2016年3月

3/31・木
 二年も監禁されていた女子中学生が逃げ出して来る。取り敢えずは本当に佳かったとは思う。それにしても二年か。多少の書物さえあれば禁固二年ぐらいは耐えられそうだが、大人の二年と子どもの二年とではまるで質が違う。まあ日本の中学校と言うのも、一種収容所のような閉塞感、拘束感があるが、学校には二十四時間住み込むという訳ではない。少しずつ社会復帰して貰えればと思う次第である。
併し監禁主は大人しそうな大学生。誘拐は一瞬の魔が差したと抗弁も出来るだろうが、長期監禁はそういう訳にはいかない。一体どうするつもりだったのだろう。なお警察による捜査は此の間全く成果なし。こうなると街中を益益監視カメラだらけにするより手がない。
 さて年度末である。本日で有効期限が切れる受診券を手に、朝一番で掛かりつけの診療所に。区による「特定健康診断」である。心電図は異状なし。血液検査の結果はどうなるか。昨夜からずっと腹が減っているので検査後は牛丼Sへ。流石に牛丼はミニサイズとして節制した。午後出社。血を抜いたせいか頭もぼんやり。立ち飲みBに寄って帰る。


3/30・水
 今年の桜は中中咲かない。パッと咲いてパッと散るから、桜は軍国支配者に利用されたりもした。まあ此の場合の桜は染井吉野という品種である。桜は数千種類あるというが、桜がこういうイメージになったのは、染井吉野を植え過ぎた明治以降の事である。世の中が全体主義になる前に、既に桜が全体主義化していたという話しである。では全体主義とは対極にある花は何だろうかと考えたが、全く思い付かず。相変わらず植物には詳しくない。
 ただ動物の方は直ぐに思い付く。言うまでも無く、猫である。単独行動で、「大概いつでも寝ている。昼でも夜でも見境は無い」。「寝るだけ寝ると起きて欠伸をする」(内田百輭)ような存在が、全体主義の片棒を担ぐとは思えない。最近は犬より猫の方が人気があるという。知ってか知らずか、人人は世の中が一方向に流れて行くのにうんざりして、猫を飼い始めたのかもしれないと思った。
火曜に出社したので水曜不出社。体の右側が凝って仕様がないので、「中山式快癒器」を使って、自分で自分を治療す。血行が良くなったのか昏昏と午睡す。明日は健康診断。少食、無酒に努めた。


3/29・火
 今日も八両編成。併し往復に一時間、立ち飲みBで飲んで帰ると更に二時間。詰まり11両編成である。何だか草臥れると思った。
 残念ながら第二志望の学校に入った子が尋ねて来る。既に高校からは春休みの宿題が出ている。併し理事長の著作を読んで感想を書けとは、面倒な宿題であると思った。大体座右の書であるとか、尊敬している人物の著作について読んで来いと言うのならともかく、自著を読ませてその感想を書けとは、何とも傲慢な発想だと思った。ちなみにその理事長とはあの参議院議員である。


3/28・月 
 民進党が結党大会。政権交代可能な政党を目指すと言っていたが、此れではまるで二十年前と同じである。とうとう振り出しに戻った徒労感がある。而も此の二十年で自民党は遥かに右傾化し、新党への期待はずっと高くない。つまり振り出しより更に後退している。振り出し以下に戻った場合、双六では何と言うのだろうか。
 大して生徒も居ないが、今日から春の講習。御昼前に出社。八時過ぎに退社。概ね八両編成である。中華立ち飲みに鶴木さんを訪ね、昨日の花見の振り替え会の反省会。頻りに反省している内に、寒気が入り雷雨となる。一瞬雹も降った。止んだ頃に帰宅。


3/27・日
 午前中に七号室が退去。居住は半年強。それに殆ど生活実態が無かったから、部屋は綺麗なことは綺麗である。併し新たな借主を探し出すには時期が悪いな。
 天候に自信がないということで金曜会の花見は中止となる。振り替え行事として昼過ぎに集まり御酒を飲むことになる。まず中華料理屋に行き、其の後目黒まで歩く。何時もの居酒屋に長居す。六時過ぎにおじさんたちとは別れる。粗末な物しか食べていないということで、月波君と寿司屋を探す。併し駅前の回転寿司店は満員。止むを得ず坂を下った回らない寿司屋に入る。早速カウンター前に座り、偉そうな顔をして御酒を頼む。
併しこういう場合の注文は入る前から既に確定している。「上握り」を少しずつ出してくれと。握り八貫で1900円。酒二合に、追加の巻物少少、浅利の味噌汁を付けて一人4000円。出て来たものは回る御寿司屋の複雑な絵柄の物と大差はないが、贅沢をしたという記憶は残る。つまりグリーン料金だな。回らない寿司もたまにはいいと思った。バスで帰宅。直ぐに就寝。
 保育園が足らない保育園が足らないと言われているので、世田谷区などは公園の中に特別に拵えることにするのだという。確かに一平方メートルの庭も無いような貸ビルで営む保育施設よりは快適に過ごせそうである。近所にもそういう満員電車のような所が幾つもあるが、見て居て誠に気の毒である。第一に、遊びに行くのも面倒である。保育の先生が両手両足に子どもをしがみ付かせ、更に子どもを満載したトロッコのような物を押してよろよろ歩いているのを見ると、大変というより危険極まりないと思う。
それにしても、である。区の広報によると昨年は人口が1%も増加したとあった。それでは保育も介護施設も足りなくなる訳である。後先考えず、どんどん集合住宅を建て増すからだと思った。都市部への人口集中が酷過ぎるのである。併し今更「人返し令」を出す訳にも行かないしね。


