15年12月

12/31・木
 朝から牛丼Sへ。其の後、タクシーに老家人を乗せて万代伯母の介護施設へ参る。何しろ十一月からずっと風邪を引いていたので、久久の訪問である。一時間ほど会話し、序に流動食を食べさせた。頬はこけたままだが概ね元気そう。ただ今日は大晦日だと何遍言っても、もう分からない。明日は流動食のおせち料理が出る筈であるが、なかなか難しいだろう。
 昼は近所のラーメン屋へ。此れで四大国民食を三日で食べ納めた。午後は暇に飽かせて「ワイルド9」という番組を見る。此れは九人のその道の専門家が無人島生活をするという特別番組。流石に大工と漁師と料理人は八面六臂の活躍ぶり。女性音楽家と漫画家も最後の最後に出番があって良かった。それにしても、歴史家や思想家や政治学者や塾の先生などは何の役にも立たないだろうな。皆まとめて労働改造所送りであると思った。
 例によって、デパートから配達されたおせち料理を摘まみに、夕方から飲み始める。併し生憎見るべきテレビ番組は何もない。格闘技系は勿論、バラエティーも、紅白等も、見ないものは見ない。結局BSでやっていた「酒場放浪記」を時時見た。こういう場合、多チャンネル化というものも結構有り難いと思った。それにしてもこうして地上波からどんどん視聴者を流出させて仕舞ってテレビ局は大丈夫なのだろうか。十時半就寝。
 戦後七十年の節目の年も今日で御仕舞。間違いなく戦後最悪の首相Aは山梨の別荘で、ゴルフ三昧でのうのうと過ごしているそうである。今月は一万五千字。書かなければならないことを最小限書いたつもりだが、書きたいことも書かなくてはならないこともまだまだある。


12/30・水
 本務校には戻らないまま本年の勤務は昨日で全て終了す。其処で収入を計算すると約百萬円弱。昨年よりかは幾らかマシか。また本務校のある商店街では、新たに蕎麦屋と魚屋が閉店した。伴に戦前からの店だったが、後継者がいない為の自主廃業である。ただどちらも物件を持っているらしいので、既に大部前から其の本業は不動産賃貸業であろう。
 午前中は家回りの掃除。昼は昨夜食い損なったカレーを地元の一番館で振替運転。午後も結局掃除と買い物。漸く夕方から飲み始めた。偶偶点けていたテレビでは「レコード大賞」をやっていて、丁度安田レイが「あしたいろ」という唄を歌っていた。此の歌手のことは、「宇宙戦艦ヤマト2199」のエンディングで聴いて、久久に上手い人が出て来たと感心した。実を言うとデビューアルバム『WILL』も買ったことは買ったが、生放送を見るのは初めてである。芸歴は長いらしく、少しハスキーで伸びもあるも声もいい。新人賞候補の割には堂堂たる歌いっぷりであった。
 意外に思われるかもしれないが、実は吾人はこういう前向きソングが結構好きである。根本的には革新的で素直な性格なのだろう。これを機に最新J−POPも二十年ぶりに聴き直そうかとは思ったが、とてもじゃないが予算も時間も足りず。


12/29・火
 韓国の一部戦争被害者に対しての個人補償が決まる。政府の関与を認め、補償金には公金も入れるという。当然と言えば当然の結果だが、アメリカから相当の圧力があったのだろう。首相Aはつくづく不本意な筈である。此れで憤死してくれると有り難い。
 御昼に出校。此処数日、色色と考えて来たのだが、千寿校の生徒は何だか何時も何かに委縮しているようで、自主性も無く何の質問も出て来ない。結局、国語も社会も理科も吾人が一方的にしゃべり倒すのみである。生徒に皆目積極性が無いのは運営者であるS子先生の高圧的な態度によるものだろうとの推測に至る。子どもは本来色色なことを知りたがっている筈である。別にそれは学業に関するものでなくても構わない。年齢とか、出身地とか、好きな女性のタイプであるとか。何でもいいから発言して見なさいと言いたくなった。
 七時半退社。此れで年内の講習は漸く終了。早速「大江戸」に参り燗酒を煽る。それにしても、職業生活にそれなりの意義や、そこそこの賃金を見出すことが、何だか益益難しくなっていると感じる。こうなると何も悪いことはしていない筈だが、一種の懲役労働である。吾人も正に無期懲役刑である。有難いことに毎日毎晩仮釈放されることはされるが。
 何だか食べ足りないので日比谷線に乗り上野へ。併し目当ての「クラウン」は既にシャッターが下りていた。仕方なくガード下の「珍珍軒」へ。酔客の愚痴話をBGMにしながら、ラーメンを食して帰える。


