2014年3月

3/31・月
 金曜会でよく会う井満さんは、頭の大病を経て復帰したものの、妻子とも別れ、仕事も随分前に辞めて仕舞った。五十男に佳い働き口がある訳もないから、こうなると毎日昼酒を飲み、其の上最近は飲み代も不足気味であるという。結婚生活はともかく、仕事だけはやめるべきでなかった。商店街などを見ても、明らかに廃業ラインを下回っている店が沢山ある。みんなそれでも仕事を辞めないのは、辞めた後にする事がないからである。人間というのも鮪と同じで、動き続けている内が華であり、止まった瞬間に少なくとも社会的には死んで仕舞う。それが怖いから、取り敢えず勤めだけは辞められない。経済社会という物の一部は、決して採算ベースで動いているわけではなく、こういう人たちの半ば勤労奉仕によって支えられているのであろう。大貧学院も又然りである。
三月と消費税5%も今日で御仕舞。増税と値上げが一層の経済収縮をもたらさないことを祈るのみである。残念であるが日本酒に代えてワインを飲もう思う。早速探しに行ったが、何処の店も国産の安ワインの品数は極めて少ない。月曜不出社。午後は国会中継を見る。丁度決算委員会をやっていた。野党議員が日銀総裁に金融緩和政策の出口について質したところ、満足のいく回答はなかった。恐ろしいことだが、恐らく行き当たりばったりなのだろう。


3/30・日
 一転して春の嵐のような天気。此れでは花見も出来ぬ。夕方には綺麗に晴れたが、今度は寒気が入って雷雨となる。一日無為。


3/29・土
 一日初夏のようなお天気。無為。清沢冽の「暗黒日記」に加え、大佛次郎の「敗戦日記」を読む。此のところ日記好きである。而も戦前戦中の物ばかりを読む。無論、時代の雰囲気に似たものがあると感ずるからである。増税前セールが甚だ鬱陶しい。増税を一日二日前倒してでも、早く終わりにして貰いたい。


3/28・金
 午前中に老師に元に赴く。肝機能、血糖値など何ら異状なし。而し中性脂肪が478もあり、一二か月後の再検査を勧められる。困ったことになったと思った。増税はよい機会だから、四月になったら、飲み物も食べ物も減らそうと思う。御昼出社。授業中も中性脂肪の四字熟語が離れず。久久の金曜会だったが、つまみ類にも手が伸びなかった。結局お酒を飲み過ぎ、泥酔近くなって帰宅。今週は良く働いた。久久に給料受け取る。
一方家人は肺炎菌の予防接種で発熱し、腕も腫れ上がっている。イバンイリイチ風に言えば、病院が病人を仕立て上げ、予防注射と検査が病気を作り出すのである。いやそれでも矢張り、中性脂肪は怖いことは怖い。親子丼もとんかつも唐揚げも焼き鳥も、豚骨醤油ラーメンも天麩羅そばも、麦酒も日本酒も止めねばならぬ。丸で統制経済のよう。


3/27・木
 日中小雨。御昼出社。退社後は元店長の店に。先客無し。開店三時間目にして初めてのお客だという。こういう場合、吾人がお酒を振る舞う羽目になる。従業員二人に二杯ずつ飲ませたところで、漸く店が賑やかになる。後客に店を託して帰宅す。明らかに今週は予算超過である。


3/26・水
 今日から講習。御昼出社。八時間勤務。退社後月波君。軽く飲んで御仕舞。


3/25・火
次に嫌なことを片づける。掛かりつけの老師のところへ行き、採血、採尿、胸部レントゲン撮影、心電図を取る。取り敢えずの異状はなさそう。血液等の検査結果は金曜日に聞きに行くこととす。午後少しだけ出社し、春の講習の準備と諸諸の片づけを行う。退社後は少し飲んで帰った。花粉症酷し。


