2013年7月

7/31・水
 曇り勝ち。併し蒸し暑さは相変わらず。御午に出社。8時半退社。二軒ほど飲んで帰る。シロの不機嫌は相変わらず。二階に登って来ないのは有り難いが、来なければ来ないで矢張り心配である。


7/30・火
 朝方になってシロは出て来たが、シロシロと呼んで見ても、普段ならぴっと直角に上がる尻尾は下がったままで、目を伏せたまま再び縁の下に立て籠もる。どうも性格まで変わって仕舞ったようである。猫の精神科に連れて行かねばならぬと思った。
御午に出社。都立の高校に通っている生徒が、一学期の段階で落第寸前の状態となる。それでも高校を卒業して大学に行きたいと宣う。高校の勉強も出来ないのに、大学で勉強するなぞもっての外である。こういう可笑しな話がまかり通る社会があるとしたら、社会自体が既に異常な状態であるということである。八時半退社。月波君来たる。安めの居酒屋で伊那の反省会をした。日中三十度程度。
 今年は既に二万人も熱中症に掛かり救急搬送されたそうである。救急車は只だからこういう事になる。少しは乗車賃を取り立てたらどうだろう。


7/29・月
 午前から午後にかけて雨。気温は低いが蒸し暑い。御午前出社。8時半退社。シロ、喧嘩に敗れ以後行方不明。多分縁の下であろう。


7/28・日
 曇り時時晴れ。三十二度程度だが、相当蒸している。山陰は梅雨末期の様な大雨。梅雨が明けきっていないようだ。一日無為。


7/27・土
 日中三十三度に達す。而も蒸している。東北は未だ梅雨明けしていない。結局天候不順である。北から寒気が入り日が暮れた頃に大雨となる。丁度隅田川の花火をテレビ桟敷で見ていたが、花火中継は途中から台風の中継の様になり、花火大会は三十分ほど打ち上げた所で敢え無く中止となる。以後去年の模様を延延と流していたが、いっそ雨に濡れた浴衣の美女にインタヴューして回った方が面白いだろうと思った。


7/26・金
 御午に出社。夕方退社。金曜会に最初から出た。今晩の金曜会は、此の暑い最中だというのに、選りに選ってお好み焼屋であった。見ているだけで暑苦しいので御酒だけ飲んだ。二軒目に移動するも何処の立ち飲み屋も満員御礼で、滔滔おでん屋に入る。湯気を見るだけでうんざりす。飲み過ぎて帰宅。夜も特に蒸し暑い。


7/25・木
 今日も早起きせねばならないので、昨晩は早寝をした。すると午前1時過ぎに目が覚めてしまい、以後まんじりともせず。明け方近くに漸くうつらうつらとなる。
普段の生活は、眠たくなるまで起き、眠くなら無くなるまで寝ているから、睡眠時間や起床時刻と云う物を考えた事は無い。併し講習期間中だけは起床時刻が決まって仕舞う。それを考えただけで、心身に大変な負担が掛かる。此れでは世の勤め人が早死にする訳である。そもそも会社に雇われるという事からして本然の性に反している。人間は、自分で計画し、自分から必要な分だけ働くべきである。そう考えると、自営業か自由業が適当であると思った。結局ふらふらのまま早朝出社。4時退社。日中三十度程度。但し蒸し暑さは大変なもの。


7/24・水
 早朝出社。明るい内に退社し、家で静かに御酒を飲んで御仕舞い。


7/23・火
 朝から異様に蒸し暑い。御午に出社。暑さと水蒸気が飽和したのか、午後は激しい雷雨となる。数年来無かった規模である。周防で大きな殺人事件あり。あの辺の人は気性が荒いのかとも思った。
退社後は久久に晴雷亭に行く。入店は八時半過ぎ。九時までは奥さんが店番をしている。旦那が作る炒飯は不味いが、奥さんの炒飯は食べられる。大急ぎで餃子を平らげ、旦那と交代する寸前に炒飯を注文す。極めて常識的な炒飯にあり付けた。此れも退社が早い講習期間ならではの味である。


