期。引き続き中三社会。日本国憲法には先人たちの失敗の経験が詰まっているのですなどと講義するも反応薄し。退社後は立ち飲みBに行くも、誰にも行き合えず。こんな晩は他客のお話を受信するのみである。ところでBは割と最近時給を結構上げたらしく(1300円らしい)、結構若い人が入って来ている。学生さんや副業さんなど。其の分、外国人材や中高年は何処かに押し出された模様。みんな元気かね。碑文谷のドライブでラーメン休憩。早目の帰宅となった。

 

8/25・日

 朝と夕に草取り。昼は「ほっともっと」。夜は「信濃屋」のかつお中落ちと肉豆腐。三回出動して45リットルで数袋取った以外は、取り立てて無為。夜半過ぎに大雨。外には涼しいが二階は暑いまま。

 

8/24・土

 未明に前線が通過したらしく異様な湿度は下がる。昨日今日と工事は無し。例によってやや宿酔気味。朝は富士そば。以後漫然とす。まあまあ晴れて、まあまあ暑い。其れでも秋の粧い。夜は家人の明太パスタ。

昨日の新聞によると都内の下水道を全て分流式に変えるには十兆円も掛かるのだという(私有地の配管も変えなくてはならない)。また雨が一時間に十ミリも降ると自動放出されるらしい。こうなったら山ほど牡蠣を養殖したらどうだろうと思った。牡蠣には大変な浄化能力があると聞いたことがある。泳いでいる内に引っ掛かって怪我しちゃうかな。水着が破けて大変なことになるかもしれない(スイマセン)。信託銀行から七月の運用報告書が送られてくる。何とプラス千円だという。そんな馬鹿な。此れでは郵便代の方が高い。

 

8/23・金

 朝からまあまあの雨。朝はコンビニのおにぎり。例によって家のレンジで人肌に温めると結構食べられる。北海道では「おにぎり温めますか?」と聞かれるらしいが、本州以南でもそうすべきである。午前中は漫然とす。試しに血圧を測って見ると、上が115で下が75と極めて良好な値。夏は血管も伸びるよな。熱帯地方に高血圧の人って、いるのかしら。

 以後降ったり止んだり。異様に蒸し暑い。川崎の叔父さんが来たが大してお構いも出来ず。そもそも平日の昼ではね。夕方前出社。ところで中三のK君はとうとう塾に来なくなる。此の子など小学生の頃から来ていたのだが、何しろ一言も発したことがない。学校でも同様だという。だから誰も彼の声を知らない。何かがあったのだろうな。こういう子にこそスマホを与え、いっそラインで会話した方がいいと吾人は進言したのだが採用されなかった。何かしら言いたいことはある筈なのだけど。見たところ母権が強過ぎる感じかな。もう少し介入すれば何かしらの変化があったのかもしれないが、何しろ学習塾には権限がないからねぇ。月波君が来たので、立ち飲みB、立ち中華と連戦し、先日マスターと知り合ったワインバーのような所にも寄って帰る。多分一時過ぎ。もうふらふら。バタンキュー。

 

8/22・木

 朝方は重い曇り。引き続き基礎工事。敷いた砕石の踏み固めから。以後型枠作りに移行。段段暑くなる中、今日も千寿に出校。途中駅ビルにて『日本大空襲』を購入。本書は十九年十一月から始まる航空整備兵さんによる日記記録。最近ちくまから再版された。『東京焼盡』と合わせて読みたいと思った。

此方の講習を終わらせると町屋に回航。立ち飲みBを覗くもDH君はおらず。どうやら社員さんに任せっきりの模様。駄目だね、オーナーたるもの常に現場に出なくては・・・。やむを得ず駅地下のちゃんぽんチェーンへ移動。併し大して客もいないのにオペレーションは崩壊気味。外国人材二人だけではね・・・。十分に冷めた餃子等が提供される。値上げしてでも人員を確保して欲しいと思った。大体ちゃんぽん界のプライスリーダーだろう。

 さてさて本務校での勤務の後はバーIへ。先日のバーベキュー会の後日談を聴収す。すると元生徒のOBさんが来て、序でに一献傾けた。此の子など中高生時代は色色と反抗して大変だったが、今では立派にOLを務めているらしい。適当に話しして最終バスで帰宅。四千円も失う。若い女性と言うのは得だね(吾人も男には奢らないぞ)。直ちに録っておいた「やすらぎの刻・道編」の九十九話。気の優しい三男さんは徴兵が嫌で自死するという結末に。所謂死亡フラグは立っていたのだが予想外の展開である。こういうこともあったのだろうな。戦没でもなく復員でもなく。つくづく公共放送の連続テレビ小説では描けない内容だと思った。

 

8/21・水

 信託銀行からは投資信託について次から次へと葉書が送られて来るが、見方が分からないから、よく分からない。昨日の報告にはマイナス五千円とか書いてあったぞ。そんな馬鹿な。

 まあまあ曇る。家人は鎌倉へ。さてさて今日から基礎工事。小型のユンボが来て掘り始める。不発弾や土器でも出てきたら困るけど幸い其れはないだろう。二階家だから大して掘らないしね。松の木の根っ子も少し切った。三時過ぎには御仕舞。時時読書、何処にも行かない夏は『日本史用語集』で時間旅行をする。時時草取り、梅雨明けから放置状態だったからもう膝下まで来ている。朝昼と残り物。夜はスーパーの惣菜。

 

8/20・火

 朝方は大雨。更に気温が下がる。久久に妨害行為はなかった。猫は濡れるのが嫌いだからね。前の前の天皇の「拝謁記」というものが公開される。一応反省の念を示しているらしいが、所謂一撃講和論と言うのは良くないな。あれで終戦が遅れ、一体どれだけの方方がお亡くなりになったことか(義雄伯父さんを含む)。大きな溜め息をつかずにはいられない。満州事変以後の陸軍の暴走にも怒っていらしたらしいが、三十代の君主では抑えられなかったかな。政治とは四十を過ぎなくてはよく分からないものである。

 以後少し晴れる。肌の状態が良くないので草取りも出来ず。夕方前に再び大雨。昼はスーパーの弁当。夜は生協の豚肉。成るべく買い物をしないで、ある物を食べて片付けようと思う。久久にエアコンなしで就寝。凡そ三週間ぶり。

 

8/19・月

 外猫による断眠酷し。少なくとも十回以上。さてさて雲が広がり酷夏は終了。出来ればあと一日早く終わって欲しかった。基礎工事が始まる。特に地盤改良工事。見たことがないような重機も来る。鉄管をかんかんと打ち込んでいた。

 さてさて吾人も今日からは働くおじさんである。サービス価値を生み出さなくてはならない。御昼に千寿に出校。今週は向こうの講習である。実に半年ぶりに千寿に参る。多少ゴミは片付いていた。併し当該生徒は一人だけ。他の生徒も数えるほど。明らかに採算ラインを下回っているが、なかなか廃業の決断がつかなかった模様。辞め時というものは難しい。それにしても五年前は溢れるほど生徒が居たのだけれどね。逃散した前任者はどうしているのだろうか。三時間ほど教えて本務校に回航。退社後は雨雲を気にしながら立ち飲みBと中華に寄る。Bに居て以後独立したOJ君が来ていたので色色と昔話と情報交換をした。若い人はどんどん独立した方がいい。ただ何処も彼処も再開発だらけで手頃な物件が無くなっているのは宜しくないな。昨日留置しておいた旧型車で帰宅。十二時前。併し久久に乗ったけど酷い乗り心地。よく乗っていたね、こんなポンコツに。

 

8/18・日

 朝の内から活動す。まず一旦職場方面に赴き、其の後激安スーパーに参集。暑い最中であるが、バーI主催のバーベキュー会である。続いて多摩川右岸に移動。一応設営は業者さんに頼んだ模様。最近は何でもやってくれるのね。参加者は二十人以上。男性多し。喫煙率高し。而も前回の花見の時と殆ど一致していない。飲み屋の御客も新陳代謝が著しいと思った。大した役割分担などしていないが、何となく準備が進み、乾杯の運びとなる。焼き場は若い人に任せ、吾人は後方勤務。

テントはあるがなお暑い。三十五度はあるね。色色と焼いてくれたが、みんな手が伸びず。中から冷やすしかないな。結構飲んだ筈だが殆ど酔わず。幸い三時過ぎには撤収となる。金五千円失う(内二千円は設営料)。皆さんは目黒線に、吾人は東横線に。二次会はキャンセルして早目に帰宅した。夕飯として家人の冷やし中華。こうしてお盆休みは終了す。十時就寝。

 

8/17・土

 香港の自治一つ認めないのだから、現在の中国共産党は余程自信が無いのだと思う。ドミノ倒しを警戒しているのだろうが、そもそも香港のドミノは違う方向を向いている。本土に波及する訳がない。為政者には好き勝手にやらせて措くぐらいの度量と言うものがないと往けない。万が一にも武力介入と言うことにでもなれば、世界的規模で中国製品排除と言うことになり、米中貿易摩擦どころの話しではなくなる。輸出依存の中国経済は忽ち壊滅す(人民の不満も爆発する)。序でに日本経済も大ダメージを受ける(吾人も投資信託で大損する)。此れが現在予測し得る最悪のチャイナリスク

 台風が残した熱い空気に強い日差しが加わり、異様な暑さとなる。終日在宅。昨日今日と角部屋は大工工事。昼はレトルトカレー、夜は冷凍干物に適当な炒め物。昨日に続きゼロ円支出。お台場の水泳大会は菌の活動が活発過ぎて中止となる。詰まり大雨が降ったから。詰まりあれが流れ込んだのである。雨に降るなとは言えないから、愈愈全都民にあのお願いをするしかないか。大量降水時の大便は御遠慮くださいと。

 

8/16・金

 まあまあ曇る。其の分、気温は下がる。其れでも三十度はあるね。冷夏を予想したのだけど、結局猛暑になった。つくづく未来の予測は難しい。引き続き「やすらぎの刻」。とうとうテレビ局で乱闘騒ぎと言う展開に。大先生はバラエティー番組がお好きではないよう。まあね、確かに吾人も見ないですよ。そもそも見ないから、下らないなどと腹を立てることもない。ちなみに劇中の豊臣家康のモデルは最盛期の武軍団。今はあんな無礼な人もいないと思う。過去に何かあったのだろう。但し人は変わり、何れ礼儀正しくなりますよ。其れが成長と言うものです、先生。買い物は無し。残り物と買い置き食品でゼロ円夕飯。炊飯器には二度目の出動を願った。グレが何度も上って来て安眠を妨害す。また時期が来たみたい。

 

8/15・木

 悪い流れを断ち切るべく何処かに出掛けようと思った。こういう場合は高尾山か深大寺なのだが、天候の不安もあり、後者に向かう。時折雨に降られながら、早速「青木屋」で冷酒を傾ける。つまみは鮪の山かけ。二八のもり蕎麦は太麺で水水しい感じ。こういう蕎麦もあるのだね。少し新鮮だった。

土偶君が暇だというので町田に回航することにした。確か、調布から柿生行きとかがあるのだが、よくよく見ると休日朝に一本だけ。そんな馬鹿なと思うことなかれ。此れは路線免許の維持の為である。多摩地区にはこういう路線が多多ある。バスマニアしか乗らないな。結局素直に狛江に出て、小田急線に乗り換える。小田急も京王も東急に比べて全然ホームドアが付いていない。依然として脆弱鉄道。急行通過駅から早く設置すべきである。

さてさて彼とは一年振り。まず「なかなか」と言う店に入った。近況報告などをしていると、狭い店なので隣りのおじさんと話しが盛り上がる。まあまあの会社員なのだろう。キャッシュレス決済の重要性を力説される。でも御本人は一万円札を出して払っていた。そんな馬鹿な。サービス価格の酎ハイ類が薄かった御蔭でまだまだ飲めそう。「とりいちず」と言う店に転進。たっぷり飲んで出た。二軒、凡そ五時間近く飲んでも一人四千円程度。町田は安いという印象。若い人が多いからかな。「ぎょうてんラーメン」も食べたかった今夜はもう入らない。田園都市線経由で帰宅。十時就寝。ちなみに土偶君の実家は依然としてゴミ屋敷状態だという。公務員である御両親は共に退職した筈だが、今以て布団を敷く場所もないらしい。そんな馬鹿な。「片づけトントン」の動画を一家全員で見るように推奨しておいた。

 韓国大統領のボルテージは多少は下がったよう。まあね、徴用工問題に関しては、官民協力で基金のようなものをつくって見舞金を渡すようにするしかないとは思うけど、A政権ではねぇ。其れに先行して作られていた財団を強制解散に追い込んだのは韓国側のやり過ぎだよなぁ。

 

8/14・水

 昨日と同じような感じだが、台風が接近してきた分、通り雨の間隔が狭まり、また降り方も強力となる。山陽新幹線は明日の全面運休を決定。計画運休と言うやつである。指定券の大変更でみどりの窓口はどうなるか。

 引き続き「やすらぎの刻」。引き続き大御所先生は視聴率競争に御怒りのよう。まあね、ちゃんと見たい番組ほど録画して見るよな(こうした視聴は数字に反映されない)。でもね本当に見たい番組は、急いで帰って、リアルタイムで見て、更にもう何回か録画を見るぞ。ま、そういう番組ってもう何年も無いな。少し草取り。

 晩は唐揚げを買いに行く。七個パックを所望したところ、一つないので数分待つとのこと。何でもいいから代替してくれと言うと、其れは出来ないという。サービス業も御役所化していて融通が利かないと思った。思わず店員相手に悪態をつく。いけない、いけない。どうも昨日から流れが良くない。一方何日経ってもなくならない白菜が邪魔だと家人が何遍も宣う。本当に地鎮祭などやるものではないと思った。第一に家内不安全を招く。お供え物だから捨てる訳にも行かないし。愈愈吾人激昂し厨房に突入す。怒り任せに引き千切り、胡麻油で炒め、油揚げと冷凍餃子と餅を加えて、「サッポロ一番塩らーめん」のスープで煮込んだら、まあまあの出来栄えであった。併し家人は一切手を付けず。結局夜半に全量廃棄となる。

 

8/13・火

 どんどん雲が出て来る。10号は西日本を直撃の見込み。関東も時折ざあっと降る。朝方は隣のマンションの不燃ゴミの整理。引っ越しゴミが箱から溢れ返っていて、此の二週間、誰も何の整理もしなかった。どう仕様もないね。無管理会社である。結局拙宅が迷惑す。昼は「さとう」のラーメン。家人には「ほっともっと」。

 午後も一雨。其れでも暑い。適当に映画「ライフ(SF版)」。例によってクリオネみたいなかわいい生き物があっという間にイカのお化けになって襲ってくる。言わんこっちゃない。だから何処も彼処も防疫が緩い・・・。でもあの飛び出したエイリアンどうなったかな。案外地球上の微生物にやられて御仕舞かもね(逆ケースも当然ある筈)。夕方はおじさんたちに誘われて人気もつ焼き店に行く積りだったが、リコンファームが遅れ、何故か吾人だけが蚊帳の外に。おじさんたちの段取りの悪さに失望するとともに、観光地化した大衆酒場と言うのも考え物であるな。いっそ二倍値上げして、御客を半分にして欲しい。食い物の恨みは怖ろしいぞ。結局冷蔵庫の残り物で中量飲酒。まだまだ白菜がある。

 香港のデモ隊は空港を占拠。全便キャンセルという事態に。成程、此の手があったか。広場に行くより発信力があるな。日中で世界貿易を維持するという所存に変わりはないし、現に拙宅も大量購入しているが、何れ中国とは深刻な対立が起こるような気がしてくる。矢張りああいう体制は拙い。此れが本当のチャイナリスクだな。

 

8/12・月

 山の日の振り替え休日。多少曇っているが、暑いことに変わりはなし。其れでも少しは温度が低下するというので、小平霊園へ向かう。亡父の新盆であるし、また万代伯母の命日も近い。義雄伯父さんもね。まず世田谷線に乗り、京王づたいに国分寺へ。此処から銀河鉄道に乗り換え。運賃170円。少し安い。路線バスのLCCかな。ちなみにバス停は遠く、駅前を態態一周して方向転換す(凡そ四分のロス)。パラパラとは乗っているが採算は取れているのだろうか。

肝心の霊園であるが、お盆なのでまあまあ来ている。手短に清掃と近況報告をし、駅前の中華屋で麦酒休憩。冷やし中華には小炒飯が付いて来たがどちらも及第せず。一方周りの常連さんは定食をモリモリと食べている。ミスショットだったな。其のまま西武線に乗り、新井薬師下車。南に向かう。庶民的な商店街が飲み屋街に変わればもう中野駅。少し物色したかったが、気温が其れを許さない。直ぐに京王バスで渋谷へ。啓文堂で『社会学史』と『日本社会のしくみ』を購入。どちらも新書としては最厚クラス。凄いボリュームだね。地下街で崎陽軒の弁当を買って素直に電車で戻った。九時半に出て三時着。往復に四時間掛けた新ルートであった。

早速後者を拾い読み。日本社会は元来格差社会で、経済成長が停止すると忽ち元に戻る傾向となる。特に地縁血縁家業不動産等の基盤(「地元型」)を失うと貧困に陥りやすい。また給料だけで生計を立て、退職金と年金でまあまあの老後生活が送れるのは、大きな会社を定年まで勤めあげた人だけで、男の人でも精精三割程度だという(「大企業型」)。まあそんなもんだろうな(件の二千万円問題で大騒ぎするほどの事でもなし)。ちなみに吾人の生活は家業を中心とした「地元型」と、不安定で僅かな給料収入を得るという「残余型」のハイブリッドになる。深刻なのは此のまま何もしないとあっという間に「残余型」が増え、まるで戦前みたいな社会に戻って行くことである。毎日毎日会社で働いてはいるが、貧農小作と変わらないということに。困った困った。

夜は公共放送で「かくて自由は死せり」。戦前最大の右派メディア「日本新聞」を追ったもの。こんな新聞があったとは知らなかった。蓑田胸喜の息子さんなんかも出演して御父上の日記を紹介していた。ああいう資料もしっかり保存しなくてはならないね。実家の取り壊しなどでごっそり捨てられる時期である。

 

8/11・日

 引き続き三十五度。午前午後と漫然とす。外猫もぐったり気味。途中映画「ビッグ・ハウス」。巨大アメフト競技場を追ったドキュメント作品。大学対抗の試合に十万人も集まるのだという。但し観客は結構白い。アメリカの大学も学費が高いからね。一方働いている人などは違う色。アメリカの現実だね。アメフト、チアリーディング、ハンバーガーセット。此の国は未だに若い。こういう所で熱狂するより、少し廃れた蕎麦屋でゆっくり冷や酒でも飲みたいと願う吾人なのであった。年寄り染みてる? いえいえ、元からこういう性格なのです。

夜は焼いたスルメに白菜の炒め物など。定量飲酒。先日の御供え物が大量に滞留している。また台風が来るのだという。従って海の事故多し。五輪まで一年。プレ大会では暑い暑いと苦情続出。なおお台場で泳いだ選手によると水質が悪いと。トイレの水のようだとも。そもそもあんなところで泳ぐ人はいないよな(そもそもあそこには未処理の下水が・・・)。何かの宣伝の為に無理矢理選ばれたのだろう。兎に角、五輪を止めろとはもう言わないから、せめて今からでも移した方がいい。東京湾の入り口辺りでいいじゃない。三浦海岸でも千葉方面でも。いっそ島でもいい。あそこも東京都である。

 

8/10・土

 さてさて本日から九連休である。朝は牛丼S。午後新橋に向かう。仲田大将主催の暑気払い。時間があるのでバスで行く。例によって渋谷はどんどん建て替わっている。東急プラザ後のビルも完成間近。西口バスターミナルが丸ごと入るのだという。其の後、東横店の取り壊しに入る予定。例によって渋谷永久再開発である。

 そんな渋谷であるが近年鼠被害が多発とのこと。先日はコンビニが閉店に追い込まれた。今こそ、猫の出番だと思った。兎角犬と比較され、何とか犬など働く御犬様は多多あれど、勝手気儘の怠け放題、働く猫なぞはついぞ見たことがないなどと陰口を叩かれているが、其れは全くの誤解である。そもそも猫がいなかったら、人類は農業を営むことすらままならなかっただろう。何しろ収穫した穀物を次から次へと喰われて仕舞うのだから。雲霞のごとく押し寄せる鼠に対抗するには、下男下女のような人人を二十四時間穀物庫に張り付けておく必要がある筈で、其の分の労働力が恒常的に失われることとなる。其れは農業の生産性を相当後退させた筈である。こうした本来極めて困難な鼠対策を猫が正に一手に担ったのである。猫に感謝すべき理由は此処にある。現代の猫が暇そうに見えるのは鼠が偶偶見当たらなくなっただけのことで、一旦緩急あれば、彼らは忽ち本能を取り戻し、誠心誠意不眠不休で鼠を追い掛け回すに違いない。全国の猫達よ、今こそ渋谷へ集え。そして一所懸命に闘う姿を見せて欲しい。

さてさて都営に乗り換え、西新橋の停留所で下車。海風が入っているらしく世田谷より少し涼しいね。二時半から何時ものちゃんぽん屋さんで大量飲酒開始。参加者は鰻犬先生と須々木さん。延延と五時間も飲んだ。高級日本酒を片っ端から空けたから一人九千円。半分以上は大将が支払ってくれた。本日は此の一店だけ。メトロで帰宅。十一時就寝。

 

8/9・金

 フクイチの汚水タンクは三年以内に満杯に。取り切れなかったのはトリチウムである。一応自然界にも存在するものだけど。愈愈決断が迫られるな。漸く角部屋の水道関係工事。元栓取り換えの為、拙宅を含め一瞬断水す。此れと言った影響は無し。引き続き三十五度。昼は半田の素麺を豚肉入りの付け汁で。午後出社。金参万円受け取る。退社後は無責任社長と一席。其の後Bに寄って帰った。

 帰宅後「エイリアン・コヴェナント」。二千人も載せた移民船のクルーたちは極めて無防備に未知の惑星を探索す。そんな馬鹿な。吾人ですら未知のゴミは軍手とトングを使って慎重に分別するぞ。北欧のような景色は綺麗だけど、残酷シーンの手前で挫折。こういうSF物はコメディーにした方がよっぽど楽しい。二十年くらい前に公共放送でやっていた「宇宙船レッド・ドワーフ号」は本当に面白かった。

 

8/8・木

 さてさて八月八日、末広がりの大安の日。地鎮祭である。まず果物を受け取りに行く。愈愈十時過ぎに宮司さんが現れ、祭壇の準備。地元の神社から来たのだが、当然初対面である。十一時に式典開始。参加者は施主である吾人と家人、住宅メーカーからは営業担当者と設計者、現場監督と其の上役さん。何時もの不動産屋からS君と同僚のO君。それにしても暑いね。祝詞に続いて砂山に鍬入れ。エイエイエイと三回唱えた。(何とか道路とか、かんとか新幹線を作り始める政治家みたいだと思った)

相変わらずの炎天下である。事前に指導されたにもかかわらず、御榊奉納では手順で間違える。此方は施主がトップバッターだから、誰かの真似をするという訳にも行かず。少し恥ずかしかった。それにしてもこういう神事に出るという経験自体がないからなぁ。大体四十分で終了。時折日が陰り、風が吹いたのが幸いである。パッと散った紙吹雪が印象的だったよ。色色と頼みますよ、氏神様。吾人にも福を下さい。宮司さんを御見送りして、簡単な工事の打ち合わせをして終了する。十二時過ぎ。いや疲れたね。もう一度やるかと問われたら少し考えるな。

さてさて御勘定である。玉串料は伍万円。参加者に金券配布して約四万円。供物等の準備に一万円弱。社会的儀礼の範囲内と言うやつも安くはないね。ちなみに御酒は住宅メーカーが用意してくれた。「良家」という縁起のいい名前の日本酒だが、よくよく見ると糖類添加。あらま。ぐったりしながらレトルトカレー昼食。沐浴、午睡の後、出社。四時から補充授業。いや併し疲れたね。プリント作成時、コピーの縮尺を何度も間違えた。少し気を取り直し、立ち飲みBで少しだけ飲んで家に帰った。

 

8/7・水

 引き続き三十五度。西友に熨斗袋を買いに行ったところ、祝儀不祝儀色色あれど、「初穂料」などというレアアイテムは置いておらず。炎天下、野沢の古い文房具屋まで回航す。ちなみに今日も測量をやっていた。異様に若い人が多かったから、研修半分なのかな。午後はテント張り。

余りにテレビが下らない(特に国際弁護士の何某と何とかいう落語家が酷い)のでラジオを点けて午睡す。すると元首相の後継ぎがタレントアナウンサーと結婚するそう。併し態態官邸まで行って公表するかね。公私混同甚だしい。何かがどんどん間違って行くと思う次第である。而も加速度的に。愈愈国が亡びる兆候だな。そもそもあの世襲政治家のあの無意味に大袈裟な喋り方から言って(芸能人をされているお兄さんとは余りに対照的)、置かれた場所と時代を何か勘違いしていると思う次第である(貴族院議員とでも?)。夜はスーパーの惣菜。

 

8/6・火 

米中貿易摩擦で株価は続落。大丈夫か、吾人の投資信託。併し株価如きで一喜一憂したくないね。こういうことになるからね、あんな債券買わされてつくづく迷惑である。引き続き三十五度以上。今日明日と不出社。朝方に再び西友に行き、炊飯器を購入。虎が早逝したので今度は象にした。政権交代である。約一万円の標準品。当然メードインチャイナ。日中で世界貿易を支える所存である。なお拙宅の人口減少に伴い、三合炊きに変更となる。まあね、三合でも週休四日だよね。

 続いて昼の弁当を買いに行く。序でにスルメを購入。明後日は愈愈地鎮祭である。午後は休憩す。西の方に向かって水を撒いた後、一キロ先の果物屋に参る。行って見ると先月末で閉店していた。そんな馬鹿な。やむを得ず並びの八百屋で特別注文す。受け取りは当日朝。一方家人は馴染みの古酒屋にビール券を買いに行く。と言う訳で一家総出で色色と準備をす。海の幸と山の幸、酒に塩に米と金券に、あと何が必要なんだっけ? 夜は家人の回鍋肉。週に一度ぐらいは台所も何かしら生産しなくてはね。

 

8/5・月

 本日も三十五度。また飯を炊こうと思った。ちなみに新型のガス台にはオートモードというものがあって自動で炊けるよう。試しに二合だけ炊いたところ、お焦げが多数。どうも鍋との相性が良くないらしい。矢張り電気釜が必要だと思った。午後作業車が来る。仮の電柱に仮の電線を接続させて直ぐに帰って行った。夕方頃出社。暫らくは中三社会の授業がある。本日も近現代史を重ねて指導す。退社後はBで少しだけ。

 日韓で憂鬱な応酬が続く中、二十歳の日本人選手が全英女子オープンゴルフで優勝す。グリーン上で駄菓子を食べながら屈託ない笑顔を見せていた。まだあどけない。一服の清涼剤だと思った。勿論色色と苦労もあるのだろうが、何も恐れないというのは強みになるな。併し最近は地方から良い人が出て来る。大都市周辺は駄目だね。練習するにしても御金がかかり過ぎるからかな。

 愛知の展覧会は中止に追い込まれる。詳しくは知らないが、まあねある程度想定されていたことかな。・・・М・ホジャートは「検閲官に理解されるような諷刺は、禁止されるのが当然である」というカール・クラウスの言葉を引いている。そして、「アイロニーアレゴリーや寓話という手段を用いて、検閲官を出し抜くというのが諷刺家の仕事である」とつづける(『諷刺の芸術』)。この時期の如是閑の言論戦は、まさしくそれであった。ジャンケレヴィッチ風に言うならば、彼のアイロニーは軽やかに遁走す。追跡者にたいして目くらましを投げつけ、神出鬼没、思いがけぬところに姿をあらわし、命懸けの隠れん坊遊びをしてみせる。そして、トリッキーな身ごなしによって相手をはぐらかし、時に韜晦して自分の本性を隠し、姿をくらましさえするのである・・・「アイロニーの銃眼」御大の文章から。時代は最早、そういう段階にまで来て仕舞っているのだろう。困った困った。

 

8/4・日

 朝方はコンビニ弁当。昼は冷凍うどん。今日も暑い。こうも暑いと取り寄せた『独ソ戦』も『自由思考』も手付かず。夕方月波君が来て暑気払い。まず「とり石」へ。三十針も縫ったという芥田先生へのお見舞いを考える。続いてチェーン店のパスタ屋へ行き大量飲酒。ふらふらでバスで帰宅。

 ところで家人宛にプレミア付き商品券の案内が来ていた。二万円で二万五千円使えるのだという。消費税率引き上げに伴う救済措置だが、何とも面倒くさい。大体、購入の申し込みをして、受け取って、使って、また使われた側はいちいち換金しなくてはならない。そんなことなら全国民に直接日本銀行券を配って仕舞えばいいのにね。流行りのММ何とかである。

 

8/3・土

 当然宿酔も無し。打たれた杭を見ると案外小さい。二LDKだからね。もうすこしがっつり建てるべきだったかな。尤もそうすると庭が無くなる。今回のコンセプトは車庫付き庭付き猫付き賃貸物件だからね。本日は仮設トイレに仮設の配管を取り付ける作業。

 さてさて今日も暑い。朝方は富士そばかつ丼盛り蕎麦セット(720円)。続いて西友でLEDシーリングを二個買って持ち帰る(16000円余り)。此れは角部屋用。尚水道工事も目途が立った。御昼に出社。漸く講習最終日。中三社会、中三数学、中一数学のフル編成。ちなみに社会は歴史である。近現代史を真面に考えると余りに恐ろしいことが多く、夏の怪談などほんのおとぎ話に聞こえますなどと講義した。人間、取り分けナショナリズムと言うものは極めて取り扱い注意の重大危険物であるともね(こういうことが分かっていない大人が多すぎる)。さてさて八時半まで勤務して、B、中華、Iと三軒廻って帰宅す。

 

8/2・金

 未明にゴミの分別をしていると若者から声を掛けられる。駅への道が分からないと。色色と説明してやった。後から考えると、吾人があれこれ説明している時、彼は視界から消えていた。吾人の後ろに回っていたことになる(一緒に方角を見ていたのだろう)。昨今の事情を考えると、少し迂闊だったかな(警察学校では絶対にやってはいけない教え方だと習う筈)。ちなみにそんなに悪そうな人には見えなかった。半裸に近いおっさんに熱心に道を説明して貰ったという経験が何かいい方向に行きますように。まあね、年を重ねることに楽しみがあると言えば、こういうフランクなコミュニケーションが出来ることかな。おじさんおばさんじいさんばあさんに恐れるものは何も無い。全国の中高年よ、もっと声を掛けよう。先ずは親切に。そして他人をもっと褒めよう。

