15年2月

2/28・土
 朝の七時から朝食をとる。其の時に気が付いたことだが、此の時間から御飯をもりもり食べているお客は既に仕事着姿である。つまり宿泊客の半分程度が工事関係者であった。三年半前の紀伊水害の被害は大変なもので、この旅館も床下浸水であったという。確かに山肌も随分荒れている。大方その復旧工事であろう。
 さてここからは本格的なバスの旅である。新宮からやって来た奈良交通の八木行きバスに乗車。和歌山県から奈良県十津川村へ入る。国道168号は、至る所で工事中であるが、基本的には厳しい道である。V字谷の中腹に1.5車線の道路がへばり付いているような所もある。そうかと思えば、高速道路の様な新道もあり、旧道を部分的に改修したような所もある。道路も橋もトンネルも多彩である。まるで道路技術の見本市のような感じである。それにしても、山奥に道路を作ることは立派な公共事業であるが、あくまでも財政の許す範囲内のことにしていただきたいとは毎度思うことである。
途中、十津川温泉と谷瀬の吊り橋で休憩を取る。ところどころで観光客等を集め、最終的な乗客は二十名を超えた。三時間走って峠を越えると漸く五條市である。かつて五條から新宮までを鉄路で結ぶ計画があった。五條側はともかく、十津川村の方は現在の土木技術を以てしても容易ではない。どの道、頓挫したであろうと推測する。その「五新線」であるが、代替バスからは当のJRも随分前に撤退して仕舞った。またバスは、鉄道の路盤にアスファルトを敷いた専用道路を走っていた筈だが、今はもう走らない。従ってもはや鉄道計画の名残すら留めていない。
五条駅の少し手前で降して貰う。川湯温泉を8時46分に出て、着いたのが13時少し前。乗車時間凡そ四時間。運賃3350円。間違いなく路線バスに一度に支払った最高金額である。古い街並みを抜けると、五新線の高架橋がところどころ残っている。それにしても完成されなかった鉄道というのも、廃線跡とはまた違った侘しさがある。特に奈良県南部となると、背負って来た歴史が違うから、尚更そう思った。少し歩いて駅まで出た。少少歩いたものの此れで五新線は完乗したこととする。
 あとは奈良に出るだけである。和歌山線の奈良行きに乗車。奈良行きというからには奈良には連れてってくれるのだろうが、途中高田で三十分近くも放置される。進行方向を替え桜井線を通って奈良に着いた。王寺経由の方が幾らか早かったようだが、万事どうでもよくなる。
奈良駅近くのホテルは悉く満室で、隣の新大宮という駅の横のビジネスホテルに入室す。大したホテルでもないが六千円もする。正規料金なのだろう。このところの観光需要の高まりを感ずる。夜の街を少し歩いて適当な居酒屋に入る。悪い店ではなかったが、此処も観光客が押し寄せ、高齢の店主だけでは対応仕切れない。面倒臭い出汁巻き玉子ばかり出るからであると思った。結局一時間経っても、鯛と鮪の刺身が三切れずつ出て来ただけである。此れでは駄目だと思い早目に退店した。
近鉄電車に一駅だけ乗ってホテルに戻った。ところで宿の隣の建物は、上から下までスナックとクラブが入っている所謂飲食ビルのようで、夜中までカラオケと嬌声が漏れ伝ってくる。繁盛は内需拡大の元である。其れに何か音がしている方が落ち着く質だから、寝苦しいということもなかった。


