2014年12月

12/31・水
 掃除と片づけをしながら、『磁力と重力の発見』を読み返す。羅針儀製造職人が伏角を、船乗りたちが磁気偏角を発見する。それらの発見が新しい地球像の構築に繋がる。ルネサンス期は新鮮な経験が新たな知の扉を開いたとのことである。伏角も偏角も何となくしか分からないが、それにしても磁石片手に大海原に漕ぎ出した大昔の船乗りほど憧れる存在も無いと思った。尤も吾人は25メートルを泳ぐのが精精である。それにもう二十年は1ミリも泳いでいない。他は色色と疑問に思ったことをネットを使い調べて回った。
夕方になり、毎度毎度同じ家人らを相手に取り寄せたおせち料理を摘まみながら飲み始めた。夜半にかけて北風強し。日本海側は大荒れだという。


12/30・火
 年末になったので今年の収入を計算す。すると七拾四萬円しかない。どおりで生活が苦しい筈だと思った。他には弐拾萬ほど預金を取り崩している。各種社会保険料も親会社に丸投げで、食費住居費等一銭も支払える状況に非ず。それどころか参拾萬は資金を融通して貰った。色色と計算して見ると、七拾四萬円を稼ぐのに大体参百萬円近くの経費が掛かっていると思う。旧国鉄風に言えば、営業係数は400ということになるだろう。吾人も立派な廃止対象であると思った。
宮崎に引き続き、山口でも鳥インフルエンザ。渡り鳥がウイルスを振りまいているとの見立て。一方マレーシア資本のエアアジア機は、積乱雲に突っ込み、墜落の模様。矢張り空を飛ぶ物は恐ろしい。
本日大納会。日経株価は一万七千円を超えたあたりで、十五年ぶりの高値水準。一般に、株式の時価総額が其の国の総生産額を上回ると危険水域に達したとの経験則があるという。過去に二回そういうことがあった。一度目は勿論バブル期。二度目はITバブルの頃。そして三度目が此のアベノミクス相場である。愈愈かな。日本人も早く正気に戻るべきである。そしてアベノバブルと名称を変更すべきである。
 家人の指揮の元、朝から方方の掃除と片づけ。思い起こせばこういう活動もGDPとは一切関係ない。他は酒屋に酒を、和菓子屋に餅を買いに行く。三時頃には草臥れて午睡す。此のこころパソコンに迷惑メールが日に百通も来る。どうにも鬱陶しい。


12/29・月
 御昼過ぎまで小雨。真冬の寒さ。会社も半分くらいは休みと見え、地下鉄も寒寒としている。商店街でパッとしないラーメンと炒飯のセットを食べて千寿校に出校す。午後の一時から九時までずっと授業。愚にも付かない講習も本日で終了す。
今更行くところもないので、月波君を呼び出し飯田橋の桜水産に入る。基本的には空いていたが、一番奥の座敷では学生らしい団体が飲み会をやっている。飲めや叫べの大立ち回りで、結局店内が騒騒しい。場所柄鳳生大学の学生かもしれないから文句も言えず。此の処どうにも店運がないと思った。其の後駅前の屋台で飲み直して帰った。結局一番多く飲んだのは今年も月波君であった。


12/28・日
 原油価格下落に伴いロシアのルーブルが暴落する。産油国が苦しむから逆オイルショックなどという言葉も飛び交うようなった。石油を使ってロシアの横暴を懲らしめようという米国の思惑が透けて見える。其れには軍艦もミサイルも不要である。経済のグローバル化が進んでいるから、冷戦時代には思いもつかなかったよう方法が使えるのであろう。
 講習はあるにはあるが、時間割を操作して日曜不出社とさせて頂いた。昨夜の御酒が残り日中ふわふわとする。昼は乾麺の盛り蕎麦。夜も粗食に徹する。


