2012年7月

7/31・火
 連日の朝から出社。時間講師がそっくり出講拒否して仕舞ったので、すっかり理数系要員が足りなくなる。滔滔吾人が中学理科を教唆すこととなる。中学校の理科など、傍から見たら至極基本的な自然科学の伊呂波の内容なのだろうが、物理や化学の分野はいざ教えるとなると案外辛い。イオンやらオームやら迷惑なものが出て来て頗る六ずかしい。午前中の小学生の授業をほったらかしにして教本等を懸命に読むも、不思議な事に頭に全く入らない。気持ちはすっかり頭の悪い学生の気分である。吾人の為に緊急に家庭教師を雇い入れたい気分であった。授業中はつい余計な事を喋るとぼろを出しそうだから、始終顰め面をして誤魔化した。6時退社。知恵熱を出しそうだったで其のまま帰宅す。本日も晴れ。気温33度程度。


7/30・月
 朝から出社。日中は34度程度。遅れていた半月分の給料が漸く支払われるも、本来はもう次の給料の出番である。従って貰って嬉しいと云う感覚は無い。
 一日中六ずかしい顔ばかりしていたら高校生の生徒に何故そんなに毎日不機嫌なのかと尋ねられる。吾人は、吾人の心の九分九厘は絶望で出来ていると即答す。そんなに絶望しては危ないねと生徒は軽い心配をしたが、そもそも絶望とは人間の特質であり本質である。
一方人間に比して動物という物は、決して絶望せず、健気に生きているなどと云われるが、それは人間側の大きな勘違いである。動物というものが、もしも一瞬でも絶望したら、直ちに死に至るであろう。其れは吾人の猫の顔を見れば明らかである。猫が自らが猫で生まれた事を何かの瞬間に悟ったら、自らに絶望し、直ぐに道路に横たわるに違いない。結果として我我人間は、絶望した動物というものを見ることが出来無いだけのことである。また逆に往来でぺっちゃんこになって仕舞った他の生き物を見ると、吾人は、動物の分際で、こいつはついうっかり絶望して仕舞ったのだなと、却って気の毒に思うのである。
人間と云う物の特質は、九分九厘絶望しながらも、辛うじて生き続けると云う所にあるのだと思う。だから絶望しながらも死んではいけない。其れは、人間の本質であり人間として生まれた義務であるのだと思う。
 6時半退社。繁盛している方の立ち飲み屋に行く。一杯だけ飲んで早く帰る予定だったが、店員の一人に本日で退社の運びになったと挨拶される。一年半ぐらいは居たであろうか。彼の事は下の名前以外何も知らないが、何だか急に寂しくなると思った。此処の所、知己の総量に関しての収支は大赤字が続くものだから、そんな気分になったのかもしれない。麦酒を一杯、吾人のツケにしてから少し遅く帰った。


