2012年5月

5/31・木
 午前中に家人無事に退院す。早速外猫を連れて来て家人と感動の対面をさせるも、猫は丸で無関心無感動無表情である。大体犬と違い、猫は人間の事をどう思っているのか丸で見当が付かない。余り恩着せがましく云っても仕方が無いので其のまま放って置く。
 午後出社。漸く給料支払われる。思えば此のひと月と云うもの、払え払えないの不毛な交渉に明け暮れた。而も此の給料は今年に入って三番目の給料であり、本年も既に多くの期間で給料が遅れている事になるから、この種の労使交渉に季語は無く、丸で年中無休の行事である。
 大体毎年毎年最低二つや三つの欠配があるし、遅いてきぼりを食った給料が、遅れましてどうもすいませんでしたと済まなそうな顔をして追い駆けて来たことは一度も無いから、此の給料が一体何時のものか正確には分からない。従って昨日も一昨日も常に給料日寸前だし、依然として明日も明後日も矢張り給料日目前である。詰まり本日給料を貰ったとしても、其れは本来遠き過去の物であるから、現在の私は一向に一切の給料を貰っていないのであり、給料を受け取ったというのは全く観念上の錯誤に過ぎない。
 そんなことを黙黙と考えている内に、吾人は顔が益益引き攣って来るのを感じた。引き攣った顔を知り合いに見られたくないので、今晩は誰にも会わないよう馴染みの無い店でラーメンと麦酒を一つずつ腹に入れてから口をへの字にして帰った。


5/30・水
 曇り時時晴れ。午後出社。給料未だ支払われず。優先すべきは他人の勉強の面倒より、先ず吾人の給料である。いい加減早く払うように談判した。胃腸の調子が悪いので一日絶食す。其のまま帰宅。与党の元代表と現代表詰まり総理大臣が、増税を巡り会談す。乾坤一擲の大会談とのことで衆人注目したが、結局何を話して何を決めたのか、丸で分からない会談であった。


5/29・火
 午後から曇る。夜に小雨あり。火曜不出社。少し草を刈る。刈りながら二年前の丁度今頃、草叢の蔭に三匹の子猫が降臨した頃のことを思い出した。当然三匹の猫には名前も無く、人の顔を見れば、隣家の床下にいそいそと逃げ込んだ。そして物蔭で観ていた母猫がすっ飛んできて歯を剥いて我我を威嚇したものである。何となく餌をやる内に次第に慣れ、名前と寝床を与えられ、そうこうする内に母猫はこの子らを宜しくとばかりに姿を消した。あれから二年。子猫はすっかり大きくなり、今では呼べば返事をするまでになった。更に機嫌が良い時は返事をしながら寄って来て人の足に体を擦りつけるか、腹を出して摩れと催促する。外猫は外猫のままだが、勝手知ったる庭を住処とし全く気ままに暮らしている。


5/28・月
 朝から南風強し。午後から雷雨になる。雷様に追いかけられるようにして出社。到着後十分余りで降り出した。授業の苦情、雲霞のごとし。無給の吾人に垂れられても何の策もなし。其のまま聞き流す。連日鼻が悪く喉も腹具合も良くない上に、お金も無いのでそのまま直帰。
帰り掛けに経済書を買う。デフレーションと所得の二極化は当分どうにもならないとの結論にがっかりす。成長に代わる新たな社会のモデルを模索せよと云われても当方に何の策なし。成長モデルに固執し過剰出店して来る同業他社にこそ苦言を呈して欲しい物である。就寝直後に直下型地震あり。棚の温度計が落っこちたから、震度4は揺れたと思う。


5/27・日
 午前中に家人の様子を見に行く。ただ院内に居るというだけで医療的措置は全く無し。家人と少し院内を散策す。長い廊下の果てにレストランがある。休憩しようと行って見たらレントゲン室であった。レストランとレントゲンは実に紛らわしい。しかしよくよく考えれば古病院にそんな気の利いたものがある筈なし。どうも最近飲食に関しての節操が無くなったと反省す。
 亦、伯母の機嫌が相当に斜めらしく、朝の5時半から電話が引っ切り無しに掛かる。早く施設から出して欲しいと懇願されても、どうにも処置なし。
 お金が無いので韓国製の節税麦酒を買う。一本88円。暑かった上に喉の渇きも尋常ではない。早く飲んで仕舞おう思ったが、昼酒は呉呉も良くない。結局少し草を刈り仕事をした事にして、明るい内から飲み始めた。