引き続き三十六度。本日は現場監督以下住宅メーカー本体から若い人が大勢来て、目印用の杭打ちなど。御昼にバス出社。講習も最終コーナー。中三社会も、中三国語もグダグダとなる。夕方退社。其のまま神宮球場へ。麦酒半額ナイターである。客乃間君、月波君、遅れて坪上君。何だか草臥れて仕舞い、試合内容も頭に入らず。おまけに数杯目の麦酒を膝小僧にぶちまける。仕事してスポーツ観戦とかは、ちょっと厳しいよな。増して此の気候では。試合としては九回の表にスクイズを決めて中日の勝利。ま、どちらにしても最下位争いである。

 酔った客乃間君は何時の間にか行方不明に。残った三人で表参道方面に移動。「麺飯坊」という中華屋に入る。チンジャオロースの焼きそばなど。麺の焼き具合が絶妙でなかなか旨い店だと思った。やっぱり都心は違うね。十二時頃帰宅。大量にビールを飲んだけど(三リットル近く)、余りに暑いせいか殆ど酔わない。不思議な晩であった。

 

8/1・木

 引き続き三十五度。本日は現場に鉄板を敷く作業。何度かトラックが往来する。途中植木屋さんが来て、庭木の消毒。定例の草刈りと剪定は九月になるとのこと。梅雨が長かったからスケジュールは押せ押せである。また角部屋は浴室ドアの交換。働くおじさん続続登場である。引き続き「やすらぎの刻・道編」。軍事教練、徴兵検査、小作貧農、結核隔離、金属供出、海軍病院。軍国少女のしのちゃんも、少し考えが変わった模様。作者はこうして、戦前戦中の惨さを可視化する意気込みなのだろう。若い人ほど見るべきであるな。Aのいう所の美しい国が、如何に惨めで悲惨であるか、即座に分かる筈である。

 午後は安閑とする。さてさて生命保険の見直しであるが、結局再見直しとなる。吾人の眼圧が高いので専門医による診断が必要とのこと。そんな馬鹿な。暑中女の外交員が来て、取り消しの署名。夕方須見伯母が来る。牛肉と舌平目を焼いてもてなした。

2019年7月

7/31・水

 引き続き三十五度程度。朝方に飯をたこうと思ったら炊飯器が動かなくなる。可笑しいな。結構高かったのに。コントロールする基盤が壊れた模様。頭がやられては最早再生不能である。ガス炊きに緊急変更となる。勤続数年目、週休五日程度だったのに。暇疲れして壊れたな。

 御昼に出社。本日は八時間授業。余りに暑いので、東電のホームページを覗く。電気には余裕があるよう。また太陽光発電量もグラフ化されていた。ピーク時で1000万キロワット弱。此れって自家使用した分は抜いてあるのだろう。どちらにしてもまだまだ足りない。最低あと三倍は付けられるぞ。昼はノー火力。勿論ノー原発

退社後はBで数杯。珍しく田岡さんがいたので閉店近くまで。続いて碑文谷の新ラーメン店に。あっさり鳥蕎麦750円。内容的には可もなく不可もなく。但し店内は異様に暑い。検分してみると室外機を妙な木枠で囲っている。美装した積りなのだろうがあれでは排熱出来ない。基本的な事が分かっていない店である。立ち飲みBの後に出来た店であるが、こんなことでは持たないな。帰宅後は肌の修繕。汗疹だか紫外線にやられてあちこち痒い。ステロイド剤をピンポイントで塗り込む。でもやっぱり内から冷やすのが一番効くね。こうして七月も終了す。そう言えば今月は電車にもバスにも一度も乗らなかった。

 

7/30・火

 埼玉のある公立中学校では僅か数年の間に、二件の自殺と一件の殺人事件が起きたという。どうなっているのだろう。もう解体した方がいい。またN局党は早速磁力を発揮してゴミみたいな議員を集めている。其のまま消滅してくれれば、政界の大掃除になるのにね。一方日韓関係は徐徐にアンコントローラブルな状況に。此れだからナショナリズムに火を点けては往けないのです。下手したら焼き討ち事件まで発展する。そろそろかの国による仲裁策に期待するしかないか。あの親分に。ああ情けなや。

 続いて足場屋さんが来て、柵と仮設トイレを設置。二時間ほどで終了。どんどん進んでいくね。家人がリハビリ体操に使いたいというので、ヨガ用マットを検索す。素材×厚さ×重さで千差万別。数千種類も出て来る。適当に平均値を割り出して、適当な物を注文す。併しリハビリも効果が上がっていない模様。もう駄目だな。

 引き続き異様に暑い。昼はレトルトカレー。夜は三丁目の肉屋の豚肉で冷しゃぶ、激安八百屋の夏野菜を添えて。但し家人は肉を茹でるのも這う這うの体である。早晩、拙宅から調理と言う行為が消滅するだろう。

 

7/29・月

 朝からかんかん照り。と言うことで関東も梅雨明け。更地には早速人影が。仮説の電柱を立てている。工事用の電源だね。続いて基礎工事の準備。昼前には終了す。来年の今頃は物件の屋根がどんどん発電している筈である。

 午後出社。夕方富士そば休憩。退社後はBで少しだけ。帰宅後コンビニのこってりラーメン。夜も猛暑。拙室も初冷房す。芥田先生が救急搬送されたという緊急情報が入る。月波君に確かめて貰ったところ、駅で酔って転んだみたい。幸い軽症とのことだが、御大、本当に頼みますよ。

 

7/28・日

 未明は大雨と地震地震は二発来たね。と云っても空き家もないからもう安心である。朝は乾麺で盛り蕎麦。以後晴れて相当蒸し暑い。家人は鎌倉へ。となると昼はオリジン弁当。また此処数日の買い物が滞った結果、冷蔵庫も食料庫もからっぽである。増便して対応す。

 選挙から一週間。何とか新選組の件はまあまあ良かったとは思うが、もう一方のN局から守る党の件は宜しくないな。色色と調べてみると、此の党(と呼べるか疑問だが)はとんでもない人の集まりみたい。世の中に於いて、冗談半分や面白半分と言うのは重要な要素であるとは思うが、投票はもう少し真面目にした方がいいと思う。

 さてさて久久の休日である。録ってあった映画「万引き家族」。生きることとは食べること。登場人物たちは実に旨そうに物を食べている(しかもかなり粗末な物を)。まあね、カップ麺にコロッケを浸しながら笑って食べられれば、其れはもう立派な家族ですよ。夜は家人が買って来たスーパーの惣菜。例によって「買い食い家族」である。但し登場人物は二人だけ。

 

7/27・土

 朝から暑い。御昼に出社。中三社会。五月蝿い男子連中は高校野球を見に行った関係で全員欠席。素晴らしい。天祐である。続いて中三数学。教える側を含めて途中で燃料切れとなる。こういう時はクッキーを買って来て、みんなで摘まみながら関数の問題を解いた。ちなみに先月ぐらいから女の子が続続と入ってきたが、幸い直ぐに打ち解けている。今風に言えばコミュニケーション力があるのだな。こういう子の将来は明るいね。講習も半分が終了。退社後はBとIで二杯ずつ。中日は八連勝の後、八連敗。そんな馬鹿な。

 

7/26・金

 朝から完璧な夏空。猛烈な日差しとなる。通常ならば此処で梅雨明け宣言なのだろうが、マイクロ台風が接近中とのこと。解体も愈愈最終日。挨拶に行くと、おじさんたちは早速耐暑スーツを着用していた。此れは作業着に小型の扇風機が付いたもの。アイデアは随分と昔からあったが、電源の小型化に成功した関係で最近普及しつつある。イノベーションだね。多少は涼しいのかな。昼前に冷えたスポーツ飲料と常温の缶ビールを差し入れした。色色と御苦労様でした。

 御昼に出社。中三社会の後は、小学生の宿題の面倒を見る。明らかに学習障害の子なので全く進まない。トモエ学園なら兎も角、こういう子が普通の公立小学校に通って普通の宿題を出されても、まあ無理だよな。訳の分からない紙の束が押し寄せて来て、目が回るほど酷い目に遭ったという被害妄想しか残らないであろう。ただでさえ気の毒な学校生活である。夏休みまで宿題が出ては益益気の毒だと思った。此れ以上気の毒を増やしても仕様がないので、吾人の丸写しとなる。

其の後は高三女子の志望書作り。何とか整復師の学校に入りたいのだと。既にAO入試が始まっている。志望書の代書に当たり、まずは本人に色色とインタビューするのだが、聞いてみたところで志望の理由も動機もあったものではない。お嬢さん、一体何しに大学に行くのかね。結局何か身に付くものをということで、何とか士や、かんとか師を親や高校の先生に勧められているのだろう。いやしかし、こういう低志望な学生を幾らか集めたところで、教える大学の先生も気の毒だね。小学校から大学まで全部が気の毒。気の毒学校社会である(学習塾もね)。七時前に退社。晴雷亭で麦酒二本。吾人の気の毒だけは取り敢えず解消させる。帰って見ると重機も皆還っていた。がらんとした空間が広がる。来月の地鎮祭まで大きな予定はなし。以後断続的に雨。例によって二階の拙室は炎暑状態。階段を一段上がるごとに体感温度は上昇す。そもそも二階はどうしてこんなに暑いのだろう。新物件は本当に涼しいのかね。

 

7/25・木

 主計士官が巨大戦艦の見積り書の不正を見抜くという映画が公開されるらしいが、其の調子でリニア新新幹線の出鱈目ぶりも検証して欲しいと思った。此方は列記としたノンフィクションである。而も現在進行形。

 さてさて此方も数度目かの打ち合わせである。今回は地元の不動産屋さんにて。内装の変更契約である。材質の変更、デザインの見直し等等で百円単位で高くなったり安くなったりを繰り返す。太陽光パネルは0.3キロワット分増設でマイナス七万、外部建具工事はプラス十二万七千四百円みたいな感じ。コンセントの一つひとつまで単価が変わる。トータルすると結局プラス二十四万円一千三百四十円。なんだあ、案外安いねと驚くことなかれ。問題は金額ではない。此の精緻を極めた契約書の数字の数数である。大体一時間で終了す。まあまあ晴れて異様に蒸し暑い。またしょぼい台風が来るのだという。解体作業に引き続き、整地作業。足場も外れる。あと一日。

 昼は三丁目のとんかつ弁当(770円)。また夕方自家注射した家人は結局やっぱり案の定引っ繰り返っている。いい加減、此れで懲りただろう。大体腰痛で通った医者に、何で骨粗鬆症の治療をされているのだろう。根本的なことを考える必要がある。

 

7/24・水

 朝からヘリが異様に五月蝿い。また何かの火事かテロかと思った。すると五輪に備えた交通実験だという。大挙して上馬の交差点を撮っていたらしい。都心への流入を絞った結果、周辺道路は大渋滞。こういうことを態態平日にやるかね。家から一歩も出ない吾人ですら非常に迷惑した。本当にふざけている。本当に今からでも返上して欲しい。

 御昼に出社。以後八時半までずっと授業。講習期間に二度だけある八両編成の長時間勤務である。中三社会、中三英語、中二数学の順。興味がないらしく地理授業の反応甚だ悪し。何かいい教材はないかな。「日本沈没」でも見せるか。退社後は立ちのみBで少しだけ。其のままげんなりと帰宅す。まあまあ暑いが解体作業も継続中。廃材と残渣の処理にあと二日掛かるとのこと。朝は大渋滞に巻き込まれて大変だったと思う。

 

7/23・火

 昨日の興業会社社長の会見は五時間も続いたのだという。そんな馬鹿な。朝方は霧雨。最後の梅雨空の日(との予報)。それにしても昨日は疲れた。一日勤めたら一日休まなくてはならない。となると週休三日半と言うのが適正であるな。昼は激安スーパーの三百円弁当。大して旨くない。午後はまあまあ晴れた。解体作業は最終段階。ユニットバスも微塵となり、愈愈立っているものは何も無くなる。夜は信濃屋の自家製鰹のたたき他。ちなみに通信障害によりクレカ等は使用不可とのこと。矢張り頼れるものは現ナマである。

 京都の事件では身元確認が難航。一方重体の容疑者は数日前から犯行機会を伺っていたのだという。何処かで何かが少しでもずれていればね。其れにまさかあんなに燃えるとは当の犯人も想定外だったのだろう。本当に何処かで誰かが少しでも何かをしていたら・・・。勿論不審尋問をして事前に検挙するということもあるだろうが、ちょっとした経緯で激昂して人を刺して仕舞ったという事例がある一方、何気ない声掛けでテロを思い留まったというケースもきっとある筈である。

 

7/22・月

 今日明日まで再びの梅雨寒む。さてさて解体も三週目に突入。残すは台所周辺のみとなる。午後出社。本日から夏の講習である。愈愈新型車両が品川快速線にデビューする。速い早い。少し持て余すな。何時ものように漕ぎ出すと道路状況の方が追いつかない。さてさて五時間ほど授業する。いや疲れたね。Bに寄って帰る。帰りも快速運転。一方お肉屋さんに続いて此方の商店街の八百屋さんも閉店。十五の頃から六十年働いて来たという。御苦労様でした。

 家人は再び整形外科に行く。すると週に一回の注射では濃いようだから、毎日打つように処方されたという。そんな馬鹿な。大体八十過ぎの婆さんに今更骨を強化する必要が何処にあるのだろう。とんでもない儲け主義の医者であると思った(新築のビルに行き成り入居するだけの事ある)。費用は一割負担で数千円。と言うことは・・・。家人は安い安いと喜んでいるようだが、そもそも其の原資は税金と下の世代からの保険料である。例によって、こういうことを何遍説明しても家人には分からない。そもそも年相応と言うことが分かっていない。アンチ・アンチエイジングと言うものが分かっていない。何度も激昂し閉口す。

 

7/21・日

 さてさて異様に盛り上がりを欠いた参議院選挙である。思わず危険ではなく棄権な誘惑に駆られる。危ない、危ない。早起きした足で投票所に。以後自転車の完熟運転。昼は家人が買って来たアスターの弁当。八百円。やっぱり旨い。ところで拙宅の近所に激安青果屋がオープンした。行って見ると、冷蔵設備無し、訳あり品を中心に当日売り切る方針のよう。枝豆百円、小松菜二束百円。此れでいいんだよね。但し長雨で商品は少なめ。

結果としては五割を割るという低投票率になる。余り開票速報は見なかったが、与党は議席を減らし、社民党は一議席を確保(幸い吾人に死票は無かった)。国会は多少バランスが回復す。併し例によって投票が終わった後になって、ああでもないこうでもないと報道をしてもねえ。何時からこんな放送方針になったのだろう。闇営業問題で事務所を解雇された芸人さんらが会見し、古巣の実態を暴露。今や政府広報の片棒を担いでいる大会社であるが、実態は非常に古い体質の会社であると思った。此の会社も大きくなり過ぎたんだな。何事にも限度がある。そもそも此の数日、どちらかと言えば後者の話題の方が多い。そんな馬鹿な。

 

7/20・土

 外務大臣は韓国の大使を呼び出して、記者の前で公然と罵倒していた。前から思っていたけど、此の大臣、頭が相当可笑しいよう。そういう争い事を収めるのが、そもそもあんたの仕事だろう。職業教育と言うものを受けていないのだな。何か言って目立ちたいとでも思っているのならば、所謂右翼中二病である。

 朝から富士そば。続いて新車の受領。早速試運転。流石に静かだね。後ろのブレーキもABSみたいになっていてロックしにくい構造。鍵も本格的。安心して使えるな。更に習熟運転がてらに遠くの「京樽」へ。矢張り新車は速い。口径が一インチアップし座面も高くなったからかな。但し止まると暑い。どうにも非冷房車である。ちなみに自転車の正式商品名は「ロングティーン」。成程、吾人の精神年齢もずっと十九歳程度である。

引き続き解体作業。ところで此の家の解体を一番残念に思っているのは、戦争で死んだ義雄伯父さんだと思う。一番帰りたかった場所だろうし。伯父さんどうもすいません。松の木と慶応で学んだ頃の本類は残してあります。本日は分別と運び出し作業のみ。昼過ぎには終了。余りに蒸し暑いので少しエアコンを点けた。

 ホルムズ海峡周辺は極めて厳しい状況に。何かの偶発事態で戦闘状態に陥る危険すらある模様。ああ早く化石燃料に頼らない暮らしがしたいな。第一に、安全である。夜も試運転。矢張りライトの光跡が少し高い。ドライバーで調整す。

 

7/19・金

 変電所が焼損し京王線は長時間運休。最近京王が駄目だな。朝は小雨程度。以後曇る。引き続き平屋部分の解体。外壁もなくなり、次第に御隣りとの境界面が露わとなる。初めて見る景色である。実は母屋は厠や物置きを増築していて、隣地に密着していた。新物件は二メートル近くは離すから風通しも良くなる見込み。

さてさて残りは居間の半分と台所とユニットバス。古い風呂では危なかろうと、納戸を改造して十数年前に入れたのだが、以後伯母は急速に衰え、幾らも使わない内に施設に入ることとなる。勿体ないな。一回当たりの入浴料は特殊浴場並みになるかもしれない。それにしても、つくづく人の寿命とか運命とかは分からないもの。人生設計とかキャリアデザインとか、そもそも無理だよな。

 午前中は吾人の生命保険の更新契約。女の外交員が参る。健康診断結果の添付が必要なよう。他にも電子ペンでいろいろ書かされた(勤務先や年収も)。此の件は全て家人に任せてあるが、それにしても民間保険ね。漸く社会保険の方は少し分かって来たけど、全く分からない分野である・・・。ちなみに掛け金は月一万数千円。実は相当損をしているような気がするよ。午後出社。授業は適当にして講習準備を進める。退社後はBへ。皆さん疲れているようなのでコンビニの御菓子を差し入れた。Iでもう一杯。すると井満さんが居て、何故か一人で寿司を食べている。普通、少しは振る舞うだろう。食い物の恨みは怖ろしいぞ。其のまま帰宅。ガソリンを規制しなくてはならないな。ガソリン車がなくなるまであと何十年かは掛かるだろうし。

 

7/18・木

 各種健康保険料の納付通知書が出揃う。後期高齢者の家人は年額四万三千円(均等割り分のみ)で、国保の吾人が約二十万円。家人は納めた保険料や医療費の十倍から十五倍は使っているな。吾人の分を全部回しても大赤字である。高齢者医療費の半分は税金だそう。なお幸いにして介護保険はまだ使っていない。此方は七万三千円。

 さてさて二階部分は消滅し、続いて平屋部分の解体に移る。結局後輪も修理に出した。新車発注中と言うこともあり、修理代はサービスしてくれた。まあまあ曇ってまあまあ暑い。梅雨明けは接近中の台風次第とのこと。昼前に京都のアニメーション制作会社が炎上。どうもテロ事件の模様。爆弾がなくとも銃がなくともガソリンさえあればテロは実行出来る。

午後出社。夕方以降異様に蒸し暑い。スマホを見ると巨大な雨雲が近づいて来ている。最終授業は三分ほど早く終了し、子どもたちは早目に帰した。何事も臨機応変に安全第一である。大人の方はと言うと、Bでもたもたしている内にたっぷり降られて帰る。昼の放火事件は死者多数。特定企業を狙った事件としては、「狼」をも凌ぐ戦後最悪クラスとなる。而も動機は極めて個人的な事情の模様。

 

7/17・水

参議院選挙まであと数日。世間一般の関心薄し。吾人が超大物フィクサーならば、箱根の別宅にマスコミ各社の要人を呼び立て、Aさんにはそろそろ辞めて貰いましょうかなどと呟くのだけどね。磁器か何かを愛でながら独白のようにして。色色頑張ってくれましたが、少し長くやり過ぎましたなと言うな。まあ大手マスコミの影響力も高が知れている時代だけどなぁ。スイマセン、「日本沈没」の見過ぎです。

 まあまあ曇る。朝の八時にディーゼル音と振動で起きる。同時に電気の取り外しも。本日は三人体制。また今朝は土も掻き出している。壁に大量に使われていたからね。土が断熱材の時代があったのである。以後水を掛けながら二階の屋根まで壊す。見ていると、重機で適当な柱を掴み、其の柱で届かない所を壊して行く。機械を使った職人技だね。一方家人は依然として臥せっている。ちなみに昨日の注射は一本千円だと。詰まり元値は一万円。大枚使って却って病気になってどうするの。全く不要な治療である。医師の言うことを鵜呑みにしてはつくづくいけない。インフォームド・ディスコンセントが大事である。午後は久久に晴れた。二階は壁の一部を残して無くなる。大量の布団と畳も運び出す。夕方には家人も回復す。

 

7/16・火

 未明は結構降った。以後降ったり止んだり。愈愈重機壊しが本格化。周辺にはディーゼル燃料の燃えた臭いと母屋の古い材木の臭いが立ち込める。見ていると桐の箪笥も一捻り。壊すと分別、分別したら壊すの繰り返しなのだが、丁度霧雨が降り続き、水掛け作業が不要となる。天祐だね。流石にどんどん進む。出て来た廃材はトラックに積み込み。これらは銭湯に行くのかな。こうして組み立ててあったものが解体され、熱と煙になって分子か原子に戻って行くのである。兎に角、次の大地震の前に壊せた良かった。何しろ此れ以上古い建物って、町内には皆無であるからね。

 午後臨時出社しようと思ったら、家人が不定愁訴。どうも午前中に整形外科で変な注射を打ったらしい。骨中カルシウム増量用とのことだが、言わんこっちゃない。例によって病院が病人を作り出すのである。安静にしているように指示して出発す。退社後はBに寄るも、再びの降雨。何とか止み間を狙って帰る。後輪がぷかぷかの自転車で。愈愈だな。

其処で鉄道会社風に言うと「長年に渡り、世田谷循環線・世田谷中央線・品川快速線等で活躍を続けてきた8700型自転車ですが、登場から既に三十年以上が経過し、安定的な輸送サービスを提供することが困難となってきています。つきましては、以下の要領で新型車両を導入いたします。形式19000型自転車。非電動式。三段変速。導入コンセプトは伝統から未来へ。車体カラーは従来の8700型を踏襲しつつも、夜を駆け抜けるにふさわしいクリスタルブラックを。パンクしにくいロングレッドタイヤ、あらゆる荷重に耐えるタフフレームと大型バスケットを採用し、ラージな需要にお応えいたします。」てな感じだね。以上大人の電車ごっこ

帰宅後映画「トータル・リコール」のリメイク版。地球の反対側まで通勤した先でやっているのは物凄い単純作業と言うのも悪夢だが、わたしはあなたであなたはわたし、此処は何処、わたしは誰的な展開は、酔った頭では何が何だか分からなくなる。此の作品は精神疾患の疑似体験にはいいのかもしれないな。眠くて眠くて途中で挫折。

 

7/15・月

 海の日だけど雨の日。梅雨明けはまだまだのよう。そもそも今年は第三月曜日が早いのね。まず遠目の激安スーパーに一便。段段と止んできたので、駐車場の端に防草シートを張る。併し砕石が邪魔して中中ピンが入らない。結局適当な植木鉢や石を載せて行く。続いて昨日の店で自転車を注文。四万円余。大型発注だね。実に三十二年振りの新型車両の導入である。国鉄並みの間隔だと思った。就航は数日後。其の際はテープカットしないといけないな。

昼に月波君が来たので、解体途中の古屋を見せる。折角なので二階まで上がったけど、何処もぐちゃぐちゃの滅茶苦茶。いや併しね、半壊れの家など見たところで仕様がないと思った(決して楽しい物ではない)。其の後は駅前の中華屋で軽い昼餐。此の店に入るのは半年ぶり。まあまあ御客が入っている。此の建物は実は魔の地で、「はなまるうどん」「大戸屋」他死屍累累なので心配していた。車で来たのと言うので件のちゃぶ台を持たせて帰った。廃品回収させられて彼は迷惑かな。午後は須見伯母と庭木の剪定。あっという間に七十リットルが二袋。須見伯母は元気だね。家人より年上なのに。肉体と言うより精神、詰まり性格の問題だな。家人なぞは何に付けても文句しか言わないから、長生きしても楽しくないだろう。第一に周りが迷惑である。夜も涼しいというか寒いくらい。適当な残り物で晩酌す。

 

7/14・日

 未明は大雨。以後ずっと霧雨。再び寒い。昼は信濃屋の油淋鶏弁当。一食抜いたら食欲全開に戻った。午後は止んでくる。ところで亡父が買ってくれた自転車も全体が崩壊してきた模様。出ようと思ったら再びの空気漏れ。愈愈限界かな。何しろ三十二年も乗っている。地球を一周半から二周はしている計算である。そろそろ空中分解とか重大事故が起こるな。

と言う訳で近くの自転車店に参る。若い店長が色色と教えてくれた。カタログも貰う。ただ此の店が取り立てて安いという訳ではなさそう。となると何時もの古い自転車屋で買うかな。迷うね。トライスターにするか、DC10にするか。天の声が欲しいところ。まあどちらにしても買うのはブリヂストンだけど。今日明日の作業は無し。猫も大体ぐっすり寝ている。

 

7/13・土

 天候は徐徐に良くなる。さて五日目。引き続き屋根部分の解体。葺き板の取り外しと二階の造作の撤去など。例によって手壊しなのでなかなか進まず。多少薄日が差して昼はまあまあ暑い。本日は冷たいお茶と水羊羹を提供した。

午後からまた小雨。さてさて解体屋さんが帰ろうとしたところ、トラックが動かなくなる。部品が破損して燃料が漏れるという重大故障に。古屋の呪いか?(少し酒が安かったから)まさかね。むしろ移動中に壊れなくてよかった。何しろ人も車も古いからねぇ。結局レッカー車を呼ぶこととなる。八時前に漸く引かれて帰って行った。

また甲子園のオールスターゲームは大雨。伊勢神宮の花火大会も雨。「あずさ」も「しなの」も踏切事故でグダグタ。厄日だね。まあね天気の件は仕様がないが、後者はたった一人の不注意で数万人の三連休が滅茶苦茶に。迷惑な話しである。晩から何だかカラ咳。残り物の小量飲酒に留め、暖かくして早く寝た。

日韓は半導体の素材輸出を巡って泥仕合に。韓国の場合、より民主的な政権ほど国民世論を広く刺激して日本により強く出て来るという逆説がある。そしてとうとうA周辺が怒り始めて今回の輸出制限処置に至ったのだと思う。謂わば左対右の対決だな。左には左をぶつけたいところだけどね。なお無産政党の人から花を貰う。亡父の新盆見舞いということなのだろうけど、例によって拙宅では何もせず。

 

7/12・金

 昨夜から雨模様。霧雨の中、四日目に突入。少し重機も稼働する。同じく昭和の修繕で張り付けたトタンを剥がすと土壁が露出。其の度に水を掛けるから、大して進まず。日中も二十度程度。梅雨寒むである。昼は半田の素麺で煮麺。作業班には熱いお茶を出した。午後は止んで来たけど、割と早目に終了。さてさて定時自転車出社。金伍万円受け取る。漢字検定等があり、それなりに忙しい。退社後はBとおじさんたちとついつい「日高屋」へ。大したラーメンは出て来ないが、アルコールが安いから結構入って仕舞う。座って飲んで食べても立ち飲み価格だからね(今月から穂高屋改め実名表記とす)。

 選挙が近づくたびに、シルバー民主主義と言う用語が聞こえて来る。社会保障が高年齢層に偏っており、また投票率は高齢者ほど高い傾向にあるので、やっかみ半分にこういう言葉が生まれて来たらしい。でもね、そもそも医療にしろ介護にしろ、加齢とともに御世話になる仕組みである。取り立てて理不尽なところはない。若い内はバリバリと仕事してまた消費して、政治とか老後とか年金とか社会保障制度の事など考えたことも無いというのが、今までの日本社会であった(比較的正しい政治的無関心)。ところが急に若い世代が稼げなくなって来て、急に上の世代が目障りに感じるようになって来たのだろう。でもね、御年寄りはみんなの親御さんや祖父母さんですよ。もう少し優しくならないといけない。また年配の人には、地位と収入に固執することなく、若い人にもっと仕事と権限を委譲して欲しい。早や隠居(と言っても六十五くらい)して年金生活。其の原資は若い人が払ってくれますよ。此れで世代間格差も解消する。

 

7/11・木

 テレビは何となく直ったので元に戻した。何だか涼しいというより寒い感じ。冷夏だね。昨年は猛暑だったというが、あんまり記憶がないな。例によって医療と介護生活だったから。

さてさて三日目。本日も二人勤務。幕を張り、屋根の一部を剥がす。此れは昭和後期の修繕でプラスチックっぽい瓦に変更されている。分別回収なのだね。楓も引き抜かれた。併し工事と言うのは落ち着かない。こんな感じが年末まで続くのである。流石に猫も不安そう。午後出社。BとIで中量飲酒。帰宅後湯船入浴。

 

7/10・水

 ハンセン氏病家族訴訟に関して政府は控訴を断念。Aの政治判断だそう。選挙期間中と言うことも加え、直前にA新聞が逆の事を書いたらからかな。

 さてさて二日目。天気も依然涼しく作業向け。もう一人のベテランさんが加わり、金網フェンスを切り倒し、足場を組む。重機搬入口も作る模様。何となく静かだったが、御昼前に愈愈重機が降臨。真打ち登場である。早速檜と門柱をぐわっと一太刀。圧倒的な破壊力だね。今まで色色と見て来た光景だが、慣れ親しんだ、増して自らの所有物が壊されるとなると迫力が違う。以後は案外大人しく、作業スペースの整地確保が中心。敷石などの無機物と木の根などの有機物を分けていた。

 それにしても此の家を建てたのは大正末期。大体人力だろう。与作が斧で木を切って、筏を組んで川を下る。湊か里に出たら、機帆船か汽車ぐらいは使ったかな。そして木場まで持って来る。大鋸で切り出して漸く材木に。赤銅色に日焼けした男たちが目に浮かびそう。少しは貨物自動車に載せたかもしれないが、概ね馬に引かせたか大八車か何かだな。現場では更に鉋で削ったことだろう。今は何でも機械、機械である。午後一瞬だけ出社。面談等の為。急いで戻ったが、幸い本屋は手つかずであった。明日は足場の幕張りからだな。本日は重機操縦者を含めて三人。でも解体屋さん、若い人は一人も見ないけど大丈夫なのかね。

 

7/9・火

 まあまあ曇り。結構涼しい。仕事日和である。さてさて八時前に日焼けしたおじさんが参る。愈愈作業開始。其れに合わせ御酒を撒く。檜と楓に一たらし、母屋と庭にも。こういう場合は矢張り日本酒だな。新潟の「朝日山」を用意した(但し百寿)。まずは造作物と植栽の撤去から。こうして九十五年の歴史に幕が下り始めた。ついに、いや漸く此処まで来たよ。

と言うことを最も報告したいのは亡父であるが、生家をあっという間に壊されて激昂するかもしれない。そもそも空き家をどうするのかについて、父と何か話し合ったという記憶がない。大体無責任だよな。何も決めないで彼方に行くとは。此れがもしも平屋ならば、所謂古民家活用法を考えたのだが、二階建ては難しいよ。上階の重みで全体が傾いでいたからね。ということで吾人が数年前から何となく描いていたビジョンを急遽現実化することになったのである。

