4月7日・木曜

 一日晴れ。気温高し。都内の桜は満開となったが、花見の盛り上がりはないようだ。東北のお酒を飲んで花見をしようなどと言っている人もいるが、自粛と言うよりやはりそもそも飲む気がしないのだから仕方がない。
 3月分の電気代の請求書が来る。震災以後の期間が大半を占めているが、様々な節電を講じたが思ったより電気代は低くなっていなかった。震災以後エアコンも使わず照明もかなり削ったにもかかわらず、せいぜい金額にして3割弱の節電といったところか。節電と言うものは予想以上に難しいと感じた。
 夜11時半すぎにかなりの余震が来る。東北では再び停電したところもあるようである。公共放送のアナウンサーは、第一原発はすでに停止していますと定型句のような文言で伝えていたが、問題は停止した後の話の方が重要で、すでに停止から4週たってもいまだに安定していないのである。なお近日中に避難の区域を半径30キロに拡大するという。再び数万人が大移動を強いられるのである。
 思い起こせば、私も基本的には反原発の立場にたっており、平素から節電に努めオール電化などには反対の意思を示してはいたが、まさかこんな大事故を日本の原発が引き起こすとは考えてもみなかった。原発が危ないことは確かだが、心のどこかで同じ日本の同じ日本人が運転しているのだから大丈夫…などと言う奇妙な同胞意識に支えられた安心感があった。原発津波が襲った直後もそう思っていた。その全くもって漠然とした信頼感は、今回ひどく裏切られることとなったのである。