最近はそうでもないが、以前は旅に出たときには宿の予約を取らなかった。ふらりと途中下車したところで、宿を探して歩く。(しかも安くてよさそうなところを。)真夏や冬場は結構大変である。
知らない街を、もしかしたら宿無しになるという不安を抱えての行軍は、旅に出ているという高揚感を吹き飛ばし、ある種の焦燥を抱かせる。別に確固たる目標物はないのだから迷っているのではない。さまようという言い方がふさわしいだろう。
むろん多少の小金はあるのだし、いざとなればどうにでもなるという安心感に裏打ちされた上での彷徨である。期間限定(多くても一時間程度)の「やさぐれ」の擬似体験とでも言えようか。
それでも、道を行き交う人は(日本国内であっても)誰もが冷たく見え、なんだか自分がひどくみすぼらしく悲惨な立場に思えてくるから不思議である。光り輝くロビーのあるホテルは何だか別世界のように見えるし、居酒屋に出入りするお客も自分とはまるで無関係な世界の住人に思える。この時の私は、街も人からも疎外されているとでも言えるであろう。ただ私の彷徨は宿を見つけすぐに終わる。
でもこれが終わらなかったとしたら?
都会の雑踏を行きかう人々の中には、本当に〈見捨てられている〉人が少なからずいる。普段の我々はそういう人たちの存在に気付く事は少ないが、彼らは我々を焦燥や絶望が入り混じった視線で見ているかもしれない。そしてその視線に一瞬の殺意や破壊衝動が交錯したとしたら?
地縁・血縁・会社縁…等々、社会からあらゆる紐帯がなくなっていくことの恐ろしさは、こういうところにもあるはずである。