2/27・金
 朝から出発す。渋谷から山手線に乗り、品川駅を無言でやり過ごし、東京駅まで行く。7時33分発の「ひかり503号」新大阪行きに乗車。途中小田原に止まるだけなので、名古屋までは抜かれない。お得なひかり号である。乗車率は四割程度。天気は素晴らしく佳く、富士山も良く見えた。
名古屋で「南紀3号」に乗車。松阪や志摩半島へは近鉄電車が便利だが、紀伊半島の先端に行くには、この特急しかない。併し僅か四両の編成で一日四本。車内販売も廃止されており少し寂しい。それに颯爽と登場したキハ85という豪華車両も、登場から二十年も経つと、何だかうらぶれた雰囲気である。まばらな観光客と出張客を乗せ、南紀は轟轟と出発す。弁当を食べながら御酒を飲む。色色な鉄路と交錯したが、多気を過ぎるともう紀勢線しかない。海あり山あり谷あり。一応高速バスもあるようだが影は薄い。山中、色色と家は建っているが余り人を見ない。余程高齢化が進んでいる地区なのだろうと思った。
新宮定刻到着13時37分。四時間近くも乗っても苦にならないのは景色が良いからであろう。併し新宮駅も閑散としている。駅弁屋も駅蕎麦屋も廃業して仕舞った模様。止むを得ず駅前喫茶店の様なところでシラス丼を食べた。ここからバスに乗り換え川湯温泉へ。高校生と高齢者をまあまあ集め、市街地を過ぎるとバスは加速し凄い勢いで走ってゆく。
但し14時25分発のバスは熊野本宮に直行するので川湯温泉には行かない。途中請川というバス停で下車。運賃1360円。川沿いの道を三十分ほど歩いて移動す。16時には着いた。汽笛一声東京を、新幹線で出ること凡そ八時間余り。南紀は遠い。いや紀伊半島が大きいのであろう。例によって一人きりの吾人を、御猿さんの大群が歓迎してくれた。 
 予約してあった大村という旅館に投宿す。川湯温泉は、文字通り川から御湯が沸いていて、冬場は川底を掘ってできた「仙人風呂」という大きな露天風呂で有名である。確か96、7年頃に「南近畿ワイド周遊券」を使って、一度来たことがある。但しどの旅館だったか、思い出すのは困難であった。大学に上がった頃から二十年もこんな旅をしている。何処が何処の記憶なのか混乱している。
 一泊二食付きで九千円。食卓には鯨の内臓を茹でた物なども並んでいる。酢味噌で食うらしいが大して旨い物では無し。食感を味わうものなのだろうと思った。夕食後、早速仙人風呂に。いざ風呂に入ろうと思った矢先に転倒す。平らな岩かと思って足を出したら、湯ノ花と苔が集団で浮いているところであった。落とし穴と同じ要領で、行き成り湯の中に突入し、お湯を頭から被って仕舞う。暗い上に、酔っていたからであろう。幸い怪我はなかったが、大いに反省しつつ、入浴もそこそこにして部屋に戻った。ところで天気予報では、花粉予報のほかに、黄砂予報やPM2.5予報なんてのもやっている。こういうのを見ると西日本居ることを実感する。


2/26・木
 先日の東京新聞「戦後七〇年・甦る経済秘史」によると、飛行機不足に悩んだ軍部は松下電器にまで航空機生産を命じたという。当然飛行機作りに関しては「ずぶの素人」ばかりである。電気行火の担当者に飛行機が造れる筈もなく、木製のそれを四機拵えたところで敗戦になったのだという。戦時体制になると、ありとあらゆる産業と技術が戦争へと動員されるものだが、家電産業というものは、取り敢えずその対極にあるものだと思った。
朝から冷たい雨。午後バス出社。途中目黒駅で新幹線と新宮行きの特急「南紀」の切符を購入す。今回は後者に乗ることが目的だから、新幹線は自由席、南紀は海側の座席を指定した。15330円。雨は夜には止む。支度が済んでないので一杯だけ飲んで急いで帰宅す。


2/25・水
 午後出社。漸く新年度のテキスト類を発注す。また中三は本日最終授業。もう教える内容も気力も無い。皆で菓子パンや肉まんを食べ、雑談して御仕舞とした。此の学年は小学生からの持ち上がりの子が多く、何とはなしに育て上げた感がある。一方中学一二年辺りから入って来た所謂途中乗車組は悉く定着しなかったが。根雪が盤石でも表層が次次と崩落して仕舞っては、学習塾の運営としては巧く行かなかったということになるのであろう。何はともあれ本日が終着駅である。
退社後は中華立ち飲みに軽く寄って帰った。どうにも今年は三月が忙しそうなので、今のうちに旅に出たいと思う。南紀に行きたいので色色と検討す。


