経済時評・・・素人の考え

 内需がないので、外需に頼っていたら、この世界不況。というわけで、国内経済もたいへんな状況に陥っている。
 そもそもどうしたものかと思っていたら、担当している現代文の授業で、多少ヒントになる文章が出てきた。出典は山崎正和の「アメリカを問い直す」(ただし書名は不明)。
「若いといえば、アメリカはまた経済的にも大国でありながら青年期にいる。この十年、日本を筆頭に多くの先進国が消費不況に苦しむ中で、この国だけは旺盛な購買意欲を見せている。考えれば、これは奇跡的な話であって、現代文明が大きく転換する過程で、例外的に起こった現象と見るほかない。なぜなら世界がポスト工業社会にはいり、商品購入よりサービス消費へと移るなかで、先進国の購買意欲はむしろ落ちるのが当然だからである。」 
 確かにサブプライムローンという打ち出の小槌のおかげで、アメリカは物を買いまくってくれた。それにつられて、日本の企業も外需頼みで、「景気回復」を図ってきたというわけである。まあ、この指摘は正確だと思う。
しかし、もう買いたいモノがないから、先進国は必然的に消費不況に陥るといわれると、どうもこれは半分しか当たっていないように思える。
なぜなら日本の勤労者、特に消費の中心になるはずの若い世代のかなりの部分が、お金がなくて、買いたくても買えないような状況に置かれているからだ。
そりゃあ、わたくし=貧乏卿だって、けっして『清貧の思想』(中野孝次)を決めこんでいるわけではないので、もっと収入があれば「じゃあクルマでも買おうか」「ブルーレイもいいなぁ」という感じで、もう少しいろいろとモノを買っていたと思う。だが、現実には先立つものがないわけで、ボロい自転車に乗り、週に二回の居酒屋通いで、後に残るものなしといった状況である。(これを「赤貧の思想」という)
 買いたいモノがないのではなく、やはり根本的にはお金がないというのが、消費不況の原因であろう。経済界は、派遣社員など非正規雇用の増大が、相当内需を減退させてきたという事実を反省すべきであり、そして労働分配率の改善を図るべきだが、もはやこの大失業時代の到来に、そんな悠長なことも言っていられなくなってしまった。きわめて危険な状態だ。とにかく雇用を確保すべきである。今後は内需が危ない。
「日本がこのアメリカになれる可能性はないし、またその必要もない。将来の日本は若干の移民を受け入れながら、基本的には老熟した「寡民小国」に落ち着くことになろう。高度の知的産業、文化産業、海外投資の収益と対人サービスで経済を支え、省資源、環境保護を誇りとして生きるほかはあるまい。だが文明がこの新しい平衡状態に達するには、まだ時間がかかる。移行段階を生き延びるには輸出が不可欠であって、そのためにはあの若い隣国の健在を祈るほかはない。」(同)
 祈りもむなしく、アメリカは金融工学に走り、結局ぶっ倒れてしまった。困った事態である。
それにしても、新産業=非工業化社会のソフトウェアー産業の創出というのも、なかなか兆しが見えない。なんてたって、もう国内には赤貧生活が現れているのだから、そちらの救済を図るのが先決であろう。衣食足りてナントカではあるまいが、路上生活の危険があるところに文化国家も、小国寡民もへったくれもない。よって、まったくもってこの見通しは絶望的になってしまっている。
残念ながら、しばらく、いやここ当分の間、ある程度は工業品の輸出に頼るほかないのだと思う。それにしても、アメリカがこけて、その他の新興国もこけてしまった以上、一体どこに輸出先があるのだろうか。
こうなると、もうひとつの隣国の内需に期待するしかないような気がする。幸いあの国は、金融関連での損害は少ないと聞くので、今まで輸出で稼いだお金で、今度は世界の需要を支えてもらいたいものだ。4000年の歴史はあっても消費の歴史は若いからね。
頼みますよ、中国産…、じゃなくて、中国さん。