2016年1月

1/31・日
 天皇皇后はフィリピンから帰国。マニラ市街戦は酷かったそうで、まず犠牲になった現地の人人の慰霊に向われた。恐らくそう多くない残された時間を、慰霊と記憶という行動で以て、其の責任を果たそうとされている。象徴天皇制としてはぎりぎりの選択と行動であろう。次の御訪問先は中国、中でも南京か、それとも朝鮮半島か。
 久久にまあまあの晴れ。少し運動しようと自転車で当てもなく出掛けた。取り敢えず、下北沢の「キッチン南海」でカツカレーに麦酒。併し南海に行ったからには、神保町と同じように古本屋を巡ろうと思う。すると数軒先に行った豪徳寺の店で『物質文明・経済・資本主義』の第一冊を入手。3500円。かねがねブローデルには挑戦したかった。
全六冊の大著は「日常性の構造」分析から始まる。従って大半が飲み物と食べ物の記述であるから、読み易いことは読み易い。肝心の資本主義まで辿り着けるかが問題である。
 夜は魚屋の刺身に、貰い物の冷凍の毛ガニ。重ね正月というのがあるから、それに合わせれば、重ね大晦日である。


1/30・土
 結局都内の雪は降らず。雨も朝方には止む。以後曇り。無為にしているのなら、三十年使った和室の電灯をいい加減に買い替えてくれと家人に言われる。再び量販店に参る。今時の照明器具は全てLED方式である。併し紐が付いたペンダント式の物は、調色機能なしの白色単色の物しか売っていない。かねがね、あの蛍光灯系の白色は、オフィスや学校で使用するものであって、家庭では無粋に過ぎると思う次第である。
文句を言っても仕方がないので、白色の物を黙って買って帰って取り付けた。約八千円。点けて見たが、明るいことは明るいが、此れではどう見ても煌煌とした通勤電車である。それにしても欲しい物があっても、欲しい物が売っていない。需給ギャップが開くのにはこういう理由もあるのであろう。
 件の大臣に関する報道を色色と見たが、神奈川県の大和市にあるという地元事務所は、何だか適当な空き地に建てたプレハブ造りのよう。質素と言えば質素なのだろうが、TPPなどの国際舞台で外交交渉してきた花形大臣とは落差が大きい。此の議員の事は何も知らなかったが、アベノバブルで一種異例の出世を遂げたのだろう。
そんな中、地元を預かる秘書としては、何だか馬鹿馬鹿しくなって、つい根腐れしたのかもしれない。こういう場末の事務所にも次々と陳情団がやって来る。そしてついつい札束目当てで、適当な口利きをして見たくもなるのだろうと思った。それにしてもこうした古い地盤の上に、新しい物が次次と接続して行くあたり、何とも整合性が取れない。此の国の政治文化はつくづく中進国だと思った。


1/29・金
 件の主要閣僚は昨夜のうちに辞任したとのこと。当然と言えば当然である。それにしても、菓子折りの中に現金五十万円。余りにも典型的。あの有名老舗羊羹屋も迷惑だろう。
 母親の交際相手による子どもの虐待殺害多し。如何に本能のまま生きている人が多いか、想像に難くない。人生は形式である。親になった以上、親はあくまでも親らしく、もっともらしい顔をして、子どもの扶養に当たらなくてはならない。特に後から来た親は、尚更そうしなくてはならない。
 朝から雨。次第に寒くなる。また雪かもしれないとのこと。午後バス出社。退社後は中華立ち飲みに行く。早目に退散。11系統と32系統の合わせ技で帰宅す。
日銀は金利を愈愈マイナスにするという。民間銀行はもっと御金を貸し出して下さいと言うことらしい。併し実需がないから設備投資も進まず。従って誰も借りたがらず。デフレ脱却という抽象的目標はともかく、そもそも誰も期待していない2パーセントの物価上昇目標など、自縄自縛に陥るだけだから早く下すべきである。


