2014年9月

9/30・火
 昨夜飲み過ぎたせいか日中ふらふらとす。朝からかんかんに晴れ、今日も三十度近く。今度は六号室の退出が決まる。従って来月はまた工事である。夜はドラマ「聖女」。女主人公の悪の面が暴露されるが、大方人間とはそういうものであろう。聖と悪の弁証法である。
御嶽山の噴火災害、火山ガスのせいで犠牲者の搬出進まず。もっと早く何とかしてやれないものか。御嶽山は有史以来最大の噴火だという。詰まり少し前に一二回噴火して以外、概ね二千年程度は大して噴火していなかったとのことである。ということは私たちの目にするものの多くが人知の範囲外である。


9/29・月
 護憲派の元政治家が亡くなる。今一度山を動かして、某首相の頭の上に非難の雨を降らして欲しいと思った。臨時国会始まる。今国会はどういう訳だが、地方再生国会とのことである。所信表明演説を要約すると、潜在能力のありそうな地域は精精頑張って、外国人観光客を集めるか特産品を売り出して下さいということで、何らの具体策は無し。裏を返せば、頑張らない地域は、国は面倒を見切れないので、消滅するか、迷惑施設の受け入れ先になって下さいということらしい。御金がないからもう国に頼るなと自助努力を説くことは、それはそれで結構な話しだが、それを国の最高責任者が言って仕舞っては、元も子もないと思った。
午後出社。バーIに行く。店主や綾子さんに気前よく飲ませている内に金伍千円失う。一時半帰宅す。


9/28・日
一日晴れ。同じ世田谷だが丁度点対称の位置にある世田谷文学館まで自転車で出掛けた。途中図書館とラーメン屋で休憩し、大体一時間半。世田谷は広いと改めて思った。「日本SF展」の最終日に滑り込む。子ども頃はアシモフとかクラークとか星新一などを読んだ記憶がある。SFは読書の森の裾野に位置しているといったところか。
SF作家は過去が暗い分、未来を描くのだよという星氏の発言がパネルに貼ってあった。戦後第一世代の作品には、滅亡とか沈没とかいうテーマが多いし、また漫画の原画などを見ても今一つ明るくないのも、一連の敗戦経験の影響なのだと思った。またそれは戦後日本の共通感覚でもあった筈である。其の後また一時間掛けて帰宅す。今日はよく運動した。
夜は公共放送で「老後破算」を見る。出て来る年寄り、出て来る年寄りが、こんな貧乏になる筈じゃなかったと宣っていた。而し老中・老前の現役世代でも此の有様なのだから、将来こういう人が続出するだろう。こちらは列記としたノンフィクションである。それにしても困っている人を抱え込むのも国民国家の仕事である。税金の足りない分はグローバル企業に取り立てに行くべきであると思った。
御嶽山噴火の犠牲者は三十人超の模様。何も良く晴れた土曜の昼に噴火しなくてもと思った。災害は常に理不尽である。水蒸気爆発とのことだが、二十一世紀の技術を以てしても、予知も予測も出来ず。観測力の不足は、予算配分の結果なのか、そもそも人知の狭さなのかは判別できず。


9/27・土
 一日晴れ。御嶽山突如噴火す。かなりの登山者が巻き込まれたよう。伊那から近いゆえ、いつか登ってみたいと思っていた山だけに心配である。
 昨日受け取った原日記の七月分を読む。学生批判が復活していて安心す。何処からか何かしらの力が加わったのかもしれないと少し心配していた。酒の肴として幹線道路の向こう側に移転した魚屋に刺身を買いに行く。吾人の顔を覚えていたらしく甚く歓迎された。他は肉屋のとんかつ。九時就寝。