12/27・土
 御昼に本務校に出校。小六と中三の授業のみ担当す。どちらも受験生だから、過去問を解かせる。殊に都立中学の問題など案外難しい。しかも方程式や関数では解けない。面積図などを使っても説明に難渋す。こういう問題を考え付く先生はよほど頭が冴えているのだと思った。五時過ぎで授業を切り上げ、毎年恒例の芥田ゼミナールの忘年会に向かう。
 飯田橋のまつやが今年の五月に閉店したので、今回はどういうわけだか錦糸町に参る。参加者は月波君や鷺乃間君、坪上君、滅多に会えない鶴岡君など総勢八名。まだ若い藤松君に幹事を任せたから、とんつうという焼肉屋に案内される。既にコースを予約してあったので、席に着いた途端に次から次へと肉が運ばれて来る。卓上は皿で埋め尽くされる。焼かないことには皿が減らない。焼いたからには、ひっくり返さなくてはならない。焼けたらからには食べなくてはならない。焼肉というものはどうにも忙しない。まあともかく先生もお元気そうで安心した。以後、タッチパネルで注文するようなチェーン居酒屋で一時間半ほど談笑す。ここも混雑していて忙しない。単身者は閉店まで粘ったが、明らかにしゃべり足りない感じだった。先生とは駅のホームで別れた。
例によって山の手線が遅れ、代々木で散散待たされる。当然田園都市線は終了しているので、バスを頼ることとなった。バス乗り場もタクシー乗り場も長蛇の列である。田舎のバス会社が見たら宝の山のような光景だろうが、誘導員一人居ないから、宮前平行きと上町行きの列がこんがらがっている。列をかき分け、普段の倍の運賃を支払って超満員の上町行きに乗車。帰宅は一時半。シロとグレを代わりばんこにあやす。就寝は三時近く。


12/26・金
 今日から冬の講習。而も本務校の方は諸兄に丸投げし、千寿校の方に出校す。其の前に蘭蘭で食事。実に夏以来である。働くおじさんたちに交じって330円のラーメンと330円のカレーを胃にかき込む。以後十二時台から午後九時前までずっと授業。例によって理科に社会に数学に国語と科目がばらばらなので消耗す。殊に理科など専門外だから余計草臥れる。電磁石の仕組みなど教本を幾ら眺めても分からない。吾人の頭も理系科目は中世辺りで止まっている。大著『磁力と重力の発見』から読み直さなくてはならないと思った。
退社後は回転寿司Eに寄り御酒を飲む。此の店は、寿司は安いが御酒が高い。勘定を済ませると、寿司と酒が一対二の割合であった。十一時前に帰宅。十二時就寝。


12/25・木
 イスラム国の蛮行にはみな心を痛めているが、日本国内にも外国人研修制度という現代の何とか制がある。重労働の上、彼らの日給は千円程度だという。逃亡は日常茶飯事で、怒った研修生による刑事事件も多発している。こうなるとメードインジャパンも安心しては居られないと思った。
 本日は休講の為不出社。曇りがちで大変寒い。荒物屋に座敷箒を探し、肉屋で一本三百円のローストチキンを買い、環七沿いの大型スーパーに行く。すると出来合いのオードブルなどは既に売り場の片隅に追いやられ、正月商品への転換作業が始まっていた。どうにも気が早すぎると思った。イトヨリの刺身と、売れ残りの食品を買い求め、家人らと午後五時前から飲み始めた。


12/24・水
 午後出社。退社後は立ち飲みBへ。時節柄良く空いていた。漸く佳い御客がやって来たと店員に色色と軽口を叩かれる。若い店員との売り言葉に買い言葉で、クリスマスイブに立ち飲み屋でおでんとは貧乏臭いなどと吾人もつい悪態をつく。まあ馴染みの店の従業員に歓待されるだけで取り敢えずは十分とすべきであろう。結局早目に帰宅し年賀状を書いた。
総選挙後の特別国会。とうとう戦後というものを本格的に破壊する内閣が正式に成立す。不愉快だから一切のテレビは見なかった。