1/28・木
 少し前にアマゾンがお坊さんの手配まで請け負うとあり、少し話題になった。幾らなんでもやり過ぎだという声が多かったように思う。まあ御葬式や御布施というものは、不明朗会計の最たるものである。御金に余裕がある人は多めに出し、そうでない人はそれなりに出せばよかろう。
沢山出した人も、なけなしの御金を叩いた人も、ぱあっと御金をくれてやったと思えば気分はいい。要は心の持ちようである。本来布施や喜捨とはそういうものであった筈である。併しこういうところまで、一物一価の市場ルールを厳格に当てはめるとなれば鼻白む。それは詰まり、ものを知らない大人が増えたと言うより他はない。
そうなるといっそ、喜捨しないと地獄行きだぞというカトリック教会の横暴が懐かしくもある。プロテスタンティズムと資本主義の精神以前の世界も少し残しておかなければ、経済というものは却って回らなくなるであろう。
 何処で何をしていても、残念なことに木曜日はやって来る。午後千寿に出校。生徒が全員来たから案外忙しい。偶には変わったことをしようと思い、退社後は千寿大橋の駅まで歩く。併し同じ千寿であっても、此方は圧倒的に小さい。一応北口界隈には良さそうな飲み屋があることはある。併しどれも小規模店なので行きずりの入店は難し。
やむを得ず、南口の大きなショッピングセンターの破魔寿司に入る。大手牛丼チェーンの経営だけあって、悉く合理化、自動化されている。早速タッチパネルで注文す。注文品が近づくと、電車の接近を知らせるようにオルゴールが鳴る。良く出来たシステムだとは思うが、作る人の姿は全く見えない。つくづく物象化されている。何れ食べる方も自動化されるだろうと思った。併し機械化された分、御酒は安い。調子に乗って日本酒を飲んでいる内に、ついうっかり他人の注文品まで取って仕舞った。下流の方で、「俺の鉄火巻きが来ないぞ」などと御客が文句を付けないかハラハラす。
其の後、ガラガラの京成線に乗る。それにしても大橋駅の北口と駅本体は丸で昭和の風情だが、南側はまるでさっぱりとした郊外駅の様相である。何だか視野の右と左の余りの違いように頭がクラクラした。二度乗り換えて、何時も満員の東急線に。漸く普段の世界に帰って来たと感じる。


1/27・水
 今日も穏やかに晴れる。午後出社。金弐万円受け取る。退社後は中華立ち飲みに。常連客から五十六度の白酒を振る舞われたが、小さなグラスに一杯だけ慎重に飲んで帰った。グレが下瞼に少し擦り傷をつけているよう。人間用の目薬を差す。


1/26・火
 今日も晴天。九州各地で水道管が破裂。給水車が出る。今回の寒波はなかなかのものだったが、峠は越したという。一日無為。


1/25・月
 朝方は近所の清掃。烏が突いたらしく、少し散らかっている。丁度丸丸としたパンが転がっていた。成程烏のお目当ては此れだったか。パンは箒で跳ね飛ばし、散乱した包装材等は片付ける。すると早速烏が戻って来て、此れ頂きますと咥えて飛び去った。厳冬期だから食べ物も少ないだろう。烏の恩返しに少し期待した。 
午後出社。都立高校の入試が近い。といっても最初は推薦入試なので、作文やら面接やらの指導に当たる。それに指導と言っても、明るく真面目に頑張りますなどと人格を偽装するより手がない。個人の内面まで採点対象にするとは怪しからぬ試験であると思った。
それにしてもこういう曖昧なものをどうやって点数化するのだろう。入試の多様化も、つくづく面倒である。それに此のままAO入試や、プレゼンテーション入試や、アクティブ何とか入試が増え続け、終にはセンター試験まで記述式になったら、一体誰が採点することになるのか。それこそ進化して来た機械に丸投げするより方法が無くなると思った。
退社後は立ち飲みBへ。常連客は見当たらず。早目に帰り、賞味期限が切れたカップ麺を食う。今夜も一段と寒い。


