2013年8月

8/31・土
 今日も三十五度もある。午後久久に伯母の様子を見に行く。頭の中は相当弱って仕舞ったが、肌の色つやも良く、去年の今頃よりずっと元気である。
その後小田急線で新宿に向かい、橙隠学園の同級生有志との小クラス会となる。概ね四年ぶりである。総勢七名集まった。その内妻帯者は四名。大会社勤務は三名。起業した者一名、転職者一名、自由業一名。思い出話をしたり、近況を話したり、楽しく過ごした。
週末の新宿は流石に凄い人の出で、それが最後にはあらゆる雑居ビルから這い出して洪水のように駅に押し寄せて家家に帰って行く。吾人も一緒になって最終電車の二本前で帰った。


8/30・金
 芥田先生と泊った福島の温泉旅館が炎上す。敢え無く全焼とのこと。芥田先生が修士論文を御書きになったのが所縁で、十数年前のゼミ合宿を当地で行った。寒い時期に二泊した筈である。当時の学生は尚少なく、先生の御部屋に炬燵を並べて確か丸山先生の「忠誠と反逆」を読んだ。古宿の電灯は余りに暗くて、宿の人に頼んで電気スタンドを仕立てて貰った。而しそれも豆電球に毛の生えたような子ども用の実にちゃちなもので、物の役には立たなかったと記憶している。
他に覚えて居る事と云えば、帰京の朝に番頭さんが入れてくれた珈琲が予想外に旨かったこと。水が佳いから旨いのですと説明されたが、珈琲と言う物も奥が深いと物だと感心した。元来砂糖に乳清をたっぷり入れた吾人の珈琲を、何もいれない事にしたきっかけの宿でもある。古い建物は良かったが、災害には頗る弱いのだと思う。誠に残念である。
 遠くの台風が南風が吹き付け日中三十六度に達す。教室の方から強力な扇風機で職務室に冷風を送り込むも幾らも冷えず。元元職務室のエヤコンは全開にしても大して冷えなかったから、どうにも仕様がない。止むなく教室に避難す。エヤコンもパソコンも、更新費が払えないから、どれも壊れる寸前である。つくづく大貧学院は最早どう仕様もない。退社後は少し飲んで帰った。咲子さんは暫く語学留学するという。何だかまた取り残された感じがした。


8/29・木
 消費増税の見返りにせめて景気対策予算を大盤振る舞いしろという声が聞こえて来た。御蔭で来年の概算要求は史上最高額だという。併し公共事業とは何の関係もない仕事をしている身からすれば、増税はされるは、関係ない事業で税金は使われるは、正に踏んだり蹴ったりである。
一方政府は有識者を山ほど呼び出して、増税の可否のついてまたぞろ意味の無い議論をしている。どう考えても、増税が景気を冷やす事は事実だし、また増税しなければ財政破綻の危険が高まることも事実である。つい一年前、後者を回避しようと増税の決定を下した訳だが、その決断すら覆しかねない勢いである。簡単に覆って仕舞うような決断ならば、してもしなくても同じである。
日中三十二度程度。湿度が高い。午後出社。


8/28・水
 日中は侃侃に晴れて三十三度。其れでも湿度が低いから比較的凌ぎやすい。前日の試合結果は、十対八で中日の勝ちだと新聞紙上で確認す。観客は二万二千というから、麦酒目当ての御客が数千人はいたようである。御午になっても頭がぼんやりす。内装屋さんが三号室の見積もり書を持ってきたが、文字と数字の羅列に全く目が通らない。全て自然承認す。
 午後出社。夕方になっても何だかふらふらす。今年四回目の給料支払われる。職務室の二十年物のエヤコンディショナー遂に壊れる。壊れたのは不幸だが、せめて先週の暑さの最中でなくて良かった。併し買い替える御金に余裕は無いから、また無責任社長に無心されそうである。夜になっても胃の中は優れず、其のまま帰宅す。直接的には一円も使わず。


