2014年7月

7/31・木
 人を殺してみたかったとか、人を解体してみたかったなどという理由で、本当に人殺しをされたら敵わない。そういう人は、一度食肉加工場に連れて行ったらいいと思う。暫らくは菜食主義者になること請け合いである。
御昼出社。退社後、月波君来たる。伊那の反省話しをしながら、晴雷亭と立ち中華に行く。すっかり酔いが回りきった頃、佐渡屋へ。更に白ワインを一本空けて帰った。今日で七月も御仕舞。再び暑くなってきた。


7/30・水
 スカイマークという航空会社は、欧州製の超巨人機の導入を巡って経営危機に直面している。飛行機を注文するのはいいが、きちんと飛行機代を払えるのかと、エアバス社に疑問符を散散に突き付けられているとのことである。一機三百億円もする超大型機の導入は、世界最大手の会社でも慎重であった。なのに国内第三位の会社が購入すると決めたのは、どうも社長の独断があったらしい。ところで此の経営者は情報産業出身だという。デジタル化に因って情報の重さは限りなくゼロになったが、重い機材に高い燃料を飲ませ、我儘なお客や荷物をぎっしり背中に乗っけて、何よりも安全に運ばなければならない運輸業という物への理解が、根本的に足りなかったのだと思う。
思えば航空業界というのも取り分け悲惨な業界で、競争激化による運賃引き下げ圧力と、コストプッシュインフレによる燃料費の大高騰という火攻め水攻めに遭っている。そうなると結局従業員の給料と運行経費を減らすしかなかろう。過大なノルマを課された整備員がボルトの亀裂を見逃したり、転職問題で頭がいっぱいになったパイロットが、ついうっかり管制官の指示を聞き漏らしたりしないか心配で心配で仕様がない。そうなると矢張り、地を這う物しか乗れない。
 御昼出社。退社後はまず佐渡屋に。結局咲子さんがカウンターの中に入ることとなったから行かない訳には行かない。其の後はバーIへ。佐渡屋に御客が流出して、こちらは閑古鳥である。狭い世界で御客をやり取りするのも考え物である。


7/29・火
 中学、高校生時代というのも不思議なもので、頭を悩ます半分以上のものは、親子や級友などとの人間関係である。そこで心理学を極めれば、こういう悩みからは解放されるに違いないなどと思い、大学では心理学を学びたいなどと思う者も多いようである。(実際身の回りにも結構いた。)
だが後から考えてみれば、其れ等悩みの大半は専門的な心理学などの知識などを必要としない、どうでもいいような些末事である。人生とは幾つになっても些末な人間関係問題で満ち溢れているから、少年少女時代の悩みなど、実に大したことなどなかったのだと、何時の日か思い返すことになるだろう。
尤もどうでもいい些末事だったと思うになるのにも、ある程度の精神修養であるとか、人生経験のようなものが必要である。経験というものは、恐らく、人を豊かにし、また図図しくもする。世の中の大概のことに心を乱すことが無くなるのも、いい意味でも悪い意味でも経験の御蔭である。ただ本格的な経験を積む前に、人格的にもそして肉体的にも、取り返しのつかないほどの結果を招くような事件も、時として本当に起きる。又子どもによる悲惨な事件が起きたようである。全く不幸な出来事だが、こういう事件を防ぐためにも、矢張り専門家が必要なのだろうとも思った。
御昼に出社。退社後は久久に立ち飲みBに。暫らく御顔が見えませんでしたと、色色と肴を出してくれた。鮪といさきの刺身、鰈の煮つけに、かき揚げに豆腐の揚げ出しに、海鞘の酢の物等等。(といっても当然代金はしっかり支払う) 此のところBは益益繁盛し過ぎている。新規の御客が押し寄せ、常連客の影が薄い。一見ばかりの商売というのも、ペースが掴めず難しいとは、従業員氏の意見である。而しあっという間にお腹がいっぱいになり幾らも飲めず。お腹を摩り摩り早目に帰宅す。今日も比較的涼しかった。