12/23・火
 件のスイカは希望者全員に販売することになった。つまり大量に増し刷りするのだという。果たしてひとというものは限定品を欲しがるものであるだろうから、無制限に出されたのでは価値も半減である。それに今回の騒動で懲りたJRは、もう二度と記念物を売らなくなって仕舞うだろう。それも何だか寂しいものである。ところで、山田線の沿岸部分は三陸鉄道に譲渡することが正式に決まったという。ならば釜石か宮古辺りで盛大に記念スイカを売り出せば面白いだろうと思った。
 愈愈吾人自身の年賀状を書こうと思ったところ、ついに滔滔何も書くことがないことに気が付いた。此れでは捗らない。では和室の障子を張り替えようと思った。身命を賭して取り掛かったつもりだったが、剥がし終わったところで、糊と張り替え技術が足りないことに気が付いた。やむを得ず適当に切ってセロハンで止めた。やっつけ仕事のダメージコントロールであると思った。


12/22・月
 午前中に老師のところに検査結果を聴きに行く。中性脂肪は実に三分の一になった。此の間、家人に青虫のように生野菜を食べさせられ、正体不明の魚の油を飲まされた甲斐があったというものである。併しコレステロールは高止まりしたまま。どうにも体質のせいであると言う。結局脂質を下げる薬が処方される。三割負担で一か月1500円。下らぬことで国民の医療費を使って仕舞って面目ない。なるべく安い薬を飲もうと思う。
 午後早目に出社。講習準備等大量の事務仕事を片付けた。退社後は中華立ち飲みに寄るも、行き場のない常連客が次から次へと集まり店内は溢れかえる。煙い上に、何だか立っているだけで草臥れた。げんなりして帰る。


12/21・日
 一日概ね晴れ。何処にも行くところがないので、自転車に乗って隣町の回転寿司へ昼食を食べに行く。一皿130円の店だが「おじさん」なんて珍しい魚もあって、案外佳かった。最近回転寿司ブームである。帰りがけに畑を見つける。併設の無人の販売所で200円の葱を買い、夜は鍋料理にした。


12/20・土
 御昼過ぎから冷たい雨。開業百周年ということで東京駅では記念のスイカが発売された。併し想像以上に御客が殺到し、途中で発売中止になったという。吾人も昔は色色と集めたものだが、万事面倒臭くてもうやらなくなった。ここ数年酒量が激増し、朝早く起きられなくなったのが大きな理由である。最近は記念物の発売自体が滅多にないから、売る方も買う方も、すっかり不慣れになって仕舞ったのだろう。


12/19・金
 夕方千寿に出校。今夜は高校数学が無く割と早くの退社となったので、久久に品川に回航す。中華立ち飲みの二階でやっていた座り飲みの忘年会に中途参加。其の後バーIで大将らに掴まり帰宅は三時過ぎとなる。


12/18・木
 昨夜のラーメンが胃にもたれ、未明に何度も起きる。すわ胃腸炎かと思った。朝方は氷点下まで下がる。六号室にカーテンレールを取り付ける。内装工事の時に取り外していたのをすっかり失念していた。その際、庭先の石段で転倒す。よく見るとブロックに付いた苔がすっかり凍結している。
 パキスタン北部で学校を対象とした酷いテロ事件。流石に同業者からも非難の声明が出た模様。一方アメリカとキューバは異例の雪解け宣言。実にケネディ以来のことである。
 午後出社。大貧学院では、突如として配達区域指定の宣伝年賀状を出すことになった。何分急な上に発送締切が近づいているとのこと。担当の局員氏は自前のプリンターまで持ち込み、兎に角早く作ってくれと懇願す。結局吾人が先頭に立つこととなる。その数ざっと九百枚。持ち込まれたカラープリンターで表面を印刷し、裏面は職場のコピー機でモノクロ複写することとす。
但し前者は何分家庭用にて、一度に二十枚しか葉書が入らない。止むを得ず授業の大半を演習にし、プリンターにトカゲのように張り付き、只管年賀葉書を補充す。そして出て来たものを片端からコピー機に放り込んだ。少し生徒にも手伝って貰う。さながら家内工業であると思った。実を言うと、こういうやっつけ仕事的なものは嫌いではない。詰まらない作業を如何に効率よく行うべきか。色色と手と頭を使うことは有意義なことである。併し折角やっつけるにしても、もう少し計画的にやりたかった。五時頃から取り掛かっても定時には終わらず。全ては無責任社長の出鱈目主義のせいである。結局無責任残業が一時間。腹が立って来たのでバーIに寄り、只管飲んで帰った。