5/26・土
 一日晴れ。一日無為。危ない危ないと言われ続けていた第一原発4号機が公開される。4号機は震災時は停止していたが、ちんちんになった隣の炉の水素が配管から流れ込んで結局大爆発し、燃料プールが剥き出しになった所である。建屋は原形を留めていないが、プールは補強工事により崩落の危険は一応無いとのこと。また当初は露天風呂の様にもうもうと湯気を立てていたプールも冷却が進んでいるとのことで取りあえず安心す。ただ周囲は滅茶苦茶に壊れたままで、1年たっても殆ど片付いていない感じである。


5/25・金
 病床の家人に品物を届けて出社す。幸い点滴治療も終了し退院の目途も立つ。散髪に行く。散髪屋も何時の間にか千円均一の店が主流になった。こういう店で沢山切るようにと云うと、美理容師の生活が立ち行かなくなるに違いないから、少しだけ切る様に言っておいた。金曜会出席。普段以上に話しの繰り返しが多く大して盛り上がらなかったから、家で一人で飲み直す。どういう訳だか幾ら飲んでも酔わないので、寝る頃にはすっかり明るくなって仕舞った。


5/24・木
 一日晴れ。かなり蒸し暑い。午後出社。特にすることが無いのでチラシを入れて歩く。亦こう暑いと集中力を欠くらしく、どの授業も騒騒しかった。頼んでも中中品物が出て来ない立ち飲み屋の混雑にうんざりして帰る。途中に寄ったラーメン屋も、入った途端に客が押し掛け混雑した。みようによっては私は客を連れて来る福の神である。尤も客が多過ぎては福の神も邪慳に扱われる。店員が雑に作った為か平素より旨くなかった。詰まらない顔をして食べて帰った。


5/23・水
 石巻の瓦礫を九州下りまで持って行ったら、住民は道路に酔っぱらいの様に寝っ転がってまで抵抗したそうである。態態遠くまで持って行くのも、ああいう反対住民を説得するのも丸で労力の無駄である。みんな東京で燃して仕舞えばいいと思った。
 一転して晴れる。午後出社。中座して家人の籠る病院に行き、眼科の検診を受け差す。同じ病院の五階から一階の外来に行くだけで一時間も待たされたから、相変わらず大病院は混雑していると思った。頭に毬の様な物を乗っけた婆さんが、早く診察しろと看護師に食って掛かって居たが、食って掛かった所で早くなる訳でもなし。何でも目が悪いから明るい内に帰る必要があるとのこと。御尤もな理由であるが、結局婆さんは其のまま怒って帰って仕舞ったから、余程目に自信が無いのだろう。もっと近くの眼科を受診すべきだと思った。以上の様な遣り取りを家人と眺めていたから退屈はしなかった。第一、赤の他人のいちゃもんほど見ていて面白い物は無し。その後家人を一等個室に送り届けて再び出社した。


5/22・火
早朝から鼻水とくしゃみが止まらなくなり閉口す。生憎鼻炎薬を切らしており、朝から開いている薬屋も無い。僅かに残っていた市販の風邪薬で代用す。家人の加療では、一等部屋の他に健康保険費も凄い勢いで使っている筈である。鼻炎如きでは、処方箋薬も市販薬も大差ないから、せめて私は御医者には掛からず市販薬で凌ごうと思う。社会保障費の自然増は少しでも食い止めねばならないと思った。
一日雨。気温は15程度と一気に寒くなった。火曜不出社。
亦本日の国会では少数野党も出て来たので、審議の内容は割と濃かった。増税に反対な野党の主張も尤もだが、民間給与を上げて国民の貧乏の解消することも、景気を自律的に回復させてデフレーションから脱却することも、最早至難の技であると思った。審議を聞いていたらすっかり気力が萎えて、喉が痛くなり全く風邪を引いた感じである。月波君に飲みに来るように誘われていたが不参加とさせて頂いた。お金が無い事も風邪の一因であろう。