1/24・日
 関東は快晴だが、冬型が強まり、九州南部まで雪が降る。初場所では日本人大関が優勝。実に十年ぶりだという。特筆すべきことは何もない一日。


1/23・土
 芥田先生が書庫兼書斎を新築されたというので、新年の挨拶がてら千葉のお宅まで伺うことになる。色色と募ったが、悉く妻帯者は来られず、結局月波君と轍田さんと藤松君という単身者集団で参る。多少余裕のあるところを見せようと、ザギンイーストの焼き菓子、五千円の詰め合わせを持参。御土産に多額の予算を使ったので、地下鉄東西線で行けるところまで行く。此のルートだと二百円安い。西船橋の駅が小品川のようになっていて少し驚く。
四時にお邪魔して、早速書庫を見学。明治時代の雑誌からアイスランドのサガの研究本、『里山資本主義』まで数万冊が並ぶ。先生によると、だいぶ整理がついたとのこと。文科系の研究者とは、積みあがる本対収納力と記憶力の闘いであると思った。其の後、書斎で御酒を飲みながら北朝鮮旅行のDVDを視聴。同行した現地の観光公社の人が拵えたもので、何だか食事シーンばかりある不思議な出来映えであった。
先生も益益お元気で、大学の雑務から解放されたから、色色と中断したままの研究を再開されるとのこと。予定の無い日は、此の静かな書斎でクラシックを聴かれているという。ところで先生は、息子さん方は皆独立されたので、現在はご夫婦のみの生活である。もしも静かすぎるというのであれば、猫を御飼いになるといいですよと進言した。
更に駅前の「のん兵衛」という居酒屋で本格的な新年会。面白かった点としては、(一)大学は六十年代を境に全く違ったものに成った=大学の大衆化、(二)共通一次試験の導入以後、大学の序列化が一気に進み、面白い学生が激減した、(三)低層大学を作り過ぎたのは、従来の職業訓練校や専門学校の社会的地位が低すぎたためで、(四)それは東アジア文化圏共通の現象だが、(五)日本には武士文化があったから中国とも朝鮮ともまた異なる状況にある。しかし、(六)何せ規制緩和による激安文化だから、職業生活を営むのも、職業教育を行うのも容易なことではない、との結論に至る。
また此の居酒屋、金目鯛の刺身から、鶏の丸揚げまで何でもある。佳い店は数が少ないと見えて、店内は超満員であった。十時半にお開きとなる。延延と総武線に乗り、錦糸町半蔵門線へ乗り換え。帰宅は十二時過ぎ。一日曇り。大変寒い。地下鉄も寒かった。


1/22・金
 株価は乱高下。そのたびに、原油価格が持ち直したとか、何処かの経済指標が良くなったとか悪くなったとか、枕詞のような説明が付くことは付く。併し最近はコンピューターのプログラムによる自動取引が主流だというから、上がる時は上がりやすく、下がる時はより下がる。最早マウスの操作すら不要なのだという。自動化によって、相場師などと言うのも死語の世界に入りそうである。つくづく金融資本主義も行くところまで来て仕舞った感じである。
 朝から寒気がする。また風邪を引いたかもしれないと思った。此の処、風邪恐怖症である。昼はレトルトのカレーライスに、茹で麺をレンジでチンしただけの、たぬき饂飩を付ける。大量の糖質摂取で漸く中から温かくなった。
 今日から新年度の予算審議に移る。早速中継を見ようとするも、件の大臣の処遇を巡り、本会議は一時間遅れ。併し首相Aの施政方針演説は、自画自賛の内容ばかりで、腹すら立たず。何時の間にか寝て仕舞う。どうして一言、滴り落ちなくて、どうもすみませんと言えないのだろう。
 其の後出社。すると随分前に卒業したNさんが訪ねてくる。もう一児の母親であるという。併し保育の仕事は随分前に辞めて仕舞い、今は生命保険の外交員をしている。営業の練習相手になってくれと頼まれ、言われるままに適当な相槌を打った。保険のことなど何も知らないが、それにしても強制加入の国民年金保険料や、国民健康保険料すら集まらない時代である。民間保険の営業など益益大変な時代であると思った。退社後は中華立ち飲みに。割と早目に帰ったが、自転車運転中に再び寒くなる。碑文谷の「王将」で熱熱の炒飯を収める。からっ風と、エアコンの風に吹かれて、関東人の肌はぱさぱさ。帰宅後、早速入浴。こういう場合、頭髪以外石鹸類は使わず。ただ湯船に浸かるだけである。


1/21・木
 原油は1バレル二十ドル台に下落。ひと頃は百ドルしたものが、実に三分一以下になる。有難いことは有り難いが、所謂逆オイルショックで、新興国に破綻されても困ることは困る。投機マネーが入った百という値段も異常だったが、今回の二十何ドルというのも異常であろう。足して二で割ると幾らになるか。
 午前中は鬱状態。午後千寿に。途中散髪す。退社後は残業帰りの月波君を呼び出して、千寿で飲んで帰った。今日も寒い。
 主要閣僚が金銭を受領したと週刊誌が伝える。而も大臣室で本人が受け取ったというから、余りにも典型的な贈収賄である。大臣に限らず、公務員全体も箍が緩み切っていると感じる。