12/17・水
 朝から晴れたが、冬型が強まり一日北風が吹く。此の処、真冬の寒さが続く。確か三月の段階で、近いうちに来るようにと言われた筈だが、九か月経ってから再びの健康診断を受けることとす。まなじりを決して近所の診療所に向かう。掛かりつけの老師が採血に手間取り、両腕が痛い。さて問題の中性脂肪はどうなるか。
午後出社。退社後は佐渡屋に行く。カウンターの真ん中に座ると、右側の御客も左側の御客も子どもの教育談義。思わず口を挟みそうになったので早めに退散す。二合は飲んだ筈だが、外は余りに寒く直ぐに冷める。帰路ラーメン屋で熱量を補充せずにはいられなかった。
どろどろと原子力発電所の再稼働に向けて動き始める。こうなることが分かっていながら、あれだけ与党を勝たせたのだから、よくよく日本国民というものは御目出度い存在だと思った。


12/16・火
此の処、老家人の実妹=秋子叔母さんから、夜討ち朝駆けで電話が掛かってくる。どうも頭が相当弱ってしまったよう。叔母には子どもがいないから、姪の優子さんが面倒を見ているが、そろそろ施設を探さなければならない段階に来ているようである。面倒を見なくてはならない年寄りは、正に枚挙の遑がない。
午前中に世田谷ボロ市へ参る。端から端まで歩くうちに雨が降り出す。這う這うの体で、白菜の漬物と靴下二足と文庫本を一冊購入して帰る。午後は大雨。気温低し。流石にエアコンを使用す。雨は夜半には止む。


12/15・月
 午前中に胃の不快をどうにかこうにか収め、配達された薄い朝刊を読み直す。紙面によると、より過激な改憲を唱える小政党は壊滅し、共産党議席を倍増さす。護憲という点に絞れば、案外最悪の結果でもないと思い直すことにした。
 午後出社。給料の一部として伍萬円受け取る。今更どの部分だがすっかりわからないことだが。退社後は立ち飲みBと中華立ち飲みへ。帰り掛けの自転車道で元塾生のМ君と出合う。生真面目な彼とは実に不思議なところで合うことが多い。くれぐれも夜遊びなどをしないようにと説教がましいことを言って仕舞ったが、それは吾人に反復される内容だと思った。


12/14・日
 一日冬型。日本海側は大雪。投票に行く。御昼前に武蔵新城駅に集合し、月波君と鷺乃間君とで昼食会。中華屋から始め、古い音楽の流れる洋食屋へ行き、鷺乃間君の家で少し休憩し、安い蕎麦屋で締めるまで、数時間にわたり飲み続けた。ふらふらで八時前に帰宅。長長と飲んだ割には御金が減らなかった。鷺乃間君が大部出してくれたのだろう。流石に一流財団法人勤務である。八時半就寝。
 第47回衆議院総選挙。投票率は戦後最低。下馬評通り与党が大勝す。野党で候補者を調整したところも勝てなかった。此れで改憲白紙委任状を渡したこととなる。政権交代可能な二大政党制を作るという目的で導入した小選挙区制ではあったが、導入から二十年、結局巨大な自民党を作り上げるだけの結果に落ち着いたよう。而も割と最悪な形の自民党を。此れが所謂、政治改革の結末だと思うと、徒労と寂寥を覚えずにはいられない。もう吾人が存命中に政権交代は望めないだろう。日本人の大半は自民党と一蓮托生する気である。もはや日本であって、日本ではない。居ながらにして異邦人になった気がする。吾人は三十年は眠り続けるとしたい。戦争が終わった頃に起こすようにして頂きたい。