5/21・月
 一日晴れ。国会審議再開される。今日から野党も出て来たが、余りに詰まらないことをくどくどと問い質すので午睡するには丁度良かった。過去の公約違反を細細追及しても今更仕様がない。今必要なことは、増税によって景気後退を招く事と、財政悪化によって二進も三進も行かなくなる事、どちらが国民生活にとってより損害が少ないか、なるべく正確に予測することである。午後出社。退社後は、金曜会の柳さん宅にお呼ばれして帰った。


5/20・日
 両家人とも手と頭が離せなくなったので、私が伯母の様子を見に行く。多少の混乱があるものの平均的には元気であった。ただ精神の混乱を避けるために、安定剤の様な物を肌に擦りつけているとのこと。世の中には実にいろいろな薬が発明されていると感心す。その後、お午だと云うのにお客が一人も居ないカレー屋で麦酒を飲みながらぼんやりした。


5/19・土
 一日晴れ。暑くなる。午後家人の様子を見に行く。点滴を受ける以外に別条なし。併し、何分たらちおと息子にて、然したる会話なし。ただ万が一の事態が発生し、此れが最後の時間になるやも知れぬ故、適当に款語す。こういう場合は、外猫の話しが最も良いと思った。帰ってから、猫を摘まんでよく撫ぜておいた。


5/18・金
 家人、昨日来、足元がふら付くと云い出し、念の為大きめの病院に緊急に通院す。何分高齢だから概ね眩暈の類だろうと高をくくっていたら、画像解析により脳味噌の一部が腐りかけていると診断された。其のまま入院加療が必要とのことで以後てんやわんやとなる。
亦、大病院は例によって、大して病気が流行る時期でもないのに、一等から三等まで各等全ての寝台が全てご予約を頂いているとのこと。ただ適適午後に一等個室が一部屋空くと云うので、其れを指定する以外に手は無し。二等三等が空くのをのんびり口を開けて待っていたら命に係わる。毎度の事ながら、大病院は小人の足元を見て居るとしか言いようがないが、死んで仕舞った後で三途の河の渡し賃を船頭に弾んだ所で、どう仕様もなし。此処は現世で大枚を大尽する覚悟で臨む。猶、恥ずかしながら吾人の不定で微細な給金より、家人の年金収入の方が確かであるから、家人は無職高齢ながら未だに我が家の大黒柱である。精精長生きして貰わなければ困る。
担当は吾人より年下の女医となり、家人は大丈夫かと頻りに心配するも、入院先の大学病院は元元が女子医専なだけに、此れと言って理不尽な所は無いと云い聞かせる。この際、年下でも何でもやって貰うしかない。方方の医療機関では患者様などと丸で大元帥の様に崇め奉られるも、実際は一兵卒に過ぎず。当方に何の選択肢もなし。
早速一等個室に陣取り、午後には点滴治療が開始される。夕飯を綺麗に平らげるのを見届けて帰宅す。もう一人の家人と、詰まらない弁当を帰り掛けに購入し貧相な顔をして食べて寝た。本日は出社せず。御午に雷雨あり。それ以外は晴れ。夕方に地震あり。五階の病室に居た為、可也の揺れに感ずるも、都内の震度は3程度とのこと。


5/17・木
 消費増税法案が審議入り。但し野党は出て来ないので国会にならず。国民の関心低し。午後出社。今日も少し歩いた。寒気が入り夜中だと云うのに雷雨あり。


5/16・水
 一日晴れ。急に暑くなる。午後出社。給料を早く払うようにと無責任社長に談判ののち、少し宣伝して歩く。退社後、彼方此方梯子して歩く内に帰宅は深夜となる。少し格好をつけて支払ったら、お金がすっかり少なくなった。


5/15・火
 消費増税を巡って軽減税率をつくるかどうかが議論を集めている。同じ様な物を注文しても、飲食店と食料品店で税率が変わるとなると混乱しそうだが、少なくともグリーン車と普通車に差額を設けるぐらいのことはやるべきだと思った。尤も差額を附けるとなると、物品税や通行税の時代に舞い戻ることになる。既に当時から何が贅沢品で何が普及品かは常に議論の対象になっていたから、差額課税とは難しいものである。其れに何しろ無分別な世の中だから、お金のある人まで税金を払いたくない一心で、安い食料品店や普通車に押し寄せて来て一層混雑する様だと困る。粗一日雨。火曜不出社。一日外出せず。