7/29・日
 朝から出動し多摩川東横線で渡り横浜球場に行く。珍しく学生野球、就中高校野球の観戦である。何を隠そう吾人の出身高校、神奈川の橙隠学園が県大会の決勝に出たというので、取る物も取り敢えず、さっきまで撫ぜていた猫をほったらかし、同窓の土偶君を呼び付け観戦することにした。大急ぎで向かうも、試合開始の三十分前に球場に着いたら、既に座席は無く、内野の最上段の座席と座席の隙間に陣取る事となる。
橙隠学園とは所謂新興私立の進学校で、歴史が浅いだけに伝統と云う物は一切無く、進学成績と運動大会への出席で世間の耳目を集める以外には特に誇るべき所が無い学校であった。私立学校の割に教員の入れ替わりも激しく、取ってつけた様な行事や規則で生徒を雁字搦めにしたものである。大体卒業生や同窓生に会っても、あの学校の事を誉めるという人に只の一人も合ったことが無いから、実に不憫な学校である。其れでもこうして母校の応援に態態足を運ぶ気になるのだから、色色言っても、吾人も概ね立派な愛校者だと思った。高校在学当時は日本経済が最後の進撃を遂げていた頃だし、また子どもの数も多かったから、私立の学校も大いに儲かった筈である。生徒と授業料がざくざく入り、学校全体が有卦に入ったものだから、橙隠学園も次から次へと校舎を増新築し、吃驚するほど大きな講堂も拵えた。
あれからもう実に二十年も経って仕舞った。この間の日本の経済社会の痛み様は筆舌に尽くし難い。子どもの数もすっかり減り、大学には丸で全員合格の世の中である。其れに何しろ私学の学費は高いから、お客がきちんと集まっているのか心配である。盛んに建て増した校舎はきちんと償却し亦修繕費や更新費なども払えているのだろうか。
 校歌を大声で唄い応援しながら、つくづく昔を色色と思い出した。二十年程前の吾人は、あの在校生の応援席辺りに今より多少は意気揚揚と居た筈である。そして二十年後の吾人は、貧乏学院勤めで、こうして内野の壁際で節税麦酒を飲みながら、文句を垂れる以外に丸で能のない人間になって仕舞った。ふと二十年前の吾人が、この為体を見たらどうするかと不安になった。何だか見上げられた瞬間に目が合ったりすると、どういう顔をしたらいいか分からないので、下の方はなるべく見ないようにした。
期待に反して試合展開は芳しくない。五回の表ぐらいからすっかり旨く行かなくなる。何でも対戦相手の投手がもの凄いらしく下馬評では本校不利とのことである。そんなことは丸で知らなかったら、1時の試合開始だから3時には土偶君と中華街で冷やした中華蕎麦を肴に一献傾ける予定で居た。積りが外れては益益辛い。かんかんに暑い上にざぶさぶ飲んだ節税麦酒が胃に溜まり、気持ちが悪くて仕様がない。
結局試合終了を待たずして此方の方がゲームオーバーとなった。土偶君と這う這うの体で球場を這い出し、冷房の良く効いた喫茶店で休憩して帰る。家では御酒も飲まずに直ぐに寝た。


7/28・土
 土曜不出社。日中は33度程度。家人と共に溜まった洗濯物の処理に当たる。倫敦五輪始まる。向うは涼しくて羨ましい。夜は福島の胡瓜に味噌を付けたのを当てに奥の松を飲んだ。当初の予定からは大部遅れたが此れで東北の御酒を400合飲むという目標は達せられた。今後も益益飲もうと思う。


7/27・金
 朝の内に家人を病院から引っ張り出す。退院祝いにと、昼食には安めの鮨を取り寄せ、少し麦酒を飲んでから出社。以後8時過ぎまで授業す。退院祝いの振る舞い飯とは云わなかったが、高校生の生徒には色色と食べさせてやった。
退社後は急いで金曜会に顔を出す。すると先週の金曜会を御開きにした後、崎河さんが酔っ払い過ぎて転倒し救急搬送されていたと今頃になって知らされ吃驚した。幸い頭を数針縫っただけで済んだと云うが、酒飲みというのは年寄りに負けず劣らず、年中ひっくり返ったり病気になったりして社会保障費を増やしている。酒税の類も早く引き上げて医療費の足しにすべきだと思った。日中35度近くとなる。夜も暑い。久久の外飲みだったので楽しかった。帰宅は深夜となった。


7/26・木
 昨夜のうちにシロには呉呉も二階には登って来るなと散散念を押しておいたので、比較的よく寝られた。朝から出社。日中は滔滔35度に達す。東北も梅雨明けす。退社後は急いで病院に行き、主治医と面談す。退院の算段をした。


7/25・水
 愈愈暑くなり日中は33度程度。朝から出社。昨夜は12時に就寝したが、僅か3時間しか寝られなかった。原因には多多あって、まず夜も明けない内から甘ったれのシロが何度も登って来て窓外でにゃあにゃあと騒ぐ。家人の一人が何遍探しても見当たらない事を心配しているのかもしれない。猫というものは叱った事が無いから、二度ほどあやして階下に降ろした。其れに何だか会社に行きたくなくて仕方がない。もう無責任社長の顔を見るのも、丸で話が通じない子どもらと対峙するのもうんざりである。此の不遇な職業人生のことを考えたら益益寝つけなくなった。ふらふらしながら出社す。一応授業に臨むが、こういうときは感情の起伏を徹底的に封印し、案山子が多少喋る程度の指導に終始す。6時退社。家人を見舞いに行く。大部まともになって来たので安心す。
職場の電気使用量は前年比2割減。全国的にも節電は進んでいるという。其れでも関西の方の電気の会社は足りない足りないと未練たらしく謂っているらしい。