12/13・土
 原油価格が益益下がる。通貨が弱くなった資源小国には有り難い話しである。それにしても何だか不自然な値動きである。ひょっとしたら此れは噂のイスラム過激派の資金源を断つという国際共同作戦なのかもしれないと思った。尤も其れほど団結した行動が国際社会で取れるとも考えられないか。
 件の三十五人学級を四十人に戻す案は中止になったよう。とはいっても小学二年生以上は従来通りの四十人学級であるから、日本の初等教育は相変わらずの教室詰め込み主義である。結局全国津津浦浦大小無数の学習塾が、少人数教育で独自に補っているということになるのだろう。
 一日冬型の晴れ。魚屋で刺身を買い、肉屋で買った切り落とし肉と豆腐屋の木綿豆腐で肉豆腐を作る。四国の遠い親戚から送って貰ったコメは旨かった。思わず二膳頂いた。殆ど趣味で稲作を続けているのだという。


12/12・金
 一日曇り。「悪夢の20世紀」という表題に誘われ、『新潮45』(12月号)という月刊誌を読みながら千寿に参る。通常全く読まない雑誌だから多少警戒したが、案外極端なことを言う論客もおらず至って平穏な内容。尤もよくよく見るとタイトルは「悪夢の21世紀」であった。悪夢は継続中である。ただ真面目一本の『世界』とは大部違うから、赤羽の飲み屋事情なんてのも載っていて結構面白かった。此れからは少し月刊誌も読もうと思った。
方方の試験も終わってすっかり油断していると、高校数学は数式についての質問攻めに遭う。二項定理の奇襲攻撃であると思った。すっかり消耗して回転寿司Eに入る。生鮮ネタは悉く売り切れ。夜のEは注文制だから、廃棄ロスがないという点では佳いと思った。


12/11・木
 朝から南風が吹き付け不安定な御天気。午後出社。退社後は立ち飲みBに参勤交代す。珍しく鰊の刺身なんてのもあった(150円)。ところで駅前のタクシー乗り場はすっかり元に戻っていた。特需は一日だったということであろう。愈愈総選挙まであと僅か。何だか吾人も寿命が縮む思いである。香港の学生蜂起終了す。対応したのは自治警察だからあまり手荒な真似はしなかったようだが、つくづくあの大国と付き合うのは難しい。


12/10・水
 例によって午前中は朦朧とす。午後出社。昨夜御金が大量に無くなったので、退社後は佐渡屋に軽く寄って帰った。不思議なことに駅前広場にはタクシーが一台もいなかった。家に戻って夕刊を開くと、公務員に特別賞与が出たと書いてあった。成程今日はそういう晩である。先月の電気使用量358キロワット。前年比26%増。ガスを吸うと肺炎になるという老家人の意向から、エアコン使用量が増えた為である。新たな節電策を思案す。


