8/31・金
日中34度に達す。午後出社。金曜会出席。今日は定料金のしゃぶしゃぶの店であった。その後先週行った洋食屋に転進。食べた量も出て行ったお金も通常の二倍に達す。
8/30・木
未明に地震あり。午前中は水道屋さんが来て家作のトイレを二台更新す。古い便器も片端から取り代えようと思う。新型は竜巻風に水を流すらしく、実に少ない水で胸の空くほど良く流れる。恐らく汚物を水に流すと云う点では、此れ以上の節水は出来舞い。だから此の方式の便器は水洗便器の謂わば最終形態である。こういう良い物が出来ているとは丸で知らなかった。もっともこの十年かそこらでテレビジョンが此れだけ薄っぺらになったのだからが、そういう事もあるだろうと思った。ならば古い方式の使用は一切禁止にして、新型の導入を広く国民に呼びかけるべきである。そうすれば原子力発電所に加え、巨大な貯水槽も次次に不要になるであろう。
午後は家人と共に老人施設に行き施設医の話しを聞く。食欲が無いのは背中の張り薬のせいかもしれないから一旦使用を中止するとのこと。背中に張っても胃がおかしくなると云うから薬と云う物は恐ろしい。夕方出社。退社後、月波君来る。鶴木さんらと伊豆の反省会をした。今日は34度もあった。
8/29・水
昨日より湿度が上がり暑くて苦しい。日中34度程度。午後出社。退社後は鶴木さんを探したが、既に帰宅したとのこと。思えば此処最近、歳が二十も上で職場も住居も全く違う此の中年男性としか、まともに人語の遣り取りをしていない。それもおかしなことだと思った。怒った野党が参議院で問責決議を可決す。これで国会も御仕舞である。
8/28・火
やや雲が多い分、昨日より若干気温は低い。其れでも33度だが、陽が落ちると少しは涼しかった。日没後、豚肉を揚げて貰う為に自転車を走らす。肉屋さんの手前の交番の前を通ると、早速巡査が飛び出して来て防犯登録を見せろと云う。盗んだ自転車で態態交番の前を通るとは、余程の間抜けと思われたものである。
近近に解散すると云う首相の口約束を信用しない野党第一党は一切の審議拒否す。与党しかいない国会で公債特例法等を可決。然し参議院はどうやっても通過できないので国会は再び空転す。
8/27・月
朝から晴れ、日中34度に達す。雨傘を日傘にして出社。一応3時半からずっと授業す。その合間合間に方方の宿題を片付ける。退社後は鶴木さんらと立って飲んだ。
8/26・日
全国的に地震多し。未明も少し揺れた。午前中から家人と共に要介護者の様子を見に行く。再び食欲なし。昼食は一口も食べず全量廃棄となる。昨日も点滴を受けたとのこと。冷房完備、上げ据え膳の、昔から見れば御殿暮らしの様な生活ながらも、夏は容赦なく年寄りの精気を奪う。こうしてどんどん弱わって行くのだろうと、当方冴えない顔をするのみである。
其れにしても、伯母は大正生まれだから、戦中戦後は其れなりに大変だった筈であるし、弟を戦争で亡くしている。こうして贅沢が出来るのも、自らの長命と戦後の経済成長のお蔭であるから、万物にもっと感謝すべきであると思った。然し一旦耄碌して仕舞えば、此の御殿の様な生活に対しても不満たらたらである。そんなに文句ばかり言うなら、今一度あの混乱生活に叩きこんでやらねばならないとも思った。案外しゃんとするかもしれない。