2/24・火
 断続的に税務書類の作成を手伝う。昨年は大きな修繕工事がなかったので経費が大部少ない。所得が大きい分、課税額も大きい。ちなみに所得税額に2.1%を掛けたものが復興特別税である。きちんと使われてくれれば良いが。


2/23・月
 風は吹かなかったが御昼には気温が上がり四月の陽気となる。午後早目に出社。途端に目と鼻が可笑しい。大量の事務仕事と雑用を片付け、小学生に国語を教え、高校受験生の最後のお相手をし、中学生の期末試験対策を行う。随分草臥れた。退社後は中華立ち飲みで麦酒二。バーIに寄って酎ハイ二。割と早目に帰った。帰宅は十二時前。
 農林水産大臣辞任す。此れで三人目。もっともっと内閣支持率が下がってしかるべきなのだが。本来ならとっくにゲームオーバーである。皇太子が誕生日にあたって声明を出す。例によって、改憲派を相当気にしている御様子であった。


2/22・日
 吹くぞ吹くぞと言われた待望の南風は滔滔吹かず。結局一日寒い。降るよ降るよといっては降らないし、此のところ予報の外れが酷い。そんな中でも東京都心を三万六千名が無暗矢鱈に走ったそうである。警備員や警察官等等関係者を入れると総勢六万は下らないだろう。実に下らぬことに労力を費やしていると毎回思う。其の千分の一の人数でいいから、日日街道筋や繁華街のごみを拾って歩けば、東京という街はずっと良くなると思う。路上から不要なものが撤去されるのだから、爆発物等も置きにくくなる筈である。
 午後はバスを使って区内の古本屋を巡った。『海岸線の歴史』『坂の上の雲司馬史観』『生物と無生物の間』を1200円で購入。どの道積んでおくことになるだろうけど。もう少し回りたかったが、数日来の暴食の為、お腹の調子に自信が持てず早目に帰宅す。 


2/21・土
 午前中は税務書類の作成を手伝う。午後は小型の本棚を組み立て溢れた本を収容す。本は横に寝かせると死んで仕舞うという箴言があるそうで、それに倣えば数十の本を蘇生させた筈である。
其の後、映画『風立ちぬ』を録画で見た。大正から昭和初期に至る風物を実に美しく、恐ろしく正確に描いていて感心す。それにしても暗い話しである。夢を見ても、丸められた新聞紙を広げても、シベリアという菓子パンを買っても、海外出張をしても、軽井沢に避暑に行っても…、あらゆる物事が陰影を引き摺っている。主人公の婚約者の体調は、その最たるものであろう。そういう時代の暗さが分からなくては、此の話しの本質は掴めないのだろうと思った。


2/20・金
 昨夜の飲酒は四合程度の筈だが、午前中はぼんやりとす。此の二週間の酒縮生活でどうも御酒に弱くなったよう。ところどころ衆議院予算委員会を聞く。首相は度度激昂している。誠に小人であると思った。
午後千寿に出校。中学理科に高校数学と大車輪の活躍と行きたいところだが、後者は教本を幾ら見ても分からず。滔滔立ち往生に至る。至極残念であった。但し高校受験生の方を教えるのは本日で御仕舞。少しは気が晴れた。
 退社後は飯田橋へ回航し月波君と客間君と会う。皆同窓なので蝦夷松に行きたかったが満員で入れず。外で待つほどの時間的余裕もないので、大急ぎで近くのサイゼリアへ。口はすっかり大盛り回鍋肉丼の受け入れ態勢だったので、チキンにスパゲッティにグラタンにエスカルゴにフォッカッチャという洋風パンまで胃袋に叩き込んだ。十二時少し前に急いで退店。間違いなく食べ足りたが、一時間と少しでは、飲み足りず、話し足りず。ちなみに両名は偉そうな顔をしながら山手線の内側に住んでいる。吾人だけが世田谷の外れ住まいだから、やむを得ずお開きとなる。
急いで地下鉄に乗るも、永田町の駅は矢鱈騒騒しい。どうも非常停止信号が焚かれた模様。ワンワンというけたたましいサイレンの音を初めて聞いた。結局半蔵門線は10分遅れ。金曜日の此の時間の此の遅れは致命的で、車内は超満員となる。酔いが回ってなかったので本を読んでいたが、文庫本の頁を捲るのも困難ほどの混雑だった。ちなみに読んでいたのは『空旅・船旅・汽車の旅』。何時の時代も移動は大変であると思った。12時半ごろ帰宅。