12/9・火
 平和と福祉の党も、軽減税率の実現しか興味がないようである。何でも、平和を気にしているような人たちは年寄りになって影響力がなくなり、また若い学会員は目先の利益にしか関心がないのだという。詰まり、戦争体験の風化はあらゆるところで進行しているということなのだろう。
 午後、伯母の介護施設に参り、電話の解約手続きを行う。入居当初、電話だけは持って来てと懇願されて移設した電話機であったが、ここ一年は全く使われなくなった。但し撤去のためには当該電話機本体からの申し込みが必要だとかで、仕舞い込まれた電話機を引っ張り出し、電話線を繋いで、電話局に電話す。こうして伯母の人生から、電話が喪失することとなった。其れだけだと何だか可哀想なので、車椅子に乗っけて施設内を散歩す。伯母は子どものように燥いでいた。
 今度はこっちが悲しくなりそうなので、其のまま立川の町山さんの店に行くことにした。開店は六時なので、少し遠回りしていくこととす。多摩センターまで小田急線で行き、数年ぶりにモノレールに乗る。通常コースより250円は高いが、モノレールは眺めがいい。高い分は空中散歩代である。それでも時間が余った。散髪をし、待ち合わせをした月波君と串揚げ屋に寄る。六時半に漸く入店。以後大量飲酒。一年半ぶりの訪問だが、店も繁盛していて安心す。すっかり機嫌を戻して帰る。吉祥寺から井の頭線に乗るつもりだったが、立川駅のホームに降りると丁度特急が来たので自由席に飛び乗る。贅の限りを尽くして「あずさ34号」で新宿に帰った。


 
12/8・月
 昨夜からグレが帰って来ないと家人が騒ぐ。どうしたものかと思案していると、朝の九時過ぎに何食わぬ顔をして餌を食べていた。あの猫は時時無断外泊する。例によって心配することでも無し。
各報道に因ると、どうにも自民党の三百議席獲得は避けようもないとのこと。国民はすっかり頭が可笑しくなって仕舞ったようである。こうなると日銀が金融の蛇口を絞り、株価と為替相場が正気に戻ることを期待するのみである。それにしても、つくづく小選挙区制は良くないと思った。多くの国民は此の選挙制度の恐ろしさを未だに分かっていないのである。
一日晴れ。午後出社。夜も寒い。中華立ち飲みに行くも、常連諸氏は早早に切り上げて吾人だけとなる。麦酒を三杯飲んで直ぐに帰える。酔いも吹き飛ぶ冷え方である。


12/7・日
 一日晴れた。少し運動しようと自転車で出掛けた。一時間掛けて二子玉川まで行く。駅の東側が全く違う都市になっており驚く。取り立てて山も丘もない筈なのに立派なトンネルが出来ているのには二度驚いた。尤も基本的には建物は豆の木のように上へ上へと伸びている。再開発というのも絶えず必要だろうが、只管真上に伸ばす以外の方法は無いのだろうかと毎回同じことを考える。ただ多摩川の河川敷まで出ると、以前と変わらぬ景色が続いており安心す。多摩川沿いを大部走って、再び一時間かけて帰宅す。
途中世田谷通り沿いの古い蕎麦屋に入った。大変広い店内に御客は二人。併し矢鱈薄味のかつ丼はびしゃびしゃ、盛り蕎麦はふにゃふにゃと、普段使いの店としても丸で旨いところがなかった。色色と指摘してみたいところだが、生憎吾人は包丁を握ったことすらない。今から料理学校に入り直し、こういう店を指導して回ったら面白いだろうと思った。六号室決まる。想定より大部下がって仕舞ったが、空室を越年させるより佳いだろうという判断である。


12/6・土
 強烈な寒気が入り朝は冷えた。冬型となると通常関東は晴れだが、あまりに強烈なため午後に一雨。四国でも大雪の模様。一日諸諸の片づけを家人と行う。
 選挙期間ということで、テレビもラジオも新聞も何一つ大事なことを言わなくなった。紙面も画面も、丸で選挙など無いことのような扱いである。幾らなんでも可笑しな話しだと思う。一応出演者たちも、何か物を言いたそうな顔をして、婉曲的ながらも何かしらのメッセージを伝えているようなのだが、大方の視聴者には分からないであろうと思った。


