2013年10月

10/31・木
 二号室完成す。内装屋さんも部屋の特徴をつかんだのか、隣の三号室より佳い仕上がり。早速入居者を探すことにす。一日晴れ。午後出社。数日来何だか訳わからない格好をしている人が多いと思ったら、今日は西洋のハローウィン祭りだという。どおりで中華立ち飲み屋にも普段は無い南瓜煮があった。ただ中華屋のネパール人店員には、南瓜の煮つけといっても分からなかったよう。では英語で注文しようと思っても、パンプキンという単語が酔った頭では滔滔思い出せなかった。漸く出て来た南瓜煮は甘味が足りず、何だか戦争中のそれのようだった。


10/30・水
 南鎌倉の伯母さんは何だかわからない病原体が擦った傷口から入り、何と全治六か月だと言う。一方の万代伯母さんの頭と下半身も愈愈悪くなり、要介護度も上がりそうである。日日ぱっとしない情報に接す。一日晴れ。御午過ぎまで何だかふらふらす。午後出社。昨夜の反省会をして帰る。



10/29・火
 福島第一では、熟練した作業員の許容量が限度に達し次次と出入り禁止になっているという。人数も練度も不足しているから、汚染水の対策工事も進まず。従って流出も収まらず。人手が足り無いのなら、推進派の博士や大臣も作業に投入すべきだが、却って足手纏いになるだけであろう。日中はずっと雨。元店長の店で妙齢女性を集めた飲み会をするというので出掛けて見た。而し歴史や思想の話をするわけにもいかず会話は往生す。色色と散財して帰る。

 


10/28・月
 それにしても携行型のパソコンというものは、卓上型と丸で同じように仕事をしている。それでいて、こんなに小さくなっている。卓上型の機器をどれほど小型化すればこの容積に縮まるものかと何時も不思議でならない。
一日晴れ。午後出社。夏に入った高校生がもう辞めるという。学習塾を次から次へと渡り歩くという子も少なくないが、一一構っていたら此方の記憶量が追い付かない。直ぐに忘れることにす。そもそも此の仕事をしていて、取り敢えず高校か大学に入れてやって、ああ何とか育て上げたという子は、精精年に一二人である。子どもとはいえ、人間一人に深く関わりあうという事は大変な労力がいるから、概ねそれが限度である。


10/27・日
 関税が撤廃されては困る品物は少なくても五品目あるようだが、其の中でも一番困るのは米と砂糖だという。米の自給率は九割だし、砂糖のそれは三割を超えている。同じ農産品の麦や大豆に比べると随分高い。此の二品は国策中の国策として守られて来たのだろう。
思えば、米の増産に明け暮れた時代もあった。干潟や湖を埋め立ててまで米を作らせたのは、戦中戦後の食糧不足が一種のトラウマになった結果かもしれない。では砂糖はと云うと、此れも同じらしい。家人などに聞くと、米がない時代には、南瓜や甘藷等の代用食を食べさせられたが、勿論今と違って当時の作物は甘味が全く足りない。然し味を付けようにも砂糖がなくて、それはそれは不味かったと未だに悲憤慷慨している。
御飯と甘い物が思う存分食べられるというのは、日本人の積年の悲願であったようだ。併し世の中が贅沢になって、糖質といえば即座に制限という熟語が付く時代となっては、丸でお伽噺のような話である。
一日漸く晴れた。実に十日ぶりである。柳さん夫婦と松陰神社で維新祭りを見学。やる気の無い奇兵隊の行進を見た。夕方には戻る。


10/26・土
 鈍足台風は結局夕方までしつこく雨を降らせ続けた。一日無為。二号室の改修はだいぶ進んだが、壁紙を張り替えた後でコンセントが足りないことに気付く。万事行き当たりばったりだから知恵が足りないと思った。


10/25・金
 朝から霧雨。午後出社。台風が漸く近づいてきて、夜半には結構降り出す。自転車で強行帰宅。風も吹いて来て相当濡れた。就寝直後にかなりの地震。福島で震度四。津波注意報も出た。


10/24・木
 何を恐れているのかは知らないが、一向に台風27号は列島に近づかない。併し大量の雲を引き込み、結局西日本は大雨。関東も曇り時時霧雨。腹が立つ程、もどかしい台風である。午後出社。多少濡れて帰る。


10/23・水
 再び侵攻して来た草と蔦に対し、再び鎌を持って立ち上がった。台風が来る来ると言われてもちっとも近づかず。一日ずっと曇り。午後出社。立って授業をした後は、立ち飲み中華に寄り、更に三百五十円の天麩羅蕎麦を立って食べて帰った。立ち蕎麦屋にも近近値上げしますとの張り紙がある。値上げするより、かき揚げを少し小さくして貰えれば、健康にも財布にも丁度いいと思った。思えば夕方から夜半まで立ちっぱなしで草臥れた。