 一方発注主は大してすることも無し。結局草取りしたり西洋朝顔を引っ剥がしたり序でに散髪したり。三時前には作業終了となる。途中ガスを切りに別業者が来たが、本日の勤務は此のおじさん一人だけ。よって大して進まず。小木と物置きと二階の窓サッシ類の撤去程度。最後に猫の侵入経路を塞ぐ。もう上がって行っては駄目だぞ。危ないからね。夕寝の後、保存食品で軽い晩酌。幸い猫はケロンとしている。

 

7/8・月

 漸く止んで以後曇る。さてさて解体であるが、朝から管理者がひとり来ただけ。前の現場が遅れて着工は明日となったとのこと。看板等を設置して直ぐに帰って行った。吾人史上最大の作戦の開始は更に一日延期となる。何だか手持ち無沙汰なので結局草取りなど。午後は少し晴れた。家人軽く発熱。夜も惣菜類。また角部屋は元栓不調で止水できず。交換が必要とのこと。

つい夜更かしして「マイマイ新子と千年の魔法」。昭和三十年の防府市が舞台の物語。相変わらずディテールが細かいね。ガス冷蔵庫とか初めて見たよ。防府には国府があったので千二百年分以上の物語があると言うことになるが、関東地方に住んでいると律令時代って意識しないな。精精頼朝からである。

 

7/7・日

からしっかり冷たい雨。今年の梅雨は本格的である。家人のテレビが映らないという。調べてみると確かにリモコンが受信できなくなっている。本体側が悪い。受信部を小突いても効果なし。可笑しいな。拙宅で一番新しい機種なのに。取り敢えず吾人のものと交換す。此れで一段とテレビは見なくなりそう。

午後もしっかり降った。空き家は最終チェック。愈愈解体前夜である。但し家人の関心は薄い。嫁に来た立場だからね。思い入れも少ないのだろう。ひょっとしたら悪い思い出の方が多いのかもしれない。ウタ婆さんも強烈だったから。雨中駅の向こうの電鉄系スーパーに参る。矢張り色色と美味そうな刺身が並んでいる(近海天然物)。近所のスーパーはどうしてこういう風にならないのだろう。何時も同じ解凍物と養殖物ばかり。やる気がないんだな。

 

7/6・土

朝には止んだ。曇って涼しい。何時もの電気屋さんが来ていたので、先日の遮断器について相談す。大した機械ではないので更新の必要はないとのこと。成程、なるほど。昼は中華食堂。七号室は住人が交代す。再び引っ越しゴミの再分別(瓶も缶も滅茶苦茶だった)。此方は先輩が後輩に部屋を禅譲したらしい。空き部屋時間はゼロなので有り難い。

午後も涼しい。草取りした以外は取り立てて無為。大阪の古墳が世界遺産に登録されたとのこと。ならばきちんとした学術調査を受けるべきである。不都合な真実が出るかもしれないけどね。所謂北方騎馬民族征服説である。

 

7/5・金

 曇って涼しい。家人は件のリハビリ整形外科へ。治るといいけどね。ちなみにベッドは外猫用のデッキとして再活用することにした。結構いい木を使っているから長持ちするだろう。午後出社。小学生に、「男は黙ってサッポロビール」、(此れだけだとポリティカルコレクトに抵触するので)「女も黙ってアサヒビール」「子どもも黙ってキリンレモン」と言ったら、結構受けていた。ではサントリーはどうなる? 大したことをしていないのに異様に疲れる一日。何でだろうと思い返したら、朝の内にホロコーストに関する本を色色と読んだからだと思った。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。夜から大雨。太腿を濡らしながら急いで帰る。

割と早く帰り着いたので適当なニュース番組を見ていた。今度東京湾無人島に無人機で飲み物等を配達するサービスが始まるそうである。お試し期間なので利用料は一回500円だそう。破格だね。ドローンと言うものはIT産業から出て来たと記憶している。でも此れを物流に使うというのは少少無理がある。そもそも物は情報ほどには簡単に動かせないし、増して重力に逆らって空を飛んで行くなど相当無理な話しである。

 

7/4・木

 強力化した梅雨前線が近づき、午前中は大荒れ。御昼前には落ち着く。来客来電、工事なし。午後まで漫然とす。夕方前出社。此の時期は高校の定期試験対策もする。春秋時代とか司馬遷とか黄巾の乱とか、みんな大好きな時代の筈だけど、吾人の頭にはさっぱり残っておらず。可笑しいな、そもそも入って無かったのかもしれない。私大文系入試の哀しさだな(日本史のみの選択でした)。矢張り、幅広い教養を身に付けていなくてはね。ところで新皇帝の座を伺う現国家主席にはこういう権力の興亡がびっしりインプットされているに違いない。(私大文系推薦入試の)Aの頭では対抗できる筈も無いな(自戒を込めて)。

 退社後はBに行くも誰にも行き合えず。碑文谷のココ一番に寄り、二辛のフライドチキンカレーで頭を温める。帰宅後、世界史の教科書を少し見直しした。あっという間に飽きて仕舞い、白猫を抱き寄せる。やはり老子荘子がいいなぁ。無為徒食、小国過眠(寡民と打とうとしたらこう出た)、夏炉冬扇、粗製乱造。吾人の好きな四文字熟語である。そもそも英雄豪傑史観は宜しくない。

 

7/3・水

 まあまあ晴れて暑くなる。何時もの大工さんが来て、角部屋の造作撤去から。畳と合わせて、廃材の類は母屋に運び込む。また玄関の木戸を取り外す。此れは裏口で使う予定。木戸がなくなった玄関を角部屋のベッドで塞ぐ。何でも再利用しなくてはね。午後臨時出社。本日はS山先生の代講。退社後は立ち飲みBでひと休み。1580円。排水は元に戻った。

 

7/2・火

 ずっと梅雨空。朝方は防草シートの張り直し。空き家の物を引っ剥がして再利用す。水道屋さんが一瞬来て、水道の栓を立ち上げる。解体には水が必要だからね。昼は駒沢の「おか本」のラーメン。二度目だがやっぱり旨い。其の後深沢の西友に回航。此処は日用品オンリーの店舗。防草シートのピンと室内用物干しを購入。再び三十分掛けて自転車で戻る。こういうホームセンターが近くになくてほとほと困っている。

 午後はまあまあ晴れた。草取りしながら敷地内に散在している何だか分からない物を収集する。何だか分からない物とは、昔の物干し竿であったり、棚の残骸であったり、壊れたカーテンレールなどであるが、此れらは何が何だか比較的分かる方である。本命は塩ビ管や鉄管や足場の部品や縦樋などなど。何でこんな物が続続と出て来るのだろう。大昔の修繕工事の端材か何かかな。みんな持って行って貰おう。結局汗びっしょり。晩は結構涼しい。買い物には行かずに冷凍食品を並べた。生協宅配のハンバーグと鰹刺し。優子さんから送って貰った秋刀魚の干物。下手なスーパーよりよっぽど旨い。中日の応援歌から、「お前」が削除の方向。子どもの教育に宜しくないと。吾人も通常生活では「お前」とは一切言わないけど、球場では言うよな。そんなことを言っているから勝てないんだよ。「あなたが打たなきゃ誰が打つ」。そんな馬鹿な。

 

7/1・月

 小雨が降ったり止んだり。再び久久の朝のお勤め。入梅の遅かった西日本は行き成り末期の大雨。午前中は内装屋さんの若頭が来て、角部屋の見積もりを取る。午後は信託銀行の人が来る。相続手続きは全て終わっている。今回来たのは金融営業部隊である。ベテラン女性職員が担当課長と二人で現れる。手ごわいぞ此れは。何しろ遺産整理が終わったことを知っているからね。金利がゼロになって仕舞ったから、そもそも資本主義はそろそろ御仕舞なのではないですかなどと言ったが、愈愈ゼロの時代だからこそ益益の投資信託を勧められる。断るに断れず。低リスクの商品だが、運用実績に関わらず投資顧問料などと言うものも引かれるから、下振れリスクもあるらしい。どうしたものか。すると此の間に解体屋さんと新任の現場監督と何時もの営業担当者が来て、実地検証及び近所への挨拶回り。月初めはつくづく忙しい。出たり入ったりしている内に、ついうっかり契約の運びとなる。最低ランクでも富士そば凡そ一万杯分から。そもそもこんな訳の分からない物(金融工学?)に投資するより、空いた部屋を早く直して、いい人に一か月でも長く借りて貰う方がよっぽど佳いのである。

 ほとほと草臥れたので晩食は全て近所のスーパーへ。例によって何時も同じ物しか置いていない。今まで手に取ったことのない物を選んだが、たこ焼きも焼き鳥もししゃも焼きも全て及第せず。鶏肉はぱさぱさ、魚も全焼死しているし、蛸など小指の爪ほども入っていない。一応店内調理している筈なのだけどね。作って何時間も経っているのだろう。あれでは全てコンビニに劣る。一度文句を言ってやりたいと思う。それにしても腰の状態が悪化している家人の調理能力の低下に伴い、乾麺やパスタなど大鍋を用いる麺類は廃番、回鍋肉や麻婆豆腐といった中華鍋を使うのも廃番、揚げ物はとっくに廃番。出来るものはフライパンで焼くことぐらい。外食中食が頼りである。

2019年6月

6/30・日

 Aがお気に入りの何とか興業には数千人のタレントさんがいるのだという。そりゃあまあ下下は食べられないよな。其の上、ギャランティーも同業他社に比べて低いのだという。あれだけ(上位の)皆さんが稼いだお金は何処に行っているのだろう。まさか政界資金?

 時時小雨。まあまあ涼しい部類。昼は表に出た。地元の駅には二台目のエレベーターが付いていた。拙宅側なので家人にとっては有り難い。国道に穴を開けてまで作ったから、三億円も掛かったと何かの広報紙で読んだ気がする。当初はがらんとしていた此の地下駅も今ではすっかり手狭な感じ。ホームも改札も常時混雑している。鉄道会社としてはまさかこんなに乗って来るとは思いもよらなかったのだろう。まさかこんなに年寄りが増えるとも。

さてさて目当てのセルフうどん店は閉店していた。結構繁盛していたのにね。こうして飲食店ばかりが増減す。結局「せい家」の付け麵(540円)。以後草取り。草も靴もビシャビシャで捗らず。開けてみたところ排水管も調子が悪い。直したてなのにね。再び水を運ぶ。また溢れるかもしれない。例によって排水ノイローゼである。

昨日注文した本が午後には届いた。『明治生まれの日本語』『増補版普通の人びと』の二冊。本当に本屋だけは綺麗さっぱり無くなって困っている。但し後者は梅雨時に読むような本じゃないな(では何時読めばいい?)。T氏は大阪の次は板門店へ。北の委員長とも会う。つくづく役者だね。まあね、あのネオコン強硬派のアホ補佐官を干した上で、現実的な妥協点を見い出して欲しいとつくづく願いますよ。本当に何度も言います、よっ大統領、頼みます。

 

6/29・土

 時時冷たい霧雨。居ながらにして霧降高原に来た感じ。大阪か何処かの国際会議については、一言も言及するまいと随分前から決めていた。あっ、うっかり書いちゃった。

草取りの後、角部屋の退去立ち合い。大きなベッドや掃除機等が遺棄される。まあ此れらはサービス品ね。いや併し、在室中に風呂釜とトイレとエアコンは直してあるが、部屋全般は劣化が著しい。また大工事だな。さてさて笑顔で御見送りした後は、何だか気分が優れず。成程、此れは一種の失恋の感覚であると思った。どうぞお幸せに。上越線は土砂に乗り上げ運休。中央西線は夜間作業で火事を出してやっぱり運休。夜は「信濃屋」の金目鯛刺し他。まあまあ旨い。

夜は公共放送の「東京ミラクル・巨大鉄道網秒刻みの闘い」と言う番組。毎朝毎朝矢鱈と押し寄せる乗客相手に、東日本は頑張っていますという内容。まあね、人身事故と強風でグダグダだった四月十一日の輸送指令室の模様は見応えがあった。御苦労様です。でもね、あんたのところの車両や設備の故障も結構多いと思うのだけどね。

 

6/28・金

 異様に蒸し暑い日。流石に冷房も使う。午後出社。一番煩い小六の男の子が転出。父親の看病の為、引っ越すのだという。大変なんだな。退社後は立ち中華の後に穂高屋と中華重ね。夜には風向きが変わり結構涼しくなる。さてさて帰宅すると何処も締め切ってあって拙宅内だけ異様な暑さが継続中。扇風機二台、換気扇、窓数か所で緊急一斉換気。婆さん一人では、満足な留守番も出来ないと感じた夜であった。

 

6/27・木

 まあまあ晴れる。角のお部屋からは大量の画用紙が出ている。此の人は撮影関係の仕事をしているから、カンペに使う予定だったのだろう。勿体ないので近所の保育所に持って行く。ゴミを教材に変えたぞ。毎日分別毎日廃棄、時時再利用。

 さてさて御昼になり、何度目かの新宿訪問。今日も打ち合わせである。内装その他を最終確認す。結局柵は付けなかった。住宅メーカーのオプションにはなく、外部発注部材になるとのことだから、需要と言うかそもそも其の必要がないのだろう。後は外装の検討だが、宅配ボックスが案外高くて吃驚す。なお外構屋さんが忙しすぎて設計も見積もりも間に合わなかったとのこと。更に解体屋さんも都合が付かず、着工は一週程度延期となる。みんな立て込んでいるのだね。本日は二時間ほどで終了す。取り敢えず「永坂更科」の立席店で「肉天そば」(800円)。蕎麦は今一つ茹で損なった感じだったが、流石に汁は旨い。ついうっかり飲み干した。

其のまま本務校に回航。ところで職場の冷蔵庫には何かしらが入っている。中学生の女の子が水が飲みたいというので、出してやった。どうやら薬を飲むらしい。あの痛みが酷いのだと。スイマセン、男なので一切分かりませんと慰める。女に生まれて損をしたと宣うので、平均寿命の話をした。「(大抵若干年上で我儘である場合が多い連れ合いの)じいさんに死なれた後、少なくとも数年は元気に遊べるよ」と。そんな先のことは分からないかな。でも此れは大きなメリットである。退社後はBで軽く。久久に11系統に乗って帰った。午後は南風が吹き付け時時雨。異様に蒸した。

 

6/26・水

 まあまあ蒸してそこそこ暑い。午前午後と漫然とす。時時『資本主義と民主主義の終焉』と二階の角の部屋の引っ越しゴミの再分別。針金ハンガーや突っ張り棒は不燃ゴミなんだよね。布団は粗大ゴミで有料別回収。まあ、此の人は十二年もいらっしゃったから、サービスしないといけないな。何しろ、12×12×七ぐらいだから・・・。大変な買い物である。幸い粗大ゴミの類は来週の解体屋さんに引き継げる。夜は保存食。

 国会は閉会し、参議院選挙は予定通り。衆議院の解散とか増税の延期はなくなった模様。併し増税は何れ不可避ではあるが、二度も無暗に延期した結果、タイミングとしてはかなり悪い時期に行うこととなる。まあ自業自得だな。資料によると、相続税を支払った被相続人の割合は7-8%で、納税額の平均は1800万円だという。随分高いな。何十億も払う相続があるからね。中央値は幾らなんだろう。

年金(保険料)など払いたくないという若い人に対しては、税金は払わなくていいから、年金は払いなさいと言うことにしている。税金はF35とかで消えちゃうけど、君が保険料を支払ったという記録は消えないし、実際誰かの役に立っているし、君も何時かは助けられるのですと、割と真面目な顔をして説得を試みることにしている。

 

6/25・火

 終日晴れ。さてさて御昼前に海老名に向けて出発する。母屋の解体を秋子叔母さんに報告する為である。まず世田谷線豪徳寺。荷物が大きいので混んだ急行は避け、延延と各駅停車に揺られる。丁度一時間。駅で従妹の優子さんと待ち合わせ。優子さんの運転で介護施設に参る。実に二年半ぶりに会う叔母はまあまあ元気そう。昭和四年生まれだというから今年で九十だね。取り壊しについては言ったけど、実兄の死は言わなかった。実父は来たいのはやまやまだけど調子が悪くて来られないと説明す。嘘ではないな。わざわざ認知症の人を悲しませるようなことをしてはいけない。幸い症状はまあまあ小康状態の模様。

また母屋から出て来たものも手渡す。代用教員をしていた叔母の任命書だとか、公職追放には当たらないとか言う判定書だとか。亡父の水彩画も飾ってみた。少し昔話をして退散す。其のまま和食ファミレスに入る。遅い昼餐。本来なら御寺に寄って清二さんに会うのだが、アルコール中毒気味なので面会謝絶とのこと。人と会うと大量に飲んで仕舞うからね。吾人は一献傾け、色色と歓談して駅に戻る。帰りは中央林間経由の急行運転。やっぱり速い。それにしても今度は秋子叔母さんの相続だな。何時になることか、此れは神のみぞ知ることである。帰宅後、土地の持ち分割合から推定される課税額を試算してみた。吾人も相続のプロになって来た。

 

6/24・月

 昨夜から大雨。涼しいのは有り難い。OECDか何かの報告によると、日本の中学校の先生はどの国の先生よりも長く働いているが、どの国よりも授業の質が高くないと。此れは生徒にとっても同じことだな。此の国の中学生はどの国の中学生よりも長く学校に居るが、学校生活はどの国よりも楽しくないと言うことになる。本当に此の国の中学校は一旦解体した方がいい。ぼんやりしていると下からズドンと中地震。震度四程度。兎に角、あと一週間、大地震は来ないで下さい。もうすぐ解体しますので。

 午前午後と漫然とす。三時頃には止んだ。少し遠目の「マルエツ」に行く。併し肉も魚も惣菜も碌なものが売っていない。リニューアルして益益店内加工をしなくなった模様。巨大なコンビニのような店を最早スーパーと呼ぶべきではないな。文句ばかり言いながら暗くなる前に一仕事。隣地から引き剥がした防草シートを家作の前庭に張り直す。昼は半田素麺、夜は家人のゴーヤチャンプルー。後者は豆腐がぐずぐずで及第せず。夜半にかけて何度も上厠す。昼の麺類を食べ過ぎた。

 

6/23・日

 早朝から富士そばで煮干しラーメン(450円)。嫌なことはまず腹を満たして忘れることとする。次は頭を満たして記憶も上書きしようと思ったのだが、読みたい新書は三軒廻っても売っておらず。結局ネットで注文することに。身の回りにちゃんとした本屋がなくなったから、みんな益益馬鹿になるのだと思った。家人は新しく出来た整形外科の内覧会に。リハビリ科が併設と言うから、色色とやってくれるかもしれない。

 夕前に草刈りをしていると道に迷ったと言う御婆さんから声を掛けられる。110番しようかと思ったが、住所と名前は分かるようなので送り届けることにした。スマホ片手に数百メートルほど歩き、古屋に辿り着く。此処で一人で暮らしているらしい。割と立派な家だが、草木はぼうぼう。息子さんと娘さんはいるらしいが、早晩立ち行かなくなるな。まあまあ此れで四年前の亡父の借りは返せた。いいことをした晩は御酒が旨い。スーパーの牛肉を当てに井筒ワインをスッキリ飲み干す。

 

6/22・土

 学校に行くと却って馬鹿になり、病院に行くと益益病気になり、老人施設に入ると更に老化が進むのは何故だろう。もっと日常を鍛えねばならないと、ふと考えた。日中降ったり止んだり。其れでもまあまあ涼しい方。朝は牛丼S。午後臨時出社。事務作業をしつつ、試験勉強に伴う諸諸の質問に答える。九時前には退社。Bと中華に寄る。おじさんたちは週休二日なので行き合えず。久久に若い人なんかと飲んだけど、やっぱりハートブレイク。Iに行って仕上げの大量飲酒。久久の土曜出勤も碌なことがない。

 

6/21・金

 まあまあの蒸し暑さ。朝から新宿に参り、再びの打ち合わせ。今回はエクステリアを中心に詰める。駐車場と駐輪場のデザインを決め、立水栓の位置を定める。リビングのエアコンはやや高級なものにした。頭の片隅にあったものが、どんどん具現化されて行く。家作りは楽しいね。ところで今回はファミリー向けの建物である。子どもが落ちたら大変なので、二階の窓には柵が必要だと思った。サンプルを見てみると最近の物件は壁が厚く、早早には身を乗り出すことが出来ないような造りになっている。成程ね、だから断熱能力が違うのね。現住の三十七年前のぺラぺラの建物とは此処が違うのだと思った。結論は次週に持ち越しとなる。また地鎮祭もやることにした。何事も形式が大事である。それにしても、六月と言うのはどんどん進むね。休みもないから仕事が捗る。過労死も多いらしい。

本日は御昼には無事終了す。「肉の万世」で排骨麺(850円)を食べて、一旦帰宅。午睡の後、夕方前に出社。退社後は中華とBへ。

 

6/20・木

 まあまあ曇る。段段と蒸し暑い。午後出社。金伍万円受け取る。延延と事務作業+通常授業。退社後はBと中華へ。大体二千円。

 

6/19・水

昨夜遅く新潟と山形の境辺りで震度六強。羽越線は大丈夫か。年金に関して一言。現役世代並みの収入がある年金受給者の基礎年金の国庫支出分を、低年金の人に付け替えるという話はどうなったんだっけ? 世代間ではなく世代内での助け合いもするべきである。

 まあまあ晴れたり曇ったり。家人は鎌倉へ。どんどん外出させないとね。此れもトレーニングである。段段暑い。取り立てて無為。午前午後と際限無くだらけた感じとなる。先日の拳銃強奪事件は、どうにも拳銃を奪うことが目的ではなかったらしい。同級生を語って虚偽の通報をして警察官をおびき出したのだが、被疑者は何かしらの恨みを此の同級生に抱いていた。其処で大きな事件を起こして濡れ衣を着せる算段であった模様。傍から見れば実に目的と手段が倒錯しているのだが、本人にとっては此れは此れで辻褄が合っているのであろう。いや併し、滅茶苦茶なことを考えるな。襲われた巡査は未だに重体だという。

党首討論内容薄し。もう少し時間を長くしないとね。予算委員会が長く閉店中と言うのがそもそも可笑しい。立ち往生した車に小田急線が突っ込み、本厚木から先が大変なことに・・・。あの辺も早く高架化した方がいいよな。脆弱鉄道強靭化。もっと予算を付けないと。山陰新幹線より、リニア新新幹線より、先ずは小田急の一級幹線化である。京都の先生に頼んだら良いと思った。

 

6/18・火

 香港の人も中国の干渉に怒っている。所謂チャイナリスクだな。高まる一方である。まあまあ晴れる。大阪の地震から丁度一年。詰まり亡父の入院から丁度一年。隣家の片付けは最終章最終節。無料ガレージセールでも売れ残ったちゃぶ台は拙宅で残すことに。一方拙宅の半壊れのアイワのコンポ二台は廃棄することにした。あべこべに隣家に搬入する。一つは25年物、もう一つは15年物、どちらもCDは再生出来ず、ラジオのみの使用となっていた。ちなみに後者にはMDが付いている。今はみんなパソコンがやって仕舞うんだよね。それにしてもMDか・・・、何もかもみな懐かしい。

家人は渋谷で会食。吾人は家で冷凍饂飩。一日遅れてBS特集「北朝鮮への“帰国事業” 知られざる外交戦・60年後の告白」。取り立てて新情報はないが暗澹たる内容であることに変わりはなし。今は送金も出来ないんだよね。状況はますます悪化している。ところで数年来吾人の踵がガサガサに。幾ら削っても毟っても効果がない。かゆみはないが、踵何某かもしれない。市販薬を買って来る。税込みで1600円。自ら治験者になるべく、右の踵だけに塗ってみた。夜は冷凍餃子。

 

6/17・月

 大阪の交番を襲い拳銃を奪った男が捕まる。最近此の種の事件が多い印象を受ける。持っているから狙われる。イギリス警察は常時携行はしていないのだと言う。それにしても、ヤクザ屋さんの其れは暴力、警察官の其れは権力などと政治学のイロハでは講義されるから、拳銃は公権力の象徴のような所がある。なかなか手放せないのだろうな。

 引き続き快晴。数キロ先の家電量販店に行き、宛先ラベル作成ソフトを購入。職場のパソコンには此れが入っていないから難渋していた。ダウンロードも出来るのだろうけど、職場でクレカ情報を曝したくないよね。往復数十分。丁度いい運動。午後は漫然とす。昼は「ほっともっと」。夜はスーパーのいさき刺し。絶賛の使い捨てプラスチック生活である。夕方草取り。

 

6/16・日

 朝から快晴。風強し。御昼前に住宅会社の人が来て、「解体のお知らせ」看板の設置。愈愈だな。気持ちよい風が吹く夕方につくづく古屋を見上げた。大正14年建築。あと僅かで御仕舞となる。

 

6/15・土

 朝から大雨。国土何とか化を提唱している京都の先生は、山陰新幹線が出来れば、三兆円も経済効果があるとか述べていた。暑さのせいかな、とうとう気が触れて仕舞ったよう。こういう人は北海道に行って、少し頭を冷やした方がいい。其処で鉄道の手当ての方法を考えて欲しい。元元は優秀な人なのだろうから。北の鉄路がどんどんなくなる。此のままでは国土脆弱化である。

 夕方月波君が来る。先週の反省会。「とり石」を覗くも満席の模様。其れではと、「味とめ」に参る。先先月かな、此方は立て替わった。奥の座敷に案内される。御隣りでは老教授を囲んでの親睦会。何処何処で飲んで帰れなくなった云云、何某君は大学に残ったけどあちらこちらで苦労しているかんぬん。芥田先生と大体同じような会話をしているね。続いて「ほていや」へ。割と早目の御開きとなった。夜半にもう一雨。

 

6/14・金

 高齢者用の自動車免許を新設するような動きがあるようだけど、どうにもな。年寄りの生態を理解していないような気がする。老いは忍び寄るものだけど、あるところから急激に進む。昨日まで出来たことが急に出来なくなる。そういう特異点のようなものがある(と思う)。注意深い人はそういうことが分かっていて事前に運転を止めるのだろうが、駄目な人は漫然と運転し続けて大きな事故に至る。何処かの総理大臣の言い草ではないが、自分を客観的に見ることはつくづく難しい。成長にも個人差があるように、老いにも極めて個人差がある。だから何歳になったから一律禁止と言うことにするのも少し可哀想な気がする。そうなると更新期限をもっと密にするしかないだろうけど(多分一年ごとくらい)、なかなか現実的ではないな。

 まあまあのお天気。午前中は設計図とメジャーを手にエクステリアの検証。駐車場と駐輪場の位置を確認するも何せ素人なものでよく分からず。専門家に質問するにしても多少は調べておかないとね。信託銀行から電話があり、移転登記も完了したとのこと。午後出社。退社後は中華へ。鶴木さんらと話しが盛り上がり穂高屋にも寄って帰った。三日連続で仕事すると結構草臥れた。Aはテヘランから帰国。訪問中早速タンカーが攻撃される。訪問したこと以外に大した意味はなし。

 

6/13・木

 まあまあの快晴。朝から銀行に行き、諸税の振り込み。昨年よりかなり少なくなった。続いて税理士法人から書類の束が届く。今月の三日に相続税は無事納付したとのこと。早速控えを遺影に供えた。大体此れで御仕舞である。いやしかし、とうとう異母姉の方と会うことはなかった。少し残念な気もする。税理士殿にはお礼のメールも出した。午後出社。退社後はBで一杯だけ。帰宅後、安白ワインを一本空けた。

 

6/12・水

 まあまあ曇る。午前中は亡父の絵の整理。何枚か優子さんのところに持って行こうと思う。落ち梅で最後の梅仕事をしようと思ったら、何処のスーパーも瓶は売り切れ。

固定資産税に一週遅れて、住民税の納付書が来る。何故か吾人の分だけ。可笑しいな、死んだ人は支払う必要がないのかな。調べてみると、其の年の元日に住んでいる人が払うのが住民税なのだと。従って昨年の物故者には課税されない。成程なるほど、所得税とは微妙に違うのね。何か得したような気がするけど、此れは勘違いだな。

 午後臨時出社。授業はないが溜まった事務仕事を集中的に片付ける。漢字検定の申し込み、消耗品の確認、ネーム入り封筒の発注、夏の予定の検討、名簿の整理、消費税率引き上げに伴う授業料改訂のお知らせ等等。仕事と言うものは無限に存在す。早目の退社後はBに寄って帰る。

 

6/11・火

 証券会社のパンフレットのような金融庁の報告書も問題だが、防衛省の資料が出鱈目であった方がより深刻だろう。此れは何とかアショアを巡るもので、レーダー波が当たるとされる山の高さが誤っていた。内容はネットの地図を丸写し。其の縮尺の違いに気づいていなかった上に、そもそもサインコサインタンジェントが分かっていなかったよう。

 朝からまあまあのお天気。再び自転車屋へ。今度は前輪ブレーキレバーが破損した。修理代2500円。信託銀行から書類が来て、精算内訳が判明す。亡父の現金は残ったと言えば残ったし、此れだけかと言えば此れだけかと言う金額。率にして三割に届かず。信託銀行の取り分が高い。併しね、過去の(相続に関しての)無策を振り返っても仕様がない。土地があればまた稼ぐことができる。新たな家作づくりに専念したい。何しろ一年早く出来れば一年分の日銭が上がる。半年なら半年分。其れを願って実父も早目に逝去したのだと思うことにしている。

家人は大腸の検査で小杉の大病院へ。吾人は遅れて参る。途中「丸仙」のあっさりラーメンで遅目のブレークファースト。続いて二階の内視鏡センターへ。例によってふらふらの家人を受け取る。取り立てて問題はない模様。会計は1700円余り(一割負担)。つくづく日本の健康保険制度は優秀だと思う瞬間である。何か食べたいと言うので隣のヨーカドーへ。行き成りステーキと言う訳には行かないから、二階の「サイゼリア」で甘い物から口に入れた。其のまま電車とバスで帰宅。四時過ぎ。此れで病院巡りも一段落(にして欲しい)。夕方須見伯母が来る。家人共共飲食は控え目にした。準休肝日。

 

6/10・月

 昨夜から大体雨。但し梅雨寒なので屋内に居る分にはまあまあ快適。ヒューマンエラーで止まっていた市営地下鉄が数日ぶりに復旧。優子さんから連絡があり、家庭裁判所の許可も出たとのこと。愈愈今月中には解体だな。午後は本降りとなる。相続関連の電話を二三本受けまた掛けた以外は、取り立てて無為。ちなみに信託銀行の人はもう異動だそう。大銀行もやっていることは滅茶苦茶だね。夕方久久の湯船入浴。此のぐらいの雨量だと、排水は目黒川経由東京湾直行かな。石鹸類の使用は控え目にした。瀬戸内海辺りは綺麗になり過ぎて魚の餌が少なくなったと言うが、そんなことがあるのだろうか。解散権濫用風は止んだよう。

