2014年11月

11/30・日
 前夜の疲れとアルコールが充満し日中朦朧とす。一日無為。今日で十一月も御仕舞。来月は愈愈選挙である。首相の顔を見るのもあと二週間となってくれれば佳いが。
日曜夜のテレビはロクな番組をやっていないのでラジオ、といっても録音された物をストリーミングで聞く。保阪正康昭和天皇実録に関する放送を月遅れで聴いた。昭和天皇は好戦派でも平和主義者でもなく、ただ皇統を守りたかっただけだったという。


11/29・土
 前線通過の為、御昼前後に結構な降雨。中華立ち飲みが荒川区の町屋に支店を出したというので、常連客の皆で表敬訪問。吾人と花蓮さんはフライングして串焼き屋に寄ってから合流す。以後二時間半の大量飲酒。其の後メトロを乗り継ぎ本店に戻る。更にバーIにも寄る。それにしても町屋は遠いと思った。支店担当のパパさんは此の距離を自転車で年中無休で行き来しているという。まさにプロテスタンティズムと資本主義の精神である。酔い覚ましと経費縮減の為、一時間掛けて歩いて帰宅。一時半頃到着す。


11/28・金
 アメリカで感謝祭明けのセール。景気回復中ということで百貨店に怒涛のごとく御客が押し寄せていた。ああいう光景は日本ではすっかり見ない。恐らく欧州でも。つくづくアメリカという国は異質である。
 月波君からお詫びの品の第二弾として「西部警察カレンダー」が送られて来る。実を言うと吾人も月波君も「西部警察」、中でも木暮課長こと裕次郎の大ファンである。木暮課長は兎に角偉い。小うるさいことは一切言わず、部下を信じ、本庁に盾を突き、仕事の後は馴染みの店でブランデーをがぶがぶ飲んでいる。木暮課長は、理想の大人像として、吾人の子ども心にくっきりと刻み込まれたのであった。あれからもう三十年、非力なことに現在の吾人は、御酒をがぶがぶ飲むところまでしか辿り着けていない。それにしても裕次郎さんは偉大だった。でもお兄さんが酷いから、兄弟を連結決算すると収支は均衡状態になるだろうけど。そのお兄さんも今度の選挙で愈愈引退してくれるという。
 一日曇り。午前中近所の団地で火災。結構近くまで煙が立ち込めていた。夕方千寿に出社。退社後は回転寿司Eへ。此処は閉店が早いから観察する余裕は無い。六皿ほど詰め込んで帰った。


11/27・木
 漸く朝から晴れた。昨年の参議院選挙も違憲状態との判決。定数補正は結局大して出来なかったから、今度の衆議院選挙も概ね違憲状態であろう。
 午後出社。駒沢通りの複雑な交差点で信号が青くなるのをぼんやり待っていると、眼前で自転車と軽貨物車が衝突す。不運なことに吾人が衝突現場から一番近い。止むを得ず救急通報をし、周辺交通を整理す。以後運転者と、通行人の初老の男性と吾人で、中年男性を介抱す。右の足の骨が折れているようで痛い痛いと宣うが、吾人としてもどうにも処置なし。こうなることが分かっていたのなら、高校生の時分に沢山勉強して外科医にでもなっていたのだが。
漸くやって来た救急隊員に怪我人を引き渡し、遅れて来た地域課員に事情を説明し、最後にやって来た交通課員に吾人の連絡先を伝えて御役御免となった。此の間およそ三十分。家を一歩でも出たら常在交通戦場とは言うものの、いざこうして人身事故を目撃すると吾人も緊張す。職場に着いても興奮したような感じは中中取れなかった。
それに普段は無暗矢鱈と追い掛けて来る地域課員相手に、事故を目撃し救命救急に協力した市民として堂堂と喋れて、今日は気分が良い。併しよくよく思い起こすと、吾人は事故の瞬間を見たわけではない。思い出すのは、ふらふらと出て行った自転車が自動車と衝突した以後の事である。悉く人間の記憶など当てにならないと思った。そもそもあの自転車は何をしようと思って交差点に入ったのだろうか。
それにしても統計上は些細な事故であっても当事者や居合わせた人にとってはつくづく大事である。歴史に残るような大災害や大事件に遭遇した場合の衝撃はもっと大変な物であろうと思った。退社後はバーIへ。過日の同齢女性=花蓮さんと親しく話して帰る。気分はつくづくよかったが、往路の事故現場はくれぐれも慎重に運転して帰った。