3/26・土
 一日曇り勝ち。今日も休校日だが午後少しだけ出勤し、片づけと講習の準備作業。正味二時間掛かったから二両編成、概ね地方線区の普通列車といったところ。東京口東海道線のような長時間労働は一刻も早く是正されるべきだと思う。出た序でに刺身と焼き鳥を買って帰る。
 三号室は早くも入居す。此の部屋は回転ばかりがいい。また、テレビ東京系の猫が出て来た対談番組も終了。気に食わないゲストの時は見なかったが、土曜の昼も愈愈見る番組が無くなった。


3/25・金
 先日キューバの議長が記者会見した際に人権問題を問われ、我が国は米国とは違い、教育も医療も無料であると怒ったように言っていたのを見た。それはそれで有り難いことだとは思う。社会権はあるぞと言いたいのだろう。併し憲法の講義ではまず始めに自由権を習う。次に平等権、参政権と行き、最後に社会権が来る。権利というものにも順序があるという訳である。
社会主義国家だと、其れを逆から辿らなくてはいけない。こういうことは難しいだろうなと思った。増して中国のような巨大な国家だとますます困難である。何処かのアイドルグループではあるまいし、行き成り総選挙などをしたら、其れこそ国が滅茶苦茶になるだろう。混乱が嫌でロシアなどは元の鞘に戻って仕舞った程である。
となると権限を小国に分解して地域ごとに少しずつやらせるか、あるいは中央議会の定数を階層ごと予め割り振っておくような移行措置が有効かもしれない。それにしても、気に入らない人物を片っ端から監禁、脅迫している中国当局を見ていると、其れも期待できないな。いや案外、指導者自身、どうしていいのか分からないのかもしれない。
朝起きてみるとグレの頭に傷がある。人間用の塗り薬を刷り込んだが、場所が場所だけに何だか心配だと云う事になり、そのまま籠に入れて動物医院に緊急搬送。誰かの犬歯による傷だな。抗生剤入りの注射を一本。4320円。居酒屋の少し高い焼酎一本分だと思った。尤も前者は家人の特別会計から支出される。
一方、大病院に目の検診に行った両家人は三時間半経っても戻らず。結局午後二時過ぎにへろへろになって帰宅。余りの混雑に憤慨し、近所の診療所に逆紹介状を書いて貰うことにしたとのこと。何事も混雑分散が大事である。
本務校も休校日のため不出社。午後は家に引き籠り、マスクを掛けていても花粉症酷し。北風が良くないものを吹き寄せたのだろう。夜はスーパーの総菜を並べた。グラタンは味が濃すぎて大半が廃棄となる。よくこんなものを作ると呆れた。


3/24・木
 千寿勤務は終了したので、再び予定の無い日に戻る。朝から小雨。真冬に戻ったよう。御昼には止む。週末には二年ぶりの花見をすることになったが、今から天気が心配。


3/23・水
 一日曇り。午後出社。早目の退社後は立ち飲みBと中華立ち飲みへ。混雑と紫煙と花粉にやられて早目に退散。久久の出勤だったが、今月は更に二人ばかり大手塾に刈り取られた。そういえば新入生もぱったりと入って来ない。某C塾の廃業効果も一年で消滅した感じである。廃業したら廃業した以上に新規参入がある訳だから、競争はますます激しくなる一方である。全く以て働いていて馬鹿馬鹿しくなる。いよいよ大貧学院も沈没間近である。無責任社長に抱き付かれて溺れ死ぬ前に、何処かの成長産業に逃げ出したい。夜から寒気が入る。コートが無いから震えて帰る。


3/22・火
 ヤクザ屋さんの抗争が激しくなっているらしいが、ゴルフクラブで殴り合ったり、トラックを突っ込ませたりと、銃火器の使用はなさそう。八十年代の激烈な抗争事件や「西部警察」に親しんだ世代としては、最近の抗争は随分マイルドになったと思わざるを得ない。子どもの喧嘩まではとは言わないが、精精暴走族の大喧嘩といったところである。堅気の人人に迷惑が掛からぬよう、物騒な道具の使用を自粛しているのかもしれない。だとしたらヤクザ屋さんの世界も相当軍備縮小が進んでいるということになり、それはそれで結構な話しであると思った。それとも此の世界も幼児化が進んでいるということなのかな。いや逆に、命を張らなくなったということは大人化の証拠と言えるだろう。構成員も高齢化すれば、極端なことや痛いことは避けるだろうし。
 今度はベルギーで爆弾テロ。イスラム過激派を抑えるには、イスラム社会全般の高齢化を待つより手がないかもしれない。だとしたら相当に長い道のりである。予定がない日も四日目。花粉症が酷い。ついついスマートフォンのゲームに手が伸びる。「ポコポコ」も、あと僅かで終点に到達しそう。課金ゼロでよく頑張ったと思う。


3/21・月
 最終の寝台特急カシオペア」が上野に到着。何千人も出迎えていた。二人部屋しかない豪華列車にそんなに沢山乗ったことがある人がいるとも思えず。下らないことで大騒ぎする人が多くて毎日閉口す。大体乗り物というものは乗って楽しむ物であろう。
 米国大統領はキューバを訪問。凡そ九十年ぶりだという。キューバ危機からも既に数十年。随分と時間が掛かった。それにしても、危機だ危機だと煽り立てるのは実に簡単だが、上手に植民地を手放す方法や、断絶した国交を少しずつでも回復させる方法というものを身に付けるのは悉く難しい。もっと国際政治学で学ばせるべきである。いや学者自身が煽り立てているかな最近は。
 春分の日の振り替え休日。予定が無い日も三日目。近所に買い物に行ったら、目と鼻をやられる。抗ヒスタミンを服用すると酷い眠気。一日漫然とす。


3/20・日
 何も予定が無い日の二日目。ますます暖かくなる。古本屋の次に魚屋に行き、目利きのふりをして「いいほうぼうがあるね。断然刺身だね」と言うと、そのほうぼうは加熱用だとのこと。何だか節穴ぶりを披露したようで恥ずかしくなった。


