15年10月

10/31・土
三号室の電灯のリモコンが壊れたという。カベスイッチがない古い部屋だから、こうなると制御不能である。再び内装屋さんを呼んで、取り敢えず六号室で不要になった電灯を付けて貰う。其の後、量販店に参る。スイッチがない部屋用にひも付きコネクターがあると聞いたが売っておらず。換気扇だけ買って帰える。結局コネクターはアマゾンを頼ることに。それにしても全く同じ換気扇がネット上では二千円も安く売っている。成るべく実店舗での購入を優先してきたがこんなに差が付いて仕舞っては量販店というビジネスモデルもそろそろ御仕舞である。
偶には変わったことをして見ようと思い、夕飯後は近所に銭湯に行く。何だか寒いので大きな風呂が恋しくなった。併しどういう訳だか今日に限って休業とのこと。十数年ぶりの入湯は果たせず。何だか頓珍漢なことをしている内に今月も御仕舞。


10/30・金
 六号室退去。早速内装屋さんを呼んで見て貰う。此の部屋は数年前に多少手直ししたので、他のどの部屋とも微妙に違う。まるで間違い探しである。そして中途半端に直したら直した分だけ、他のとの整合性が付かなくなる。見積もりを作るのも一苦労である。
 午後遅くバス+徒歩で出社。退社後は立ち飲みB、中華立ち飲み、そして愈愈閉店のSに寄って帰った。


10/29・木
 結局宿酔。三合半程度しか飲んで無い筈なのに案外酷い。前夜殆ど食べ物にあり付けなかった為である。Bを出た後も、天祐寺駅周辺にはラーメン店なども極端に少ないから何も食べられず。食べながら飲むか、飲んだ後に食べるか、飲む前に食べるかのどれかにしなくてはならないと思った。
何とか収め一旦本務校に出校。無責任社長がおばさんの葬儀に参列の為、低学年の授業を代わりに行う。新潟から帰って来た社長と交代して千寿に向かう。ラッシュに巻き込まれ地下鉄は座れず。この段階で勤労意欲は既にゼロである。麦酒でも引っかけて行きたかったが、宿酔明けの為、其れも断念。「りんりん」でカレーを食べてから二時間半ほど教えた。昼の人身事故の影響が夜まで残り、半蔵門直通運転は中断中。帰りも千代田線に乗る。本日無酒。
結局燕は鷹に一つしか勝てず、日本シリーズは早早と終了。リーグの実力差を見せつけられる結果となった。辺野古は強制着工される。


10/28・水
 若い介護職員や警察官の不祥事が続く。前者は被介護者を窓から突き落とし、後者は部下や後輩を拳銃で脅したりする。こういった職種には向き不向きというものがあるから、誰でもある程度は務まるというものでもない。少なくとも吾人にはどちらも無理である。而しずっと就職状況が良くなかったから、職業適性などを考える暇も無く、手っ取り早く成れるものに成ったのであろう。だから後後から面白くなくなるのだと思った。
 午後出社。出社途中に立ち飲みBがさらなる支店を出したというので寄って見た。拙宅と職場の中間と言えなくもない位置である。在来魚系が売りのBであったが、今度は焼き鳥が主だという。併しK氏を交えた開店前の打ち合わせの真っ最中。K氏は所謂やり手の社長だが、習近平小沢一郎を足して二で割ったようなこわい顔をしているから、どうにも吾人は苦手である。よって満足な激励は出来ず。退社後に改めて寄ることにした。
雨雲を縫いながら、再び行って見る。焼き鳥が一本80円だから、開店初日から大勢の御客が押し掛けている。而も一本単位で売るから、大量の注文に製造と配膳が追いつかず。更に新型の注文システムには従業員も不慣れで、結局店内は大渋滞となる。併しK氏以下幹部社員は肝心の書き入れ時なのにもう居ない。
止むを得ず吾人も常連代表として下膳を手伝った。それにしてもBは大変な勢いで拡張しているが従業員が恒常的に足りない。それでも御客から無理難題を注文され可哀想である。こういう時こそK氏はふきん掛けから頑張るべきであると思った。