夫婦揃って九十五まで生きると預貯金が二千万必要だという。大丈夫、そんなに長生きしないから。それにしてもいい加減な政府の報告書だな。金融庁の審議会の制作とのこと。老後には沢山御金が必要だから成るべく投資で増やして下さいという算段らしい。増やせと言っても大体投資先がないだろう。言われるままに危ない債券を買わされて、また何とかショックが起きて空手形になったらどうする積りか。まあね、預貯金がまあまあある人はまあまあ使ってまあまあの介護施設に入り、まあまあ余ったお金でまあまあの相続税を払って、身軽な形であちら側へ往ければいい。御金の循環である。無い人は・・・。ずっと大雨。外猫も退屈そう。箱に入ったまあまあ高い餌を食べさせる。人間の方はと言うと、昼は干し饂飩、夜は冷凍食品他。一歩も出ないから一円も使わず。夜は胃痛。胡瓜と秋刀魚の缶詰と冷たい麦酒の組み合わせが悪かった。結局夜半に強制排出。

 

6/9・日

 朝方は小雨。家人は鎌倉へ。ぼんやりしていると見たことがない生き物が猫餌を啄んでいる。狸かハクビシンか。而も毛は抜け落ち、後ろ足も動かない感じ。可哀想だけど追い払うより処置は無し。図鑑によると狸だな(中尾種だった)。草木が生えているから野良狸もやって来る。少し切り揃えた。昼は「とらや」でとんかつ定食、コロッケ増し(980円)。午後も警戒警固がてら低木刈り。夕方家人帰宅。シルバーカーにも慣れたよう。また鎌倉の伯母さんの首下がり症も多少は改善したとのこと。

 夜は「地球ドラマチック」(教育テレビ)。惑星探査機ボイジャー一号と二号の物語。今も何処か飛んでんだっけ。いやしかし、四十年も前のアメリカには予算が沢山あったね。法人税所得税? ガーファは税金払わないからな。そもそもみんな内向きだし。最近の楽しみと言えば一円でも安い物をクリックするか、他人を罵倒することくらい。

 

6/8・土

 朝から富士そば。宿酔を何とか収め、午後千葉方面へ参る。芥田先生の書斎で勉強会。参加者は月波君、客乃間、藤松君。そして若手研究者の木俣氏。鳳生大学でも教えているらしい。芥田先生の門下にこんな優秀な人が居たとは知らなかった。安心して未来を託せるね。近況報告の後、先日の「オレンジとその情熱と」の上映から。何度見ても、何人で見ても、やはり意味不明な個所が沢山あるという結論に至る。以後歴代総長のマル秘エピソードから、ウイリアムモリスまで、古今東西の知識人をネタに大量飲酒。どういう訳だがくしゃみが止まらなくなった吾人は早目(といっても十時半)に退席。以後一人で帰る。帰りは錦糸町経由。其れでも少し遠かったな。帰宅後直ちに抗ヒスタミンと胃薬。夜は結構涼しい。此の二日は流石に草臥れた。

 

6/7・金

 昨日家人が会った知人さんは、元元夫婦仲が良く、何処に行くにも夫さんの自家用車に乗って行くのだという。だから住まわれている隣の区からこっちの区に来るバス路線も分からないらしい。可笑しいな。31系統や09系統が、目の前を轟轟と走っている筈なのだけど。おひとりで出掛けたことがないのかな。自動車大国のアメリカなどでは、公共交通機関というものは、ひとを纏めて大箱に入れて運ぶから、個人の自由を阻害するという見方もあるそうだが、そもそも車社会で自由に移動ができるのは、車を自由に動かせる人だけである。大人でも子どもでも年寄りでも、まあまあの運賃を支払えば、まあまあ遠くに、まあまあ好きな時間に出掛けることが出来るという社会の方が自由であると思うけどね。線路よ、バスよ、何処までも何時までも続いて欲しい。

 関東も入梅。雨模様の中、朝から新宿に行き、物件の打ち合わせ。今度は三十六階のショールームに参る。キッチンだの便器だのと色色と参考になるものが並んでいる。早速見て回ったが、案外風呂が小さかったな。1612サイズ。以後内装を中心に決めて行く。建具のデザインから巾木の色まで。それぞれ数種類から十数種類。色合い等を考えると数百通り以上にもなるだろう。延延と提案と決定は続く。途中休憩を挟む。併し土地勘のないオフィス街に行き成り放り出されてもねぇ。何処の食堂も超が付くほど混んでいる。而も傘がないので何処にも出られない。辛うじてうどん屋に入り込んだが、都心で働くのも楽じゃないね。大体ライン労働ではないのだから一斉に休む必要はないだろうに。

最後の最後で駐輪場の位置で悩む。雨曝しでは可哀想。どうにか楓の下に作ることにした。諸諸と決めていたら何と四時過ぎまで掛かった。次回は二週間後。今度は弁当持参だね。一旦帰宅して休憩する積りだったが、其のまま職場に回航。件の中学生を教える頃には意識が朦朧とする。いやしかし疲れたね。中華、Bの後、Iを覗くと久久に大将とX女史が。二杯ほど御相伴に預かってタクシーで帰宅。1770円。此の領収書は堂堂と使えるだろう。

 

6/6・木

 朝から異様な暑さ。家人は知人と近所のイタリアン。吾人は絶賛冷凍食品中。午後出社。元生徒の松本君が訪ねて来る。確か此の子も中学時代は不登校で散散だった筈である。高校大学と進む内に元気になり、今年の四月から営業員として働いている。大丈夫、ひとは皆、成長する力を秘めているのです。問題は其のきっかけを適切な時期に適切な規模で提供できるかと言うことに掛かっている。此れが実に難しい。夜も暑い。こうなると途端に麦酒が旨い。仕事終わりの彼と無責任社長とで少し飲んで帰った。

 夜のニュースのキャスターが、五から六へ動いたとかで話題になっている。でも仕事柄あんまり見られないんだよね。平日の夜は久米さんと小宮さんと筑紫さんの時代で停止している。其れでも十時なれば、何とかステーションにチャンネルを合わせるし、十一時になれば何とかツースリーに移動する。一も四も増して八などは考えたこともないね。テレビもラジオと同じで習慣の世界になっている。そもそもテレビを見ているのは、中、高年・・・。吾人も其の仲間入り・・・、なんです。概ね日本全国そんな感じだよ。視聴率の大規模移動とかは余程画期的な組み換えをしない限り起こらないよね。ところで午後のラジオはどうなっているのだろう。

 

6/5・水

 朝から曇天。ぼんやりしていると固定資産税と都市計画税の納付通知書が送られてくる。実に六月だねぇ。総額188万円。また少し上がっている。迷惑な話しである。直ちに解析に取り掛かる。自家使用しているところもあるので全てを経費(租税公課)には計上出来ない。ちなみに通知書は全部で四通。土地の割り方は七つ。其の中の持ち分割合もそれぞれに異なる。エクセルと電卓とメモ用紙を動員し三時間掛けて計算した。やっぱり三年前専門家に頼んだのと大体同じ金額になるなぇ。何はともあれ、漸く納得出来たよ(今までは適当に上書きしていただけ)。此れで来年の確定申告はバッチリだ(今年も結構間違えていた)。早く来い来い2020年の二月某日。

午後は晴れて結構暑い。本日はこうした内勤のみ。それにしても、亡父の父=忠太郎爺さんが大正末期に土地を買い、家作を建て、それなりに苦労して守って来た土地である。漸く吾人も其の全容を把握出来た。少し遅かったな。何というか、吾人としては、先祖伝来の土地と建物に伸し掛かって生活するということに少少気後れしていたようなところもある。男子たるもの、自ら事業を立ち上げ、世に貢献したいものだしね。併し誠に残念ながら、吾人の給与収入は僅か数十万(自家用地の固定資産税と同程度)。結果として「家業」への比重が(極めて)高まりつつある。こうなれば一層草を刈り、自ら金槌を振るってあちこち修繕し、鋸で木を伐り出し丸太を組むところから新たな価値を創造したい。

 

6/4・火

 北の指導部は早速批判声明。例によって北朝鮮文学で以てAを徹底攻撃す。熊の足の裏の皮ほどに厚顔無恥であると。中中言い得て妙。何だか小気味よいほどであるなぁ。だから古米でも古自転車でも廃家電でも幾らか送って仕舞えばいい。まさかミサイルでお返しと言うことにはならないだろう。向こうは物がなくて困っているのである。何なら拙宅も色色と寄付してもいい。まずは人民の生活である。

 朝方に見回ると、路上に巨大なお好み焼きを発見。酔っ払いが派手にやらかしたな。早速バケツで流す。でも油分が残っていて痕がくっきりと。もっと端に寄せてしろと言いたいね。吾人なら最低限のマナーとして植え込みにするぞ。午前中は日誌の整理。昼は駒沢のラーメン新店へ。「おか本」という。家系ラーメンだったところが撤退して、再び家系になった。以前はセンターのスープを溶かして売るだけだったが、今度の店は赤いカウンターにねじり鉢巻き、大きな寸胴から平ざるで麺上げしている。やはり本格派の方が旨いね。而も御飯無料、御代わり無限。おなかいっぱい食べて行ってくださいと言う心意気もいい。折角なので半分だけ頂戴した。家系も淘汰の時代に入ったね。

午後は漫然とす。夜はスーパーの鯵の塩焼き(200円)。最近焼き魚が旨いと思える年齢になって来た。横浜の無人電車は有人にして運転再開。最初からこうしていればいいのです。人の力を信じなさい。まあね、機械以下の仕事しかしない人も多いけどな。そういう人には機械の補助を付けてあげてください。「ぽっぽや」の頃とは列車の本数が違うからね。

 

6/3・月

 愈愈あの事件から明日で三十年。それにしても不思議だな。ああいう体制でもあれだけ経済成長できるのだから。ところで米国から槍玉に挙げられている華為という会社は、我が社は純民間企業であると抗弁している。政府の策謀とは無関係であると。ならば本社ごと日本に引っ越して来れば面白いと思った。グローバル企業ならば何処へでも出て行ける筈。

引き篭もりの当人も親も高齢化していると何処かの役所が心配していた。いや、此れは寧ろ好機かもしれない。親が倒れて仕舞えば、子は否応なしに医療や介護に直面す。いやでも119番に電話をして、救急車に乗り込み、入院手続きをせねばならぬ。医師の説明に続き、山ほど同意書を書く。保証人欄に署名もす。続いてリネン類の申し込み・・・、以後延延。其処に社会との接点が再び生まれる。引き篭もりで悩んでいる親御さんにアドバイスしたい。まずあなたが倒れて仕舞えばいいのです。お子さんはきっと立ち上がってくれますよ。諸諸の手続きは看護師さんや病院職員の方方が優しく教えてくれるから心配無用。案ずるより倒れるが易し。初めの一歩ならぬ、あなたの一倒でみんなの人生は変わる。

 結構晴れると結構暑い。川崎の叔父さんが来たので昼は近所の和食屋に。此処は元元鰻屋だったが、最近は蕎麦からとんかつまでなんでもある。所謂ファミレス化。何でも出してやるという意気込みがあるね。ただ流石に鮨はない。それにもう少し安いといい(とんかつ定食が1300円)。叔父さんには昨年の梅酒を持って帰らせた。実は拙宅では梅酒を殆ど飲まない。

引き続き梅取りと草取り。六時半過ぎに結構遠目のスーパーへ。金目鯛の刺身もミニお好み焼きも冷やし中華も鶏のささ身揚げも既に全品二割引き。こうしてスーパーが日日やっていることがどうしてコンビニでは出来ないのだろう。不思議で仕様がない。つくづくシステムが可笑しいのだと思う。

 

6/2・日

朝から様様な書類に署名捺印。平日に届くようにレターパックを二つ出した後は、外に出た。246を只管下り、「とむちゃんラーメン」を目指すも生憎の不定休日。其れではと、長駆して晴雷亭を目指す。呑川沿いに進み、東工大付近を左折。幸い須須木さんが居た。以後どんどんと中高年男性が飲みに来る。みんな行くところがないんだね。結構昼酒して帰った。以後大量午睡。夜はノンアルコール。

逆走電車の製造元は何処なんだっけ。大阪のニュートラムも事故を起こしたし、愛知のピーチライナーは廃止、当該のシーサイドラインも累積債務に苦しむ。中量輸送システムは何処もぱっとしないな。例によって全国植樹祭。さてさて改元からひと月。大方の予想に反して新皇后は元気そう。トップになると打って変わって張り切るタイプかもしれない。

 

6/1・土

 再び梅仕事。どんどん叩き落とす。収穫は楽しいね(元元何もしていないけど)。瓶を買い足しに行ったら、今度は焼酎が足らなくなり、焼酎を入れたら次は氷砂糖が足りなくなる。以後スーパーを行ったり来たり。今年は空前の豊作で、焼酎は七升分+梅ジュース一瓶。十キロ近くは取れた筈。此れは植木屋さんの成果だな。

薄曇りで湿度も低い。こういう気候が続けばいいなぁ。さてさて六月である。万代伯母が脳梗塞を起こしたのも六月、亡父が起き上がれなくなったのも六月。厳重警戒の月でもある。朝は富士そば、昼はオリジン弁当、夜はスーパーの鮎の塩焼き。絶賛買い食い生活。鮎の頭はミケが完食。矢張り和猫だね。併しこういう雑種猫の遺伝子を調べてみたらなかなか面白いと思う。グレなんぞは、何処かの王国猫の末裔のような感じがする。食べ方が上品だもの。

横浜の無人電車が衝突事故。出発しようとしたら逆走して車止めに突っ込んだ。ノンヒューマンノンエラーとはならないんだね。そもそも人間を悪者扱いしてはいけないのだと思った。

2019年5月

5/31・金

 まあまあの曇り。早起きして下りの電車に乗る。市が尾という駅でバスに乗り換え。というのも此の先のとある私立学校の入試説明会に出る為である。大貧学院から十数年振りに当該校への志願者が出たので吾人が様子を見に行くこととなった。いやしかし、遠いね。よくこんなところに三年間も、而も週六回も通えたねぇ。其れもなんとまあ午前八時半にまでには。何を隠そう吾人の出身校でもあるのである。

 バスを降り、校舎内へ。偶に散歩で立ち寄ることはあったが、正当な理由で中に入るのは二十数年振り。例によって矢鱈と建て増ししてあるから何処が何処だかよく分からない。渡り廊下を延延歩いて説明会は十時開始。参加者は学習塾関係者を中心に百名くらい。まあまあ来ているね。割と気さくな校長が出て来て説明す。何時の間にか男女共学となり、何時の間にか中高一貫中等教育学校と高等学校の二層建てとなっていた(中学部を廃止)。以後、アクティブ何とかだとか、グローバルサイエンス何とかだとか、キャリア何とか教育だとかに力を入れていますというピーアール。校長先生は誕生日を迎えた生徒たちとライスカレーを食べるのだとも。あの学園も変わったね。時代の流れだな。勉強監獄のようなところでは生徒は集まらないもの。こうしたカリキュラム改革と共学化と入試方式の変更で受験生は増加傾向とのことである。説明会は一時間ほどで終了。以後来た道を元に戻る。もう少し思い出を探したかったけど、何しろ丁度一年前に来ているから。第一に、見つからない(2018年五月参照)。

駅前の「たかせ」で手打ちラーメン休憩。往路復路とも鷺沼で緩急接続。少し残念だったことはどちらも8500系に当たらなかったこと。高校時代はあの車両しかなかったよな(偶に営団8000系が来たか)。色色と感慨にふけりながら一旦帰宅。午睡の後、本務校に出校。本日の最終コマは中学二年生の数学。久久にやる気もこん気も無い生徒が入って来る。いやしかしね、激昂する訳にもいかないから何とか指導す。進学校の説明会に行った晩には一段と疲れたよ。「クルや、お前は利口だね。猫と雖も利口な方がいいよ。人間には利口でないのがいるんだよ」(百鬼園先生)と嘆くのは簡単だが、何かしら彼らに届く言葉を模索する日日である。今度牛丼でも喰わせるか。と言う訳で吾人も職務に精励いたしております。私学も塾も客商売だからね。退社後は中華とBで中量飲酒。こうして五月も終了す。

 

5/30・木

 すっきりとした晴れ。更に梅仕事。物干し竿で叩くと大量に落下。家人はうんざりしていたが、今年は大豊作である。午後出社。Bで二三杯。

百鬼園先生の日記が届く。戦時下でのタクシー出社の多さに驚く。概ね18年の秋頃まで。あと血圧が高い。BD170、N1注射とか。後者は降圧剤のことかな(百鬼園血圧手帳!)。いやしかし、本物の空襲警報が鳴る(19年11月1日)より前の記述は実に簡素である。空襲開始以後、日記の量が激増することとなる(此れらを纏めたものが『東京焼盡』)。其処に異常が日常化して行く過程を書き取ろうという覚悟のようなものを感じるね。百鬼園先生は立派な記録文学者である。

 

5/29・水

 未明は時折大雨。以後まあまあ曇る。引き続き梅仕事。防草シートを置き、揺すって落とす。大量である。また拙宅から数番目のスーパーがリニューアルされたというので見に行く。大して変わったよう見えず。例によってセンター納品ばかりがある。折角なので鰆の切り身を買って帰った。寒気が入り夜は一雨。

 

5/28・火

 まあまあ雲が出て来る。異様な炎暑は終了の模様。登戸で通り魔事件。百鬼園先生の戦前戦中日記が出版されるというので早速注文す。『東京焼盡』の前の部分。今まで出ていなかったのが不思議である。午後は小雨。草取り少少。梅仕事は二瓶目。夜は涼しい。漸く人心も落ち着くだろう。

 

5/27・月

 さてさて本日は池袋の眼科に参ることに。祐天寺までバスで出て、メトロ直通の東横線に。此の駅から上りの列車に乗るのも久しくないことだと思った(うっかり下りのホームに行こうとした)。以後エレベーターを探して右往左往。ベビーカーの女性陣と同室しながら進む。池袋のような大きい駅でも長いホームに一つしかない。階段の時代に比べれば格段に便利にはなっているのだろうけど、やっぱり不便だなぁ(今まで気が付かなかった)。目標のかなり手前で地上に出る。すると家人はもう道が分からないという。吾人の記憶を頼りに進んだ。よろよろと歩いて漸く到着す。

此の眼科は家人の数十年来の掛かりつけで、吾人も小学生の時分は近眼治療とかでしばしば来たものである。確かこめかみに電気を当てていた(今から思うとあの治療に何の効果があったのだろう)。ちなみに先月から新建物になった。お祝いに家人は幾らか包んだよう。診察はまあまあ直ぐに終了。緑内障の検診だけだから。

来た道を早速戻る。メトロは往路復路とも空いていた。国電より30円高いからかな。元元渋谷と池袋を結ぶものは山の手線しかなかった。其の後貨物線に乗り入れる形で埼京線湘南新宿ラインが走り出し、そして13号=副都心線が新造される。輸送力は実に三倍に伸びた筈だが、山の手は結局何時も混んでいる。つくづく何処からこんなに沢山の人が湧いて出てくるのだろう。

祐天寺の「来々軒」で遅めの昼食。行って帰っただけで三時間半。遠回りの上、よたよた歩きだから通常の倍は掛かった。次回以降は家人一人で行けるよう、エレベーターの経路を叩き込ませる。帰宅後家人はぐったりと。随分と体力が落ちている。年末以降あんまり動いていないから。吾人も午睡す。何しろ今日は三十三度もあった。夜はスーパーの惣菜。ぼんやりしていると大量の消防車と救急車が。御向かいのマンションで何かあったよう。警察も来ていた。単なる救助要請ではないかもしれない。夜半前の事である。

 

5/26・日

 昨日同様の晴れ。異様に暑い。行き成り真夏と言ったところ。千葉方面に雷雲無し。神の不在証明。終日出たり入ったり。途中散髪す。昼はてんやの天丼。夜は家人の冷やし中華。中日は神宮で三連勝。怒鳴りに行く必要はなかった。でも相手チームが弱いだけだな。ヤクルトは十一連敗だって。

 

5/25・土

 異様に晴れて異様に暑い。朝から富士そば。今日はラーメンではなく天ぷらそばの気分。一方家人は熱心に体操している。若い先生に叱られて、少しはやる気になった模様。こういう効果はあったな。昼はスーパーの弁当。当然使い捨てのトレーに入っている。色とりどりで見た目はいいがまた大量にプラスチックを費消す。ちなみに世田谷区は砧か千歳船橋でみんな燃やして仕舞う。まあ元元プラスチックの原料は石油精製時の副産物だからね。でもまあ使わないことに越したことはないか。

少しずつ梅仕事。今年は豊作の見込み。まず一瓶漬けた。晩は別のスーパーの牛肉を焼いて食べる。北海道の交雑牛と岩手の黒毛牛。どちらもまあまあ及第点。大相撲は千秋楽を待たずして優勝が決まる。地上波では「インディペンデンスデイ」をやっていた。一応何処かの国の大統領は世界の為に尽力していた。全ては懐かしい。

 

5/24・金

 目より腰を早く何とかしたい。近所のクリニックは何もしてくれない。ならばと、結局近くの大病院に参る。亡父もお世話になったところだが、当然今回は救急車ではなく、紹介状すらも無い。朝からバスを二区間乗り、以後整形外科の前で只管待つ。凡そ一時間で漸く診察。吾人より年下の医師は、歳なんだから仕方がないと取り付く島もない感じ。其れでも一応レントゲンを撮る。更に待つこと一時間弱。見たところ脊椎は経年劣化で処置が無い。周りの筋肉を鍛える以外に治療法はありませんとのお応え(同じ診断結果)。なお当院ではリハビリ指導は致しませんとのこと(紹介もしてくれず)。色色と体操のやり方を教えてはくれたが、本日の此の診察に何の意味があったのだろう。いや、そもそもこうなることは分かり切っていた。大体、腰痛が整形外科で治ったという人を知らない。

加算初診料を入れて2600円程度。会計を済ませたら十二時半。而もかんかん照りの三十度越え。院前の蕎麦屋に寄り、堪らずタクシーで帰宅。すると宅配便の不在票。一段と徒労感が増したよね。併し、病院で待つというのは動かない列車にずっと乗っている感じ。概ね二週間分の忍耐力を使い切った。

短い午睡と休憩の後、自転車出社。自由はいいが、何だかふらふらしながら辿り着く。折角行ったけど、先週の子は再び家から出られない状態とのこと。一週間で挫折したか。自宅警備生活は一年半。社会復帰はつくづく難しい。こうなると文部省より厚生省の管轄かもしれない。引き篭もり外来ってあるのかね。退社後は中華とBとIへ。帰宅は十二時半。ちなみにIは開店から六年経ったという。経営は低調だけどね。店主は冷たい物の飲み過ぎで医者に掛かったという。職業病である。常温のウーロン杯を献納した。帰宅は十二時半。猫を追いかけ回したが一匹も寄って来ず。

 

5/23・木

 日本人も巻き込まれたダッカのテロ事件を引き起こしたとされる人物がイラクで拘束。日本の私大でも教えていた人である。同時に出国していた日本人の妻と子どもはシリアで死亡していたという。一体此の家族に何があったのだろう。

 当分晴れ。今度は池袋の掛かりつけの眼科に行きたいと宣う。混雑が激しい山の手線に乗るのは厳しいな。となると副都心線だが家人は知らないという。何しろ家人の路線図は昭和五十年代で停止している。副都心線は勿論、埼京線湘南新宿ラインとかはない。地下鉄は半蔵門線丸ノ内線と銀座線だけ。目黒線目蒲線のままだし、東海道線横須賀線が分離されたことすら知らなかった。未だに頭の中には「あさかぜ」や「はつかり」が駆け巡っているのだろう(若い頃にはよく乗ったらしい)。

 税理士法人から書類が送付される。相続税の申告書と遺産分割協議書等等。以後膨大な書面に只管署名捺印す。家人の分と二人分。混同しないよう付箋は色分けされているが、結構緊張す。押して押して書いて書かせて一時間掛かった。ちなみに納税額580万、税理士報酬130万。万代伯母の時より全然少ない。「やすらぎの刻」で涙腺を緩ませた後は、オリジン弁当。朝から何も食べてなかった。午後出社。金参万円受け取る。退社後はBと中華。途中彩さんと擦れ違う。少し立ち話した。

 

5/22・水

 公共放送も朝ドラの土曜日放送は止めるのだという。漸く完全週休二日制だな。此れを機に土曜日の夕刊も止めよう。土曜日は赤くして、金曜日を半ドンにして青くしよう。何とか改革で支持率アップ間違いなし。何なら解散して信を問うても良い。

 朝から晴れた。さてさて家人は小杉の大病院へ行くという。超軽量シルバーカーのデビュー戦である。吾人も途中まで随伴す。バスの入り口は持ち上げてクリアー。但し料金箱の横はすり抜けられず。06系統は中尺車だからね。抱えて降りて東横線の改札まで見送った。此れで混雑時と雨天時を除いて外出可能かな。問題は大病院である。何しろ天気までは予約出来ないからね。徒歩で帰宅。それにしても必要な物はベビーカーよりシルバーカー、出すと言えば(結婚式では無くて)葬式ばかり。こんな筈ではなかった・・・。ちなみに改札脇にあったレストランは既に閉店していた。僅か半年程度。市場調査が甘いな。駅にはイタリアンより立ち蕎麦屋が必要である。夜は立ち飲み併用にすれば二倍儲かる。

昼は外に出た。偶にはラーメン新店に。目の前で炙ったチャーシューを切り出してくれるラーメン(800円)。但し麺が小加水。なかなか三拍子そろったものには出合えない。奇をてらわずに何時もの「せい家」にすればよかった。帰宅後「やすらぎの刻」。今週は現代に戻っている。入居者の一人、大納言さんは愈愈危篤状態に。こういうシーンは辛くてまだ見られない。堪らず他局にエスケープ。

午後は映画「リベリオン」。感情を持つことが禁止された未来社会。反逆を誓った主人公は独裁者=ファーザーに闘いを挑む。典型的なディストピア映画だけど、実態は低予算のガンアクション+チャンバラ映画。こんな作品を見る筈ではなかった。ケーブルテレビも碌な物をやらないな。前にも書いたけど、現代版の管理社会に中心というものはないんだよね。

なお家人は四時前に帰宅。まあまあ歩けたが大病院は予約をしていても二時間待ちだったそう。待つのが一番草臥れたと。以後昏昏としていた。夕方吾人が買い物には行ったが大したものが売っておらず。結局保存食頼み。鮭の缶詰の他には、不味い冷凍餃子を残った塩ラーメンのスープで茹でて食べた。万事に精彩さを欠いた一日。一方、中日は最下位まであと僅か。此れでは中日新聞ではなく中日銀行である。こうなることは分かり切っていた。返す返すも何の補強もしなかった首脳陣は何を考えているのだろう。近近に神宮球場に怒鳴りに行くかな。

 

5/21・火

 屋久島を水浸しにした低気圧が関東にも来て、朝から大雨。風も吹く。所謂メイストームだな。夕方には漸く止んだ。早速遺棄された傘の回収と空き家の点検。新型シルバーカーも届く。二万円弱。当然メードインチャイナ。まずは習熟運転である。

 JR九州の大株主はアメリカの投資会社だという。沿線自治体からは不安の声が挙がっている。何しろ西武鉄道の件があるからね。東海はどうなんだろう。何処かが買い占めてリニアを止めさせて欲しいものだが。此れは健全経営と株価の維持のために必要な措置である。何しろ新幹線でも建設費が異様に増加していて、単線での建設も検討されている始末だからね。

 昼はレトルトカレー。方方の残り物を集めてゼロ円晩食。映画「続深夜食堂」を見た後は、プロ野球中継。此の時期は地方球場開催が多い。本日のドラゴンズは三次である。見たところ青い人はレフト側に僅かばかり。超圧倒的少数派。一度こういう立場になって見たいね。いやしかし、昨年の豪雨で橋桁を流された芸備線は復旧していない筈。其れでも観客席は満席状態。みんなマツダのクルマに乗って来たのだな。

 

5/20・月

 朝から出張所に参り、印鑑登録証明書の交付。直ぐに税理士法人に発送。愈愈相続の最終段階だそう。システム更新のため午後臨時出社。三時きっかりに担当者が来る。本店のサービス部から御足労願った。大貧学院を相手にしても大した手数料収入にならないから大変恐縮する。変更は一時間ほどで終了。冷静な頭とよいマニュアルがあって、もっとゆっくりやれば吾人にも出来たかな(負け惜しみです)。ちなみに何とかテンの新型パソコンにシステムを丸ごと移行しようと思ったけど、此方は専門家でも出来なかった。当分はセブンを使い続ける事になりそうである。

 さてさて明るい内に本日退社。久久に碑文谷を巡る。立ち飲みBの支店は閉店していた(繁盛してたのにね)。其の隣の古本屋は収穫無し。高架下の魚屋で鰹刺し、少し離れた鳥屋で唐揚げと焼き鳥を購入。ところで閉店したレンタルビデオ屋は学習塾になっていた。遥か以前、吾人も少し勤めたことがあるチェーン塾である。此処だけの話、営業が主体の酷い所で、詐欺同然とは言わないが、半分くらい詐欺みたいな個別指導塾である(半額程度ならいいけど)。悪徳塾は栄えるなぁ(此れで上場会社だそう)。立ち飲み屋や魚屋や焼き鳥屋のように色色巡って確かめる訳にも行かないからね。ついつい広告と営業に乗せられて仕舞うのだな(塾選びは慎重に)。

 録ってあった「呑み鉄本線日本旅=九頭竜線長良川鉄道編」を見ながら飲み始める。元元は国鉄越美北線と南線。どちらも未乗である。此処を繋いでいたバスは結構前に廃止された。出演の個性派俳優はさらっとタクシーで移動。幾らだろう。皆さまの受信料で行ける人はいいね。夜から段段雨。

更に民間放送で、マレーシア航空機失踪事件特集。元日航機機長の航空評論家による推測を元に構成された内容。マ機長による集団自決説(現在のところのまあまあの定説)を採りつつも、途中で政府と交渉していたという新説を披歴。マ政府は何かを隠していると。うーんどうなんだろう。ヒラ文で通信していたら誰か聴いているよね。一種の陰謀論だなぁ。どちらにしても何を以てしても、飛行機は危ないと言うことである(クルマもね)。

 

5/19・日

 駒沢公園で麺類が食べられるというので出掛ける。「乾麺グランプリ」というイベント。乾麺とは何だか派手さの無い大会だね。具沢山なものは500円、そうでないものは300円。まあまあ御客は来ていたけど、どのブースも待ち時間はゼロ。調子に乗って、うどん、そば、中華、素麺と食べ進めたら胃がパンパンに。合計1600円。乾麺は安いね。直ぐに帰宅。今度は自転車の後輪カバーが破損。金属疲労で折れたみたい。愈愈あと二三年かな。

 