8/27・火
 朝方は二十度まで下がる。凡そ二カ月ぶりとのこと。午前中、三号室に取り付ける電灯を量販店に買いに行く。LED方式。一年前一万円で売っていた物が、更に高性能になって八千円を切っている。家電の進歩は凄まじい。
 夕方メトロに乗って神宮球場へ出掛ける。ヤクルト中日戦を観戦す。今年の中日は選手の端境期に当たり、成績は頗る低迷している。其れでも見に行こうと思い立ったのは、麦酒が半額になる年に二度の特異日であるからである。月波君や客間君を誘う。更に半額の噂を聞き付け、仲田大将と意中の人まで同行す。普段なら鞄の底に隠して持ち込む缶麦酒をただの一本も持たず、堂堂と大手を振って入場す。
 生麦酒が三百五十円、缶麦酒に至っては二百五十円だから、正に御伽話しにある麦酒の国に居るようである。ついつい飲み過ぎる。尤も試合の方は選手が麦酒の匂いに集中力を切らしたと見えて、両投手とも四球を次から次へと出し、目茶苦茶な試合となる。だれ切った試合でも酔って仕舞えば、何時ものと同じに飲むことと出す事にのみ集中す。
 八回ぐらいに漸く落ち着いて内野を見渡す。すると投手が二人もいる。成るほど二人で一緒に投げて抑えようとしているのかとも思ったが、一塁手も二人、二塁手も二人、遊撃手も三塁手も二人ずついる。要はものが二重に見えている。もう随分飲み過ぎたと思った。
気が付くと月波君と大将と意中の人は何処かに出掛けて仕舞ったよう。飲み過ぎて七転八倒している客間君と野球場に置いてきぼりを食ったようである。幾ら麦酒でもあれだけ飲めば吾人もふらふらである。ふらふらの吾人がぐったりの客間君を介抱し、試合終了を見届けてから独りで家に帰った。


8/26・月
 日中三十度に届かず。午後出社。元店長の店が女店員を雇い入れたので吃驚す。雇用拡大できるという事は何とか経営も軌道に乗ったのだろう。何だか緊張して飲んで帰った。すると予報に反して日付が変わる頃から大雨となり、家に辿りつく寸前で激しく降られる。やっとの思いで濡れ鼠となって帰還す。


8/25・日
 午前中は小雨。午後も曇り勝ち。日中二十五度程度。漸く三十度を切ってくれた。この間の暑さは、筆舌に尽くし難かった。本当に辛かった。一日昼寝をしたかったが却って忙しい。草取りに、日用品の買い付け、各方面の掃除に追われ、普段より草臥れる。二カ月ぶりに湯船に入った。


8/24・土
 朝から蒸し暑い。日中三十四度程度。ただ夕方から北東の風が入り、夜は冷房が不要な程に涼しくなる。併し此れで漸く平年並みである。


8/23・金
 元有名歌唄いが墜死する。十三階からついうっかり落っこちて仕舞ったという。此れだから塔の様な集合住宅は危ないと思った。
そもそも高さと云う物ほど危ないものはない。先ず第一に落下の危険があるが、人人に余計な感情を植え付けて仕舞う点が更に危険である。例えば雲を衝く様な建物あるとして、その最上階にいる者は大抵は富と権力の亡者と相場は決まっているし、我我庶民ですら展望台に上ると、つい世の中を俯瞰した積りになって、ともすれば嫌な奴の頭に石の一つでもぶつけて仕舞おうと思う筈である。即ち高さは人を攻撃的にする。
その最たるものが爆撃機である。だいたい航空技術が不十分で、どんな優秀な飛行機でも精精百メートル程度しか飛び上がれない世界があるとすれば、飛行機は軍事民事に限らず毎回すいませんすいませんと態態断って、頭の上を控え目に飛ぶ筈である。其の中にもしも無礼な飛行機がいれば、忽ち大凧か手製の高射砲で嚇かされるであろう。そういう世の中ならば、まかり間違っても人様の上に爆弾の雨を降らせようとは、思いもよらない筈である。
而し技術と高度がどんどん上がって何百何千米となって仕舞えば、もう人の声は届かないし、大砲の弾も当たらない。やりたい放題の空襲し放題になるのである。高く高く、もっと高く成るべく高くという発想が、如何に多くの人命を奪って来たのか、人類はそろそろその愚かさに気付くべきであると思う。
話しは大部逸れて仕舞ったが、高さは凶器であるという認識を呉呉も忘れてはならない。特に高層住宅に住む者は、その大変な凶器と常に隣り合わせで生活していることを肝に銘じておくべきである。今回の不幸な事故も、恐らく何かで悩んでいたところ、ふと油断した瞬間に窓外から何者かに呼び出され、つい建物の外に吸い出されて仕舞ったのだと思う。死ななくてもいい人が、態態建物から落っこちるのだとしたら、人人はそんな心配の無いもっと平たい家を建てて住むべきである。其れが厭なら、落っこちないように建物全部を金網で覆うべきである。
午後小雷あり。自転車保険の更新す。四千七百円余り。自転車の保険など最近まで存在すらして無かったが、去年何だか心配になってついうっかり入って仕舞った。自転車如きで滅多に大事故にはならないが、其処に保険があれば直ぐに入りたくなるのが日本人である。つくづく日本人は心配性だと思った。亜米利加の保険会社などは、日本人の心性に附け込み、滅多にならない病気のことをあれやこれやと持ち出しては、要らない保険証書を売りつけて相当稼いでいるという。さもありなんである。
夕方出社。学校が長く休みだと、どうも幼児退行を起こすようで、中学一年の授業など幾らも進まなかった。折角中学に上がって苦労して得た四か月分の成長がぱあになった感じである。こうなると秋から新学期を開始するという方が合理的かもしれないと思った。金曜会出席。新しい伊太利亜食堂で、葡萄酒を飲み過ぎて帰る。夜は小雨。漸く涼しくなった。