3/24・月
 一週間ぶりに出社。顔を見るなり無責任社長は、生徒が二人も辞めたとしたり顔で話す。また絶望的な日常が復帰す。こういう晩は元店長の店だが、十年ぶりの健康診断があるので、軽く飲んで御仕舞とした。マ航空機、インド洋のとんでもないところで発見される。


3/23・日
 たまに行く牛丼店では、アルバイトが大量にやめてしまい、相次いで休業状態となっている。地元の店もカウンターのみ暫定営業となっていた。同盟罷業ならぬ同盟逃散である。此のチェーンは度度強盗に入られるから、店員を増やせと警察当局に言われても、頑として聞かなかった。愈愈焼きが回った感じである。
ところで、吾人も牛丼というものは学生の頃から良く食べた口だが、最近は月一回ぐらいが関の山である。口に入れれば旨いことは旨いが、直ぐに胃にもたれてしまう。牛丼も色色と工夫してみたところで、若い人がいなくなるのだから、結局は過当競争の消耗戦である。ファーストフード業全般もそろそろ斜陽産業のリストに載せるべきであろう。
一日無為。日差しが濃く、関東も本格的に春になったよう。旅行中の楽しいことだけを思い出すように努める。旅費を精算す。八万円以上は掛かった模様。


3/22・土
 愈愈帰ろうと思った。岡山までの特急に乗ろうするも、壬生川からでは何だか座れないような気がしてきたので、途中の今治まで来た道を引き返す。この手の心配というものはし始めたら切りがないものだが、特に一人で旅行中は気を抜けない分、益益心配して一種の被害妄想に陥りやすい。いっそ松山まで戻ろうかとも思ったが、何とか今治で立ち止まった。
岡山行き特急しおかぜ12号は、背を縮込ませながらやって来た。昔の山形新幹線のような車両である。この車両も登場から二十年は経った。指定席の方は多少手直ししたようだが、自由席は其のままで大部草臥れている。しおかぜは四国の看板特急なだけにもう少し何とかならないものか。また車内は伊予三島辺りで満席近くになったから、あながち杞憂とも言えなかった。
二時間混んだまま揺られ終点に着く。元元年度末の三連休ということもあり、岡山駅もごった返した感じ。途中下車す。
アーケード街をぼんやり歩くと、「ことぶき」という食堂が目に入る。古びたショーウインドーにおかずが並んでいる。こういう店には、入らずにはいられないたちである。入って見ると、テレビに、老夫婦に、石油ストーブ。テレビは液晶型だが、理想的な古食堂である。鯛の塩焼きをつまみながら、春の高校野球に目を遣り、常連客の会話に耳を傾ける。此の何も起こらない時間が心地よい。結局飲み過ぎる。岡山では百鬼園先生の生家跡を訪ねる予定だったが、万事どうでもよくなる。御酒と汽車が好きな百鬼園先生なら許してくれるだろう。赤い顔をさせながら岡山始発の「ひかり」で帰った。帰り道は一度も検札がなかった。折角の切符がもったいない気がした。