5/18・土

 三日目のワイシャツに袖を通し、朝から住宅メーカーの本部に赴く。新宿の高層ビルに参る。例によって昴ビルが無くなっていて吃驚す。さてさて本日は建築士さんを交えての打ち合わせ。微細な設計変更の報告と承認の後、まずは周りから決めましょうと言うことになる。外壁や屋根の色を検討す。樋は此の色、バルコニーはあの色と決め進めて行く。いやしかしね、こうして色色と討議をしていても、今一つ現実感がないな。あの空き家を叩き壊し、整地して、本当に半年後にはこんな立派な建物が建つのだろうか。いや、そもそも本当に実父は死んだのだろうか。其れに拙宅に本当にそんな大金があるのだろうか(通帳と言う紙切れに打ち出された記号でしか見たことがない)。未だに半信半疑と言うか、一種の夢心地である。続いて膨大な委任状と確認書類への署名と捺印。建築家の仕事の半分は許認可絡みだね。打ち合わせはたっぷり二時間弱掛かった。次回は三週間後。今度は中を決める予定となる。

 少し現実を取り戻そうと「岐阜屋」へ。一皿400円の蒸し鶏を当てに、一本630円の大瓶を飲み、650円の炒飯で締めた。表に出るともうくらくらと暑い。大量の外国人観光客(此処は外国か?)。其の中をパンツ一丁の男性が段ボールを抱えて歩いている。駅前では「社会の不条理を糾す会」と言う右翼団体が割と地味めなアジ演説。其れをじっと見つめるスーツ姿の男性は公安警察だな。いやしかし、色色な現実が交錯するね。流石大都会である。早く世田谷に帰りたいと思った。相変わらず混んでいる国電で其のまま帰宅。以後ぼんやりしていると、須見伯母が来る。早速低木の剪定。

 

5/17・金

 例によってゴミの分別と草取りと排水管の点検。こういうものは永久に機械化出来ないな。エーアイ?  シンギュラリティー? ベーシックインカム? 大丈夫、人間の仕事が無くなる筈がないよ。問題は需給のバランス。詰まり賃金である。

午後出社。例によって、引き落としのデータを送信しようと思ったら、何度やってもエラーが出る。困ったな、こういう作業はほとほと苦手である。汗びっしょりになって解明す。あちこちに電話して聞いて回ったところ、新システムに移行したので旧来のものでは送信出来ないらしい。確かにそんな契約をしたよね。実に忘れてた。いや忘れたかった。大量の新マニュアルが送り付けられてきたけど漫然と放置していたよ。詰まり此方の不作為と言うことなのだが、そもそもこんな不要な契約をした無責任社長が頗る悪いと思った。修正は来週へ持ち越しとなる。

げんなりしたところで中学三年生の個別授業。一年半前に辞めた生徒が戻って来た。此の間学校にも通っていなかったらしい。此処の子の場合は親(特に父親)が過剰な期待と干渉した為に潰れて仕舞った模様(教育虐待)。少し見たけど、学力の再建は容易な事ではないと思った。勉強が出来ないとなると上級学校で再デビューすることがかなり難しくなる。中学校などに無理して通う必要はないとは思うけれど、其の分何か別の事をしていなくてはね。此処だけの話、大抵の不登校者はゲームかネット依存になり、寝た切り少年少女になるのですよ。学校が抜けた穴を埋めるのは頗る難しい。週休四日位の通信制中学校かトモエ学園中学部が欲しいところである。

 退社後は、おじさんたちを掻き集めて、久久に「安安」に参集。月波君も来る。持参してくれたカタログには多種多様なシルバーカーが色色と。専門家が使うカタログはやっぱり違うね。早速家人に見せた。

 

5/16・木

 朝から晴れ。早速新型シルバーカーの検討に入る。併し手元のカタログは介護用のもので、比較的重装備のものしかない。謂わば高級車である。介護保険適用外でもっと軽くて簡易なものが欲しい(軽自動車のような)。一応ネット上にはあるようだが、紙のカタログ、出来れば現物が見たいと家人は宣う。いやしかし、リアルシルバーカーショップってあるのかね。あったとしても行くこと自体が困難か。

午後出社。少し生徒が入って来て、まあまあ忙しかった。来月からは増便が必要かな。退社後はBと中華へ。どちらも店も新人さんが入る。みんな学生さんかな。

 

5/15・水

 未明にナニコレナニコレと叫んでいる人が居たので、どうにも断眠気味。ああいう人は通報されたのかな。最近は酔って騒ぐ人が少なくなる一方、頭により深刻なダメージを受けている人が増えているのかもしれない。正直吾人も怖くて見に行けなかった。

朝からまあまあのお天気。引き続き「私の東京物語」。其の六によると、小林何某の何とか宣言の影響は絶大で、Aさんが所属していた右翼団体にも入会希望者が殺到したと。国後島を戦争で取り返したいと言った議員も此の世代に属するのだろう。困った、困った、困ったよ。

 腰の悪い家人が、首下がり症候群で入院している鎌倉の伯母さんの見舞いに行くという。目的地は三田の大病院。此処へタクシーと地下鉄を使わずに行くとなるとルートは限られる。何度も図上演習した上で吾人も付いて出た。06系統を元競馬場の停留所で乗り捨て、98系統に乗り換え(此れだと僅かな平面移動で済む)。以後赤羽橋下車。あとは病院までは300メートルといった所なのだが、やはり家人は満足に歩けない。吾人のベルトに掴まらせてムカデのように歩いた。車載可能なシルバーカーを調達せねばならないと思った。

よろよろと九階の病室に行って見ると、丁度伯母の女学校時代のお友達が面会中。四者会談になる訳にもいかず、早目の帰宅となった。元来た道を元のようにして戻る。すると下校ラッシュに巻き込まれ、あらゆるバスは超満員に。乗れず座れず進まず降りられずの四重苦である。這う這うの体で帰ったら四時半。大したことをしていないのに三時間半も掛かった。いやね、此のルートは二度と使えないね。伯母にも早く良くなって貰わないと。代わりに家人を入院させるかぁ。帰宅後、低木刈り。吾人は平気だが、家人はぐったりと夕睡へ。晩はスーパーの惣菜を勢揃いさせた。

 

5/14・火

 Aは愈愈北と向き合うらしい。セーサイキョーカの一点張りだったものが華麗なる転進だな。それにしても自らが煽り立てて消し飛んだ対北交渉を、まさか自らの手で再開することになるとは思っても無かったことだろう。そして其の時、あの不都合な真実に再び向き合うことが出来るかどうか。とはいうものの、下交渉する人なんているのかいな。あの料理人さんは?

なお中国経済の減速で日本の景気も悪化の模様。愈愈増税が怪しくなる。しかしね、間接税と言うものは知らぬ間に取られているから、増税したからと言って消費が減るものでも、また減税したから増えるような類のものでも無し。一番恐ろしいのは、みんなが節約して経済が縮小して仕舞うことだけど、2パーセント程度では大して変わらないと思うけどね。

ところで事の発端の米中貿易戦争は益益激化の様相。此れがトゥキディデスの何とかと言うやつかな。併し全品25パーセントの関税とは恐れ入る(大増税だよね)。となると行き場をなくしたメードインチャイナが日本に押し寄せて来るな。物価も下がるぞ。時に日本と中国で世界貿易を支えるという妙な展開になるかもしれない。拙宅も何か買い替えようかな。自由貿易体制維持の為に。案外日本の立場は気楽だね(ビルの谷間のラーメン屋の心境)。それにしてもロシア疑惑も収束したから、トラちゃんは絶好調だね。

朝から雨模様。こうなると何もすることがない。二日つとめて二日遊び、三日つとめて三日あそぶというのが理想なのだけど、今年度は休みが多すぎる。午後は止んだので駅前に出た。パチンコ屋だったところが巨大なビルに建て替え完了。例によって一階はコンビニ(S)。隣もコンビニ(F)なのにね。あとは調剤薬局が入る模様。すると上はクリニックだな。併しよく家賃が払えるね。保険内治療だよねぇ。買い物は二便。

 

5/13・月

 東京新聞の「私の東京物語」には95年を過ぎた頃の思想風景が描かれている。作家のA女史はまず今で言うネトウヨ的な世界に惹かれていく。確かにあの頃だよな、歴史修正主義ヘイト本のようなものが本屋に溢れ始めたのは。A女史とは概ね同世代だが、吾人には既に戦後民主主義的な教養が入っていたから、ああいう本に感化されることはなかった。当時の吾人は、本屋に出掛けて行っては、表と裏をひっくり返したり、比較的真面な本を上に被せたりして、せめて目立たないように工作していたものである。ただ人生とは分からないものだから、何かの都合で時期やきっかけが少し違っていれば、吾人とて今とは違った思想遍歴を重ねたかもしれない。それにしても、左から右に行った例は多多あれど、右から左に還って来た人ってあんまりいないよな。そういう点でAさんは稀有な存在だと思った。いや併しね、今になって思うと、どうして左派はこんなにあっさり退潮して仕舞ったのだろう。老若男女、実にとんでもない人ばかりである。何しろ本の次にはネットが押し寄せてくる。其れにそもそも戦後は実に遠くなったからかな。

 午前中は集中してどくだみを引っこ抜く。此れは山羊でも食べないだろう。夕方は空き家の庭木をばっさりと。最後ぐらい伸び放題にさせてやろうと思ったが、解体が遅れて既にぼうぼうである。昼はオリジン弁当。夜はスーパーの鰹刺しと鯵の塩焼き。

 

5/12・日

 朝は富士そばのラーメン。昼はスーパーのかつ丼。何だか食べ過ぎたらしく午後は何度も上厠す。晩は家人のオムライス(中)と白ワイン二杯のみ。昨日よりかはすっきりとした晴れ。取り立てて無為。

 

5/11・土

 多賀工業会というところから会報が来る。亡父の出身校である。元元は工業専門学校だったものが戦後新制大学となった。入学したときは工専、出た時は大学。学歴的には結構得をした世代であろう。其れにそもそも技術系と言うことで亡父は徴兵を免れることとなる。こっちの功績の方が大きいな。早速葉書を書いて死亡を報告した。また京王大学からも広報誌が送られて来る。態態付箋が張ってあり、戦没学生の遺品を寄贈したと吾人の名前があった。亡父の兄、詰まり義雄伯父さんは文科系だったので召集され、陸軍船舶工兵となる。本土決戦に備えている内に敗戦の僅か数日前に亡き人となった。片や九十過ぎ、一方の伯父さんは二十二か三。ちょっとした偶然で人生は全く変わるものだな。

 昨日以上の熱波。朝から古着の供出。日向灘で連続地震気象庁南海トラフの方は大丈夫だなどと言っているが信用すべきかな。大地震などをわざわざ心配してもね。そもそも「心配事の9割は起こらない」。心配し過ぎても仕様がないと言うこと。更に言えば、人の知というものにはもともと限りがあるから、恐らく次も誰も予想もし得ない所で、予想もしない大災害が起きるのであろう(此れが残りの一割の正体)。夕方になった頃に須見伯母が来る。伊那の反省会がてら食卓を囲む。拙宅に三人集まったのも久久であると思った。

 

5/10・金

 朝から暑い。まず古い自転車屋に行き修理を依頼。序でに防犯登録もやり直す。新しい登録証は三次元バーコード付き。有効期限は十年だと言うが、幾ら何でも持たないな。合計1700円。北は飛翔体を次次に発射。もう駄目かもしれない。其の上イランとの折角の縁談は破談させ、中国に喧嘩を吹っ掛けている。もう無理だぁ。

 午後出社。目の前で消しゴム野球を繰り返す小学生にとうとう激昂す。まあ吾人の怒りとて大声を出してゴミ箱を蹴る程度なのだが、激昂中は一瞬我を忘れる。世間的には感情失禁などと言うらしいが、此の表現は的確ではない。感情とはそもそも湧き上がるものであり噴き出すものなのだから。何はともあれ少し疲れた。退社後は立ち中華を経由して立ち飲みBへ。色色と従業員に差し入れす(千円相当のコンビニ御菓子類)。こういう晩は何かを振る舞うことにしている。喜捨カタルシスである。

 帰宅後は鼠のおもちゃでシロをからかう。九歳のおっさん猫だが割と本気になって追いかけ回していた。いやしかし此れが鼠の立場だったら恐ろしいだろうな。恐るべき巨体が恐ろしい運動能力で迫って来るのだから。ところでそんな猫にも弱点がある。腹巻である。試しに手拭いを巻くとぐにゃぐにゃとなって歩くことすら出来ず。而も嫌がってるようなそぶりはない。益益不思議な存在である。

 

5/9・木

 まあまあの晴れ。午後出社。すると途中前輪ブレーキが破損。ワイヤーが千切れた模様。おかしいな、前回の修理から一年しか経っていない。久久の授業。久久の立ち飲みB。復路も速度を落として帰宅す。ところで、風がないと此の時期は街路樹や庭木まで匂い立っている。何の木だが分からないけど、あれはあの臭いだよね。よくみんな平気でいられると思う。鼻が悪いんだな(植物で動物が欲情はしないか)。

 東は新幹線の試験車両を公開。最高速度は360キロになるらしい。但し先頭車両は22メートルも鼻があるという。つまり一両丸ごと鼻である。仮に10両編成として先頭と最後尾が鼻専用ならば実質8両である。詰まり10分の2が無駄に走っていることになる。結局鼻になった分は御客の運賃に上乗せすることになる。色色と開発するなとは言わないが、開発の方向性が間違っていると思う次第である。400キロ近くですっ飛んでいくことがいいのか、それとも一万円と少しぐらいで相当遠くまで行けるようになることがいいのか。答えは一目瞭然だと思うがね。兎に角、いい加減に速度競争を止めなければ、列車の殆どが鼻になって仕舞うかもしれない。

 

5/8・水

 終日安定した晴れ。多少の草取りと猫用の300円の鮪を買いに行ったくらい。当面緊縮財政である。そもそも此の時期のスーパーは粗末な物しか売っていなかった。園児の列に乗用車が突っ込む。散歩途中の惨事だが、琵琶湖辺りの保育園にも園庭はないらしい。つくづく危ない。大体小中高校生ですら登校後は校外に出さないのが原理原則である。

 こうして十二連休は終了す。ところで四月はまあまあだった中日は、あっという間に定位置に移動中。監督を代えただけではねぇ。今年も野球無しの生活になる見込み。

 

5/7・火

 連休は終わったが吾人の休みは続く。午前中は日誌の整理。数日来の疲れが出て日中昏昏とす。矢張り最終日は人が出ない訳である。家人は整形外科へ。二時間も待ったらしいが、体操以外に治療方法はないらしい。ゼロ円支出の日。

 

5/6・月

 振替休日の日。午前中は竹の切り出しと買い物。以後伯母とは別れ、市内に降りる。此の旧型カローラも処分するとのこと。さよなら運転であるなぁ。其の車を返し、伊那北駅近くの「角八」で蕎麦と日本酒休憩。行きはノンアルコールバスだったので、帰りは電車にした。当然各駅停車である。十三時過ぎの飯田線に乗る。若い車掌さんから切符を現金で購入。ぺらぺらのレシートのような車内券で6700円。二人分の正規運賃である。ボックス席に腰を下ろす。直ぐに向かい合わせになるのは列車の特長であるね。クルーではないので、早速ワンカップ白ワインを傾ける。車窓のどっち側もアルプス山脈。矢張り景色もバスよりいい。

岡谷で五十分待ち。此の間に売店でアルコールを補充。満席予定の特急を何本か見送った後、塩山行きに乗車。此方は六両のクロスシート車が来た。矢張りロングとは気分が違う。混んだ特急より空いた各駅停車の方が頗る快適。高尾まで行ってくれるものなら乗っていたかったが、泣く泣く小淵沢で乗り捨て、当駅始発のホリデー快速に再びの乗り換え。再びのアルコール補充。隣の小海線のホームにまで買いに行った月波君が、ワンカップが何個必要かと大声で尋ねて来る。当然十個である。男子たるもの一日一升飲まなくてはならぬ。併し四個しか在庫がなかった。小淵沢駅の中心で酒が足りないと叫ぶ。

少し待っていると件の十両編成の二階建てが入線。平屋の部分に陣取った。まあまあ集客して進むが、満席と言うほどでもなし。もうみんな帰ったのかな。特に甲府以東のハイキング客がいなかった。其れに此の巨体列車には千人分の座席がある。特急列車二本分、バスならば二十五台分。実に圧倒的な輸送力である。併し215系も此の先どうなるのだろう。元元の東海道線では大した仕事がないらしい。そろそろ車齢三十年か。男性用の朝顔もあるので酒飲みには最適なのだけどね。

うとうとしていると高尾到着。六時過ぎ。ちなみに中央線はちゃんと走っていた。全車指定の効果が出たのかな。しばしば自由席に乗り切れなくて遅延していたので。さてさて蕎麦は食べたので、ラーメンの番である。ダイエーの二階の「天狗飯店」へ。何しろ昼から飲み続けているので流石にアルコールは打ち止めにした。推定七合程度、例によって胃がざらざらである。代わりに排骨麺を平らげる。揚げてないタイプだったが旨いことは旨い。以後京王線で延延と帰る。月波君とは調布でお別れ。着いたら八時であった。伊那から実に七時間以上。御酒と景色で時間が蕩けて行くから、そんなに長くは感じない。普通列車の大量飲酒旅を満喫す。

早速諸諸の点検と確認。猫用の水が何もなかった。猫の面倒一つ見られない。家人ももう駄目だな。入浴後、直ぐに就寝。こうして十連休も終了す。

 

5/5・日

 子どもの日。午前中は薪の移動と畑に防草シートを張る作業。いや併しね、日本だと日曜農業ですら草との闘いである。続いて伯母と一緒に諸諸の買い出し。一日数本の路線バスとタクシーだけでは、別荘とはいえなかなか生活が維持出来ないからね。序でに伯母のお友達の家も訪問。此方も空き家になって仕舞ったそう。高齢者の一人暮らしは次第に困難となり、施設に入ったり、都会に住む息子や娘のところに呼ばれて行く。残されたブルーベリーの木を見て回った。

 午後は木曽に出た。国道19号を少し下り、贄川の「食事のデパート・食堂SS」という店に入る。典型的な昔のドライブイン。メニューは町の食堂そのもの。ラーメンから定食、アルコール類まで何もかもある。最近テレビで取り上げられた。色色と危ない時期もあったそうだが、よく残ったね。奇跡のような店である。名物の鯖の味噌煮で昼酒し、御飯少な目の牛丼で締める。すっかり長居した後、木曽福島の神社に御参り。再び伊那に戻る。夕方まで木木の枝取り。管理の悪い上下の隣地も手入れする。ちなみに道の駅では燕が乱舞していた。どうやら本年中の日本沈没はなさそうである。

六時頃から大量飲酒。伊那の山際は4G回線は入ったり入らなかったり。デジタル断ちには丁度いい。月波君が持参した特捜最前線のDVDを鑑賞す。夜は一雨あった。

 

5/4・土

 みどりの日。宿酔を何とか抑えて新宿へ。今日から伊那である。同行者は月波君。新宿バスタを十一時半過ぎに出る高速バス駒ヶ根行に乗車。此のバスは京王の運行。新造車らしくシートベルトが三点式になっていた。チケットレスのクレカ決済で運賃3500円。今年の四月に開業以来の本格的な値上げしたらしいが、其れでもあずさの半額強。相変わらず安いね。バスも道路も空いている。丁度一列目だったので、おしゃべりも控えめにして前面眺望を堪能す。列車とは違う一体感がバスにはあるな。何故バスの座席が全て前を向いているのか? 其れは全員が一種のクルーであるからである。

定刻の三時きっかりに伊那バスターミナルに到着。お世話になりましたと年長の車長に挨拶して降車。其処から車を受け取りに徒歩連絡。須見伯母は既に伊那に居るのだが、実は自動車の運転をきっぱり止めたとのこと。先月の池袋の事故がショックだったよう。まあまあ潮時かな。ずるずるべったりと延長しない辺りは伯母らしいと思った。従って月波君の運転で山荘に上る。まず日帰り温泉に。続いて伯母の野草の天麩羅から飲み始めた。点鼻薬を忘れ、鼻はフガフガに。例によって花粉症である。飲み薬を多用する。

一般参賀には十数万人も集まったという。本来は十月だったのらしいが、政権の強い意向により此の時期になったそう。そういうことを何も考えない人が大勢いる。集団発狂は近いな。そうしたら皇居は宮城となり、遥拝させられるな。

 

5/3・金

 憲法記念日。明け方のラジオから「15の夜」が流れていた。そう言えばあの方が亡くなったのも此の時期だった。確か二十七年前。それにしても子どもの数が少ないからこういう反抗期ソングも需要がないな。最近の親子関係も緩いしね。そもそも人の親になっている大人も多くない。家出をした寒い晩に百円の熱いコーヒーに出合う。三十年経っても缶コーヒーは二十円しか値上がりしていない。ずっとデフレーションなんだよねぇ。ゼロ成長は此の国の大人から自信というものも奪い去った感がある。全世代的に低成長、大人になれないままずっと彷徨中である。まあ威張り散らかして分からない大人になるよりかは幾分増しかな。

 終日晴れ。結局草取り。此の十日で相当取った。二階から見ても成果が分かる。五月攻勢である。『雑草と楽しむ庭づくり』と言う本によると、根の栄養を使って出て来た芽が光合成して、さあ伸びるぞという此の時期に刈るのが一番効果的なのだと。出鼻を挫けたのならば幸いである。夕方になり、祐天寺に徒歩連絡。月波君、坪上君、鷺乃間君と会う。まずカレーハウス「ナイアガラ」へ。続いて座り飲みBへ。酎ハイの残りにワンカップを入れてがぶ飲みす。下手な甲類より安くて悪酔いしない。酒飲みの知恵である。更に「庄屋」と「かぶらや」と寄ってタクシーで帰った。

 

5/2・木

 再び国民の休日の日。未明に雨は止んだが結局不安定。何度も通り雨。午後は漸く晴れた。少し草取り。昼は中華食堂。夜は残り物とカップ麺。

 

5/1・水

 即位の日。朝には上がる。さてさて何処かに出掛けなくてはならない。残念ながら何処にも行くところがない。其れでも出掛けなくてはならない。と言う訳で目の前の電車に飛び乗り、終点の中央林間へ。出鱈目に歩き出す。ゴルフ場の脇を抜け、倉庫及び工場街へ。住宅も沢山あるがバス網は薄いね。ひばりが丘一丁目という所で一時間二本の相鉄バスを掴まえてさがみ野へ。其のまま電車に乗り移る。

併し相鉄線に乗るのも久久である。折角なので西谷というマイナーな駅で下車。此処から短絡線を造って、今年の秋にはJRの線路に繋げる予定である。暫し見聞す。分岐は既に出来ている。此の先に横浜羽沢という新駅も出来るらしい。相鉄としては都内直結と言う悲願が叶うのだが、接続先の横須賀線埼京線は既にいっぱい一杯。だから折角繋がっても一時間に二三本の運転だそうである(乗り遅れたらどうなるの?)。本命は東急との接続だろうな(此方は数年後)。併し東急沿線から見れば、羽沢や西谷や三ツ境と言われても丸でピンと来ない。うざわ、にしたに、みつざかいと誤読しそう(スイマセン)。

 再び適当に歩くも、バスも店もない。其れでも押し寄せて来る車と細い歩道の太い電柱の陰ですれすれに擦れ違い、野を越え、坂を上り下りし、畑の中を歩く。ゴミも散乱。此の辺の道路も本当に酷いね。横浜市も予算がないんだな。東泉寺というところで市営バスの新横浜行きにありつく。少し手前の小机下車。寂れた商店街を歩き、「櫻家」と言う店を見付けた。具合の悪そうなおばさんが一人でやっている定食屋といったところ。早速麦酒休憩。丁度御昼のニュースをやっていた。

何処か知らない町の古い店で酒を飲みながら改元騒ぎを観察す。距離は近いが当初の目的が叶ったよ。満願成就。開いててよかった古食堂(ここら辺は孤独の何とか風に)。茄子の炒め物と串カツを平らげ、横浜線で東神奈川へ。ホーム上の「日栄軒」で立ち蕎麦を啜り、大森経由でバス帰宅。大体三時頃。いや併し歩いたね。一万八千歩、十数キロ。交通費概算1600円。帰宅するとあっという間に再びの雨。疲れたので延延と夕寝。胃の調子が悪く、晩はサラダのみ。夜は大雨。

テレビは消してずっとラジオ。「ジャム座ワールド」から「セッション22」。ところで此のひと月ぼんやりと聞いていたのだが、文化放送の「サキドリ」は「デイキャッチ」と構成が頗る似ている。少しコメンテーターを入れ替えてくれれば、此れからの午後は全て文化放送で決まりだな。ちなみに新元号の英訳はビューティフルハーモニーだとさ。オーダードハーモニーの誤りだと思った。ディスオーダーハーモニー=美は乱調にあり。

2019年4月

4/30・火

 元元黒かったが、改元行事に伴い、国民の休日になった日。昨夜遅くからずっと雨。珍しい朝風呂の後は昨日の三冊をパラパラと。小止みになったので、昼はチェーン店のうどん。食べて帰ると丁度「やすらぎの刻〜道」。老人ホームとは一旦離れて、とある一家の物語に話は飛ぶ。小作=貧農⇒満蒙開拓=日中戦争、昭和の前半、詰まり戦前の日本の醜さがストレートに描かれているなぁ。午後は草取りと買い物。夕方から皇室行事のラジオ中継。

 まあ平成は丁度三十年。個人としても社会としても振り返り易い単位であることは間違いない。だからさようなら平成はあるとしても、幾らなんでもありがとう○○はないよな。日本人も何れまた集団発狂しかねないと思った。頭が可笑しくなりたくない人は、「終焉」のP214を読むべきである。十時就寝。

 

4/29・月

 昭和の日。天気は下り坂で明日明後日は大雨だという。改元前後の下らないことから何処かに避難する積りだったが無理そうである。残念だ。テレビもネットも遮断してみるか・・・。

 朝の内から渋谷に徒歩連絡。「博多天神」で早昼、まだ豚骨出汁が十分ではなく味が薄い。よって替え玉は無し。さてさて高架下の本屋で『平成の終焉』『平成経済衰退の本質』、序でに『感染症の世界史』。のれん街で晩の中華惣菜と御菓子を購入。丁度船橋屋のくず餅を売っていた(酒に合うんだよね)。渋谷は相変わらず人が多い。人が集まる所は危ないな。今のところ此の国がテロ攻撃に遭う可能性は高くないが、何しろ標的は日本人とは限らないからね。32系統で早目に退散。スーパーの金目鯛の刺身と合わせて五時過ぎから飲んで御仕舞。

 

4/28・日

 さてさて今日から本当にカレンダーが赤くなっているから正確には九連休だな。割と冬型の晴れ。バスに乗って適当散歩。等々力の「やぶ森」という蕎麦屋で麦酒休憩。九十年は続く老舗らしい。つまみ類も多く、なかなか繁盛している。蕎麦屋はこうでなくてはね。盛り蕎麦を小口で啜り、再びバスで戻る。午後は草取り。途中映画「パシフィック・ウォー(原題は勇気の男たち)」を見ようとしたが敢え無く挫折。人死にが多い作品はよう見られない。何かの花粉に当たり鼻水止まらず。晩は残り物。陽が落ちると結構寒い。夜は新作のアニメ「ガンダムオリジン」。何処まで放映するのかは知らないが、それにしても総人口の半分がお亡くなりになるような物語を公共放送の地上波がやっていいのかね。第一、民業圧迫である。NHKから民放を守る会も必要だな。

北の若大将はロシアを訪問。成果があるのかないのかは分からないが、まあ外交が続いている限りに於いてはミサイルとかは撃って来ないだろう。上越新幹線が止まり、185系が臨時で走ったという。正に新幹線リレー号。

 

4/27・土

 朝方はコンビニのおにぎり。家のレンジで少し温めると少し旨くなる。さてさて本日から史上最長の十連休だそうだが大して有り難みは無し。何しろ吾人は普段から五連休だからね。

 曇り時時小雨。断続的に草取り。岩波新書が見たくなり大橋のまあまあ大きい本屋に行くも、岩波自体が置いておらず。可笑しいな、前はあったような気がするけど。閉店が近いのかな(岩波は返本が出来ない)。近くの立ち蕎麦屋で食べて戻った(470円)。午後も草取り。ああ山羊か羊が欲しい。ぼんやりしていると税務署から大きい封筒が届く。ドキドキして開けると、其れはお悔やみの言葉から始まっていた。要は「相続税の準備は進んでいますか?」的な内容。国も年寄りが死ぬのを(首を長くして)待っていたな。続いて近所のスーパーに行くと、「明日があるさ」が流れていた。平成のヒットソング特集ということらしい。此の「新しい上司はフランス人」って、あの人のことだよね。全てが皮肉に聞こえるな。無闇矢鱈に明るい内容も。あれから二十年。ずっと停滞していますよ。吾人も此の国も。

重労働したので晩は其のスーパーの牛の肉を焼いて食べた。何だか食べ足りないので御供えのマドレーヌをかじったら下のアルミカップが唇に刺さり大怪我す。カップが厚すぎる。(恐らく)大手の店なら使わないような素材だな(製造は地方の御菓子屋)。場所柄何度も再出血す。例によって碌なことがない一日。

 

4/26・金

 元会長は再び保釈。今度はスーツ姿で出て行った。スリランカのテロ実行犯は大半が富裕層だったと言う。インテリは足元を掬われやすい。まず全てを疑って掛からねばならない。其れが知性と言うものである。なおセイコーマートの二十四時間営業店は全体の二割だそうである。

 寒気が入り小雨模様。解体に関しては矢張り裁判所に連絡が必要とのこと。何かあったら困るので住宅メーカーとしては怖くて手が出せないらしい。再び優子さんに連絡を取る。併し明日から十連休。解体は遅れるな。午後出社。金二万円受け取る。退社後は営業がてら近所のラーメン屋さんに。ラーメン600円の懐かしい味の店。子どもの親と言うものは意外な所にいるものだと思った。無責任社長と別れた後は、鶴木さんらを捜索。此方は390円のチェーン店にいた。最後にIで二杯だけ。夜も寒い。頭も目も冴えるから事故も減るだろう。

 

4/25・木

 未明には上がる。以後曇り。暖かいというより蒸し暑い。午前中に税理士から電話。第三の人とも何とか纏まるとのこと(まあまあの金額で)。なお相続税の他には、不動産取得税(は掛からないんだっけ?)、登録免許税と税理士報酬、信託銀行手数料、結局幾ら残るのかは今一つ分からず。それにしても前回の相続から間もないから勉強する暇がなかった。午後出社。既に世の中は連休前モードと言ったところ。ぼんやりしながら数学を教え、Bと中華に軽く寄って御仕舞(凡そ二千円)。

帰宅後もずっと相続税の計算。漸く分かったぞ(メールに添付されたA4一枚の解析に一日掛かった)。諸諸の控除をし尽くした課税遺産総額を一旦法定相続人で強制的に分ける。其れを元に各各の相続税を算出す。其の各各を再び合算した相続税総額を実際に引き継いだ財産に応じて再配分するのね。合点承知の助。でも折角分かったところで、此の知識、余り使いようがないな。相続税とは一生に何度も払わない税金である(家人の時は非課税になる見込み)。