8/22・木
 林立させたタンク群から放射性物質の混じった水の流出が続く。何分突貫工事だったから不具合も起きるのだろう。東京電力を責めるのは容易いが、此処は何とか上手くやって貰うしかない。多分に汗だくの作業員に祈るばかりである。
昨夜の雷雨が効いたのか朝から涼しい。というほどでもなく暑くないという程度。しかしどんどん日が差し込み、結局日中三十四度近くになる。午後遅く、建物の影が十分長くなるのを待ってから出社。何処の店も冷房力が不足して閉口す。


8/21・水
 日中三十四度。草取りも出来ず。午後から所所雷雨となる。退社後も御酒を飲まずに直ぐ帰った。夜になってもあちこちで稲光がしたが、世田谷南部は結局一度しか降らなかった。


8/20・火
 前首相が自党を叩き壊してまで決めた来年の消費税増税であるが、現政権は景気が何だか微妙に回復してきたことを口実に、何時の間にか反故にしようとしている様である。全く不思議な話しである。デフレーションの最中であっても、財政破綻するより幾等か増しだと言って漸く決めた増税が、出鱈目な金融政策で紛ぐれにも景気が良くなってきたので勝手に延期しようしている。本来ならば、景気が良くなってきたのでもっと増税しますというべき所で、あべこべに増税を停止するのだとしたら、全くもって因果律の法則が成立していない。
無論経済が拡大すれば増税しなくとも自然に御金がざくざく集まるという魂胆もあるだろうが、どう考えても日本経済は現状維持が精一杯で、経済成長というものは疾っくのとうに終わって仕舞った国である。御金が足りない分は増税によって全国民から取り立てるしかない。だから成るべく徴税期間を長く取って、急激な増税を行わないよう、増税は一日でも早く、一円でもいいから始めるべきである。
起きた瞬間から三十度もある。二階の七号部屋の換気扇の交換以外は日中閉じこもる。夜になって月波君と客間君来たる。千円飲み放題という文句に誘われてついチェーン居酒屋に入る。元を取ろうと麦酒を飲み過ぎる。二軒目の中華料理屋では幾らも食べられなかった。


8/19・月
 日中三十五度に達す。二階の三番部屋が空いたので、内装屋さんを呼んで見積もりを取る。少しの立ち話でも汗が吹き出て来る。午後一週間ぶりに出社。給料を早く払うように謂って帰る。元店長の店に寄り、厭なことは早く忘れる様に努めた。


8/18・日
 日中三十四度程度。南風が吹き荒れ案外すっきりと暑い。日曜の夕方はテレビアニメーションを見る。例の宇宙戦艦の平成新作版である。一隻の戦艦で宇宙の大帝国を打ち破るという本線の話は修正の仕様がないが、旧作の細細とした矛盾点が上手に修整されていて、中中良く出来ていると感心す。それにしても四十前にもなって、こういう軍記物をついつい見て仕舞う。戦艦であるとか、戦闘機であるとか、あるいは汽車と云う物についての関心が衰えないというのは、吾人の中の幼児性がつくづく抜けないのだろうと思った。


