2012年9月

9/30・日
 午前中は晴れた。秋台風が特別急行運転で近付いた為、3時頃から急に曇る。暗くなる頃から降り出し3時間ほどで止む。夜半には月が煌煌と照る。風は一晩中吹く。


9/29・土
 台風接近の為、南風が入り蒸し暑い。一日無為。


9/28・金
 晴れ時時薄雲り。午後出社。退社後は金曜会。然し仲田大将欠席の為、店決めや会計で部隊の運用に苦労した。経済団体の首脳は隣国を此れ以上怒らせるなと現政権に苦情を申し立てたそう。原子力を巡る見解は間違っていると思うが、今回の苦情は理に適っていると思った。


9/27・木
 数日来の疲れが出たのか昏昏と二度寝し更に午睡す。午後出社。退社後も何だか眠さが残る。誰にも合わないように直ぐに帰った。涼しくなった途端に鼻が悪くなる。
現首相は紐育で演説し轟轟と火に油を注いでいた。首相は消費税以外に世事に関心無しと呑気に構えていたが、政治信条は実は勇ましい方で、此の度旧政権党の総裁に返り咲いた元首相と大差無いと云う。国全体が下り坂なのは仕方がないが、右に傾くのは呉呉も宜しくない。下り坂だから自棄になって益益右に傾くのだろうが、此のままでは、右に傾くから猶更下り坂になることも考えねばならなくなった。


9/26・水
 終日薄雲りで日中28度程度。漸く夏が本当に終わったと思った。別れ際に嫌みの一つも云いたかったが、そういう間すら許さない、つくづく酷い夏であった。
午前は刈った草をぎゅうぎゅうにして袋に詰める。午後出社。小学生の分数計算の後には、世界平準化の可否を巡る評論文を講釈せねばならず、こういう時は遠近両用の眼鏡が欲しかった。退社後は何時もの通り立って飲んだ。
最近入った店童の一人は、立ち飲み屋を辞めたら、予備隊に入って国の為に尽くしたいと云う。いやいや、飲食物を廉価に提供するのも国を支える立派な仕事であると諭したが、何処まで伝わったかは分からない。大体公務員を増やす程、この国にはもう御金がないのである。


9/25・火
 一日曇り。肌寒い。火曜不出社。一日草を刈り枝葉を払う。無人島近くに台風接近。漸くこれで静かになると思った。いっそ無用の島など、島ごと吹き飛ばして貰いたい物である。



9/24・月
午前中は草を刈る。午後出社。公立中学校が五月雨式に定期試験をやるので、何時まで経っても試験対策授業が終わらない。二期制と三期制が混在しているから、こういう面倒な事になって困る。公立学校同士を無闇に競わせているから、結局学習塾が迷惑す。夜から激しい雨。降って降って降って少ししか止まないので、結局ずぶ濡れて帰る。


9/23・日
 朝から夕方までずっと雨。一日異様に寒くなる。今年の気候は極端で往けない。夜は安目の牛肉を買って来て簡易焜炉で鋤焼にして食った。数日までなら丸で信じられない献立である。


9/22・土
 御午起床。幸いにして宿酔はなし。急に涼しくなり日中25度程度。鎌を使って本格的に草を刈る。実を云うと、鎌は見ているだけで恐ろしいので今まで余り使って来なかった。然しぐちゃぐちゃに絡まった草と蔦を払うにはよい道具がないので、呉呉も慎重に使用す。すると鬱蒼とした物が見る見るうちに解け、錆び付いた鈍鎌でも頗る便利である。流石に国の旗に描かれるに相応しい道具だと改めて思った。夜半に雷雨あり。


9/21・金
 曇り時時晴れ。漸く30度を切る様になった。午後出社。退社後再び月波君来る。彼は社会保険料を右から左へ流す仕事に就いていて、貧乏とは無縁であるが、会社勤めが辛いと見えて、此の処度度来たる。仕事が辛いと自然と酒席と酒量が増え、飲食店が繁盛する様な仕組みになっている。昨日飲んで今日も飲んで恐らく明日も御酒を飲みたくなるから、酒飲みとは辛抱強い。
その後金曜会となる。西洋料理屋でウヰスキーを飲む内、仲田先生が最終列車に乗り遅れる。結局御付き合いして、二人で飲み歩きの延長戦となる。金曜会の総大将である仲田先生は、貧乏学院でも教えていたが、無責任社長と仲違しもう二年も経った。一緒に教えていた頃はよくこうして飲んだ物であり、何だか色色と懐かしかった。何軒も訪問する内に、つい女店員が隣りに座って給仕をする様な店にも行った。
仲田大将を開いたばかりの駅に押し込み早朝無事に帰宅す。但し財布の中身は大量遭難し、御札は一枚も持って帰ってやることが出来なかった。御金は無くなったが、御金を沢山使って贅沢したという記憶は残る。ならばせめて良い思い出を作りたいものである。