2/19・木
 三日ぶりに晴れる。午後出社。少し時間が余って来たのでチラシを配って歩いた。退社後は立ち飲みBと佐渡屋へ。何だか結局飲み過ぎた。


2/18・水
 昨日以上に寒い一日。しかも雨。午後傘自転車で出社。退社後は中華立ち飲みで二杯だけ。今晩は平穏だった。約千円。雨は夜には止む。
 中華圏は春節。円安ゆえ例年以上に観光客が押し寄せているとのこと。デフレに苦しむ小国にとってはありがたいお客であるが、内陸部や沿岸部の貧困層から見れば、我我から巻き上げた御金であんなに贅沢していると、恨み節の一つも聞こえてきそうである。


2/17・火
 東北沖で地震相次ぐ。一日時雨れた。一日無為。数年後に大学入試が変わるそうである。知識偏重を改め、総合的な知識の運用であるとか、表現能力などを測るようになるのだという。しかし、そういうことは大学に入ってから勉強すればいいのだと思う。高校まではしっかりと知識を身に付けて、大学に入ってから、溜めた知識の応用力を鍛えればいい。大学でやることを、態態高校や予備校にやらせるのは、労力の無駄である。大体そんな複雑な試験をやるほど、大学の先生は暇では無い筈であると思った。


2/16・月
 午後早目に出社。出勤途中に目が痒くなる。愈愈花粉症の季節である。ところでМ君はすっかり平静を取り戻し、都立高校入試に向けて真面目に勉学に取り組んでいた。立ち直りが早いことは結構なことである。中村君にも会ったので、過日の謝礼として壱万円支払う。随分弾んだ積りである。彼も此の三月で卒業であるから、卒業祝い兼もう深酒をしないという吾人自身への戒めの意味もある。また御酒を減らすということは、今後無期限に緊縮財政を行うことであるから、御金など幾らでも湧いて出て来る筈である。
立ち飲みBに続いて中華立ち飲みに寄る。馴染みのない御年寄りが大挙して飲んでいる。集団内には明確な序列があるようで、上位者が下位者を散散馬鹿にしている。聞いていて余り気持ちの良いものではない。早早に退散した。中中一味神水とは往かないものである。二軒で1600円。
 昨年10−12月のGDP速報が出る。個人消費は多少戻したものの、どう考えても気軽にお金を使える状況に無いことは変わり無し。


2/15・日
 更に冬型が強まり一日大風。風の中自転車を走らせ、世田谷区の反対側の回転寿司へ。馬刺しの握りなどもあったが、肝心の魚は冷凍物しかない感じ。数皿で切り上げる。食べ足りないので更にラーメン屋に寄って帰った。


2/14・土
 一日晴れ。大きな外出は無し。受かる筈の高校を受けたМ君が受からなかったと連絡が入る。何でも推薦優遇枠が大きすぎて、一般入試の枠が少なくなって仕舞ったとのこと。折角朝から並んでも肝心の自由席が幾らも無かったというのであれば、乗客は怒り始めるであろう。こうなると推薦入試も考え物である。それにしても試験というものは毎回予想外のことが起こる。流石に寝つきは悪かった。


2/13・金
 再び冬型に戻り寒くなる。事務仕事が溜まっているので、午後本務校に出校。二時間ほどでやっつける。其の後千寿に移動す。退社後は本務校付近に戻り中華立ち飲みに寄る。併し満員電車のような混雑で閉口す。堪らず無人駅の様なバーIへ移動。麦酒一本にシュウマイを三個食べて1500円。御客が少ないから、地方の第三セクター鉄道並みの運賃であった。


