15年11月

11/30・月
 午後出社。金参万円受け取る。晦日の月曜と云う事もあり来客来訪多し。成績が上がらないとか、授業を見学させてくれとか、授業料の支払いや納品や点検や集金などなど。大袈裟に言えば、雲霞の如く訴人が現れる。沙汰の合間合間に授業もす。
退社後は中華立ち飲みに寄る。井満さんが居た。取り敢えずは元気そう。併し失職して既に二年近く。髪はぼうぼうで、お話しは完全に壊れたテープレコーダーとなり、益益詰まらない。しばしば男から仕事を取ったら何も残らないなどと言われるが、残らないどころか、マイナスになると思った。何だかげんなりして仕舞い早目に帰る。今年のカレンダーも愈愈あと一枚。


11/29・日
 昨日に引き続き穏やかに晴れた。夕方須見伯母来たる。晩食を伴にしたが、老家人は自室に引き篭もって不参加。体の悪いところを見せたくないのだろうと思った。
 夜は『新・映像の世紀』を見る。丁度大恐慌直前のアメリカの繁栄ぶりが描かれていた。バブル期の狂騒と似てなくも無い。だとすれば、此の国の二十年も、一種静かな恐慌と言えるだろう。


11/28・土
 軍用機の撃墜を巡って露西亜土耳古が対立。どちらも元元は大国だから、色色と面子があるのだろう。引くに引けないとは実に不便なことである。つくづく住むなら小国、而も寡民が佳いと思った。本来、琉球辺りが其の理想形だったのだろうが。
 一日晴れた。此処数日、家人は眩暈を発症。くれぐれも外出出来ないというので、食料品と日用品の買い足しに方方を走り回る。最終的には鳥屋に参り、晩食は焼き鳥と水炊きにした。今年大阪の会社に就職し、大分の生産現場に赴任した中村君から貰った「湯布院の宿」という入浴剤があった。試しに入れてみたら、風呂桶が薔薇のように赤くなり、異様に甘い臭いがする。折角のお風呂を台無しにしたと、家人らには散散な不評を受ける。入浴剤も考え物である。どうにも最近ろくなことが無い。泥酔してから就寝す。


11/27・金
 先生を増やしても学力が上がるかどうかは定かではない。文部省は財務省に散散嫌味を言われているそうである。大体学習塾で、一対一で幾ら教えていても、分からない子は分からないし、出来ない子が出来る子にはならない。勉強とはそういうものである。もしも少人数教育で成果が上がるのなら、過疎地の学校から続続と優秀な小中学生が生まれている筈である。
ただ先生が沢山いれば、色色と先生に親切にして貰ったという記憶は残る。色色な先生の話しが聞けるし、色色と先生と話しもする。こういう経験が人を育てていくのだとは思う。何十人も詰め込まれた教室で鬱鬱としているよりかは、多少は佳い学校生活を送れるというものである。いやしかし、こういう曖昧な物を数値化しろと言われても一層難しいだろうな。いっそサービス業でやっているような「顧客満足度調査」をしてみたらいいだろう。くれぐれも学業成績の項目を除いて。
 朝から綺麗に晴れた。完全な冬型である。三号室の電灯漸く取り換え完了。併し件のコネクターは結局役に立たなかった。がっかりしながら午後遅めに出社。昼のパスタを食い過ぎたせいか、何だか酔いの回りが遅い不思議な晩。ある程度酔うまで飲んでいたら、帰り着いたら一時であった。