12/28・月
 朝からピンと晴れた。寒いことは寒いが、枯葉が舞う晩秋のような寂寥感は無い。確かに季節が改まったと感じる。精神的には秋より過ごしやすいのかもしれない。
 千葉の高校生が自分の祖父母を殺害。最近此の手の事件が多いような気がする。昔から親殺しは多かったが、祖父母はそんなに殺されなかった筈である。親の代わりに孫の面倒を見ているから、色色と恨みを買うのかもしれない。
 今日も一時から七時半までずっと授業。それにしても千寿校の生徒は本務校より更に数段出来が悪い。質問も出ないし、最前列で居眠りもしている。どういう積りで勉強に来ているのか問い正したいが、生憎当方も教える気が無いと言えば無い。
 退社後は飯田橋に回航。昨年もそうしたかと思うが、桜水産に入る。此処の(悪い意味で)一味違う刺身を食べたかった。早速注文すると、鯛も鰆も鰹も、立ち飲みBより二味劣ると思った。また昨年と違う点は、奥の座敷の宴会が更に煩く、人事不省に陥った泥酔者が続続出でいたことと、月波君が職場の同僚のSさんを連れてきたこと。Sさんは医療従事者だから、救急隊と警官隊を呼んだ方がいいでしょうかなどと何だか心配顔である。吾人に言わせると、学生の飲み会は大体あんなものである。其の後、ガード下のラーメン屋台に移動。一杯七百円。寒い夜だからからか案外旨い。忙しいと見えて今夜は巡査も来なかった。余った刺身を持ち帰ったが、鰆はシロもミケも食べなかった。


12/27・日
 辛うじて宿酔は無し。御昼に出社。一時から七時半までずっと授業。過日の上申書がなかったら、危うく九時までやらされるところであった。「りんりん」でカレーとラーメンを食べて直ぐに帰宅。
 朝はよく晴れていたが、寒気が入り午後は曇る。
 函館線の旭川の少し手前でトンネルの天井部分がどういう訳が炎上す。忙しい時期だというのに結局終日運休。北海道はもう東日本グループに入った方がいいかもしれない。大体今度のダイヤ改定では、新幹線が走る一方、老朽化したディーゼル車両が走れなくなったとのことで普通列車の大減便もする。鉄道会社が動かす車両がなくなりましたというのも前代未聞の末期状態である。東のメンテナンスも決して褒められたものではないが、死亡事故を出すよりかはマシである。割安な切符を山ほど拵えて、首都圏の観光客を波のごとく送り込めば、少しは経営も良くなるだろう。第一に根元部分の東北新幹線も儲かる。ほぼほぼ休肝日。


12/26・土
 寝ても寝ても寝足りないのは、鬱状態の証拠である。今日から千寿の冬期講習。昼過ぎに現地へ参り、夕方まで授業。愚にも付かないことを教えて回る。授業はまだあるが、本務校から回って来た無責任社長と交代して早退す。
 其の後、市ヶ谷に回航。芥田先生を交えての忘年会である。参加者は総勢八名。前前から高級居酒屋「土風炉」を予約しておいた。先生も益益お元気で、最近北朝鮮に行かれたそうである。早速土産話に聞き入る。かの国は、ペンと鎌と金槌が国を支えているという体裁をとっているので、知識人は厚遇されるという。アメリカ流の反知性主義とも、文化大革命のような悲劇とも無縁である。生活は厳しいだろうが、こういう点は少し羨ましいと思った。それに元元はあんなに酷い国ではなかった筈である。なお経済制裁が続いているので、御土産品の隅隅まで税関で調べられたそうである。
 また先生に件の大著の印象を尋ねたところ、文章が平板すぎて面白くないそうである。思想史の本は、まるで見て来たような臨場感で以て歴史の未発の可能性を探り、人人を焚きつけるような所が欲しいとは、先生の口癖である。
 二軒目はどういう訳だがカラオケ屋に。先生は「高原列車は行く」「上海帰りのリル」「アカシアの雨がやむとき」「帰れソレントへ」等等を熱唱される。吾人も「喝采」「愛燦燦」で応えた。何しろ古いことを学ぶためのゼミナールだったので、平成の歌など誰も歌わず。昭和歌謡の応酬である。最後は百鬼園先生も愛した「鉄道唱歌」で締めた。楽しく飲んで歌って、終電の数本前で帰宅。入浴後すぐに就寝。