7/28・月
 日中三十度少し。空気が入れ替わり比較的楽な一日。午後出社。退社後は鶴木さんと柳さん夫妻と痛飲す。特に後者ときちんと飲むのは久久である。
帰宅後公共放送を点けると「時論公論」をやっている。怖い顔をした解説委員が大挙して、現在の国際情勢は第一次世界大戦前夜と酷似していると宣う。まさかそんなことが起こる筈はないとは思ったが、丁度百年前、まさかまさかの連続で世界は初めての国家総力戦に突入したのだという。第一次大戦に関しては吾人も正直良く知らない。日本人にとっては二度目の大戦の印象が強すぎて、最初の方はつい勉強不足に陥りやすいと思った。
更に眺めていると「クローズアップ現代」の再放送になる。三島の信用金庫の話しをしている。融資先の選択と集中を進めれば、伊豆の旅館の半分が廃業するという。そうなれば仲居さんも料理長も皆失業である。どちらの番組も真夏の怪談より肝が冷えた。体温が下がったところで就寝す。夜半にかけて更に涼しく寝やすかった。


7/27・日
 日中三十五度に達すも午後三時頃から雷雨。以後少ししのぎやすくなった。少しの草取りと少しの買い物と少しの読書。偶には新刊をと思い、内田樹『街場の共同体論』を読む。格差の固定=上昇志向の停止が、反知性主義=勉強の停止を招いているという指摘は面白かった。
 台湾とアフリカで航空機事故が続く。情報通信は飛躍的に便利になったが、物理的な移動にはリスクが常に伴う。恐ろしくて恐ろしくて地を這う物しか乗れず。当分沖縄と海外には行けそうにもない。


7/26・土
 中国の食品工場の衛生管理が余りに杜撰で怪しからぬという報道が続いている。腐った肉や、床に落っこちたものまで混ぜ込んでチキンナゲットを作っていたという。ファストフードというものは価格が第一だから、そういうことも起こるだろうと思った。ところでナゲットというものは、粘土のように加工された鶏肉に色色と調味料を混ぜて揚げて作る。ああいう食品工場で働くのも大変な事だろうと思った。ナゲットにされる鶏さんたちも同様である。日中三十五度程度。久久の予定無し。併し草取りも出来ず。
 知を再建するにはどうすべきか暫し考える。手っ取り早く考えると、知のスーパースターのような人が出て来てくれればよいと思った。併し知の巨人というものは、大抵文科系の大器晩成型である。そうなると、せめて知の中人、いや中日、妥協して大洋辺りの比較的若い人物が出て来れば、ああ此の人のようにもう少し勉強しなければならないと、世人の多くは思うかもしれない。ちなみに最近理科系の方では、割と其れに近い人物が出て来た。一時は持て囃されたが、結局直ぐに論文の出鱈目が露呈して、今となっては芸能マスコミの好餌である。頭の可笑しい人人の攻撃に絶えず曝されている文科系に比べ、理系の再建は多少は容易と思われたが、結局巧く往かず。却って反知性主義を煽り立てることとなる。


7/25・金
 朝からかんかんに晴れて、日中三十五度に至る。御昼に出社。小六の授業を終えた後、一旦拙宅に戻る。短時間の休憩ののち、今度は千寿に出校す。前任者の書物は一冊残らず撤去されていた。学習塾の業務とは何の関係もない本とはいえ、本が無くなるということは、それだけで何だか寂しい物である。退社後は福心へ。麦酒を三杯飲んで炒飯を食す。此処の炒飯は、職人が一つ一つ鍋を振るから穂高屋よりよっぽど旨いと思った。
本日は、大貧学院への往復に一時間。千寿との往復に二時間半。何だか一日の大半を移動に使った感じがした。炎天下の自転車移動はともかく、延延と地下鉄に乗る時間は貴重である。地上を行く電車なら、あんなところにあんな居酒屋があるとか、あの家は本当に貧乏そうだなどと、つい景色を見てしまう。地下鉄では、本を読むか黙考するかの二つに一つであるから、却って有難い。尤も地下鉄移動は、週一回程度の頻度だから、そう思うのかもしれないと思った。
 帰宅後は先日の丸山特集の再放送を見た。御大は全共闘運動の件りで登場していた。かの運動が、結局大学というもののエネルギーを如何に削ぎ落としてしまったか、想像に難くない。以後日本のあらゆる大学というものは、学生運動を恐れる余り、只管管理強化に走る。大学といえども、今ではすっかり御行儀のよい小学校のようになって仕舞った。学生や大学教員が大人しくなる反面、世の中では、物を知らない一般人による反知性主義と何とかスピーチの跳梁跋扈である。一体何処でどうなったら此の様な惨状に至るのか。胸に手を当てて考えねばならないと思った。