11/26・木
 今回のテロを受けフランスは空爆を強化。一応フランスは知識人の国だから、国内からも色色と異論もあるようである。いっそ爆弾ではなく、パンを降らすことは出来ないだろうかなどと考えた。フランスは仏蘭西パンを、イギリスは英吉利パンを降らせば一目瞭然であろう。ただ此の件に関しては悪い先例がある。焼夷弾の束を「モロトフの麺麭籠」と呼ぶ。大戦中、爆弾ではなくパンを投下して人民を助けていると、ある国の政治家が抗弁した故事に由来する。つくづく戦争とは狡猾で悲惨であると思った。それにしても今まで人類が投下して来た爆弾と食料、そのどちらが多いかは余りにも明白である。最低でも千倍以上の開きがあると、賭けてもいい。
 朝方まで雨が残る。以後冷たく曇る。午後千寿に出校。途中『昭和史のかたち』を読む。かたちとは文字通りの図形のことで、時代を図形で捉える珍しい試みである。よく大学の講義で面白い図を描いて説明する先生がいたが、そんな感じで昭和史を陳述している。何でも著者の父君が数学の先生だったそうで、数学には馴染みが深いとのことである。
退社後は「福しん」へ。夜間の糖質の取り過ぎはよくないから、炒飯を御飯少な目で作ってくれと依頼する。難解な注文は店員に訝られた。半炒飯ではなく、具は其のままにして、御飯だけを少なくしてくれと説明する必要があった。


11/25・水
 首相Aは最低賃金をどんどん引き上げるようにと指示したという。意図はどうあれ、この点に関して異存はない。勤労者の半分近くが非正規雇用者で、その相当数が最低賃金かプラス数十円程度で働いているのだから、賃金引き上げの効果は大きいと言える。また企業の内部留保を吐かせる意味もあるだろう。ただ増加分を支払えないような赤字企業、中小零細企業も数多い(大貧学院然り)。そういう会社が一挙に廃業して仕舞ったら、却って失業が増えるかもしれない。何かしらの手当てが必要であろう。ただ此れとて前政権が散散に言って来たことなのだが。
 朝から夕方のようなお天気。其の後冷たい雨が降る。以後益益温度は下がり、真冬の様相となる。午後早目のバス出社。雑件が目白押しである。退社後は中華立ち飲みへ。こうなると一杯目から焼酎温かい烏龍茶割り。また移転の結果、店の目前がバス停になり便利は便利なのだが、11系統の本数の少なさは相変わらず。スマートフォンのバスロケーションシステムを使い、直前まで店内に待機す。更に32系統に乗り継いで帰った。また先月の多摩地区の縊死事件は事故との結論が下る。どちらにしても痛ましい。


11/24・火
 御昼には晴れる。打って変わって暖かい。そこで区内の古本屋を自転車で回ることにす。記憶を辿りながらあっちだこっちだと徘徊したが、古本屋は火曜定休が多いらしく、半分は休業。収穫は『世界恐慌』と『事典・昭和戦前期の日本』のみ。
晩食は四国の親戚から牛肉を送って貰ったので鋤焼きにす。しかし肉の脂が少なくて、何だか病人食のよう。何をやってもちぐはぐな四連休であった。夜から北風になる。


11/23・月
 昨日以上の曇天。拙宅前の通りを行く人も少なし。何だかつまらないので、都心在住者を呼び出して御酒を飲むことにした。併し結局出て来たのは月波君ただ一人。吾人の声も誠に力がない。
偶には新店を開発しようと五反田の「原価酒場」という店に入る。此処は入場料1600円さえ支払えば、あらゆる御酒が小売価格で飲める。独逸や白耳義のビールやスコッチウイスキーなども数百円以内。本来なら酒飲みの天国のような場所なのだが、飲んでいてあまり面白くない。店内は煩いしせせこましい。椅子も机も安物だからだと思った。矢張り高いお酒は、そもそもが高いお店で飲むべきであって、セルフサービス方式の安酒場のような所で飲むべきではないとの結論に至る。つくづく飲酒業は一種の装置産業なのだと思った。器が出来れば、中に入る酒も御客も自ずから定まる。下町酒場でブランデーを傾けることもないし、(行ったことは無いが)ホテルのバーで酎ハイをがぶ飲みする者もいない。という訳で、割と早目に退散す。小諸蕎麦を大盛りにしてから終バスで帰った。夜半から雨。