8/17・土
 日中三十三度。多摩川の花火は無事に済んだ。地元の有線放送で観賞す。丁度数十秒遅れで音が伝わって来るから少しは迫力があった。


8/16・金
 今日も三十四度に達す。日中外出せず。埃及は既に内乱のよう。


8/15・木
 日中三十五度程度。其れでも先ほどの体温を越えた日よりは確実に涼しい。午前と午後に一時間ずつ草木を切った。夜半にかけて何度も上厠す。酒田の観光地図を見直しながら、当日の行動を反省す。料理屋に辿りつかない物だから、御金が案外残って仕舞った。何だか却って損した気分である。
 首相は安国神社には行かなかったそう。恐らく米側から圧力が掛かったのだろう。福知山の花火では露店が炎上し、諏訪湖の方は雷雨で水浸しになる。もう二十年も花火大会と云う物に行ったことは無いが、花火を見るのも命懸けである。


8/14・水
 今日は磐越西線を経由して帰京しようと思う。別に遠回りと云う訳ではない。昭和の初めに国境の隧道が出来て上越線が開業するまで、東京から新潟に行くには、会津経由か碓氷峠を越えて行くしかなかった。其れに先日の中越地震上越新幹線が壊れた時は、磐越西線に臨時快速を走らせたから、云わば正当なルートである。
折角だから蒸気機関車が曳く列車に乗った。新潟9時43分発。しっかりと煙を吐いているから吃驚した。SLと言っても、後ろに内緒で電気機関車ディーゼル車を繋いだ偽装SLが多いなかで、この列車は本当に蒸機が7両の客車を引っ張っている。だから、本当に煙をもうもう吐いている。併し何かと非常識な世の中だから、列車が火災を起こしているなどととんでもない通報をされそうで心配である。そうでなくても、洗濯物が汚れたとか、喘息にさせられたなどと苦情が出ないか一層心配である。
煙を轟轟と吐く機関車も元気だが、車掌も元気である。大声で乗客に挨拶して廻っている。志願しての任務だろうから、どちらも士気が高くて結構である。更に事務系の職員まで乗り込んで来て、汽車旅はどうですかどうですかと聞いて来る。沿線では大勢人が出て手を振って挨拶してくれる。ちょっとした行啓気分である。
客車は七両だが御客が乗っているのは五両である。残りの二両は売店と展望席と、子ども用の座席になっている。この列車は会津若松まで四時間近く掛かるから、子どもは退屈するだろう。だから列車には幼稚園の先生の様な人も乗っていて、幼な児には御絵描きをさせている。一方大人の方には生麦酒まで出してくれる。実に至れり尽くせりである。
吾人は何時間列車に乗っていても一向に平気だが、世人の多くはそうではない。車内を見廻すと、わあわあ興奮しているのは概ね最初の15分で、30分経つと車内をうろちょろし始め、45分後には寝て仕舞うか、何とかホンに目を落とすような御客ばかりである。列車に乗ることに慣れて居ないと見える。あるいは退屈に耐える訓練が足りないのかもしれない。
退屈な時は知人を呼び出すと佳い。取り敢えず月波君を思い浮かべてみる。相い変わらず、二人で意味のない会話の遣り取りをした。次に仲田大将を登場させる。毎度毎度御酒の飲み方が意地汚いと苦言を呈す。実際に居ない者なら、幾ら叱っても、此方が叱り返されることは無い。独りで旅行する時ほど、色んな人と話しをすることは無い。尤も本来なら御酒を飲みながら面接を行うのだけれど、先日来の飲み過ぎで幾らも飲めず。すると時間が中中縮まないから、大部時間が掛かった感じがした。つくづくもっと丈夫な胃腸と肝臓と佳い知人が欲しかった。
終点の会津若松で下車。駅前食堂で大急ぎでラーメンを食べ、再び列車に乗り込む。今度は近代的な電車である。観光帰りの御客で六両の快速は満員となる。郡山で東北線に乗り換える。するとどういう訳だか二両しかない。会津からの御客の大半は新幹線に乗り換えた筈だか、天下の東北本線だから、仙台方面から上って来る御客も多く、都会顔負けの超満員となる。吾人も漸く体をねじ込んだ。押し屋が欲しいくらいである。中の方に潜り込み、落ち着いて立って見る。列車は走り出したが、乗り降りに時間が掛かりどんどん遅れて行く。最初4分の遅れが、黒磯に着く頃には8分に拡大す。途中駅で乗ってこようとする御客のあっけにとられた様な顔が可笑しかった。それにしても東北線の各駅は実に立派で長いホームを持っているが、其処に止まる列車が二両しかなく、しかも超満員なのだから、傍から見て居てもなんとも不釣り合いで、可笑しかろう。
 草臥れたので黒磯からは二等に乗った。快速の上野行きである。列車が遅れ、二等券を買う時間がなかったから1200円も支払う。二等券を車内で買うと250円高い。尤も御金を無駄にする為に態態二等に乗るのだから、高ければ高いほど佳い。いっそ一等を附けて欲しいくらいである。二階建ての二等椅子に腰かけウヰスキーの炭酸割りを飲む。この旅の最後の御酒とした。こういう御酒は尚旨い。
二等車は編成の良い所にあるから、宇都宮も小山も丁度蕎麦屋の横に止まった。二階から見渡すと、中学生らしい集団が盛んに食べている。御代りまでしている者もいる。何だかやけに旨そうで、乗務員を呼び付け出前を取りたいぐらいであった。実際、北海道の特急に乗ると事前に駅弁当の注文を取りに来て、途中駅で弁当を積み込み配達するサアビスがある。併し車内で温かい蕎麦をずるずる食べられたら、迷惑だろうと思った。そもそも駅の弁当が冷たいのは、においが立たないためであって、本当は出来立ての熱熱を食べるのが最も旨い筈である。
平坦な関東平野の詰まらない景色を眺めながら、改めて濡れた紙で顔を拭くと案外汚れている。鼻の中なぞ煤が付いている。冷房付きの密閉した客車でもそうなのだから、何も無い時代は大変であったろう。無煙化はお客にとっても鉄道員にとっても悲願であった。石炭から石油と電力へ。その次は何を持ってくるべきかなどと思案す。
而し快速と言っても黒磯から上野まで160キロを二時間半も掛かる。電気を使っても大して速くない。何時まで経っても着かない感覚である。遅い上に二等料金も高いから、あれだけ列車と鉄道員に親切にされた思い出も、もう丸っきり帳消しである。横にしていた腹が段段立って来るあたり、東京が近づき平素の感覚に戻って来たのだと思った。目黒で降りて、列車冷房で冷えた体を一番屋のカレーで温めてからバスで帰った。