7/24・木
 昨夜のアルコールが切れた途端に睡眠解除。四時頃には目が覚める。曇りがちだが三十五度近くに達す。異様に蒸す。日に日に暑くなっていると感じる。御昼出社。但し夕方から大変な雷雨となる。少しは涼しくなった。久久に佐渡屋に寄るも、刺身と麦酒以外喉を通過せず。
 今朝の新聞を読むと、給料が安くて暮らしてゆけないという記事ばかり。其れ等の職種を見ると、飲食や流通小売業が目立つ。学習塾を含め激しい競争にさらされている内需産業の賃金が低すぎるというのは、恐らく事実であろう。此処は法律を変えてでも賃金を上げなくてはならないと思った。そうしないとみんなすっかりやる気をなくして仕舞う。働いている人の半分が公務員で、働いていない人の大半が福祉生活者という社会になったら、一体誰が税金を納めるのか。


7/23・水
 草刈りののち、今日も御昼に出社。本日の担当は小六と中三だったので、あまり腹を立てることもなかった。そうなると一番酷いのは中学一年、就中女生徒と言うことになるだろう。所謂中一ギャップというのも女生徒に関してはあるのかもしれないと思った。
 日中三十三度程度。気力体力とも消耗著しく、今晩も何処にも寄らないで帰った。昨日の昼食は中華チェーンの穂高屋で、今日は富士蕎麦。晩食は両日ともコンビニの御つまみ類である。こうも暑いと、翼翼飲食物を選ぶこともできないと思った。


7/22・火
 気の毒にも程があるが、今日から夏の講習である。午前中は草刈りをし、御昼前に出社。中学の一二年は丸で授業にならず。比較的まともな子は講習を欠席し、出席者はずっと悪態を付く子か、此方の問いかけにも丸で無関心かの子に大別される。此れでは先生が余りに気の毒である。昨夜は新宿駅から上野駅に直行し、いっそ其のまま夜汽車にでも飛び乗って仕舞いたかった。更に関東も梅雨明けし、日中は三十二度を超える。
連夜の飲み疲れと言語能力の消耗に伴い、何処にも寄らず其のまま帰宅す。九時帰着。御酒を飲みながら少し日誌を認めた。文章の大海に漕ぎ出でれば、流石の吾人も自由である。御酒と文章があれば自由は死なず。確か断腸亭日乗にも同様の記述があった。(昭和16年頃の記述である)


7/21・月
 ところで轍田さんは、吾人の遠い後輩で、実に立派な職業婦人だが、どうにも会話の箍に可笑しなところがある。例えば、納豆に醤油を入れてからかき混ぜるか、入れる前からかき混ぜるかのような、凡そ些末なことを一つ一つ本気になって吾人に尋ねてくるから少し閉口す。こうなると無駄話も思うように続かない。無駄話とはいえ、話しをし続けるというのには、精神と知識の鍛錬が必要だと思った。轍田さんは就職してから大学に入り直し、直ぐに結婚して子育てをし、そして其の生活も愈愈破綻したというから、丸で人生に余分がない。無駄話を勉強する暇がなかったのだと思う。朝からそんな轍田さんのかき混ぜた納豆を少し食べ、少し木を切った。
 御昼前に寒天工場に参る。丁度須見伯母の知り合いが、併設のギャラリーに手作り家具を出品しているというので見学す。注文製の立派な家具というものも御金さえあれば幾らでも欲しいが、家具建具の類も、グローバル化が著しい分野である。メードインチャイナの安い物から売れていくという時代では、運営も大変だろうと思った。
 午後は昨日と一昨日の残り物を肴に、延延と麦酒を飲む。長期滞在の須見伯母とは此処でお別れ。伊那北の駅前の中華屋に寄るも、麦酒以外喉を通らず。19時過ぎの飯田線に乗り、岡谷で最終のあずさ36号に乗り込む。流石に昨日の今日の直前予約で、指定席は離れ離れとなる。御蔭で総仕上げの大量飲酒とはならなかった。
上りの中央線に乗るということは、愈愈勤務が近い。甲府を過ぎると、伊那で少しは伸びた寿命が一気に縮んだ思いがし、相模湖辺りでがっくりとす。そして高尾辺りで悉く絶望に至る。他の多くの乗客も同じ思いと見えて、満席ではあったがお酒を飲んで騒ぐような人は只の一人もいなかった。新宿定刻着。死相を浮かべながら其のまま帰宅す。