5/14・月
 湿度温度ともに上昇し、日中は汗ばむほどとなる。暇疲れする上に無責任社長の顔はもう見たくないから、午睡をして午後遅く出社。チラシを入れに往く空元気もなし。既に一般財源は全滅、非常用小遣いに移行した。立ち飲み屋に行き、慎重に少しだけ飲んで帰った。


5/13・日
 一日晴れ時時曇り。湿度低し。一日無為。欧州の債務危機は再度延焼とのこと。何でも独逸式の緊縮策の御仕着せに各国が反発したらしい。仕事が無いのは矢張り辛いから、東北のお酒に加えて希臘や西班牙や伊太利亜の葡萄酒の一つも買ってやらねばならないと思った。
世人曰く、借りた金を返さぬ希臘人は怪しからんと。吾人思えらく、希臘人に貸し付けた方がそもそも宜しくない。更に思うに、借金の元元は誰かの貯蓄であるから、貯蓄する方が先ず怪しからぬ。態態貯めたお金を希臘人に使わす前に、自分たちで真っ先に使って仕舞えば、こんな事態にはならなかった筈である。世界中に有り余る程ある筈のお金は一体何処で何をしているのか。そもそもお金とは物やサアビスに交換しなければ丸で意味のない物である。通貨安で結局儲かっているという独逸人は先ず希臘の物やサアビスにお金を使うべきである。


5/12・土
 一日晴れ。溜まった日誌を書く。それ以外は無為。此の処大して地震が無い。有ったら有ったで怖いが、無いなら無いで矢張り何だか落ち着かない。


5/11・金
 朝方旨い鰻重を食べる夢を見た。重箱の隅に、たれの滲みた飯を箸で寄せて掻き込む処で丁度目が覚めた。実に旨かったが、こういう夢を見ると云う事は、物心両面で相当疲弊しているのだと思う。何故私はこうも貧乏なのか、貧乏から脱け出したいと常常思う。脱出方法を思いつく為には、先ず私は何故貧乏なのかを分析せねばならない。
無論私は勤勉である。偶に宿酔になることはあっても、日日実に真面目な顔をして他人の子の面倒を見ている。従って私が貧乏なのは自ら招いた結果ではなく、云わば事故の様な物で、而も貰い事故ならぬ貰い貧乏である。私に貧乏を輸出しているのは、謂わずと知れた貧乏学院である。貧乏学院が何故貧乏なのかは一目瞭然で、生徒が居ないからである。何故こんなに生徒が居ないのかと云うと、まず日本中の何処も彼処も子どもがいなくなったと云う事が考えられる。尤も此れは出生数さえ見れば、何年も前から予測出来たことで、その程度の算段は私にも出来る。私も、子どもの数は少なくなるが、一生懸命真面目に教えていれば、貧乏に陥る事は無いと思っていた。でも結局、貧乏になって仕舞った。
つまり此処に何か目論見外の事態が起きたと云う事が出来る。まずは、親の所得がすっかり減って仕舞ったことである。授業料が払えなくなって退塾する者もいるし、家ごと売って引っ越して仕舞う者もいる。其れにそもそも貧乏な親の子は塾には遣れない。勉強がちんぷんかんぷんでは子どもは可哀そうだが、そんな子を持つ親も可哀そうである。親の貧乏は子に感染し、次に塾に感染す。
其の次に考えられるのは、次から次へと塾が増えたことである。前からある大きな学習塾は頼みもしないのに勝手に繁殖して教室の数をしっちゃかめっちゃかに増やした。其れに加え、千葉や神奈川で大人しくしてればよい筈の地方の塾が態態都内に進駐して来た。中には関西から殴り込んで来た様な所もある。その結果、この数年で少なくとも数軒が貧乏学院を取り囲むようにして旗揚げをした。都内にはお金のある親と子がわんさか住んでおり、月謝がざくざく入ると思っているらしい。上京さえすれば何とかなると云うのは、昔の無宿人や浪人の考える事であって、全く迷惑な勘違いである。
こうして只でさえ少ない上に、お金の無いお客を奪い合っていると云う実態が出来上がる事となる。学習塾など、どう贔屓目に考えても将来性の無い内需依存型の斜陽産業なのに、次から次へと参入してくる方が可笑しい。どうぞもっと儲かる方にお行きなさいと云いたい所であるが、儲かる業種があるのなら、他人に親切に教える前に私も転業したいところである。
この点は、先日大事故を起こしたバス事業と全く同じである。高速道路の側壁の裂け目に態態突っ込んだバスの乗客は可哀そうであるが、翼翼聞けばバス会社も可哀そうである。事故を起こした運転手にしろ社長にしろ、そんなに儲かっていた様な素振りは無い。謂わば貧乏バス会社である。この会社もお客から貧乏を輸出され、常常困っていた事だろうと思う。儲からないと分かっていても車を走らせるより手が無かったに違いない。草臥れた塾の先生がついうっかり間違った事を教えて、真に受けた生徒が試験で落第しても命に係わることは無いが、運転手がそうなると恐ろしい。
お客の貧乏を如何にかして、貧乏の輸出を止め差さなければ、皆が皆揃いも揃って貧乏になり、道路の裂け目から落っこちて仕舞うと思った。結局のところ、其れは経世済民の問題であり、私個人の努力ではどうにもならない事であるとの結論に至った。
一日晴れ。寒気が残った為、割と涼しい。午後出社。退社後は金曜会。安めの店を転戦し数献傾けた。どの店も繁盛していたが、繁盛していても儲かっているとは限らないし、従業員待遇となると全くの別問題となる。私も貧乏の輸出犯かも知れないと思う。少なくとも、儲かっている会社はもう少し給金を出すべきであると思った。