11/26・水
 昨日からずっと雨。毎度毎度、成長戦略の骨子は規制改革だと聞かされる。構造改革以来、この場合の改革とは自動的に大幅な規制緩和ということになるのだろう。学習塾にしろ飲食業にしろ、殆ど何の規制もないような業界にしか出入りしていない身としては、規制という物がどんなものか正直掴めない。無規制で激しい競争に追い込まれているサービス業こそ、何かしらの規制を作ることが必要であると思った。それにしても、毎度毎度、経済成長派と財政再建派の終わり無き罵り合いである。いい加減、前者は無理だと思うけどね。
 家に居ても何もすることがないので、午後早目にバスで出社。開口一番、無責任社長に転居の件について質問する。すると家賃を下げて来たので、今回の解散は見送りだと宣う。家賃四十五万のうち、家主の奥さんが内内に15万円を返してくれると形で話を纏めたという。本当にそんなに返してくれるかどうか、何分口約束にて信用できないと思った。尤も大方そう言う中途半端な落としどころに落ち着くだろうと思っていたが。
解散総転居は大貧学院にとって、乾坤一擲、起死回生、捲土重来は無理だとしても、起死半回生くらいにはなる秘策だっただけに、悉く残念である。それに家賃三十万ですら、近近行き詰まるであろうから、結局問題を先送りしたに過ぎないと思った。
転居が遠のくと聞き何だか気が抜け、以後ぼんやりと授業す。不用品の処分も取り敢えず終了である。退社後は中華立ち飲みに寄る。時雨が降り続くと酔客も少ない。早目にバス帰宅。環七で下車。余りに寒いので贅沢してもう一本乗り継いで帰った。
早く辿り着いたので、ケーブルテレビで録り溜めた映画を見た。『ガッチャマン』。四十年前のアニメーションの実写版である。それにしても勧善懲悪の正義の味方である主人公たちが、善悪の境界に悩み、超過勤務に憤っている。其の上、救国の大量破壊兵器が危うく味方陣営を滅ぼしそうになるなど、原作とは違い一筋縄では行かない内容となっている。此の四十年の世界観の揺らぎは大変なものであると思った。こういう複雑な物を年少者が見て理解できるとも思えないから、興行的には失敗であったのだろうが、こういうものこそ、自分が善であると疑わない馬鹿な大人に見せるべきであると思った。


11/25・火
 一日冷たい雨。世界経済の減速に加え、サウジアラビアとロシアとアメリカの三角関係から増産競争が続き、原油価格だけは下がり続けている。円安の折り、国民生活は随分助かったというべきだろう。円安という点では外国人観光客も大勢来ている。彼らの消費活動がなければ個人消費はもっと恐ろしく落ち込んでいるという説まである。結果としてアベノミクスを助けているという点が残念であるが。
 昨夜のお詫びにと、月波君から原日記の九月分が電送されてくる。昭和天皇実録関連の苦労話の記述ばかりで確かに面白くない。ただ学生時代に好意を持っていた人と二十数年ぶりに再会するという記述がある。日記である以上、個人的なことも書かずにはいられないが、どの程度まで書くべきかは悩ましい所である。一日無為。


11/24・月
 一日概ね薄い晴れ。振り替え休日のため授業は無いが、夕方一瞬だけ出社し、明日の資源回収に合わせて不用品の搬出。古いテキストなど紙袋数個分を出す。其の後、帰省先から戻って来た月波君と大量飲酒。暗くなった瞬間から、立ち飲みB、居酒屋阿檀、中華立ち飲み、ラーメン銀山まで踏破す。併し月波君は酔うと大変しつこい時がある。今晩がそれにあたり、同じ話を何十回もしてくるので閉口す。仕舞には不機嫌になって解散す。ふらふらになって帰宅。十時就寝。