9/26・金
 空気が入れ替わり朝からカラりと晴れた。昼は隣町の手作り弁当を買いに行く。500円が540円に値上がり。諸物価高騰中である。午後千寿に出校。何とかシーターの指導で消耗す。退社後は飯田橋に回航し、月波君と松子という店に入る。此の店は入り口は実に立派だが、中は実に大衆的な居酒屋である。麦酒は二百九十円。それにどういう訳だが、寿司も手打ち蕎麦もある。当然店内は大混雑で、厨房も戦場ならば客席も同様である。わあわあ大声で怒鳴るように会話す。叫び草臥れたので割と早めに退散。
 月波君と別れ有楽町線に乗る。車内を見渡すと中年酔客も多いが若いOLも結構いる。残業か飲み会帰りか。大方単身者であろう。女性の場合、キャリア形成の時期と婚期及び出産期が重なって仕舞うので中中上手く行かないのだと思った。東京とは日本中から若い女性を吸い込む一種のブラックホールであるという、例の増田リポートを読みたいと思った。それにしても会社で働くのは益益辛い。最近は主婦志向も増えているという。吾人も早く退職したいと常常思う。
そんなことを考えている内に、永田町だと思って飛び降りたところ、まだ市ヶ谷であった。こんな降り間違いをするとは、幾らメトロに乗り慣れないとはいえ、吾人も耄碌したものである。其れにそもそも有楽町線半蔵門線は嘗ての通学路である。恐縮しながら最終の長津田行で帰宅。飲み足りない分は金宮焼酎を緑茶で割って飲み直す。


9/25・木
 南風が吹き荒れ午後は真夏のようになる。午後出社。退社後は中華立ち飲みとバーIへ。バーと云っても、此処は御飯も味噌汁も出て来るので、御つまみの麻婆茄子を定食にして食べて帰った。1800円。
 九州辺りでは大規模太陽光発電の申し込みが殺到し、晴れた日などは全使用量が賄えるほどになるという。供給が却って不安定になるとかで、九電は受け入れを一時中断する。となるとあとは巧く蓄電すればいいと思った。それにしても僅か三年でここまで来た。つまり昼間の電気ぐらいは全部作れるところまで。何とはなしに感慨深いものがある。


9/24・水
 昨日は午後五時帰宅。以後本日午後三時の出社までの長大間合いを作り、体力回復に努めた。退社後は晴雷亭へ。五目そばに麦酒を一本。丁度千円なので切りよく其のまま帰った。台風崩れの温帯低気圧日本海を北上。時時南風が吹き雨が降った。植木屋さんから請求書が来る。13万円余、其のうち処理費が4万円。此れも年寄りの一般会計から出る。


9/23・火
 朝の七時に起きて鎌倉に向かう。家人の言う「足利の叔母さん」の五十回忌ということで、お墓参り兼食事会の運びとなった。鎌倉駅九時過ぎ到着。駅前は朝だというのに大変な混雑となる。須見伯母に加え川崎の叔父さん夫婦と待ち合わせ。
霊園行きの京浜急行バスは臨時便も出しているが、出るバス出るバスが超満員。丸でバスのフェスティバルいやカーニバルである。這う這うの体で定期便の八景行きに乗車。朝比奈峠で下車。此処は母方のお墓がある。綺麗な公園墓地だから草も蔦も生えていない。着いて早早に手を合わせられるから、些か拍子抜けである。其の後広大な霊園内を散策。再び満員のバスに乗り、山葵という寿司店に移動。鎌倉の伯母さん夫婦は此処から合流。
 まだお昼だが、夜のコースを予約していたらしく、鮟肝や白子、海鼠腸などの先き付けから、鰹刺し、秋刀魚の焼き物、揚げ茄子の冷製煮びたしなどを食べてから、一通りの握りずしが出て来た。謂わば贅沢のし放題となるが、財源は年寄りの特別会計予算だから、吾人も遠慮なくお酒を飲んだ。ただ高級寿司というものは、例によって舎利が極端に少ない。ライス大盛りでといいたかった。
十二時入店で退店が三時近くだったから、随分お酒を飲み過ぎた。横須賀線ではいっそ寝台車が欲しいくらいな程ぐったりとす。這う這うの体で帰宅して見ると、留守番役の老家人は悉く不機嫌である。母方の親戚と親しくしていたからであろう。年寄りの嫉妬にも困ったものである。いっそもう少し耄碌して貰った方が有り難いと思った。


9/22・月
 まず枯れた桃の撤去から開始。掘り起こした根の部分にチェーンを巻き付け、支柱を立てて滑車で引き上げる。一時間ほどで終了。今回は親方と親方の父君に加え、若い職人さんも来たので作業は早い。以後剪定に取り掛かる。檜二、楓三、梅一、桐三、椿三、躑躅多数に、金木犀に、その他大小の低木高木を片っ端から切り揃える。例によって専門家には専門業務に専念して貰おうと、吾人は切った枝を下げる係を受け賜った。
親方によると今年は植物がよく育ち、伸びた庭木をどうにかして欲しいと剪定依頼が殺到しているという。而し二年前もそんな会話をしていると思った。つまり気候が温暖になり一年中植物が育つようになったのかもしれない。となると造園業は文字通りの成長産業になると思った。
結局二トン積みのトラックが満杯となる。此れを脚立に高枝切り鋏で切っていたら、何年掛かっても終わらなかっただろう。もっと手伝いたかったが午後三時出社。退社後は鶴木さんらと飲む。飲み終えて帰ると、庭が丸で真冬になったようにさっぱりとす。


