家族のオーバーワーク

 不況になり、社会も会社も頼りにならなくなった以上、またぞろ家族の役割が増大している。お父さんも頑張るから、子どもたちもお母さんのことをよく聞いてしっかり勉強しろとばかりに、従来以上に父・母・子という役割が強調されているかのようである。
 家族が一致協力して…、一見微笑ましい光景だろうが、父は会社で心身ともに疲れ切り、母はパートと弁当作りと家事に追われ、子どもはよき子どもの仮面をかぶり続ける。
 そもそもそうした役割を背負いこみすぎることが、家族であることの負担を強め、家族を息苦しいものとしているという逆説に気づくべきである。
家族に過大な期待と負担を強いてはならない。
しかし、今日の日本社会において、役割過剰な小家族を一歩でも出ると、そこに社会はなく、競争と合理化が吹きすさぶ世界が待っている。そして今日、会社と家族から放り出された多くの老若男女が、路頭に迷わされている。
 家族と会社のほかに頼るべきものがほとんどないのが、日本「社会」の現状である。