20年ぶりの数学・20年後の社会

 ある事情で20年ぶりに高校数学を勉強しています。というのも、勤務先の某学習塾が、断続的な経営危機を迎え、その対策として(名ばかり正社員の)わたくしが、高校数学の担当を拝命したということであります。
とまあ事情はどうあれ、20年ぶりの高校数学は、なかなか楽しいものでもあります。こうして夜更けに、指数関数だの三角関数だのを勉強し直していると、まるで自分が高校生に戻ったような錯覚を受けます。
 そして、もしも高校生の私が突然この部屋に迷い込んできたら…? という、あまり趣味の良くない想像を働かせるに至ります。
 まず、わが身のあまりの収入の少なさに、驚くでしょう。これには弁解の余地はありません…(涙)。部屋を見ると、パソコンと若干の書物が増えたぐらいで、代り映えしない印象を受けるはずです。いまだにクルマはなく20年前と全く同じ自転車に乗っていることにも。
次に、社会情勢に目を向ければ、バブル崩壊以後の20年来の不況に世界恐慌がのしかかった現在の状況にショックを受けると思います。僕のこれからの人生は、ずっと不景気なんだね…と、失望するかもしれません。アメリカの新大統領には、多少の感銘を受けるかもしれませんが、前任者の悪行を話せば、これで差し引きゼロだねと言って落胆するでしょう。
一方、日本の政治と社会の姿には、どのような印象を持つでしょうか。
まず社会党の消滅に驚き、自衛隊がそんなに海外に出ているのかと、心配するでしょう。今のところ憲法とその9条は健在ですが、教育基本法は変えられてしまいました。現在の日本人の姿勢を厳しく問われると思います。ただ、幸いにして今のところ自衛隊は一人も殺していませんし、この20年の世界情勢の変化を話せば、日本国憲法は形だけは持ちこたえてよく歯止めになってくれてきたと逆に感心するかもしれません。
また結局、自民党とこの国の官僚機構による長期政権や日米安保の体制が続いていることには、落胆を通りこして驚嘆すると思います。どういうわけか、世の中にはけっして変わらないこともあるのだなぁと、不思議に思うはずです。
街へ繰り出してみましょう。商店街の様変わりに目を見張ると思います。個人の店はことごとく消滅し、チェーン店化しています。そしてその値段の安さに驚くかもしれません。ハンバーガーや牛丼、衣料品・日用品の類は20年前より安いと思います。これはグローバル化と過当競争によるものです。
情報通信の分野は特段の進化を遂げ、街並みも再開発によりますます立派になりました。その点では、まさに「未来社会」に来たと思うでしょう。でも、ここら辺は数学に例えるなら「一次関数」的な、ある意味、想定可能な変化と言えます。
街も人もきれいになって、誰もがケータイを手に颯爽と行き交っているように見えるかも知れません。でも電車は人身事故によってたびたび止まるし、人々の不安とイライラの増大を感じると思います。
そして、ホームレスは都心だけではなく近所の住宅街にも、ごく普通に存在するようになっています。人々の生活はかえって苦しくなったようです。これは、予測を超えた変化だと言えます。
いわば未来社会と貧困社会の同居を目撃し、日本社会がお金の使い方に失敗していると、高校生の私は、きっと憤慨することと思います。
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誰もかれも、将来の不安を口にしています。20年後はどうなっているのだろうかと? あれこれ、未来予測するのも大事ですが、その前に日本社会はこの20年間にどのように変わってきたのか考察することが必要です。この20年間の方向性が分かれば、今後どういう社会になるのか、ある程度の予測がたつと思います。そのうえで、舵を切りかえることも可能になるわけです。