11/23・日
 みんなの党の解党に続き、生活の党も事実上機能停止である。乱立野党の整理が進む一方、翼の右端を切って身軽になった維新の党もやや左旋回してくれそうである。此れで野党第一党との選挙協力も進めやすくなるかもしれない。光明が無い訳ではないと思った。
 昨夜の地震ではかなりの家屋が被害が受けた。所謂、糸魚川静岡構造線が動いたよう。長野県は災難続きである。北信は雪が多いから、早く復旧を進めなければならない。一日晴れ。大過なく過ごす。


11/22・土
 今日から事実上の選挙戦に。与党はアベノミクスを問う解散だと言いたいようである。経済政策には色色な点が散らかっている。例えば円安が良いのかそれとも円高にすべきか、国民の立ち位置でも随分違うから、総合的な評価を下すのは難しいだろう。出鱈目な金融政策で株価を上げ、大企業と金持ちを優遇するのは怪しからぬとは思うが長年のデフレ指向を変えるには、こういう極端な方法しか無かったのかもしれないとは、吾人ですら思う次第である。アベノミクスでは何の恩恵も受けていないが、概ね功二罪八と言ったところだろうか。
だが経済政策以外では明らかに罪の方しかない。中韓にしつこく絡み、安国神社に参拝し、集団的自衛権まで認めようとしている。従って今回の選挙では後者を問いただし、止めさせねばならないのだと思う。経済政策を問うというのは一種の論点隠しである。
一日晴れ。割と暖かい。昼夜とも糖質脂質を取り過ぎた。午後十時過ぎに長野県北部で震度六弱。直下型の地震である。


11/21・金
 朝から概ね晴れて暖かくなる。午後衆議院解散。夕方千寿に出校。此方も中学校の定期試験は終了す。漸く落ち着いたので中学生には適当な演習課題を出し、吾人は三角関数の予習に徹する。四十の手習いである。教える範囲を増やすのだからキャリアアップと言えなくもないが、併し今更数学が多少出来たところで大した使い道がある訳でもなし。
退社後は駅構内の回転寿司屋に入る。千寿駅は大きな駅だから、閉店間近でも大勢お客が入っている。その大半が一人である。金曜の夜であっても、単身で寿司を摘まんでいる詰まらないお客が随分沢山いると思った。生麦酒一つと日本酒を二合飲み、安い皿を取りながら結局閉店間際までいた。実を言うと回転寿司屋での人間観察ほど面白いものは無い。あのお客は何を注文するか、あの高額なお皿の寿司は誰が食べたかなどと翼翼観察して帰える。今週は良く働いたと思う。明日から四連休。


11/20・木
 午前中にガスコンロを買いに行く。六号室の台所は右側に壁がある。併し左側強火力の製品はやや高いものしかない。別の店に探しに行く元気もないので其のまま購入す。パロマ社製。魚がこんがり焼ける機能が付くとかで想定より三千円は高かった。単身者用の物件で鯵の塩焼きも無いだろうが、此れも内需拡大である。汗びっしょりになって搬送す。
 午後から冷たい雨。何とか自転車出社。何処の街もそうだろうが、駅近くの大きなビルには大手チェーンの学習塾が入っている。このたび其の上の階に別のチェーン塾が出店すると折込みチラシに書いてあった。何処の世界にそんなに沢山お客がいるのかは知らないが、埼玉発祥と多摩地区発祥の大手店同士の仁義なき過当競争である。
それにしても学習塾の待遇など、サービス業の中でも最低水準だから、こういう会社で働くのもつくづく大変な事だと思った。常人には大貧学院は務まらないだろうが、常人離れした吾人とて、そういう会社に勤める事など出来そうにもない。またわざわざ同業他社を入居させるとは、随分節操がない家主だとも思った。
夕方から大雨になったが、退社時には漸く止む。佐渡屋は満員で入れず。立ち飲み屋Bと中華立ち飲み、帰りがけにバーIに少しずつ寄って帰った。