10/27・火
 多摩地区で小学生が縊死。而も四年生だという。幾ら何でも早すぎる死である。一日南風。様子を見に行った両家人によると、万代伯母はまあまあ元気だったという。ちなみに今月で実に96歳になった。
火曜不出社だが、午後は区の都市計画審議会の傍聴に行く。生憎、行政にも司法にも大きな会社組織にもまるで縁が無い吾人なので、こういう会に行くのも人生で初めてである。審議委員は区議七、学識経験者七、その他六。他に速記者一、区の職員が凡そ三十、傍聴人は約十人である。こうして見ると国会のマイナーな委員会質疑と大して変わらないと思った。
吾人の提出した意見書も多少は検討された形跡があったが、基本的には区の提案通りに審議会は進む。何人かの区議が反対質問をし、委員長が適当に纏めて採択に進む。最後は怒号が飛んだ。此処まで一時間半。それでも割と揉めた案件に分類されるであろう。一応区としては地域を細分化して更に規制を進めることには同意した模様だが、今後どうなるかは分からない。
それにしても都市計画を直すだけでも数年掛かりの大仕事である。その途中で何かが拗れ、こういう事態となった。住民の声を最初から拾い上げていたら、もう少し手短に済んだかもしれないと思った。住民参加を訴えていた松圭先生ならどう考えただろうか。区役所帰りに平目の刺身を買い求め、六時くらいから飲み始めた。


10/26・月
 午前中は運休状態。午後出社。今も昔も此の時期の中学生は合唱コンクールである。準備やら後片付けやらでお疲れ気味。ただ、打ち上げ会でしゃぶしゃぶ食べ放題レストランに行き、悪ふざけをしていて店員に怒られたなどいうのは昔は無かったことであろう。今の中学生は下らないことに御金が掛かる。立ち飲みBとラーメン屋に軽く寄って帰った。万代伯母が発熱したとの連絡が入る。


10/25・日
 徐徐に冬型の天候となる。古本屋で『古文の読解』という本を入手。大昔の古文の参考書をちくま学芸文庫が復刊させたもの。少し勉強しようと思う。いつしか古文書も読めるかもしれない。
 其の後、立ち飲みSのお別れ会に出席。費用は無責任社長持ちだから一応行くことにした。参加者は二十名以上、三十名に至る感じ。併し平均年齢は65、長年の飲酒と喫煙で肉体年齢は70といった感じ。Sが立ち飲み屋になって17年、前身の御寿司屋時代を入れれば、数十年であろう。吾人も十数年は通ったことになる。それにしても常連客も幾人かは鬼籍や介護施設に入っている。大変な年月である。
色色と思い出話もしたかったが、店内は満員電車のようになる。わあわあ怒鳴るように会話をし、引っ繰り返ったお年寄りの介抱もす。うんざりして来たので、遅れて来た月波君と暫し中華立ち飲みに避難す。Sの飲み会は八時になっても終わらないので、流石に途中退散す。御客のいないバーIで少し飲み直して帰った。


10/24・土
 飢餓感は取れず結局朝から牛丼Sへ。牛丼に生野菜と味噌汁を付けて480円。一応店員は二人体制であった。一日暖かく晴れる。昼食抜きにして、近隣を自転車で散歩す。行きつけの古本屋は無事だったが、また幾つかの商店が無くなり、そして其れ以上の数のコンビニエンスストアーが出来上がる。それにしても不思議なのは、Sが出来て間もないのにまた近くにSが出来、元元Lがあるのに指呼の距離にもう一軒Lが出来る点である。Kの隣にFを造るというのならまだ分かる。併し同門同士を競わせて一体どういう利点があるのだろうか。コンビニ本部の担当者に聞いて見たいと思った。
 天皇皇后はイタイイタイ病資料館を御訪問。確か割と最近足尾や水俣にも行かれた筈である。その足跡を辿れば、日本における近代化が如何に陰惨なものであったか、十分想像出来るであろう。でもネット上の自称愛国者たちにそういう想像力を期待しても無理だろうなぁ。
今日からプロ野球日本シリーズ。鷹対燕という自然界ではまるで勝ち目のない戦いだが、燕の奮起に期待す。夜半から風強し。 


10/23・金
 午後出社。暇なので「荒川強啓デイ・キャッチ」を聴きながらチラシ配り。職場に戻りぼんやりしていると「狭衣物語」を訳して欲しいと突然頼まれる。源氏物語に似た話らしいが、生憎古典は現役時代から苦手である。汗びっしょりになっても、満足な訳がつけられず。高校時代の不勉強を恥じ入る。
 退社後は立ち飲みSへ。多くの常連客で立錐の余地も無くなる。すると人が人が呼ぶのか、今更ながら新規の御客も訪れ、混雑に拍車が掛かる。中には妙齢女性などもいて、何だか不思議な晩餐会となる。併し飲はともかく食の不備は不変で、富士蕎麦に寄って帰った。一時ごろ帰宅。