2/12・木
 薪ストーブというものは薪を絶やしてはいけない。一旦消えてしまうと、再び火を起こすのは大儀である。そう思うだけで夜中何度も起きる。一時、三時、五時と三回も起きた。朝にはすっかり草臥れて仕舞う。二度寝ののち、薪の移動と凍った雪の撤去を行う。此の三日で猫車一台分ぐらいの薪を使用した。相場が分からないが数千円程度にはなるらしい。
いい加減することが無くなったので伯母の運転で下山。例によって市内の「小藪」で蕎麦を食べ、伯母とは伊那市駅で別れた。辰野までの乗車券を追加購入。320円。此処からは一人である。見たところの伊那市駅は下校の高校生で溢れていて賑やかである。併し伊那市駅蕎麦屋売店もあった筈だか、そのどちらも無くなった。また伊那北の駅には、ラーメン喫茶店もあったが、今は駅員すら居なくなった。こうして見ると飯田線も凋落が著しい。成るべく飯田線に乗ろうとは思うが、そうすると高速バスの御客が減って仕舞う。都市間高速バスは田舎のバス会社の屋台骨である。屋台骨が揺らげば、伊那バス信南交通も経営危機である。結果として西箕輪線などが無くなることになるだろう。全体のパイを増やすには、やはり東京の一極集中を何とかせねばならないのだと思う。
13時過ぎの飯田線に乗車。岡谷で「あずさ20号」に乗り換え。よく空いている。早速車内販売員から弁当を購入。「山賊焼き弁当」760円。御飯の上に妙な唐揚げが載っている。山賊焼きは松本の名物だという。山賊は旅人の荷物を「取り上げる」から、即ち「鶏、揚げる」という訳である。御飯の上にどかんと鶏肉が載っているから、どかべんの一種だと思った。景色を眺めている内に新宿定時到着。まだ明るい内に家に帰った。
 漸く施政方針演説。併し外出していたので聞けず仕舞い。物言いの一つや二つ付けたかった。ところで国会中継というものは詰まらない野球の試合に似ている。辛抱しながらじっと聞いていると、一時間に一二回は面白い所があるものである。またウクライナ東部を巡って再びの停戦合意。一一停戦せねばならないということは、前回までの合意が悉く破られているからである。


2/11・水
 伯母を交えて雪中ドライブに行くことにす。といってもお天気も良いから、車道は頗る快適である。権兵衛トンネルを潜り木曽へ。御嶽神社に寄る。其の後、開田高原へ足を伸ばす。
御昼になったので、昨年入った松葉という店を再訪す。前回は列を成して立って待って、更に座って待って御蕎麦が出て来るまで一時間も掛かったが、今回はもったいぶらずに十分ほどで素直に登場す。季節がら温かい蕎麦にした。伯母と月波君は「すんき蕎麦」を、吾人は「とろろ蕎麦」を食べた。伯母は旨い旨いと言っていたから、旨い蕎麦屋なのだろうと思った。それにしても何処か遠くに参ると、結局蕎麦を食べている。此れは一種の条件反射であると思った。別の店でアイスクリームを食べて伊那に戻る。
月波君がもう帰らなくてはならないというので、吾人もお付き合いして一旦下山す。四時前のバスに乗り、早くから開いている伊那市駅前の居酒屋で軽く一献。五時になり「うしお」が開いたので急ぎ移動す。伊那の要は、矢張り此の店である。一時間弱飲んで、月波君は飯田線へ、吾人はローメンを手土産に最終バスで山荘に帰った。
ところで、伊那バス「西箕輪線」の中条というバス停から駅前まで、運賃は480円。運行本数は平日9本、休日は5本。乗客は数名ずつは居たので、まあ路線自体は何とか存続してくれるだろう。成るべく利用したいとは常に思っている。其の後伯母と二人で飲み直す。灯油を燃やして風呂を沸かす。十一時就寝。