11/19・水
 今日も秋晴れ。午後出社。此方の解散総転居は現在思案中とのこと。併し粛粛と不用品の処分を進める。退社後は立ち飲みBと中華立ち飲みへ。急に寒くなったせいか、何処の店も空いていた。早目に帰宅す。職場の色色な物を捨て去るうち、何だか益益不用品を捨てたくなった。拙宅に積まれている二十年前のビデオテープやカセットテープなども捨てて仕舞うことにした。捨て去るというのも一種の快楽である。而もある種の暴力性が伴う。


11/18・火
 一日秋晴れ。通常は火曜不出社だが、試験対策の為、夕方少しだけ出社。給料の一部の一部として参萬円受け取る。少しだけ教えて、魚屋と焼き鳥屋で晩酌用の御惣菜を買い、六時半には戻る。という訳で、七時からの首相の会見を見る羽目になる。今まで散財海外に居ながら、漸くの解散の表明である。再増税の延期と自らの経済政策の可否を問いたいと言う。そういうことは国会審議でやるべきで、何回見ても大した理由の無い出鱈目な解散であると思った。
野党の選挙協力が進めば与党を大敗に追い込めるかもしれない。尤も野党側も右と左、財政再建派と経済成長派が混在しているから、仮に政権交代したところで、政権担当能力があるとも思えない。まあ欧州辺りを見回しても、何処の国の政治もどうやっても巧く行っていないようだから、日本の政治が取り分け落第点という訳でもない。グローバル化と低成長と財政赤字に苦しむのは、言わば先進国の宿命のようなものである。そう思えば少しは気が楽になると思った。昭和の映画名優が逝く。どちらかといえば、此方の方が大きなニュースであった。


11/17・月
 7−9月の国内総生産回復せず。それどころか4−6月期よりも減少す。吾人も随分と身銭を切った筈だが、大方こんなものであろう。併し此れで衆議院解散と再増税延期は決定だという。そういえば身を切るような行政改革は一体どこに行って仕舞ったのだろうか。
 一日曇り勝ち。六号室完成す。丸で新築そっくりである。併し経済情勢がこんな感じだから家賃も下がるかもしれない。前日の御酒が残った感じで万事朦朧とす。而も晩秋に至る此の時期は、日に日に寒く、日照時間も短くなるから、何だか気が晴れるということもない。秩父で御金が大量遭難したので退社後も早目に帰った。