3/21・金
 宇和島を「宇和海」という特急で立つ。「宇和海」は宇和島と松山を結んでいる。高知県愛媛県も横に広いから、県内完結特急がある。県内特急でありながら、宇和海は三両も繋いでいるから良く空いている。四国はどうも車両の配置が適切でないと思った。
みかん畑にはまだまだ実がなっている。緑色に橙色、見ていて鮮やかである。この辺を走る列車もいっそ湘南色にしてみたら面白いだろうと思った。伊予大洲で下車。何もすることがないので、粋人の別荘などを見る。大洲もレトロな街で売り出し中というが、町の至る所、空き店舗と空き家だらけである。其の幾つかがもっと古くなっている。つまり、放っておいたら、町全体がどうにかなってしまいそうである。丁度、昭和の道具を集めたような資料館もあった。古い町と古い建物と古い物を見ていたら、頭がくらくらして来てどうかなってしまうかと思った。こういう昭和三十年代ブームというのも、よい大人を幼児退行させる。
 大洲から単行の普通列車に乗り、海周りで松山に出た。特急は内陸側を迂回する。海線は旧線化していて、幾らも列車が走らない。その分景色は抜群なはずだが、本日に限って天候不良で視界も不良。しかし何とかこれで、四国のJR線の完乗を達成したはずである。
少しだけ特急に乗り今治に移動す。今治は、母方の祖父母のルーツがある所で、吾人も幼少の頃に何度か連れられてきた。その時は、三原から水中翼船という高速船に乗った記憶がある。尤も吾人から見ては、今や遠い親戚しか住んでおらず、辿るほどの記憶もなし。
多分に漏れず、今治もアーケード街は酷い状況に。一方、判で押したように街道筋には大型量販店が立ち並ぶ。何処にそれだけのお客がいるのか不思議でならない。人口減少と内需の減退は、アーケード街をすっからかんにした後、郊外の大型店をも襲うだろう。その昔、地方の人は東京に来て、立ち並ぶビルディングを見て、未来社会に来たようだと驚いたそうだが、今ではすっかり主客が転倒した。地方の此の寂れようこそが、将来の日本の姿である。ただ、飲み屋だけは郊外には作れない。アーケードの横の山とりという焼き鳥屋に入る。此処は、押し寄せる御客を断らねばならないほど繁盛していた。
今治のホテルが取れなかったので、隣の壬生川に宿泊す。二両編成の普通列車で移動す。駅前ホテルの筈だが、駅から割と遠い。暗い道を淡淡と歩く。よく見れば、街道筋にホテルも飲食店も密集している。町の中心自体が移動しているようである。チェックインする際に、車もオートバイもありませんというと、従業員は少し驚いたようであった。


3/20・木
 朝からバスに乗って足摺岬を目指す。乗客は少ないが、外国人が一人で乗っている。バスのダイヤなどもよく調べていると感心す。こういう日本の隅隅まで来ているから、外国人観光客はずいぶん増えたのだろう。英語が出来るようになったら、いつかこういう人と話してみたい。足摺岬を見、観光食堂のような所で鯖の漁師丼を食べ、乗り継ぎのために土佐清水に戻る。すると先ほどの外国人がいる。竜串に行きたいらしい。結局同じバスに乗った。その人が降りると、やはりお客は吾人一人となる。
宿毛でバスを乗り継ぐ。毎度思うことだが、四国の路線バスは速い。全力で坂を駆け上がったかと思ったら、今度は小さな入り江に向かって、エンジンブレーキを利かせて突っ込む。其れを何度も繰り返す。リアス式の湾内には筏が並ぶ。養殖筏か何かであろう。南予と言えば鯛だが、此の処魚価は低迷気味だという。国内にお客がいないのなら、揚陸艦のような船を拵えて、いけすごと中国に売りに行くぐらいのことをすべきであると思った。そのうちバスは、宇和島に着いた。
実は宇和島に来たのは二度目である。前回は12年も前になる。あの時は、大阪まで各駅停車で来て、高知まで夜行フェリーに乗った。宇和島で一泊して、予讃線を乗り通し、高松から神戸までまたフェリーで帰った。当時の記録を読むと、三泊四日のうち船中で二泊、旅費が三万五千円というから、随分安く揚げたものである。それに比べて今は随分贅沢になったと言いたいところだが、実収入はじり貧状態である。むしろ体全体が弱ってきて、そんな強行軍が出来なくなったと言った方が佳かろう。駅近くのホテルに泊まり、近くの食堂で鯛めしを食べた。南予の鯛めしは特徴的だと聞いていたが、何のことはない。卵かけ御飯ウイズ鯛の刺身である。


