8月12日・金曜

そう云えば名古屋の中心街に来たのは初めてだったかもしれない。名古屋と云う街は不思議な所で、道路の真ん中に邪魔な広場か公園があると思ったら、そこは中央分離帯であった。戦争で焼けた為、矢鱈太い道路を引き直したと聞くが、自動車で通るには便利だろうが、暑い中道路を横断する方は堪らない。幾ら歩いてもなかなか向こう岸に着かないので、段段腹が立ってくる。戦災から復興させるなら元の通りの街にするのが本筋と云うものであろう。
 その後明治時代の建物を移築した所に行く。やはり暑くて見学どころではなく、ほうほうの体で撤収する。犬山市街に戻りお城を見て回る。するとどういう訳か街中に屋台が一つだけあり、地元の人に交じって飲む内に色色と歓迎されて恐縮する。というのもこういう場合、店主や常連客との会話の中で十中八九何処から来たのかと尋ねられ、都内からだと応えると相手方は酷く感心する。実態は貧乏旅行者である私をエリート会社員か若手官僚などと誤解してしまうのである。そして東京から来た将来有望な若者に一杯奢ってやろうという義侠心の様な物を相手に芽生えさせてしまうことになる。これでは身分を偽って地方視察でもしているようで、何だか質の悪い水戸黄門主義のようだなと思うが、嘘をつく訳にも往かないから仕様がない。呉呉も無礼の無いよう丁重にお酒を頂いた。
 新盆を迎えた被災地では鎮魂の花火が上がった。祈りに包まれた静かな花火大会であったと言う。また墓地の復旧までは手が回らないらしく墓石の多くは倒れたままで、また墓石も流されてしまった墓地では、塔婆だけが立っている。