11/16・日
 秩父で新蕎麦を食いたいと思った。併し一人では面倒臭くなって、とうとう行けないだろう。だから同行者を募ることにした。色色と声を掛けたが、やって来たのは月波君と轍田さんである。吾人の声にもつくづく力がないと思った。結局先日の伊那行きの延長戦のような感じである。池袋を十時半に出る、赤い矢というソ連の宇宙船のような名前の特急に乗車。指定席を四人分取ったので、座席を回転させて、早速缶麦酒で一献。二缶ほど飲んだところで秩父に到着。早速「あらかわ新そば祭り」会場行きの送迎バスに乗り込む。但し会場は大変な混雑で、何処の蕎麦もソ連末期の配給所の様な大行列である。
行列は轍田さんに任せ、吾人と月波君は空いている屋台から入手したけんちん汁と卵かけ御飯で御酒を飲み始めた。卵を吸い上げ、麦酒を飲み干し、一時間近くも掛かって待望の盛り蕎麦が到着す。折角の手打ち蕎麦だが、味わう間もなく五分で食い尽くす。明らかに食べ足りない。列が短くなって来た別の店の鴨汁掛け蕎麦を取り寄せ、漸く一息ついた。濃い関東風のつゆに鴨肉らしきものが散りばめており、盛り蕎麦より断然旨いと思った。
結局蕎麦という物は、つゆと種の味で食べているようなもので、蕎麦自体は大して旨い物で無い。そもそも人間の味覚は糖質と脂質を旨いと感じるように出来ている筈で、そのどちらも不足している蕎麦が此れだけ持て囃されるのは、食文化上の一種の奇跡のような話である。恐らくは、蕎麦は香りで愉しむなどと見得を切る関東の武士文化の名残であろう。大体香りを愉しむということ自体、味がないということの裏返しで、それでも結局こうしてわざわざ秩父までやって来て、みんな蕎麦通のような難しい顔をして蕎麦を啜っている。つくづく蕎麦食いは見え張りである。本当はみんな、濃い汁の肉うどんが食べたい筈であるなどと、西日本出身の轍田さんに講釈して見せた。
其の後再びバスで西武秩父駅に戻る。16時25分発の特急を予約す。併し駅横の仲見世街は各店満員御礼。止むを得ず駅近くのファミリーレストランに入る。矢鱈塩辛い生ハムを適当な輸入ワインで流し込んだ。
復路の特急は全席売り切れだそうで、三人横一列の座席となる。飯能で進行方向が変わり、後ろに引っ張られる形となる。何だかまた秩父に戻っているような気がして誠に気持ちの整理がつかない。幸い途中で後ろの乗客が下車したようなので、座席を回転させようと思った。ここでくれぐれも注意せねばならないことは、此の後ろの座席も回転させなければ、見知らぬお客とお見合いをするリスクがあるということである。集団見合いを回避するためには二列先まで空席になる必要があり、偶偶此方も空いたので、自席と後ろの列の合計二列を回転させた。
こうして吾人と月波は前を向いて池袋を目指すことが出来た。しかし可哀想なのは途中の所沢辺りから乗ってきた乗客で、結果として見ず知らずの男女三人が向かい合わせに着席することになって仕舞った。哀れな新乗客たちは奇妙な座席の配置を頻りに不審がっていたそうだが、別に吾人が得意の悪戯をした訳ではない。車掌が大号令を掛け、乗客全員で回れ右をしない限り、何処かで必ずこういう悲劇が起こるのである。つくづくスイッチバックは面倒であると思った。
池袋定刻着。用がある轍田さんとは駅で別れ、吾人と月波君は中華の腹心で仕上げの飲酒。久久の十時間飲酒である。九時ごろ帰宅。沖縄知事選挙で現職が落選。沖縄の人も相当怒っている。


11/15・土
 一日快晴。六号室に掃除屋さんが入る。エアコンカバーが外れず散散苦労す。こういう物は各社共通仕様にすべきだと思った。


11/14・金
 一日冬型の晴天。六号室の工事概ね終了す。午後千寿に出校。今日は『貧困の哲学(上)』を読む。初期社会主義が相当面白いということは知っていたが、こうしてきちんと読むことは初めてである。しかも訳者の解説は下巻にしかないので、ところどころ拾い読みするのも全力運転を要す。十駅ほど読むとすっかり草臥れて仕舞う。眼と頭の休養のため、また草加で折り返す。
何処の中学も定期試験が近いので、十時半まで授業す。併し中学生の内容はともかく、高校の三角関数ではとうとう立ち往生に至る。十六才の吾人なら解けただろうが、四十歳での高校数学は能力が不足す。弧度法など、誰が考えたか知らないが、迷惑な物を発明してくれたものである。
退社後五百円の鰻丼を食べながらぐったりしていると、大将から飲みに来るように指示される。一時間掛けて品川に回航。バーIへ。件の同齢女性も来ていたのは佳かったが、飲み進めるうちに大将と女下士官の色恋沙汰に巻き込まれる。男女の仲は幾つになっても成長しないものである。其れに両者とも既に配偶者がいるにもかかわらず、である。帰宅は三時を回った。此の詰まらない深夜の出来事で金数千円を失う。