9/21・日
 明日から愈愈植木屋さんが入る。あまりにも酷い庭なので、此のままでは植木屋さんに見せられない家人が宣う。という訳で結局朝から片づけと草取り。一日良く晴れた。
昼は少し離れた台湾食堂に行く。店内は北京語だか広東語だか分からないが、兎に角中国語が飛び交う。台湾ラーメンにほぼフル規格の炒飯が付いて700円。炒飯は強火力でパラりと仕上がっていて旨かった。ただ何かが足りない。大抵のメードバイチャイニーズの炒飯は塩味中心である。仕上げに鍋肌一垂らしの醤油が欲しいと思った。
それにしても草むしりは疲れる。実働三十分で二時間の休憩を要す。午睡をしていると直ぐに日が暮れた。一日が二十四時間ではとても足りないと思った。夜は伊那の松茸御飯。今年は雨が多く豊作だという。夏の日焼けと虫刺されと汗疹で皮膚の損傷が著しい。あちこち痒くて困る。入浴後は修繕作業に取り掛かる。


9/20・土
 一日曇り。両家人とともに一年振りに小平霊園に参る。例によってタクシヰを掴まえ、七号線を北上し、野方から西武線に乗り換えた。以後草と蔦に侵食されたお墓を復旧す。線香を焚きながら墓石に向かい手を合わせる。老家人は「また来るからね」と宣っていたが、精精中に入らないようにしなければと吾人はつくづく思った。
其の後小平駅近くの清流という蕎麦屋に入る。店の内外とも大変な混雑で、繁忙期限定メニューという天丼もざるそばも登場まで三十分は掛かった。思えば小平の飲食店というのも、年に二回は御客が洪水のように押しかけ、どの店も丸で土用の丑鰻屋か、大晦日のお蕎麦屋さんである。急に押しかけたところで儲かるかどうかは分からないから、迷惑なお客かもしれないと思った。再び野方からタクシヰで乗車す。二時には帰宅す。内装屋さんが来ていて、一号室の完成引き渡し。完成後は例によって量販スーパーに瓦斯台を買いに行く。パロマ社製。珍しく此れはメードインジャパンだった。何だか今日も草臥れた。


9/19・金
 イギリス、と言っても、ブリテン島北アイルランド連合王国だが、スコットランドの離脱は何とか回避された模様。イギリス事情にも詳しくないが、スコットランドの人人は相当怒っていたのだろう。離婚の自由、辞任の自由、離脱の自由、独立の自由。そういう自由を前提としてこそ、連合=ユナイデットの価値は一層高まる。イングランドの人人も今後は少しは気を使うことになるだろう。一方、沖縄の人人も怒っている。此方も独立の自由をちらつかせるべきであろう。
 枡の修理は一時間ほどで終了。午後千寿に出社。二週ぶりの出校だが何の感慨も無し。もはや千寿と聞いただけで苦痛である。淡淡と授業するも数Ⅰは幾何に突入。サインコサインの類はどうにも苦手だが、此処では相談する相手も無し。
退社後は商店街をうろ付く。すると北陸発祥の金沢カレーという店が目に留まる。薄いカツが乗っていて730円。御飯は小盛りにした筈だが、カレールーが丸で足りず後半は福神漬け御飯となる。おまけに食器が金属製のため、カチカチキーキーと嫌な音がする。何だか何処かの収容所にいるような感じがした。どうにも宜しくない。カツカレー500円の上野のクラウンを見習うべきである。千寿の憂さを快食で吹き飛ばすことは出来なかったから、詰まらない顔をしてそのまま地下鉄で帰った。