7/22・月
 日中所所晴れる。三十一度程度。今日から夏の講習なので御昼前に出社。二時間半の講座を三つ受け持った。元店長の店に少し寄って帰った。


7/21・日
 日中薄曇り。三十度程度。参議院が半分改選される。仕方なく何時もの中学校で投票す。比例代表は何時もと同じ所に投票した。集計が衆議院とは違い全国区なので、幸いにして死票にならなかった。辛うじて一議席獲得す。
併し冗談の様な経済政策が偶偶命中した結果、予想通り与党が大勝す。野党の分裂振りも酷かったが、熟熟思う事は日本国民は自由民主党がよっぽど好きなのだろうという事である。訳あって民主党に三年ほど浮気した事を詫びるかのような、胸の空く様な大勝振りであった。今更腹も立たないが、赤い葡萄酒を飲んで割と早く寝た。


7/20・土
 大鹿村騒動記を遅ればせながら見る。登場人物の心底の何処かには、五十年前の大災害がある。何かしらのきっかけが其れが表層に出て来る。一種のポストディザスターの物語としても読めるような気がした。日中も三十度に届かず。猛暑は一旦去ったよう。


7/19・金
 午後出社。そろそろ夏休みである。早速自由研究の相談が持ち込まれる。但し自由な研究とはいっても大抵は理科で、而も実験や観察を伴う物が推奨されている。結局、紙や蝋燭や石鹸を作るだとか炭酸水を拵えるだとか、江戸時代の産業奨励の様な事ばかりすることになる。丸で何処かの藩主になった気分である。
子どもの自由研究にどうして文系科目がないのだろうかと常常不思議に思う。そういえば公共ラジオでも夏休みになると子どもの疑問を受け付けている。此方も科学相談室という番組名であるから、矢張り質問は理科ばかりである。回答者に政治学者や歴史学者や哲学者の姿はない。
子どもの素朴な疑問には時として物事の本質を衝く事も多い。御札は只の紙切れなのに何故そんなに価値があるのだとか、どうして税金を払うのだとか、都心の一等地に住む菊の御一家はそもそも何者なのかだとか、警察官だけが凶器を独占しているのは不公平であるだとか、子どもが常日頃疑問に思うようなことは幾らでもある。折角の子どもの質問を、科学の名において制限すべきでないと思った。
昼は三十度ちょっと。日が沈むと東風が入り、一気に涼しくなった。元店長の店に寄って帰った。店はまだまだ試行錯誤の段階でメニューの改定も頻繁である。鶏の唐揚げが無くなっておりがっかりす。


7/18・木
 東北は梅雨の末期の大雨。午後から晴れた都心は三十三度。暑くなりすぎて夜にかけて夕立があった。本日は出社せず。涼しい午前中は日記を纏め、午後は階下で午睡す。


7/17・水
 涼しくなると猫も元気を取り戻す。従って未明に何度も何匹も登って来て安眠妨害す。雨戸まで引っ掻いて吾人を起こしに掛かる。併し目を輝かせている者を叱る訳にはいかない。適当に説教し抱いて降ろす。
午後久久に出社。夕方から通り雨。伊那と木曽で御金を使い過ぎた。今週は予算を強制削減す。即ち直帰である。夜半にかけて地震多し。