7/24・火
 朝から出社。只管呆然として教壇に立つのみ。講習は二日目だが、当方の不眠と士気の低下は広がり、立ち尽くすのが精一杯である。放って措くと生徒は益益騒ぐから、案山子を持って来て交代させたい気持ちである。午後は中座して一旦家に帰る。家人を家人の見舞いに出す。何かしら用事をつくって外出させないと、年寄りは益益家から出なくなって、仕舞には布団から出られなくなるから困る。夕飯を調えた後、再び出社す。退社は8時半過ぎとなる。鶴木さんを見つけて麦酒を二本飲んで本当に帰った。日中は薄雲りで31度程度。この程度の暑さなら何とか凌げる。


7/23・月
 悪い事は重なるもので、今日から貧乏学院の夏の講習であった。人繰りが付かないので、給料も払わない会社に朝から行く。こうなると吾人も救世軍か何かで、世の中の悪い頭相手に参戦しているとしか考えようがない。併しどうにも士気が低下し毎日無駄弾ばかりを撃っているようで、戦果は芳しくなかった。今日も精精薄薄雲りで30度に達せず。こういう日が続けば有り難い。6時半に大急ぎで退社し、拙宅の要支援者の救援に当たる。今週は高齢者向けの弁当の宅配を頼んでおいた。こういう援軍があるから孤軍でもどうにかなると思った。


7/22・日
 今日も朝の内に家人の様子を見に行くと、打撲の神経痛に加え頭痛が酷くて丸で青菜に塩の虫の息である。見た感じは昨日より悪くなっている。担当医の話しによると、頭の出血は既に終わっているから、頭痛は後遺症の類だから心配は要らないとのこと。其れにしても痛い痛いと云われては却って困る。午後には鎮痛剤を処方され痛みは緩和に向かう。亦元気な方の伯母を呼び立て、着物の管理などはやってもらう事にした。気心知れた実の姉妹なので何かと便利であろう。雑多な物品を自転車急行に積んで病院と家を往ったり来たりしている内に夕方になった。今日も一日涼しかった。


7/21・土
 午前は小雨。日中は22度しかない。朝の内に家人の様子を見に行く。再び透過光線を当てて調べたところ出血痕は小さくなっており、退院の目途も立つ。亦家人は三等車などは一晩も耐えられないと云って、臍繰りを叩いて一等に移る。他室を黙って見て回ると、何処も頭を悪くした年寄りが犇めき合って呻いている。而も次から次へと救急車で運び込まれて来るから、病人大行列の病院大繁盛である。実態は中央病院ではなく丸で野戦病院であると思った。
午後少し出社し、昨日出来なかった事務処理をす。夏期講習代を出し渋る家庭もあって、次次に請求書を発券す。お子様がこのままの成績でいけば、近い将来からずっと貧乏して大変な事になりますと、当方も宣告したいものである。ただ医療と違う点は、例え最善の治療を施しても本人の拒絶反応が激しいと何にも頭に入らない点である。
結局家人は個室に移ったから、特別料金は一日で夏期講習二週分に相当す。年寄りが病院で使うぐらい、塾も繁盛して欲しいと願う。お金を持っているのはもっぱら年寄りだから、請求書の宛先を祖父母にしようかとも思う。でもお金がある年寄りでも、結局お金は使わないであろう。
大体人が幾つまで生きて、最後の方がどんな風になるかは、当人であっても丸で見当が付かない。病院も介護施設もお金を沢山支払わなくては超満員の三等になるから、元気な内にお金は一円でも節約して一生懸命貯め込むしかない。其れに不安というものは考え出したら際限が無いから、今百万円ある人は三百万を目指し、既に三百万ある人は一千万を目標とし、元から一千万ある人が三千万に増やしても矢張り益益心配になるから、今度は五千万にしようと思うであろう。こうして世の中のお金の巡りが悪くなっているのだと思う。夕方までには家に戻り家人に晩食を提供す。唯一の女手が居ないから、お酒を飲む間を惜しんで黙黙と家事と簡単な調理をした。


