9月19日・月曜

午前中から権兵衛峠を隧道で潜り抜け、伊那から木曽に出る。隧道は最近の完成で、高速道路の様な立派な道になった。権兵衛氏が江戸期に開いた道だから権兵衛峠そして権兵衛街道と言われているから、隧道の名も権兵衛トンネルである。
木曽谷と伊那谷では谷の幅が全く違い、まさしく木曽路は山の中と云った感じである。その谷間の英雄、義仲ゆかりの地を見たり、巴御前が馬の蹄でつくった岩の窪みを拝んだりした。それにしても上洛後の義仲の運命は悲惨で、準備不足のまま進駐したので京都の秩序は滅茶苦茶となる。貴族はもちろん都の住民からも平氏より酷いと怨まれ、最後は同じ源氏に打ち取られた。政権交代と云うものは今も昔も実に難しいものである。
その後は開田高原などを走り回ったが、普段は自転車急行の運転しかしないので、慣れない車上での生活となる。走行速度が4、5倍も違うと、道路標識と道路地図との照合が間に合わず、目的地や分岐点を幾度も通り過ぎる。自動車の運転は中中難しいと思った。
帰りは最終の特急列車にして、伊那の駅前で一献傾けることにした。駅前の店で二人でお酒を一升飲んだのち、飯田線に乗り岡谷に出る。此処の所中央線は乱れてばかりだが、幸い最終のあずさ36号は岡谷駅には云い付けられた時間の通りにやって来た。この列車は振り子式で、新宿松本間では15分ぐらいしか早くないが、主に振り子が真価を発揮するのは諏訪の辺りから八王子の間で、此の区間で10分は縮めるから結構速く感じる。右に左に一生懸命車体を傾けて快調に走る。やはり列車と云うものは遅いより速い方が気持ちがいい。
少し気分が良くなってきた所で小渕沢に停車。乗客を大急ぎで拾い集め再び出発しようとしたが、扉を閉めたままじっと動かなくなる。5分たっても動かない。車内は異変を察知してか、おしゃべりも止み、俄かに静まり返る。そもそも列車と云うものは走っているか、扉を開けて停車しているかが普通なので、扉を閉めたまま動かないと云うのは、宙ぶらりんで誠に気分が悪い。車内でこうなのだから、窓外でも色色な事が起こる。
見送り人も幾人か来ていて扉が閉まった瞬間、例によってさようならと大手を振っていたが、中中動かないので、まず腕が疲れて仕舞い手を降ろす。その後は手を出したり引っ込めたりして手信号の様なことをやっていたが、列車はそれでも出発しない。その内何だかばつが悪くなり、誤魔化す様に其の辺りを行ったり来たりと歩き回る。それでも動き出さないので、もう二三度程大きく手を振って、到頭何処かへ行ってしまった。大切なお見送りの儀式が台無しになって仕舞い何だかお気の毒である。やはり列車というものが定刻通りに走らないから色色な所に迷惑がかかる。
結局何処かしらかを点検し直して小淵沢を10分少少の遅れで出発。やはり何時の通りの遅延特急となる。途中駅で行楽帰りのお客がどんどん乗って来て、指定自由とも満席、とくに後者は満員となる。車内販売員は人の壁に塞がれて回って来なかったが、もう既に十分飲み過ぎたので却って良かった。今日の所は、お酒を積んだワゴンより、薬売りが行李に胃腸薬を詰めてやって来て欲しい所である。
新宿には15分遅れで到着。みたび台風がやって来て北風を吸い寄せた為、都内はすっかり涼しくなっていた。帰宅後は眠気を堪えて岩波新書の『平家物語』(石母田正)を読み直しした。