7/16・火
 昨夜から見る見る気温が下がり一日涼しい。溜まった日記を整理す。


7/15・月
 本日は長駆して大鹿村を目指す事にした。国道152号線で高遠から分杭峠を越えて行く。分杭峠は中国の気の専門家が地場ゼロであることを発見して以来、人気の場所となった。峠には駐車できないというので、峠の手前でマイクロバスに乗り換えて行って見る。
気場まで降りて努めて真面目な顔をして気に当たる。何だか何処だか良くなった気がして来る。養生は気からである。他にも大勢観光客が来ている。中には最終バスまで居座る者もいるであろう。日中関係は嘗て無いほど良くないが、長寿健康の欲求に際しては、東洋医術も西洋医学もない。使える物を使うという普遍主義が貫徹している。見習うべき点である。尤も吾人の気はそこそこにして帰りのマイクロバスに乗り、自家用車に乗り換え再び峠を目指す。峠を越えれば大鹿村に入る。
坂を暫く下ると中央構造線が露呈した所があり、車を止めて見学す。その後大河原に入ったが目ぼしい食堂は何処もやっていない。困り果てたところ、鹿喰と云う名の食堂を見つけ、渡りに船とばかり入店す。然し其処は映画のセットを再利用した食堂で、うどんそばの他にはカレーしかないという。一応鹿肉カレーと云う事らしいが、小指の先ほど大きさの肉が一つ二つ入っていた。看板に偽りありである。カレーセット900円。サラダと豆腐が付いた。サアビスのブルーベリーの煮付けは旨かった。
 その後中央構造線博物館に行く。学芸員に色色と説明される。日本列島の下には生成の年代も場所も全く違う地面がもう目茶苦茶に連なっていて、石の種類だけでも何十何百もある。高校時代に地学を選択をした吾人ですら、覚えるだけで一年やそこらは掛かるだろう。此れでは地震の予知など出来る筈がないと思った。
博物館脇には大きな崖がある。昭和三十六年の豪雨は大西山の崩壊を招き、大河原の集落を呑み込んだ。五十年経っても花崗岩が剥き出しで痛痛しい。此処は日本屈指の山岳地帯である。リニヤ新新幹線は超特大の大隧道でぶち抜く予定であるというが、途方もない御金が掛かる筈である。自然破壊もさることながら、インパール作戦の様になって仕舞わないか心配である。とばっちりを受けて東海道線が値上げになったり、飯田線が廃止になるようだと困る。やはりああいう物は、平坦な大陸国にこそ売り附けるべきであると思った。
 その後は松川方面に出、楽な道で伊那に戻った。これで日程は終了。自動車を返却す。運転係の月波君を食い損ねた鹿刺しとローメンで労った。此の店のローメンは汁ありのタイプ。テーブル上の様様な調味料で味を重ねて行く。併し中中難しい。通好みである。
伊那市から飯田線に乗り、岡谷であずさに乗り換える。復路は座席指定を取った。但し二号車である。間の自由席が混むと車販員はやって来られない。大急ぎで車販員を掴まえて、御酒の他に松本の弁当屋が作った五目飯を購入す。840円。値段の割に具も豪華で量もあった。駅弁など家で食べると実に貧相だが、車中で食べると流石に旨い。序でに笹子餅も購入し売り上げに貢献す。22時37分定刻新宿着。其のまま帰宅。


7/14・日
 月波君は下戸ではないが、自動車の運転が得意である。ハンドルを握っている間は疲れを知らないというので、木曽の方に脚を伸ばす。途中御嶽神社に立ち寄る。月波君に依ると随分立派に建て替えたそうである。一個千円の石に願い事を書いて奉納す。その後、赤沢に行く。此処は森林鉄道が少しだけ保存されている。1キロちょっとの線路を行って帰って八百円。トロッコ車両は満席と云う盛況ぶり。
 木曽福島蕎麦屋に入る。盛り蕎麦二枚一組で千円になっている。店内は満席。流れ作業で拵えているのか、蕎麦はまず一枚だけ運ばれて来た。以後茹であがり次第二枚目の登場となる。東南アジア出身の女将さんが、何となく可笑しな日本語をてきぱきと使って押し寄せる御客を捌いていた。言葉が面白いと雰囲気も和らぐ。再び権兵衛峠を潜って伊那に戻る。