11/22・日
 朝から家人と小平霊園に参る。而し老家人は脚力にますます自信が無くなったと言って、とうとう不参加。タクシープラス電車でも無理なら、今後は全線タクシーで行くしかないと思った。
なお本日はタクシー代が浮いたので、墓参後は家人と二人で鰻を食べた。併し復路の西武線もJR線もラッシュ時並みの混雑で悉く閉口す。贅沢な味も気分も途端に吹き飛んで行く。交通機関の混雑ほど人を不愉快にさせるものは無いと思った。第一、鰻屋が駄目なら寿司屋、蕎麦屋へと迂回措置も出来るが、鉄道の場合はどうにも仕様がない。
渋谷駅下車。こういう時はバスで帰りたい。成城学園行きは東急バスと小田急バスが交互に出ているが、丁度小田急が止まっていた。小田急の運転は東急ほど丁寧過ぎないので、出すべき所はきちんと出す。バスは出発するなり件のスクランブル交差点を堂堂と左折、道玄坂を唸りを上げてぐんぐん駆け上がり、大坂を一の谷のように駆け下りる。運転手も野武士のようなきりりとした顔をしている。乗っていて実に爽快である。多少気分を戻してから家に入った。
 二日に渡ったが、映画『東京難民』見了。主人公その他の転落ぶりと貧困ビジネスの凄まじさは目を覆いたくなるほどだが、建設作業員のおじさんやホームレスのおじいさんなど、常識的な中高年男性が時折登場するのが救いと言えば救いである。そういえば、「この国をふっ飛ばしてやる」と言っていた爆弾青年はどうなったのだろうか。個人的なテロの類は既に何度も起きているが、それが組織的な大犯行に転化する日も近いかもしれないと思った。


11/21・土
 経営が傾いたシャープは現役の社員に自社製品の購入を呼び掛けているとのこと。目標金額は、一般社員は5万円で、幹部は20万だという。何だか最早最終手段と言えなくもない。此れに倣い、いっそ首相Aもデフレ脱却のために今すぐに貯金を下ろして、一人あと十万円使って下さいと演説すればよい。一億人が十万円使えば10兆円の内需になる。一億総需要創出社会である。でも十万円も使えないな。一億人の半分ぐらいは既に御金の無い人だもの。
 朝から牛丼Sに。すっかり一人勤務に戻っている。当然片づけまで手足が回らず、食器が積み重なる。牛丼も味が異様に濃かった。鍋の中まで確認する余裕がなかったのだろう。一般的には今日から三連休。吾人は四連休だが予定は皆無。晴れてはいたが、一日無為。


11/20・金
 今朝の朝日新聞によると、首相AはGDPが中国に抜かれたことが悔しくて悔しくて仕方がなかったらしい。そして中国を見返すために三本の矢とやらを思い付いたとのことである。つくづく此の最悪首相の発想の根幹には中韓しかないのだろうと思った。大体国自体の人口が違うのだから、GDPが二位から三位になるのは至極当然のことである。問題は此の国の一人当たりのGDPが此の二十年でずるずる下がり、今や世界二十数位であるという点である。
吾人は勿論GDP至上主義者では毛頭ないが、この間せめて1パーセントずつでも成長していれば、今頃は丁度600兆辺りになっている筈だし、これほどまで国民が自信を無くし格差や貧乏やデフレーションにのたうち回ることもなかっただろう。つくづく経済政策を間違えたと思う次第である。併しそういう経世済民の視点は、Aには何もないということが改めて分かった。思い起こせば、Aが突如として経済を前面に立てて返り咲いたことに対して、吾人はずっと疑問を持っていた。その問いに答えを与えたよい記事であった。
 朝から冷たい曇り。払え払えと催促したので金弐万円受け取る。退社後は何時ものBと、珍しくIに参る。Iは御客が益益減り、とうとう食べ物のメニューの大半が消滅す。二杯しか飲んでないが、可哀想なので二千円置いて帰った。


11/19・木
 朝にはひんやりと晴れた。午後千寿に出校。退社後は腹も空かないので其のまま帰る。道中暇なのでラジオアプリを開くと偶偶野球をやっていた。三対零で概ね楽勝だろうと思ってぼんやり聴いていたら、九回の表に突然追いつかれ、渋谷駅を過ぎた頃には追い越される。コンビニで御つまみを買い、大急いで帰宅したが、テレビを点けて僅か二分で試合は終了。侍は両班にかなり劇的に敗れた。勝負事という物は最後まで分からないと改めて思った。結果的には継投ミスということになるのだろう。人事はつくづく難しい。それにしてもスポーツ中継で驚いたのは実に数年ぶりのことである。