3/19・土
 久久に何の予定も無い一日。漸く本格的に日記をしたためる。しかし「紀行文みたいなものを書くとしても、行って来た記憶がある内に書いてはいけない。一たん忘れてその後で今度自分で思い出す。それを綴り合せしたものが本当の経験であって、覚えた儘を書いたのは真実ではない。」(内田百輭)のだから、もっと後から書くべきなのかもしれない。併し一応此れは日記という体裁をとっているから、あんまり時間をおいて、本当に何も思い出せなくなったら困る。矢張り少しずつは書いて行かなくてはならないとも思った。
雨が止んだので、ミケに予防注射を受けさす。序に時刻表を買う。来週から愈愈新幹線が北海道に伸びる。津軽海峡の下を新幹線が通うことは、それなりに意義のあることではあるだろう。併し本数は一時間に一本程度。九州新幹線の先っぽより更に少ない。北海道新幹線とは云え、函館に用のある人ぐらいしか乗らないのだろう。実質的には函館新幹線である。よくよく見ると特急料金が異様に高い。新函館まで行くと運賃とほぼ同額である。乗客が少ない上に、青函トンネルの維持と改造に大変な費用が掛かることが分かる。
それに幾ら料金を高くしても、結局函館延伸程度では赤字のままだという。では札幌まで伸ばしてみてはどうかと言うと、それでもやっぱり赤字だという。ではそもそもどうしてそんな新幹線を拵えたのかということになる。どうやっても採算が取れないものを作ったのだから、公共投資と言うより、一種の贈与であると思った。併し反対給付もある。北海道側の並行在来線は例によって第三セクター会社に引き取らせることとなる。


3/18・金
 トランプとは一体何者だというテーマで多くの識者が論じているのを見聞したが、中中興味深かった論考として、共和党は随分前から相当変わって仕舞ったというものがあった。つまり、クリントンが憎い、ゴアに勝ちたい、オバマケアは許せないと言っている内に、共和党自体がどんどん右傾化して行ったというのである。手っ取り早く支持を拡大しようと、キリスト教右派であるとか、ティーパーティーであるといった、謂わばとんでもない人たちの支持を取り付けて行く。其の内に、本当にとんでもないトランプという候補者が出て来て、とうとう手が付けられなくなっているという訳である。
 併し此の点では自民党も同じである。村山談話は許せない、中韓に国土が乗っ取られる、民主党から日本を取り返すと煽り立てている内に、自民党自身がネトウヨのようになり、そしてAと言う謂わば脳足りんの極右政治家を再登板させるという愚に至る。そういう点で日本政治の方が、一歩進んでいると言えるであろう。Aとその取り巻きの連中はトランプやクルーズと大差ない。
 午後出社。退社後は中華立ち飲みと立ち飲みBへ。丁度Bのベトナム人従業員のDさんと帰りが一緒になったが、吾人の自転車の古さに驚いたようであった。中学二年の秋に就役したから、車齢はもう少しで三十年である。在来線の車両並みの活躍ぶりだと思った。夜はかなりの雨。


3/17・木
 首相Aは、海外の有名な先生を呼び立てて、需要がないから増税すべきではないと講義をさせる。早速、我が意を得たりと満足そうである。偉い先生に言わせるまでも無く、それはそうだと思う。ずっと不景気だったから増税するタイミングは、此の二十年、無かったと言えば無かった。併しこうしている間にも借金はエベレスト山のように積み上がっている。誰だって増税は苦しいことは苦しいが、10パーセントまでは我慢してでも上げると決めたのでなかったか。其の国民的決意を、政権の維持だけを目的として、反故にするようなことだけはやめて欲しいと思った。
 シリアで随分前から行方不明になっている件のフリージャーナリストのビデオメッセージが届く。例によって日本政府が何もしないから、しびれを切らして送って来たのだろう。幸いにして拘束先の武装勢力は比較的「良心的」だというから、交渉の余地は大いにある。早く誰かが何とかすべきである。勿論その誰かとは御家族の事ではない。
 一日晴れて暖かい。午後千寿に出校。今年度の授業は本日で御仕舞だが、どうにも四月以降も出校せざる得ない状況らしい。千寿よ、それでは左様ならという訳にも往かない。がっくりしながら「大江戸」と「小諸蕎麦」に寄って帰った。


3/16・水
 一日曇りがち。午後出社。退社後は中華立ち飲みへ。併し満員電車のような混雑で閉口す。先週までのグリーン車生活とは大違いである。早目に帰宅す。


3/15・火
 漸く朝には書き終えたというので、老家人とタクシーを仕立てて税務署に向かう。確定申告最終日とあって結構混雑している。中には列に並びながら書いている猛者も居た。例年通りに申告書を書いたつもりだったが、色色と誤りを指摘される。(一)年金の払い込み通知書が不足している、(二)地震保険等の支払い証明書がない、(三)年金の源泉徴収分を書き忘れていると。尤も(三)によって、支払うはずの税金が二万円弱少なくて済むこととなる。
即時納付する筈だったお札が余ったので、二人で「大戸屋」という定食屋に寄り、再びタクシーに乗って帰る。確定申告にも経験が必要であると思った。それにしてもつくづく草臥れた。老家人も既にふらふらである。吾人も昏昏と午睡す。夜は宅配ピザ
 高崎線は架線の碍子が損傷して終日運休。異常電流が流れ、同時多発的に設備が壊れたとのこと。余り聞いたことの無い大故障で、復旧は明後日だという。やはり東のメンテは…。


3/14・月
 結局またまた宿酔となり午前中は区間運休。午後出社。早速苦情処理に取り掛かる。税務書類が書き終わらないから急いで帰宅。冷たい大雨のため往復目黒経由。本日無酒。たまった新聞を新聞紙に変える作業もなかなか終わらず。
 民主党に維新が出戻り、名前は民進党にするのだという。もう少しいい名前は無いものか。あらゆる名前を使い捨てて来たからもうネタがないのかもしれない。いっそ、「新党あした」はどうだろう。党歌は当然「あしたいろ」である。いやいや、そもそも改名する必要があったかも疑わしい。