8/13・火
 朝の内から魚市場を見学す。併し市場内の飲食店は余りに貧弱で御魚は食べられず。饂飩を食べて御仕舞とした。9時50分発の酒田行きに普通に乗る。昨日と同じ軽快電車である。午前の佳い時間の列車は此れ一本しかないから、列車はまあまあ混んでいる。暫く乗って酒田に着いた。
 酒田の街は御午だというのに真夜中の様に殆ど人が歩いていない。而し魚市場だけは何処からか人が押し寄せ大変な混雑で、併設の観光食堂は一時間も待つという。がっかりして別の店を探す事にした。海があって、市場があっても、料理屋が無ければ御客の口には入らない。文字通り絵に描いた御魚である。
 漸く一軒探し出し、カウンターに陣取る。清潔そうだし、佳い店だと確信す。早速女店員に麦酒を注文す。すると御午はお酒は出しませんと、にべもなく断られた。吾人は改まって御酒を飲むときには必ずと言っていいほど、刺し身を食べる。また刺し身を食べるときは必ずお酒を飲むようにもしている。なのに此の店では、魚は出せても御酒は出さないという。客の我儘を許さないとは、何と我儘な店である。腹が立ったので何も注文せずに直ぐに出てやった。
併し次の店は一向に見付からず、暑さで頭がくらくらして来たので、偶偶目に着いた食堂に入った。麦酒は直ぐに出て来たが、あとはラーメンにかつ丼ぐらいしかない。これらは、国の拘禁施設から出て来たばかりの人が頼む物であって、物見遊山の者が注文すべきものではない。結局麦酒を二本飲んで、中華蕎麦をすすって御仕舞とした。つくづく、秋田も酒田も、吾人に御金を使わせない魂胆の様である。
酒田からは快速きらきら号に乗った。変な名前で目茶苦茶な塗装の派手な列車だが、一両丸ごと売店とラウンジになっている。四両編成のうち一両が御客を載せない計算だから、贅沢な列車である。早速売店で御酒と弁当を買い求める。日本海を見ながら御酒を飲んだ。ラウンジも眼をぎらぎらさせた酔漢などはおらず、至って御行儀が良い。景色佳し、御酒佳し、弁当の中は今一つだったが、結構、結構、正に結構の極致である。どうしてこういう列車をもっと走らせないのか、JRも営業精神が足りないと思った。
 村上あたりから普通の御客も乗って来て、観光列車と云う感じではなくなる。新潟着18時11分。着いて仕舞えばもうすることは無い。一目散に宿に向かう。駅前の商用ホテルだが頗る快適である。一泊三千五百円。全館冷房も効いているし、あれやこれやと用事を言いつけに来る家人も、電話も来客も来猫もないから、誠に安心して休める。都心のホテルと云うのも、避暑地としては案外上等かもしれないと思った。以後昏昏と眠りつづける。結局今夜も御酒も御魚にも辿りつけなかった。