12/25・金
 件のジャーリストの拘束先はイスラム国ではないとのこと。まだ交渉の余地がありそうである。それにしても、イスラム国か。列強各国が好き勝手に引いた国境線を新たに引き直し、イスラム教を中心とした新たな国家を作るというコンセプト自体は、それほど悪くなかったのだろう。問題はそのやり口である。あれでは同胞の支持も集められない。どうにも酷い話しである。
 新年度の予算案が出る。歳出は約96兆円。そのうち国債の償還費を除くと73兆円。税収は増えた増えたと言っても57兆。その他の収入を合わせても62兆。結局まだ10兆円も足りず。大体消費税5パーセント分である。次の次は15パーセントか。
 授業は無いが、午後早くに出社。片づけと講習準備作業。止む得ず三時過ぎから無責任社長と豚次郎というもつ焼き屋へ。其の後一人で立ち飲みBへ。もう年内は来られないから、挨拶してから帰った。七時過ぎ帰宅。八時過ぎ就寝。


12/24・木
 結局何だかやっぱり心配だということになり、朝から両家人は以前通った大病院に参ることになる。老家人に画像診断等を受けさす積りである。八時過ぎに勢い込んで出て行った切り、何の音沙汰もなかったが、漸く二時過ぎに連絡があった。すると若干の梗塞痕はあるが、運動機能に影響が出るほどでも無いとの診断。全く以てやれやれである。此れでまた入院にと云う事にでもなったら、年末年始予定は全て組み直しとなるところであった。
 それにしても今回は一般外来を予約無しで行ったから、かれこれ六時間近く掛かった。相変わらず大病院は、まるでクリスマスの繁華街並みの大混雑である。患者も医療関係者も大変である。早朝から働いている御医者さんは昼飯を食えたのだろうか。弁当ぐらい差し入れせねばならないと思った。年年歳歳、白衣の人たちの御世話になることが多い。
 一方、家でぼんやりしていただけの吾人も、矢張り何だか落ち着かず。両人帰宅後、三時前に漸くラーメン屋に参った。ところで吾人が年を取ったら、一体誰が面倒を見てくれるのか。一切合切、行政や民間サービスに頼るという訳にも往かないだろう。其れを考えると時節柄、一層憂鬱になった。
 一日異様に暖かい。千寿校もクリスマス前は休校と云う事で木曜不出社。大部前から噂にはなっていたが、またフリージャーナリストがシリアで行方不明であるという。


12/23・水
 朝にはケロッと起きて来たので、ひとまず一安心である。要は眠かったのであろうか。入浴も夕飯前にしなくてはならないと思った。一方家人の方は、過労で頭がふらふらすと訴える。早速昼食用の弁当と夕食の材料を買いに出た。其の後、川崎の叔父伯母のところへ物品の受け渡し。其の足で上野に回航し月波君、客野間君と会う。
 まだ昼過ぎだったので「肉の大山」に入る。つい安さに乗じ、まるで学生食堂のノリで650円のステーキや、一個数十円の揚げ物の類を食べ尽くす。すると腹が膨れて何も飲めなくなる。コーヒーを飲んで御仕舞。アメ横を冷かしてから八時には帰宅す。一日曇天。一日遅れの冬至の日といった感じで、夜は小雨も降った。


12/22・火
 パリでの大きな会議は終わったようで、一応アメリカから途上国も含めて温室効果ガスの削減が決められた。それにしても、温暖化と言われても何だかピンと来ない。危ない危ないと言われて数十年も経つが、今のところ気候が多少暖かくなったぐらいの感覚しか持てない。そういう点で、地球温暖化問題というのは財政問題と似ている。悪化した悪化したと言われても、街は概ね綺麗だし、医療機関には三割の負担で掛かれるし、巡査も消防車も呼んだら直ぐに来てくれる。それに財政破綻などあり得ないなどと言う懐疑派もいるにはいる。
 温暖化や財政破綻が一体どういう事態になるのか、色色と予測もあるようだが、本当のところは分からない。併し実際に起きてみたら、其れは確実に取り返しのつかない破滅的事態である。従って今から少しずつでも何とか対策を打っておくしかないだろう。此れは想像力の問題であると思った。経済は成長できるから増税など必要ないと言う人は、余程想像力がないのだろう。前にも言ったが、想像力を持つことは安全管理、危機管理の第一歩である。
 白紙に戻った国立競技場の建て替え案はA案に再決定。大体工期も予算も限られているからA案もB案も大差ない。いっそオリンピックそのものを返上するという、ウルトラC案が欲しかった。何せ一兆八千億である。
 一日概ね晴れて暖かい。冬至。一日無為。夕飯後、老家人が足元がふらつくと宣う。折角の柚風呂にも入らず。状況次第では再びの病院通いである。