7/20・金
 一日小雨。涼しい。エヤコン予備隊が、家作のエヤコンを壊して行ったようで、朝から電器屋さんを呼んで交換す。其れにしても一台だけ残った旧型機を良く見つけて壊しに来たものだと感心す。住人の意向で交換しなかったものだが、壊れて仕舞えば仕方がない。
午過ぎに買い物に行った筈の家人が、何も買わずにたんこぶだけを受け取って来た。家人は生来の眩暈持ちだったが、滔滔よろめいて電信柱に頭を命中させて仕舞ったらしい。其のままだと心配なので、近所の病院で診察を受けさす。大袈裟だとは思ったが、頭に透過光線を当てて調べたところ、頭の中にも出血が見られ、このまま帰ると大変危険であると診断される。敢え無く入院となる。止血剤を点滴し、心臓の動きを調べる装置まで取り付ける。本当に大袈裟だとは思ったが、万が一にも出血が広がったら、夜中でも頭をぱっくり開けて手術をするのとのこと。保証人の方は山ほど同意書を書く必要があるので、今晩はお酒を飲んだりしないようにと念押しされて仕舞っては如何にもならない。全てお願いして回るより当方に選択肢は無し。
ちなみに担当は吾人と同い年ぐらいの壮健な男性医師となる。不寝番をして確認看護するというから、女子医専の時より頼もしい。実を云うと、この病院の表看板は国家公務員の為の病院だが、裏口は別の病院と繋がっており、医師の本籍は昔で云えば陸軍病院である。而も軍医殿の様に偉ぶった所は少しも無く、黙黙と国民の健康を守っていらっしゃるから、此れも現行憲法のなせる技であろう。尤も武力を備えた実力組織とは云え、何時も災害出動や演習をしている訳ではないから、平時は年寄りの面倒を診るのが本筋である。其れに病院が傷病兵や怪我をした民間人で溢れ返った頃の事など思い出すだけでも恐ろしい。
其れにしても、家人の入退院からまだ日も経たないのに、今度は別の家人の入院である。年寄りは滅多矢鱈らに病気や怪我をし、矢鱈滅多ら社会保障費を増大させて困る。今度からは鉄兜を被って外出するように指示しようと思う。尚、過日脳味噌が腐りかけた方の家人は此の度目出度く要支援者に認定されたから、吾人は入所中の要介護者と、要支援者と、怪我人と外猫の面倒を見なくてはならなくなった。とても時間が足らないから本日は欠勤した。何だか色色と興奮して中中寝付けなかった。



7/19・木
 朝から異様に暑くなり午前中に35度に達する。不思議なもので午後になると東風が入り、どんどん涼しくなる。午後出社。涼しいだけあって機嫌よく立ち飲み屋を転戦す。飲んでいる内に、貧乏学院の卒業生に合うも気前よく奢る金などなし。言葉は只だから、適当に激励して帰る。
 国会中継などを見ていても、増税は厭だから、せめて経済を成長させよ成長させよと喧しい。それにしても、経済成長と云う物も、絶えて久しい物である。無い物は無いだけに、益益渇望されているようである。成長とは遠くにありて思うもの。併しもう戻れぬものでもある。


7/18・水
 湿度も気温も大変高くなる。午後出社。四日ぶりの出社にて事務仕事と夏の時間割の検討が溜まりに溜まり、1時から片付けても容易に片付かず。授業を始める頃には草臥れ果てた。退社後は、鶴木さんらと日曜の反省会をした。少し雷雨あり。
与党の小分裂は止まらず。色色な人が矢鱈滅多らに新らしい会派を拵えて出て行って仕舞った。政権交代の結末が増税と分解では何とも残念である。


7/17・火
 関東も梅雨明け。猛烈に晴れ34度にもなる。火曜不出社。節電の為、冷房を緩く掛けていると、暑い暑いと家人が突然怒り始める。そんなに怒る前に自分で扇風機に当たれば良いとは思うが、何分家人は癇癪持ちだから、そういう訳にはいかない。何十年と一緒に暮らしていても、女親と云う物が良く分からない。年齢が高くなれば、大人しくなると云う物でもないから困り物である。