9/20・木
 前夜の御酒が残り午前中はふわふわす。午後出社。具合の悪さは午後まで残り、躾の悪い生徒がわあわあ騒いでも、我木鶏の如く泰然とす。退社後少し麦酒と飲むと漸く調子が戻る。然し今日は早く帰った。日中32度程度。湿度は下がったがやっぱり暑い。俗に暑さ寒さも彼岸までというが、現に彼岸まで残って仕舞えば迷惑この上なし。職場の電気使用量前年並み。一昨年と比べると4割減だから、節電は無事に定着したようである。


9/19・水
 未明と午前は時折大雨。御午前に止む。午後出社。退社後は鶴木さんや天屋先生らと合い散散飲んで帰った。拙宅の温水便座壊れて交換す。つくづく今夏は色色と物が壊れた。
 原子力規制委員会発足。前夜は、廃止となった安全委員会の委員長が退任の挨拶をしていた。安全審査が形骸化していたと率直に反省していた。其の苗字を捩って、出鱈目委員長なぞと陰口を叩かれたが、本質的には真面目すぎる程の技術屋であろう。就任した時期が運悪かったと云えば其れまでだが、重大事故を出した責任は誰かが負わねばならぬ。其れにまだまだ無責任な大御所があちこちにいる。
一方現首相は、あと30年弱で原子力発電を止めると云いながら、作りかけの発電所の建設は継続すると云う。一旦始めた事業の転換は尽く六ずかしい。いっそ誰かが壊しに行けば諦めもつくだろう。


9/18・火
 日中晴れ時時雨。雨と日光を避けて木を切った。火曜不出社。結局今日も暑い。


9/17・月
 遠くの台風の為に南風強く、時時ざあざあと降る。相変わらず湿度が高く、やはり暑い。休日につき不出社。日中は片付けと若干の草刈りのみ。
癇癪を起した隣国の群集は色色と日本の物を壊して回ったようであるが、其の修理請求書は、東の退役軍人に回すべきである。今回のそもそもの発端はあの頭の遮断器が吹っ飛んでいる知事の愚挙である。都民として払わされるのは嫌だから、そもそもの無人島を買い込む為に掻き集めたという寄付金を使うのが本筋と云える。
それにしてもあの大きな隣国と真面目に話しが出来ないと云うのも困り物である。政権党も旧政権党も、太平洋の右側の国とずるずるべったりになって仕舞ったから、話しに行く政治家が居なくなって仕舞ったという。此れでは収まる物も収まらない。


9/16・日
 午前中は益益お酒が残り体調不良となる。沖縄辺りに台風があり、南風が吹き込み蒸し暑い。都内も時時降った。日中32度程度。隣国の騒ぎは益益大きくなる。きっと余りに暑いので腹を立てているのだと思う。こういう時は冷たい物を飲んで部屋で静かにしているのが良いと思った。


9/15・土
 朝の内に鳳生大学の後輩の社崎君から電話があり、久久に都心に行き御酒を飲んだ。午後の3時から飲んだので、前夜の御酒が消える間もない。ナイトゲームの後のデイゲームは呉呉も宜しくない。もう少し前もって連絡をして欲しいと苦言を呈す。社崎君は法曹を目指しているが、今回の試験は駄目だったようである。激励して散財して9時まで飲んで、這う這うの体で先に帰った。
外出前にグレが鳥を捕まえて来る。ムクドリの子どもか何かで、既に瀕死の重傷である。可哀そうな事をした。せめて最後ぐらいは静かな処で過ごさせてやる。グレは普段は大人しい猫だが、狩りの能力が優れていて困る。何しろ飛んでいる蝉まで飛び上がって取って仕舞う。万事おっちょこちょいのシロとは対照的である。グレにはもう何も捕まえて来るなと軽く頭を叩く。帰宅後、息の無くなった鳥を庭の隅に埋めてやった。