3/19・水
品川から新幹線に乗り、岡山で下車す。宿毛行の「南風13号」に乗り換える。南風と言えば、四国山地を越え、高知を目指す四国横断の大特急である。しかし入って来たのは、僅か三両で、車販もない。拍子抜けするほど物足りない感じがする。三両しかないから、指定、自由とも満席近くとなる。
瀬戸内海を橋で渡り、琴平を過ぎると、愈愈地形が厳しくなる。四国の特急は振り子式である。2000系という車両でディーゼル駆動。油煙を吐き出し、右に左に体をくねらせて奔る。ディーゼル特急は北海道でも走っているが、北国の車両と比べて、四国は温暖なゆえ気密性が良くない。その分、エンジン音が良く響く。何だか一緒に走っているような心持ちになる。ついうっかり、口からごおごぉと音を出して応援したくなる。ただ、お酒を飲んでもトイレは大変な慎重さが必要である。以前、同じ振り子式の特急あずさでは、カーブ通過の際に列車が大揺れして、何かが顔に掛かるかと思ったほどである。エンジン音を響かせて、大歩危小歩危辺りを通過す。相変わらず、山の上に民家がへばり付いていて感心す。
山地を抜け平野に入ると、一転して曇りである。再び低気圧が接近しているとのこと。高知に到着すると、乗客が殆ど入れ替わる。15分停車なので、駅の売店で弁当と麦酒を購入す。かつお飯という弁当で五百円。入れ物はコンビニ食に近いが、一応地元の業者がつくっているから、駅弁の亜流である。昼飯を食い損なったので、味わう間もなく食べ尽くす。
列車は再び走り出す。それにしても中村まで五時間近くも掛かる。この間、乗務員はどんどん交代す。御客も大半が高知で下車したので、終点近くまで乗り通す者がいるとも思えない。詰まり吾人だけが同じ列車にずっと乗っている。正しく列車長の気分である。而も中村には何の用もない。用もないのに列車に乗っているのだから、贅沢は言えないが、つまり、幾ら列車好きの吾人もさすがに草臥れた。特に後半一時間は外も暗くなり、景色も見られない。19時近くに漸く中村到着。小雨と潮の香りだけが歓迎してくれた。直ぐに駅近くのホテルに入る。中村は鉄道の開通が遅かった分、中心街と駅が離れている。店を探しに行く気力がなくなり、駅近くのラーメン屋で御仕舞にした。


3/18・火
 いい加減草臥れたので暫らく大貧学院を休みにして貰った。なんにも用事がないけれど、列車に乗って四国に行って来ようと思った。百鬼園先生は一等で行ったが、吾人は新幹線の普通車で行こうと思う。幸い今月まで四国の特急自由席が乗り放題の「たびきっぷ」という割引の切符がある。まずその切符を買いに渋谷の窓口まで行く。一日春の大風。所謂春一番。花粉症甚だし。


3/17・月
 何とか細胞についての論文が間違いだらけだと、提出者共共散散に文句を言われている。生憎吾人は文系にてちんぷんかんぷんだが、佳く一か月か其処らで、細部に至るまで調べられたものだと感心す。ネット社会ゆえ世界中から疑問点が瞬時に提出されたという。一方、歴史に関して滅茶苦茶な論文を書いた元幕僚長は、選挙にも出、落選はしてものうのうとしている。論文審査に関しては、理系科目の方が客観的であるといえよう。尤も同じ理系でも一旦政治や産業に深く潜り込んでしまえば、間違ったことでも平気で言える。薬学や原子力などは其の最たるものである。
昨日、ウクライナの都合のよいところで実施された住民投票で、ロシアへの編入が採択される。住民投票とは、民主主義に対する自由主義、中央の押し付けに対する地方の抵抗という役割があるが、今回はまるで違う。こういう使われ方をされると適わない。
 退社後元店長の店行く。今夜も女店員がいる。翼翼話せば鳳生大学の出身だという。昼間は会社で働き、人生修行のために時時アルバイトをしているのだという。すっかり機嫌を良くして遅くまで飲んで帰った。


