弁当の危機

 昼食は(市販の)弁当を食べることが多い。食べるたびに、弁当は一種の物語だと思う。ご飯があり、メインのおかずがあり、サイドをちょっとした煮物やスパゲッティなどが固める。小さい世界によくまとまっていると思う。よくできた弁当はそれらが絶妙なバランスで配置され、いいハーモニーを奏でている。
 弁当屋のなかには惣菜売り場を併設しているところもある。弁当を家で食べることも多いので、ご飯を用意したうえで惣菜だけ買ってくる。それに残り物を加え、いわば弁当を自前で組み立てるのだが、これがうまくいかない。主菜は弁当と同じものであるはずなのに全体のバランスが崩れてしまう。なんだか似て非なるものを食った感じがする。弁当代を少しケチって結局損をしたといったところか。そして数百円の弁当の奥深さを知る。
 ただ最近の心配事は弁当屋の急激な減少である。自宅の周りにはもう大手チェーンの弁当店以外はなくなってしまった…。よいハーモニーを奏でていたあの店この店のあの弁当その弁当…。すべては記憶の彼方である。
それにスーパーや弁当チェーンは、(コストを下げるためかは知らないが)おかず単品主義を採るところが多い。つまりハンバーグ弁当ならハンバーグだけ、唐揚げ弁当なら唐揚げしか入っていない。余計なモノは入れさせないとばかりに、付け合わせの小さい副菜類はことごとく排除されてしまっている。
 強者はなお強くなる昨今の世情と同じく、弁当の世界も寡占と集中が進行中と言ったところであろうか。つまるところこれは弁当の全体主義化である。人々から多様な弁当を選択する自由を奪ってはいけない。