1/20・水
 昨年の中国のGDPの伸びの率が7パーセントを割ったという。6.9もあれば十二分だと思うのだが、問題はこの数字自体、余り信用が置けない点にある。中国の経済不安はじわじわと世界の株価を下げている。今後の中国は世界の工場を卒業して、世界の市場になるという。そういえば海外輸出より内需拡大をと、嘗て日本も散散文句を言われたものである。格差や腐敗を乗り越え、内需の中核たる中間層は育っているのだろうか。当方は分解しつつあるが。
 今日も冬型の晴天。午後出社。金参万円受け取る。退社後は実に久久の中華立ち飲みに。常連客も勢揃いで楽しく飲んで帰る。気さくな人たちとの他愛のない交流は、楽しいひと時には違いない。帰宅後は月下独酌と行きたかったが、猫が入って来て、月下白酌となる。併し猫は人語を解さないから結局独りぼっちである。


1/19・火
 そういえば昨年低層大学に進学したA君から年賀状が来て、大学を辞めることにしましたと書いてあった。元元勉強が苦手な子で、頭の中身は概ね中学一二年で停止している。それでも何処か大学に入りたいというので、ほぼ無試験の大学に進学させたのだが、結局一年持たなかったことになる。今後専門学校に移るようなことを書いてあった。併し初年度納付金150万円は返ってこない。此れは特別損失だな。
日本の大学は学費が高い高いと文句を言われているから、公的助成や返還不要の給付型奨学金を増やせという意見に、異存はない。でも学ぶ意欲も能力も適性も無い子が、次次に大学に上がる時代である。高等教育が普及する社会的意義というものはあるだろうが、幾らなんでも大学を作り過ぎたことは間違いない。建て過ぎた大学をどうすべきか。何か活用法は無いだろうか。潰れるに任せて仕舞うには少し勿体ない。いっそ、本当にラーメン大学にするか。きちんとしたラーメンを拵えるには歴史や思想や化学の講義も必要だろうし。
有名アイドルグループは解散を回避。男だけで何十年もやっていると色色な確執もあるだろうと思った。それにしても芸能界も政界同様、独自の世界だから、部外者からはどうなっているのか皆目わからない。巨大な芸能事務所を敵に回すと厄介だから、真相に迫れる気骨のリポーターも居なさそうである。
冬型が強まり、晴れてはいるが非常に寒い。暖冬暖冬と馬鹿にしたからであろう。特に書くべきことは無し。


1/18・月
 今年のセンター試験の現代文には佐多稲子の「三等車」が出された。鹿児島行きの急行列車は超満員。主人公は闇の坐席屋から着席する権利を200円で買う。少少後ろめたくもあるが、何とか席にありつけ、人心地付くという内容である。昭和二十年代だから、長距離輸送は国鉄に頼るしかなく、列車はいつも混雑していた筈である。
今は新幹線も飛行機も長距離バスもある。盆暮れ正月、ゴールデンウィーク、あるいはラッシュアワーの混雑はあることはあるが、交通機関も平素は供給過剰の状況にあると言えよう。事故を起こしたスキーバスは法定運賃を相当下回る金額で走らせていたそうである。当然安全対策に回すお金は無く、運転手は大型バスの操作に不慣れな高齢者であった。外国人観光客が増えたことは増えたが、それでもバスを安売りせねばならないあたり、まだまだ需要が足りないのだろう。では、そもそもこの国でモノやサービスが足りなかったことがあるのだろうかと思い起こした。戦中戦後の混乱期を除いて、あらゆるものが供給過剰であると思った。供給は自動化が益益進み増強されるから、結局需給の差は開くばかりである。
南岸低気圧の為、未明から雪になるも、朝方から雨に変わる。たっぷり水分を含んだ雪は容易に動かせず。除雪は早早に断念す。月曜の朝と云う事もあり、間引き運転した鉄道は大混雑。特に東急と京王が酷かった模様。御昼過ぎにはすっかり止む。
午後自転車出社。退社後は立ち飲みBに寄る。更に矢鱈壁が黄色い店で「野菜ラーメン」を食べる。炒めた筈の野菜は焦げ焦げ、それに矢鱈とタレが砂糖甘くて閉口す。此の店は、所謂、魔の地に出来た店である。覚えている限り、カレー屋、蕎麦屋、ピザ屋、二軒のラーメン屋が、次から次へと出来ては直ぐに消えて行った。此の店も時間の問題だと思った。


