わたくし貧乏卿は、貧乏ですので、普段の移動には自転車を使います。場合によっては、「運転手つきの大きなクルマ」、つまり路線バスを使うこともあります。(ここらへんは、関西の漫才のネタ風に。)
近所はなかなか狭い道が多く、対向してきたバスとすれ違いが難しいと判断される時は、速やかに私の自転車が退避して、道を譲ります。まあ、普段なにかと世話になるバスですから、こういうときは率先して道を譲り、安定輸送に貢献しようと思うわけです。
そんなときは、バスの運転手がそっと手を挙げてくれます。これは、なかなかにいい気分です。なにかとてもいいことをしたような気分になります。
ただ、手を動かしてくれるのは比較的ベテランの運転手が多く、若い運転手さんは会釈をするのみです。
残念なことに最近では、「安全」上の観点とかで、バス同士がすれ違う時などにする挙手礼は、廃止の方向に進んでいるようです。当然、返礼としての挙手も禁止の方向なのでしょう。
でも私は、あのいかにもプロとしての誇りが感じられる挙手礼の方が好きだったなぁ…。運転のプロに、わが自転車の運転を褒められたという、なにか名誉なものを感じましたから。
(ちなみに近所を走るのは大手私鉄系の路線バスですが)その挙手礼の終わりを、「国鉄の終りであり、底辺の労働組合の終りであり、そして「鉄道員」の終りである。それはまた、おそらく一つの「労働」の終りである」(市村弘正『標識としての記録』)と言っては、言いすぎかなぁ…。
でも、まあなんというか、ある職業のシンボリックな行動の一つがなくなってしまったことは、残念に思いますよ。