だがそれも余りに可哀そうなことであると思い返した。大体伯母ほど戦後の経済成長と絶縁した人生も無い。敗戦時の年齢は二十五位であったか。女学校を卒業した直後は外の勤めにも出ていたらしいが、それらも短期の事であったらしく、以後は家に居るようになる。良縁にも恵まれず、両親の面倒を見、それらを看取った後は古い家で一人暮らしである。旅行も外出も外食もしないから、伯母は新幹線も旅客機も西洋料理も知らない。家電の類も昭和三十年代の配備水準のままであるから、テレビジョンに冷蔵庫、炊飯器に二層式の洗濯機、黒電話と瓦斯ストーヴぐらいしか伯母は使えない。其れでも八十代も半ばになる頃には、生活を楽にしてやろうと、エヤコンと新型の湯沸かし器と風呂は入れた。然し結局旨く使いこなせぬまま今の施設に入って仕舞った。
伯母は若いころから英語が好きであった。今も機嫌が良い時には英単語が自然に出て来る。今更言っても仕様が無いが、旨くやれば戦後は英語の教師か何かには成れたかもしれない。疲れたと云い、伯母は寝台に小さな体を横たえた。直ぐに寝て仕舞ったらしい。色色と出来なかった事は多いだろうが、本人がそう思っているかまでは分からない。少なくとも今日は幸せそうな丸顔であった。
一日暑く日中35度に達す。家人の体調も鑑み往復タクシー利用せざるを得ず。亦6時半ごろ当人から電話あり。夕飯を食べ、今晩はこちらの施設に泊ってから旧居に帰ると上機嫌であった。施設を旅館か何かと思っているようだ。今更帰ると云われても、隣の家は廃屋同然でもう布団も無いが、機嫌が良いと云う事は夕飯も少しは食べたのだろう。まさか我我を安心させる為の出任せではないと思う。
8/25・土
こうして書くのも面倒な程、毎日同じように晴れ、同じように暑い。35度近くに達す。昼間は何処にも行かず、日没後はテレビジョンで花火大会を見た。テレビ桟敷は混雑も行列も無縁だが、時折会場のアナウンスまで中継される。やれ掏りや迷子に注意しろだとか、どこどこは大変混雑しているだとか、一一云われ鬱陶しかった。
8/24・金
最近素麺と御酒ぐらいしかまともに喉を通らない。其れで居て日中何度も上厠す。生憎今日もかんかんに晴れ35度もある。両家人とも暑くて表に出られないと云うので、昼食に続いて晩食まで買いに行く。夕方出社。退社後は混雑した三等の立食堂は避け、鰻の寝床の様な洋食堂できちんと座って御酒を飲んだ。出て来た品物は大したこと無かったが、お金は二倍掛かった。概ね座席指定の二等料金である。
8/23・木
一日異様に暑く今日も34度に達す。午後出社。思えば今年はまだ四回しか給料が支払われていない。其れでも手元に多少のお金が残っている。此処の所の家人の看護と猛暑により消費活動が鈍っている為だと思った。ただ其れで愉快になると云う訳ではなし。今日も内臓に冷たい物を入れる為、立って飲んで帰らざるを得なかった。
8/22・水
日日暑さが土壌に蓄積され、陽光が一通り差しただけで直ぐに30度を超す。日中35度近くに達す。午後出社。中座し散髪す。退社後は立って飲んだが何処の店も冷房力が追い付かず暑かった。職場の電気使用量前年比5%増し。8月に入って暑かったから節約した方だと思う。
西の青年将校は保守勢力を結集させたいらしく、お腹の具合を悪くして政権を放り出した元首相を担ぎ出したいようである。どうやら何とか維新の会は、復古的革命をやりたいらしい。御自分は太政官にでもなりたいのだろう。
8/21・火
一日南風が吹き荒れ日中34度に達す。湿度は低いがこうなると夜まで冷房機を稼働さす。気仙沼線の一部区間がバス専用道に整備され運行が始まる。此のままバス転換される予定だと云う。地元には不満もあるようだが、この際バスを気動車風に塗って仕舞えば良いだろうと思った。火曜不出社。
8/20・月