12/21・月
 一日曇り勝ち。午後出社。授業をもっと少なくしてくれと言う上申書を、千寿に向かう無責任社長に持たせた。一方本務校の授業は本日以降当分なし。メリークリスマスに、良いお年をに、明けましておめでとうと、三つまとめて挨拶して御仕舞にした。退社後は立ち飲みBに長居して帰る。約二千円。


12/20・日
 一日晴れ。風も止んだ。バスの一日券で古本屋を巡ることとす。自由が丘に参るも、目当ての店は跡形も無い。止むを得ず向かいのブックファーストに入店。直前に回転寿司屋で飲酒したせいか、ついつい気が大きくなり、『日本精神史上・下』を購入す。早速読もうと其のまま帰宅。一日券は元が取れなかった。それにしても知識欲を掻き立てるのは、やはり新刊本である。それに実際に本を手に取ると血が滾る。地元にももう少し真面な本屋があればよいと思った。またその知識欲を持続させるには古本屋が必要である。
 ところで同書は、縄文時代から鶴屋南北までの数千年を取り上げ、書き上げるのに十数年も掛けたという大変な大著である。芥田先生も注目されていたが、併し此れだけの大著、大学の先生には中中忙しくて書けないだろうと思った。


12/19・土
 オリンピックの予算は当初見積もりのなんと六倍の一兆八千億にも上り、大量の公的資金の注入が避けられないとのこと。今から返上など出来る訳もなし。事態は取り返しがつかない。つくづくこうなることが予め分かっていたら、もっと真剣に反対すべきであった。
 ところで名古屋の会社は、とうとう南アルプスの長大隧道を掘り始めるという。見積もり金額は五兆円ということだが、当然其れで済む筈もない。オリンピックのようになる前に早く止めるべきである。それに東海も今や民間会社だから、債務超過に陥る危険もあるだろう。会長Kは首相Aの取り巻きだから、政府は既に抱き込まれていると見るべきである。ならば銀行や株主がもっと物を言うべきであると思った。東海が傾けば、とばっちりで飯田線が不便になり、伊那に行きにくくなるから、吾人も真剣である。
 一日冬晴れ。昨日以上に寒くなる。数度の落ち葉掃き。夜は鍋料理にした。無為。


12/18・金
 朝から冬晴れ。午後出社。金参万円受け取る。退社後は久久に鶴木さんらと飲んで帰った。お話しをしていて楽しいことは楽しいが、それにしても鶴木さんももう六十である。つくづく同年代の飲み仲間というのを失って久しいと思った。
 アメリカは利上げをす。此れで数年来のゼロ金利は御仕舞となる。ゼロという異常状態から漸く離陸出来たと当局は自画自賛していた。併し日本はずっとゼロ金利である。欧州ではマイナスだという。こうなると異常こそが一種の定常状態であり、未だにバブルを挟みながらも経済成長できるアメリカが異常と云う事になる。ほんの少しだが、羨ましくもあるが。


12/17・木
 寒気が入り曇天。午後千寿に出校。此方の冬期講習の時間割が内示される。今年は中村君も居ないから、全て吾人が担当することになる。昼の一時から夜の九時までびっしりと入れられている。大体吾人は時間給ではないので、講習などやればやるほど損をする仕組みである。下らない生徒の授業などを圧縮させ、もっと時間を短くするように意見具申す。だが生憎運営者は頭が悪いから、何処まで分かったかは分からない。以後授業に移ったが、やっている内にだんだん腹が立って来る。急いで退社して「大江戸」で熱燗を飲んでから帰った。
 腹立ち序でにもう一つ。吾人の二十数年物の自転車のライトも最近LEDにしたが、世間を走る多くの自転車もLEDに相当数が成った。汎用の自転車は使い捨てに近い感覚だから物凄いペースで新車に切り替わっていることが分かる。夜道が明るくなるのは結構なことだが、多くの自転車がライトをハイビームの状態で走っている。あれは眩しくて敵わない。もっと下向きにすべきである。自転車のライトなど、自分の位置を知らせるのが趣旨だから、多少でも点いていれば十分である。それにしても、眩しいのは皆同じであろう。人のハイビーム見て、我が其れ直せということにならないから不思議である。世の中、如何に観察力の不足した人、即ち頭の悪い人が多いか想像に難くない。帰宅後は年賀状を仕上げる。
 件のソウル支局長に無罪判決。妥当と言えば妥当である。新聞で人を区別するのは宜しくないと思った。