7/13・土
 余りに暑いので伊那の伯母の家に避難することにした。鶴木さんや仲田大将も誘ったが、行くの往かないの、出発時間が遅い早いと言っている内に滔滔来なくなった。結局今回も月波君との二人旅である。14時半に新宿駅の10番線に行く。プラットホームで自由席を待っている間、此処を舞台にした有名小説を読もうと思い、行き掛けに田崎何とかの本を購入す。併し暑くて暑くて読書どころではなし。最後の所を少し読んで御仕舞にした。感想としては可も不可もなし。新宿勤務の鉄道員なら、先ずはあずさやかいじに乗って見るべきであると思った。
 月波君と合流し15時の特急に乗り込む。相い変わらずのあずさ号である。指定自由とも満席となる。名古屋の会社は東海道新幹線で儲けた御金を全部注ぎ込んでリニヤモーターカー新新幹線を計画しているようだが、幸い諏訪や松本の辺りには行かない。だから中央線の特急は今後もずっと走り続けるだろう。謂わば終身雇用である。高速バスの他には大したライバルもいないから、257系と云う車両は何だかのっぺりとしたやる気のない顔をしている。
 甲府で通路とデッキに溢れていた御客が綺麗に下車す。あずさとかいじでは所要時間は10分も違わない。遠くまで行くあずさと甲府止まりのかいじは大抵交互に出ているが、甲府に用のある御客も結局あずさに乗って仕舞う。あずさで態態立って行くより、かいじに座って行く方がどう考えても快適であるが、何度あずさに乗っても同じような光景に出合う。毎回不思議でならない。客が大勢降りたので、漸くやって来た車販員から御酒を追加購入す。
岡谷であずさを降りる。当たり前のことだが、中央高地だから列車を降りても涼しい。夏は此の感覚が実に心地よい。飯田線に乗り換え。名古屋辺りで走っていた車両が転属されている。転換クロスシートの快適な車両である。併し人員削減は着着と進んでいる感じで、伊那北の駅まで無人化されていて驚く。東海道新幹線一日分の揚がりで、東海の全地方線区の一年分の赤字など埋まるであろう。つくづくけちな会社であると思った。
その後自動車整備工場に預けてある伯母の車を受け取り、ローメンの店に入る。ローメンとは羊肉を使った焼き蕎麦の亜流で、最近の伊那の名物である。店内は超満員。多くの御客が御酒を飲んでいるから、夜はほぼ居酒屋である。月波君は運転係なので吾人だけ御酒を傾ける。馬のもつ煮が塩味であっさりしていて旨い。750円。此処のローメンはソース味。味は違うが、麺を頬張った時の感覚は都内のラーメン次朗に近いと思った。その後10分ほどの運転で山荘に移る。伊那の山際は尚涼しい。良く寝る。


7/12・金
 依然三十五度が続く。午後遅く出社。漢字検定。以後絶筆。


7/11・木
 今日も三十五度。午後出社。何処の立ち飲み屋も混雑していたので、元店長の店に避難す。鶏の唐揚げが案外旨く、御飯と味噌汁のセットを追加で取り寄せる。それらを肴に結局麦焼酎二杯飲んだ。御酒に御飯とは節操がないと思われるかもしれないが、食べたい物を食べるべきである。小地震多し。


7/10・水
 連日の三十五度。朝も精精二十七度までしか下がらない。朝も十分暑いから、朝の冷気を取り込み、気温が上がって来たら二重窓で外気を締め切るという作戦も出来ない。結局朝の九時前後から冷房機を稼働さす。太陽光発電が欲しい。出来れば政府が配って欲しい。而し汗を拭うのと汗疹の治療で選挙情勢を知る程の余裕も無い。午後這う這うの態で出社。退社後は元店長の店で飲んでから同様にして帰宅す。漸く今年三度目の給料支払われる。但し貸したお金の返却は無し。