7/16・月
 海の日。更に晴れて暑くなる。日中32度程度。一日外出せず。


7/15・日
 一日曇り時時晴れ。暑い最中、金曜会の遠足企画と云う事で、横須賀へ出掛けた。横須賀と云った処で、この歳で今更軍艦に乗り込む訳ではなく、さして見る所なし。ところが最近はハンブルクステーキをパンに挟んだ物や、海軍伝来のカレーライスで街おこしを図っているとのこと。只そういった物を提供する店は市内でも十数店しかない。観光客は全体としては僅かなのだろうが、結局その十数店に殺到し、どの店も行列となる。而もどう贔屓目に見ても元元は軍港の軽食堂なものだから、僅かな観光客ですら捌くことが出来ず、列は中中進まない。三十代一人と、四十代二人と、五十代一人が、食べ盛りである訳ではあるまいし、カレーライスとハンバーガーを待って居る事自体、馬鹿馬鹿しい事をしていると思った。だが結局一番良く食べたのは五十代代表の鶴木さんであったから、食欲とは年齢を選ばないものである。
その後は観音崎などにも行き、海を眺めたり、売店で麦酒の銘柄を選んだりしながら散歩する。浦賀までバス出て都内に戻り、大井町で飲み直して帰った。東急線の車内などは、行楽帰りの疲れた女子供で一杯であった。そもそも6月に休みが少ないからこういう事になる。態態こんな時期に出掛けるなど、暑くて適わない。


7/14・土
 梅雨は明けないまま暑くなる。適適朝早く起きたので、近所の御寺でやっている朝市に行って見た。大変な盛況であった。少しの野菜を買って帰ったが、皆がこういう所で買い物をするようになると、徴税担当は困るだろうと思った。
 夜は民間放送で音楽番組を久久に見た。有名な歌うたいが、被災地に入って歌っていた。少なくても都内で其れをするよりかは良い事をしていると思った。


7/13・金
 どん曇り。大変蒸し暑い。朝方は滔滔拙室の新型冷房機を初稼働さす。設定27度で十分涼しい。消費電力がどうなっているのかまでは分からないが、最近の家電は良く出来ていると素直に思う。午後出社。給料は少なくとも二週間遅れて而も半月分だけ支払われる。只こうなると一体どういう事になっているのかさっぱり分からない。分からないうえに今日は、年に二回の漢字検定実施の為、忙しかった。
退社後は金曜会。二軒目の中華料理屋は冷房は轟轟点いて居るものの異様に暑い。こういう場合の原因の大半は分かっている積りである。少しお客が引いた後、小さな丸椅子に乗り上げ冷房機のフィルターを調べる。大抵判で押したようにどろどろになっているので、早速女店員を呼び付け、ごしごし洗うように指示しておいた。その後三軒目で飲んでいる内に雨に降られた。帰宅後更に激しく降る。


7/12・木
 引き続き南風は吹くが、一日曇り時時雨。九州は梅雨末期の豪雨で出水被害あり。午後出社。一日蒸し暑く、立ち飲み屋の外、つまり露天の様な所で飲んで自転車で帰ると、全身が発汗し、丸で昔話のかちかち山である。以後発火した旅客機の機長の様な思いで自転車を操縦し、消防車がずらり待機している筈の母港にやっとの思いで辿り着いた。直ちに放水する予定だったが、生憎家人の一人が風呂場から出て来ない。一日には確か24時間ある筈で、家人はきちんと数えても全部で三人である。如何にしてこのような理不尽な事が起きるのか、不思議で仕様がなかった。


7/11・水
 一日南風が吹き荒れ日中32度。午後出社。お金は無いから退社後は安めの店を転戦す。


7/10・火
 国会中継を聞いていたら、旧政権党は国土を筋肉質に鍛え直したいらしく、大規模な公共事業を計画中とのことである。防災工事は必要だが、三陸では長城の様な大堤防を築いても結局津波は防げなかった。人命を救う為の避難塔の様な物はどんどん建てるべきだが、何百兆円も掛けたら、背負い込んだ借金の重さで節節が骨折してしまうだろう。とても正気の沙汰とは思えなかった。
湿度は低いが晴れて温度は高い。日中30度を超える。火曜不出社。猫は暑い昼間は全く行方不明。日が暮れた頃元気に出て来るから、丸で勤め人の様である。