1/17・日
 朝方は、『戦後史証言プロジェクト・教育』を二日遅れで見る。戦後教育はアメリカ流の実学重視と、科挙的な知識偏重との間で揺れ動いて来たと言えよう。ただ、あっちがいい、こっちにすべきだと言っている間に、社会と家庭が貧困化して来て、今や教育の基盤そのものが危なくなりつつある。教育は国の礎である。予算が足らないのならば、厚生労働省法務省の予算も借りて来るべきであろう。子どもの将来が福祉生活者や収監者になって仕舞っては、税金も集まらない上、何より当人が不幸である。そういえば国土交通省から取ってくるという案はどうなったのだろう。コンクリートの強靭化より、まずは国土の上に住まう人の手当てである。
午後は蔦の除去に当たる。数日来の本格的な寒さで、漸く弱って来た。蔦は恐らく西洋朝顔。同じ朝顔といっても、「つるべ取られて何とやら」と言った可憐な物とは大違いで、此方は凄まじい生命力である。蔦は隣の隣の空き家を飲み込み、隣の空き家に食指を伸ばし始めている。こうなると自衛権の行使と言った感じである。梯子隊を出して対応した。


1/16・土
 一日晴れ。一応ボロ市に参る。大変な人の出で、端から端まで歩くだけで、三十分は掛かった。例によって骨董品など大して売れる訳も無く、結局飲食関係の露店に人が集まる。併し飲食する場所がないので、立って食べるか、歩いて食べるかの二者択一である。服に押し付けられないかハラハラす。余りの混雑で、白菜漬けを買うのが精一杯。這う這うの体で撤収す。


1/15・金
 地震とシロに未明から起こされる。地震の方は大したことはなかったが、起きた序でにラジオニュースを聴くと、スキーバスが碓氷バイパスで転落横転したとのこと。昼になると死者は二桁に達す。過去数十年を見ても最悪クラスの大事故である。併し時間調整か高速料金節約の為かは分からないが、態態危険な峠道を通ることも無いだろうと思った。
それにしても同種の事故は後を絶たず。くれぐれも夜行バスは危ない。バスを保安装置の付いた新型にするか、列車でまとめて運ぶべきである。併しJRはスキー列車を走らせなくなって久しい。確か「シュプール号」と言ったが。そういえばスキーももう二十年近く一度もやっていない。
午後出社。鉄道会社に就職したT君が勉強しに来ていたので、運輸業はくれぐれも安全を重視するようにと訓示す。夕方になり事故の全貌が次第に明らかになる。御客は全員大学生。鳳生大学の学生も犠牲になった模様。暫し絶句す。退社後は立ち飲みBへ。鶴木さんらと会うも早目に帰宅。それにしても酷いバス会社もあったものである。数年前の事故を受けた法改正も効果が無かった。以後絶筆。黙祷。


1/14・木
 一日晴れ。午後千寿に。何もいいことが無いので、退社後はとんかつ定食を食べて帰る。安いチェーン店であっても、揚げ立てのとんかつは大概旨い。帰りの地下鉄の運転が荒くて吃驚す。


1/13・水
 昨日今日は衆議院予算委員会。首相Aは、求人が増えた、失業率が減ったと自画自賛して止まない。仕事が増えたのは確かだろうが、それでも有効求人倍率は1程度で、概ね最低賃金間際の時間給勤務である。つくづく雇用に関しては質量ともに劣化が著しい。まあこの件に関しては産業構造が益益そうなっているのだから、首相Aの責任ばかりではない。安い物ばかり買い求める消費者にもその責任の一端があるにはある。安価な物は海外生産品(雇用の流出)であるか、自動化されたライン(雇用の劣化)で作られている。
 朝から晴れたがやっぱり寒い。此れでも概ね平年を少し下まわる程度だという。午後出社。金参万円受け取る。相変わらずの給料不払い無年金学院である。万事下らない。退社後は久久に立ち飲みBへ。年始以来の不義理を侘びに行ったが、知った顔は誰も居なかった。


1/12・火  
 朝から冷蔵庫の中のようなお天気。時時霧雨。一日無為。此の処、中国株の影響を受けて、株価がどんどん下がる。首相Aの支持率が下がるは大いに結構だが、散散継ぎこんだ年金の御金が心配である。第二正月も御仕舞。結局寝てばかりいた。