10/22・火
 久久に国会中継を見ようと思ったら、今日の予算委員会は朝からずっと右翼政党が、どこかの外国がどこか田舎の土地を買い占めているなどと下らない質問をくどくどとしている。そもそも買いに来る外国人がいるというだけで、有難いと思うべきである。マザーテレーサの至言にあるではないか。愛の反対は憎しみではなく無関心であると。詰まらぬ質問が何時まで経っても終わらないということは、随分獲得議席が増えたということなのであろう。腹が立って来たで直ぐに見るのを止めた。一日曇り。此の処ずっと晴れていない。


10/21・月
今度のパソコンは携行型なので、今までの卓上型に比べると文字盤が平べったくて全く厚みがない。字を打っても、ペタッとした手ごたえと鈍い音しかしないのが残念である。吾人は算盤に親しんだことはないが、算盤というものは、ぱちぱちという音が出るから佳い。それだけで仕事をしているという感じになる。文字盤も同じで、とんとんカチカチとやっているだけで、何か有益な物を拵えているような気にもなるのである。
尤も吾人は相変わらずのひらがな打ちだから、パソコンに慣れた人から見ると、奇妙奇天烈な手つきで文字を打っているように映るらしい。音の割には沢山の文章を拵えている筈なのだが、気味が悪いとまで言われたことがある。音はともかく絵的には失格のようである。
最近は携帯端末の方が伸して来て、パソコンを持たなくなってきているという。調べ物はそれでも済むだろうが、文字を本格的に打つにはきちんとした文字盤が必要である。世の中に短絡的な思考が益益増えたのは、文字盤離れが一因であると思う。タブレット云云や何とかフォンでは、文章を作るにも限りがあるから、勢い短文の絶叫調にならざるを得ない。
一日曇り。再び大型の台風が接近とのこと。午後出社。元店長の店に寄って帰える。二千二百五十円。


10/20・日
 流行歌の世界では、未来はそんなに悪くないよと盛んに宣まっているようだが、随分楽観的だなと思った。尤も此の偶像集団を束ねる大物演出家は、政府とも色色と繋がりがあるようだから、意図的にそういう歌を作ったのだろう。せめてから元気のからっ風でもいいから、風よ吹けとばかりに全国民を煽っている。何とかミクスも愈愈神頼みの段階である。
 丸一日雨。時折激しく降る。気温は二十度に届かず。両家人は寒い寒いとエヤコン暖房を初稼働さす。猫は小屋から出て来ず。日誌の整理をする。


 
10/19・土
 午後から伯母の介護施設へ。秋祭りをやるというので出掛けて見た。太鼓の演奏などをしてくれたが、耳も頭も悪くなっているので、一体何をやっているのか当人は把握出来ていないようだった。施設には暫らくぶりにきちんと顔を出したが、介護職員も入居者もすっかり顔ぶれが代わって仕舞っていて吃驚した。夜から冷たい雨。


10/18・金
日中も二十度に達せず。先週の暑さもすっかり去った。午後出社。月波君来たる。


10/17・木
 朝の九時丁度に意を決して電話局に電話をし、出て来た女指導員の教えを仰ぐ。吾人は、取り敢えず物を教えるということを仕事としており、頭と躾の悪い生徒に日日閉口している。だから、せめて吾人は他人にものを教えてもらうときには、佳い生徒であらねばならぬと常常思っている。呉呉も下手な質問は出来ないから、この二日は我慢していた。幸い此の間の必死の予習の結果、的確な質疑応答を交わす。二十分ほどの遣り取りで、通信の回復に成功す。極めて優秀な生徒であったと自負す。それにしても、呪文のような番号や英単語をパソコンや電話機に打ち込んでいると、脂汗が滲んで来る。こういう手間のかからぬようもっと故障しない機器を作るべきである。
 困難はすべて終了す。気が付けば、清清しい天気であった。午睡ののち出社。今年五回目の給料が支払われた。


10/16・水
 台風26号は房総を掠めるように通り抜ける。未明の内は雨が酷く、夜が明けてからは風が酷かった。10時過ぎにはどちらもすっかり落ち着く。但し伊豆大島は大変な土石流被害。
 午後出社。退社後も麦酒三杯で直ぐに帰宅。パソコンの無線接続は改善せず。何だか機械相手に謎解きをしているようで、興奮するというか、草臥れるというべきか。


10/15・火
 朝からパソコン店に乗り込み、全く新しいパソコンを受領す。大学に入った年に買った砂漠のオアシスというワープロから勘定すると四代目である。今度は日本電気製の携行型にした。当然メードインチャイナ。又貿易赤字を拡大させて仕舞った。幸い多くのデータの救出に成功す。危うく九月から十月中旬までが抄録になるところであった。
それにしても、五年の空白ののち登場した最新型は何もかも変わって仕舞っている。慣れるのに何年かかることか。それに慣れた頃にはもうお別れかもしれない。本体代77000円、先代の修理初診料5250円、データの再生治療と移行料15750円。大変な出費であることに変わりはない。
店員の話によると最近のパソコンは四五年が寿命で、新しいものほど却って短くなっているという。もしも給湯器やエヤーコンディショナーや洗濯機が五六年で次から次へと壊れたら、幾ら大人しい日本人でも怒り出すであろう。午後から雨。再び台風が来たとのこと。夜まで格闘するも、接続は完了せず。


