感情労働

 久々に、本務校の話を…。今回は、いつもの私の趣旨とは少し離れて、愚痴の様になってしまいましたが、ご容赦ください。

 一応わたくし貧乏卿は、貧乏ながらも毎日仕事をしており、その仕事とは子どもに勉強を教えることであります。生徒に意欲があり、次々といい質問が出て、教える側としても次々にいい説明ができる。こうした場合は、私もある種の幸福感・達成感=ティーチャーズハイを味わうことができます。この仕事をやっていてよかったと思える瞬間です。
 ですが、そういうことは、そう多くはないですね。残念ですが…。
 塾に行っても成績が上がらない…。よく聞かされる話です。やはり、本人にやる気がないと、どうにもなりません。そもそも勉強に向かない子というのも多いものです。もちろんそういう子たちも、勉強以外の面ではいいところもあるのですが、塾の講師と生徒という間柄で出会ってしまった以上、教えないわけにはいきません。
 嫌がる相手に勉強を教えるというのは正直なところ、こちら側も苦痛この上ないですね。𠮟ったところでどうにもなりません(スパルタ塾など遠い過去のものです)。そういう場合は、なるべく教える子どもに、好意を示すしかありません(変な意味ではありませんよ!!)。なにかしら、その子のいいところを見つけ、そしてとにかく相手を褒めて、やる気にさせるというわけです。
 つくづく塾の仕事というのは、感情労働だなと感じる嫌な時間です。子どもをだまして乗せるために、まず講師自身が自分をだまし、自分の感情をコントロールしなくてはなりません。昔の言葉で言えばこれは幇間の仕事ですかね…。競争激化=サービス向上のためとはいえ、正直これはつらいですよ。
 生徒をやる気にさせるのも、講師の仕事の一部だと言われれば、それもそうですが、やはり限度というものがあります。
 塾講師の多くは、驚くような薄給で働いています。上場しているような大手集団指導塾でも講師の大半は非正規雇用です。それでもこの仕事を続けているのは、数少ないティーチャーズハイを楽しみしているからと言えます。
 親御さん方、塾に送り出す際にはわが子に多少なりとも勉強するのだという自覚を持たせてください。
 貴重な授業料をお支払いいただいて、まことにありがとうございますが、お子様に最低限の自覚がないと、世の中どうにもならないこともあるのです…。