3/13・日
 もう少し旅の余韻に浸りたかったが、早速税務書類の作成に当たる。而も運の悪いことに、今晩は年に一度も無い職場の飲み会であった。夕方、これまたどういう訳だが赤坂に参る。
実を言うと赤坂と言うところに来たのは初めてである。何でも無責任社長の適当な知り合いが勤め始めた店というのが此処にあるという。行けばしゃぶしゃぶの店であった。日曜日と云う事もあり店内も店外も閑散としている。
参加者は総勢七名。間もなく小学校の先生になるМ女史と、薬剤師になるМ君が今年度で退任することとなった。それにしてもみんな週に一二度しか来ないから、大勢で顔を合わせること自体珍しい。それに学生講師と得意の無駄話をする機会というのもなかなか作れなかった。何だか申し訳ないと思った。
紙のように薄い羊肉をつつき合い、二軒目はカラオケ屋に。М君はブルーハーツを熱唱す。随分古い歌を知っているねと褒めると、「母が好きだったもので」とのお答え。成程、随分と時が過ぎたものである。結局、相当飲んで帰った。

 
3/12・土
 折角起き出したところで何もすることがない。夜明けのデッキにも出て見たが風が強い。眺めは佳いが誰も居ない。万が一にも柵の外は落ちたら最後の地獄の海である。何だか物騒なので直ぐに船内に戻る。
620円を支払って食堂に入る。朝食もビュッフェ方式である。九州航路だから流石に納豆を食べている人は少ない。島影を見ながらゆったりとした気分でコーヒーを飲む。関東に居るとなかなか船に乗る機会が少ないから、こういう気分は貴重である。
神戸港には定刻到着。週末航路と云う事もあって、案外大勢人が降りている。連絡バスも家族連れで超満員。大方有名な遊園地に行くのだろう。さて久久の関西であるが、実を言うと神戸というものは全く知らない。まず源平の古戦場を訪ねみんと須磨寺に参る。それにしても、御影という駅から阪神電車に乗った筈なのに、何時の間にか向かいの阪急電車に乗り換えさせられ、其れも一駅で今度は山陽電車に乗れと言う。相互直通が此処まで進むとなると、関東以上の複雑怪奇さである。須磨寺は一の谷を背にした静かなところにあった。所謂「敦盛の最期」で有名である。漸く天気も良くなり、須磨灘も綺麗に眺めた。
 再び電車に乗り元町に戻る。元町と言えば隣は中華街である。ここら辺は関東と同じなのが有り難い。中華街が激安文化に飲み込まれている感じも同じで、常設の店であっても店の前に悉く屋台を出して、肉まんやら小ラーメンやらと安い物を売り出している。結局みんな立ちながらむしゃむしゃと食べているばかりである。此れではお祭りの縁日だと思った。神戸の中華街がどうなっているのかまでは知らないが、安い物しか売れない、あるいは安い物から売れていくという消費行動の「下方平準化」(井上寿一)は全国的傾向であると思った。業務用冷凍食品を加熱するだけでは料理人も腕が鳴くだろうに。
 さて吾人はという、ビュッフェ形式の適当な店に入る。大体一人で中華料理というと、こういう店に入るしかない。まあビールが飲めればいい訳であるから、酢鶏や唐揚げ等等を少しずつ取って食べた。併しこれではいつもと同じの中華座り飲みであるとも思った。其の後、山の手の方まで歩く。
 異人さんたちが住んだから、異人館通りというものがある。ところどころ洋館が残っている。併し眺めは頗る佳いが、坂が余りにも厳しい。見て回るだけで這う這うの体である。使用人でもいなければ生活は成り立たなかっただろう。現代は各種の機械力にやらせているが、それでもやはり不便である。大体、出不精になる筈である。例えば鰹の刺身を食おうとしたとき、生姜が無かったとする。わざわざ坂を下って登って買って来る気にはなれない。鰹には申し訳ないが、葵を付けて食べるということになるだろう。つくづく住むには平たい土地がいいと思った。勿論世田谷もまっ平らという訳ではないが、ほぼ平らに近い台地に住めたというのは、今までまるで気づかなかった人生の僥倖である。自転車を緊急発進させれば、チューブ入りの下ろし生姜なら五分以内に調達できる。
またあの評判の悪い大規模開発、つまり山を切り崩した岩岩で海を埋め立て、わざわざ人工島を拵えて住まうというのも、一度でいいから平地に住んでみて、自転車で楽に買い物に行きたいという、清盛以来の神戸市民の宿願なのだろうと思った。心臓がどきどきしたまま、新神戸の新幹線駅まで滑り込む。ホームのベンチで一休み。脈拍が正常に戻った頃に、丁度「ひかり」が来たので、そのまま乗り込んだ。
改めて14時25分新神戸発「ひかり474号」東京行き。車両はまだ窓が広い700系であった。概ね空いたまま新大阪や京都を通り過ぎる。混雑が何よりも嫌だから、結構なことだと思っていたら、列車は米原の手前で臨時停止。何でも此の先の架線にゴミが巻き付いたとのこと。のろのろ進んでは駅で運転停止。先行ののぞみ号と後発のこだま号も揃って停車す。
三兄弟が暫し揃ったところで、のぞみ、ひかりの順に次第に動く。ただ車掌によると「線路上に多数の列車がいらっしゃいます」ので、かなり時間が掛かるとのこと。大事な御客様を乗っけた列車だから尊敬語を使うらしい。そうなると、駅の案内でも「列車が参ります」ではなく、「お見えになります」ということになり、何となく整合性が付かなくなると思った。
名古屋到着の段階で三十分遅れ。以後猛烈に回復運転させ品川には十五分程度の遅延で着いた。新幹線指令所の案内が余程佳いのだろうと感心す。流石に日本の大動脈である。しばしば無意味に故障する東日本のいい加減な新幹線とは緊張感が違うのだと思った。乗れば乗るほど、リニヤ新新幹線の建設資金に回されると思うと癪であるが。静岡に入るとだんだんと曇り始め、関東は曇天となる。
 月波君が目黒駅でお待ちしていますというので、帰京序に一献傾けた。此の処余りお話しをしていなかったから、声が上擦って仕舞って困った。一時間半ほどで切り上げ。バスで戻り、数日ぶりにきちんと入浴す。石鹸が脂に負けて余り泡立たず。乗ることと飲むことに全ての神経を傾けて来たから、入ることや流すことまでには手足が回らない。毎度の結末であると思った。伊勢の赤福が食べたかったが、何も土産を買って来られなかった。神戸の坂が急過ぎて、脳味噌まで酸素が回らなかったからだと思った。確か新神戸の反対側のホームで売っていたような気がする。
さて、こうして「贅沢特急旅行」も御仕舞。然したる出来事も起らなかった。そう件のボードゲームでは「ハプニングカード」というものを引くことがあった。例えば北海道に向かっていると、「鳴門の渦潮を見に行こう」というように、突然の転配指令を受ける仕掛けである。そうした「振り出しに戻る」を繰り返しながら、何となく地理を勉強したものであった。あの頃の日本列島は実に広く感じた。三十年以上の歳月が流れ、日本は確かに小さくなった。勿論矢鱈と交通網が発展した御蔭であって、決して吾人が大きくなった訳ではないがね。


