からっぽの部屋

「あなたは、あなたが選んだものでできている」というコピーがあったが、そもそもこの消費社会において私たちがどこまで主体的にモノを買っているかは定かではないという留保をつけたとしても、なかなか言い得て妙だと思った。
 別に高価で個性的なものでなくていい。生きていくということは、何かと雑多なものを部屋にためこむ行為と言い換えてもいいからだ。そして、その部屋の中身を見ればその人の人となりというものが、ある程度は推察できる。
 しかし、いわゆるハケン労働者が住む寮の様子をテレビなどで見ると、その私物のなさに、ぞっとさせられる。
 部屋には、備え付けの家具以外、食器や雑貨はもちろん、ガラクタのようなものすらほとんど見当たらないというケースが多々あった。まさかハケン切りと退寮に備えてあらかじめモノを置かないようにしていたというわけではあるまい。
 まともに働いても、安価な日用品を買い揃える金銭的・時間的あるいは精神的余裕すら、彼らにはなかったということなのだろうか。その殺風景な部屋は、彼らが奪われてきたものの多さを物語っているように思える。そして今、彼らはその部屋すら奪われようとしている。
 ちなみに、冒頭のコピーは、某自動車会社のものである。そのクルマを作っている労働者は買い物をする余裕すらないという、なんという皮肉であろうか。