2/10・火
 伊那に行く。今回は伯母に同行し、雪掻きと薪の整理という一応の仕事を預かっている。伯母の指示により、8時の「スーパーあずさ5号」で行くことにす。結局早く起きなくてはならないから、浅い眠りを繰り返して朝だというのに寝不足である。今回の同行者も例によって月波君。伯母とは新宿駅で待ち合わせた。あずさは満席の乗客を乗っけて定刻発車。通勤電車の中をかき分けて行くから、八王子までは随分遅いと思った。
 ところで朝方から列車に乗ると決まってサンドイッチが食べたくなる。それも折角特急列車に乗っているのだから、なるべく贅沢な方が佳い。早速車内販売員を掴まえてカツサンドを購入す。三切れ入りで640円もするから上等品である。本来ならば此処から牛飲の限りを尽くすのだが、麦酒を一本だけにした。従って酔いも回らない。同行者も毎度毎度の月波君だから大して話すことも無し。
ぼんやりしている内に岡谷に到着す。飯田線に乗り換えると、途中中学生の集団に取り囲まれる。どうも県立高校の試験があった模様。試験場帰りの為か、みんなげんなりしている。人数の割には車内は至って静かであった。試験というものは幾つになっても嫌なものである。伊那北駅には11時半前に定刻到着す。
 自動車を受け取り、買い物をし、中華料理屋に寄る。其の途中給油す。ガソリン1リットル141円。随分安くなったが、此れもいつまで続くことか。二時少し前に山荘に着く。一か月以上も無人だったので、室温は氷点下。以後、薪ストーブにプロパンガスのファンヒーターを併用して、十度上げるのに二時間、更に十度上げるのに三時間掛かった。而も室内は一通り暖まっても、家具建具の類は悉く冷たい。其れ等が暖まるには更に数時間必要だった。
 伯母によると冬季は何もしなくても電気代が月に一万円だという。凍結防止ヒーターが電気を食うのだろう。寒冷地というものは冬に御金が沢山掛かる。福祉金の冬季加算を減らそうというのは、薩摩長州辺りの暖かい地方の発想であると思った。夜はカセットガスを燃やして鍋料理にした。酔いが回り九時就寝。


2/9・月
 午前中ぼんやりとしていると、入居者の親御さんから所在確認要請。何でも職場を無断欠勤しているという。やむを得ず緊急解錠して、家人共共恐る恐る中を覗く。すると既に外出した気配。単なる情報の行き違いだった模様。幾らなんでもまだ若い人だから、である。全くの人騒がせであった。
午後早目に出社。金七万円受け取る。都立中学の発表日。倍率も高く中中受からなかった。都立の中高一貫校というものが出来て十年位は経ったろうか。私立の一貫校と同じようなことをしていて学費が無料だから、定員の十倍近くも志願者が集まる。併し入試問題が独特だから、結局色色と勉強を教え込まないことには受からない。東京都も迷惑な学校を拵えてくれたものである。それにしても、此の仕事をしているとやはり不合格というものは残念である。退社後は中華立ち飲みと佐渡屋に軽く挨拶して帰る。御酒も控え目にす。


2/8・日
 朝から曇り。再び伊那に行くことになったので、御昼前に自転車で渋谷駅に行く。窓口の機械であずさの指定席を取った。東急プラザが愈愈閉店するというので色色と見聞したかったが、予報通りに雨が降り出したので急いで帰宅。其の雨も夕方には止む。
国道の向こう側の商店街で刺身や惣菜を買いに行く。飲酒再開と行きたいところだが、缶麦酒一つに留めた。雨が上がって風も無いので夜は霧が出る。御酒を飲まないと夜は長いしおまけに寒い。エアコンの使用頻度が上がりそうである。


2/7・土
 漸く健康を取り戻す。朝から牛丼を食す。今日は雑件が目白押しである。まず二号室の電燈が故障したというので交換に参る。近所の電気屋さんは引退した模様で電話も繋がらず。やむを得ず内装屋さんを呼び立てるしかなかった。何時もの親方と大工さんが二人でやって来て僅か十分で終了す。それにしても最低十年は持つ筈のLEDが一年余りで点かなくなっている。とんでもない粗悪品であった。近所の量販スーパーで購入したナショナルの国内生産品と交換す。調光調色機能付きで一万二千円余り。アイリス大山のメードインチャイナより四千円は高いが、もう粗製乱造は懲り懲りである。
以後町内のごみの片づけ、粗大ごみの解体、不動産屋に書類提出、猫餌の買出し。思うように体が動く喜びを噛めた。落ち着いた頃に、新書『財政危機の深層』を読む。著者は財政再建派の元財務官僚。それにしても同じ元財務官僚でも、全く別のことを宣う論者も居るから、財政のことは中中見通せないと思った。大体、予算にも本予算と補正予算があり、会計にも一般会計と特別会計がある。これらを足していくと膨大なものになるだろうし、ましてそれらに将来の経済成長率や高齢化率を掛けていくと、数年先でも丸で霧の中の藪の中ということになるのだろう。ただ見通しの悪い所は、くれぐれも安全運転に徹すべきだと思うところであるが。頭もはっきりしてきたので、本は読めたが、上半身、胃の辺りの筋肉痛は致し方なし。夜も御酒は無し。何となく口寂しいので甘い炭酸飲料を飲む。


