3月7日・水曜

今回は九州の上の方の左側を時計回りに這う旅である。早起きして、本渡から富岡に出た。富岡から長崎側の茂木へ行く航路は明治来の伝統ある航路で、全国版の時刻表にも出ている。併し車を乗っける船は廃止されて仕舞ったようで、現在は所要40分の旅客船が一日4往復するのみで、船乗り場も閑散として寂しい限りである。乗客は私ひとりであった。今まで列車やバスで所所一人になることは少なくなかったが、今回は徹頭徹尾一人切りである。別に此の船に爆弾を積んで敵艦に体当たりしに行く訳ではないから、道連れのお客は多いほどよい。此れでは敵艦を沈める前に航路自体が危ないであろう。
それにしても滔滔時刻表で一人ぼっちになって仕舞った。私の旅行は、成るべく人の行かない所へ行くのを本筋と決めているが、何だかとんでもない事をしでかしたようで却って気分が悪い。こう成ると判っていれば月波君でもいいから誘えばよかったと思う。私のひとり分の運賃では油代にもならないに違いない。せめてもう少しゆっくり走る様に船の責任者に云おうかとも思ったが、公共交通機関でそういう我儘をするのは迷惑だろうから何も言わずにしておいた。結局船尾に一人で陣取り、一人で風に当たる。今日も曇りで寒い。ポケットウヰスキーで体を温めながら海を横断した。
 茂木からバスで市街へ出た。長崎の町に来たのは二度目である。その時は路面電車しか乗らなかったので、バスに乗ったのは今回が初めてである。バスの運転手は如何にもやんちゃな若者と云った感じで、而も一昔前の安っぽい任侠映画か何かに出て来そうな顔をしている。もしも夜更けの酒場で会ったならば間違いなく苦手な輩である。併し運転技量は大したもので、大きな車体を自在に操縦して、ぐちゃぐちゃにひん曲がった細い道路をスピードを緩めず次から次へと駆け上がっては下りて行く。ハンドルもシフトレバーもブレーキも、そもそも大きなバスの車体全体が丸で彼の手足と完全に一体となっている。惚れ惚れするほど気分よく走るので、長崎の運転手の技量は恐らく全国一番であると思った。バスから町を見上げると斜面と云う斜面に家がへばり付くように建っている。丸で岩にびっしりとついた小貝の様である。あの小貝から出て来た人人はバスが頼りであるから、乗客も阿吽の呼吸ですいすい乗り降りす。行き先や運賃の件で可笑しなことを言う年寄りもいない。運転が日本一なら乗客も日本一であると思った。
 その後大村線に乗って佐世保に出た。夜になったので佐世保のお店で立ちながらお酒を飲んだ。お酒も安くて色色とある。いい店だと思った。併し時間も早いというのにいつの間にかお客は私一人になってしまった。お客の波が急に引き店員も思案顔である。気が付けばさっきからどうも外が騒がしい。サイレンが鳴っている。五合は飲んだのでそろそろ私もお開きにした。小火か何かだと思ったが外に出ると向こうの方で煙が上がっていて木が燃える臭いが沢山する。見ると佐世保の古い市場の辺りが茫茫と燃えている。思わず駆け寄り人を掻き分け最前列で見た。既に消防隊は何隊も出動して水をざあざあ掛けている。然し中か中か炎を直撃しない。時折火柱の様な物も上がる。あの一年前の火事の時と同じ隔靴掻痒の感である。もっと右だ左だ、否水圧を上げろと大声を張り上げたくなった。
だが少し冷静になって考えてみると、市場の辺りはつい先ほどお酒のお店を探しながら何度も通った所である。而もマスク掛けの怪しい出で立ちで目をぎょろぎょろさせながら通った。もしも火事の原因が失火ではなく放火ならば、真っ先に容疑が降りかかって来ることになるだろう。何せ普段から、往来に出ただけで巡査には追いかけられる立場なので、此れは拙い事になったと思った。下火なりかけたのを見定めて、大急ぎで宿に逃げ帰って、布団を被って直ぐに寝た。