11/13・木
 午後出社。無責任社長と新物件の下見。現教場からほど近く、現在の経営規模を考えると十分な広さ。解散に打って出るかは無責任社長の専権事項であるが、兎に角、粛粛と不用品の処分に取り掛かる。早速一両日で段ボール二箱となる。
佐渡屋で鶴木さんと気分良く飲んで帰る途中、八雲署の老若二人組の尋問を受ける。一日の最後に会ったのが地域課員というのも何だか腹立たしい。


11/12・水
 当の首相は海外にいるというのに、新聞各紙を見ると丸で解散総選挙が決まったような書きぶりである。一年程度の増税延期は分からぬでもないが、ぼろを出して本格的な不人気になる前に解散して仕舞おうなどとは、丸で常人には思いもよらない発想である。大した争点もない、実に下らぬ、身勝手な選挙に数百億円も掛かる計算である。
 一日曇り勝ち。午後出社。無責任社長曰く、近くに安く借りられる物件が出たので、引っ越ししようかと思うと。経営状態を鑑みると移転縮小は遅きに失した感があるが、今更ながらやると言われれば、やるより他に仕様があるまい。それにしても世の中は解散総選挙で、当方は解散総転居である。引っ越し費用の工面だとか、不用品の撤去だとか、色色と気に掛かることが多く、以後何だか仕事が手に付かない感じであった。
 退社後は佐渡屋に。いつも賑やかな筈の店内が、行って見ると何だか雰囲気が変である。よく見ると店主の母君が佐渡から出て来られた模様。ご丁寧に挨拶される。いわば息子の授業ならぬ事業参観日である。どの御客も何だか余所余所しく、そして礼儀正しく飲んでいる。幾つになっても母親には逆らえないものだと思った。


11/11・火
 北京での国際会議のついでに漸く日中会談。領土問題の存在を認めた上で、当面は棚上げするという方向で話をつけた模様。アメリカから色色と指図があったようだが、まあこういう形で落ち着かせる以外の選択肢はなかっただろう。殊に安国神社大好きのあの首相では。
 午前中ガス屋さんが来てガス管の再接続工事。此れだけは資格仕事だからいつもの設備屋さんでは手が出せないという。作業は正味三十分で終了す。ガス屋さんによるとリフォームの仕事が多く、一か月先まで予定で一杯だという。住宅関係の需要は堅調である。一日曇り勝ち。時時小雨。


11/10・月
 任期がまだ二年もあるというのに解散風が吹き始める。増税の可否を巡って解散に打って出るとのことらしい。大した論点もないのに、無暗矢鱈に解散するのは解散権の濫用であり、そもそも7条解散には憲法学者がもっと物言いをつけるべきである。
だいたい増税は既に決めたことだし、もはや避けて通れない。上げ幅は2%なのだから、此処は何とか我慢すべきである。併し首相周辺はアベノミクスを成功させたいがために、増税を延期するらしい。そもそも株価だけを釣り上げても、国の経済は良くならないから、金融政策の成果など出ようがあるまい。デフレマインドの払拭を訴えることは、それなりに意義はあるだろうが、ならば年寄りに向かって、もっと御金を使ってくださいと正直に言うべきである。尤も「はい」と応える者がいるとも思えないが。大方内需がマイナスにならないのだから、国民は日日精一杯の身銭を切っているというべきで、為政者たるもの、まず国民の弛まぬ消費と納税に感謝すべきである。
 一日快晴。南風でたいへん暖かい。午後出社。中華立ち飲みで同じ年齢ぐらいの女性と話しが盛り上がり、バーIにまで転進。久久に帰宅は二時過ぎとなる。


11/9・日
 此の処、人肌恋しいのかシロが何度も上って来ては安眠を妨害す。朝方は小雨。雨が上がったので出鱈目散歩に出た。川崎の溝の口から適当に南下す。市民ミュージアムに行きたかったが、知識欲より食欲の方が勝り、新丸子の回転寿司屋に直行す。歩いた分だけの糖質を補充す。序にランチビールも。多摩川を電車で渡ってから、また歩いて帰った。