12/5・金
昨夜帰りがけに内緒で飲んだ鶴木さんのウイスキーが効いたのか日中朦朧とす。強い酒を飲んで酔ふのは外道であるという百鬼園先生の言葉を思い出した。麦酒と清酒は良いが、矢張り濃い蒸留酒はよくないと思った。それにしても昨夜は飲んだ割に御金を使わなかった。月波君が少し出してくれたのだろうか。それとも精神状態が異常だったのか。
 一日晴れ。夕方千寿に出社。今度は数Aの確率である。独立試行だの条件付き確率だのが出て来て吾人の頭も愈愈混乱す。退社後は千寿駅構内の回転寿司屋に入ったが、あの皿がもう一度回ってくる確率は幾らかなどと考えて仕舞い、御酒を飲んでも少しも気が休まらず。ところで閉店間際までいたが寿司の値下げは無し。高額な品物も徐徐に格下のお皿に乗せ換えれば良いのにと思った。あれらの御寿司は結局どうなったのか。回転寿司は食品廃棄が出るから少し居たたまれない。
今日の半蔵門線図書室は『女子学生、渡辺京二に会いに行く』の文庫版。自己実現など考えもしない無名の人生が丁度佳いと言う筆者ではあるが、大学というところで知の世界、思想の世界に一旦入って仕舞った以上、しんどいだろうけども一生考え続けて行きなさいと女子学生を激励している。吾人も少し安心した。


12/4・木
 新聞各紙の情勢分析が一斉に出る。何と自民で300議席獲得の見込みだという。此れでは全権委任である。午後から雨。自転車出社。給料参万円貰う。十日ぶりに月波君が来たる。晴雷亭と中華立ち飲みに寄り、混雑中の佐渡屋が空くのを待つ。以後終電時刻まで佐渡の「北雪」を大量飲酒。予報通り雨は止んだのでふらふら自転車で帰宅。


12/3・水
 一日冬型の晴れ。午後出社。バーIで特別飲み会をするというので立ち寄る。すると店主の知り合いの音楽仲間が大挙して押しかけて来る。バンドメンバーとその御客である。近所でライブをやった帰りだという。異業種懇談会というには、少し範疇が違い過ぎた。馴染みの店だが、連れて来られた猫の様な気持ちで飲む。飲み放題とのことだが、麦酒は最初の一杯だけ出してくれなかった。代金3500円。帰りは煌煌と月が照り、一段と冷えた。


12/2・火
 朝から天気も良く、また昨夜は深酒もしなかったので気分も良い。諸諸の雑件を片付ける。郵便局に二回も行き、買い物や近所の落ち葉を掃く。放っておくと風で散らばり却って面倒になるからである。所謂、積極的何とかと言えなくもない。家人共共草臥れたので夜は一丁目の肉屋のとんかつにした。夜になると水っ洟が出る。早目の就寝。
衆議院選が公示される。正式な選挙戦になると、報道に公平を期すとかで自粛モードである。首相の悪口も言えなくなるのでは、一種の言論統制である。


12/1・月
 未明から雨。御昼までには一旦止んだが、再び激しい降雨。何だか不自然なお天気。午後出社。AO入試や推薦入学たけなわである。今年も何通も志望書を書いた。それにしても志望書も課題作文も、丸で書けない高校三年生が多すぎる。第一、小学生並みの文章力しかない。併し今更、基本漢字や「てにをは」であるとか、ですます調などを一つ一つ教えては、もう間に合わない。結果として代書するより手がないのである。
尤も文章力に限らず英語力等等、あらゆる能力が不足していても、大学と名の付くところには最低限入って仕舞う。大学が如何に過剰か推して知るべきである。ただ大して考えもせず、安楽に大学に入っても、結局続かない。AO入学者の退学率は相当高いそうである。詰まり入学試験が適正に行われていないことの証左である。退社後は立ち飲みBとバーIへ。軽く寄って帰る。十一時すぎ帰着。
 喪中葉書が届き始める。長命だった祖母が滔滔亡くなりましたというものが多いが、中には父君という知らせも。吾人も愈愈そういう年齢である。