7/20・日
 概ね良く晴れた。午前中は月波君の運転で木曽に行く。前回の様な遠出は避け、素直に寝覚ノ床を目指す。早速床を見下ろす蕎麦屋に入り、麦酒を暴飲す。目下の話題は、昨日の車販員である。男か、それとも果たして、女なのか。服装、体格、名札、声の感じ等等、各各知見を披露するも結論には至らず。そもそも男女二分論というものが、最早実態に合わないのかもしれないという一定の合意を得ることは出来た。其れに話題の渦中にいる人は、今頃また列車に乗って勤務しているかもしれない。余り噂をし過ぎて、くしゃみが止まらなくなったら気の毒であるから、いい加減にその話は止めにした。
其の後、よろめきながらも一同河原に降りる。奇岩の上に中央線の線路が架かっている。併し中央西線は過日の土石流の影響で特急は全面運休。普通列車は滅多に来ないから、下から列車のスカートの中を覗くという機会は得られなかった。夕方までには伊那に戻り、須見伯母の揚げた天麩羅を食べながら一献。併し吾人は早めに泥酔す。九時頃就寝。


7/19・土
 三連休であるので、再び伊那に行くことになった。木を少し切るようにとの須見伯母の言い付けがあったから、今回も一応有用の旅行ということである。同行者は相変わらずの月波君だが、仲田大将に加え、どういう訳だが轍田さんも帯同す。
13時のあずさ17号で出発。直前まで予定が決まらなかったから今回も自由席である。因って一時間前から席取りす。何時もの通り自由席は通路まで人が溢れるも、一旦座って仕舞っては例によって牛飲す。甲府を過ぎて漸くやって来た、男だが女だが全く釈然としない車販員からお酒を追加購入す。そうこうするうちに伊那には定刻到着す。
早速定番の「うしお」に行き、更に飛車八という蕎麦居酒屋のような所に行く。たっぷりと泥酔したところで、今回も前回同様タクシーで移動。而も五月のような特急OLは居ないから、万事気が楽な伊那行である。既に滞在中の伯母を交えて仕上げの飲酒。
丁度教育テレビで、丸山真男特集をやっていたので皆で鑑賞す。一時間半もある番組で、芥田先生も出て来たらしいが、その頃には夢の中であった。御大の御尊顔は、録画の中で見ることとす。


7/18・金
 ウクライナ情勢の巻き添えで、マ航空機墜落す。ロシア派の民兵の仕業だろうが、ウォッカでも飲みながら対空ミサイルを射ち放ったのかもしれない。つくづく兵器というものは恐ろしい。其れが防空ミサイルであっても、大量破壊兵器である。それにしても犠牲になった乗員乗客は不幸である。其の上、半年の間に全損死亡事故が二度も起こるから、此の航空会社ももう御仕舞であろう。ガザと言いイラク北部と言い、全く暴力の連鎖は止まらず。
 午後千寿に出校。退社後も千寿のEに寄り、麦酒1つに寿司を数皿平らげて大人しく帰った。一日曇り。寒気が入り概ね涼しい。


7/17・木
 晴れのち曇り。三十二度程度。午後出社。退社後は月波君と佐渡屋へ。大将やバレーボール軍団も来ていて、さながら木曜会の様な盛り上がりぶりとなる。一時頃帰宅。