10/22・木
 午前中は六号室の人が遺棄したゴミの解体と分別。引っ越し時の挨拶として饅頭を貰って仕舞ったから働かずを得ず。午後千寿に向かう。出校した傍から、件の責任者は、英訳の出来が悪いと生徒を罵っている。相変わらずの光景である。吾人も態度の悪い生徒に激昂することはあるが、頭の中身に対してはそうしない。立腹することが決して無いとは言えないが、それを制御しなければ物を教える適性が無いと言わざるを得ないからだ。案の定、当該の女生徒はしくしくと泣き始めた。言葉の暴力もくれぐれも宜しくないと思った。退社後は小諸蕎麦を黙って立って食べて帰った。
中国主席は今度は英国を訪問。巨額契約のせいか大歓迎を受ける。併し記者会見では人権問題に関しての鋭い質問が飛んだ。今までは貧乏だったから、13億の民を飢えささないことが最大の人権保障ですなどという抗弁も出来ただろうが、GDPが世界二位となってからはそういう言い訳も出来なくなる。これからがますます難しい国になると思った。


10/21・水
 一日晴れ。午後出社。退社後は立ち飲みBと中華立ち飲みへ参って御仕舞。プロ野球選手が野球賭博で告発される。此の手の問題は定期的に出て来るから不思議である。吾人にはその習慣は無いが、賭博というものは人間の本質に深く根差しているだけに、根絶は難しいのだろう。駅前という駅前、街道筋という街道筋に、パチンコ店が林立していることからして十分わかる。


10/20・火
 横浜のマンションは杭打ちが不十分で、いよいよ建物が傾くという事案が発生。原因が元請けの不当圧力か、下請けの手抜き工事にあるのかは判別できず。施工主は大手の大企業だが、下請け孫請け関連会社と進むうちに、一種の無責任体制が出来上がるというのも、日本の建設業の伝統的な姿である。
 それにしてもこういう事が起きると、必ずと言っていいほど「マイホームは一生で一度のお買い物」という枕詞が出て来る。いやしかし、もうすこし土地と建物の値段が下がれば、一度と言わず二度、つまりマイホームの他にセカンドハウスが持てるであろう。東京圏に人口が集中するのはやむを得ないとしても、もう一軒、風光明媚な所、若しくは何だか気に入った辺鄙な所に家が持てれば地方活性化に絶大な効果があると思うのだが。でも折角建てたとしても、休みが少ないから、遊びに行けないかぁ。
 二階の六号室の退室が決まる。早速だが改修後に取り付けるLED電灯を買いに行く。今回もナショナル製の国産品にした。少し高くて16200円。一日晴れ。一年で一番穏やかな季節となる。ただ日に日に陽が短くなるというのが少し寂しい。秋は感傷的な季節でもある。此れは熱帯地方には見られない哀しさであろう。鬱病の発生率もだいぶ違うと考えた。ほぼほぼ休肝日。寝ようと思ったらシロが上がって来て、撫ぜてくれと盛んに催促する。人間とは猫にサービスすることに喜びを見い出す妙な生き物である。


10/19・月
 概ね朝には回復す。一日晴れ。午後出社。学習塾に通わせているのに、毎回二十点ぐらいしか点が取れない生徒の親から苦情が寄せられる。吾人の見立てだと、概ね学習障害かすれすれの子だから、週に三回程度のクラス授業でどうにかなるようなものでもなし。それでも性格は明るく素直だから、地頭若しくは精神の成長を待ちつつ、中学三年生頃までにはどうにかすれば佳かろうと算段していた。併し親としては今すぐに点を上げて欲しいのだという。地獄の沙汰も金次第だから、個別指導コースに変更する以外の選択肢は無し。月二万数千円の授業料は倍増することになる。併し二倍の授業料をお支払い頂いたところで、頭の悪い子の指導など、誰もやりたがらず。つくづく頭が悪いと本人は勿論、周りにも家計にも負担が掛かると思った。しかしまだ色色と支出してくれるだけの真面目な親がいるあたり、子としてはまあまあ幸運な類なのだろうが。
 退社後は立ち飲みBに行く。すると大将が現れ、立ち飲みSに行こうというので一緒に参る。Sも立ち退きにより、残すところ一週間となった。此方は移転ではなく廃業引退する。元元はBも中華も無く、Sしかなかった。飲み歩きという点では正しく原点というべき店である。Sの女将さんや大将と色色と思い出話に浸りたかったが、例によって愛人X女史が一緒だから思うように話せず。飲み過ぎない程度にして遅く帰った。