12/16・水
 一日概ね晴れ。暖かい。午後早目の出社。金伍万円受け取る。出社するなり、年賀状の作成、冬期講習の時間割の検討、講習用テキストの発注と様様な業務に一気呵成に取り掛かる。併しやってもやっても一向に片付かず。やむを得ず大半の授業を運休とし、テスト演習に振り替えた。夜の八時頃には概ね終了したが、何だか草臥れて仕舞い、結局最後の授業も演習と答え合わせのみ。
 退社後は立ち飲みBへ。相変わらず煙い。禁煙の酒場を増やすか、煙草税を上げて公共の福祉に充てて貰いたいところである。今晩は咳は出なかったが、ハークションハークションとくしゃみが止まらなくなる。しかし咳と違い、くしゃみはハーと言う間に吸気して、クショーンの間に排気をしているから、窒息することは無いと思った。二杯で切り上げ。
 最高裁は選択的別姓を認めず。本来なら定住外国人地方参政権などとともに九十年代にとっくに実現されていた筈のものだが、其の後日本社会が一気に右に傾き、法改正等が出来る状況ではなくなった。そして今回の頓珍漢な判決で更に十年は掛かると思った。都合、失われた三十年の遅延で、最早回復運転不能である。そうなるともう一回外国に占領でもされない限り、実現は難しいかもしれない。
それにしても世の中の良い方向の変化は概ね二十年くらい前に悉く停止している。そしてますます三恵新聞の言う通りになっていると感じる。此れが所謂、「中進国の罠」というやつなのだろう。日本も実に立派に嵌まり込んでいる。
 

12/15・火
 原子力部門で失敗した東芝は、家電部門の大幅縮小を検討中とのこと。白物家電はすっかり無くなるかもしれない。父方は長年東芝愛好家だったが、こうなると何だか可哀想である。そうなると、あの日曜夜の有名な一家も他社製品に鞍替えである。
 昨日と同じような曇天。午前中から世田谷ボロ市に参る。一応端から端まで歩いた。それにしても平日だというのに大変な人の出で、歩くのにも難儀す。如何に平日に暇な人が多いか、つまりそれだけ高齢化が進んでいるということだろう。東北物産コーナーで南会津の「国権・俺の出番」という酒を買う。そういえば「民権」という酒はあるのだろうか。以後無為。


12/14・月
 アメリカでは頭の可笑しい不動産王が大統領予備選挙に出て来て、散散問題を起こしているそうである。それにしても、頭の可笑しい人は日本にも大勢いる。いっそ、そういう人たちだけ何処かの無人島に団体で引っ越して貰えれば、清清するというものである。大体、他人と暮らすのがそんなに嫌ならば、まずは自分から荷物を纏めて出て行くというのが筋であろう。
 一日曇天。午後出社。すると今春高校に入ったO君が来塾す。流石に久久に会うと、多少は成長した感がある。彼は小学生の頃から面倒を見て来たし、色色と真面な話しが出来るので、今となっては貴重な存在である。早速首相Aの悪行を中心に色色と雑談す。
 しかし生憎シロが朝から行方知れずと云う事で、吾人は何だか気もそぞろである。本務校の授業も普段以上に身が入らず。午後七時前になって漸く帰って来たと家人から連絡があった。また帰って来たら帰って来たで、矢張り何だか気も緩む。以後も適当に授業す。それにしてもこういう時は、どうしても最悪のケース、即ち百鬼園先生の「ノラ」を想定して仕舞う。そうなれば此の日記も、「シロが、シロが」と相当な内容変更を余儀なくされるであろう。
 退社後は立ち飲みBへ。健在ぶりをアピールしたが、店内は幾ら広くても矢張り煙く、咳も出るので二杯で御仕舞。急いで帰宅すると、シロは上がって来ていて、家人の股ぐらで大いに甘えていた。早速掴まえて、一体何処で何をしていたのかと詰問す。残念ながら口が利けないので、何があったのかは分からない。でも何かがあったのだろう。


12/13・日
 一日冷たい曇り。時時小雨。少し歩かなければと思い、昼はとんこつ醤油ラーメン屋に参る。併し汁は矢鱈塩辛いし、麺は良く茹だっていない。一応名のある店主が拵えた筈なのだが、散散な出来栄えであった。
 午後はすることも無いので、滅多に読まない経済新聞を購入す。コンビニで160円。相変わらず字が異様に小さい。大昔の文庫本サイズである。吾人ですら難渋す。あれでは年寄は読めないだろう。其れとも高齢者はもう経済活動には無縁と云う事なのだろうか。
 いやしかし活字というものにはある種の慣れが必要だから、兎に角、毎日毎日読むことが大切である。新聞とは宅配購読するものであって、偶に買うものではないと思った。ところで新聞は税率8パーセントに据え置かれるそうである。何だか業界ごと買収されたかのようで、評判は余り宜しくない。