1/11・月
 第二正月も寝正月ではいけない。という訳で朝から出発す。出鱈目旅行をしようと思う。目の前の電車の終点を目指す。東急線半蔵門線に乗り入れ、東武線に乗り入れ、嫌な思い出の街となりつつある千寿を乗り越え、只管北上す。久喜と館林で乗り換え。十両だった列車は六両になり、一時間一本の三両編成になった頃に、漸く伊勢崎に到着す。たっぷり三時間は掛かった。併し此れだけ乗って運賃は1500円余り。安いことは安い。それにしても伊勢崎も駅舎は立派に建て替わっているが駅前には何も無い。
併し丁度初市をやっているというので商店街の方へ歩く。伊勢崎と言うと元祖シャッター通り商店街といったところだが、今日に限っては露店も立ち並び、大変賑やかである。こうなると、いっそ露店を常設にして屋台村を作ったらどうだろうかと思った。西の博多、東の伊勢崎とでもなったら面白い。変わったところで御酒を飲みたい人は沢山いるけど、車社会の群馬では無理かなあ。
 其の後、国際十王交通という仰仰しい名前の路線バスに乗り、阪東橋北詰めで下車。何でも古い自動販売機を集めた、「自販機食堂」があるというので歩いて向かう。この店は結構有名で、かねがねハンバーガーが食べたいと思っていた。実は同種の販売機が、確か二子玉川のスイミングスクールにあって、いつか大きくなって自分の御金で食べたいと思っていたところ、いつしかスイミングとも販売機とも縁遠くなって仕舞った。念願通り、三十数年の時を越え、箱入りのハンバーガーにありついた。温め方にムラがあって、如何にも昭和の販売機と言った感じ。二子の敵を伊勢崎で討てた。
併し食べては見たところ、何せ自販機しかない自販機食堂である。他にすることも無し。来た道をとぼとぼと戻り、北詰めから南詰めまで阪東橋を歩く。それにしても家も店も工場も適度にあり、車もわんわん走っているが、例によって歩いている人は吾人ただ一人。まさに北関東といった感じである。併し御天気も良く、からっ風に吹かれながら北関東の山山も見渡せた。其れだけで気分がいい。再び十王バスに乗り、本庄駅に辿り着く。
早速高崎線に。折角なのでグリーン車にしたが、特別快速小田原行きは既に満席近い。座れないグリーン車など、普通車より質が悪い。買って仕舞ったグリーン券は取り消しが出来るらしいが、生憎乗務員も見当たらず。止む得ず籠原で降りて、始発列車に乗り換えした。平塚行きは空いていたが、上野東京経由なので、赤羽で再び乗り換え。結局当初の目論見より三十分は余計に掛かって渋谷に到着。グリーン券の事前購入制度も考え物である。
例によって、何だか頓珍漢な小旅行であった。昼はほぼほぼノンアルコールだったので、渋谷でおかずを買って家で飲む。初市で購入した、招き猫型だるま(1300円)は、家人にも好評であった。猫は半分立ち上がっているようだが、きちんと猫背になっている。


1/10・日
 第二正月二日目。例によって金曜会の新年会が企画されていたが、酔っぱらったおじさんたちの面倒を見たくないとのことで不参加。大体年末年始の講習で、言語機能が一番疲れている時期だから、ここ数年はサボらせて貰っている。開催がもう少し後なら参加出来るのだが。一日晴れ。一日無為。
今日から大河ドラマ。といっても、また戦国ものである。幕末ものと戦国ものは詰まらないので見ないことにしている。吾人が唯一見るのが源平ものである。従って吾人にとっての大河ドラマは数年に一度の放映となる。平安から鎌倉へ。ひと口に言うが、何しろ日本で支配階級が交代したのはあの時の一度きりなのであるから、誰が作っても大概面白い。次の放送は何時だろうか。義経や頼朝や清盛などの英雄豪傑周辺は大体見たから、出来れば親鸞辺りを期待している。衆生が困窮しているという点では時代状況としても近いものがあるし。原作となるべき本も最近出来たし。


1/9・土
久久に朝から冷えた。此れでも平年並みであるという。今日から四連休。第二の正月と言った感じだが、一日無為。
ところで、今朝の「東洋経済の眼」というコラムには、厚生年金も払えないような赤字企業は市場から退場してくれとあった。正論と言えば正論だが、そうした選択と集中をしたところで、結局のところ失業者が激増し、格差は益益開く。経済危機のたびに、儲かりそうな大企業に資源を集中させていった韓国社会が一体どうなって仕舞ったのか。隣国の惨状を見れば明らかであろう。伝統ある経済誌ならば、もう少し遠くを見据えた眼が欲しいと思った。大体給料すら満足に払えない大貧学院は、社会保険料など払える訳も無く、吾人はずっと国保国民年金基金)である。
それにしても今よりずっと景気が良かった頃に働いていたような世代であっても、低年金、無年金の所謂下流老人が続出している。今後どういうことになるのか推して知るべしである。結局、奇跡のような高度成長などと言うが、実際はどうだったのか。本来払うべき社会的コストを払わなかったとしたら、「高度」の中から、相当割り引かなければならないだろう。