11/18・水
 午前中はぼんやりと晴れる。結局御昼過ぎから雨。今月は本当に雨が多い。午後バス出社。退社後も中華に寄り、直ぐにバスで帰った。
 フランスの新酒が解禁。併しテロがあって日が浅いので、今年は乾杯ではなく、献杯となった。ボジョレブームも退潮に拍車が掛かりそう。また実行犯の一部はベルギーで過激思想に染まったらしい。片や聖戦や殉教を安全な場所から煽り立てる者が居て、片や其れに乗せられたものが自爆攻撃を行う。戦争指導と同じに何とも理不尽な図式である。それにしても原理主義も此処まで過激化すると、最早どうにも手が付けられない。三十年戦争になるとの悲観的な見方もあるくらいである。いっそ藪氏に謝りに行かせたらどうだろうかと一瞬考えた。


11/17・火
 子どもの貧困が話題になって久しい。全体として経済状態が悪いのは承知しているが、貧困化した理由のかなりの割合が、親の離婚である。そして離婚の原因の相当数が夫側の暴力であるという。すると子どもは大抵母親が引き取る。母親の稼ぎだけでは足りないので、親子共共貧乏になるのである。
では別れた夫は何をしているのかと言うと、大抵養育費を払わないらしい。其の上で「結婚なんてするもんじゃない」「独身最高」などと言いながら、酒を食らっているのだろう。現にそういう男性を何人か見て来た。つくづく、男というものは宜しくないと思った。今度合ったら「御酒を飲む御金があったら、別れた女房と子どもに送金しろ」と説教しようかと思った。それにしてもこういう事例に触れれば触れるほど、そして比較的真面な男女ほど、深く深く畏れ入って仕舞い、益益結婚しなくなるのだと思った。
御昼過ぎに地下鉄に乗り秋葉原に参る。此処のところ、あまり外出もしなかったので、自室を片付けた。すると古いゲームなどが出て来たので、売りに行くことにしたのである。吾人は余りゲームはしなかったが、それでも数十本はあった。つまり、メトロでレトロ(ゲーム)を売りに行くと洒落を付けた。
併し目星をつけておいた高価買取の店はどういう訳だか定休日。やむを得ず、適当な店に入る。中には数千円の値が付くものもあったが、大半は数十円単位。35本とスーパーファミコン本体が売れて、締めて13000円弱。まあ不要なものに値が付いたのだから佳しとすべきか。早速、一般会計補正予算に繰り入れられた。
ところで秋葉原という街にはあまり馴染みがないが、昔は電気街であった。そういえば、三十年近く前、老家人とビデオデッキを買いに行ったことがある。シャープのVHSデッキが、確か10万円近くした。おまけに大枚を叩いて買っては見たものの、テレビとの接続がどうしても分からず、結局お店の人を呼び立てて取り付けて貰った。こんなことも分からないのかと半ばあきれられ、何だか苦い思い出となったのである。電気街は姿を変え、最近では大きなビルも建ち、外国人観光客が行き交う。何でも、ああいうレトロなゲームも人気があるそうで、外貨獲得の一助になった筈である
其の後、神保町まで歩き通し、「百輭戦後日記上・下」を1050円で購入。再びメトロに乗る。併し行きも帰りも電車は凄い混雑で悉く閉口す。久久の都心歩きだったが、電車は混んでいるし、交差点の信号待ちは長い。渋谷の食品街に立ち寄りたかったが、何だか草臥れたので、其のまま帰宅す。地元の東急ストアーで鮪の刺身を買い、家人への土産とした。もう少し高く売れたら、アメ横カニを買う筈であったと言うと、老家人は頻りに残念がっていた。一日異様に暖かかったが、夕方から雨となる。