9/18・木
 午前中に設備屋さんが入り下水管の検査。詰まりはないが、汚水桝の一部に亀裂が見つかる。建物と建物の接合部分だったから、地震で無理な力が加わったのかもれない。汚水が海まで流れて行ったら大変なので早急の補修をお願いした。つくづく家作業は装置産業である。又一号室もほぼ完成。取り寄せたLED電燈を取り付けた。アイリス大山製。調光調色機能付きで二つで1万3千円だから随分安くなった感心す。当然メードインチャイナ。幸い次の借り手も決まった。草と蔦との戦いにも勝利しつつある。取り敢えずやれやれである。
 午後出社。散髪の後、少しチラシを撒いて歩いた。今日は更に涼しい。まだ行ったことの無い何処か遠くの土地を歩いて見たいと思った。退社後は、立ち飲みB、中華立ち飲みと連戦。久久に鶴木さんらと会って帰った。


9/17・水
 一日曇り勝ち。午後出社。退社後はバーIに寄って帰った。
26か月連続の貿易赤字。あのソニーも大赤字で無配に転落。生憎ソニーの音を聴き分けるほど鋭敏な耳を持ってはいないが、拙宅のステレオ型のCDプレーヤーは代代アイワ製であった。円安が急速に進む。1ドル108円。又これで諸物価が高騰するだろう。それにそもそも資源の価格自体が二十年前とは比較にならないほど高くなっている。


9/16・火
 連休最終日。一号室に掃除屋さんが入る。序に拙宅のエアコン掃除も頼んだ。洗浄液を掛けると真っ黒い液になって出てくる。家電の類ではあるがエアコンというのは定期的メンテナンスが必要である。日中三十度近く。試運転がてら涼んだ。ただ一号室のエアコンの吹き出し口の扉が閉まらない。2008年製だからまだ新しいが、同様の故障は三件目である。三洋電機末期の製品は酷いと思った。あとは結局草取り。御昼に直下型地震。都内も震度四を記録す。


9/15・月
 連休四日目。概ね晴れた。敬老の日ということで、久久に伯母の施設に参る。その前に施設近くの場末な中華屋で炒飯を食す。700円もしたが、塩気が強くて胃の中まで辛くなる。和菓子屋を探し水羊羹を買って帰宅。ところで伯母は概して元気だったが、耳も頭も遠くなり意思疎通に手間が掛かる。年寄りと話すには御酒でも持参せねばならないと思った。その他は只管草を取るのみ。
国道六号線が全通す。といっても途中の危険区間は停車も下車も出来ず。又空き巣対策で脇道は全て閉鎖されているとのことである。夜は「ペテロの葬列」の最終回。色色と悪意が循環した結果、主人公の夫婦は離婚に至る。何だかよくわからない家庭的な結末に困惑す。
今日で世間一般の三連休も御仕舞。御天気もまあまあで各行楽地、高速道路は混雑したよう。いっそ月に二回程度は週休三日にして仕舞えばいいと思った。つまり四週十休の導入である。其れに祝祭日と盆休みと正月休みを加えれば、有給休暇の消化率がゼロでも、年間休日150日以上となるだろう。


9/14・日
 連休三日目。一日からっと晴れた。日曜出勤の経師屋さんにお茶を出す。以後漸く本に手が伸びた。高見順「敗戦日記」。百鬼園先生の、御酒が無い、御風呂が無い、鹿の食ふような物しか無いという、とぼけた感じもいいが(「東京焼盡」)、此方は直球勝負である。「日本人だって残虐だ。だって、というより日本人こそといった方が正しいくらい、支那の戦線で日本の兵隊は残虐行為をほしいままにした。権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、子羊のごとく従順、卑屈。ああなんという卑怯さ」と。また、慰安婦制度に怒り、それを真似て進駐軍用にいち早く拵えた特殊慰安施設にも怒っている。「気違いじみた大声、自分だけが愛国者で、他人はみな売国奴だと言わんばかりの」似非愛国者がついに国を滅ぼしたとも憤怒している。朝日新聞を執拗に攻撃する者たちは、この日記をどう読むのだろうか。
 昼は510円のとろろそばを食うつもりだったが、出て来たものは490円のおろしそば。店主は途中で誤りに気付き、しきりに恐縮していたが、食券前払いの20円の返金は無し。一一請求するのも度量が狭いと思われるだろうが、どうにも気持ちが悪い。