2/6・金
 結局年に一度か二度と言う規模の宿酔となる。御昼になっても、午後になっても、吐き気は治まらず。それどころか益益症状が悪化し、起きていられず、寝てもいられず、立っていられず、座ってもいられず。正しく七転八倒の苦しみとなる。被害は上方修正され、滔滔数年に一度と言う大惨事に至る。
とてもじゃないが授業どころでは無し。千寿には学生講師の中村君に代わりに行って貰うことにした。暗くなる頃になって漸く吐き気が治まった。8時頃にお粥のみ食す。胸やけは夜更けまで続いた。もう御酒はやめることにしようと思う。


2/5・木
 降るぞ降るぞと言われたが結局降雪は無し。午後傘自転車で出社。受験生の授業も終了したので、七時半には退社し、久久に月波君と会う。静かな店が良いというので、一年半ぶりに老夫婦の店へ。久久の参上だが色色と歓迎された。すっかり気を佳くして、更に二軒も痛飲す。12時半ごろ帰宅。


2/4・水
 午前中は予算委員会を見る。首相の演説が件のイスラム国を刺激したのでないかと追及される。まあ刺激としたと言えば刺激したのだろう。原稿書きは外務官僚の仕事である。専門家としては迂闊だったろうし、ひょっとしたら官邸サイドが原稿を書き直したのかもしれない。どちらにしても、アメリカとイスラエルに余り肩入れすると、ロクなことがないと思った。また暴力の応酬はヨルダンに飛び火す。
喉の腫れは治まらず。どうにも気が優れず。午後出社。金伍萬円受け取る。鼻の調子も戻らない。何処にも寄らずに帰宅す。秋子叔母さんの施設入居が決まる。此の数か月、加速度的に分からなくなっているという。


2/3・火
 鼻声鼻水が治まらず。一日安静にす。近所のチェーン店で太巻きを買うも、酢の利きがいい加減で、粗製乱造の感は拭えず。大量生産するとどうしても仕事は雑になる。


2/2・月
ピ博士が来日す。テレビ出演に講演会にと引っ張りだこだそうである。併し日本社会の此の知性の劣化状況ならば、博士の説を曲解しかねない。国民所得を平準化する為、もう一度国家総力戦体制を作るべしなどと言うような輩が現れないか心配す。
ところで先週、国内第三位の航空会社が経営破綻した。結局最大八百人乗りの超大型機を入れようとした社長の大風呂敷が破けた形となった。名古屋の会社もそうならなければいいと思う。それにしても日本第二位か三位の鉄道会社の会長の頭がそんなにいい加減では、つくづく困ると思った。JRは野心的な経営者によるベンチャービジネスではない。東海道新幹線も元元は国民の財産である。
今日も冬型。午後出社。立ち飲みB、中華立ち飲みと立ち回る。花蓮さんとも合ったが、昨日から水っ洟が出るので早目に帰宅。


2/1・日
 朝方に新たな犯行声明。滔滔最悪の結果となる。日本政府のやり方も色色と拙かったのだろうが、折角の大事な人質も死なせて仕舞ってはもはや価値がない。出鱈目な蛮行を繰り返すあたり、イスラム国も相当追い詰められているのだと思った。それにしても中東情勢は最早手の付けようがない。此の事態を米国民はどう考えるのだろうか。
 今日も北風強し。御昼は隣町の中華蕎麦。鐵という新興のチェーン店らしいが、鰹出汁が利き、あっさりと旨いことは旨い。併し750円もする割には食べ足りず。こんな憂鬱な日は大盛りの付け麵を思いっ切り食べたかった。