7/9・月
 湿度は低いが晴れると暑い。午後出社。給料も払わない無責任社長が、更に面倒な授業を押し付けようとしてきたので、暫し口論となる。温厚な吾人も流石に今日は怒った。時間講師にも、まともに給料を払わないから、皆怒って辞めて仕舞う。だから益益人繰りが付かないのである。そんな簡単な理屈が分からないのだから恐ろしい。退社後は鶴木さんと少し飲んだが、こういう晩は腹が立って立って仕様がない。癇癪を起さない内に早く帰った。


7/8・日
 朝の内に雨が止んだので、つけ麺を食おうと自転車を走らせた。つけ麺屋に行った見たところ、昨夜の内に空き巣に入られたらしく捜査活動の真最中で、太い麺を茹でるどころではなかった。すっかり、口がつけ麺になっていただけに、今更ラーメンや盛り蕎麦を食べる訳には往かない。以後、似たような味を求めて一時間半も街を徘徊す。泥棒は店だけではなく、翌日のお客にも随分迷惑なことをすると思った。
 夜は公共放送の大型ドラマを見る。古代から中世へと至る政権交代劇の前半戦が、割と忠実に再現されており中中面白い。その分内容は複雑で、毎回日本史辞典を捲りながらの鑑賞となる。法皇が遊女の今様に取り憑かれるあたりを見るだけでも、十分傑作に近いと思うが、一般の評価は今一つとのこと。幕末や戦国物に比べて馴染みが薄いのかもしれない。日本の歴史の中で支配階級が交代したという意味での革命が起きたのは、あの時代の只一度切りだと云うから、革命や交代の困難さを思い知る上でも、もっと世間は関心を集めるべきだと思った。夜は御酒を飲みながら愚管抄を読み直した。信西が、夜な夜な算盤を打ち、その数を読み上げる声は、澄み渡り尊い様に聞こえたと云う一節が印象に残った。徴税家は手本にすべき逸話である。
 

7/7・土
 一日降ったりやんだり。朝方は暑かったが、午後から寒気が入り、全体冷房が入った様になる。一日無為。日誌を整理す。


7/6・金
 此の処、左の目が見にくい様な気がしてならない。何か大きな病気の前触れだと困るので、眦を決して近所の眼科に出掛ける。自らの用件で医療機関に出向くのは実に1年半ぶりで、而も相手は苦手な眼科で大いに緊張す。というのも吾人は幼少の頃から目が悪く、昔から視力検査と眼科が厭で厭で堪らなかった。
小学生の頃なぞは成長期なものだから、春の検査の度に、視力成績は下がりつづけ、低学年の内に、整数の位は数字が無くなり、高学年の頃には小数第二位に突入しそうな勢いであった。小数第二位ともなると通常より検査距離を短くせねばならず、前へ前へという保健の先生の勇ましい掛け声とは裏腹に、衆人環視の下、随分と惨めな思いをしたものである。家人も大いに心配し、頭部に電流を流す医院や、民間の視力訓練所などにも通った。併し結局視力は下げ止まるのは、成人になるのを待たねばならなかった。其れから云十年かたったが、やはり視力検査は怖い。あの黒く焦げたドーナッツの様な物を見ると、全身は硬直し、足は竦み、手に脂汗が噴き出してくる。
本日はそれら尋常ならざる恐怖心を克己し、視力を測定し、序でに視野の検査なども行った。幸い異状は無く、従来の近視眼が若干進行したためだと言う。小数第二位の数字が何処まで小さくなったかは聞かなかったが、最早この年齢となっては、眼病より近視の方がましである。安心して帰路に着いた。此れからは、あの輪っかとも少し仲良くしようと思った。
一日曇り。非常に蒸し暑い。午後出社。進路相談多く草臥れた。高校三年で何処でもいいから大学に入りたいと云う。自分の進路ぐらい自分で考えて欲しい。退社後、月波君現る。その後金曜会にも顔を出した。住民税と医療費を支払ったら既にすっからかんである。夜は雨。拙宅の電気使用量16%減。思ったより減っていたが、思い当たる節は無い。最近亦何個かの蛍光灯をLED方式に代えたが、そんなに減るものではなかろう。


