視線の先は…

 再びの就職氷河期到来、そして雇用全体の不安定化はますます進むということで、働くということは厳しさを増す一方といったところである。「戦後最長の好景気」とされた2000年代半ばごろでも、あの有り様であったのだから、これから起こるであろう事態を想像するだけで、暗澹たる気持ちになる。
 求職者というものは、おそらく世界でもっとも立場が弱い存在と言えるのであって、常に採用者の厳しい「目つき」にさらされている。
「利害の追求や計画の実現につとめる人、つまり世間流にいってプラクシスの場に身を置いている人は、接触する相手を自動的に友か敵に選り分けてしまう。相手を見る目にしても自分のもくろみへの適応の度合いを主眼にしているわけで、この連中は使いものになり、他の連中は邪魔者であるという風に始めから、相手を客体の位置に貶めている。ファシズムの指導者たちは一様にひとをじっと見据えて射すくめるような坐った目つきをしているが、求職者の品定めをする経営者の目つきは、その原型ともいうべきものであり、腰を下ろすように促しながら相手の顔をくまなく照らし出すその眼光は、使いものになるかならないかの明暗を冷酷無残に見分けてしまうのである。」(アドルノ『ミニマ・モラリア』)
 むろん大半の人々は、経営者でも人事担当者でもファシズムの指導者でもないのだが、時代が悪くなるということは、普通の生活者の普通の視線が、どこか他人を選別しまた何かをせかすような余裕のなさを示すようになるのだと思う。
少なくても私たちの目は、都合の悪い事実を、すでに映さなくなりつつある。ホームレス、人身事故、平和と人権を踏みにじる相次ぐ発言…。
「情報を得る可能性はいくつもあったのに、それでも大多数のドイツ人は知らなかった、それは知りたくなかったから、無知のままでいたいと望んだからだ。ヒットラーのドイツには特殊なたしなみが広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問されても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。」(プリーモ・レーヴィアウシュビッツは終わらない』)