10/18・日
 昨夜はコンソメ味のポテトチップスにキュウリをぼりぼり齧りながら麦酒を飲んで寝たところ、明け方から胃が急に可笑しくなり、結局みんな戻すことになる。本当にろくなことが無い。キュウリは当分見たくもない。キュウリ減量法失敗である。
 午後自転車で散歩に出たが、妙に足がもつれる。するとどうも節節が痛い。急いで帰って寝ると、案の定、発熱す。以後安静、少食。当然無酒。胃腸も疲れたのだろう。


10/17・土
 一日無為。夜は暇に飽かせて『一千兆円の身代金』というテレビドラマを見る。公共工事に翻弄された一人の青年が、副総理の孫をさらうというミステリープラス政治ドラマであるが、何も国の借金が一千兆にもなったのは、副総理や年寄り世代だけのせいではないだろう。ミステリーの部分はともかく、政治が絡むと途端に現実味が無くなる。小説家が政治を理解していない証拠である。いっそ政治学者にミステリーを書かせたらどうなるだろうかと暫し思った。


10/16・金
 昨年の有給休暇消化率は五割に満たなかったとのこと。「一億総活躍」を訴えるのなら、休みをうんと増やして、平日暇そうにしている観光業にもっと仕事を割り振るべきである。だから消化率を十割にしろと大企業に脅しをかける程度のことはすべきであろう。それに休みが増えれば交際範囲が広がる。男女の交際も増えれば、その内に赤ん坊も生まれるに違いない。
 一日ひんやりとした霧雨。午後出社。止み間を狙ってチラシを配る。退社後は立ち飲みBへ。誰にも合えないから従業員に構って貰って帰った。実は此の処、キュウリをむしゃむしゃ食べて腹の足しにし、その間に少し痩せようと思っている。しかし何だか結局力が出ない。帰った後は家人に餅を焼いて貰って食べた。


10/15・木
 一昨昨日の人身事故の記事は色色と検索しても一切出て来ず。事故後の状況から言って、最悪の結果に近かったと思う。いやしかし、一瞬とはいえ鉄道自殺も痛いだろうなと思った。「生きているのは退儀である。しかし死ぬのは少少怖い。死んだ後の事はかまわないけれど、死ぬ時の様子が、どうも面白くない。妙な顔をしたり、変な声を出したりするのは感心しない」(百鬼園先生)。自殺は矢張りよくない。他殺や戦争は勿論であるが。
 概ね晴れた。千寿に出校の序にレンタルビデオ屋になった本屋を覘く。一応本屋の屋号も掲げてはいるが、数年来改装を繰り返した結果、本売り場の面積は当初の実に数分の一以下となり、岩波もちくま学芸文庫も、平凡社ライブラリーも悉く無くなった。ネット書店は街の大型書店も食い潰して仕舞うようである。成るべく一般書の類は此処で購入するようにしていただけに残念である。それにしてもレンタルビデオ業も本屋同様、実店舗は斜陽であるだろうが。
退社後は福心で「生姜焼き定食」(680円)をさっと食べて帰宅。拙宅で第三のビールを二缶という、ほぼほぼ休肝日。またお医者さんは被害届提出は断念したとのこと。御家族に止められたらしい。持つべきものは常識的な家人である。


10/14・水
 お医者さんは今度は警察に被害届を出すと言い張っている。区に無視されたことがどのような犯罪被害に該当するのか分からないが相当あらぬ方向に走っていることは分かる。困った日常に回帰してきたものである。いっそあのまま極寒の千畳敷カールに居たかった。
 午後出社。退社後は中華立ち飲みに行く。伊那と中央アルプスで御金が大量遭難した上に、肝臓も休めなくてはならない。大口だと麦酒を飲み過ぎるので、口を小さくして二杯だけ飲んで帰った。