9/14・金
 午後出社。結局論文を仕上げる。二日で4000字を書く。退社後月波君現る。洋食店で御酒を飲んでいる内に、金曜会とも合流。何時もの通りの金曜日となる。三日結構の前だから何を飲んでも特に楽しい。相当飲んで帰った。


9/13・木
 午後出社。退社後は飲んで帰る。今日は夜まで暑い。元首相が再び出て来て、国を綺麗にしたいと云う。ならば先ず福島に行って雑巾掛けをすべきだと思った。矢張り旧政権党はどう仕様もない。他の総裁候補者も似たり寄ったりで、益益右に傾いているようである。あれでは官僚上がりの細身の男の方がまだ良かった。


9/12・水
 朝は涼しかったが、日中33度程度。もう言葉も無い。便器交換更に一台。これで当面は終了。午後出社。漸く今年五回目の給料支払われる。入試室による大学入試近し。早速審査論文の作成を依頼されるも、読みたくもない物を読み、書きたくも無い物を書くには、気温が高過ぎると思った。関東ばかり余りに晴れるので、滔滔水も無くなり始めたと云う。


9/11・火
 再び異様に暑く34度に達す。午前中は不動産屋に乗り込み、家作の傾向と対策を討議す。午後も色色と作業した。其れにしても暑くて暑くて丸で捗らず。丸で赤子の様な無力感である。夜は各地で雷雨があったようで、少しは涼しくなる。今日で震災から一年半。空き地と化した市街地には何も建たず、草ばかりが伸びている。


9/10・月
 今日も異様に暑く午後出社。33度程度。東に向って右側頭部にばかり日を当てて出勤したので偏頭痛が起こる。家人は鎌倉の長姉の処へ行く。硬膜下出血以後初めての遠出を一人で成す。
 退社後鶴木さんを探し出すと、女陰陽師の古井さんとも出合う。金曜会とはやや違う人脈だが、毎晩同じような所で飲んでいるので、この初老の女性ともよく合う。只この女性は放射能恐怖症に掛かっており、東日本産の魚や野菜をうっかり食べていると、昏昏と危険性について散散講釈されるから毎回うんざりす。
その一方吾人の湿疹を祈りによって退散させようともするから基本的には悪い人ではない。だから邪慳にも出来ない。今晩も何時もの通りになったが、此処最近この女史以外に、震災や原子力事故について話したことが無い。何十万人も避難し、仮設住宅に入った人がきちんとした家に引っ越したと云う話も聞かない。丸で忘れ去られて仕舞ったかのようである。間違った事でもいいから、もっと古井さんは方方で講釈して回るべきだと思った。


9/9・日
 空は秋だが地上は真夏となる。日中33度程度。日が暮れると流石に涼しくなるが、二階は屋根が焼けて夜でも30度はある。結局新型エヤコンを多用す。
西の青年将校は、愈愈国政進出を狙い候補者の面接を始めたようである。何しろ口喧嘩がうんざりするほど強いから、向かう処敵無しである。苦学して弁護士になり、それからタレントへ、そして地方行政から権力の中枢を狙うようである。其の行き当たりばったりの渇望するかのような出世ぶりは、丸でロックスタアか何かの様である。出来れば、歌か何かでその才能を使って貰えば、世の為と人の為になっただけに、勿体無い事をしていると思った。


9/8・土
 一日晴れて34度もある。一切の作業困難につき一日無為。


9/7・金
 大気は秋の様だったが朝からかんかんに晴れ結局暑い。午前中に介護施設に行き伯母の電話機を交換す。伯母は益益耳が遠くなって仕舞ったので、より正確に言うと黒電話の受話器部分を高齢者用の物に代えることにした。10時きっかりに工事人が来て作業す。只若干のボタン操作が必要なので、使いこなせるかどうか早速心配である。亦伯母の食欲は漸く回復し元気そうで安心す。
 午後出社。給料未だ支払われず。不愉快であることに間違いは無いが、週末なのでそれほど機嫌は悪くない。一日仕事をしなければ、一日結構である。二日しなければ二日結構である。二日結構の前なので、金曜会に出、御酒を散散飲んで帰った。帰宅後、シロとグレが見当らないので探しに行く。二十間程離れた駐車場で猫会議をしていた。飼い主への不平不満など変な事を他猫に吹きこまれたら困るので呼び戻す。 