11/16・月
 退社後は中華立ち飲みへ。すると数年ぶりにD君と合う。D君は立ち飲みBをK社長と立ち上げたメンバーで、今は板橋の店で責任者をしている。久久に本店の地に立ち寄ったのだという。早速「小さい店の頃が楽しかったよ」などと思い出話をした。
それにしてもD君は長年の重労働のせいか、随分痩せて顔色も悪い。確か吾人より年下の筈だか、見た目の感じは追い越されて仕舞ったようである。K氏は我儘だから、女房役としては色色と気苦労もあるのだろうと思った。「デフレ下でサービス業をこれだけ発展させるのは立派なことだよ(大貧学院は現状維持すら出来ません)」と励ましておいた。
 7−9月のGDPもマイナスだとのこと。そう、現状維持すら至難のことである。箱根や小田原で散財し、七号室をやや過剰な規模で設備更新したとしても、である。


11/15・日
 雨は漸く御昼前には止む。まず代田の量販店に三号室に取りつける電灯を買いに行く。今度はNEC製。コンピュータの会社が照明器具を作っているとは知らなかったが、一応国産品。調色機能無しで九千円余。其の後、三宿に海鮮丼を買いに行き、両家人の昼食とす。吾人は桜新町にラーメンを食べに行った。今日も区内の移動には自転車が大活躍である。もしも自転車にマイルエージ制度があれば大変な距離になっているだろうと、ふと思った。日頃の利用に感謝されて日本半周券位はくれるかもしれない。でも自分で漕いで行かなくてはならないから、結局使うことも無いだろうと、下らないことを考えた。
 パリでの犠牲者は三ケタに達す。中近東やアフリカで日日起きていたことが、いよいよ欧州中心地に達して仕舞ったことになる。主な凶器は自動小銃だという。紛争地では実にありふれたものであるが、街中で発砲されては大量破壊兵器である。地続きだから人も武器も簡単に流入して仕舞う。人の管理が無理だとしても、こういう小火器を世界的に管理する方法は無いものかと暫し考えた。


11/14・土
 ロシアでは未だに運動選手に薬物を投与していたというので世界中から怒られている。ロシアが方方で非難されるあたりは、一種の冷戦構造の再来だと思った。政治と結びついたスポーツはくれぐれも宜しくない。正直なところ、吾人は見るのもするの苦手である。
それにしてもスポーツで国威発揚というのも如何にも20世紀的発想であると思った。併し今更ながら「スポーツ庁」などいう、何だか恥ずかしい名前の役所を拵えた国もあるほどである。此方は正しく周回遅れである。肉体改造させられた選手たちは、副作用で腎臓や肝臓をやられて仕舞うという。つくづく過剰な運動というものは寿命を縮めると思った。
大体、健全な精神は不健康な身体に宿るものであるし、むきむきの筋肉からは、夏炉冬扇、無為徒食、「二日つとめて二日遊び、三日つとめて三日あそぶ」(芭蕉)などいう贅沢な発想は生まれない。それに加えて、吾人は通勤に労働に生活に、二名の後期高齢者と三匹の猫の世話と、結構身体も使っている。牛飲馬食の割には案外健康である。
朝から曇天。午後から冷たい雨。夕方以降本降り。二週続けて週末が駄目である。午後は小咳。薬と御酒を間隔を空けずに服用したところ、目がぐるぐると回り始め、晩酌は強制終了となる。
パリで大規模なテロ事件。もはや市街戦の様相。陰惨な事には事欠かず。それにしても、此の事態をアメリカ人、就中ネオコンと呼ばれる連中はどう思うのだろうか。


