「しかし、革命は起きませんでした。翌年の夏、長い方針上の混迷に終止符が打たれ、軍事組織は解体され、ぼくは学校へ戻りました。」「党から離れたあと、ぼくは、できるだけひっそりと暮らそうと思いました。」「間違っても出世などは望むまい。それは裏切りを倍加さすことになる。ただ、つつましく暮らそう。そう思ったのです。」「やがて就職の時期がやってきました。ぼくは、比較的地味だと思われた鉄道会社のS電鉄を選びました。」
(柴田翔『されどわれらが日々』の〈佐野の手紙〉から)
その昔、日本の学生には選択肢があった。すなわち、革命か就職かという選択肢が。もっともそれは大昔のこと。数十年もさかのぼる必要はないかもしれない。
私が学生であったのはほんの一昔前にすぎないが、当時であっても、会社に縛られない生き方などというのが模索されもした。むろんその会社外の道に困窮したのならさっさと宗旨替えをし、第二新卒として就職活動し、会社人間になるという逃げ道があったものだが…。
今日の学生には就職か就職浪人かの選択肢しか残されていないのであろうか? 新卒時に就職活動を成功させなければワーキングプアになってしまうという危機感は、どれほど学生の心を縛ってしまっているのだろうか?
時代や社会と向き合うのは若者の特権だったに違いないが、それもある程度の経済的基盤が用意されてあればこその話でもあった。抵抗や異議申し立てはすっかり過去のものとなってしまったのか??
いやぁー、でもある意味、最近の若者も抵抗しているのかもしれません。クルマはいらない、海外旅行には行かない。消費生活や出世に夢を抱かない…。これってすべて戦後の経済成長社会へのアンチテーゼですよね。むろん、それらの多くは給料=先立つものが少ないことに起因するのだろうけど、それを社会のせいにしないあたりが、若者らしい潔い態度ではありませんか?
しかもこの「運動」は学生時代に限らず、20代全般そして30代へと継続されるという点で、かつてない規模の「社会運動」であるかもしれません。
ただ気にかかるのは、それを語る言葉がないことです。思想として表明することがないと、なかなか自覚的な行動とはなりえませんからね。20代の方、なんとかなりませんか??