9/13・土
 連休二日目。メトロを乗り継ぎ、家人と飯田橋の宮城会館へ行く。伯母の所属している日本舞踊の会が、浴衣ざらいをするというので出掛けて見た。五月の連休に会った例の特急OLの林さんも出場するというので、尚更行かない訳にはいかない。南鎌倉の伯母夫婦、月波君も参加す。一時半開始。以後まんじりともせず舞踊を見ること二時間半。人格の陶冶の為には忍耐力が必要である。
それにしても、日本舞踊の会は御師匠が97歳で、大半の御弟子さんが70代以上だから、若い人は林さん唯一人である。御稽古事も高齢化が著しい。此のまま中間層が没落して御金が足りなくなれば、御茶も踊りもお箏もバレーも書道教室も、みな廃業の危機に陥ると思った。四時前解散。結局月波君と麦酒を5リットルほど飲んで帰る。暑いせいか草臥れた。九時前には帰宅。十時就寝。


9/12・金
 吉田証言に吉田調書にと朝日新聞の訂正が止まらない。しかしまた此れで週刊誌が鬼の首でも取ったように騒ぎ立てるのかと思うだけでうんざりす。吉田調書という物も読んで見たが、取り立てて目新しい内容は無し。色色と危険な兆候はあったようだが、来たら困るような大津波は、来たら困るからきっと来ないという危機感の無さが目立つ。事故への備えが此の程度なのだから、事故対応など出来る筈もない。右往左往の大混乱に陥るのも当然である。そんな中でも原発所員は比較的健闘した方だと思う。詰まりある程度の職業倫理というものは認められる。結局どうにもならなかったとはいえ、それを逃げ出したと言って仕舞えば、少し可哀想であると思った。
 千寿校を休みにして貰ったので今日から五連休である。朝から佳く晴れた。何処かに行こうと思った。世田谷に住んでいると、手っ取り早く奥多摩か高尾山か丹沢方面が有力だが、折角こうして涼しくなったのだから、久久に海を見たいと思った。ということで三浦半島に出掛けた。横浜で京急線に乗り換え、津久井浜で下車。国道沿いの魚警という回転寿司屋に入る。此処は地魚が充実している。皮剥やいさきや黒ソイに鰯と色色食べたが、結局一皿180円のかますが一番旨かった。かますは秋が旬であるという。凡そ十皿、麦酒一本、日本酒二合飲んで四千円。たまの贅沢である。
其の後、波打ち際を三浦海岸駅方面に移動す。するとウミネコかカモメが屯している。数学でも教えてやろうと思って近づくと、大挙して逃げ去った。どうにも興味がないらしい。海鳥に交じって鳶もいる。併し賢くなって立派な子を生んで貰っては却って困るから教えなかった。大体もうこの国に鷹はいらないからである。などと下らない事を考えている内に駅に着いた。それにしても帰るにはまた早いので、出鱈目にバスに乗ることにした。幸い三浦半島はバス便が充実しており、バスで困ることはあまりない。
 南欧の様な色鮮やかな畑作地域を越え、市民病院を経て、逗子行きに乗り換え。風光明媚な西海岸を機嫌よく走る。すると沿道には警官がうようよしている。どうも葉山の別邸に何方かいらっしゃるらしい。今生天皇は慎み深い人格者だから、今更過激派や国際テロ組織が襲ってくる筈も無し。道路の片側を数えただけでも私服制服がざっと二百人は居たから、全体では千人近い警備規模だろう。全く以て警備費の無駄である。そんなに警戒がしたければ、夜更けのコンビニか牛丼屋の前に立って貰った方が、余程国民生活に寄与する筈である。此処はもう一度人間宣言をして頂きたいと思った。
巡査の大群を見ているだけで矢鱈と腹が立ってきたので、立った腹を横にしようと逗子からは横須賀線グリーン車に乗った。横浜まで運賃が340円でグリーン料金が770円だから、どうにも釣り合いが取れないと思った。正しく理由なきグリーン車である。缶麦酒を飲み、腹が横になったところで横浜到着。横須賀線のホームが新しくなっていて驚く。六ずかしい顔をしながら東横線に立って帰った。五時前には帰着。其の後一雨あった。