新型冷蔵庫配達される。お金と電気を節約しようと一回り小さくしたら、思いの外、入らない。これからは少しずつ買うようにしようと思った。
一日晴れ。日中33度程度。其れでも朝晩は冷房なしで何とか耐えられるようになった。今日から出社。小学生が何か恐ろしい話をしろと言うので、ある朝起きて見たら消費税が10%になっていて、街は失業者と路上生活者と引っ手繰りと掻っ払いで溢れ返っていたという話をした。
8/19・日
一日晴れ。33度にもなる。朝起きてみるとやはり冷蔵庫は回復していなかった。まだ10年しか使っていないが交換を決意す。開店と同時に家電量販店に行き新型機を注文す。以後、冷蔵庫の中身を掻き集めての昼食と晩食となる。食べたくない物を無理矢理に詰め込んだら、胃がかんかんになって困った。滔滔盆休みは年寄りの面倒に忙殺されたと思ったら、最後の最後に冷蔵庫の故障である。もう何もかも新型に交換して仕舞いたいものである。
只でさえ暑苦しいのに、何処かの無人島が取った取られたと一日中大騒ぎしている。無人島などは、交通不便にて人が住むには及ばないから無人なのである。そんなどうでもいい島など、魚と鳥にやって仕舞えばよい。又、こういう瑣末事で大騒ぎしている輩に限って、街中の一等地が他国の軍隊に占領されていたり、大事な田畑や故郷が放射性物質に襲われて何十万人も避難生活を送っていると云う事に無関心であるのはどういう訳か。日本の右隣の横暴は良くて、左隣のそれは許さないと云うのでは、公平ではあるまい。いっそのこと、こうした頭の可笑しい連中を世界中から掻き集め、無人島に住まわせて仕舞えば、世の中が静かになって幾分涼しくなるだろうと思った。いがみ合って殺し合うも佳し、当人たちの意に反して国際親善を図るも佳し。何分無人島だから他の迷惑にはなるまい。
8/18・土
午前中は雷雨。但し午後から晴れ結局暑くなる。盆休みも御仕舞だから、此の二日は静かにして居ようと思っていたら、冷蔵庫の調子が良くないと家人が訴える。確かに冷えていない。吾人も数日来、缶麦酒の冷えが今一つだと思っていたが、麦酒は温めが良い性分なので、さして気にも留めなかった。良く観てみると中は精精12度ぐらいにしか下がらず、本体の右側面だけちんちんに熱くなっている。冷蔵庫が熱中症に掛かったと思った。直ちに濡れ布巾で表面を拭い、扇風機を当てて冷やす事にした。すると多少は冷えた感じである。元気な方の伯母が来る。鮨を取り、大して冷えない麦酒と冷酒で歓談す。気のせいか少しも旨くなかった。
8/17・金
午前中に伯母を見に行く。食欲は多少持ち直したと云うから、今日は同じことを何度も云わないようにした。直ぐに取って返り、今度は家人を病院に連れて行く。透過光線を当てて見た所、出血痕は順調に縮小とのこと。その後二人でマーケットに買いに行ったが、余りの暑さにくらくらす。朝のラジオではそんなに暑くならないと云っていたが、日中36度にもなり、今季最高を記録。夜のテレビジョンでは予報士が平謝りしていたから、大変な見込み違いをしたのだと思った。呼び出されたので少しだけ金曜会に顔を出した。
8/16・木
一日異様に暑く35度近くに達する。自転車急行の二号車が故障したので、二台引きで自転車屋を往復した以外の外出なし。
8/15・水
御午前に施設に乗り込み、昼食を老人に食べさせる。素直に食べたのは二口三口で、以後食べろ食べろと云っても、どうしても食べられないと泣いて懇願される。何時の間にか当方の語気が荒くなっていたのかもしれない。余り苦しめても仕様が無いので、高栄養の流動食を食べさせて御仕舞とした。つくづく育児も介護も癇癪持ちには務まらない仕事だと思った。往復バス利用。南風が吹きつけて日中34度程度。極めて暑かった。