 

4/24・水

 朝から曇り。時時雨。時時買い物。三日連続の草取り。ハコベの絨毯は通り越し、ハコベの洪水に草取り鍬を入れる。取り敢えず引っこ抜いて其のまま寝かす。目に見える成果が上がると士気も上昇す。ところで最近のシロは何遍も上がって来て、撫ぜてくれと強請る。まあ確かに野生に近い生態の猫が人の愛撫を受けるとなると、其れはもう異次元の気持ち良さなのだろう。一方の人間様は抜け毛にやられてくしゃみ止まらず。夜は家人の明太パスタ。大鍋で麺を茹で、中華鍋で絡めるとなると大仕事である。此の料理も廃番決定だな。

中部地方の豚コレラも収束できないのに、御隣りの国では更に強力なアフリカ豚コレラが蔓延中。何とか防いで貰わないと。失敗すればとんかつも家系ラーメンも食べられなくなる。また豪雨で壊れた日田彦山線南部は復旧困難とのこと。此のままバス転換だそう。残念だけどね。せめてBRTにして鉄道施設を再利用して欲しい。コンビニ問題はとうとう公正取引委員会が出ることに。優越的地位の濫用だそうである。何処かの勇気あるオーナーが声を上げたことによる今回の問題の沸騰。本社と株主以外は殆ど儲からないシステムを早く直すべきである。

 

4/23・火

 終日晴れ。昼は外に出た。下りの電車に乗り、溝の口へ。適当な市バスに乗り、適当な停留所で降りる。お目当ては「うまいラーメンショップ川崎水沢店」。此の系列は家系ラーメンの元になったと言われているが、生憎何処も駅前にはないんだよね。と言う訳で電車とバスを乗り継いで来たのである。働くおじさんたちと共に「ネギラーメン中」(800円)。昭和のこってり系といったところ。今となっては大人しい味。成程なるほど、此の麺を太くして、豚骨と醤油と油を濃くし、チャーシューを厚くして、ほうれん草を入れれば吉村家になるのだね。家系は平成になると全国区になる味である。但し明らかに脂質と塩分が増大している。健康面を考えると危険な傾向だな。さてさて食べたからには歩かなくてはならない。尻手黒川道路を只管南下。宮前平駅前のホームセンターで物干しと防草シートのピンを購入。其のまま電車で帰った。

夕方草取り。残り物と缶詰の晩酌の後ぼんやりとテレビを見ていると「サラメシ」(公共放送)。アメリカ大使館特集。まさか来月の訪日に合わせた企画ではないと思いたいな。ただ出演者の多彩な経歴には感心す。語学の先生が巡り巡って大使館勤務とか、此の国では少少あり得ないね。作業後は鼻水止まらず。また何度も上厠す。山形では離陸中の旅客機が芝生に乗り上げる。矢張り此の時期は危ないぞ。一回寒気が入って、みんなの頭をピリッとさせるといいのだが。

 

4/22・月

 どのエコノミストに聞いても日本の景気が拡大傾向にあったことは確かなことらしい。尤も其れは世界経済が元元回復基調だったこと、中でも中国の旺盛な内需と設備投資が輸出を押し上げていたことに因るとのこと。詰まりAの功績ではないな。其れらが収束に向かうと愈愈危ない。中国がくしゃみをすると・・・。一方大寺院の再建には莫大な寄付金があっという間に集まる。そう言うことではないんだよね。神様が怒って、もう一度発火するかもしれないな。

 須見伯母が来るというので昼の弁当を買いに出る。出た序でに若林の「八蔵」で付け麵(700円)。醤油仕立てのあっさり味。環七沿いの巨大ディスカウント店はもう閉じていた(一年と少し)。あの変形地に変形した建物では高齢者に受け入れられなかったな。吾人ですら迷ったもの。一方斜向かいのピーコックはすっかりイオン化されて品揃えは丸で凡庸に。碌なものを売っていない。以前は多少は高級感があった筈なのだけど。安い物ばかり売っていては経済成長できないぞ。結局国道の向こうの「福のから」という店で折詰めを買って帰った。

何だか異様に暑い一日。連休も近いし大半の人は眠たくなる。ぼんやりしていると、須見伯母は拙宅その他の雑草の多さに苦言を呈して帰って行った。無理だよなぁ。今年は三月から暖かいから取り分け酷い。既に戦意喪失。そもそも日本の国土の主役は草なのであって、稲作も畑作も家作も草との闘いである。可笑しいな、もっと草食動物に食べさせようという発想があっても佳い筈なのだが、牧畜の導入は近代以降。何処かでミスリードしたと思う次第である。其れでも軍手と刃物で少少立ち向かう。猫車一杯ぐらいは取った筈だが、大して変わったようには見えず。其の後はスーパーの鯛の刺身と惣菜。105号の人は在室を確認。一体何処で何をしていたのだろう。留守電に入れた途端に帰ってくることなど、何かおかしいな。

愈愈衆参同日選挙みたいだな。テーマは増税の可否。そりゃあ増税はするよりしない方がいいに決まっているけど、そういう訳にも行かないから取り敢えず10まで上げる決定をしたのだけどなぁ。明らかに解散権の濫用。そういう理屈が通らなくなって久しい。そもそも与野党ともに増税反対ならば争点にならないだろうに。

 

4/21・日

 宿酔は無し。矢張り御酒がいいからね。早速千円札の点呼を。13枚あった筈が残り三枚。詰まり一万円使った。春の蕩尽だね。続いて区長及び区議会議員選挙に。例によって地元の中学校に行くのだが、例によって悪い思い出が蘇る(吾人の人生の最悪の期間が此の中学校での三年間であった)。早く建て替えてくれないかな(是非とも陳情したい)。今後は期日前投票にしようと思った。続いて牛丼Yへ。久久である。ただYの牛丼は味が薄めだから頭が足りなくなる。濃い目のSの方がバランスよく食べられるな。

 隣家の片付けもほぼ終了。午後不動産屋のS君が来たので暫し立ち歩く。どんどんと不動産屋が立っても一向になくならないのは、賃貸仲介より売買が活発だからだそうで、どんどんマンションが建つので、中古の市場も活況を呈しているとのこと。五年落ちでも購入時より高く売れるらしい。自宅に住んで御金が増える。そんな馬鹿な。愈愈、アレの崩壊は近いな。また103号室は漸く引っ越してきた。長期不在と見られる105号室の人には念のため電話を入れる。

 夕方散歩をしていると若い母親が自転車の指導中。ハンドルの切り方が悪いと小さな息子さんに激昂していた(最近では教育虐待と言うらしい)。まだ未就学児だろう。態態自転車など乗せない方がいいと思うのだが(そもそも危ない)。ひょっとして、もう○○が出来るようになったのよ式の開発競争があるのかもしれない(実に下らない)。吾人が自転車に乗ったのなど確か小学四年か五年の頃だよね。来る時が来れば自然と乗れるようになるものである(そして死の寸前まで乗る所存である)。夜になり、昨日持ち帰ったぐい呑みを検証す。上まで入れると確かに一合入るが、昨日は精精六勺程度。錐体を逆さにしたような物は相当上まで入れないと容積は伸びない。どおりで酔わない訳である。八杯飲んでも五合程度。復興支援とは言えもう少しサービスして欲しかったな。出来ればぶっ倒れるくらい(冗談です)。スリランカでは爆弾テロ。神戸では市バスが歩行者を轢く。

 

4/20・土

 余りツイッターは見ないのだが、月曜のラジオに出ているコラムニストさんは入院中にもかかわらず、ネトウヨ連中と舌戦を繰り広げている。血圧とか大丈夫かね。私には出来ないな。御苦労な事である。いい先生に成れると思う。

 終日晴れて気持ちがいい。環七まで徒歩連絡してバスに乗る。田岡さんに誘われた飲み歩きのイベントがある。「大森弾丸ツアー」という。福島の復興支援とのこと。参加者は結局月波君。500円で専用ぐい呑みを購入しいざスタート。つまみも御酒も500円均一。酒は福島の日本酒のみ。相当な人が参加している。何処の店も座席を撤去しているが何処の店も満員電車のような大混雑。まあ一種のお祭りだからね。馬刺しと創作料理の店を二つ回って、「富士川」で瓶ビール休憩。大森は巨大飲み屋街なので、休憩場所にも事欠かない。田岡さんも合流し更に三店。最後に「山小屋」のビールと酎ハイとラーメンで締めた。最終バスに乗り帰宅は十時頃。いやしかし、結構飲んだね。

 

4/19・金

 生きていれば実父94歳の誕生日。当然鯛や赤飯などは無し。あったところで死人に口無しである。夕張の炭鉱で火災。といっても博物館の坑道が燃えたよう。併し石炭から石油へは国策として進められたの対し、原子力及び化石燃料から自然エネルギーへの転換はなかなか進まず。おかしいな、日本銀行券を刷り過ぎているのだから将来は超円安になる可能性がある。其の時電気ぐらい自分たちで賄えなければ大変なことになるぞ。

 池袋で酷い暴走事故。高齢者でなくとも此の時期はぼんやりして事故が多い(と確信している)。厳重に警戒しながら午後出社。今季は久久に小学生を担当す。矢鱈五月蝿いので授業後半は学習用クロスワードパズルをやらせて凌いだ(激昂予防の為)。退社後は中華とBを覗いたのみ。割と早目の帰宅。「タモリ倶楽部」では青海と青梅を間違えた人を特集していた。こういう人は地図はおろか路線図すら見ないのだろう。検索ソフトの御蔭で変な乗り換えをしている人をしばしば見かける。此方も取り上げて欲しいと思った(新潟から郡山に行くのに米坂線プラス山形新幹線を使っている人と向かい合わせたことがある)。

 

4/18・木

 家人また風邪を引く。鼻と微熱。シルバーカー押し押し耳鼻科に行ったところ何故か休診中。ネットで調べると院長が何度も代わって秋に休業して春に再開したらしい(但し夜だけ)。個人のクリニックではなかったのだね。どういうところが経営しているのだろう。あれだけ大勢患者が居たのに迷惑な話しである。但し行って帰ってきたら少しは元気になったよう。矢張り動くことが大切である。

午後出社。最近指数が見にくくなったことに気が付く。「字が小さすぎて・・・」。ひょっとしてひょっとしたらあれが始まったのかもしれない。退社後はBで二杯だけ。ほぼ休肝

 

4/17・水

 ММTというとまた何処かの新型交通システムかと思ったが、現代金融理論と言うらしい。アメリカ生まれで、インフレを起こさない限り自国の通貨をどんどん発行しても構わないと言う新しい考え方である。御手本は何と日本だという。日本を見てみろ、あんなに借金があってもダイジョーブだぁという式である。まあ確かに数百兆円の政府債務は、日銀が刷って配って使って仕舞いましたと考えるしかないな(とてもじゃないが返せない)。国民の為に使った国民政府の借金を国民の為に帳消しにしたのだから正しく徳政令である(平成の)。でも永続的には無理だよなあ。まだ大丈夫。何時まで大丈夫かは分かりません。ところでММTは大規模な財政出動を求めるリベラル派に受けの良い理論らしい。日本だとあべこべ左派が財政再建を主張しているから捻じれている。まあ財政が破綻すれば一番困るのは下下の人だからね。早目早目に何とかしようと言う気も分からないことも無い(Nという人が全てをなげうって決めた増税なのだから)。

 それにしてもみんな御金を使わない。ちなみに亡父の医療と介護費は四か月で約300万円(半分以上は社会保険の適用外)、葬儀と御布施と納骨等等で凡そ350万円、相続税と税理士報酬等等で多分数百万円。お亡くなりになる人が増えれば有効需要も納税額も増える筈なのだけど。どちらにしても年寄りが貯め込んだ御金頼みである。

 まあまあ曇り。月波君が御酒を飲みたいというので地元の店で出迎える。更に映像を御見せしたいというので自宅に招く。持参したのは「オレンジのその情熱と」という鳳生大学の広報映画。1980年製作。シラケ世代の学生たちが大学の歴史について学ぶというもの。宗左近氏が脚本をつくったらしいが、テーマが拡散し過ぎてよく分からず。もう一軒寄って解散した。

                                                   

4/16・火

 修繕中のパリの大寺院が焼失。失火ではないな。目の前に広がる光景があまりに酷くて自ら燃えて仕舞ったのだと思う。

須見伯母が来る。桃の剪定をしつつ、助けられる限りは助けたいということで植物の移植も開始。と言っても八つ手と千両を一つずつ移して終了。そんな深く掘れないし、第一に移す場所がない。家人らにはてんやの天丼。吾人は一丁目のインドカレーに初入店。北インドのとろみのある味らしいが何しろ食べたことがないので旨いかそうでないのかよく分からず。ついつい瓶麦酒にタンドリーチキンを付けたから一人昼餐会であった(2000円)。夜は残り物。昨日今日とくしゃみ止まらず。花粉がまだ飛んでいる。

 

4/15・月

 朝には晴れる。早速ガス工事代金を支払いに行く(16800円)。送られてきた振込用紙は郵便局以外の全ての金融機関で使えるが有人窓口専用とのこと。こんな用紙があるのだね。結局面倒臭い。引き続き隣家の片づけ。愈愈最終章。仏壇の奥から小包が。すわ聖徳太子かと思ったが、大昔の手紙の束。一応保存しておく。大事な物だろうしね。

昼は「やすらぎの郷」の続編の「やすらぎの刻」。原作者は企画を没にされかけた「湾岸テレビ」にまだ怒っている模様。御老体を怒らせると恐ろしいね。一方昨日は歩き過ぎたと言って家人は終日在宅。ひょっとしてひょっとしたら、亡父より老化のスピードは速いかもしれない。さてさて月曜だが出社の予定も無し。少し暇すぎる。今年度を考える必要があるな。よって三日連続で晩食を買いに行く。結局スーパーの弁当。

夜のニュースを見ていたら何処かの小学校でタブレット型教科書を使った授業が開始されたとのこと。新時代の幕開け?まさかね。教室はまるで昔のままで児童は三十人以上はいたかなぁ。ああいう所を早く直すべきである。御金がないから無理かぁ。先生をもう一人雇うと軽く一千万は掛かるからね。

 

4/14・日

 朝は晴れたが大体曇り。風邪が治った家人はシルバーカーを押して御買い物。吾人は片づけ少少、草刈り少少。今年はハコベが凄まじい。此れは取らずに放っておく。其のまま枯れると、次の草が生えにくくなるから丁度いい。朝は冷凍うどん、昼はインスタント麺、夜は環七の刺身と冷凍餃子。熊本地震から三年。あの年は伯母が亡くなった年でもある。夜半から雨。御隣の奥さんはまた猫を飼い始めたそう。而も十歳くらいの保護猫だという。十歳からのスタートではお別れも・・・。つくづく篤志家だね。

 

4/13・土

 今朝の新聞では一番嫌いな経済学者(兼元政治家兼政商)が長編インタビューを受けていた。経済の方向性について此の人とは全く考えが合わないし、実に腹立たしい。もしも目の前に居たら最低二時間は説教する。あんたの可笑しな理屈のせいで給料がだだ下がり、内需がぐっと萎んだのだと。ただ日本経済の長期停滞(零落)を心配しているという点では吾人とて同じである。と言う訳で、大正時代の家を壊して太陽光パネル付きの賃貸物件を建てることにした。古い物は作り替えなくてはならない。こういう更新投資さえあればもっと経済は回る筈である。しかも正常にね。

 穏やかに晴れた。昼は誠屋でラーメン。数年に渡り貯め続けたポイントでTシャツが貰えるとのこと。愈愈此の日が来た。実に45杯は食べたことになる。受け取りは来月。なお家人は小風邪。従って昼夜となくスーパーの惣菜類。

 

4/12・金

 朝から曇る。ところで、「スタンバイ」の後は日によって異なる。出演者によって、時時文化放送、時時ニッポン放送。金曜日は断然NHKだな。作家で明学の先生がいい感じで怒っている。最近の午後は文化放送が多いが、「デイキャッチ」の後釜は見つからず。

 午後出社。此の時期はぶかぶかの制服を着た少年少女と擦れ違う。新中学生だな。いや併し、日本の学校には六三三四他と色色あるが、就中取り分け本当に駄目なのは此の中学校だろう。度を越えた密度で人間を詰め込み、圧倒的長時間に渡り拘束している。謂わば子ども収容所である。結局体が丈夫で心が鈍感な子が生き残るようになっている(其れは日本企業そのものかもしれない)。どうぞ御無事でお戻り下さいと見送った。此れは我が子を戦地に送り出した親の心境だな(当学院でお待ちしております)。

退社後は中華とBとIへ。一時前頃ふらふらで帰宅。直ぐにカップヌードル(醤油味)。すると丁度「ボロ宿紀行」の最終回。と言ってもまだまだ旅は続く模様。シーズン2を期待。何しろ関東信越と伊豆しか行っていないからね。是非全国行脚して地域興しして欲しい。吾人も泊まりに行くぞ。冬場は首巻して。

 

4/11・木

 朝から晴れたが北風強し。人身事故と強風で今朝の通勤はグダグダだったという。ただでさえ不慣れな乗客が多い時期だからね。以後燦燦と太陽が。庭の木木も続続芽吹いている。其の何割かはあと僅かの時間なのだけど・・・。

午後出社。金参万円受け取る。少し歩いた。また続続と学習塾が出来ている。高層マンションの完成を当て込んでいるのだろうがつくづく芸がないな。過剰出店のコンビニと同じである。何か他にニュービジネスはないのかね。退社後はBと立ち中華。すると不審尋問に遭う。車体番号まで調べて行ったが当然該当車は無し。何しろ防犯登録も期限が切れている(ナンバーを再利用されていると少し怖い)。此の自転車も愈愈三十云歳。其れでも代えられないな。「亡父(おやじ)の形見だから」などと若い地域課員に説明した。いや併し、久久に授業を担当すれば、公式は間違えるは、生徒の名前は忘れるは、白チャリにまで追い掛けられた。散散な一日であった。入浴して直ぐに寝た。

 

4/10・水

 未明から冷たい雨。こうなると何もする気が起きない。でも何だか落ち着かない。4月10日という日付が引っかかる。そうか今日は春の青春18きっぷの最終日である。今季は購入しなかったが、大抵の春は使い切れなくて困ることになっている。そういう習慣が染みついた。買い物の序でに『きょうの健康』(NHK)の腰痛特集を購入。更に序でに『五・一五事件』(ちくま文庫版)。

午後は映画「メッセージ」。異星人との必死の遣り取りの結果わかったことと言えば、あんまり先のことを心配しても仕様がないということ。○○脅威論と言うものは其の最たるものだろうな。「ばかうけ」しない地味な映画であった。晩食は連子鯛の塩焼きに鋤焼き(但し簡易版・・・肉が安い)。余りに寒くてカセットコンロを登場させる。超新型戦闘機は行方不明。暴言大臣は漸く辞任。

 

4/9・火

 数年後に新札を作るそう。新円切り替えで旧札は使用停止になるか(箪笥預金を吐き出させる為)。まさかね。でも一定期間を過ぎれば一枚百円くらいの手数料を取っても良い。事実上のマイナス金利、若しくは箪笥税と言うことにして。そもそもATМの改修費だって今の銀行業界には厳しいだろう。

終日冬型の晴れ。断続的に隣家及び拙宅の片づけ。拙宅にも大量の不用品が堆積している。昼は冷凍中華丼。夜は家人の回鍋肉。少し節約せねばならない。但し腰の悪い家人に中華鍋は厳しいよう。数か月経っても一向に改善しない。腰痛は近代医学では治らないものの代名詞である。誰か治して貰えないかな(此の際は霊能者でもいい)。旧105号室の人は滞納分を完済。故郷で再起してくれるといいが。

 

4/8・月

 午前中は雨模様。御昼過ぎに出社。授業はないが、テキスト類の配布と新出席簿の作成。今日から新ダイヤである。ちなみに日給制の先生に目いっぱい授業をやって貰うと、吾人などには回ってこない。千寿校も休校状態なので、吾人の授業担当は木曜と金曜に限られる見込み。楽なのはいいんだけどね・・・。

問題がもう一つ。十連休への対応である。当学院の授業料の引き落としは毎月27日なのだが、延延と延期されて何と翌月の七日になって仕舞う。今月だけ26日にしたら怒られるかな。と言う訳で改元の影響は色色な所に出ているのである。本来は四月一日だったのだけどねぇ。最初に報道したA新聞への当てつけでこうなって仕舞ったと推測している。基本的にカレンダーが赤くなることはいいことなのだけど。

七時前退社。元生徒がアルバイトしているという居酒屋に向かう。酒四杯につまみ類で3900円。そう言えば此の子も二十八。まさかね・・・。更に碑文谷の青葉でラーメン(730円)。夜も小雨。

 北海道の知事には夕張支線を廃止させた市長が当選。こういう人物だとJRには辛く当たりそう。道路を造る一方、廃線が加速するな。いや併し、都市部にしろ過疎地域にしろ、日本の政治はどうしてこんなに在来線に冷たいのだろう(涙が出るの)。未だに開かずの踏切とか沢山ある。詰まり明治大正の線路を使い続けている。

 

4/7・日

 先週は寒の戻りがあってまだまだ桜が咲いている。と言う訳で花見を行うこととなった。金曜会では久久である。吾人が場所取りに参る。始発のバスに乗り、多摩川台公園へ。現場到着は二隊目(但し一隊目は無人)。以後ブルーシートを広げ、横になって延延と待つ。まあこうやって大地に寝転んで一人桜を見るというのも滅多にないことである。場所取り係りの特権だな。青空とパラパラと散り行く桜。時時野鳥。周りの歓声も丁度いい感じ。

花見会は十一時過ぎに開始。参加者は、須々木さん、田岡さん、鰻犬先生、月波君、久久に仲田大将。やや緊急的に開催されたので参加率は低め。ところで最近の大将は外回りで出合った二十八歳の令嬢に恋をしていると言う。送ったラインがなかなか既読にならないと悩んでいる。つくづく盛んな人である。以後五時近くまで続いた。其の後目黒のカラオケ店に移動。切ない恋歌を歌いたいという大将に対して、吾人は別れ歌で対抗す。「喝采」(但し死別)、「なごり寿司」(但し勘違い)、「天城越え」(危なく殺人未遂)、「М」(下手したらストーカー)、「翼の折れたエンジェル」(後先考えない幼い恋)。なんともな、「恋はいつでも初舞台」である。小うどんを食べて帰宅。十時就寝。途中寝ていたから宿酔も無し。まあ今回は吾人が幹事長だから潰れる訳には行かないという責任感もあった。

 

4/6・土

 風も無く、更に穏やかな一日。コンビニ最大手の社長が交代。当然である。ああいう頑なな態度はビジネスを滅ぼす。半分くらいの店舗は当初からのセブンイレブンで十分だな。かくいう吾人はコンビニは非常手段と心得ている。成るべく使わないと言うことを前提に生活を立てている。従って、朝は牛丼S、昼はスーパーのミニ天丼。夜は後者の肉を焼いて食べた。

 考えてみれば、平成は1989年に始まり、2019年に終わる。平成とは、経済は絶頂から転がり始め、社会は分裂し、酷い事件と災害ばかりが起こったと言うようにざっくり捉えられることになるだろう。一方、中の日付は、1995年、2001年、2011年と言った感じでみな西暦で覚えている。不思議な年間である。

 

4/5・金

 終日晴れ。但し風強し。今日明日は本務校も休講日。桜も満開だから生徒たちも休ませなくてはならない。愈愈春だと家でぼんやりしていると、漏電遮断器を交換させて下さいと作業員がやって来る。確かに201号室の外には古い装置がある。火災報知機用の回路のものらしい。以前から気になることは気になっていた。費用を聞けば、19万だという。おかしい、おかしい。幾らなんでも高すぎるぞ。既に作業に執り掛かっていたところを慌てて止めさせた。田川洋介似のソフトそうなおじさんは、一応名刺は置いて行った。いや併し、油断も隙も無いな。ぼんやりとしていてはいけないな。吾人は日日是、振り込め詐欺及び点検商法の防衛最前線勤務なのである。

 そんなこんなで昼のレトルトカレーを食べ終わると、続いてガスの点検。此方は当初から予定されていた正規品である。すると共用部でガス漏れの疑いがあると言う。確かに時時臭っていた。てっきり下水の臭いと思っていたが、まさかガスとはねぇ(鼻の良い吾人としては迂闊であった)。直ちに処置を依頼す。数十分後に緊急修理班が来る(但しパトライトは作動せず)。管を立ち上げた根元の部分が腐食している模様。雨ざらしのところだからなぁ。

ちなみに緊急班の班長は吾人より年下の、振り込め詐欺班の中リーダーのような感じ(出合ったことはないですが)。凄い迫力で以て、何しろ古い建物なのであちこち破れている可能性がありますと畳みかけて来る。此のまま大営業する積りなのだろう。一方、最初に発見したおじさんは、修繕なぞは直ぐに終わりますよと小声で教えてくれた。工事屋さんもセカンドオピニオンを聞かなくてはならないな。また老配管を全部やり直すには、外付けの方法もあると解説された(掘って作り替えるより格安とのこと)。

以後関連会社の人が三人で来て、狭い範囲で掘り返す。ガスを止め、配管を叩き切り、新しいものを貼り付ける。取り換え部分は数十センチ程度。また残りの古い部分にも腐食防止テープを巻き付けて埋め戻した。実に六時過ぎまで掛かった。其れでも請求金額は二万円を超えない見込み。ガスというものは公共サービスの一部だから三割程度の負担なのだろう。有り難いと言えば有り難い。何はともあれ、此方は修繕の最前線である。いやはや、御苦労様でした。缶コービーを四本持たせて見送った。何の予定も無い筈だったが、午前は電気(但し詐欺)、午後はガス(此方は本物)と、とんだ一日になったよ。こういう日もあるのだね。

 

4/4・木

 元会長は再逮捕。再び小菅へ入る。会見を行う間もなかった。何だか憐れである。午後出社。本日で春の講習は終了。通常授業の時間割を手配する。退社後はBで二千円弱。続いて新しく出来た碑文谷の富士そばに入る。見ると、練った蕎麦粉をにょろっと打ち出して直ぐに茹でるという最新型の機械が導入されている。原理的には、打ち立てで茹で立てなのだろうが、やや幅広の麺には何の風味も無い。何かが違う。こういうものを求めているのではないよなぁ。

 

4/3・水 

 相続財産の目録が出来上がりましたと言うので、家人と渋谷の信託銀行へ参る。税理士さん二人を交え、報告を受ける。以後遺産分割協議に移ることとなるが、例によって遺言書に書いてあった内容では遺留分には達しない。また遺留分にも色色あって、此れが最大限に上振れした場合、亡父の現金はほぼほぼなくなる可能性があることを指摘される。まあ諸費用を支払っても持ち出しがない分、吉とすべきかな。

なお二次相続を考えた場合、家人に余り財産を引き継がさない方が佳いとの提案も受けた。配偶者控除は莫大だが、其処に甘んじると、次の相続税が増大すると。そりゃまあ、そりゃそうだ。と言う訳で当初の遺言の内容は全面的に変更されることになる。可笑しいな。2010年に何十万円か掛けて作ったのだけど。将来は未定、未定は未来、結局は出たとこ勝負である。のれん街で中華弁当を買い、再びバスで戻る。帰宅は正午過ぎ。正味一時間半の報告会であったが、何だか草臥れた。

午睡ののち出勤。退社後はBで二杯だけ。帰宅後、目録を元に何遍も電卓を叩くも、相続税の試算は出来ず。確定申告とは難易度が違うな。低アルコールと計算の御蔭で寝つきも悪く、碌な夢を見なかった。

 

4/2・火

 引き続き隣家の片づけ。本の選別もほぼ終了。他に細細としたものを袋に詰めて回る。ぼんやりしていると件のはぐれこげ茶猫が餌を啄んでいる。飢えているな。少し食べさせてから追い払った。昼は環七の向こうの街中華。町中の一軒屋といったところ。大して客も居らず。よくこういうところで商売ができると思う。ラーメン炒飯で850円。少し高い。午後はミケの予防注射(6480円)。更にぼんやりしていたグレも連れて行く(同)。此れで三匹終了。

 一夜明け、元号制定の過程も徐徐に明らかとなる。考案者や没案も次次と特定される。昭和と平成の違いだね。即ち情報化社会ということになる。Aの無茶ぶりが明らかになるといいが。色色と盛り上がっているようだが、まあ誰が何と言おうと、元号とかは使わないし、そもそも使えない。

 

4/1・月

 新しい元号が発表になるとかで朝から大騒ぎ。ワイドショーに中国古典の先生も多数登場す。併しこういう時だけだろうな、漢文の先生がテレビに呼ばれるのも。十一時半に官房長官が出て来て、発表す。まさかラ行とはね。Aのゴリ押しで出典は万葉集だそう(と言っても漢文の部分)。改元の政治的利用だな。慌てて国文学者を呼び立てることになる。こういうところで脱中国化を図っても仕様がない。それにしても、此れからの数十年も碌なことがないだろう。零落ニッポンである。

 どの局のどの番組も、素晴らしい素晴らしいのオンパレード。少しは批判的な言説を聞きたいが、「デイキッチ」はやってないし・・・。寒気が入り午後は一雨。こう言うことで浮かれていると風邪を引くぞ。朝はコンビニのおにぎり、昼はスーパーの弁当。夜は残り物。

2019年3月

3/31・日

 一日遅れて「ヤマト2202」見了。高次元空間から二人が還って来て目出度し目出度しという設定。まあこんなもんだろうな。78年公開の「さらば」では特攻を美化しているとかで物言いがついたもの。此のまま「完結編」もリメイクするのだという。物語も戦争同様終わらせ方が実に難しい。

朝方から猫餌の買出し。続いて近所に出来た千円カット店で散髪。まず晴雷亭で昼食。ビール付き。続いてバーI主催の花見会へ。近所の公園へ移動す。参加者十人くらい。昨年とは随分入れ替わる。外国の方もいる。小さな子の面倒も見たぞ。大量飲酒の上、ふらふらになって帰宅。八時頃。以後胃痛。

 

3/30・土

 数日来の疲れが出たのか、日中漫然とす。夕方買い物。晩は豚のしゃぶしゃぶ。ノンアルコールビールを三缶。本日完全休肝。夜は冷たい雨。

まんぷく」終了。それにしても公共放送がインスタント食品を取り上げるというのも隔世の感がある。何しろ吾人が幼少の頃は、炭酸飲料禁止、ファストフード禁止、カップ麺など以ての外、テレビはNHKだけという級友が何人かいたものな。

 

3/29・金

 昼は家人のたけのこ御飯。本日も出社。途中「デイキャッチ」最終回を拝聴。都立大学の教授が吠えるようなことはなかったが、それにしても残念である。局の方針としてAMをFMのようにして仕舞いたいらしい。何かおかしいな。