10/13・火
 御金を使って贅沢な体験をしたという点ではなかなか密度の濃い三日間であった。月波君との二人旅よりはるかに楽しい。「集合楽」とでも言うべきか。暫らく気分良く過ごせそうである。火曜不出社。苦しかったことは忘れ、楽しいことだけを思い出しながら日誌を纏める。ほぼ休肝日。


10/12・月
 宿酔は無し。早速、「道の駅・大桑」で買った「農家自慢の新米」を炊いて貰い、朝から卵を掛けて食べた。其の後ぐったりしている大将と月波君を叩き起こして、駒ケ根方面へと車を走らす。其の内、つい千畳敷カールにまで行って見たいということになった。吾人が伊那に行き始めてから二十年は経ったが、実は駒ケ岳には行ったことが無い。天気もよさそうなので思い切って行くことにした。バスと索道線往復券で3900円。
専用バスは直ぐに乗れたが、その先は順番待ち。整理券を持たされて、下駅の売店で御酒を飲みながら待つ。バスはどんどん出ている。自社車両では足りず、傍系の伊那バスも沢山走っている。なるほど伊那バスには、高速バスの他にこういう収益源があった。少し安心した。ただ閑繁の差があり過ぎるから、事業全体としての収益はどうなのだろうか。
索道線は1000メートルを一気に攀じ登る。良く造ったものだと今更ながら感心す。それにしても、こういった山岳地帯の観光開発は昭和四十年代がピークといったところだから、施設等等はだいぶ古い感じがする。環境保護という点もあるから新規の建設は難しいのだろう。それに今から大規模な設備投資をしても、中中採算が取れないということもあるに違いない。
ロープウェーも籠は新しいが、行きと帰りの二台しかないから、どんなに折り返しを早くしても、一時間に360人程度しか運べない計算。だから一時間は待つこととなった。そして待っている内に、もくもくと雲が広がり、上がった頃には雲の中となる。
例によって行き当たりばったりだから、吾人は薄い服しか着ておらず。山の上で、明らかに吾人が一番薄着をしている。ところで、新幹線に旅館の浴衣を着て乗っていたり、羽田空港をサンダルとよれよれのシャツで歩いている場違いな中年男性を偶に見かけるが、今日の吾人は正しくそれである。結局震えながら千畳敷を一周す。肝心の赤いものや黄色いものは見えず、大体白一色であるから、さながら雪中行軍のような味わいとなる。這う這うの体で山頂駅に戻る。
併し下りのロープウェーも一時間半は待つことに。外が寒いから山頂駅には人人が押し寄せ、駅自体が満員電車のようになる。特に本格的な山登りをしてきた人は草臥れ果てているから、へたりこんだり、うずくまったりしている。何だか哀れである。併し山に登る人は体が丈夫な人ばかりだから概ね大丈夫であろう。結局我が自堕落組はレストランに入り、850円のカレーを摘まみに、550円のワンカップの日本酒を飲んで待った。
御酒を飲めば時間が後ろに伸びていくから、直ぐに下山の番となった。山には上らず下で待機していた月波君の運転で伊那に戻る。併し世間一般の時間は素面でどんどん経っているから、山荘に帰ったらもう五時である。大急ぎで片づけをして駅に降りる。何時ものスタンドでガソリンを補充。1リットル140円。伊那北駅近くの中華屋で最後の晩餐を行い、飯田線に乗車。岡谷で最終の「あずさ36号」に乗り換え。早速車販員を呼び止め、ウイスキーハイボール信玄餅を購入。後者は家人への土産とした。
折角の四人席だったが、いい加減に飲み疲れて会話も少なくなる。淡淡と走っていると、大月の手前で緊急停止す。反対側の列車が猿橋で人を轢いたとのこと。駅までのろのろ進んで動かなくなる。降りて見ると、国道の辺りを緊急車両が次次と走って行く。随分掛かるかもしれないと思った。それにしても夜の大月駅は何もない。結局さっきの車販員を探してお酒を追加購入。長丁場に備えた。
併し上り線は先に通すとのこと。40分程度の遅れで再出発す。猿橋駅低速通過。ホームには明かりを消した下り特急車両が停止していた。以後、あずさは本来の「スーパーあずさ」となって急速に速度を回復し、新宿には11時過ぎに到着。今日は此処で御仕舞。こってりラーメンを一杯、所望して帰る。