3/16・日
 頓珍漢首相は、流石に河野談話の踏襲は決めたという。恐らく相当な圧力が米側から掛かったのだろう。此れで少しは関係改善に向かうと良いが。また大手企業は政府の恫喝を受け軒並み賃上げだという。トリクルダウン効果を狙っているのだろうが、外から雨が降ってこない以上、まさかその原資は中小下請け出入り業者への締め付けではあるまい。
漸く暖かい。猫餌を買い込む。魚屋に行き鯵を捌いて貰い、肉屋でとんかつを揚げて貰う。合間合間にケーブルテレビでやっていた1977年版の「砂の器」を見る。仲代達也は、良く煙草を吸い、飯を食い、酒を飲み、野球を聞く。喫煙とジャイアンツ以外は吾人の生活と同じである。


3/15・土
 内閣法制局というと政府内の六法全書のような堅い立場の筈だが、此処の長官は、野党議員と特に仲が悪く、会う度に口喧嘩している。而も赤坂辺りの居酒屋ではなく、国会内で衆人環視での話しだという。野党の挑発に激昂するあたり、本人の思想信条はともかく、公人としての務めは大丈夫なのだろうか。最近こういう小児病のような人ばかりが目立つ。
 夕方横浜駅西口に向かう。橙隠学園のミニクラス会。赤木君、土偶君、有動君、勤務地のタイから帰国した佐野塚君と会う。家が遠い上に、みんなあんまり飲める口ではないので、漸く調子が出てきた矢先に、早目のお開きとなる。飲み足りず、そして話し足りず。
それにしても、横浜の百貨店も量販店も居酒屋も人で溢れかえっている。この内何割かが駆け込み需要なのだろう。一見華やかな街並みだが、何十人かに一人の割合で、ぶつぶつ独り言を言って怒っている人や、異様に顔色の悪い人も歩いている。どちらが日本社会の姿なのであろうか。あるいは、どちらかという類の問題ではないのかもしれない。ならば、そのどちらも社会の実態を現していると思った。


3/14・金
 ついうっかり通信販売で買って仕舞った高圧洗浄機を、今朝初稼働させる。水道との接続がどうにも不十分で漏水甚だしい。結論としては、可もなく不可もなく。結局年に一二回使うか使わないか程度のものであろう。
午後出社。今度は轍田さんが都心から自転車で現る。帰り道が分からないというから、近道を誘導し目黒通りの権助坂まで案内す。真夜中を方方運転して帰る。


3/13・木
 数日前にマ航空機遭難す。何処かの洋上で信号が消えたらしいが、未だ破片一つ見つからず。通行人のつまらない顔まで一一記録している世の中にあって、大型旅客機一つ行方が分からないというから、技術の発展とは不均衡である。技術の大発展に比しても、矢張り「海は広いな大きいな」ということなのだろう。狭い国土に住んでいると、海の広さを忘れる。日中雨と風。特に夕方は激しく降った。夜には止む。復路はバスを乗り継いで帰った。


3/12・水
 漸く少し暖かくなる。退社後、元店長の店に行くと、カウンターの中の方の顔ぶれが随分変わっていて吃驚す。というのも肝心の元店長は三月から別の店に移った。そこまでは既知なのだが、後釜として雇い入れた店員が、わずか二週間で逃散してしまったという。結局、経営者と別の店から連れて来た若い女性が店番をしている。女手が来たのは良いことだが、二人とも包丁一本使えないから、満足な料理が出せない。飲食の食の方は絶望的である。色色と経緯を聞くうちに、帰宅は二時近くとなった。