3/11・金
 今朝は素直にバスに乗り、JR駅まで移動。ここから「ゆふいんの森」という特急に乗る。乗って見て驚いたことは二点。乗客の大半が外国人であること。そして滅茶苦茶に揺れるということである。古いローカル線に無理やり車高の高い車両を走らせているからだと思った。列車が揺れているなら、此方は御酒を飲んで中から揺らしてしまえばいいという考えもあるが、生憎連日連夜の大量飲酒で胃がざらざらである。止むをえず、サイダーを飲むこととす。売店のような所に行って購入する。一応バーカウンターのような物も付いているので、格好をつけて立って飲もうとするも、余りに揺れる。飛行機なら乱気流、船なら大嵐、地上ならまるで起震車である。大揺れするたびにカウンターにしがみ付かなくてはならない。いい加減に我慢大会のようなことは止めてから席に戻る。
それにしても観光客しか乗っていない観光特急ならもう少し遅く走らせるべきであると思った。ああも右に左に揺さぶられては、車内販売も検札も捗らないだろうに。第一、年寄りなら卒倒する。それに乗り物酔いか二日酔いかは分からないが、死んだようにぐったりしている人も多数見た。
 久留米から一時間半ほどで由布院駅到着。一番最後に降り立つと、ホームも駅前もごった返している。まるで軽井沢か、いやもっと凄い。最盛期の清里であると思った。うんざりして来たので、空いていそうな食堂に入る。地鶏焼き定食1200円。案外旨い。そういえば最近きちんとした昼食を取っていなかったことに気が付いた。
其の後、金鱗湖まで歩くことにす。湖までの道の両側にはびっしりと軽食堂や土産物屋が立ち並ぶ。海外からの旅行客は季節や曜日に関係なく来てくれるから観光業としては効率がいいのだろう。今までずっと廃墟、廃坑、廃屋、空き店舗ばかりを見て来たから、まるで別世界であると思った。
 由布岳を見ながら、御酒を飲みながら、駅併設の足湯でぼんやりしていると、上りの「ゆふ」という特急がごおごおと出発す。繁繁と眺めていると、「混浴」していた韓国人観光客二人組に話しかけられる。曰く「リミテッドエクスプレスとはどういう意味か」と。リミテッドとは国鉄が特急の大衆化を狙って付けた「L特急」の英語表記である。吾人の担当分野でもあり、色色と蘊蓄を語りたかったが、残念なことに語学力が伴わない。而も先方二人組は、英語は勿論、片言の日本語も出来るようである。一方生憎吾人の方はと言えば、英語は勿論、緊張して日本語も巧く発せられず。結局「ミーニングレス」と言うより他は無かった。「ハブアナイスジャパン」などと格好をつけて見送ったが、何せ此の程度の語学力だから、日本がグローバル競争に取り残される訳である。併しアは余計だったかな。英語で一番難しいのは此の冠詞というやつである。
更にぼんやりしていると、「ななつぼし」という豪華列車もやって来る。直ぐに出発して行ったが、驚いたように写真を撮っている人が大勢いた。JR九州の成功を追いかけるようにして、西日本や東日本も同様の列車を新造することを表明している。吾人は此の種の豪華列車にはあくまでも批判的である。ただ観光需要を喚起する上でのフラッグトレインとしての役割はあるようである。湯布院観光は、東アジア地区の一種のステータスシンボルになっているとのこと。
 其の後14時44分発の下り特急で由布院を離れる。国鉄時代からある古い気動車だからそんなに揺れない。揺れもリミテッドされているということである。いややはり「森」の揺れ方が異常なのである。終点まで乗り通し、別府駅前の「高等温泉」に浸かり、西大分駅まで普通列車で戻る。此処からは船の旅である。サンフラワーフェリーの「ゴールド号」に乗船。出港は19時半。船旅と言うほどでもないが、船の楽しみと言えば、食べることと寝ることである。
 夕食はバイキングになっておりますとのこと。併し船でバイキングとは如何な物か。丸で他人からかっさらってこいと言わんばかりである。辺りを見渡しながら慎重に食堂に入ってみると、予想に反しみんな御行儀よく食べている。代金1540円では、弁当のおかずのような物しかないが、一応鰤のお刺身なんてものもあるし、缶ビールも安い。吾人としては、結局御酒が飲めればいいのだが、例によって幾らも飲めず。名物というサンフラワーカレーで締めて御仕舞とした。実用性の高いカーフェリーだから、豪華食堂を拵えてシェフに腕を振るわせても流行らないだろうな。
 人と隣り合うのが嫌だから、二等の個室を取っておいた。前日までの予約だと少し安い。中中近代的な造りで、テレビも付いている。トイレがない以外は、安いホテルと同じ要領である。豊後水道を横切るときは多少揺れたが、瀬戸内海に入るとまるで凪の海。海と言うよりでっかい湖だな。世界地誌的には。
西日本に来ると船が使えるから旅の選択肢が広がる。夜汽車は悉く無くなって仕舞ったが、夜行フェリーは健在である。三等部屋でも寝っ転がって手足が伸ばせるから、バスより相当佳い筈である。大体、立派な建物が丸ごと動いていくようなものだから、こういう交通機関は他にはない。一旦船に乗るとバスも列車も飛行機もせせこましくて、乗っていて貧乏たらしくなるからいけないと思った。船の欠点は遅いことと水がなければ移動できない点にあるが、この二つを別にすれば極めて快適な交通機関である。それに舟と車輪どちらが先の発明かと言えば、おそらく前者であろう。となれば人類最古にして最高の交通機関である。東京と大阪の間を新たなトンネルで結ぶより、巨大な水路で結ぶ方が余程面白い。ホテルや旅館でぼんやりしている間に目的地に着くのであればますます痛快である。