11/13・金
 二十年は使った電気スタンドが壊れたので量販スーパーに買いに行く。LED方式で調光機能が付いて3900円。家人が万代伯母のところに行っているので今日は昼食が無い。丁度モダーンなカフェのような所で弁当を売っていたので行き掛けに二つ注文す。帰り掛けに受け取ると、一人前千円であるという。図らずも豪華な昼食となった。鰈の煮つけと油淋鶏は流石に旨いことは旨い。料理研究家が実践がてら作っているのだという。老家人も「今日の弁当は600円(の豪華版)だな」などと宣っていた。
ただ酒飲みにとっては、晩食が乾坤一擲だから昼食は簡素な物でよい。百鬼園先生も、朝は英字ビスケットに牛乳一合、昼は盛り蕎麦かかけ蕎麦だった。だから吾人もそれに倣い、午後は間食も控え、お腹を空かせるようにしている。そして仕事が終わった後の算段をしながら、下らぬことを教え回っているのである。
午餐の後ぼんやりしていると、家の周りを目つきの悪い男たちが屯している。聞いて見ると、裁判所の執行官だという。大方どこかの家作人が家賃を滞納したのだろう。つくづく法や裁判とは無縁でありたいと思った。
でも時に権力と闘わなければならないこともあるだろう。だから行政訴訟を起こすということはありうる。其れに吾人も愈愈何かで激昂して、とうとう巡査や機動隊員を薙ぎ倒すということもあるかもしれないから、刑事裁判も十分ありえる。ただ民事裁判だけは被告にも原告にもなりたくないものであるとしみじみ思った。退社後は中華立ち飲み、立ち飲みBと連戦した。ちなみに今晩のおつまみは、酢鶏、麻婆豆腐、秋刀魚の刺身等等。酢鶏と油淋鶏は被って仕舞ったが、明らかに後者の方が旨かった。


11/12・木
 漸く朝には回復を実感す。体も軽いし、頭の中身もよく動く。それにしても、石だの炭だの機関士だのと言っている内に、あっという間に一週間が経って仕舞った。
止むを得ず千寿に出校す。此方も試験前で万事慌ただしい。黙って「福しん」で中華丼を食べて帰った。630円。相変わらず、安くて(恐らく課長さんの効き具合も)丁度良い味付けである。
民主党は元幹部らが「解党的出直し」でなく「解党」を直接要求。大抵与党には求心力が、野党には遠心力が働くものだが、此の政党は与党に居た時から此の有様であった。それにしても新党づくりもいい加減にして貰いたいものである。


11/11・水
 数日ぶりに晴れた。咳は半減するも、だるさは残る。熱も多少出た模様。熱いような寒いような難しい顔をしながら、午後遅めの出社。何の作為も無く、博多ラーメンをさっと食べて帰った。
 今日は参議院予算委員会。呼ばれて出て来た日銀総裁も、借りて来た猫のようで声に力がない。幾ら御金を出しても、大企業の内部に貯まるだけで、設備投資に回らないからであろう。勤勉な個人が節約した御金を銀行に預け、それを企業が借りて生産力を向上させるという経済成長を支えたモデルそのものが、恐らく御仕舞なのであろう。ずっと前から金利はゼロである。そういう点で見ると、日本は市場経済の国ではあるが、もはや資本主義ではないと考えるが。併し国会は此の二日間で御仕舞。首相Aはやりたい放題である。


11/10・火
 先週来、散逸していた市販薬を逐次投入し、最後は根こそぎ動員しても、どろどろとした咳は治まらず。結局掛かりつけの老師の元に赴く。慎重に聴診器を当てて貰ったところ、炎症は気管支までは達していないとのこと。抗生剤と去痰薬と鎮咳薬が処方される。医薬合わせて千円と少し。つくづく国民皆保険はありがたい。
 勝手な理由で通常国会が余りに延長されたので、秋の臨時国会は開かれない。徹夜続きだった国会職員を休ませることは必要だろうが、政治家が国会を休んで仕舞っては職務放棄である。漸く野党の要求を受け入れ、閉会中審査を行うこととなった。
一日曇り時時雨。ぼんやりとしながら予算委員会を聴いた。時に軽減税率を巡っての、あれはこれはという堂堂巡りの議論が続いた。大体10パーセントの税率を8パーセントしにしたところで減税額は僅かである。消費税はいずれ20パーセントに引き上げられる。其の時に10パーセントに据え置くなどの措置を講ずればよいと思った。
 家人は親戚会で湯河原温泉に。取り残された老家人と晩食を伴にす。と言っても、近所のスーパーの総菜をトレーのまま食卓に広げただけである。中でも秋刀魚の塩焼きは、よくよく見ると驚くほど小さい。大きい目刺より辛うじて大きい程度。こんな小さな秋刀魚まで出回るのだから、今年はよほど不漁なのであろう。