8/14・火
御盆御盆と言うが御盆とは不思議なもので、先ず安物のカレンダーには書いていない。而も地域によって色色な御盆があるが、休みになるのは、此の八月の御盆だけである。ただ全てが休みになるという訳ではなく、役所や金融機関や大病院は平常営業しており、交通機関も平日ダイヤである。詰まり不文律の超法規的休日である。こういう不定な物は、世界平準化に反するとの理由で、将来狙い撃ちにされるかもしれない。早く法の力で正当にカレンダーを赤くして仕舞えば良いと思う。その際、地域によって赤い数字を変えて仕舞えば、混雑分散に繋がって尚良いだろうと思った。午前中は降ったり止んだりの荒れ模様。午後は晴れる。一日安静にす。
8/13・月
伯母に昼食を食べさせよとの家人の指示で、伊豆から大急ぎで都内に帰る。老人施設は世田谷の真ん中辺にあるので、小田原から小田急線に乗り換えた。小田急線は新宿と箱根と云う日本の実に大事な所を結んでいながら、此処の急行電車は実に頂けない。
大体、小田急の急行ほど、世の中に絶望的な乗り物は無い。先ず急行という看板を掲げながら一つも速くない。其の上、車内は御行儀の良くないお客が溢れ返っている。しかも中中降りてくれないから、その不快な面面をずっと見続けなくてはならない。更に世田谷なんぞに住んでいると小銭を支払って特急に乗るという事も出来ないから、寄って集って人という人を苦しめているとしか言いようのない忍耐力養成列車である。
丹沢の山を眺めていると、案の定、伊勢原辺りで途端に込み始める。座席も通路も一杯になり、隣りに座った若いお客は酷く臭い息を吾人に轟轟と吹きつけて来る。閉眼と閉口をし更に閉鼻もせざるを得なかった。
成城で良くすいた各駅停車に乗り換え、辛うじて伯母の昼食時間の最後に滑り込む。兎に角、皺くちゃな口に手当たり次第の残り物を突っ込んでから、バスに乗って本当に帰った。一日熱風が吹き荒れ日中は34度程度。
8/12・日
午前中は釣り組と海水浴組に分かれて行動す。前者を少し冷やかした後、皆で地魚が旨い御寿司屋に行き、魚そっちのけで御酒を飲む。その後、伊東市内で玉撞きをしたのち別宅に戻る。夜は麻雀大会。と云うより麻雀教室。然し幾ら丁寧に教えられても、全く規則が覚えられないから、落第生の気持ちが良く分かった。午前は曇っていたが、午後はかんかんに晴れた。夜から亦少し曇る。
五輪閉幕。全部合わせても精精一時間半ぐらいしか見なかった。一生懸命見た所で面白いと云う感覚が全く湧き起こらないから、五輪も詰まらなくなった。つくづく五輪と云うのも一生に一回切りのものだと思った。日本と云う国にとっては64年の東京大会であり、吾人にとっては84年の羅府大会がそれに当たる。一生にそう何度も熱狂するほどの物ではなし。何度も熱狂する類の御方は概ね精神の開発が停止しているのだと思う。而も10歳程度で。
8/11・土
家人と車を仕立て、老人施設に朝から乗り込む。食べろ食べろ食わなきゃ死ぬぞと矢のように伯母を叱咤激励す。脅せばそれなりに食べる。朝食と昼食を半分程度食べたのを見届けてから、吾人は東京駅に向かう。毎年恒例の伊豆の酒飲み合宿である。伊豆までは東海道線普通のグリーン車で行くことにした。折角二等で行くのだから、始発から乗らなくては勿体ないと云う貧乏根性で態態こういう事になった。鶴木さん、月波君、仲田先生と合流し、昼酒をざぶざぶ飲む内に伊東に着く。