5/10・木
 午前中はかなりの宿酔となり稼働不能となる。お午過ぎから雷雨あり。止むのを午睡して待つ。4時前に出社。給料未だ支払われず。自然と、財布と無責任社長と御品書きを見る目が鋭くなる。退社後は麦酒と中華蕎麦を一杯ずつ独りで腹に入れて帰った。寒気が入ったので、陽が落ちると丸で初冬の様な天気となる。


5/9・水
 東京電力は節電を促す為、時間帯によって料金に差額を設ける方針とのことである。至極まともな話だが、どう見ても拙宅の電気メーターは、黙黙と回るだけで、試しに其の円盤君に今が昼か夜か聞いてみた処で分かる筈もない。大体、電気のメーターほど古色蒼然とした機械も今時珍しい。凡そ何十年も全く同じ形をしている。電気会社は、電気を作ることに熱烈熱心でも、折角作った電気を上手く配分すると云う事にいかに不熱心だったかというと云う事が、この古臭い機械の存在から分かる。
猶与党元代表は再度の延長戦に招待されることとなった。こうも法の網に絡め捕られると何だか不憫であるが、再三再四の倒閣運動に水を差す事になるのは有り難い。
 夕方から雷雨。一時激しく降る。午後出社。退社後は何だか水曜会になって仕舞った。帰宅は深夜となる。


5/8・火
 横浜にある職業野球団は余りに弱くて有名だが、監督の人柄に肖り、試合内容に因って入場料を払い戻しすると云う特別な座席を作ったそうである。すると珍しく連勝したにもかかわらず、返金希望が殺到したという。お客曰く「今までが弱わ過ぎた」と。
恐らく世の中には、其れを云っては御仕舞という領域があり、皆がそう思っていても辛うじて其れを云わない処で社会と云う物が危うく成立している。でもサアビスされるのが当然になった昨今、お客は益益増長しているから我慢が利かない。恰好を付けると云う事も知らない。滔滔こんな狼藉を働き、人人が辛うじて守っている取り決めを滅亡に追い込む様な事を仕出かしたと思った。こういう無礼で無節操な連中は片端から捕まえて石にでもして仕舞えば良い。忍耐や矜持を身に着けたらもう一回人間に戻してやろうと思う。一日晴れたり曇ったり。火曜不出社。二階の便器の交換終了。よく流れて頗る快適である。