3/11・火
 晴れはしたが物憂い一日。ミケを予防注射に連れて行く。何だか寒気がするので、福島の御酒を飲んで早く寝た。


3/10・月
 地権の整理が難しい上、工事費高騰による入札不調の御蔭で、復興住宅は何と計画の数%しか完成していないという。従って未だ仮設住宅は満室御礼である。三年経っても此の有様である。正直な話し、土地の整理ほど難しいことはないが、此処は何とか進めて頂くしか手がない。一月の貿易収支は過去最大の赤字に達す。折角内需が増えても、建材も家具も家電も大半が輸入物だから、こういうことになるのだという。何れ世界から、良く買ってくれましたと表彰されるだろう。
午後出社。因数分解の授業中、どうして低気圧には右向きに風が吹き込むのかと突然質問される。其れはコリオリ力によるものだと答えるも、中学生の頭では納得できる筈も無し。本線と関係のない質問をくどくどとするのは、悪質な授業妨害である。いっそ天動説を教えてやろうかと思った。寒気が入り真冬以上の寒さとなる。


3/9・日
 久久に伯母の介護施設に参る。伯母は部屋で寝ているかと思ったが、食堂兼共用スペースに居て、終始上機嫌であった。個室に居るより、みんなといる方がずっといい。此れも常に仲が悪かった老婦人が何処かに行って仕舞った結果だと思う。人間関係というものは幾つになっても頗る難しい。ところで施設近くの蕎麦屋も閉店していた。割子に盛られた蕎麦が旨かったのだが。理由は店主の病気療養とのこと。仕方なく未踏の中華屋に入るも、塩気がきつくて閉口す。


3/8・土
 世界中がロシアの横暴に怒っているのに、日本政府の反応は頗る曖昧である。現政権はどういう訳だが、ロシアとの関係改善だけは熱心で、その積み重ねを御破算にしたくないのだろう。
 一日晴れ。午前中は有線放送でやっていた映画「ヒミズ」をみる。一応震災後の世界が描かれているので震災映画に分類されるのだろうが、主題は家庭と郊外の荒廃である。取って付けたような被災地の光景は不要と感じた。尤も被災地を取り上げたのは、震災を受けシナリオを大幅に変更した結果だそうで、震災の影響は、首相の引きずり下ろし劇から、映画の内容に至るまで、極めて多岐に及んだものである。そしてまた、三月十一日が近付いた。あれからもう三年である。数日来、震災関係の報道が目立つようになる。目立つということは、つまり普段はすっかり忘れていることの裏返しであると思った。となると、不要と感じたのも一種の風化のせいなのかもしれない。
昼は近所の蕎麦屋で親子丼を食す。何時も空いている筈の店内は建設従事者で満席。此れも特需の一環だと思った。午後両家人帰宅。早速、「あれでもグリーン車か」と伊豆の踊り子の悪口を聞かされる。何せお婆さんだから仕方があるまいが、若い頃の評判も決して良くなかった。夕方、買い物ついでに手袋片方を探しに行くが、一日半も経っているので当然見つからず。物を失くすと何だか気持ちが悪い。


3/7・金
 結局かなりの宿酔となる。両家人は河津に出発。ぼんやりしていると仲田大将から電話があり、仕事の都合で近くに来たというので、昼食を伴にした。但し蕎麦ぐらいしか喉を通らず。店を出るとどういう訳だが小雪が舞う。本日は自宅警備のために欠勤す。夕飯はコンビニ食にした。530円の中華弁当だが、旨くないこと夥しい。世の中あらゆる物事が進歩しているが、コンビニ弁当の拙さは如何ともし難い。両家人ともいないとなると案外寂しい。LED電球を二つ点けて寝た。


3/6・木
 概ね晴れたが、寒気が入って相変わらず寒い。午後出社。退社後は何時ものコース。本日愈愈大台を迎えて仕舞った。誕生日であることを知ってか知らずか、立ち飲み屋の店員を始め、会う人会う人、色色な人に親切にされた。人情を身に沁みさせて、飲み過ぎて帰る。北風に煽られて手袋片方失くす。