9/11・木
 震災から三年半。未だ復興住宅は満足に建たず。また9.11を前に米大統領は演説し、イスラム国を徹底空爆すると宣言す。ああいう過激派は何とかしなくてはならないとは思うが、軍事攻撃以外の方法は無いのだろうか。偉大で穏健な指導者が出て来ないものかと暫し思った。そして説法と喜捨の一本で解決できたら佳いと思った。破壊から建設へ、自動小銃を大工道具と太陽光パネルに換えよと諭してくれないものか。
 朝から数度に渡り大雨。することもないので昏昏と昏睡す。止んだところを見計らって午後出社。過眠で何だか一日ぼんやりす。退社後も隣町の「餃子の王将」に一人で寄って直ぐに帰った。何もしてない割に何だか草臥れた。今晩は誰とも会いたくなかったからである。


9/10・水
 矢鱈と蒸したが、夕方から大気の状態が不安定になり各地で大雨。但し西から湧いた雨雲はB29のように中央線沿いに都心と下町を目指したので、城南地区は大して降らず。
午後出社。現代文および小論文を担当している高三の男子生徒は、当方の問い掛けにも全く無反応である。与えた課題文も読んで来ないしノートもとらない。喋れないのか、喋らないのか、一言も発しないから丸で判断が付かない。最近こういう感情を失ったような生徒が多くて何だか可笑しくなる。給料参萬円貰う。最早朝三暮四ですらない。気晴らしに退社後は佐渡屋に行くも、店主の釣り仲間が大挙して来ていて吾人は会話に入れず。止む得ずバーIに避難す。すると新入りの女店員が歓迎してくれた。禍福は何とやらである
 デング熱の拡大続く。蚊を出さないのも蚊に刺されないのも、公衆衛生の為である。結局、草を刈らなくてはならない。家人が蚊取り線香をもくもく焚き始めた。屋外の煙が室内に流入しているらしく、くしゃみが止まらない。紫煙も香煙も苦手である。
一方、街場の景況感が大変なことになっているとのことで、消費税率の引き上げ時期を巡って、堂堂巡りの下らない議論が再び始まろうとしている。上げようが上げまいが税金が足らないことは確かだし、上げたら上げただけ内需が縮小することも避けようもない。どちらにしても日本の将来はお先真っ暗である。吾人は何の期待も抱かない。戦争さえ起こさなければそれで結構である。


9/9・火
 一日晴れ。大工さんは室内で、一方の吾人は室外で作業す。不思議なことに刈っても刈っても、刈ったものを袋に詰めても詰めても草は一向に無くならず。午後はぐったりす。午睡の後、近所の店で穴の開いた財布を買い替えた。1200円。今度はメードインインディア。あまり高い物を買ったところで、中に詰める御金がないから大方こんなものであろう。
 昭和天皇の公式記録が出たそうだが、正直な所、余り関心が無い。調べたいのはやまやまだが、開戦と終戦の件を調べるだけで矢鱈と腹が立つことは間違いない。もう腹の立つことは十二分に味わっている。遠くのテニス大会が、滔滔吾人の人生に影響す。大会のダイジェスト版を放送するとかで、ドラマ「聖女」が放送延期となる。全く以て腹が立つことばかりで困る。


9/8・月
 一日降ったりやんだり。一号室の内装工事始まる。午後出社。すると大貧学院の元生徒で元講師で、建設会社に就職した江川女史から飲みに来て欲しいと電話が入る。立ち飲みBに行って見ると既に泥酔していて散散に絡まれた。江川君は建築士の免状もある才媛だが、酔って仕舞えば女下士官のようにどう仕様もない。母校乃至母塾を時時訪ねてくれるのは有難いとは思うが、せめて酔い切る前に来て貰いたいと思った。
泥酔者を電車に乗っけた後、一人で佐渡屋に寄り少し心を落ち着けて帰る。やっとの思いで家に辿り着くと、中村あゆみのCDが届いていた。吾人が学生の時分によく聴いた歌手である。鬱鬱とした中学高校生時代ほど音楽を聴いた時代は無かった。最近のCDにはDVDがおまけで付いている。黒糖焼酎片手に夜更けまで鑑賞した。思えば此の時代は何事にも勢いがあった。概ね18歳人口が多かったせいであろう。


9/7・日
 午前中は雨。昏昏と寝る。夕方月波君がお酒を飲みたいというので、職場のある品川の方に回航す。丁度祭礼をやっていて、何処の飲食店も混んでいた。駅から外れた古い天麩羅屋に行き、佐渡屋に行き、晴雷亭まで行って帰った。
日本人テニス選手が活躍しているそうだが、試合中継は有料衛星放送のみ。拙宅も含めて大半の国民は見られず。テニスは見るだけでも御金が掛かるスポーツである。生憎スポーツは見るのもするのも苦手なので、吾人の人生には何の関わりも無し。