色色と買い出しをしたのち車を捕まえて別宅に向う。此処は天屋先生の別荘である。金曜会に加え、運動倶楽部の方の御仲間も合流し再び飲む。而し手入れが今一つの古い別荘に、男だけが押し寄せては、普段より生活水準は低下する。食器は使ったら使ったままだし、片付ける人がいないから、万物は散乱す。結局、枕も敷布も布団すら出すのも面倒臭くなり、埃ぽい暑い部屋の三つ並べたマットレスの上に座布団を枕にして大人四人で寝た。丸で山小屋かどこかの避難生活であると思った。案外熟眠していたのは五十代代表の鶴木さんかもしれない。人間は加齢と共に贅沢になると云う側面もあるだろうが、状況に適応する能力も拡大するのだと思った。尤もアルコールと云う強制睡眠薬の薬石のお蔭であるとも思った。
8/10・金
午後出社。何事も無く盆休みを迎えられると思っていたら、夕方に家人から連絡があり、施設に入居中の伯母が急に弱わって仕舞い点滴を受けているとのこと。至急様子を見に行くように指示される。止むなく授業と生徒をほったらかしにして施設に向うも、その途上で再び連絡があり伯母はもう寝たから行くなとのこと。踵を反して職場に戻り再び授業す。
何でも数日前から食欲が無くなり脱水気味だと云う。九十を越えて、食べられなくなったらそれで御仕舞である。困ったことになったと思った。六ずかしい顔を隠して、金曜会に少しだけ出て帰った。消費増税が参議院でも可決成立す。併し夕方からしっちゃかめっちゃかだったので、詳しい事は知らなかった。
8/9・木
早起きし家人を病院まで送り迎えする。思えば此の処、職場と医療機関以外出かけていないから詰まらない。午後出社。今日は心穏やかに過ごせた。日中30度程度。陽が陰ると涼しい。こうなると五輪より眠気である。
増税に反対な中小野党が内閣不信任案を出すも否決される。そういえば昼も、そうした少数政党の候補者が反対反対解散解散と街頭演説していた。浪人生にとっては早く試験を受けたいだろうが、そもそもきちんと勉強はしたのだろうか。勉強もしないで、そう度度試験を所望されても困りものである。現政権党も勉強不足が祟り落第寸前であるという事実を皆んな綺麗に忘れている。
8/8・水
午前中は引き続き植木屋さんが入り、梅の木等を剪定す。梅切らぬは阿呆扱いされるが、切ろうにも切り方が分からないので、梅も生え放題の伸び放題であった。作業終了を見届けてから午後出社。
余りに態度の悪い小学生を怒鳴りつけたら、案外ケロりとしていて可愛げがない。どうやら全く人語を解さぬらしい。こういう相手は敵わない。腹を立てても仕様が無いと分かっていながら、矢張り腹が立つ。小人に腹を立てる吾人にも腹が立つ。腹が立って腹が立って如何にもならないから早く帰った。こういう晩に大酒を飲むことは呉呉も宜しくない。泥酔して巡査に尋問されたら、益益腹を立てて巡査を投げ飛ばして仕舞うかもしれないからである。だからどうしても早く帰るのが得策である。
一日東風が入り、晴れても比較的涼しかった。与野党合意し消費増税成立後の解散総選挙が決まったようである。丸で行き当たりばったりの絶望的な解散である。
8/7・火
国会は解散含みの展開とのこと。首相は消費増税の成立とともに、野党の解散要求を受諾するとの見方が広がる。どの道、解散は不可避だろうが、総選挙をした所で何処も過半数を得られそうにない。其れに参議院があるから何処が勝とうと結局国会は腸捻転の様になって仕舞うだろう。全くどうにも政治が動かない事に代わり無し。