12/12・土
 六号室完成す。煤けた感じのユニットバスの壁面も蘇った。何でも上から張り付けたそうだが、最近は建材が良くなっていて、何だか大理石調の物に仕上がる。こういう物の技術革新も大したものだと思った。
 一日穏やかに晴れた。咳は治まったが何だか一日朦朧とす。原因が薬の副作用か、それとも精神が鬱状態なのかは分からない。


12/11・金
 散散な与党協議の末、公明党は軽減税率を認めさせそうとのこと。是非この粘りを安保法制でも見せて欲しかった。それに軽減とはいっても、高が2パーセント。但し線引きが難しいとかで対象品目は次次と拡大され、とうとう酒類を除くすべての食料品となり、減収分は今や1兆円規模である。併しそもそも軽減税率は逆進性の緩和には大して役に立たないそうである。それに税の軽減を望んでいる国民がどの程度いるのか、全くもって定かではない。税金を払いたがっている国民というものも多くは無いが、一定数は存在するだろう。それでいてまるで恩着せがましく、軽減税率実現させましたなどと公明党のポスターに書かれる。想像しただけでも今から益益腹立たしい。それにしても公明党はしぶとい。他の野党も見習うべきだとの指摘もあるぐらいである。
 朝方は大雨。其の後猛烈な南風が入り一気に晴れる。となると窓硝子が外側から曇る。天祐とばかりに大急ぎで雑巾を出して拭き掃除をした。依然として咳が止まらないので再び老師の元へ赴く。念のため胸部レントゲン撮影。肺癌、肺結核、肺炎の恐れなし。従って異状は無し。咳喘息との見立てである。漢方薬と咳止め薬が処方された。併し費用は掛かった。約二千七百円。
 辺野古では強制工事が進む。今朝の「日本全国八時です」によると、評論家のO女史も、座り込みをしていて、機動隊のごぼう抜きに遭ったという。なお県内の部隊では親戚縁者に怒られるので、警視庁の機動隊が出ているそうである。抗議にも行きたいことは行きたい。
 午後になっても咳は治まらず。金曜日は真面目に教えを乞うような生徒も居ない。偶には先生もサボらせて貰うということで欠勤す。それにしても、頭の中身も礼儀も躾も足りない子どもに教えるのも、いい加減に草臥れた。
夜になって山田線で上り列車が土砂に乗り上げたとのこと。悪天候のせいである。いやしかし、これでまた廃線にならないことを祈るのみ。列車は一両で乗員乗客は二十四名というから、割と乗っていた方であろう。


12/10・木
 広域通信制高校で就学援助金の不正受給が発覚。何年か前の規制緩和で株式会社にも作らせた学校が派手にやらかした模様。大体生徒も居ないのに学校を建て増しさせたことからして可笑しいと思っていたところである。結局は詐欺紛いである。それにしてもシロアリのごとく補助金に群がれるだけ、学校事業は羨ましいと思った。学習塾にはそれすらできない。
 午後千寿に出校。途中散髪す。咳が出るのでどの店にも寄らずそのまま帰った。となるとコンビニ食である。五目あんかけ焼きそばも、焼き鳥も、良くこんなものを…というような水準であった。夜には雨。


12/9・水
 7−9月のGDPは上方修正され、年率換算プラス1パーセントだという。数字に余り一喜一憂しても仕様がないが、1あれば目標達成である。
 風邪と薬のせいか此処数日、腸の業務が停滞す。十数年無かったことである。少食に加え、飲酒も控えたためであろう。難産の末、渋滞を解消させた。午後出社。中学三年生は志望校を決める時期である。早速、志望書だの自己PRカードなどを書いてくれなどの依頼が殺到す。それにしても高校受験というものが消滅して久しい。公立高校には一応学力試験があるが、難関校以外の私立高校は、一般入試というものは既に無くなっている。作文や面接などの試験もあるにはあるが、そもそもが全員入学だから、誠に形式だけの存在である。
 手元にある『高校受験案内』(晶文社)を眺めると、都心の一等地にあっても生徒数が百人とか二百人になって仕舞った学校も少なくない。公立高校は統廃合が進むが、私立の学校は生徒が居なくなったので廃業します、という訳にも往かないのだろう。此れが数十年も前に全入時代を迎えた高校の姿である。
 午後は再び咳が出たので、退社後は其のまま帰る。相変わらず御客が居ない碑文谷の花月苑に寄る。なぜか尾道ラーメンが売れ出されていたが、注文するのはいつもの「げんこつラーメン」(680円)。相変わらず、そこそこは旨い。それにしてもこういうセントラルキッチンで作られたスープを溶かして売るだけのラーメン専門店も、中中厳しいだろうと思った。まだちゃんと鍋を振っている、「福しん」や「王将」の方が、活気があっていい。
 早く帰ったので、ずっと前に録り溜めてあった『戦後史証言プロジェクト・三島由紀夫』を見る。そういえば三島の事は何も知らない。肉体改造して割腹自殺した変な人ぐらいの認識しかなかった。番組では盾の会の会員も出て来た。みな佳いお爺さんになっている。人の見かけと思想信条とは中中一致しないのだろうと思った。ちなみに三島は生きていれば九十歳。老家人と同じ年である。老家人にも戦後史をインタビューして見たいところだが、生憎極度のノンポリなので、面白い話は何もない。


