遅すぎた給付金

 まったくもって、バカげたアイデアなのだが、それでも昨年中に給付のメドがたっていたら、かなり印象は違っていたと思う。
 あの構想が本格的に世に出たのが、2008年の10月末。以来、高額所得者は貰うの貰わないの、それは矜持だの、貰うのはさもしいだのと、まったくの枝葉末節の論議に時間が費やされること3ヶ月。この間、景気状況はさらに悪化を続け…。
 配るなら、早い方が良かった。その政治決断がなかった。たとえ、参議院で反対されようと、衆議院で再可決すればよい。そのうえで、「全国民に2兆円を配る。これで消費を活性化して、景気を良くしてくれ。イエス、ユーキャン」とでも演説すれば、バカバカしいと思いつつも国民の足は、商店や飲食店に向かい、今日の景況感は多少なりとてよくなっていたはずだ。
「認識というものはできるだけ多面的でなければならないが、決断はいわばそれを一面的に切りとることです。しかもたとえば政治的な争点になっているような問題についての決断は、たんに不完全な認識にもとづいているという意味では一面的であるだけでなく、価値判断として一方的ならざるをえない」(丸山真男「現代における態度決定」)。
景気回復という目的は大多数の国民が願うものである。給付金の効果については、いろいろと認識が分かれるだろうが、決断は一回きりのものだ。
その決断を今の総理が下せず、あれやこれやとブレてしまった。
これでは、せっかくの2兆円も、少なすぎるうえに、遅すぎるわけで、ますます効果が減殺されてしまうことになるだろう。まことにモッタイナイ話である。