引き続き植木屋さんが入り、剪定と裏の砂利道の補修作業を行う。早く終わらせて別の木を切って貰おうと少し手伝ったが、猛暑の為1時間ほどの作業でぐったりす。火曜不出社。最高気温は33度程度。拙宅の電気使用量前年並み。今年は7月後半が特に暑く、電気冷房を結構使った割には善戦した方だと思う。
8/6・月
脚立と高枝鋏では、如何にもならなくなったので、伸び過ぎた檜と松の剪定を専門家に任せる事にした。前の植木屋さんが廃業して以来、実に20年ぶりの植木屋さんが朝から入る。併し10時ごろから雷雨が襲来し作業は午前の内に終了となる。
広島忌。東京には久久の雨が降った。若し降らなかったら西の方に向って水を撒く積りであった。午後出社。今週は通常授業となる。
8/5・日
曇ると云われたが、朝からかんかんに晴れて日中34度程度。午前中の内に伯母の様子を見に行くと、本人は眠たいらしく意識朦朧としている。何でも、暑いの寒いのと一晩中大騒ぎをしていたとのこと。元元冬でも夏でも矢鱈滅多らに重ね着をする傾向があったが、最近は耄碌が激しくなり、拍車が益益掛かって困る。本人が何と言おうと、情け容赦なく一枚残らず剥ぎ取って欲しいと介護士に伝えて帰る。
夕方になっても異様に暑い。せめて涼しい景色を見ようと、倫敦五輪のマラソンを見る。今回は狭い所をぐるぐる回るコースだと云う。倫敦には古い物が沢山残っている。新しい物はお金さえ払えば幾らでも作れるが、古い物は作れない。それに幾ら古い建物でも、それが弾圧とか貧乏とか侵略とかと結びついてしまえば、古くて悪い物になってしまう。古い物を堂堂と見せて来る辺り、英国の自信の様な物が透けて見える。近代に入って最も失敗が少なかったのは我が国を置いて他にないぞとでも、言いた気である。其れに比して、古い物が茫茫焼かれて仕舞った上に、残った物も大したものが無いから、この国の近代は散散な出来であると思った。
只、同じ景色の中を何遍も走るのは詰まらない。画面の中から、行って見たくなるような英国の居酒屋を探している内に、急に眠むたくなったので、レースの結果は次の日まで知らなった。
8/4・土
一日曇り勝ち。気温32度程度。家人は先日の転倒事故以来何だか怖くて表に出られないと云うので、一緒に買い物に行く。老母の手を引く様な事にはならなかったが、早く一人立ちして歩いて欲しい物である。
少しは変わった競技を見なくてはいけないと思ったが、そもそもが運動嫌いな上に、人が投げられたり転んだりするのは、見ているだけで痛いから、直ぐに止めて仕舞った。
8/3・金
朝出社。夜の8時までずっと立って喋る。漸く今日で講習も御仕舞。辛い二週間であった。金曜会出席。帰宅は深夜となる。ここのところ忙しかったので、五輪も国会も如何なって仕舞ったのか丸で分からない。どちらも閑人でなければ、とてもぢゃないが追跡不能である。つまり常人には及ばぬ類の事柄である。
8/2・木
朝出社。退社後月波君来る。ようやく正常に人語を解す相手に出合えた感じで助かった。併し日中の気温は35度に達したので夜になっても熱気が残り、どこの店も冷房力が不足していて辛かった。帰宅は12時前後。
8/1・水
今日も朝陽の頃に出社し、夕陽を見ながら退社す。退社後もうっかり飲んでいられない。両家人ともすっかり絶望し外に行く気が起こらないと云う。惣菜や食品類を色色と緊急に運び入れる。其れに家の内外がしっちゃかめっちゃかで、草は生え放題、ゴミは捨てられ放題で丸で廃屋の惨状である。大急ぎで片付けるも時間が丸で足らない。早く講習が終わって欲しいと願う。今日も暑くて33度程度。世の中は五輪五輪と言っているらしいが、当方は職業野球の結果を追跡するだけで精一杯である。