例の三文字の貿易協定だが、議論は百出し国論を二分した様相となる。各業界団体は損する得するの大合唱で、またそれらを総合計しても、日本として結局どうなるのか見当がつかないとあるから、国益と云うものの算出も難しくなったと感じる。其れに国富を正確に体現した標準的な国民と云うものは居ないから、結局損する人と得する人が出て来ることになる。人生は容易に立場が入れ替えられないので、仮に国全体として得をしますと言われても、損する人にとっては納得がいくものではない。
さて都市部の貧乏学院勤務の身としては、損にも得にもなりそうにないが、ただ世の中の何もかもが米国式になってしまうのは御免蒙りたいものである。米国式で良いと思うのは、割り前勘定ぐらいのもので、御蔭でこうして若い人とも飲みに行く事が出来て感謝千万である。併し最近の米国というものは、福沢が、華盛頓大統領の子孫が何処で何をしているか国民が誰も知らないことに大変驚いた頃とは、丸で違う国になってしまった。そんな大国と付き合うには益益注意が必要である。
午前は快晴、午後から徐徐に曇る。午後出社。1時間ほど立って飲んで帰宅。帰りがけに小雨降る。気温は少し下がったようだ。