ひき臼壊れた!!

 地方都市をすこしでも歩けば、すでにその多くがシャッター通りと化していることに気づくであろう。たいてい、その周辺の街道沿いには郊外型の大型ショッピングセンターがつくられ、また多くの似たような大型店が軒を連ねている。日本の田舎のありふれた光景である。
 しかし、急速な消費不況のため、流通の勝ち組=商店街と駅前のダイエーを倒してきた当のイオングループですら、かなりの店舗を閉めざるを得ないという。駅前商店街をつぶしておいて、自分の身が危なくなってきたら、即撤退というのである。まったくもって無責任な話しだが、経済論理と言えば、元も子もない。
その結果、地方では、雇用は勿論、買い物先もなくなってしまうという二重の危機が訪れている。買い物難民化するのは、なにもクルマに乗れない高齢者だけのことではなくなりつつあるのだ。
「最近の歴史学および人類学的研究におけるきわだった発見によると、人間の経済は、一般に、人間の社会的諸関係の中に沈み込んでいるということである。」(K・ポラニー『大転換』)
当初赤子のような存在だった経済が、共同体の中から生み出され、今度はあらゆる社会関係を破壊しながら無限に拡大していく。その様子を、ポラニーは詩人ブレイクの言葉を借りて「悪魔のひき臼」と例えている。
「(囲い込みによって)農村の人々は人間らしさを奪われ、スラムの住人と化していた。一家は破滅の途に投げ出された。そしてこの国(イギリスのこと)のおびただしい部分が、〈悪魔のひき臼〉から吐き出された屑かすの山に急速に埋ずもれていった」(同)
悪魔のひき臼が、ジャスコだとすれば、駅前商店街は、すでにその多くが屑となってしまった。そして今日、その当のひき臼さえもが、壊れてしまいそうな気配である。
商店街というのも、その保守性と閉鎖性は、私から見て、ある意味度し難い側面を持っていることは否定できない。だが、地域を保持し雇用の受け皿になってきたというのも確かなことである。従来の世襲型とは違う、もうすこし違った形の商店街というものをつくれないだろうか。
商店街が自民党の支持基盤なら、あのジャスコの岡田家は民主党の党首を輩出している。
腐臭漂うあの古びた商店街でもなく、非正規雇用に支えられた巨大で無機質なショッピングモールでもない、小さいながらも開かれていており、みなが安心して働いて、買い物ができるような場を…。
ジャスコ自体が、さらに巨大なひき臼の中に消えてしまう前に、なんらかの形でつくり出せないかなぁ…。