5/7・月
 一日晴れまたは曇り。湿度も下がり過ごしやすくなった。午後出社。退社後は少し飲んで帰ったが、風は清清しく又月も綺麗な晩にて、此の風月を供として家を飛び越え何処までも自転車急行を運転したい気分であった。


5/6・日
 朝から異様に蒸し暑く南風が吹き付ける。すると午後に天候が急変す。雷と雨は大した事は無かったが、以後北風となる。関東各地では竜巻被害もあった様。
 本日で大型連休も御仕舞。以後二カ月以上も連休はなし。特に六月などカレンダーが余りに詰まらないから見る価値も無い。いっその事、今からひっちゃぶきたいぐらいである。デフレーションを止め差すには、供給を抑制し需要を増やす必要がある。もっと休みを増やすべきである。何しろ勤勉な日本国民の事だから、休めと云っても休まないだろうから、政府が法の力を行使してカレンダーを真っ赤っ赤にしてしまえば宜しい。観光地や月給人は大いに喜ぶに違いない。中にはそもそもお金が無いから需要を増やせないと嘆く者もいるだろうが、会社で厭厭働くより良い。何はともかく供給量を落とす事が急務である。其れに休み中は時間給の人に仕事を回せば此方も迷惑にはならないだろう。


5/5・土
 勝手に配達される電気に生まれと育ちを聞いても仕方がないが、本日で全ての原子力発電が止まるという。ならば少しお祝いをせねばならないので、家人に肉を買って来させる。此れを電熱鉄板で焼いて仕舞っては本日の趣旨に反するので、簡易瓦斯焜炉にフライパンをのっけて焼いて食べた。何だか貧乏臭かったが、此れは此れで仕方があるまい。
 珍しく終日完全に晴れた。漸く五月らしい天気となった。子どもの日である。東北では今年も青い鯉のぼりが舞ったそうである。


5/4・金
 晴れたのは午前中だけで、午後になると寒気と雨雲が広がり時折激しく降る。夕方には一通りは止んだ。昼頃小地震多し。屋外作業も屋内作業もせず一日無為。晩食はピザを取り寄せたが、連休中だと云うのに僅か15分で配達員がすっ飛んで来た。余りに早く、付け合わせの野菜を切る時間も無かったと家人が嘆く。下手に呼び付けた救急車や交通警察より素早い感じである。此れからはピザ屋の荷台に巡査や救命士を載っけて配達すれば、せっかちな世の中の為になると思った。


5/3・木
 大雨はお午前に止んだが、糠の様な雨が結局一日降り続ける。観光業や飲食業はがっかりだろう。一日外出せず。家の中を整理する。古い物が続続出て来てうんざりす。中学校の時のテストの束まである。災難に遭い、思い出の品が一つ残らず無くなって仕舞ったと嘆く人も多いが、何もかも残っているのも考え物で、何だか思い出に見張られている様で気持ちが悪い。何もかも捨ててやるぞと気色ばむと、思い出の方は、捨てられてなるものかと毒素を吐いて必死で抵抗する。くしゃみと鼻水が止まらなくなり、整理は敢え無く中止となった。


5/2・水
 本州南岸に迷惑な低気圧が接近し、お午前後から雨。夕方から風雨ともに強まり、五月とは思えない様な雨が降る。梅雨の末期の大雨か、台風の前衛の様な天候となる。素直にバス出社。明日から連休なので金曜会は水曜会に名前を変えて実施されたが、合流する頃には既に全員酩酊状態で、真面なお話しが出来る状態ではなかった。人語を解さぬは犬猫も酔漢も同じである。尤も此方も酔って仕舞えば相通ずるのだろうが、余り飲む気も起らなかった。こうなると面白い筈のお酒も詰まらない。酔漢をほったらかしにして早目に店を出る。雨が酷いので贅沢してバスを乗り継いで帰った。家では風呂も飯も両方とも炊けてなかった。仕方なくお湯を頭から被って寝た。


5/1・火
 一日曇り。湿った南風が吹き込み、薫風とはいかず。午後に一雨あり。火曜不出社。鬱陶しいほどびっしり生えた金木犀の枝を払った。