10/11・日
 午前中は雨模様。結局二日連続で二日酔いとなり、ぐったりしながら権兵衛峠を潜り木曽の方へ。まず何時もの神社でお参り。一刻も早い健康回復を祈願す。其の後妻籠まで足を伸ばした。暇そうな蕎麦屋を見つけ、漸くかけ蕎麦を食べた。併し塩分が食道と胃に染み入る感じがする。つくづくもうお酒を断とうと思う。再び伊那に戻る。
 夕方になると、白樺湖方面に細君と旅行中であった大将がやって来ることになる。伊那市駅までお迎えに行く。近くまで来たのだから、是非ご夫婦ご一緒で伊那へおいでませと誘った筈だったが、案の定、細君は都内に先に帰したようである。細君の節子さんとは皆も顔見知りだけに残念である。それどころか、元元不仲な夫婦だったが、またまた不和の原因を増やして仕舞ったと反省する。
併し一旦来てしまえば、あとは飲むだけである。四人で鍋を囲みながら延延と飲んだ。流石に吾人は控えめにした。と言うよりアルコールがなかなか喉を通って行かなかった。


10/10・土
 昨夜は大将らに連れまわされた結果、相当の宿酔となり、既に這う這うの体で新宿駅へ参る。今日から伊那である。参加者は色色と募ったが、結局月波君と轍田さん。また今一つ轍田さんの行動に自信が持てなかったので、今回は自由席にした。
13時発の「あずさ17号」に乗車。五連休の二週後の三連休と云う事で、出掛ける人も案外少ないようで指定自由とも丁度定員乗車といったところ。漸く大月辺りで宿酔が収まり、車内販売員を呼び止めた。下りの列車だと東京の弁当しか積んでいないから、NRE製の「チキン弁当」(850円)を購入。鶏の唐揚げにケチャップライスという昔からある庶民的な弁当である。そういえば、今生天皇も好んで食べられると割と最近、何処かで聞いた覚えがある。しかしまあ、同じNREにしても「大人の休日弁当」(1800円)が好物という訳にも往かないだろう。そんなことを二人に講釈している内に、伊那北駅定刻到着。
自動車を受け取り、早速「うしお」へ。午後五時の開店と同時に満席という盛況ぶり。ローメンは独特の味わいだから受け取り方には個人差があるだろうが、こういう雰囲気の店は誰もが親しめる。轍田さんはローメンを、吾人らは結局ラーメンを食べた。少少飲んだところで、無酒の月波君の運転で山荘へ。早速薪を焚きながら続きの御酒を飲んだ。


10/9・金
 午後出社。気候も良くなってきたので少しチラシを撒いて歩いた。退社後は中華立ち飲みに鶴木さんを訪ねる。立ち飲みBと転進するうちに、飲み歩いている大将と、大将と恋仲のX女史に掴まる。帰宅は一時前。


10/8・木
 まずまずの宿酔となり午前中は寝た切り状態。それにしても二日酔いによって、一年でどれくらいの時間を喪失しているものか。日記をつけているから推定することは可能であるが、余りに馬鹿馬鹿しいことはやらないことにした。首相Aは内閣を改造す。こちらも一層馬鹿馬鹿しいから一切の評論をしないことにす。台風23号が北海道に接近。
 久久に木曜日が晴れた。かといって行くところも無く、午後千寿に出校。地下鉄だから景色も見られず。構内床屋で散髪。退社後は「大江戸」で寿司だけ食べて帰った。860円。本日休肝


10/7・水
 午後出社。金参万円受け取る。退社後は取り敢えず立ち飲みBへ。併し誰にも会えず。一人で飲んでいると、ひょっこり鶴木さんが現れる。中華立ち飲みから来たのだという。元元指呼の距離にあった両店は都道を挟み数十メートルに開く。星座で言うところの、二つの恒星が同時に動いたものだから、何だか客は惑星か彗星となって彷徨することになる。益益ペースが掴めないと思った。
 十二時過ぎにやっと帰宅。寒いので風呂を沸かし、家人が丁度今から入るところだと宣う。中華立ち飲みで煙に巻かれたので早く入りたかったが、結局一時間近く抑止される。仕方なくビールを飲み、カップ麺を食べ、シロを撫でて待つ。せめてもう少し早い時間から入浴すべきだと思った。