3/10・木
 朝方発生した隼人辺りでの人身事故のため、「きりしま7号」は南宮崎始発と云う事になる。仕方なく隣駅へ移動す。列車が動かないのは、都市部も地方線区も変わりがないと思った。それもかなり遅れてやって来て、大慌てて鹿児島へ向けて折り返す。
車両は嘗ての看板特急つばめ号の787系である。つばめの名は九州新幹線に召し上げられてしまったが、つばめのエンブレムは付いていて、「アラウンド・九州」となっている。つばめは速さの象徴であるとともに国鉄のシンボルマークでもあった。やはり特別な急行列車には此の鳥が似合う。百鬼園先生ならば、「お前はこんな所におったのか、早く東京駅に帰って来い」と眼を細めて撫ぜただろうと想像す。例によってグリーン車に乗り込む。といっても此の列車も合造車、所謂「半グリ」である。
 鹿児島は素通りし、九州新幹線に乗り換え。「さくら404号」乗車。此の切符だと、何と新幹線もグリーン車に乗れる。大名旅行、贅沢の極みとでも言いたいところだが、九州新幹線は大概横が四列だから、東海道新幹線ほどの感動は無い。それに「さくら」といっても、博多止まりだったから、全般的に空気輸送である。
 一時間ほど乗って久留米で下車。もう北九州だから一気に気温が下がる。在来線を掴まえて荒尾に引き返す。「宮崎兄弟資料館」を訪問す。宮崎兄弟は色色といるが、末弟の宮崎滔天は所謂維新にも自由民権運動にも遅れて来た世代で、日本で出来なかった革命を中国で果たそうとする。そして中国からいわば革命を逆輸入して、藩閥専制政治を一気に打破しようと構想した。その過程で孫文らと出合い、物心両面で支援することとなる。記念館は中国からの見学団も相次ぐそうで、大勢写った記念写真が張り付けてある。其の後の日中関係は不幸の連続だったが、滔天と孫文は一種忘れられた日中同盟であると思った。一回りして荒尾駅に戻る。新幹線で見られなかった有明海を見たいと思い、在来線で南下。併し幾らも見えず。熊本で再び新幹線に乗り、久留米に戻った。
 本日の移動は、宮崎から久留米。昨日は小倉から宮崎、一昨日は東京から小倉。沢山列車に乗れて嬉しくて仕様がない。普段の生活では果たせない移動欲というものを存分に満たすことが出来た。それにしても、である。色色と思ったのだが、特急にしろ新幹線にしろ、全力で走る乗り物に乗っていると草臥れるということである。何しろ揺れ方が違う。一生懸命走っているから、揺れ方も一生懸命である。ガタンゴトンと適当に走る普通列車とは違う。
一方の新幹線は大して揺れないが、偉そうな顔をして次次と街や野山を踏みつぶして走っているという傲慢さが宜しくない。それに速すぎるから目が疲れる。ごおごおと音が単調だから耳も草臥れる。其の上トンネルが多いから、出たり入ったりしている内に、目はちかちか、耳はぼわーんとする。だから知らない間に案外草臥れて仕舞うのである。
普通列車は大して草臥れないが、それだけでは大して遠くに行けない。結局たくさん乗らなくてはいけないから、此方も結局疲れるのである。自分で歩いていくのが面倒だから、色色な交通機関を発明して、汽車や飛行機に代わりに走らせているものの、どうやっても移動というものはやはり草臥れるものであると思った。
 草臥れ序に西鉄駅前まで歩く。想像以上に距離があり閉口す。離れるにしても、同じ久留米と名乗るのだから、京急蒲田とJR蒲田程度にして貰いたいと思った。たっぷり三十分は歩いた。
 久留米のホテルは想像以上に古い感じ。リフォームもされていない。予約サイトにはホテルの築年数も載せるべきであると思った。シャワーを浴びようとしたが、設備が古ければ古いほど、御湯の調整が難しい。熱くなったりぬるくなったりを繰り返す。それにしても吾人はこうして物を教えることを生業としている。大したことを教えている訳ではないが、後生諸子に何よりも伝えるべきことがある。それは、ビジネスホテルのシャワーの取り扱いにはくれぐれも気を付けろということである。
 さて、久留米には少ないながらも屋台がある。早速目星をつけておいた店に入場。屋台と言うより仮設の店舗といった感じで、おでんに焼き物、炒め物にテレビまで何でも出て来る。こういう店に入ると必然的にその他の御客と親しくなる。色色と親切にして貰ってから宿に帰った。