7/16・水
 飲酒や合成麻薬による自動車事故が続く。飲酒運転が危ないことは言うまでもないが、実を言うと、仕事の後などに居酒屋に少しだけ寄って帰るのは、其れほど危険ではない。本当に危ないのは、飲めば飲むほど自動車を運転したくなる手合いだという。酔っ払いが、意味も無く店を梯子したり、矢鱈散歩に出たくなるのと同じ心理である。泥酔者はどんなに頑張って歩いても時速二キロも出ないが、それを自動車でやられると堪らない。こうなると、酔うと動かなくなる自動車のようなものを拵えるしかないようである。今の管理技術なら十分可能であろう。
 朝からかんかんに晴れて日中三十五度近くになる。午後出社。夏期講習の時間割を検討するも、穴は中中埋まらず。というのも学生講師諸君が思うように出勤出来ない。最近の大学は、セメスター制により前期と後期が厳密に区切られていて、七月いっぱいまできちんと授業があるからである。何処の学習塾も人繰りで苦労していることだと思った。退社後は久久に立ち飲みBへ。冷房力が足りないから、暑くなると途端に空いていた。中華立ち飲みも同様であった。


7/15・火
 朝方からグレの姿が見えない。色色と探すと、隣地に建つ家に勝手に上がり込んで、大いに寛いでいる。そう言えば此の家も随分前から空いている。其の上、二階の窓が少し開いているから、猫にとっては出入り自由の別荘感覚である。吾人は猫ではないから、重い体を揺すり揺すり、塀をどうにかよじ登り、早く戻って来るよう説得す。
大体晴れて、日中三十三度程度。午前は猫探しで草臥れたので、午後は国会中継を見る。国会は閉幕したが、昨日今日と集団的自衛権を巡っての衆参集中審議をやっている。流石に首相の旗色は悪いようである。尤も関連法案の審議は当分やらないそうである。ほとぼりが冷めるのを待っているのか、閣議決定だけで気が済んだのか。こうなると早く体調が悪くなって、再び御辞めになるのを待ちたいところである。併し至極残念なことに、概ね首相の顔色は良好であった。
 夕方の民放ニュースを見ていたら、石巻辺りの漁業は概ね復旧したが、今は販路が無くなり、品物が売れなくて困っているという。被災後、牡蠣などは西日本の物が一気に流入した。其れ自体は仕方のないことだが、その結果奪われた販路が結局還って来ないのだという。人口減少と魚離れで、西日本でも魚介類は余っているのだろう。水産業に限らず、あらゆる産業がデフレーション=需要不足で困っているから、復興は容易ではないと感じた。ぼんやりとポストを覗くと、吾人宛の「臨時福祉給付金」の案内が入っている。余りに恥ずかしいので、そっと隠しておく。


7/14・月
 曇り勝ちだが異様に蒸し暑い。午後早く出社。大量の事務仕事を片付ける。授業する頃には、すっかりぐったりす。テストを実施して誤魔化した。退社後は佐渡屋と久久にバーIへ。夜になっても暑かった。


7/13・日
 概ね曇りがち。それでも三十度近くある。時時草刈り。滋賀県知事選挙では、非自民系候補が当選。滋賀という土地柄もあるが、候補者が乱立しなければ、十分対抗できると思った。


7/12・土
 一日朦朧とす。一日無為。連日の暑さ。冷房機初稼働。


7/11・金
 通信添削大手の会社から、御客の情報が流出す。それだけなら良くあることだが、問題はその規模である。その数、凡そ数百万。此の少子化の時代に、小中学生を中心に三百万人も御客がいるというから、大したものだと思った。
そもそも、此れだけ子どもが勉強をしなくなっているのに、通信教育という学習方法が未だに繁盛しているというのも不思議な話しである。大体、添削指導などというものは、学習塾も無いような僻地の子か、答案を欠かさず返却できるような物凄く几帳面な子がやるようなものであって、万人に受け入れられるようなものではない。それでもこんなに御客を集めるのだから、営業と宣伝が余程旨い会社なのだと思った。尤も最近は年寄り相手の方にも力を入れているようで、ベネッセ名義の超高級老人ホームは、方方に建っている。今後は、年寄り向けの会社に益益方向転換するかもしれない。第一、そっちの方が儲け甲斐があるというものである。
 台風が去り、一気に晴れて暑くなる。午後千寿に出社。東京メトロの長いトンネルを抜けて荒川沿いを走ると、もくもくと暗雲が立ち込めている。余りに立派な雲なので、すわ豪雨と思ったが結局大して降らず。天気の予測は難しいと思った。
本日の数学はユークリッドの互除法。橙隠学園高校で、こういう定理を習った覚えは全く無い。すっかり認知症になって仕舞ったのかとも思ったが、ごく最近教科書に追加された内容だと知って安心す。ユークリッドは、大昔のギリシャ人である。二千年も前に、よく凝んなものを考え付いたと悉く感心す。
 何とか教え込んで安心していたところ、仲田大将から、金曜会が盛り上がっているから、品川に帰ってくるようにと連絡を受ける。止むを得ず回航すると、咲子さんに、バレーボール集団に、轍田さんまで来ている。殊に轍田さんは久久の登場である。国会が閉幕して漸く飲みに来られたのだろう。吾人も身銭を散散に切って対応す。佐渡屋に二時間、更にワインバーのような所にも寄り、自転車の轍田さんを大通りまで案内して帰路に就く。身も財布もへろへろになって歩いている内に、すっかり夜も明けた。