3/5・水
 朝から大雨。久久のバス出社。退社の頃には綺麗に止む。冬型に戻ったから風が強く大変寒い。環七のバス停から久久に歩いて帰った。何か月ぶりかに歩く道なので、街並みが随分変わっていて吃驚す。あちらこちらで解体工事若しくは建設工事が続いている。此処は元は何があったっけと思い出しながら歩いた。此のところバブル以来の建築ラッシュで、建材も職人も不足しているという。需要が供給を上回るのだから珍しい話しである。尤も此れは前首相の置き土産であって、何とかミクスの効果ではない。


3/4・火
 一日晴れ。まずシロを獣医に連れて行き、恒例の予防注射。其の後自転車で渋谷のみどりの窓口に。両家人が親戚会で伊豆に行くというので座席指定を取りに行く。平日の特急は本数が少なく、午後の普通車は全て満席という。やむなくグリーンを取る。而も車両は古い踊り子の方だから、何だか損をしたように感ず。但し年寄り向きの割引切符で乗るから、贅沢も言えぬ。近所の食堂でカツカレーを食べた後は、グレを連れて行く。
 夕飯後、一丁目の方で火災発生。自転車で見に行くと、民家が焼けたよう。それでも消防車は梯子車含めてざっと二十台も来ている。消防力の潤沢な投入だが、後方待機の消防車に出番は無さそう。それにしても大地震が起きれば、世田谷署管内でもこの百倍の火災が同時に発生するだろう。そうなったら消防力は住民頼みの、民間消防となる。いざとなったら吾人も出動せねばならぬ。大きな火事も元は小さい。初期消火が出来ればいいのだが。
火事で思い出したのだが、その昔、「火事は最初の五分間、選挙は最後の五分間」と言った政治家がいた。割と面白い政治家だったが、その息子の方は野党暮らしに嫌気が差して与党にすり寄っている。折角自分で点けた火を、態態自分で消しているのだから、消防庁からは表彰されるだろうが、政治家としては誠に情けない。


3/3・月
 三月だというのに今年は一段と気が晴れない。三月十一日が迫っているのに加え、実を言うと誕生日が刻一刻と迫っている。それを迎えた瞬間に吾人の年齢が愈愈大台に乗る。大台に乗ると、区の健康診断も受けねばならないし、つい此のあいだ二十歳になって国民年金を払い始めたと思ったら、もう介護保険料の支払の催促である。精神修養も職業人生も一向に成年には到達しないが、何時の間にか成人病と老年の備えが必要になって仕舞った。この不均衡は何だか大変堪える。
 御昼過ぎには二日半ぶりに漸く晴れた。併し気候は冬型になり一向に暖かくない。午後出社。定期試験も終わったので、今日から新学年の内容を授業に取り入れる。退社後は少しだけ立って飲んで帰った。お酒を飲んでも、ちっとも面白くない。此れほど物憂い三月というのも初めてである。


3/2・日
 昨日にもまして天気が良くない。一日冷たい霧雨。昨日は退去で今日は入居。色色な雑事を執り行う。昆明で酷い殺傷事件。冬季五輪が終わった途端、露軍はウクライナに火事場泥棒に入る。此の国も本質は何も変わっていない。


3/1・土
 三月になった途端にスーパーマーケットの広告には、増税前の買いだめを勧める文句が踊り始める。これとて需要の先食いなのだから、やったところで丸で意味のないことである。それでも同業他社に取られるのは面白くないから、各社一斉にこういうことになるのだと思った。
 三号室退去す。折角直しても一年と少しで退室されては家主代行としては面白くない。ところが次の入居者はもう決まっている。而も入居は明日だという。有難いことには違いないが、大急いで清掃の手配をす。一日小雨勝ち。近所に魚の行商人が来ていたことを思い出す。行って見ると、確かに軽トラックがそこにいた。店主はうちの魚には自信があると言い張る。確かに天然ものの平目の刺身は旨かった。