7/9・火
 連日の三十五度。もう言葉もない。一日無為。


7/8・月
 今日も三十五度。関東以西も一切合切梅雨明け。午後遅く出社。暑いので自転車でのったりと行くと、往来に制服姿の学生が集まっている。聞けば部活動の帰りに女学生が倒れたとのこと。水泳部なのに熱中症とは可笑しなことだと思ったが、倒れた女学生は運営係りだというから水には入っていないのだろう。運営係りにも瀟洒な水着を着せ、水に入れなければならないと思った。
救急隊は間もなくやって来た。救急隊員は真面目そうな顔をして救急車から下りて来たが連日の出動で過労の色は隠せない。其れは救急車のサイレンの音色で十分わかった。そもそもが間延びしてやる気のなさそうな音をしていた。大体、年寄りならともかく若者の熱中症如きで毎度毎度救急車を呼ぶべきでない。熱そうにしてふらふらしている者がいたら、先ずは近くの喫茶店や甘味所で休ませるべきである。店に担ぎ込めば、店主や常連客が扇風機や冷たいおしぼりを持って来て親切にするだろう。増して其れが女学生で、店主や御客が男性ならば、尚親切にする筈である。そして一時間も寝かせれば大方回復するに違いない。中には好い物が見られたと言って、付添いの学生に御茶を御馳走して恰好を附ける御客もいるかもしれない。その後タクシヰに載せてお仕舞いである。精精その程度の人情沙汰で済むことを、態態行政機関に頼む方が可笑しい。こういう事が出来なくなったのは、世の中にきちんとした店がすっかり無くなったのと、同行者を気前よく休ませる余裕が無くなったせいだと思った。
夕方にかなり降ったが、全体を冷やすほどではなし。退社後、元店長の店で咲子さんと合う。咲子さんは弁護士事務所で事務員をしている。事務所が大きな案件を担当することになり、御蔭で仕事が忙しいという。例の胡坐なんとかの件である。被害額は戦後最大になるという。銀行に御金を預けるだけでは飽き足らない人たちが、此の牧場型詐欺にごっそり引っ掛かった。
尤も牛を増やして大儲けと云うほどでも無い。年利は7%前後だというから、多くの出資者は危ない橋だとは思わなかったようである。少し前まで、郵便局に御金を置いて措くだけで十年で倍近くになったものだから、そういう時代を知っている人ほど、低金利の時代が我慢ならないのだろうと思った。
そもそもなぜ斯うも金利が低いのかと云うと、御金を借りて実業を興そうという人がいないからである。なぜ事業を興す人がいないのかと云えば、世の中が開発され過ぎて、もはや発展の余地がないからである。此れは牛にとっても同じことで、折角牛を増やしても有り難がって食べてくれる人がいないから、此の事業が行き詰まるのも当然であろう。(此の件はそもそもの詐欺では無く、当初は一応きちんとした投資実態があったらしい。)
大体、ゼロに近い金利をさらに下げ、いっそ金利をマイナスにしようだとか、破れかぶれで貯蓄税を掛けよという案すら出て来る時代である。預けて措くだけの余分な御金があって、其れが無くならないだけでも先ず感謝すべきなのに、色色と色気を出すから騙される人が後を絶たないのだと思った。一時間ほど御話し咲子さんを見送る。今晩は割と機嫌良く飲んで帰った。


7/7・日
 拙室のテレビジョンの設定を翼翼観ると、画面だけを消し去ることが出来ると今更ながら判明す。今年の節電策は此れである。日中は愈愈三十五度に達す。よしずを緊急配備す。早速両膝の表裏に汗疹が出来て辛い。もう何も出来ない。夕方に一雨あり。


7/6・土
 5時起床。朝の内から溜まった日記を纏める。その途中久久にぐらっときた。朝から侃侃に晴れる。九州より早く関東甲信が梅雨明けす。先日の暑中見舞い葉書、郵便局員には引き渡したが、まだ配達されていないだろう。間もなく梅雨も明け、という件りがふいになったと思った。気温三十三度。こうなるともう何も出来ない。冷房機初稼働さす。夜は缶麦酒を二缶のみ。


7/5・金
 拙宅の電気使用量172キロワット。前年比12%減。毎朝聴く民放のラジオ番組で、選挙期間になったので政治について何も言えなくなったと、ベテラン司会者が嘆いていた。肝心な時に肝心な事が云えないのでは、一種の言論統制である。
昨夜の御酒が残り日中までふらふらす。更に南風が吹き続き、晴れても無いのに気温は三十度近くとなる。午後出社。散髪す。退社後は最近出来たネパール料理屋に急いで行く。金曜会合議で飲み放題付きで三千円に値切った結果、料理の品数がとことん少ない上に、其れも途切れ途切れしか出て来ない。仕方なくほうれん草のカレーを別注文す。厨房の手際が悪いのか、ネパール人の時間感覚がそうなのか、厨房から出現するまで四十分も掛かった。五分で食べ終わる。御酒の巡りが良くなく悪酔いしそうだったので、他の酔っぱらいを遺棄して早めに退散す。
普段はタクシヰの倉庫の様になっている駅前ロータリーに珍しくタクシヰが一台も居ない。幹線道路は実車が列を成して凄い勢いで下って往き、反対車線は空車が同じ様に上って行く。特別賞与の時期特有の晩である。併し電車もバスもまだふんだんにある時間帯である。勤め人というものは随分勿体無い事をすると思ったが、矢張り公共交通機関の混雑には万民が閉口しているのだと思った。