11/8・土
 一日曇り。而も降り出す寸前の様な曇天である。一日日誌の整理。他は無為。


11/7・金
 出鱈目な金融政策の御蔭で円安が進み、気が付くと1ドル115円だという。此れでまた諸物価が高騰す。内外価格差が縮まれば国産品への回帰も見られるだろうが、化石燃料だけはどうにもならない。早く里山と太陽の力を借りるべきである。
 午後千寿に出社。途中新書の『酒場詩人の流儀』を読む。新聞掲載のエッセー集だから、どれも短い原稿の積み重ねで、何だか読みごたえがありそうでなかった。担当の高校生はサインコサインが漸く終わったと思ったら、そのまま数Ⅱの三角関数に進むという。吾人の災難は続く。正弦曲線は人生のように美しいなどと何処かで聞いたような話をして誤魔化した。家人が泊りがけで外出している。外猫と老家人が心配なので、偶偶入った不味いラーメン屋で麦酒を一杯だけ飲んで直ぐに帰った。


11/6・木
 一日降ったりやんだりの雨模様。午後自転車急行を発車させようと思ったら前輪の空気が無い。パンクした覚えはないから栓から空気が抜け出たのであろう。老家人の見立てによると、虫ゴムの劣化であるという。生憎部材がないので近所の店に買いに行った。ほんの僅かな部品の消耗で自転車は動けなくなる。今日など、一寸以下の虫の存在で六十分は遅れた筈である。生まれ変わるなら虫ゴムのような存在が良いと思った。
退社後は立ち飲みBへ。天気のせいか久久にすいている。愈愈此処も来春の移転が決まったそう。一帯は数十階建ての高層アパートになる予定である。飲み屋街も立ち退かされる。移転後の高い家賃が払えるのは少数派で、七割方は廃業するだろう。大人の居場所が無くなるねなどと、宮川というまだ若い店長と話しながらお酒を飲んだ。十二時頃帰宅。


11/5・水
 午前中は電気屋さんと風呂場の換気扇について話し合う。午後久久に大貧絶望学院に参る。但し伊那の佳い景色と空気に触れたので概ね機嫌よく過ごす。退社後は中華立ち飲みと佐渡屋に。佐渡屋は女二人で店番をしている。防犯対策のため閉店まで滞在し、鶴木さんのウイスキーを飲み尽くして帰った。帰宅は一時近く。


11/4・火
 今日は一段と晴れた。午前中は近所のお年寄りと葡萄を取りに行く。伊那谷の向こうの南アルプスがくっきりと見える。葡萄畑も残りは半分程度。葡萄の次はりんごがあるが、その後は厳しい冬である。福祉法人が運営する店で昼食後、山荘に戻る。以後薪ストーブの焚き付けに使う小枝を拾って来ては、折り揃える作業に取り掛かる。里山資本主義はマメでなくてはならない。
 伯母の運転で下山す。ここからは一人である。15時過ぎの飯田線に乗車。岡谷到着16時ちょうど着。三分の接続で「あずさ26号」に乗り換え。幸い11両編成なのでよく空いている。今回は夕暮れの景色が見たくて早目の列車にした。全くの快晴で八ヶ岳も富士山も真っ赤である。絶景なこと此の上なし。しかし視線を手前に落とせば、線路脇は木や竹がぼうぼうに生えて荒れているような所もある。日本の秋ほど美しいものも無いだろうが、それは自然というより作為の結果である。田んぼも畑も里山も手を入れる人がいなくなってはもう美しくない。
韮崎辺りで日が暮れたので見るべきものがなくなった。漸く回って来た車販員を呼び止める。幸いワゴンには塩尻の弁当を乗っけている。「信濃の四季」という幕の内弁当を購入す。880円。幕の内など学生の時分は好きになれなかったが、こうしてお酒を大量に飲むようになってからは、おかずが少しずつあるので一番良いと感じる。其れに最近の飲食デフレの時代に対応してか、何処の駅弁もよく勉強している。つまみ甲斐があって良かった。あっという間に日本酒を二合飲み干す。
甲府でまあまあ乗ってきたが、乗車率は五割程度。列車も此のくらいが丁度よい。其れに新幹線ほど速くないし、新しい専用線でもないから、遠くの景色も近くの人の家の中も良く見える。それでいて追い抜かされることもないから在来線の特急ほど乗っていて気分が良いものは他に無い。幸いにして、土管の中を走る新新幹線は伊那には行かないから、「あずさ」は少なくともあと数十年は残る筈である。御酒と「あずさ」があれば吾人は満足である。出来れば車内販売と伴に残して欲しいと思った。
うつらうつらしているともう高尾である。あと二時間は乗っていたかったが、新宿駅9番線に定刻着。本日は平日だから山手線も東急線も、横に広がった葡萄の箱が斜めになるほどの大混雑で、伊那気分は一足早く吹き飛んで行って仕舞った。佳い景色を思い出しながら帰った。