退社後月波君が来たる。まず佐渡屋に行き、Bに行き、中華立ち飲みにも行った。行く先先でいろんな人と出合う(飲み仲間総出場と言った感じ)。吾人は最後にバーIに。妙齢女性が居た。割と大きな子どもいるらしい。其処で教育を巡って議論となる。結構な教育ママといった感じ。若いのに勿体ないな。大体なるようにしかならないのが子育てというものである(それに沈みゆく国で少少学歴を積んだところで大して役に立たないと思うのだけどね)。一時頃ふらふらになって帰宅。矢張り金曜の夜は人が出ている。

 

3/28・木

 午後早目の出社。授業しつつ、合間合間に時間割の検討と教材の発注。此の時期は意外と忙しい。夕方ラーメン休憩。花粉酷し。退社後はBで軽めの数杯。夜は寒の戻り。

 

3/27・水

 再び税理士から長電話。高額医療費と介護サービス費の還付について。これらも相続資産になる模様。銀行に記帳に参り、還付通知を調べ直す。全部で三十万円くらい。

昼過ぎから野球観戦。母校の橙隠学園が出ている。春夏通して実に久久の登場である。相手は福井の新設校。春の大会だとまだ体が解れていない感じ。それにしても此の学校の門をくぐったのは丁度三十年前の今時分である(但し校門らしいものはないけれど)。爾来信じられないくらい時が流れた。そういう感慨しか得られないな。序盤は荒れたが、試合は徐徐に落ち着き始める。結局三対五で力及ばず。夕方前に出社。退社後は焼き豚屋と立ち飲みBへ。久久におじさんたちと痛飲した。

 

3/26・火

 まずシロに予防注射(6480円)。火曜日であるが午後出社。今日から春の講習。新しい先生も来る。三年前から来ているS山先生の前の職場のお知り合いと言うことで、吾人より年上。何かしらの専門資格はあるようだが、最近は介護半分、塾や家庭教師半分と言う生活らしい。ベテランさんには何の研修の必要もないから頼もしいと言えば頼もしいが、最近はこういう人ばかりだね。

退社後はBで二杯だけ。体調優れず早目の帰宅。桜も咲いたが、花粉も酷い。二月からの間断のない攻撃により粘膜が損傷して益益過敏になっている模様。

 

3/25・月

 疲れが出たのか、午前午後と漫然とす。また日中何度も上厠す。大破した胃と腸と目と鼻の粘膜を休ませなくてはならない。晩も小食小飲に努める。昨日小淵沢駅で買った「極上生信玄餅」を食べてみた。信玄餅にも色色あるのだね。此方が元祖という説もあるそうです。

トラちゃんのロシア疑惑は、シロでもクロでもないという曖昧決着。まあね、自分の国の大統領が外国の陰謀で誕生したなどとは信じたくないよな。一種の統治行為論に特別検察官も逃げた模様。

 

3/24・日

 朝からすっきり晴れた。やや冬型に戻る。朝の内は畑に施肥。続いて落葉松の植え替え。気分は植樹祭である。伯母の運転で早目に降りる。駅伝大会実施の為、駅の手前で下車。本日は此処でお別れとなった。三日間ほど乗って見たところ、伯母の運転能力に大幅な乱れはないが、客の多い駐車場と細い道は避け、(バックミラーなど気にせずに)マイペースで運転するように忠言した。最新の安全装置の付いた新型車であるが、何しろ伯母も八十代なものでね、少し心配である。

 さてさて此処から一人で帰ることになる。御金が勿体ないので普通列車である。みどりの窓口で高尾までの乗車券を購入。運賃3350円。十一時過ぎの飯田線に。早速缶麦酒とワンカップワイン。上諏訪甲府行きに乗り換える。小淵沢で途中下車。駅前の蕎麦屋で日本酒休憩す。

狭い店内は既に満席。注文を受けてから茹でるので時間が掛かりますという但し書き。大抵普通の蕎麦屋というものはそりゃまあ、そりゃそうだが、まるで注文を受けてから打ち始めますというくらい、みんな首を長くして待っている。急ぐ旅ではないので此方は構わないが、例によって蕎麦屋の混雑も考え物である。漸く出てきた蕎麦はかなり幅広。田舎仕立てなので茹でるのに時間が掛かるらしい。快速御前細蕎麦亭なら三倍儲かるだろう。例によって立ち食い蕎麦屋と薬屋は儲かるというのは亡父の至言である。

さてさて今度は高尾行きに乗る。東海道線其の他で使われた中古の車両。115系の後継だが、最低限の改造しか施されていない。トイレも古いままで、和式の中を青い液体が渦を巻く方式(垂れ流しの次の世代。別名汚物循環式)。こういうトイレは列車が駅に着く寸前に入って、停車中に用を足すのが通というものである。いやしかし、何時まで使うのだろう(新潟方面には行き成り新車が入っている)。ほんの中継ぎの積りなのかな。ロングシート越しの山山を見ながら再び日本酒を。大月前後からどんどん混み始め、満員電車近くになって高尾到着。這う這うの体で改札から出て、「たまの里」で麦酒休憩。此の店も山の御客(主に中高年)で超満員。みんな花粉症じゃないんだね。以後京王線で340円。世田谷線を除くと帰りは3690円であった。

家に着いたら七時前。多少道酒したが、いやしかし随分掛かったな。低速アルコール列車である。本来ならば「御酒の所為で時間が後ろへのびている所を、汽車はしらふで構わずに走っていく」(百鬼園先生)のだけれど、今回は電車から降りて御酒を飲んでいたからね。目も鼻も辛い。入浴後、九時就寝。

 

3/23・土

 午前中はブルーベリー畑の剪定等等。伯母は御向かいに弔問。少し前に親しくしてくれた御婆さんが亡くなったそう(享年九十)。花粉に巻かれ、目も鼻も良くない。当然抗ヒスタミン。近所の食堂で軽い昼食。すると頭がぼんやりして昏昏と午睡す。

二人で鋤焼きをつついた後は、只管公共放送。前半は「今上天皇、象徴のお勤め」的な番組。後半は振り込め詐欺特集。「働いても碌に稼げないのなら、(金持ちの年寄りから)取って来いよ」と若者を焚き付ける詐欺集団は、国民分断の象徴でもあるなぁ。最近は強引に奪いにも来るらしい。夜は薪の番。何度も焼べ直す。噛んだ鼻紙も片端から叩き込んだ。

 

3/22・金

 朝になったので出掛けることにす。須見伯母の手伝いで再びの伊那行きである。新宿を十時発の「あずさ9号」に乗る。ホームで伯母と待ち合わせ。回数券がなくなったので、伊那まで運賃4000円、岡谷までの特急料金2500円と言う正規の券で乗ることになった(伯母は年寄り割引利用)。

ちなみに今回の改定で指定料金はやや下げたよう。ただ回数券プラス飯田線乗り越しだと凡そ4700円で行けたから、矢張り大幅な値上げである(逆に回数券の使えない一番の繁忙期は少し値下げ)。JRも日銀総裁とグルになっているな。例によって特急はのろのろと進む。全車指定となって座席の上にランプが付き、指定席の売れ具合が分かるようになっている。其れを見ながら右往左往しているお客が多数。見ると八王子から全席満席。席にあぶれた人が居る模様。値上げしたにもかかわらずよく乗っているな。座席未指定券と言う謎の特急券が登場している。

矢張り今回の改定から弁当、サンドイッチ、土産物、アイスクリームも止め、大して売るものが無くなった車販員からビールと酎ハイを購入。早速の朝酒となった。都内の混雑で数分遅れたまま岡谷着。直ぐに天竜峡行きに乗り換え。伊那も暖かい。伯母の自家用車で山荘に上る。まず水道の開栓をし、あちこちの清掃をしたら既に夕方。野菜中心の肴で白ワインを傾けた(五一ワインスーパーエコノミー)。

 

3/21・木

 春分の日。朝から南風が吹き荒れ異様な暖かさ。午前午後と漫然とす。ワイドショーなどでは桜が咲くか咲いたかと大騒ぎ。そりゃあね、毎日こんだけ暖かければ咲くべきものがあれば咲くだろう。そもそもどうしてこんなに暖かいのか、温暖化の影響があるのかないのか、そういう根本的なことを考えるべきである。テレビの放映時間も半分でいいな。夜は辞めるべき人が辞めるべくして辞めたと大騒ぎ。此れもまた分かり切ったことである(結局中日に来なかった)。頭の白さを思うと、いろいろ大変な努力の人だった。

 

3/20・水

 汲み取りで思い出したのだが、拙宅が建つ前は古い家作を自家使用していて、吾人も小学三年生までは汲み取り式のお世話になった(両親もよく生活していたな・・・既に現在の吾人より年上の状態)。そもそも世田谷の下水道は非常に遅れていて、漸く昭和五十年代になって整備が来たと記憶している。其れまでは浄化槽かバキュームカーに頼る日日。下水道の敷設と都市ガスのメタンへの切り替えは子ども心にも大事業であった。

 一転して朝から花粉症。昨日は武蔵野に行っても大丈夫だったのに不思議である。局所的な花粉だまりみたいなものがあるのだろう。花粉の量と当人の体調などを掛け算したものが其の日の症状となって現れてくる。だから一般的な花粉予報など大して意味がない。午後出社。珍しく八時ぐらいから無責任社長と飲み始める。話題は主に思い出話。営業がてらに近所の店を二軒回り、吾人はIに少し寄って帰宅。久久に飲んだな。あの人とは。

 

3/19・火

 まず銀行に行き、手付け金の振り込み。ネットでも振り込める金額だが、振込用紙を貰ったのでこういうことになっている。却って面倒臭い。捺印が電子化されていて少し驚いた。行内ではネット振り込みの方が便利ですとのキャンペーン中。銀行の窓口もみどりの窓口同様、何れ無くなるな。

 さてさて彼岸にも入ったので、小平霊園に参る。墓前に母屋取り壊しの報告をす。また松の木は残すので、帰宅の際は目印にするようお願いした。暖かくて風も無い。幸いにして花粉症も一段落。少し歩こうと思った。只管北上し、清瀬を目指す。途中滝山団地を通過。成程、此処が「滝山コミューン」の舞台ね。初めて通った。確かに巨大な団地である。コミューンと言うよりコロニーだな(今はひっそりしている)。続いて野火止用水を越える。同じ都下でありながら此の辺りのことは何も知らない。ファインドマイウエストトーキョーである。漸くごちゃごちゃした街並みが出て来たら、其処が清瀬の駅前商店街。早速「みゆき食堂」に入る。謂わずと知れた有名店である。店内は既に大量飲酒中。高齢者が多いが、妙齢女性やスーツ姿の会社員なども盃を傾けている。皆コミューンから逃げ出して来たのであろう。こういう店は貴重である。いや併しね、感心してばかりもいられないよ。余りの大混雑で、何も頼めないし、何も出て来そうにない。壁一面に張られたメニューも画餅である(みんな昼からそんなに沢山飲んで大丈夫か?)。

中瓶一本に厚揚げ焼きで早目の離脱。例によって観光地化した有名食堂も考え物である(スイマセン吾人も観光客です)。駅隣接の「ダウドン食堂」に緊急入港。山田うどんの新業態らしい。緑茶割りに肉汁饂飩。直ぐに注文出来る、直ぐに出て来る幸せを噛み締めた。可笑しいな、こんな筈ではなかった。結局「気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている」。いい店は少ないからね。草臥れたのでメトロ直通で帰宅。山の手線経由より少し高いが、地下鉄線内も急行運転だから結構速い。四時頃帰宅。丁度一時間で着いた。一万七千歩、歩行距離十二キロ。

夜は冷凍食品。隣家から出て来た昭和八年の家計簿を見直す。花王石鹸27、アルパカコート1000、痔薬40、白米15キロ260、便所汲み取り30・・・、単位は銭である。トイレが水洗になっていない以外まあまあの暮らしをしているな(戻りたいとは思えないけど)。昭和十年頃の生活水準は、三十年の其れと同程度だと何かの本で読んだ記憶がある。十年掛けて灰燼に帰し、十年掛けて復興したと言うことなのだろう。元祖失われた二十年である。

 

3/18・月

 本は数箱分は何とか収容す。残りは廃棄処分だな。戦前の参考書とか教科書とか。何せドロドロなので。午後一番で不動産屋に赴き、本契約に移る。建築士さんによる重要事項の説明の後、営業担当者による細細な説明。分厚い契約書はとても読み切れないので、かいつまんだ音読の後は只管署名、捺印、割り印である。解体と建築で総額数千万円。富士そば凡そ十万杯分。まあ御金を借りて来る訳ではないし、相手は大手住宅メーカーなので、手が震えるようなこともなかったが、感慨深いものがある。間違いなく自己最高契約額。今までは家作の外壁修繕等で其の十分一程度だから、吾人も成長したものである。解体は五月、本格着工八月、引き渡しは十二月だそう。インテリアなどの細部は追い追い詰めるとして本日は一時間と少しで無事終了す。

 一旦帰宅した後、急いで本務校に回航。新しい先生が来るというので此方は簡単な打ち合わせ。三十分程度。事務処理作業の後、踵を返して家に戻る。遺影に供えた契約書、とてもじゃないけど読めないよな。朝から饂飩しか食べていないので、焼き鳥と刺身と握りずしで明るい内から飲み始めた。

 

3/17・日

 朝から晴れた。早朝自転車散歩。珍しくパンが食べたくなり、街のパン屋を探すも見つからず。店主の高齢化に加え、コンビニが何でもかんでも売るから皆廃業して仕舞ったよう。するとどういう訳だか駒沢公園売店コッペパン屋になっていたので買って帰った。コロッケパン(260円)。具とパンのバランスが悪く、大して旨く感じない。パンをもう少し重くしなくちゃね。

 以後断続的に隣家の片づけ。愈愈最難関の本の分別に取り掛かる。戦前の岩波文庫とか児童文学書とか、どう仕様か。昼は外に出た。六本木ではなく五本木のラーメン店に。晴湯系のとりそば(900円)。上品にできている。旨いことは旨いが何だか食べた気がしなかった。作業の合間に食べるものではないな。夜はスーパーの惣菜に残り物。沢山埃を浴びたのでシャワー入浴。

 

3/16・土

 朝から曇り。午前中は一階の押入れの片づけ。不要な物を棄て、隣の空き家の古い物を収納する準備を進める。戦前の賞状やアルバム類など。衣装ケース二つに纏めたものを運び入れる。他は取り立てて無為。花粉が酷く外出も最小限。昨年は偕楽園に行き、酷い目に遭ったもの。晩は豚のしゃぶしゃぶ。大量の野菜も取れるので丁度いい。改定初日だというのに中央線は架線切断。夜のあずさやかいじも運休に。此れが東の実力である。

 

3/15・金

 EU離脱を巡ってイギリスはずっと漂流中。後先考えず国民投票を行った結果だな。また空き家の解体を巡っては第三の相続人の許可も得られたとのこと(税理士経由で手紙と現況写真を渡して貰った)。此方は着実に進行中。グレの足は治ったよう。一か月近く掛かった。

 ニュージーランドで乱射事件。銃規制と共にSNSの規制も必要だな。犯人は生中継していたというから。

 

3/14・木

 三年目の北海道新幹線は空気輸送だという。何しろ特急料金が高いからな。そうだぶらり函館に・・・と言う風に行かない。多少安い券は駅ネットで買えるらしいが、飛行機の事前購入割引と同じ様な事をやっていては駄目だぞ。安い回数券を沢山出し、チケット屋で売って貰うぐらいの鷹揚さを持って欲しい。鉄道の利点は駅に行ったらすぐ乗れるという自由さなのだから。動き始めた汽車にひとり飛び乗れるぐらいの価格にしないと。

午後出社。薬飲み飲み、花粉の中を少し歩いた。金十万円受け取る。まとまった額を貰うのは久久である。退社後はBとIで合計三千円。

 

3/13・水

 四月から東京新聞も値上げ。率にして一割以上。土曜の夕刊を廃止してでも価格を維持して欲しかった。此の所は春のようなお天気。芸能人が薬物使用で逮捕された件で街の話題は独占される。大物は狙われるな。売人にも当局にも。後者は一罰百戒効果を狙っているのだろうが、逆にあの人も使っているのだから、いざ私も・・・なんてことにならなければいいが。社会全体の幸福感は低下しているから、依存症が増える下地は十分にある。また取り立てて被害者がいる訳ではないので、撮りためた作品の公開を見合わせるのもどうかと思う。

 午後出社。講習の予定を詰める。新たな先生も来るらしいので、来年度も楽が出来そう。早目の退社後は立ちのみBに二時間も。吾人も何とか依存症である。いや、確かに中毒だけど依存はしていないな。今日は四杯で切り上げたもの(1600円)。夜から冬型に。

 

3/12・火

 ボーイングの新型機が相次いで墜落。プログラムエラーの模様。古い物は壊れるが、新しい物も恐ろしい。二月の携帯電話使用料は七千円に減少す。減少率三割。データプラン変更の成果が出た。何しろ500メガしか使っていないからね。此れで前の機種と同じ水準。最新型本体の分割購入費込みで七千円なら許せるかな。

 朝方は確定申告の見直し。租税公課のところに誤りがあった。万代伯母の個人事業税をずっと足し算していた。三分割してあるから一人二万円余り。来年からは引かなくてはならない。併し税金と言うものはやればやるほど分からなくなる。昨日の面談でも102と105の三洋エアコンを交換したのは資本的支出になりますので財産に計上しますとか言われたし(やればやるほど細かくなる。詰まり切り無し)。他は隣家の片づけ。花粉に巻かれ午後は抗ヒスタミン休憩。夜の買い物、鮪の切り落とし(500円)のみ。缶麦酒に白ワインを少少。ほぼほぼ休肝す。

 

3/11・月

 あの日から八年。山田線の海側区間第三セクターに移管の上、間もなく復旧する以外に、いい話題はなし。被災三県は三十万も人口が減ったという。

 朝方まで大荒れ。以後急速に晴れる。税理士さんが是非お会いしたいというので室町の事務所まで出掛ける。三時の予約だったので、其の辺をぶらぶらす。丁度二時四十六分を迎える。都心は何も無い。いや何もなかったかのような繁盛ぶりである。せめて一時間ぐらい黙祷すべきであると思った。

まずは細かい所の打ち合わせから。数百万円に上る出金の内、説明できないものは生前贈与、残りは手許現金で計上することとす。大きな所では、遺留分を全て現金で支払い、相続税と各種手数料を引き算すると、吾人や家人の取り分は激減。ただ多少上振れしたとしても(不動産価格を実勢価格に近付けて計算する場合)、持ち出しはない模様。元より当てにはしていないが、足りないとなると少少辛い。最悪の状況は回避できると知って少しほっとした。

一時間ほどで終了。何だかぐったりしながら帰路に就く。三越前とか日本橋とかを少し歩いて、神保町で途中下車。併し草臥れた頭では背表紙も活字も追う気がしない。以前入った「金星」という店でぼんやりす。すると白人男性が入って来て、ソーメンというものを食べたいと宣う。一応英語メニューはあるようだが、店員は説明に難渋している。吾人が、ジャパニーズサマーヌードとか、コールドヌードルとか、アイスドホームヌードルとか言って説明した。何処まで分かったかは分からないが、一応啜って食べていた。二日連続の英会話教室もそこそこにして離脱。大して飲んで無いのに三千円では足りず。矢張り都心は高いな。

 

3/10・日

 まあまあ曇り。月波君が御酒を飲みましょうと言うことで中目黒まで徒歩連絡。まず「おおたる」で一献。次に古そうな蕎麦屋に移る。何でもカレー南蛮発祥の店だそうだが、先客は無し。正直かなり寂れている。つまみも無しに日本酒を飲んでいると、若い女性二人組が入店。聞けばデンマークから来たのだという。注文に往生していたのでアドバイスす。上天丼の御飯抜きと天麩羅うどんヌードルが食べたかったよう。

併しこういう店によく来るね。学生時代キルケゴールは少し読んだと言いたかったのだが、まるで通じず。現地読みではキューケゴォールと発音するらしい。スマホで調べたら少し通じた。900円と600円を現金で支払い帰って行った。ジャパンは遅れているなあと思ったかな。何しろ此の店もただ古いだけでまるで活気も愛想もない。こういうのを墨守と言うのだな。英会話で疲れたので立ち飲みBで締めてバスで早目に帰った。大体五千円。夜は大雨。

 

3/9・土

 近所の遊歩道の改修工事も終わったよう。今まではカラー舗装だったが、今回は真っ黒アスファルト。おしゃれな土間コンクリートにしろとは言わないけど、何だか味気がない。以前直した上流部分はもっと凝った造りだった筈。区も御金がないんだな。何とか納税の影響かな。

南風強く一日晴れ。家人の腰の状態が悪く、買い物は三便。其の都度花粉に巻かれる。三丁目の肉屋の豚肉でしゃぶしゃぶをし、一丁目の和菓子屋の赤飯で締めて御仕舞。

 

3/8・金

 朝から晴れた。結構冬型。空き家の片付けの後、隣町の本屋に「JR時刻表三月号」を漸く買いに行く。あんまり興味がないな。何しろ改定すればするほど面白くなくなるからね。中を見ると不通区間の網掛けページばかりが多くなる。花粉を浴びて以後ズルズル。何しろ光が屈折する「花粉光環」も出たという。昼は弁当。トイレで力んだら急に片頭痛が。可笑しいな、頭など滅多に痛くならないのに。午後は安静にす。夕方に割と高い牛肉を買いに行き、晩に焼いて食べた。結局何時もの「新アルシン鼻炎カプセル」。矢張りよく効く。おまけに安い。

 JR東日本のサイトを見ると、二週間前までに座席指定すれば回数券同様の割引サービスが受けられるらしい(駅ネットお先に特ダネきっぷ)。二週間前か。海外旅行じゃあるまいし、そりゃあ無理だぁー。もう高速バスか月波君の借りて来たクルマか、京王線プラス各駅停車だな。大体、ぶらり気が向いたときに出掛けるのが旅と言うものである。さようなら、あずささん。庶民には手の届かない高嶺の花になりました。

 

3/7・木

 大手コンビニチェーンでは、オーナーさんたちが止めたいと言っているのに、本部は全国一律の二十四時間営業を止めさせない模様。そういう頑なな態度は宜しくないな。サービス業たるもの社会の変化に敏感に対応しなくてはならない。其れにそもそも、人手が不足しているのではない。根本的に客が不足している。だから大した給料が払えない。詰まり店が過剰なのである。

 午前午後と漫然とす。須見伯母以外の来客来電なし。結局今日もずっと雨。止み間も無いのでバス出社。乗ったバスは既に半満員。どんどん乗って来る。此のままでは超満員=団子運転の先頭になりそうなので、電車に緊急スイッチす。此方も下校の小中高生と登塾の小学生で満員状態。後者は自由が丘でごっそり降りて行った。此処には大手学習塾が集中している。しかし、こういう集団指導塾で色色と先生と遣り取りして、結構勉強したなあと思えるのは全体の二三割かな。残りの半分は可もなく不可もなく、更に半分は厭厭通った上に大枚を支払って御仕舞である。塾選びは慎重に。夜には漸く止んだ。退社後はBで二杯だけ。久久に11系統で帰った。

 

3/6・水

 早朝から102号室の人を叩き起こして、トイレの水をどんどん流して貰う。大山鳴動、数回目でごっそり流れて行った。詰まり解消だな。長い闘いであった。日中重い曇り。何だか天気同様気分が優れず。本日は吾人の誕生日なのだけどね。やっぱり何処かで何かがまだまだ詰まっている気がする。結局近近の高圧洗浄を依頼した。依然として排水ノイローゼでもある。

 午後不動産屋のS君が来て、解体と建築に向けての契約書を作るという契約書に署名。愈愈近づいてくる。続いてシロを獣医に搬送。昨日から後ろ足の爪が剥がれかかっていた。消毒と抗生剤の注射で4320円。古釘か何かに引っ掛けたな。まあね、猫に破傷風はないだろう(あれば「震える猫舌」という新作が書ける)。なお午後一番の診療で順番は三番目だったが、座敷犬に点滴を打ったり、老猫に流動食を食べさせたりしていたから四十分も待たされた。犬猫も歳を取ると医療費が掛かる。「もうおじさんなんだから、若い者と喧嘩したり危ない所に行っては駄目だぞ」とシロに言って聞かせた。外猫三匹も今年で九歳。後期高齢猫医療費を貯めていく時期である。

 漸く夕方前に出社。取り立てて授業はない。何だか草臥れて仕舞い漫然とす。片づけの意欲も湧かず。早目の退社後は、Bで二杯だけ。小雨に降られながら早目の帰宅。早目の入浴。早目の就寝。春の雨は花粉を洗ってくれるからよいが、最近は少少降り過ぎる。作業着姿に変装した元会長は軽自動車に乗って小菅を脱出。漸く保釈されたよう。もう此の人のことなど忘れ掛けていた。それにしても日産の経営をするようになって凡そ二十年。絶対的権限を与えるにしては長過ぎた。人を腐敗されるのには十分すぎる時間である。また此の件も本来は株主総会や取締役会や週刊誌への醜聞リークで片を付けるものなのだろうけど。

 

3/5・火

 都内は三日ぶりの晴れ。再び排水管を見たところ、また詰まり掛けている。一気に旅気分も吹き飛ぶ。当該箇所は過日直した共用部より上流の接続部分。バケツの水を掛けて流す。すると次次とにょろにょろと出て来る。どんどん棒で掻き出した。また汚物との闘いの日日である。誰かが悪いのだな。水が少ない人がいる。容疑者には再び手紙を入れることとした。猫餌以外の買い物は無し。午後も数次に分けて流した。

 古いアルバムが出て来たのでどう仕様かと思った。昭和13年に万代伯母が実践女子学園を卒業した時のもの。酔った勢いで、当学園にメールを出した。受け取ってくれるといいが。個人から色色な物を送り付けられても迷惑かな。ネット上の百科事典によると、空襲によりほとんどの校舎が消失とあるから、御入用かもしれない。

 

3/4・月

 さてさてもう帰ろうと思う。一日二本の松本電鉄バスに乗って松本へ向かう。凡そ十一時に迎えに来たバスは吾人一人を乗せ、どんどん山へ。上の方は雪化粧。峠をトンネルでアンダーパス。三才山トンネルと言う。未だに料金所があって、一回一回御金を取っている(しかも現金か紙の回数券)。以前通った和田峠トンネルもそうだったが、一方権兵衛峠トンネルは当初から無料通行。此の差は何処から来るのだろう。県内の主要都市は大体何処も盆地なのだから、往来には必ず峠を通る必要がある。早く無料通行にすべきである。

峠を降りるともう松本市内。幾らか集客して松本駅着。運賃1200円。駅前のチケット屋で新宿行きの回数券を購入(4900円)。雨も止まないし、することがない。駅前の「若大将」という古い中華屋で山賊焼き休憩。日本酒付き。13時47分発の「あずさ20号」に乗車。当然自由席。折角なのでモハに乗る。駅では繰り返し、間もなく回数券と自由席と弁当販売が無くなることをアナウンスしていた。併し吾人がよく利用するものから無くなるのは何故なのだろう。なお20号は257系での運転。別に廃車になる訳ではないが、あずさでの活躍はあと僅かとなっている(東海道線に転勤)。

 ガラガラのまま出発。此の列車は富士見や小淵沢や韮崎にも止まる。例によって甲府で大量乗車。半分ちょっとは埋まった。その都度車掌が行ったり来たりして車内改札。紙の座席表に特急券確認済みのチェックを入れて歩く。此の光景も見納めだな。でもハイシーズンは大量の不慣れな乗客が乗り込んで来る。全車指定となるとみどりの窓口は結局大混雑だろう。其れに座席自体が増える訳ではないから、席にあぶれたお客が大量発生することに変わりはない。雨の中、定刻に新宿着。車内販売員から間断なくアルコールを補充し続けた関係で既に胃がざらざら。其のまま帰って、晩は絶食とした。

 

3/3・日

 さてさて何処かに出掛けようと思った。行き先は信州の温泉にした。まず目黒までバスで出て、みどりの窓口へ。機械でも買えるが、有人窓口維持の為に、成るべく吾人も並ぶことにす。上田までの特急券と乗車券で6150円。専門家があっという間に発券してくれた。其のまま改札機に突っ込む。何時もの駅の何時もの改札機に大きな切符を入れる時のわくわく感、得難いものだけどね(電子チケットになったら詰まらない)。併しこうして何処かに行くのも久久である。何しろ去年は六月以降非常事態の連続だったからね。少し感慨深い。

 東京駅まで回航し、御昼の「あさま609号」の自由席に搭乗。車内は空気輸送に近い。北陸新幹線が長野から金沢に伸びて行き、今や長野止まりのあさまは各駅停車のこだまの扱い。其れでも12両もあるから、閑散期はこうなるな。大宮で少し集客。其れでもひと車両十人ちょっと。例によってあっという間に着く。新幹線の欠点は色色あるが、特急料金が高いこと、トンネルが多いこと、そして速過ぎることだな。駅前の蕎麦屋で暫し休憩。たぬき蕎麦が760円は少し高いが、地酒が一杯380円で飲めるのは安い。地方紙を隅から隅まで読んで、当ては馬の煮つけ(500円)。此処も空いている。他の客は親子丼とコーラを注文したおじさん一人。

 二時半過ぎの千曲バス鹿教湯温泉行きに乗る。乗客は数名。五十分乗って運賃は500円。安い分は、行政の補助金が入っている模様。もっとバスに乗って下さいと言うことなのだが、安くしても乗る人は少ないな。鹿教湯と書いて、かけゆと読む。鹿が教えてくれたからこう書くのだという。見て歩くと、少し寂れた感が。廃墟廃屋廃業多し。差し押さえ物件もあった。大手チェーン宿に看板を掛け替えたところは車が沢山停まっていたが、インバウンドの人もおらず。こうなったらもう一度鹿に助けて貰わなくてはならない。手慣れた鹿を露天風呂か何かに無理やり押し込んで何とかグラムにアップすれば良い宣伝なるだろう。四時前にはチェックインする。

 今回は珍しくフルサービス付きの旅館にした。食事は二階の個室で。当然ながらひとりぼっち。他客もいるのだが気配が漏れて来ない。突き出し、刺身、焼き物、酢の物、小鍋、等等。どちらにしても何を食べても一人だな。行きの新幹線もガラガラ、駅前食堂もガラガラ、バスもガラガラ、宿もガラガラ、少し人恋しくなる。もっと壁の薄いボロ宿にすればよかったかな。二食付きで一万二千円(税別)。温泉宿に一人で泊まるのは案外難しいし割高である。沢山食べて沢山飲んで三回入浴して沢山寝た。

 

3/2・土

 朝から晴れ。花粉酷し。やはりグレの前足が地に付かないので今度は主治医に搬送す。やはりどうにも治療法はないらしい。何しろ外猫に安静にしていろと言ってもねえ。鎮痛消炎剤を一本注射。飲み薬を数日分貰う。締めて三千円。他は取り立てて無為。昼はスーパーの激安弁当、夜は残り物。