11/9・月
 ミャンマーで総選挙。民権派が勝利す。併し軍人らが結果を受け入れ、素直に大政奉還してくれるかは不明。今後も国際的な監視が必要だろう。民政に完全移行後は国名もビルマに戻して欲しい。
 天気同様体調優れず。体のあちこちが痛いが、寝すぎた為の筋肉痛か、風邪の影響かは判別付かず。暖気が入った筈だか、何だか却って寒気がする。態度の悪い中学生に激昂する気も起こらなかった。それにしても年年歳歳、生徒の質が低下していると思った。生徒が足りないから猫も杓子も、どうぞどうぞと入れて仕舞う。子どもの数が少ないということは、幾ら先生が優秀でも、教えを乞う真面目な後生がいないということである。万事不愉快だが御酒を飲む気も起こらず。ラーメンだけを食べて直ぐに帰った。ほぼ休肝
 また様子を見に行った家人によると万代伯母はほぼほぼ回復したとのこと。このところ家人は二日おきに昼食を食べさせに行っていた。それにしても、である。介護職員は次次に変わり果て、もう誰が誰だか全く分からないし、何だか人数も足りてない感じだと言う。まあまあの有料老人ホームですら此の有り様である。他の施設は推して知るべしである。


11/8・日
 体調は悪化もしないが佳くもならない。結局絡んだ咳が残る。一日冷たい雨がしとしと降る。買い物以外の外出無し。夕飯時に御酒を飲んだら漸く咳は治まった。


11/7・土
 六号室の見積もりができる。結局八年前に直したところも含めて全面的な改修となった。規格が合わないので、まだ新しい流し台も廃棄交換となる。此方も何だか勿体ないことをしたと思った。咳が残り一日安静。午後から時時小雨。何とも物憂い一日。ほぼ休肝
 『中間層消滅』を拾い読みす。筆者は京王の教授。朝のラジオに出て来て割と真面なことを言っているので読んで見た。「まだ手遅れではない」と訴えるが、正直なところ、もう手遅れかもしれないと曇天に思った。リゾート帰りのロシア機は爆弾で墜落させられたとの見方が強まる。空の旅は益益恐ろしい。


11/6・金
 選択制夫婦別姓同性婚への注目が集まる。一部の区部では独自の進展も見せたよう。一時期は随分停滞したが、再び前進して来たといったところか。何はともあれ個人の選択の幅が広がるのは結構なことである。それを自由と言って差し支えは無い。大抵自由が拡大すると誰かの自由と衝突するというものだが、どちらの場合も、結婚は異性とし、其の後同姓になるという今までの常識が多少壊れるだけのことであるから、誰かの自由を狭める類のものでも無し。こういう物に反対するというのはよほど頭が固いのだろう。
 昨日に引き続き体調優れず。午後遅く出社。退社後はイタリア料理屋に顔を出す。此の店もあと僅かで閉店である。店が出来たのは確か三年前。移転を前提とした開店なので、家賃は安かったのだろうが、造作その他もみな壊してしまうこととなる。随分勿体ないことだと思った。


11/5・木
 また中学生が電車に飛び込んだとのこと。つくづく日本の中学校というものは宜しくないと思った。大体、先生の数も足りないうえに、部活動などの課外活動等を入れると拘束時間が余りに長すぎる。そうなると、大人の目が届かない一種の無法地帯が出来上がる。中学生というものは加減を知らないから、いじめも暴力行為も必然的に起こるだろう。
大人数で教えても効果が上がらない授業は概ね午前中で終了させ、課外活動を含めても、三時までには下校出来るぐらいが適正というものである。学校は収容所ではないから、なるべく早く、子どもを家に返した方が佳い。中には、放課後に習い事に通わせるだけのお金が親になく、行き場の無い子どもも出るかもしれない。ならば行政はそういう子どもに別の予算を割り当て、何かしらの面倒を見れば宜しかろう。また学校が早く終われば、その分、塾の授業も早く始めて早く終われる。吾人としては、早い時間からゆっくりお酒が飲める。
昨日から小咳。午後詰まらない顔をして千寿に出校。何の面白みも無く其のまま帰る。麦酒二缶のみで早目に就寝。