7/10・木
 台風は崩れながら九州に上陸し東進す。南風が吹き込み異様に蒸し暑い。午後バス出社。本日の中一クラスも、格段にやる気の欠片も無い。蒸し暑く、怒る気も褒める気もないので、放っておいたら、大方ずっとスマートフォンをやり続けていた。
退社後は佐渡屋に。最終バスで帰宅。しかし台風も力尽きたと見えて、雲も風も千切れ千切れとなる。これなら自転車急行が運転出来た。気象情報も大袈裟が過ぎると思った。


7/9・水
 未明は弱い雨。以後曇り。台風は徐徐に接近す。夕方は少し降った。午後出社。退社後は佐渡屋に。御客も少なかった。帰宅後はテレビ東京で「孤独のグルメ」を見た。酒の飲めない主人公が、見知らぬ町に行き、此の店は正解かそれとも不正解かなどと自問自答しながら、ただ只管飯を食うという番組だが、中中面白い。四番目のシリーズだというから、一般的な評判も良いのだろう。何処の町もナショナルチェーンばかりになったから、こういう番組に支持が集まるのだと思った。此れで少しは古い定食屋などに耳目が集まるとよいのだが。何はともあれ、水曜の夜には楽しみが一つできた。


7/8・火
 建材や職人手当の高騰などを受け、オリンピックの計画見直しが続いている。幾つかの施設建設が中止、近隣都市への振り分け開催が検討されている。この辺は都知事の判断が働いているようで、元国際政治学者らしい、しっかりとした行政管理がなされていると思う。さて、名古屋の鉄道会社は例の計画をどうするのだろうか。当初の見積もり金額で収まるとはどう考えても思えないのだが。朝から良く晴れた。気温は三十度を超える。体調も概ね戻るが、一日養生す。三日連続で麦酒のみ。而も僅少。
 ところで、最近全く別の野良猫が近寄ってきて餌を強請る。まだ生後数か月の子猫である。当然痩せている。旨い物の味も知らず、人に撫でられもしないというのであれば、可哀想と言えば、可哀想には違いない。併しこれ以上飼えないから、最低限食べさせてから追い払うこととす。


7/7・月
 午前中は霧雨。どうにも体調がすぐれない。喉の痛みに、足腰まで痛む。おまけに肌の調子も悪い。胃が閊えて食欲もない。不定愁訴である。更に超大型台風も接近中であるという。
午後出社。喋る元気がないからテストをしてやり過ごす。退社後も直ぐに帰宅。夜はピザトースト一枚のみ。対外的には一円も使わず。


