同じように学校に通い同じように勉強して大人になっても、世代によって大きく違いが出てしまうのは、当事者にとってはたいへん気の毒なことだと思います。時代の流れというものは、個人の努力など簡単に吹き飛ばしてしまうのですから…。
特に、現在35歳前後の世代は、大学卒業時に就職氷河期を迎え、かなりの部分が非正規労働だったり、正社員として過剰に働いていても、何年たっても下働きのままといった不遇に見舞われています。
いわゆるロスジェネは、現在25歳から35歳前後とされていますが、この不況の到来でその下限はなくなってしまったと言えます。日本経済は縮小の一途をたどるわけですから、今後はいつでもロスジェネ、いやみんなロスジェネといった感じです。いずれはこの言葉も、死語になると思います。当たり前の状況に特別な用語は不要になるからです。
となると、現在35前後の就職氷河期世代は、元祖ロスジェネというわけですから、後輩たちになんらかの指針を与えるべくきちんと生活しなくてはならないと思います。つまり、低収入でもなんとか生活を成り立たせ、あまり敗北感に浸らずに、明るく元気に暮らしていけるよう、いろいろと知恵を働かさなくてはなりません。
具体的には…、クルマは持たないかゲタ車で済ませ、家は買わずに賃貸か親の家を直して住み、外飲みはたまの贅沢にして普段は家飲みで健康を保つ。ギャンブルはやらず趣味はお金のかからないB級品収集にする。親類縁者や友人たちと仲良くする…等々。
就職や職業人としては不遇を味わったが、その後の努力と発想の転換で、低成長の時代でもしっかり生活できるということを後生たちに、見せてあげなくてはならない。それは、先に生まれた者の義務であると、私は考えています。
追記
そしてそれが、たとえ非自発的であるにしろ、私たちは「高度成長」という「安楽への全体主義」(藤田省三)からいち早く放逐されたのだから、この「喪失経験」を、今日、強化されようとしているかに見える福祉国家的秩序に回収されることなく、なんらかの自律的で自主的な秩序づくりに生かさなくてはならないということも、また確かなことである。