8/12・月
 今日から一週間は大貧学院も御休みである。何にも用がない。だから何処かに行って見ようと思った。今年は特に暑いから、東北に行こうと決めた。尤も、東北に行って特に見たい所もない。見た所で恐らく腹の立つことばかりである。だから、今回は何も見ないように、列車で移動するだけにした。
折角列車に乗るのだから、なるべく質の良い列車に乗りたい。幸い東北には色色と観光列車が走っている。だから観光列車に乗るだけの列車観光をしようと決めた。色色と思案した結果、仙台を9時過ぎに出る列車に乗ろうと思った。陸羽西線経由新庄行きの快速みのり号である。此れに乗るには新幹線に乗らなくてはならない。早速時刻表を開くと、早い時間ははやて号ばかりがある。はやて号と云えば、出て来た当時は文字通り速い印象があったが、更に速いはやぶさ号が出て来てしまい、今では二番手である。中には仙台以北全駅停車と云うのもある。東北新幹線は列車のインフレーションが酷い。
其れだけでは大して困らないが、価値の落ちたはやて号も未だに全車指定席である点が宜しくない。此の時期だと座席指定料が710円もする。只座れるという安心感だけにそんな大金は払えない。自由席の付いたやまびこ号を探したところ、6時過ぎの全駅停車の物しかない。どの道大した用も、待たせている人も、一緒に出掛ける人もいる訳ではない。猫に起こされた序でに早起きして6時20分発のやまびこに乗った。
 列車は態態全駅に止まって扉を開け閉めし、少しずつ通勤の勤め人を交換し、また走り出して止まったりを繰り返し、二度ばかり後から来た列車に追い抜かされた。万事もたもたしているからから窓外の様子がよく分かる。郡山を過ぎると緑の中に青い物がある。周囲の土を集めて寄せた物である。愈愈腹が立って来るので余り見ないようにした。9時少し前に仙台に着いた。
みのり号は古い気動車を原形をとどめないほど改造した車両で、座席も窓も広く頗る快適である。特に肘かけが窓枠より上に来るのが良い。車内販売員も乗り込んで居る。而も変な着物を着せられている。小さな女販売員が体から蚊の鳴く様な声を出し、大きなワゴンを押したり引いたりしている。中味が重くては可哀そうなので、弁当と御酒を買い早速飲み始めた。
列車は案外空いている。小牛田で内陸方面に転進し陸羽西線に入る。鳴子温泉等を通ったが、こうも暑いと温泉どころではない。夏場は温の字を外し、乃の字を入れれば涼しくなると思った。
13時過ぎに新庄に着いた。此処から秋田まで乗り通そうと思う。幸い仙台からは乗り放題の乗車券が使える。観光列車にも乗れるから、この件に関してはJRと云う会社は気前がいい。尤も東北新幹線特急券込みで10080円もしたから、全体で見れば十分稼いでいるというべきであるし、其れにそもそも何の用もない者を家から態態引っ張り出して方方で御金を使わすのだから、観光と云うのは立派な産業である。
奥羽線は秋田に向う最短ルートだったが、矢鱈滅多ら新幹線が乗り入れた結果、あちこち改築されて仕舞い、秋田以南はもう目茶目茶である。特に新庄から大曲の間は、つばさとこまちの谷間に当たり普通列車しか走らない。元元人家も少ないから今や過疎地の鉄道の様相である。
新庄14時22分発の秋田行き普通電車は東北地方にありがちな何時もの二両組みの軽快車である。帰省客も居てまあまあ座っている。列車は何時ものように、ピョーだかヒョーだか次次と音程を変えながら出発す。都会的な車内とは裏腹に、どんどん山の中へ入って行く。
及位と書いてのぞきと読む難読駅を通過すると、雄勝峠である。此処など態態隧道をもう一本掘って複線にしたが今は丸で使われていない。単線で十分である。此れも時代の流れで仕様がないが、なんとも勿体無い話しである。片方の線路をヒョッと持ち上げて、三陸の方に附けてやりたい。復旧の序でに特急規格の電化も相い成って、地元は喜ぶだろう。
而し普通電車は線路を飛び跳ねるがごとく軽快に走っているが、どういう訳だがどんどん遅れて行く。横手には10分近くも遅れて着いた。尤も横手で列車接続がある訳でもなし、また大曲秋田間は在来線と新幹線は別別の線路を走っているから、迷惑を掛ける相手もいない。遅れた所で大した問題も無いから万事気が楽である。だからというわけではないが、秋田の手前で踏切の警報が鳴ったらしく緊急停止し更に遅れた。列車がダイヤグラム通りに走らないのは、都市部も地方も同じである。
結局秋田には幾等か遅れて着いた。北東北も暑いそうだが、都内に比べると相当涼しい。駅前の近代的なホテルに無事投宿す。こうなるともうすることは無し。昏昏と眠ることにした。