11/4・水 
高齢者による自動車事故が相次ぐ。その多くは認知症である。つくづくこういうことの無いように予め免許を返納させ、自家用車には厳重に鍵を掛けるべきであると思った。年寄りが若い人を轢き殺してしまったら、介護保険料も集められない。そういえば伯母のいる施設でも、何が気に入らないのだか分からないが、四六時中暴言を吐いているような年寄りも散見される。くれぐれも年を取ったら周りに迷惑を掛けてはいけませんと小学生の頃から頭に叩き込んだらどうであろうか。でも認知症になったら結局同じかな。いや、でも、三つ子の魂百までである。つくづく真面な年寄りに成りたいものである。
朝から粗大ごみを出す。大半が六号室から出た物である。小物中心で六品1800円。区の回収だから随分安いと思った。それにしても近所のワンルームマンションなどからはベッドやタンスやソファーなどの大物も続続と出されている。家具家電も海外製品になり随分値下がりしたから、もはや使い捨てに近い感覚である。単身者だと引っ越しが多いから、ちょっといい物を買って、使い続けるという訳にも往かないのだろう。家具家電も備え付けにするべきだと思った。第一、買うのも面倒だが、捨てるのはもっと面倒臭い。
午後出社。金参万円受け取る。無責任社長は今度は英会話教室をやるという。パソコン教室同様、既に二十年は遅いと思った。つくづく正気の沙汰とは思えず。退社後は中華立ち飲みと博多ラーメン。


11/3・火
 文化の日。矢張り晴れの特異日らしく朝から天候は回復す。火曜不出社。一日無為。
改めて、文化の日。文化という言葉は色色な名詞と複合名詞を成す。文化包丁、文化住宅、文化干し、文化国家。文化と国家が結びつくかは分からないが、その反対語は戦争国家であろう。文化国家の方が数万倍マシである。また文化の日明治節に戻そうとよからぬことを唱える連中がいるようである。明治時代とは即ち戦争時代である。そういう時代に戻したいという国会議員もいるから、恐れ入谷の何とやらである。そういう先生方には是非日露戦争の頃に戻って頂いて、二百三高地辺りに従軍して貰いたいものである。勿論文字通りの一兵卒として。


11/2・月
 朝から大雨。御昼には止む。午後出社。退社後は中華立ち飲みに参る。帰ろうとすると次次と常連客が現れ結局中量飲酒。帰宅は一時前。
首相Aは、アメリカに散散言われたらしく、渋渋日韓首脳会談に至る。でも歴史修正主義者が総理であり続ける限り、まるで相手にされないであろう。


11/1・日 
 概ね晴れ。最近なかった金曜会の企画で川崎市民祭りに行く。参加者は鶴木さん、大将と節子さん、柳さん、月波君。特に節子さんとは久久だが、大将がらみで色色なことを知って仕舞った故に何だか気まずい感じ。知っていながら喋らないというのは中中難しい。
祭りとしては色色な屋台が出ているのだが、競輪場のスタンドが工事中のため座って食べる所が何もない。立ち飲み、立ち食いでは落ち着かず。やむなく屋台の裏のゴールポストの下の草叢に陣取った。漸く腰を据えて飲食す。暗くなり始めたので、物産展を覘きながら、京急川崎駅横の「丸大ホール」へ移動。散散飲み食いし炒飯で締めてお開きとなる。
併しまだ早いので吾人と月波君は天祐寺のBへ。つい調子に乗って安売りの寿司を差し入れた。併し店に入れたところでもう幾らも飲めず。早早にバスで帰える。帰宅後、土産のもち米を何処かで忘れたことに気付く。ロシア機がシナイ半島で墜落。