12/8・火
 午前中は曇天。午後は少し薄日が差した。暗くなった頃、千寿に出校。過日の振り替え授業を行う。何だか一日中、頭がぼんやりしていたが、幾何を教えている内に覚醒す。九時過ぎには退社。「福しん」で中華丼。
 覚醒序でに帰宅後は映画『そこのみにて光輝く』を見る。舞台は函館。風光明媚な観光都市といった感じだか、多分に漏れず地場の経済は良くなく、一家の生活も破綻状態。長女の千夏こと池脇千鶴は、文字通り掃きだめの鶴となって家族を支えている。鶴は何時か飛び立てるのか。色色と期待を持たせながらも、最後はどうなったのかわからない。ただ元鉱山技師綾野剛と、神神しいまでの朝日に包まれて物語は終了。人生一瞬でも光り輝く瞬間があれば、其れを宝にし、後後も続く暗渠のような生活を耐えられるということだろうか。それにしてもあの高橋和也扮する造園業の社長は酷いな。死んで貰いたいような社長は、他にも沢山いると思った。


12/7・月
 一部民放AM局がFMでも同時放送することになる。難聴取地域解消のため。そういえば、拙宅は文化放送が入りにくかった。何でも送信所との間に高層ビルが入ると駄目だそうである。地図を眺めると、確かに送信アンテナのある川口市と拙宅の間には新宿がある。それに吾人のラジオは二十年物の、テレビチューナー付きという代物なので、FMの高い周波数帯も入る。物持ちが良いと、偶には得をすると思った。
 気分は晴れず、幾ら寝ても寝足りない感じ。行きたくないが午後出社。退社後は安い物を腹に詰めてから帰った。嗅覚の損耗率が高く、従って味覚も今だ戻らず。何を食べても同じなら、安い物で十分である。夜は結構冷えた。道行く人も一段と少ない感じがした。


12/6・日
 リハビリがてら量販スーパーにガスコンロを買いに行く。六号室に取り付けるものである。何時もと同じものだが、何だか異様に重く感じる。体力が落ちたらしい。止む得ずバスに乗っけて運び込んだ。苦労して買った品物だから、価格の答え合わせはしなかった。それに皆が皆インターネットで買って仕舞ったら、近い内に実際の店舗が一つも無くなって仕舞うという危機感もある。
 午前中は薄晴。午後は曇天。思ったほど体調も回復しない。気も晴れない。何だか今度は鬱状態である。数日にぶりに飲酒するも、味覚嗅覚ともに回復度低し。直ぐに止めて仕舞った。


12/5・土
 何とか朝には起き上がれる水準に回復す。今日も冬型。朝晩の冷え込みが強くなったので、漸く楓の色が濃くなる。紅葉という感じがする。既に半分は散って仕舞ったが。
早速近所の落ち葉掃きとゴミ拾い。古新聞を手に取る。全て三日分溜まっていた。此の間、ウイルスを恐れて、新聞も回して貰えなかった。午後数日ぶりの入浴。それにしても、よく風邪を引く。昨冬は奇跡的に引かなかったが、今年は既に三回目である。医師には何かのアレルギーかもしれないと言われた。職場自体に拒絶反応が出ているのだとしたら、最早対処法は一つしかない。
 再増税の可否を巡って来夏に再び解散するという風説が出ている。となれば、衆参ダブル選である。首相Aならやりかねないと思った。それにしても違憲判決が出ている一票の格差はどうするのだろう。占領軍が作った憲法だから守りませんというのが、Aの考え方なのだろうが。