 

3/1・金

 朝まで小雨が残る。グレの足はまだ痛むらしい。足首を曲げたら怒っていた。捻挫は長いな。何しろ外を動き回っているから。都立高校を受けた二人は無事合格したと報告が入る。最近の中学生は公立志向が強い。子どものくせに、親に迷惑を掛けたくないなどと宣う。いいんだよ、迷惑掛けても。老いた親は何れ子どもに面倒を見られるのだから。まさか今から介護と相続放棄を考えている訳ではあるまいし。

一夜明けてみると、どうもT氏が一身上の理由で火だるまになりつつあるのを誤魔化す為に、突然ハードルを引き上げ、北の提案を振って仕舞ったということらしい。委員長が癇癪を起さないといいが。北が折れた形で三度目の会談を持てば妥結出来るだろう。Tに貸しを作ることにもなる。兎に角、あと一回。穀物だけでも送らなくては。

2019年2月

2/28・木

 朝方にシロは大喧嘩。相手ははぐれオスのこげ茶だな。目尻にかすり傷。猫パンチを喰らったよう。早速抗生剤を塗り込む。昨日からずっと小雨。午後は本降り。103はエアコン工事。旧三洋機も交代さす。

 事前の楽観論が吹き飛ぶ感じで米朝会談は物別れに終わる。制裁の全面解除を求める北に対し、核の全面放棄で応えた模様。ハードルが一気に高くなると妥協は難しい。謂わば北の答案にT先生がゼロ点を付けた格好だな。となると足取り重い北帰行である。北にはもう穀物がないらしい。つまり時間がない。人民が飢え死にする前に早く再提出すべきである。

T先生の会見を全部見てから遅目の出社。併しなかなか生徒の尊厳を落としめないいい所見だった。三度目があることを切に願う。併しこうやって改めて見るとT先生も只の大馬鹿物ではないな。さてさて中一の数学。期末試験も終わり、一番やる気が抜ける頃である。其処で数学検定でもやらせようと思った。ホームページから出すとA4が何枚も。紙が勿体ないので此れをB5に縮小し、B4両面に吹き付けようとしたが、何だか巧く行かず。死屍累累。吾人のコピー術も落ちたものだと思った。「私、(コピーでは)失敗しないので」が吾人のモットーだったのだけど。認知症だな。夜まで小雨が残る。往復ぎりぎり自転車運転可能圏。立ち飲みBとドライブで休憩。帰宅は十一時半。こうして二月も終了す。

 

2/27・水

ところで最近街で目に付くのは何とかイーツの配達員。そもそも出前をやってくれる店が殆ど無いのだから、巧い所に目を付けた商売だと思う。配車サービスがタクシー運転手の食い扶持を荒らすのに対し、此方は新たな価値を創造したと言えよう(しょぼい物を自炊されることが一番GDPを下げる)。スマホが生んだ数少ない新事業かもしれない。此れも外資なんだよねえ。

午後出社。授業は控え目にして事務作業。例によって膨大な学校パンフ類の分別廃棄。退社後は取り敢えずBへ。天屋先生とも会う。先日の非礼を詫びようとIへ回航。併しひょんなことから政治の話になり、駄目だと分かっていても熱を帯びる。中朝韓と断交も辞さずという先生とはなかなか話が噛み合わない。ネトウヨ話法である。株高の恩恵も受けているようだし、Aへの支持は揺るぎがないよう。可笑しいな、他は極めて常識人なんだけどね。夜から小雨。濡れながら帰った。

 

2/26・火 

 やる気が起こらなくて三日間放置していたが、税理士からの質問状の答えを探る。色色と思い出したり、コピーを作ったり、領収書や請求書や契約書類を掻き集める。項目別に纏めたら家中のクリアファイルが無くなった。昼には発送。日中曇る。昨日よりひんやりするも花粉酷し。家人が渋谷で買って来たとんかつ、冷えて固まり食えたものでは無し。

 北の委員長は鉄路ベトナム入り。在来線の線路は何処までも続いているから其れも可能である。流石に機関車は付け替えたのだろうが。長征の思い出作りだな。彼我の沿線風景の余りの違いに気が付いてくれるといいが。

 

2/25・月

 グレの捻挫はだいぶ良くなる。朝は曇り。昼から晴れて暖かいというより暑くなる。ぼんやりしつつ午後千寿に出校。吾人の今年度の出勤は本日で終了の見込み。割と気さくな高校一年の女の子とも、何も余計なことを喋らない中三女子ともお別れである。なおS子先生は三月末での廃業を検討しているとのこと。中二の生徒はそれなりに居るようだが、どの道ジリ貧だろう。とうとうそうなるか。となると今生のお別れかもしれない。

でも家賃などの固定費は安いのだからやり方次第では十分生き残れると思う。そのやり方を間違い続けているからなぁ。まずあの教え方を反省すべきである。一旦ゴミを片付けてもう一度やる気になって下さいなどと言って退出した。吾人も月に二回くらいなら行ってもいい。大橋の自動化寿司で暫し黙考す。でも周りの行いが悪くて集中できず。大体帰り方が宜しくない。皿は色別に分け、飲み物の容器を纏め、山葵の袋などのゴミは集めてから会計係を呼ぶべきである。安い寿司だと碌なお客が居ないな。中の人も癇癪を起こして悪戯に走る訳である。

 

2/24・日

 朝から富士そば、昼はココイチに行き、昨日の飢餓状態を解消す。午後も漫然とし、夜は厚揚げ麻婆。朝晩は其れなりに冷えるがすっかり春の装い。庭梅も満開。県民投票は反対多数。投票率も五割超え。此の民意をどうするのだろう。第一、新基地の建設には膨大な費用が掛かるのである。

 

2/23・土

 一日晴れ。まず市ヶ谷まで地下鉄に乗る。鳳生大学の古い校舎が愈愈最後だというので見に出掛けた。月波君と合流し、復刻メニューで賑わう学生食堂にならぶ。以後思い出探し。校舎は55年館と58年館と言う。市ヶ谷永遠再開発により四月以降解体されることとなっている。吾人が入学した当初はクーラーがなく、矢鱈と遅いエレベーターに閉口したもの。いざなくなるとなると寂しいものだな。新歓のビラもよく貼った。授業中に自治会がアジ演説をしたことも。あの頃一緒にいた語学クラスやサークルの仲間たちは元気だろうか。

続いてシンポジウムに参集。和服の総長の後に芥田先生も登壇されたが、喋る時間が十分程度ではまるでエンジンが掛からなかった御様子。なお此れが旧校舎で行われる最後の講義と言う触れ込みである。833教室も満席という盛況ぶりであった。鳳生大学も立派に上智青学化した。まあ世の中全体がそんな感じだなぁ。もうサークル文化もスクールカラーもなくなったか。

 いやしかし、一時間半もじっとしていると疲れた(一斉授業など聞いていられない)。後半はキャンセルす。月波君と別れて本務校に回航。定期試験前の補習授業である。といっても講義方式ではなく、各各銘銘、森羅万象とまではいかないが有象無象の質問に答える。此方は江戸時代の寺子屋だな。併し一旦出勤すると次次に生徒が押し寄せ容易に退出できず。結局九時半までの勤務となる。

掃けた後に急いで中華立ち飲みに行く。常連客の一人が北海道に帰るというので送別会が催されている。大幅に遅れて行ったので二杯飲んだら即解散。其れでも3500円も請求される。おまけに会いたくない人には合うし、他言は出来ないが色色と散散な状況に。場を天屋先生に預ける。自転車もバスも無いのでタクシーで離脱。運賃(1770円)は大貧学院支給のスイカで支払わせて貰った。帰宅後中量飲酒。

 

2/22・金

 何とか平和賞に推薦したり、即位した新天皇に早速会せるように差配したりと、T氏への迎合ぶりが目に余る。こういうのを俗に○○のポチと言うのだろうが、せめてタマぐらいには成れないものかな。我儘を言って少しぐらい困らせてやりたい。でも既にアメリカ自体が大きなトラだからなぁ。ニャンニャンニャンで、今日は猫の日である。それにしてもAの在任日数は歴代二位だという。小選挙区制の定着(党内の統制)、対抗野党の壊滅、国民の批判精神の消滅、色色な複合要素がある種の真空状態を生じさせ、Aを異様に膨張させているなぁ。

 まあまあ晴れた。既に春の陽気。昼から「ポコポコ」の新ステージ。スマホをやるのも此の時ぐらいと暫し熱中す。またグレは矢張り見当たらず。空き家の二階の押入れに潜伏しているところを漸く見つけ出した。まだ治っていない感じ。抱いて下ろして餌を食べさせた。再び税理士から質問状が届く。多額の現金を何に使ったのかと。色色と調べ直したが、例によってよく分からない。お札に色は付いてないものな(「北の国から」に出て来る泥付きの壱万円札を除く)。先週のゴマダレが残っていたので今週も牛豚のしゃぶしゃぶ。

 

2/21・木

 今度の改定で一段と車内販売がなくなる。「北斗」「踊り子」「やまびこ」は廃止。「あずさ」も弁当は売らなくなる。地方の駅弁屋は益益困るだろう(特に長万部のかにめし)。NREなどに任せるのではなく、いっそ駅弁屋自ら乗り込んで売ってくれないかな。飯時限定、区間限定、個数限定でいいから。上りと下りで行ったり来たりすれば一人で何本も回れる。効率的なダイヤをマニアさんに作って貰えればいい。

朝方は芙蓉の植え替えと大楓の剪定。続いてグレを獣医へ搬送。掛かりつけの女医は休診日なので、四丁目の診療所に連れて行く。院長先生以下三人掛かりで触診してくれたが、取り立てて問題はなさそうとのこと。痛み止めを一本打って三千円。初診料込みだから案外安かった。午後出社。退社後はBと中華へ。久久に天屋先生と話し込む。

 

2/20・水

 朝から晴れて暖かい。捻挫したグレを獣医に見せようと思ったが容易に姿を見せず。昼飯を食おうと思ったら植木屋さんが来て立ち話し。午睡しようと思ったら税理士から長電話。其のまま出社。金参万円受け取る。中三の受験指導は本日が最終日。此の学年は真面目な子が多く、今一つ印象が薄い。Bから帰ろうと思ったら二度目の通り雨。帰ったら家人が入浴する所。何もかも少しずつずれた一日であった。

 

2/19・火

 朝から曇り。さてさて本年二度目の税務署に参る。予想に反して空いていた。待ち時間殆ど無し。ガラガラの部類に入るだろう。申告は二日目に限ると思った。また今年から口座振替にしたので身を引き千切られるような痛みも無し。炒飯を食べて其のまま帰宅。昼から小雨がパラつく。此の天候のせいもあるのだろう。正に天佑。午後は漫然とす。夜はスーパーの総菜など。

 こうして折角毎日日記を付けているのだから、過去の確定申告を顧みてみようと思う。自分で自分の日記を検索す。すると昨年は吾人が初日申告で中行列。一昨年は期日間際で大行列。三年前は亡父とタクシーを仕立てて赴き色色と誤りを指摘されている。四年前は両家人に任せていた。五年前には記述すらない。六年前はリニューアルに伴う費用を減価償却費に入れるかどうかで悩んでいる旨があるが申告そのものは亡父がやったのだろう。実に正しく隔世の感である。

 

2/18・月

 未明に覗くとグレは何時の間にか帰って来ていて餌を食べていた。此の猫は一晩に何度も起こしに来ることがあれば、今日のように丸一日姿を見せないこともある。つくづく自由猫である。

 朝から晴れた。まず住宅メーカーから送られて来た解体と建築に向けての合意書を優子さんに転送。叔母叔母従妹三名分の署名と捺印が必要。さてさて愈愈確定申告である。吾人の申告書を仕上げる。亡父が受け取る筈だった不動産所得二ヶ月分の二分の一が増加する一方、昨年の給料収入は44万円と言う恐るべき数字が出て来る(此方の所得はゼロ判定)。まあ何しろ昨年は週二回半(週当たり十時間程度)ぐらいしか出ていない。最低賃金程度は貰ったことになるのかなあ。もう腹も立たず。納税額は三万円余り。少ないのかなあ。まあ固定資産税とか都市計画税とか相続税とか修繕に纏わる消費税とか、個人としては酒税と社会保険料国民年金基金まで)も沢山支払っているから所得税はこんなものにして頂きたい。

一方グレは昼過ぎまで小屋でぐっすりと。余程疲れていたらしい。一体何処で何をしていたのだろう。迷っていたのだろうか。よくよく見ると動きが悪い。左前足捻挫の模様。猫は弱ったところを見せたくないというから何処かで隠れていたのだな。兎に角経過観察することとする。103は壁紙。

午後出社。神保町に途中下車。「みすず」読書アンケート号と『何が私をこうさせたか』。こう書くと金子みすずの自伝と勘違いされそうだが、金子は金子でも文子の方である(二人とも明治36年生まれ)。序でに岩波の『朱子学陽明学』。千寿校は相変わらずのゴミの山とパワハラ指導。みんな纏めて「トントン」に持って行って貰いたいと願った。退社後は徳俵に滑り込む。今回ばかりは三顧の礼が通じた。先生崩れが割烹くずしで飲む。いいではないか、よいではないか。でも結構高かった。日本酒を奮発したので四千円余り。帰り掛けは文子の書。いや併し壮絶な児童虐待の記だな。着く頃には酔いもすっかり醒めた。目も鼻も何だか少し変。また花粉の季節である。

 

2/17・日

 御昼前にはまあまあ晴れた。徒歩や自転車であちこち買い物したくらい。食欲がなく、昼は「日清チキンラーメン」のみ。開発話が公共放送で取り上げられて最近ブームである。久久に食べてみると昭和三十年代の素朴な味。此れが当時三十五円したという。今はスーパーで八十円程度。

駅前商店街の猫餌やアルコール類を買っていた店も月末で閉店するとのこと。寂しくなるなぁ。少し話ししたが、中中黒字にならなかったらしい。皆さんどうするのだろう。此れで一般小売店は全てチェーン店となる。家賃が高すぎるから街が詰まらない。夕方になりグレを朝から見ていないことに気が付く。呼んだり探したりしたが成果は無し。家人共共心配す。

 

2/16・土

 朝方は録って置いた「ヤマト2202」の第二十話。白い彗星が新たな解釈で以て攻めに来ている(但し深夜帯の放送なのでひっそりと)。愈愈ズォーダ大帝の真の狙いが明らかになるのだが、其の分理屈が複雑になっていて、朝の頭を以てしても一度見ただけでは理解できず。SFアニメも難しくなるな。評論家による解説が必要だと思った。此れも平成三十年間の厚みである。続いて「日本ボロ宿紀行」第四話。昔のファンが出て来て一行を激励す。少し自信が出て来たのか歌謡ショーにも漸く人が集まり始めた。ホロリとさせる佳い内容だった。あのホーロー看板の宿にも泊まってみたい。こうして気が付くとテレビ東京ばかり見ているな。

 よく晴れて暖気も入って久久に暖かい。昼は「誠屋」。大盛りでも余裕で食べ終えた。矢張りラーメンは格闘の心配のないものがいい。其のまま大関へ。腰の曲がったエライ婆さんたちが籠いっぱいに買い込んでいる。年金が出たからかな。午後は漫然とす。夜は「ブラタモリ・パリ編」。オスマンによる都市改造に吃驚していたが、あれは共和派がぶっ潰された結果なんだよね(革命家には細細としたアジトが必要)。手放しに称賛できない(此の国の再開発にも)。またTさんはせめてバリアかフェンスにしましょうよという議会の妥協案を拒絶。あくまでもウォールを作れと言う非常事態宣言を出す。比類なき暗王、いや暗帝? まあね、東アジアの一住民としては米朝交渉だけでも成功させて欲しい。此方には「滅びの方舟」を出さないことを期待してます。よっ、大統領!

 

2/15・金

 給料の統計には官邸から明確な横槍があったらしい。突っぱねるほどの官僚はいないだろうな。粉飾統計。矢張り故意犯だった模様。飯田のかぶちゃん村も副村長が亡くなる。恐らく先代がやって居た頃は正業だったのだろうが、息子さんがインチキ投資会社にして仕舞った。多少は責任を感じていたのだろう。儲からない、成長しないということを受け入れなくてはならない。大体此のデフレ経済の下、現状維持できれば十分である。また何とか家具もいよいよ危ない。此方は娘さんが潰したな。重く曇って非常に冷える。103は漸く電気工事。明らかに工事のペースが遅い。あらゆる工事屋さんの手がいっぱいの模様。晩は牛豚のしゃぶしゃぶ鍋。十時半就寝。

 

2/14・木

 まあまあ回復す。漸くセメントの塗り込み作業。エライ年配の人が一人でやって来る。何次下請けになるのだろう。人手が足りないのだな。半日で終了。乾くのには数日掛かるらしい。また仮板を渡す。薄曇りで結局寒い。午後出社。中一には図形の要点を纏めた渾身の手書きプリントを配布したが反応薄し。金五万円受け取る。退社後はBとIで一二杯ずつ。

 

2/13・水

 大量に睡眠を取ったが体調は今ふたつ。併し長時間寝ていると羽毛布団がどんどん寄って仕舞って本当に困る。180度回頭させるより手がない。結局今日も曇る。太陽が出ないと頗る寒い。生憎家人は熱海へ。午後は少し晴れたが体調も良くないと何もする気が起こらず。本日欠勤。何となく鬱状態。ラジオもテレビも病気の事ばかり。

そこでユーチューブでゴミ屋敷を片付けるなんて動画を視聴す。「片づけトントン」という会社の作品が面白い。みんなよく動いてよく分別している(特に作業中の軽口がいい)。こういうのを見ていると少しやる気が出て来るかもしれない。隣の家ももうふた片づけしなくてはならないなぁ(其れにしても何年掛かっているのだろう)。拙宅の敷地以外には一歩も出ず。夜は冷蔵庫の中身を消化器官で片付ける。

 

2/12・火

 久久に朝から良く晴れた。午前中に若頭が来て103号室の検分。此の部屋は次世代型リニューアルを施した第一号なのだが、竣工から六年も経つと壁紙がもう駄目である。壁スイッチの増設と共に張り替えを依頼す。直す傍からどんどんと老朽化す。不動産賃貸業とは例によって不動産修繕業である。

偶にはこってり味が食べたくなって、梅が丘まで遠征。初めての店である。直ぐに入れたのは良かった。学生さんは春休みだからね。働くおじさんたちと共に麺をすする。でもあの小加水のワシワシ麺はよう食べられない。二郎系とも愈愈卒業である。麺やモヤシと苦闘している内にすっかり曇る。結局寒い。買い物は一便。何だか心身ともに冷え切った感じがする。夜はスーパーの鰹刺し(300円)。千葉ではもう鰹が揚がっているらしい。初鰹である。こうなると海外産の白ワインより日本酒だな。紙パック入りの吟醸酒を合わせた。水泳選手は重大病を告白。東京湾の倉庫では火災が発生。死者複数。人生とは常に理不尽だな。

 

2/11・月

 幸いにして宿酔は無し。朝から富士そばのラーメン(420円)。ちなみに明日まで入れると五連休なのである。排水管の修理も終わったから何処かに行こうかと思った。併し寒いから何処にも行けず。特急か急行に乗って山の出で湯にでも行きたいのだけど何しろ一人ではねぇ。

昼は西太子堂の古い店で炒飯。こういう職住一体型の街中華の店も少なくなった。幸い店主は代替わりしたようであと数十年は大丈夫だろう。680円は少し高いけど応援金込みの価格だな。一日寒く、取り立てて無為。夜は冷凍食品他。

うちで家作を建てれば三十年間の家賃は保証しますという会社が問題となる。大体家賃が三十年も維持されるというのもあり得ない話しだが、建てた段階で既に手抜き工事だった。数千人を引っ越させての改修工事が必要。こりゃ大変だな。つくづく楽して儲かる仕事などはない。

 

2/10・日 

 御隣りで飼われていた三毛猫も亡くなったとのこと。其の猫は何回か見たことがある。大人になって捨てられたらしく拙宅の餌を食べに来ていた。愈愈体調が悪くなったところで御隣りの若奥さんに保護されていた。此の数年で色色と医療費が掛かっただろうが幸せな最期だったろう。そう言えば最近は他猫を見ることは殆ど無い。野良猫が減ったことは基本的には喜ばしいが、こうして猫を切っ掛けに親しくなった近所の人も結構いる。今風に言えばコミュニケーションツールだな。此れも完全家猫では駄目だな。表に出なくては。

鷺乃間君におうちにお呼ばれしたので出掛ける。まず東横線で日吉へ。降りて見ると制服姿の男子生徒で溢れている。そうか今日は私立高校の入試日であった。天下の京王ともなるとまだまだ一般入試が主流だろうね。大勢来ている。でも未だに二月の十日と言うのはしっくりこない。吾人の頃は十八日であった(確か高田馬場の方を受けた)。都立高校の試験が前に倒れて私立も早まったと記憶している。

 駅前の学生向けの食堂でチキンカツカレー休憩。800円もしたが大したものでは無し。京王価格だな。さてさて此処から地下鉄には乗らずに徒歩で移動す(一日平均八千歩は歩かなくてはならない)。日吉の郊外を歩くのは初めてである。ピカピカの港北区と言っても此の辺りは古い街だから、もの凄く狭い所を大型の東急バスが通っていて驚く。道は簡単には直せないよな。丘陵地帯だから自転車も余り役に立たない。少し歩くと畑なども出て来る。一時間ほどで高田付近に到着。近くのスーパーでつまみ類も調達。駅で坪上君と月波君と合流。四時頃から飲み始めた。以後延延と大量飲酒。妻子の居ぬ間に何とやらである。一応子どもさんにはぬいぐるみ等を差し入れた。

鷺乃間君にしろ坪上君にしろ社会の中堅クラスになりつつある。部下には鳳生大学の後輩もいるらしい。若い人とはつくづく話が合わないとのこと。特にビラとか立て看板とか批判精神とか、鳳生大学の上智青学化を防ぐことの重要性について、若い人は殆ど理解が及ばないと口口に言っていた。つくづく時代が変わったかな。帰り掛けに客の居ない焼肉屋のような所で総仕上げの中量飲酒。ふらふらで地下鉄と東横線へ。同じ世田谷の坪上君と碑文谷からタクシーに乗って帰る。二千円先払い。ちなみに坪上君の家より拙宅は大部手前(800円付近)。まあ本日は自らの足で既に数百円の価値を創造しているから実質負担増は800円くらい。酔っていても金勘定は出来るのである。

 

2/9・土

 何とかタウンという衣料品通販会社の社長はツイッターを止めて本業に専念するのだという。確かに一億円を配ったり、月へ行くだの行かないなどと業務以外のところで目立っていた。恐らく本業も傾いているのだろう(最近段ボールが出ていない)。それにしても、何とか衛門にしろ、此の人にしろ、凡そ経営者としての哲学も何もない感じ。日本からはこんな経済人しか出て来ないのだから何だか情けないなぁ。

 朝から小雪。北海道は大寒波だという。電気は足りるのかな。九州で余った電気を中国送り、中国の電気を関西に送り、関西の電気を中部に送っても、中部の電気を東電には大して送れない。つくづく明治期の失敗だな。取り立てて無為。

 

2/8・金

 再びの冬型。午前中は不動産屋さんへ出向き、空き家の解体に向けての協議。持ち主の一人である温子叔母さんは成年後見を付けているから、手続きが面倒かもしれない(裁判所の許可がいるらしい)。また分割協議もどうなるか分からないが、兎に角やれることはやれるうちに進めておこうと思う。午後は次第に曇りどんどん冷える。夜は水炊きにした。

 全国的に火災が多い。町内会の掲示板にも電気ストーブに注意と貼り付けてあった。未だに使っている人も多いのだろう。裸火と同じものは本当に危ない。早く法律で禁止した方がいい。エネルギー効率も良くないし。

 

2/7・木

 昨夜から晴れた。朝霧あり。引き続き汚水管の取り換え工事。掘り出された旧管を見ると其れほど劣化しているようには見えず。但し下部がざらざらとなっている。此処に引っかかるのかな。また斜度も今一つ足りていないのかもしれない。排水は電気や上水やガスとは違い圧力ゼロの自然落下の世界だから、敷設には細心の注意を要す。二時過ぎには新管を埋めて上に砕石を敷き詰めるまでの作業が完了。以後片づけと確認。少量の水でもさらさらとよく流れた。再び板を敷いてコンクリート打ちは後日と言うことになる。三時過ぎには終了。

午後は南風が吹いて暖かい。其のまま通常出社。中一数学は立体の表面積や体積へ。例によって球の公式に疑問は集中す。そりゃまあ、錐の体積が柱の三分の一になるというのは、実際にやって見たらそうなったという経験論的説明が、扇形の面積が弧の半分に半径を掛けるというのは、物凄く奇特な人が居て、壮絶な執念を以て扇形をスライスし互い違いに並べたら驚くべきことにほぼ長方形になっていたという絵的な説明が可能だが、球の場合はどうにも説明の仕様がない。どうにも説明できないものは高校の積分にお引き取り願いたいと思った。丸暗記は理不尽である。退社後は立ち飲みBへ。外国人材が揃って居ない。となると国内人材を総動員してもてんてこ舞いである。成程、みんな旧正月で国に帰ったのね。こういうところで春を感じるとは思わなかった。更に碑文谷でドライブ休憩。

 

2/6・水

 朝から午後まで雨。最後の朝のお勤めの後、愈愈工事開始。専門業者さんが来てコンクリートの三和土をエンジンカッターで切っていく。続いて削岩機で叩き壊す。土木工事である。二時間半程度で一段落。見てみると汚水管より浅い所に何か走っている。ガス管か水道管か。以後手掘りとなる。その下を通すので何だか大変そう。ハラハラするから素人は見に行かないことにした。

半分くらいまで作り替えて本日の作業は終了。仮の板を渡すところまで見届ける。暗くなる頃に出社。何だかガス管のようなものが気に掛かり授業に集中できず。何しろ家も人も古いから次次に亡くなるか壊れるかしている。此の所ノイローゼ気味である。もっとインフラの力を信じなくてはならないな。其のまま退社。再度工事現場を見回った。

 

2/5・火

 千葉の野田でまた児童虐待死事件。父親は態態会社を休んでまで暴行し続けたというから恐ろしい。暴力には依存性があるのだな。こういう暴力のプロに対して学校の先生や教育委員会児童相談所などの堅気の衆は敵わない。専門家に頼むしかない。都下ならば桜田門の生活安全課だな。捜査一課の出番になる前に何とかしなくては。一転して曇天。結局寒い。昼は三丁目のとんかつ弁当(770円)。久久に旨いかつを食べた。他は時時『方丈記私記』。

 

2/4・月

 未明は南の大風と小雨。引き続きあと僅かになった朝のお勤めとゴミ拾い。序でに近所の広場も見て回る。例によってゴミが落ちている。すると其のゴミに張り紙がしてあって、ゴミを捨てた人を激しく罵る言葉が書き連ねられていた。誰が書いて態態貼り付けるのだろう(新手のヘイトスピーチか?)。そんな面倒なことをするより拾って捨てればいいのである。ものの二分で終わる。他人を攻撃するより黙って善行を積んだ方がよっぽどいい(善行から極楽寺行きの記念切符を作れば沢山売れるぞ。小田急江ノ電。片道460円)。

続いて落ちていた子ども用パスモを交番へ搬送。此方は七分掛った。其の後庭猫の巡回。珍しくシロがくしゃみをしている。猫インフルエンザか? 元気はありそう。詰まり花粉症だな。大体単独性の動物は感冒には罹らないだろう。更に空き家の点検。すると二階にまでグレが入り込んでいて寛いでいた。床下の割れ目から入ったよう。もうすぐ此処は壊すからねと言い聞かせながら抱いて下ろす。

 朝はレトルト御粥、昼はスーパーのかつ丼カップ麺。処置が早かったから胃も既に全開である。午後千寿校に。S子先生は鬼の霍乱でお休み。鬼の居ぬ間に少し片付けしようと思った。幾つかの箱を畳み、賞味期限を大幅に超過したペットボトルの御茶三本と、野菜ジュースを二缶処分したところで時間切れ。大体捨てる場所がないのだから捗る筈もない。少しずつ持って帰るしか手がないな。

ところで此方の高校数学は、箱髭図とか標準偏差とかの統計の基礎に突入。中中難しい(高校で習った覚えがない)。統計は国家の要諦(とのこと)。大学の教養課程にはあったのかな。文系は統計学が分からない。退社後は「大江戸」で軽く摘まんで帰った。夜は既に寒い。

 

2/3・日

 偶には昼酒でもしませんかと言う訳で、横浜の中華街まで出向く。参加者は月波君と客乃間君。客引きに言われるまま食べ飲み放題の店へ。安いから大したものが出て来ない。結局の大量飲酒となる。二時間で店を出され、山下公園で暫時休憩。海を見てみると双胴型の珍しい船が居る。確か夏ちゃんとか言ったな。青函航路に鳴り物入りでデビューしたが、燃料費が高くてあっという間に廃止になった船である。今は防衛省絡みの会社が保有していると聞いている(軍備に採算性は問われない)。画期的な新型高速船であったが商業ラインには届かなかった。新技術が定着するとは限らない御手本のような話である。其のまま桜木町の地下街まで徒歩連絡。此処(ぴおシティ)もミニ新橋みたいになっている。更にもう一軒。七時過ぎにふらふらになって帰宅。一眠りしたら大変な胃痛に。今回は早めに戻した。

 

2/2・土

終日晴れ。家人は鎌倉へ。取り立てて無為。家人が買って来たスーパーの弁当の御飯が不味くて全量廃棄。炊き損なっているな。こういうものを売られてはフードロスゼロと言う訳には行かない。

 

2/1・金

 ネットで知り合った男性に会いに行った女子大学生が遺体で見つかる。余りこういうことは言いたくはないが、男と言うものは大変な危険な代物である。どんなに時代が変わっても、頭の片隅以上に置いておくべきことである。勿論出合いの可能性を否定はしないが、一個師団とは言わない、一個連隊を引き連れて行くぐらいの覚悟で臨まなくてはならない。また有名写真ジャーナリストもセクハラにパワハラで全身火だるまに。権力は腐敗する。其れが体制側であろうと非体制側であろうと。

 朝から晴れた。北風強く。先述の火災保険料を支払いに行く。送られて来た振込用紙はコンビニ専用。併し何枚も大枚を預ける所ではないんだけどね。つくづく現金は危ない。午後信託銀行の人が来る。来たのは切れ者風の課長代理と傍系の不動産会社の方。要は全部若しくは半分くらい売却しませんかという提案であった。色色と書類も作ってくれたようだが(出て来る数字はもの凄い、富士そば数十万杯分)、此の土地は売りませんぞ。此処だけの話だが、拙宅付近の地名は頼朝に関係がある。安堵された大正以来の土地を一所懸命に守り抜く所存。只管に草取りと朝のお勤めを果たすのみであります。晩食は適当鍋で適量飲酒。十時就寝。