1/8・金
 今朝の中村文則氏の「不惑を前に」という評論文は、日本社会の此の二十年の来し方を振り返り、中中良かった。吾人より少し年下であるが、見て来た景色は似たものがあると感じる。また同氏は、民主党は右を切り、もっと左に舵を切るべきだと提言していた。吾人も正に同感である。
 今日から衆議院予算委員会。野党議員が、若者を過労死させた会社の会長をなぜ参議院の候補者として公認したのかと追及していた。首相Aは例によって一般論を述べるばかりで真面な答えは無し。どうしてこんな人物の支持率が高いのだろう。
 午後、実に二週間ぶりに本務校に出校。早速雑務の処理にあたる。此方の生徒には一体何処に行っていたのかと問われたので、「何も悪いことをしていないのに、千寿というところで二週間も拘留されていた」と応えておく。帰宅後は「タモリ倶楽部」を見る。鉄道特集と云う事で、大阪環状線を貸し切って上機嫌であった。タモリ氏も平日昼の番組を止めて以来、あちこち出掛けられ、博覧強記ぶりに拍車が掛かった感じ。それにしてもこういう番組にも鉄道好きという若い女性タレントが出て来ている。この件に関しては、ちょっとした隔世の感を抱いた。


1/7・木
 今日で千寿校の講習も御仕舞。足取り軽く出校す。退社後は仲田大将と約束を取り付け、神田の「みますや」へ。月波君も同席。大将が予約してくれたので、店には入れたものの、店内は満卓満席の超満員。まともな給仕は受けられず。麦酒が出て来るまで十分、鯖の塩焼きは一時間も掛かった。余りの混雑に観光地化した有名居酒屋も、例によってつくづく考え物である。早早に切り上げ、神保町方面に移動。出版社御用達の高級中華料理店「新世界」に入る。別世界のように静かで、漸く少し落ち着いた。
 それにしても大将も本務校周辺で合うとX女史の事で頭がいっぱいで、飲んでいても気もそぞろであるが、こうして都心で会うと、一流編集者の顔と頭になる。今晩は会話の偏差値も高かった。偶には街を変えて飲むのも宜しいと思った。街と店が人をつくるということもあるだろうし。半蔵門線が驚くほど空いていて、吃驚しながら帰った。
 電気使用量509キロワット。前年と同じ。暖冬の割に減らなかったのは、老家人の体調に鑑み、エアコンの終夜運転を始めた為である。


1/6・水
何処かの国の、何処かの地下実験室で、水素と酸素を燃焼させて水を生成する実験に成功したという。相変わらず、構って欲しくて悪戯を繰り返す孤独な子どものような国である。
今日も千寿に出校。毎日毎日、隣の教室(と言ってもパーテーションで区切っただけだが)では言葉の暴力が続く。S先生は真面目なことは真面目なのだろうが、真面目さの方向性が間違っているからどうにもならない。吾人が暴力に晒されることは無くなったが、傍で聴いているだけでも、誠に気が滅入る。つくづく生徒も可哀想である。もう少し気の利いた学習塾なら幾らでもあるだろうに。さて今晩は月波君を呼び出して、神保町で飲むことにした。正直なところ、何かしら夜の予定を作らない限り、昼の勤務は務まりそうにもない。
三省堂書店を少し冷かしてから、浅田屋という大衆居酒屋に入る。白木のカウンターは立派だが、値段も味もどうにも宜しくない。小さな厚揚げ焼きが580円もするし、刺身は冷凍物のしめ鯖しかない。よくこういう店が続けられるものだと感心す。恐らく家賃が掛からないのであろう。其の後、金星という焼き豚屋に。何が何だか分からくなるほど、アルコールを収めてから帰った。


1/5・火
 今冬は暖かい暖かいと言われても、やはり夏よりかは相当寒い。結局コートを着て出勤。そうなると暑い。暑いのか寒いのか本当のところはよく分からない。
 六時過ぎに退社。目の前の国道を走る都営バスに飛び乗り、浅草に至る。夜の浅草を暫し散策。昼の人波も引き、落ち着いた雰囲気。とはいっても行きつけの店などある訳も無く、仲見世周辺を三回回って、「三定」という天麩羅屋に入った。麦酒一、日本酒一、日替わりお通しに、並天丼で丁度三千円。
帰りは地面の下に潜る。地下の仲見世街も健在。此の辺りでもう一軒と行きたいところだったが、天丼が腹に溜まり、其のままメトロに乗って帰った。それにしても昨日は上野で今日は浅草。退社が早いと選択肢も広がる。ちょっとした都市生活者と言った趣きである。併し銀座線は混雑していて閉口す。自転車急行で夜風に当たって帰りたいと思った。