3/9・水
 未明から雨。ホテルのセルフサービス式の貧弱な朝食を貧相な顔をして取る。と言っても、もともと朝は食べ無い質だから、コーヒーとオレンジジュース程度で十分である。
傘を差しながら小倉駅に参る。此の切符は気前が良くて特急のグリーン車にも乗れる。早速、宮崎空港行き「にちりん7号」に乗車。その昔、「日本特急旅行ゲーム」というボードゲームがあった。特急に乗りながら日本全国を旅するというもので、小学生のころ夢中になってやったものである。もともと「にちりん」は、九州を東回りに博多から西鹿児島まで走る、超ロングラン昼行特急で、子供心にも此れだけの距離を走るとは凄い特急だと、妙な憧れを抱いたものである。
現在は大分と宮崎で系統分割されて仕舞ったが、例外的に此の7号は宮崎までは行く。偉そうな顔をしながらグリーン車に陣取った。小学生以来の宿願を漸く叶えたという一種の自負である。併し国鉄時代の車両は既に置き換えられ、783系と言うJRになって拵えた車両になっている。バブル期の設計と見えて横は三列である。流石に御客は少ないと見えて、グリーン席と普通車の合造車である。
 また此の車両はハイパーサルーンと名乗るだけあって、運転席も前方も丸見えである。座席は一号車一番のAだから、一両目の一番前である。つまり運転士のすぐ後ろである。愚図愚図お酒を飲まれていては、働く者としてはいい迷惑だろう。後ろが気になって前方不注意になったら乗客全員が困る。だからお酒も控えめに隠れて飲むこととす。
 小倉を出て、日豊線に入る。徐徐に速度を上げる。そして特急だから常に全力で走る。小さな駅など、出て来たら出て来たで、踏みつぶす勢いで走って行く。実際に出て来たら危ないから、踏切やホームを通過するたびに、ぷぁーんと間延びしたよう警笛を立てている。何だか厭厭出勤するやる気の無い国電のようである。やはり汽笛はピュピィーとしたホイッスルの方がピリッとしていていいと思った。
しかし幾ら特急が我は日輪、太陽そのものであるぞと名乗っても、雨雲を押し返すほどの力は無く、天気はずっと雨である。山も海も煙っているから詰まらない。大分の佐伯を過ぎるとぐっと速度は落ち、山中に分け入るようになる。峠である。此処を越える普通列車は極めて少なく、前回通った時も特急を使った覚えがある。県境には重岡と宗太郎という駅がある。二つ合わせると丁度姓名になるから、割と有名な区間である。そうして重岡宗太郎さんを越える。逆から行けば、ソーターロー・シゲオーカであろう。
 延岡を過ぎると宮崎平野に入り、列車も再びスピードアップ。左手にはリニヤ実験線。もう使われていないようで、途中から太陽光パネルが敷き詰めてあった。払い下げられたのだと思った。山梨も晴天率が高いから、早くそうすべきである。
 宮崎にはほぼ定刻の13時07分到着。小倉を8時34分発だったから、四時間半は掛かった計算である。併し今どきの特急にはビュッフェは勿論、車内販売も無いから、飲酒も捗らず。時間が後ろに伸びて行かないから、中中時間が掛かったと思った。
 直ぐに日南線に乗り換える。途中駅で「チンタオ、チンタオ」と言いながら大勢の外国人観光客が降りて行くと、一両のディーゼルカーはガラガラとなった。少し先まで行って飫肥駅下車。偶偶来たバスに乗り、飫肥城まで行って貰った。早速観光食堂のようなところで、焼酎を煽り、飫肥天を食す。天麩羅と言っても、関東で言うところのさつま揚げである。ではさつま揚げにいっそ衣をつけて揚げてみたら、天天となる筈であるが、未だに何何天天というものに出合ったことは無い。
 下校時刻と見えて、大手門から小学生が続続と出て来る。御城の跡に学校があるのだから、相当な伝統校と言うことになるのだろう。ルーツは藩校かもしれない。幼稚園も小学校も中学校も高校も、根無し草的な新興校だったから、こういう学校には少し憧れる。ちなみに飫肥小村寿太郎の故郷でもある。立派な人物の卵も色色といるのだろうが、何せ人口が都市部に異様に集中しているから、地方の県立高校から都内の有名大学に入る子も相当少なくなっている。
漸く雨も上がり、陽が照り始める。日南は光も緑も色が濃い。関東だと五月の大型連休の頃のよう。何だか目が良くなったような気がした。再び日南線に乗り市内に戻る。宮崎市には初めて降り立ったが、駅前通りは整然として、例の頂上にパパッと毛が生えたような南国の大木が両側に生えている。如何にも宮崎に来たぞと言った感じである。中心街は少し離れているから、てくてくと歩く。するとあっという間に並木は消え、何処にでもあるような道並みになる。表玄関は、案外短かったということだろうか。
 一旦ホテルに入ったあと、夜の繁華街を歩く。こういう地方都市は街自体が東京と比べて遥かに凝縮しているから、飲み屋街と悪所が隣接している。つまり新橋の隣が、道一つで行き成り歌舞伎町最深部になるという訳である。大抵の後者にはしつこい客引きがいる。一度徳島で面白半分に構っているうちに、散散付き纏われ、仕舞には「(入る気がないなら風俗街の)中まで来るな」と大声で罵られたことがあった。併しこっちとしては、酔後の散策をしている内に、あっという間に迷い込んだ訳である。健全な飲み屋街の直ぐ隣にそういう店がある方が可笑しい。
 慎重に審議した結果、御客のいなさそうな焼き鳥屋に入る。丁度冷蔵庫が故障したとかでサービスマンが来ていた。彼らが引き上げると、店主とその細君と若い女店員と吾人だけとなる。若い女性は孫か姪っ子と見えて、まだまだ修行中と言ったところ。店主は寡黙らしく、細君も喋らない。従って店内は静まり返る。こういう時に頼みになる筈のテレビも置いていない。困ったことになったと思った。少しは絡まれてみたいところである。
取り敢えず差し障りの話などをしてみたが、「天気がよくなって良かった」「そうですか」「今日は小倉から特急で来ました」「そうでしたか」と話しは直ぐに途切れる。まるで禅問答のような時が過ぎた。いっそ、「私とは一体何者でしょうか」などと聞いて見たかった。
だいぶ経って一人物の御客が来たが、此方も出張客と見えて、聴き耳は立てているようだが何も喋らず。結局、黙って飲むより手が無くなった。ちなみに九州に行くとお銚子に焼酎が入って出て来る。正一合売りである。適当なグラスに薄めて出て来る関東より相当安い。結局黒霧島を飲み過ぎる。例によって宮崎には民間放送が二つしかなく、普段以上に見るべきものがない。大浴場が自慢の観光ビジネスホテルだったが、入浴もせずに直ぐに就寝す。