8/11・日
 朝から三十一度。日中三十八度にも達す。三十八度とは如何なる物かと表に出て見たが、口をぱくぱくさせても、何だか息をしているという感じがしない。一種の窒息状態であると思った。午後は一雨あった。漸く此れで五度ほど下がり、通常の夏となった。


8/10・土
 朝から三十度。昼は三十七度にもなる。大して晴れても無いのに気温が此れだけ上がるのだから、天気と云う物は分からない。猫の様子を見に行く以外の外出は無し。屋外に出た序でにエヤコンの室外機に力水を掛けた。節電の為二十八度設定とし、多くの時間を上半身裸で過ごす。吾人の肥えた下腹に家人は嘆息を漏らす。ただ全体体重は二十代の頃のままだから、概ね筋肉が贅肉に置き換わったのだろう。


8/9・金
 一日の最初から最後まで異常な暑さで、日中は三十五度、夜になっても三十度もあった。午後ふらふらで出社。以後は生徒の自主性に任せた。尤も仕事をしていないという訳でもない。色色と持ち込まれた夏の宿題を解いたり、読書感想文を何通も書いたりして過ごす。今日で御仕事も御仕舞。暫く生徒に会わないというより、無責任社長の顔を見ないというだけで誠に清清しい。
 退社後月波君来たる。少し飲んで歩いた。中華料理屋に入ったが結局麦酒以外喉を通らず。棒棒鶏も麻婆豆腐も食べ切れなかった。帰りは呉呉も変な巡査に掴まらないよう、巡査を巡視して帰った。


8/8・木
 日中三十四度に達す。余りに暑いのでバスで出社。来週は大貧学院も休みであるから、実は東北に出掛けようと思っている。そこで出掛けた序でに目黒駅で座席指定を取った。
拙宅も職場も私鉄沿線にある。其の区間を結んでいるのは自前の自転車急行であるから、JRの切符が買えなくて案外困ることが多い。交通公社の支店も有るにはあるが、大した金額にもならない指定券を態態買うのは何だか気が引ける。
最近は自宅でも指定予約できるようだが、矢張りJRの偉そうな紋章がぎらぎら入った紙の切符を直に眺めない事には、何処かに出掛けるぞと気が愈愈起らない。御盆前で目黒の窓口も混んでいたので、結局銀行の支払い機の様な機械で幾つかの観光列車の指定を取った。直前の予約でどれも窓側が取れたので随分空いていると思った。毎回思う事だが、此の機械は大変な性能の持ち主である。全国あちこちの乗車券も指定券も買う事が出来る。是非私鉄駅にも配備して貰いたいものである。


8/7・水
シロはすっかり元気になり、尻尾も大部上がるようになった。未明には吾人の部屋に入って来て、御心配を掛けましたと床に這いつくばって恐れ入っていた。尤も全ては抗生剤の御蔭である。抗生物質の実用は先の大戦中である。今では犬や猫ですら、きちんとした薬を使えるようになった。此れも戦後の平和と経済成長の御蔭であると思った。拙宅の電気使用量275キロワット。前年比8パーセント減。其れでも7800円も掛かったから大部値上がりしたのだと思う。
日中三十四度に達す。午後出社。退社後金曜でもないのに仲田大将に合う。意中の人と会えなかったらしく自棄酒気味である。一同未明まで引き摺り回された後、漸くタクシヰに放り込む。行幸中の大王のように手を振って別れたから機嫌も直ったのだろう。同時に咲子さんとも久久に合った。知人が事故で亡くなりこの一週間は大変だったとこと。一時半頃帰宅。