10/14・月・〈抄録〉
▽どういうわけだか体育の日で休日▽東京で五輪をするなら体育の日は十月十日に戻すべきである▽剪定作業も概ね終了す。


10/13・日・〈抄録〉
▽漸く本当に涼しくなる▽一日無為。


10/12・土・〈抄録〉
▽三十度に達す▽川崎の港祭りに鶴木さんらと向かう▽その後池上の法華の太鼓祭りを見学▽一時間半ほど歩いて帰る。


10/11・金・〈抄録〉
▽一日暑い▽退社後月波君来たる。


10/10・木・〈抄録〉
▽同下▽新聞を眺めても職場が酷い酷いという記事ばかり▽こんな記事ばかりだといずれ働く人が一人もいなくなってしまうかもしれないと思った。


10/9・水・〈抄録〉
▽今日も三十度近く▽午後出社▽パソコンのない生活というのも案外新鮮▽夜も非常に長い。いっそお酒も止めて仕舞おうかと思った。


10/8・火・〈抄録〉
▽一日台風の南風▽気温三十度近く夏のよう▽目黒通り沿いの大きなパソコン店に本体を背負って行く▽ハード何とかの損傷の為、復旧は難しいらしい▽わずか五年余りの命であった▽突然壊れるとなると丸で何かの事件か事故にでも遭ったよう▽序に眼鏡の鼻当ても取れた。災難続きである。


10/7・月・〈抄録〉
ケチャップ屋と同じ屋号の卓上型パソコンが突然動かなくなる▽以後未曾有の大混乱▽午後出社▽直ぐに帰る。


 10/6・日
漸く御午には晴れる。


10/5・土
一日弱い霧雨。久久にメトロに乗って鳳生大学に参いる。芥田先生が、鳳生大学と百鬼園先生と言う題で講義を行うというので出掛けて見た。その後、月波君と鷺乃間君とで御酒を飲んだ。余りに気前良く八海山だと〆張鶴だのを頼んだところ、芥田先生と合流する頃には御金がすっかり無くなって冷や冷やした。
 途中永田町で乗り換えたが、ヒロタのシュークリーム屋しかなかった所に飲食街が出来ていて吃驚す。メトロも不動産業に乗り換えたと見える。そのうち、家でも建てるのではなかろうか。


10/4・金
 一日曇り勝ち。夜から雨。金曜会には出ず。割と軽く飲んですぐに帰った。


10/3・木
 勤め人の給料も減り続けているとのことだが、自営業者の収入は、恐らく其れ以上の惨憺たる減少ぶりであると思う。大貧学院は古い商店街の一角にあるのだが、吾人が勤め始めて十年余りで、乾物屋、パーマネント屋、洋服屋二、床屋、写真屋、時計屋、名刺屋、鍵屋、化粧品屋、果物屋、碁会所、薬屋、履き物屋、本屋、荒物屋と、大変な数の店が過去帳入りとなった。多くが店主の高齢化による廃業だが、中には若くして運営が困難になって仕舞った様な所もある。また残っている店の半分は既に廃業寸前と言った所で、来年の四月の消費増税で、またごっそり辞めるだろう。
一方新規出店は、居酒屋が三、喫茶店が一、医院が一、薬局が一、コンビニエンスが一だから、残りの大半は空き店舗のままである。小売り業で繁盛してそうなのは、コンビニエンスぐらいなものである。酒も煙草も弁当も、洋菓子も和菓子も入れ立ての珈琲もコンビニが売る時代である。シャッター通りの中でコンビニだけが明るく輝いているのだが、其れは数多くの小売店の屍の上に咲いた徒花のようでもある。而し小売り業は幾ら大手資本に収斂されようとも、結局飲食店だけは順調に新規開店して来る。やはり寂しく物を買うだけでは満足できなくて、なんやかんやと馴染みの店が欲しいのだとも思う。
 蒸し暑かったが夜半に寒気が入って一雨あった。三軒ほど飲んで帰る途中で、若い巡査に追いかけ回される。割と丁寧な対応だったが、残高五千円の財布の中まで調べて行った。何をしたいのかさっぱり分からないが、恐らく薬物の常用者か何かに映ったのだろう。


10/2・水
 暖気が入り相当蒸し暑くなる。時時雨。その後曇り。午後出社。


10/1・火
 一日曇り時時小雨。また台風が来ているらしい。夕方から首相が出て来て消費税を上げますと宣まっていたが、それは去年既に決めたことである。