1/4・月
 残念ながら今日は月曜である。ところで平日の朝は「森本毅郎スタンバイ」を少なくとも十年以上は聴いている。肝心の森本氏が腰を痛めて入院していたが、漸く今朝から復帰。ラジオというものは習慣性が高いから、決まった時間に決まった人が出て来ないと落ち着かないものである。
 御昼過ぎに千寿校に。六時過ぎには退社。再び上野で途中下車し「クラウン」に挑戦するも、なぜか今日も閉店中。止むを得ず「福しん」で炒飯と餃子。此れでは千寿と変わらないと思った。帰りの銀座線も半蔵門線も散散な混雑で閉口す。勤め人はみな帰って来た模様。此れでも普段よりかは空いているのだろうか。滅多に電車に乗らないからよく分からない。八時前には帰宅。何しろ三日間寝た切り状態だったから、何だか草臥れた。今日から通常国会だが、補正予算の審議から始めるから印象薄し。ほぼほぼ休肝


1/3・日
 一日穏やかに晴れた。東海道新幹線は過去最多の御客を運んだそう。勿論吾人は初詣にも、初売りにも、今年は駅伝見物にも行かず。
ちなみに今日は家人の誕生日である。愈愈大台の八十である。併し炊事に洗濯に、老家人の面倒と色色と頑張って貰わなくてはならない。激励のためにケーキを買いに行く。何やら屋号が横文字の恭しい店に入る。葉書二枚分弱の大きさのケーキが2400円。洋菓子はデフレとは無縁である。流石に土台部分のスポンジの口どけも良く、旨いことは旨い。吾人が買って来たものを余り褒めたことが無い家人にも好評であった。寝てばかりいたが、今日で正月休みも御仕舞。


1/2・土
 今年は曜日配列が悪く、正月休みは短め。従って上りの交通機関は今日から大混雑に。そんなに早く田舎から帰って来て仕舞っては、地方活性化にならないだろうに。それにしても此の帰省ラッシュというものがあり続ける限り、日本はずっと中進国だなと思う。もっと休みを長くしなくては。でも会社もぎりぎりの人数でやっているから、会社員も休むに休めないらしい。つくづく・・・、である。
朝は冷えたが、昼は暖かい。暖冬である。二日連続の家人公認朝酒。併し年末から飲み続けているから、いい加減もう飲めず食えず。昼抜きにしたものの、晩食は残り物で軽く済ませた。夜は「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」を見る。今回は水戸から長野市まで。区間が鉄道と重複する上に、何せ車社会の北関東を通るからバスは繋がらず。結局徒歩連絡の連続。あれでは出演者も可哀想である。此の番組も二十回以上もやっているから、国内では適切なルートがないのだろう。碓氷峠を越え、長野県に入っても満足なバスは無く、上田で断念という事態に至る。過疎化と高齢化でガソリンスタンドですら次次なくなる御時世だから、路線バスで旅をするというのも近近に過去のものとなりそうである。


1/1・金
 朝から快晴。両家人と朝から共同飲酒。伊那の「信濃錦」である。併し当面新たな家人が増える見込みは全くない。まあ減らないだけでも佳しとすべきか。
 昨年の人口減三十万人。それでも出生数はほんの少しだけ増えたたらしい。訪日外国人は過去最高だったそうで、此の件だけは少し明るい知らせである。しかし来たら来たでホテルと観光バスが足りない。何しろずっとデフレーションに苦しんでいた業界だったから、設備投資というものを忘れていたのであろう。まあこうして日本に来て頂ける分には悪い気はしないものである。
併し其れ以外は何も明るい材料は見当たらず。日本は既にダメージコントロールの段階に来ている。何しろエンジンが故障した上に、船員もお年寄りばかりである。この状況下で、無理な前進をすれば、いつか船底に本当の大穴が開くであろう。兎に角、一年でも長く浮かんでいることが大切である。浮かんでさえいれば、其の内に何処かの島か大陸に、何とか乗り上げられる。大半の者は助かる筈である。併し船長が史上最悪だから、もう無理かぁ。