7/5・木
 一日曇ったが蒸し暑い空気が滞留す。温度は30度もあり、何もしなくても汗ばむ。何かするともっと汗が出て来るので、出社後は滔滔冷房機の出番となった。退社後は、古い方の立ち飲み屋に来るように誘われたが、無責任社長の顔を見ていると益益暑苦しいので、直ぐに帰った。御酒を出すよりまず給料である。尤も給料が払えないから御酒を出すのだろうが、そんな御酒はよくよく高く付くし、第一全く旨くない。就寝後に近所で小火あり。


7/4・水
 暑い空気のまま午後はかんかんに晴れる。午後出社。少し冷房機を使う。事務作業と高校生の質問多く忙しかった。退社後少し飲んで帰ったのみ。


7/3・火
 キセル乗車の語源には多多ある。一説にはキセルは、火皿と吸い口だけが金属で出来ていて中間は木であることから、入口と出口を金を払った切符で通過し、その間の運賃を支払わない不正乗車方法を差すようになったという。
尤も最近は電子乗車券の普及でキセルは随分難しくなったが、列車を走らせる以上は、不正乗車や無賃乗車する不届き者は必ず出て来る。鉄道に限らず、食堂を開ければ年に一人や二人は無銭飲食する者もいるだろう。小売店に万引きは付きものだし、学習塾でも授業料を払わないまま何処かに行って仕舞う者も偶には居る。だからと言って、列車を走らせるのをやめたり、食堂や店を閉めたりする訳ではない。まあ何とかそういう不正客と折り合いをつけながら営業は進めるものである。
福祉の世界でも、不正受給が後を絶たないと云うが、大体世の中とはそういう物である。不正客が多いから福祉制度全体を見直しますと云う訳には行かない。不正客を探し出す努力は必要だが、それで正規のお客を締め出したら本末転倒である。其れに世の中が此れだけ悪いと、人生の後半で予想外に貧乏して福祉に頼ると云う事もあるだろう。だから社会保障に益益お金が掛かるのは避けられそうもない。
今本当に恐ろしいは、人生の早い段階から勤労意欲をなくして仕舞う階層の出現である。何しろ割のいい仕事が少ないものだから、下手に働くより、福祉に頼る方が手っ取り早いし楽で良いと云う考えにも至る。その内にうちの家系は先祖代代社会保障です、なんぞと云う人が出かねない勢いである。不正受給に一一目くじらを立てるより、何とか世の中のお金の廻りを良くして、働くに足る仕事を作り出したいと思う。御午前に東京湾で震度4。御午過ぎから小雨。夜は本降り。火曜不出社。


7/2・月
 日中は段段晴れて暑くなる。滔滔福井の原子炉が動き出す。住民税を支払う。所得が少ないから支払う税金も少ない。余りに少なくて恥ずかしいから遠くの郵便局で振り込んだ。其のまま出社。其れでも今週の飲み代は既に足りない。後は給料を巡っての労使交渉次第となる。
原子力に関して丁度来ていた高校生の生徒らと暫し議論す。若者が先鋭的な事を云う事は意外に少なく、原子力発電存置派が多いから驚く。一方与党から僅かな陣笠議員を連れて出て行った元代表は、増税反対と共に、反原子力の立場をとると云う。齢七十を越えた筈だが、やはり怖い物は怖いし、駄目な物は駄目という感覚を持ち続けなければならないと思った。退社後は直ぐに帰った。マーケットで半額の御鮨と御刺身を買う。夜は涼しい。

 
7/1・日
 自然の力で作った電気を全部買い取る制度が始まる。前首相達ての希望で作った制度である。今から前首相の歴史的評価を予想する積りは無いが、少なくともこの制度を作った事だけは、良い方の評価を下されるであろう。午前中は曇り。比較的涼しい。御午頃から小雨となる。