7/6・日
 曇り時時晴れ。午後は断続的に草取り。比較的涼しいが少し動くと汗が噴き出す。夜のお酒も麦酒のみ。


7/5・土
 再び朝方にくしゃみと咳が止まらなくなる。今回の風邪も異常にしつこい。市販鼻炎薬とメジコンで抑える。一日曇り。月波君がお酒を飲みたいと言う。毎度毎度同じ街の同じ店で同じ話をするのに嫌気が差したので、今日は京成の立石に出掛けることにした。三時に駅で待ち合わせ。併し目当てのもつ焼き屋はまだ開店準備中。アーケード内の老夫婦の居酒屋で暫し待つ。重くなった腰を上げて五時に行くと、既に行列が出来ていた。二十分ほど待って入店。もつ焼き「江戸っ子」の、豚の脂をさっと炙った、文字通りのあぶら焼きは流石に旨い。炭酸強めのハイボールとよく合う。ここの所、体調不良も重なり、何だか鬱状態だったが、強めのアルコールで吹き飛ばせた感じがした。
其の後、古い食堂を経由して、線路端の立ち飲み屋で電車を見ながら飲む。立石というのは本当の下町のような所で、そこを羽田空港行きや成田空港行きの電車が、轟轟と走り抜ける。空港の先には日本各地や世界の国国がある。子どもの頃からこういう行き先を毎日見せられたら、大志を抱いて海外に雄飛するような若者に育つ筈だと思った。併し身の回りにはだらしのない酔っ払いが、うようよ歩いているから、教育効果も減殺してしまうかもしれないとも思った。いい加減酔いが回ったので、馬込行に乗り、押上で乗り換え。昨日と同じように中央林間行きに乗って帰った。十一時ごろ帰宅す。


7/4・金
 一日曇り時時霧雨。退社後は一人で中華チェーンの福心へ。このチェーンも東部地区には多いが、城南地区には一つもない。入るだけで何だか遠くに来た感じになる店である。店内には鏡が複数配置されており、広く見えるばかりか、吾人の姿も反射して延延と続いている。鏡の世界に吸い込まれそうな気がして何だか変だった。延延と半蔵門線田園都市線直通に乗って帰える。先行列車安全確認の為、途中五分ほど表参道で停車。二週連続でダイヤ通りに走っていなかった。


7/3・木
 早朝から地震多し。日中曇り。夕方から雨。洋上での米艦擁護(就中掃海艇の派遣)が集団的自衛権の骨子であるように言われている。正直な話し、世界的に見れば大した軍事協力ではない。此の程度の軍事協力が、米側の再三再四の要請に反して代代拒絶出来たのだから、日本国憲法というものは偉大な対米障壁であったと思う。(但し沖縄の膨大な基地は残されたままであるから、沖縄は丸で憲法の対象外であるかのようである。この件に関しては本土の人間はもっともっと恥じ入るべきであることは言うまでもない。)
それに今頃、日米の仮想相手国辺りの若い参謀たちは、ジャパニーズネービーとは、少なくとも法的には誠に手足を縛られた存在であったのだと、改めて相手国の憲法に感銘を受けていることだと思う。国と国との海戦の可能性は大部低いから、この点に関しては、ある程度の楽観も許されるだろう。(もちろんこれが蟻の一穴になるという危険はあるし、例の南の無人島を巡って偶発的な衝突事故の危険もあるにはある。)
だがネービーに反して、アーミーが海外に出ていくのは、極めて危険である。ジャパニーズアーミーと言って、パレスチナのために戦ったJRAを思い浮かべるのは、最早少数派である。ということは日本も愈愈テロルの対象国家入りである。(現にアルジェリアの油田ではそうなって仕舞った。)この方面の戦争には、前線も後方も停戦協定も何もない。
喉の痛みは取れず、市販漢方薬を緊急購入す。午後出社。退社後は佐渡屋に少し寄った。止み間を選んで帰宅す。夜になると結構涼しい。今年は冷夏だとありがたい。


7/2・水
 都議は酷い野次を謝罪し、兵庫県議は交通費の横領を号泣しながら釈明す。此のところ、日本人の幼稚化が著しいと思った。午後出社。佐渡屋に行くと、丁度生徒の親も飲んでいた。確率の問題で何時かこういうことも起こるだろうと思った。適度に歓談して過ごす。喉の痛みは取れず。麦酒も沁みるから、あまり酔えなかった。


7/1・火
 今日から今年も下半期になる。喉の腫れは引かず。再びポンタールをのむ。咳が出るので夕方メジコン。腹が立つからテレビなどは見なかったが、集団的自衛権の行使容認は閣議決定されたよう。今後は膨大な関連法案の国会審議に移ることになるが、現在の与野党の勢力分布図を見ると、どうにも期待薄である。
 シリアの一部とイラク北部は宗教派に占領され、新たな国家の発足が宣言されたという。従来の国境線など意に介さない。ワールドカップもオリンピックも従来の国家という物を単位としているから、サッカー休戦もオリンピック休戦などもある筈もない。こういう世界に出ていくのは、猶更危ないと思った。