12/4・金
 熱は概ね下がる。咳も治まった。併し全身のダメージが大きすぎる。咳のし過ぎで胸部と腹部は酷い筋肉痛、気管支は時折ピーピーと変な音を上げる。それに今回は今までのどのタイプの風邪とも違う。呼吸器系が弱くなっているのかもしれない。長年に渡る飲み屋での受動喫煙のせいだと思った。午後は再び発熱。38度弱。昼は煮麺、夜は納豆巻き。欠勤。
 一日冬型の晴れ。今冬はエルニーニョの影響で暖かいとのこと。冬物が売れないなどで個人消費はマイナスになるらしいが、寒いより暖かい方が佳いに決まっている。第一、暖房費が掛からない。従って二酸化炭素も出ない。風邪も引かない、ことは無いか。
 アメリカでまた銃の乱射事件。今回は個人的なテロではなく、何かしらの過激思想が背景にあるとのこと。テロとの闘いというお題目で銃規制が少しは進むかもしれない。


12/3・木
 未明から朝方まで激しい咳が続き、一時呼吸困難になることも。熱は37度前後、色のついた痰が大量に出る。時折赤いものまで交じった。早速、掛かりつけの老師の元へ向かう。今日は息子さんが当番の日であった。診断によると、急性気管支炎で、気管支が細くなっているとのこと。前回の風邪が完治してなかったのかもしれない。
 喘息の漢方薬、咳止めの液体薬の他、気管支拡張剤を処方される。吸入式なので、くれぐれも真面目な顔をして吸い込んだ。医薬合わせて1500円。激しい咳は午後には治まる。其の後、本格的に発熱す。38度は出た。絶食。欠勤。


12/2・水
 山手線の新型車両は不良動作を起こして運行停止。原因はコンピュータソフトの不具合で、上手に止まれないとのこと。見たところ何の変哲もない新型車両だが、頭の中身は相当変わっているのだろう。鉄道車両も最早コンピュータの一部である。そういえば飛行機も、自動操縦を手動に切り替えた矢先に、操縦不能に陥り、既に何度か墜落している。ハイテク化も考え物である。
 午前中は漫然とす。午後大貧学院に向かう。併し出社した途端に、午前中は一回も出なかった咳が止まらなくなる。それに何だか熱っぽい。関節痛はしないが、インフルエンザの初期症状と似てなくもない。退社後は、大急ぎで博多ラーメンを食べ、慌てて帰った。帰宅後、過日の処方箋薬の残りを投入す。エアコンも初稼働。


12/1・火
 月が替わり師走になったが、火曜不出社は変わらず。御昼頃に二子玉川に向かう。地元のケーブルテレビ会社が「西部警察展」をするというので見に行く。丁度裕次郎のそっくり芸人と、プロダクション所属の若手俳優とのトークショーをやっていた。俳優は真面目な男らしく、話しは中中盛り上がらず。話芸という点では圧倒的に前者の方が巧い。
 其の後、「ロケ地を再訪する」という映像も見る。月波君も仕事を終わらせて合流す。平日だというのに結構な人が集まった。西部警察もファンが多い。この点に関しては嬉しい限りだが、それにしてもIプロダクションも、過去の遺産を運用するだけで新鮮味が無い。大体、裕次郎というカリスマは相続の対象にはならないし、では次のカリスマを探しに行ってすんなり出て来るというものでもない。過去に縋りつくだけでは中中厳しいだろうと思った。
 其の後、二子玉川を歩いて見る。元元百貨店と遊園地とスイミングスクールしかなかった街が、大きく変貌を遂げた。今や高層ビルが林立す。蔦屋の本屋なども見て回った。最近は書店がコーヒーも飲ませるようで、店内は満席。いやしかし、新刊をあんなにタダで読ませて仕舞って大丈夫なのだろうか。本屋は無料の貸本屋ではない。
 バスで地元に回航。早い時間から焼き鳥の「鶏石」に陣取る。あっという間に店内は満員に。相変わらず刺身も焼き鳥も旨い。更に蕎麦屋にも寄る。店が佳いと飲酒も捗る。五反田の分を取り返すように中量飲酒。九時過ぎ帰宅す。
 すると古書店に注文してあった『潮目の予兆』が届いていた。「みすず」欠載分を中心に読み進める。返えす返えすも残念なのは、此の日記が今年の三月で終わっている点である。首相Aの横暴ぶりや、それに反対する学生団体の活躍にも、筆を加えて欲しかった。ひょっとすると、もう「潮目」の段階を通り過ぎ、大規模な崩落が始まっているということなのだろうか。
 またマイナンバーならぬユアナンバー通知書も漸く届いていた。発送に此れだけ手間取るのだから、個人や法人所得の正確な把握となるとますます難しい。大方、あと二十年は掛かるだろうと思った。