11/3・月
 午前中は大将の運転で駒ケ根の光前寺という古刹に参り紅葉見物。天候も漸く回復し、紅葉がよく映えた。併し隣の美術館は冬期休館期間とのことで入れず仕舞い。もう少し勤労意欲を持って欲しいと思った。再び伊那に戻り、竹西安という蕎麦屋に入る。盛り蕎麦と一緒についうっかり珍味三種盛りを注文す。しかし稲子と蜂の子は矢張り食べられず。同行者には、食べられないものをどうして注文したのかと問われたので、食べられないということを確認するためだと答える他になかった。結局轍田さんの胃袋に収めて貰う。
 大将と轍田さんは、昨日と同じバスに乗せて帰京さす。そうなると伯母と二人暮らしである。昨日の残りの生鮭を焼いて食べて御仕舞とした。良く晴れた分、夜は冷える。断熱の良くない山荘では薪ストーブが頼りである。夜中に何度も薪を追加投入す。汽車の缶焚き人になった気分である。里山資本主義は忙しい。


11/2・日
 一日曇り。特に伊那谷は濃霧。午前中少し木曽に行ったのち、月波君が仕事の都合で早めに帰京するというので、山荘のテラスで午餐会。少し寒かったが、紅葉を見ながらカセットガスを燃やして、寄せ鍋と鉄板焼きをした。伯母も含めて全員飲酒す。タクシーに一人で乗っかると高いので、月波君は休日五本しか走らないバスに乗せて駅に返すことにした。無人の路線バスは定刻通りに到着す。序に吾人らも便乗して近所の日帰り温泉に参った。
再び山荘までバスで戻り、結局の仕上げの大量飲酒。大将は酔いが回り椅子から転げ落ち、伯母に怒られていた。夜は薪ストーブの登場となる。


11/1・土
 誰が決めたか知らないが、今日から伊那に行くことになっている。例によって13時の「あずさ17号」に乗るために12時前から新宿駅9番ホームに並ぶ。仲田大将と轍田さんと三人で自由席に乗り込む。稀代の女子好きである大将に轍田さんのお相手は任せ、吾人はひとり御酒を飲むつもりだったが、例によって自由席は満杯。結局通路まで人が溢れている。トイレに行けないから御酒も飲めず。此処は忍の一字である。
例によって甲府で大量降車。一方静岡に帰省中の月波君は、身延線の「ふじかわ」に乗って来て此処から合流す。こういう芸当は高速バスにはできないから鉄道の方が便利である。漸く落ち着いた車内で、結局いつもと同じく月波君と麦酒を傾けた。伊那にはダイヤ通りに到着。小雨の降る中、早速飲食店巡りに移る。
今回は兎という郷土料理店に入った。馬刺しや蕎麦の実入り焼き味噌などを注文す。二時間以上飲み、切片というラーメン屋に転進。こってりラーメンで締めてタクシーで上った。2500円。それにしても不景気で減った減ったと言われても、伊那市街には入って見たい飲食店がひしめき合っている。まだまだ飲み足りないと思った。其の後、伯母を交えて深夜まで飲み続けた。