10/6・火 
 TPPが大筋合意と伝えられる。農産品の関税引き下げは期間を長くとっており、比較的穏やかな内容。砂糖なども表面的には守られた模様。ところで保険や薬や知的財産権の方はどうなったのかは、ノーベル賞の方に神経を取られて報道内容が薄いからよく分からない。秘密が多いTPPのことだから、この先どうなるか全く以て不明である。
 このところずっと晴れ。火曜不出社。昼は環七福森の付け麵。800円。一日無為。


10/5・月
 午後出社。相変わらずの定期試験前である。此の時期だと流石に中学三年生も勉強し始める。ただ勉強の仕方が分からないようで右往左往しているとしか思えず。今更指南しても混乱するだけだろうから、好きにやらせた。何はともあれ一生に一回ぐらい勉強する時期を持つことはよいことである。
退社後は中華立ち飲みへ。漸く移転開業に漕ぎつけた。立ち飲みBの大箱より此方が落ち着く。ただ小箱になった分、紫煙の密度も上がりくしゃみが止まらなくなる。移転祝いの言葉を述べて早目に退散す。


10/4・日
 箱根合宿の反省会を行うというので武蔵新城に出掛ける。出席者は、月波君、鷺乃間君、坪上君。子どもが生まれた鷺乃間君は近近ニュータウンに引越しするというので、新城に行くことも無くなるだろう。昼から飲む店に困らない便利な街だったが。
 合宿講義の内容を思い出しながら、洋風居酒屋、ラーメン屋に参る。丁度お祭りをやっていたので神社の境内を覘く。面白半分に射的をしていたら、物欲しそうな顔をした小学生がいたので、残りをやらせてやった。その際、将来何とか隊に入っても、的は撃ってもいいが、決して銃口を人に向けてはいけないよと教示した。此れも臨時平和教育である。其の後は鷺乃間君のお部屋へ。例によって近くの蕎麦屋から出前も取った。数時間の大量飲食でふらふらになって帰宅す。


10/3・土
 一日暑い。残った乾麺で今季最後の冷やし中華。そういえば今年は残暑らしい残暑が無かった。草木も概ね切り終えた。暇な午後である。但しアレルギー酷し。
 ペナントリーグもほぼ終了。中日は辛うじて最下位を免れた。尤も吾人の人生から野球観戦というものが消えて久しいが。弱い球団には弱いなりの見所があるというが、政党ならともかく、生憎吾人はそこまでの野球ファンではない。


10/2・金
 未明まで大風。御昼には晴れた。午後出社。退社後は誰にも合えず、結局一人で立ち飲みBへ。過剰発注したらしい秋刀魚の刺身を散散に食べさせられた。金曜の夜だというのに詰まらないものである。帰宅後は丁度放送中だった「孤独のグルメ」を見る。最初から一人なら孤独と言えるが、吾人の今夜のそれは、孤立のグルメであると思った。


10/1・木
 散散な評価のアベノミクスであるが、かといって代案を出せと急に言われても、やはりなかなか難しいと言わざるを得ない。それにしても、こうして現に多くの国民が格差と貧困に苦しみ、自信と意欲を喪失しているのだから、経世済民というものはつくづく難しいと思った。
吾人が幼少の頃は、日本は政治は三流だが、経済は一流などと言われたものである。果たしてそれが一流かどうかはともかく、経済というものは放っておいても、何だか勝手に成長して行ってくれるものという安心感があった。だから大学では法律と政治を勉強したが、経済の仕組みを勉強しようとは思いもしなかった。そんな吾人も、学校を出て社会の末席に身を置くことで、その厳しさを日日実感するようになる。程度の大小はあれど、此の国に住む者の多くが、「こんな筈ではなかった」式の転落人生である。
省みると、バブル生成の前後から、此の国の経済政策は打つ手、打つ手が悉く失敗した感がある。そして、その失敗列伝にアベノ何とかも漸く加わろうとしている。となると、まず、私たちは何処で間違えて仕舞ったのか、その原因を正しく追究することから始めなくてはならないのだろう。併し未だにその地点から出発せねばならないのだから、ますます多岐亡羊である。そして正直なところ、絶望感だけが募るのである。
今日から本年度も後半に突入。しかしどうということもなく千寿に出校。都民の日と云う事もあり欠席者も多く、授業自体は楽だった。日本海を低気圧が発達しながら北上中とのことで午後から雨模様。木曜日は大抵天気が良くない。退社後も穂高屋に寄って急いで帰った。