9/6・木
 生徒が捨てて行ったチラシの中に自転車の損害保険の物があった。よく読むと中中上手く出来ている。世の中とんでもない運転の自転車が多く、態態吾人に衝突せんとするから早速この保険に入ることにした。朝からコンビニエンスストアの機械で申し込む。一年契約で五千円弱。保険の発効は来週だから今週は特に注意しなければならないと思った。契約した後になって思ったが、夜更けに起こした衝突事故まで保障してくれるのだろうか。かといって御酒を飲まない訳には全く往かないから、結局保険とは肝心な時に大して役に立たない物であると畏れ入った。
 午前中は非常に蒸し暑く午後から雨。昼前から大工さんが入って介護保険を使い拙宅を改修す。社会保障費で大工仕事までなされるとは知らなかった。何もなかった階段に手すりが乱立し鬱陶しくなる。基本的には有り難い事だが、こういう事にまで社会保険料を使われると国が持たないであろう。午後出社。退社後は漸く涼しくなった。例によって少し立って飲んで自転車急行で帰った。拙宅の電気使用量296キロワット也。冷房を多用した割には前年と同水準だから、各種新型家電殿殿が与り知らぬ所で勝手に節約してくれたのであろう。


9/5・水
 割れと晴れて再び34度に達す。水道屋さんが来て便器二台交換。今回は立ち会い不要なので楽だった。退社後、鶴木さんを探し出し飲んでいると、一月半ぶりに崎河さんと合う。幸い怪我は軽く入院も一晩だったとのことだが、何分酔っていて何が起きたのか、未だに分からないと云う。飲み過ぎには翼翼注意せねばならないと思った。
 与党の代表選挙と野党第一党の総裁選挙が共に近い。そもそも国民全般には何の選択肢も無い選挙で大騒ぎされても困る。与党代表である現首相は増税と云う満願を果たしたので最近は元気が無い。消化試合の様である。選挙をやれば必ず負けるから、もう引退する積りなのかもしれない。また一年そこそこで首相が代わることになるだろうが、前職二人に比しても悔いは無かろう。


9/4・火
 晴れ時時曇り。日中32度程度。北関東は雷雨の様だったが都内は降らなかった。少し涼しかったので、先日切った枝葉を裁断し、草を引っこ抜く。十五分作業して四十五分休憩するを繰り返すうちに夕方になる。火曜不出社。
 国会は捻転を起し閉会状態。お金を借りて来る公債特例法が通らないので秋から予算の執行が滞ると云う。入る筈の御金が来なくなっては色色と大変であろう。日本政府も貧乏学院と大差がなくなると思った。尤もまだ借りてくる当てがあるだけ増しだと思った。貧乏学院にも無責任社長にももう誰も貸してはくれ舞い。


9/3・月
 晴れ時時天気雨。午後出社。いい加減早く給料を払うように無責任社長に談判す。すると大家が家賃を上げて来たので、今年は特に苦しいと云う。家賃を上げるとは酷い話である。大体地価が下落して建物も歳を取るのだから、家賃は下がるのが道理である。
而も貧乏学院が入っている建物は空き家だらけで、一向に店子が集まらないので、前から居る店子の家賃を上げてきたとのこと。此方が容易に撤退できないのを見越しての暴挙である。物の道理を弁えない大家である。無産政党に入党して強欲者を懲らしめてやらねばならないと思った。然し家賃が上がる事と給料が支払われない事を直結して仕舞うのも、おかしな話だと思った。終始不機嫌に授業す。退社後飲んでいると雷雨に当たる。


9/2・日
 朝から時時雷雨。その合間を縫って今年の伐採を開始す。先月植木屋さんが松梅檜を切ったので、その他の桐や雑木を切る。
 どういう訳だが、入ってもいない運動倶楽部の飲み会に誘われた。誘ったのは天屋先生である。天屋先生は薬の専門家で、酔っても目茶苦茶にならない人格者である。こういう人の誘いは断れない。日が暮れてから出掛けた。行って見ると、運動の先生も一生懸命お酒を注いで回っている。お金の流れから行けば当然の話しだが、御互いサアビス業は大変だと思った。その後少し飲み直して帰った。


9/1・土
 防災の日。但し土曜なので行事は控え目であった。午前中は時時雨。実に久しぶりの雨である。午後は少し晴れたが、夕方以降亦少し降った。日中も30度に届かず。冷房機を作動せずに済んだ。涼しかったので、少し風呂場で体を洗った。此処の所の猛暑で、水に近い御湯を浴びて頭を洗うだけで精一杯だったから、さっぱりした。後は、猫を撫ぜたり、エヤコンを掃除したりしている内に直ぐに夕方になった。