9/6・土
 昨夜は一時半頃に就寝。而し五時に起床す。ここの所アルコールが切れた瞬間に覚醒甚だしい。一種の睡眠障害であろうか。仕方なく早朝から草を抜く。近所から蚊の発生源だと思われたくないから作業を加速す。一号室に取り付ける換気扇を量販店に買いに行った以外の大きな外出は無し。三菱ブランドだがメードインタイランド。5000円もしたから、円安の影響が出ているのかもしれない。寒気が入り夕方から雨。雷も鳴った。以後大変涼しくなる。


9/5・金
 南風が吹き荒れ久久の三十度超え。此の一か月の電気使用料は211キロワット。八月は第四週から涼しくなったから前年比25%減。金曜日が近づくと憂鬱が高まる。午後千寿に出社。五時からずっと授業。何遍教えても二次方程式が出来ない。十時退社。草臥れたので鰻都都というチェーン店に入り千円のうな丼を食べる。麦酒半額は有難かったが、鰻は兎も角、御飯がハリハリなのが勿体無かった。まあ夜の十時半に旨い物を食おうという発想が可笑しいのだろう。
今年の中日はリーグ五位と低迷甚だしいが、今夜は49歳の投手が先発し勝利を収めた。吾人より年上の野球選手はもう僅かになって仕舞った。何はともあれ快挙である。


9/4・木
 昨夜のアルコールが全体に充満し朦朧とす。家人の拵えたオムライスを食べ、午睡をしても、起きているようで起きて無く、聞いているようで聞いて無く、教えているようで教えて無い状態が夜まで続いた。退社後は佐渡屋で軽く飲んで御仕舞とした。
個人消費の低迷続く。想定以上だと騒いでいるようだが、給料が増えなくて、円安による物価上昇が続き、消費税率が上がったのだから、内需など増える筈もない。このままのペースで行くと、国民の多くが食料や服などの生活必需品を「青空市場」のような、消費税非課税な個人間取引で買い始めるだろう。消費の数%がそういう一種の「地下経済」に移行すれば、内需の突然死などという事態も起こるかもしれない。


9/3・水
 誰も何も要望していないのに内閣改造される。それにしても総裁と幹事長が喧嘩をしたり、当選回数順に閣僚になったりと、全く以て大昔の政治に戻って仕舞ったところである。女性の閣僚は増やしたそうだが、料簡と度量が男性以下の広さで、男女についての考え方が男性以上だから、どうにも仕様がない。員数主義ですらなし。この無意味な人事異動が政権支持率を早く落としてしまえばいいと思った。午後出社。あまり調子が良くなかったが、立ち飲みB、中華立ち飲み、バーIと飲み歩くうちにだんだん元気になった。帰宅は一時半頃。


9/2・火
 久久の晴れ。実に十日ぶりだという。濡れた草を干しつつ、乾いたものから袋に詰める。相模屋でうどんを食べた後、電気屋さんと外灯を直す。親の代からの付き合いの電気屋さんは何せお爺さんだから、吾人が下で梯子を支えた。其の後内装屋さんと下水管の保守管理について話し合う。火曜不出社だが案外忙しない。
 夜はドラマ「聖女」。見たところ女主人公には悪事をして仕舞ったという認識は無いようである。ただ必死に生きて来ただけだと。一方前日の「ペテロの葬列」の方では、ねずみ講組織の幹部が改心した後、罪滅ぼしのバスジャック事件を起こし、結果として色色な人を不幸に落とし入れることとなる。どちらも善行が回りまわって結果として悪を生んで仕舞うという近代小説の本線を行っていると思った。


9/1・月
 朝から断続的に雨。気温は25度にも届かず。御昼過ぎに内装屋さんが来て見積もりを取った。久久にバス出社。其のまま帰りたかったが、綾子さんが出社するというので、バーIに無理して出掛けた。おまけに帰りはタクシヰとなる(1720円)。土日は千円しか使わなかったとはいえ、飛んだ月曜日であった。特にお札が。
 代々木公園でデング熱の集団感染。目の奥が痛い以外の症状はインフルエンザに似ている。気候の亜熱帯化に伴い既に蔓延していたのかもしれない。