スポーツ嫌い

 とある10代のプロゴルフ選手に注目が集まっている。ゴルフの人気底上げに寄与しているだとか、若者に希望を与えるなどと言われている。
前者はともかく、後者に関すれば、この国の若者が置かれた状況を思うと、むしろ失望と無力感を生み出しているのではなかろうか。「お父さんのようなサラリーマンにはなりたくない」というのが、一昔前の親子ゲンカの定番セリフだったが、現在は大卒でもサラリーマンにすらなれない若者が続出しているのである。あまりに光り輝く太陽は、目標にはなりえない。むしろ自らの影を色濃くするだけである。
 むろんスポーツは厳しい実力世界なのであり、輝けるのは太陽の中でも太陽なのだが、その太陽をより輝かせているのは、スポーツビジネスの冷徹な論理である。
その一方、「利用価値なし」と判定されたアマチュアや実業団の同じスポーツ選手たちは、この不況で日々の活動費にも事欠く惨状である。スポーツの間でも、すさまじい格差が広がっている。
 そもそも人々はスポーツに何を期待して見ているのだろうか。若者は希望や感動か、中年以降は気晴らしや娯楽か。どちらにしても、選手なりチームなりに、なんらかの共感する点がなければ、ファンとはなりえないだろう。
だが、彼我の差があまりに拡大し切ってしまったとき、人々は、どうするのだろうか? ひとつは、諸外国のように不満のはけ口を求めて、フーリガンとなるだろう。もうひとつは、見たところで気が晴れることがないし、そんな余裕もないと一種のネグレクトに至るのではなかろうか。