7/4・木
 南風吹き荒れ愈愈蒸してきた。家作の中にだらしない人がいて、ごみを通路に置いては烏に散乱させている。片付けながら散らかった物を見れば、分別もあったものではない上に、未開封の加工食品なども出している。随分贅沢なごみであると思った。併し翼翼見た所、きちんと食べた形跡があるのはカップ焼きそばぐらいで、実質的には倹しく暮らしているようである。それにしても買い物に夢中になる人は居ても、捨てる時のことまで考える人は稀である。此れでは収集員も不憫である。ごみに着せるネットを貸与しようと買いに出掛けたが、何処にも売っておらず。仕方なくネットで注文す。
 午後出社。宣伝用に大量の暑中見舞い葉書を出すことにした。宣伝文面を複写機を使って葉書に写す。配達員の話しだと、籤付き葉書は抽選日まで捨てられないから、持ちが佳いという。
手元の名簿記録が古いので一生懸命宛名を書いて出しても三割は返って来てしまう。今回は宛名書きを省略して、子どもが多そうな集合住宅に適当に投函して貰うことにした。配達区域指定郵便と云うサアビスである。郵便局も色色なことをやり始めたと感心す。吾人が幼少の頃など、年賀状を買いに行けば売り切れた、切手を買いに行けば此処は時間外窓口だから売ってないなどとけんもほろろに謂われた物である。退社後は立ち飲み屋と元店長の店を歴訪す。一時頃帰宅。


7/3・水
 俗に議会制民主主義と云う。此れは複合名詞だから、民主制と議会制は別別の起源を持っている。民主制は古代希臘の全員参加の民会が起源であり、議会制は中世欧州の三部会である。三部会は身分制を前提としていたから、今もって議会政党は各各の階級利益を背負っている場合が多い。尤も自民党は例外で、御金持ちから零細な農家や商店まであらゆる階層を代表しているという不思議な政党である。この不思議政党が戦後一貫して支持を集め続けたのは、経済成長と云う例外状況があったからで、膨大な貿易黒字を適当に分配しさえすれば良かったのである。そして対抗馬である民主党にも、劣化した自民党の受け皿と云うぐらいしか然したる特徴がなかった。あらゆるものを代表しているというのは、結局何も代表していないのと同値であるから、風の吹き方次第で、政党支持はあっちに転んだりこっちに来たりすることになる。そうなると、きちんとした政党政治を造るには格差がもっともっと拡大して、国民が階級によってしっかり分断される必要があるが、何だかそれもぱっとしない未来図であると思った。
 日中南風が吹き荒れ、湿度は上昇す。併し陽が大して出なかったので、まだ涼しい。養生しようと退社後も二杯だけ飲んで直ぐに帰った。


7/2・火 
 ハンゲショウと入力しても変換されない。半夏生である。雑節の一つで、昔から蛸を食べるものだとスーパーマーケットのチラシに書いてあった。調べて見ると、稲の作付けを終わらせる目安の日で、関西の農家は骨休めに蛸を食べたと言う。もうこの国に農民など幾らもいないのに、流通業も経営が大変だから、苦し紛れに色んな行事や食習慣を見つけて来て広めようとする。御蔭で暦にも詳しくなった。数日来の鯨飲馬食に因り胃腸が相当弱る。一日安静にし御酒も無しとした。

 
7/1・月
 円安に因って油代が上がるのは、飛行機や自動車だけでなく人間も同じであって、食用油やマヨネーズなどが値上がりとなる。大体脂の取り過ぎは宜しくないのだから値上げは歓迎である。此れを機に少し痩せればいいと思った。
朝方にかけてシロが何度も登って来て安眠を妨害す。日中薄い晴れ。退社後は結局結構飲んで帰った。