8/6・火
 異様に蒸し暑い。日中三十二度程度。関東はあちこち雷雨となったが、世田谷は大して降らず仕舞い。明日から再びの猛暑だという。一日休んで暑さに備えた。

 
8/5・月
 愈愈暑さがぶり返す。日中三十三度程度。今日から通常授業なので午後出社。元店長の店に寄って気分良く帰る途中、巡査に呼び止められる。何時もの事であるが、今晩に限って妬けに毒のある言い方だったから、此方の湯沸かし機にも火が入る。すると巡査は益益興奮し、御酒の臭いがぷんぷんするだとか、呂律かちっとも廻って無いなどと捲し立て来た。此方も益益腹が立って来たので、吾人の呂律が回らないのは四六時中の事で、胃薬と腹薬のせいで始終頭と舌が朦朧としているのだと怒鳴ってやった。
巡査の顔を見れば吾人よりは若いが、三十は当に過ぎている。大方の世の中の事が概ね分かって来ても佳い年頃である。にもかかわらず警察学校で教えられた通りの問答をしていれば、市民の激高を買うのは必然である。一向にやる気のない巡査と云うものも困るが、一昨昨日の方向にやる気を出されても困る。それとも機嫌の良い酔っ払いを態態怒らせて、彼の本性を暴く係りの様な物があるのだろうかとも思った。其れは寝た子を起こすような、公序良俗に反する行為である。


8/4・日
一日概ね晴れ。御午に久久に地震警報。宮城で震度五強。都内もゆさゆさ揺れた。草取りをしてぼんやり休んでいると、日曜会をするからと大将らに呼び出された。隣町の渓谷乃瀧と云うチェーン居酒屋に明るい内から陣取る。此の店は店長以下全員が外国人である。地の利を生かした店独自のメニュウがある。面白がって頼んで見ると、店長の故郷である印度の東のカレーライスなどは専門店以上の味で、案外得をしたと思った。十時頃帰宅。


8/3・土
 朝の内に漸くシロを掴まえ自転車に乗っけて、矢鱈無愛想な女医の動物医院に緊急搬送す。早速獣医殿が鋏で毛を毟り取った所、傷は三か所もあり表の二か所は犬歯に因る物だとのこと。傷は既に膿み始めて居て、血も滲み結構痛痛しい。消毒液を振りかけ傷口に直接化膿止めを塗り込み、抗生剤を注射して返される。六千三百円。漸く此れで落ち着いた。以後草取りなどをして過ごす。


8/2・金
 放恣な上に破廉恥なことまでしておきながら、何度も首相を務めた伊太利亜の元首相に、漸く有罪判決が下る。何度も放言を繰り返す此方の元首相にして現副首相の方も、いい加減にどうにかして欲しい物である。
 シロを獣医に連れて行こうと、朝から家人と追い掛け回す。併し掴まらず。止む無く午後一旦出社す。直ぐに踵を返し、今度は猫撫で声で呼んで見る。閉院時刻まで頑張ったが、シロは妙な所で勘が鋭く、結局掴まえることは出来なかった。家人共共ほとほと草臥れる。又長兄の不調は他猫に感染しグレもミケも至って大人しくなる。
日中三十度程度。オホーツクから涼風が入り、日が沈むと大変涼しい。但し名古屋辺りは三十五度だという。東日本は、やはり東にあるから東日本である。今日で講習も御仕舞。金曜会には出られなかった。


8/1・木
 どうもシロの尻尾が上がらないのは、気のせいなどでは無く、実際に噛まれたか何かして傷が出来ているようである。尻尾の丁度三合目あたりの毛が乱れている。家人と追い掛け回して、漸く化膿止めを適当に塗る。まさか尻尾を噛まれているとは思わなかった。シロに限らず、大抵の白猫は尻尾が長い。その分喰い付かれ易いのだと思った。シロを此んな目に遭わせた下手人は分かっている。近所の獰猛な消し炭色の大猫である。家の直ぐ前でシロに伸し掛かっているのを、老家人が現認した。今度合ったら、物干し竿でぶったいてやることにした。然しシロはうろちょろしていて他猫の領域を荒らしたのかもしれない。専守防衛の精神に反するならばシロを叱らねばならぬ。
 日中三十三度程度。大変暑かったが日が暮れた頃から案外涼しくなる。夕方出社。シロが心配だから、附け麺屋で麦酒を一本だけ飲み、直ぐに帰った。