3/8・火
 新幹線は無造作にどんどん出ているから、「あずさ」に乗るような用心深さはいらない。適当に起き出して渋谷駅に参り、田川伊田までの乗車券と小倉までの特急券を購入せんとす。新人らしい窓口氏は、それが何処にあるのか分からなかったようで、急いで時刻表を取り出して探している。早速福岡県の此処ですよと指を差す。仕事とは経験の集合体である。丁度いい実践練習になった筈である。
 朝だというのに混んでいる山手線に乗り、東京駅を六時五十分発の「のぞみ7号」で適当に出発す。当然自由席である。早速車販員を呼び止め、「東海道新幹線弁当」(1000円)を購入。沿線の名物を集めた所謂幕の内弁当である。おかずが多いから朝から麦酒を二缶。
昨夜以来湿度が高く風も無いため、関東から東海にかけては霧が濃い。トンネルを抜けたら、晴天であったり、霧中であったりと変化は尽きず。一方、自由席は混んだり空いたりを繰り返す。一番混んだのは、新大阪岡山間。隣のB席まで埋まった。うとうとしているうちに新関門トンネルを通過し、小倉駅到着11時47分。
早速かしわの乗った「小倉うどん」を食す。今時ホーム上に店があるのがいいと思った。御酒を飲もうと思えば出してくれるようである。駅自体は古いが、JR九州は車両のデザインが独特で、小倉駅には色鮮やかな列車が次次と往来す。何だかおとぎの国にいるようである。併し日田彦山線は別格で、国鉄時代のディーゼルカーが、具合の悪い中年力士のように重たい体を揺すりながら、のろりのろりと入線す。過去の日本を探る旅には、こういう車両がいい。一時間ほど乗り、田川伊田駅下車。「田川市石炭・歴史博物館」を訪問す。丁度山本作兵衛展をやっていたが、本館は工事中で見られず。別館のみ見学す。
閉山から数十年も経つともはや見る影もないとは思うが、筑豊炭田は日本の近代を下支えした。伊田炭鉱も今は高い煙突が二本残るだけである。併し嘗ては悲惨な事故が多発した。大手資本のヤマでもしばしば大事故が起きたのだから、中小炭鉱の労働の過酷さは推して知るべしである。ここら辺の事は「戦後日本には貧困があった」という書き出しで始まる『追われゆく鉱夫たち』に詳しい。併し昔の炭鉱に限らず、企業間格差は今の日本に残る深刻な構造的問題である。今日は更に雇用形態による格差が広がる。現代版なら差し詰め「いま貧困が再び生まれつつある」とでも書くだろうか。
 それにしても伊田駅前もアーケード街も飲み屋街も、閑散どころか、廃業していない店を探すのが難しいほど。第三セクター線に乗るには細かいお金が必要で、壱万円札を崩すのに苦労した。下らないもの売っている店すらないから、JRの券売機で小児用の最低区間の切符を買って細かくするより手が無かった。
 平成筑豊鉄道のローカル列車に乗り、行橋経由で小倉に戻る。明日からの「ハッピー・バースデー・九州パス」という切符を購入。誕生月ならば、九州内の特急が三日間乗り放題となる。大変お得な切符であったが、今年度で発売終了だという。使い勝手のいい切符が無くなるのは全国的な傾向である。
旦過市場をふらつく。旨そうなものが色色と並んでいるが、併しホテルに買って帰る訳に行かないから、どうにも手が出ない。すると立ち飲み屋に出合う。所謂酒屋の角打ちというやつである。こういう店には入らずにはいられない。つまみはおでんと乾物ぐらいしかないが、その分、御酒は安い。そして安い分、愛想は無い。母子と思しき二人は、昔の国鉄職員のような感じである。大体酒飲みは意地が汚い上に、場所柄、御客に甘い顔をすると大変な目に遭うからだろうと思った。案の定、後から入ってきた年寄りは出入り禁止と見えて、直ぐに追い返されていた。更に「武蔵屋」という古い飲み屋に入ったが、もう満足に飲めず。
外資系のチェーンホテルにチェックイン。早目の就寝となる。古い居酒屋や食堂は好きな類だが、ホテルはなるべく近代的な方がいい。寝ると決めたら、誰にも邪魔されたくない。だから宿だけは物象化された新型の方が都合がいい。


3/7・月
未明から春の大雨。午前中は昏昏とす。午後には止んだので自転車出社。テキストに出て来る年令算に於いて、父母の歳が全て吾人より年下になっているので驚く。退社後はBに寄り早目に帰宅。旅支度をする。


3/6・日
 今日は吾人の誕生日であるが、久也おじいさんの命日でもある。丁度高校卒業の年に亡くなったから、もう二十四年という歳月が流れて仕舞った。ということで家人は鎌倉霊園に参るも、早目に帰って来る。肉や魚を買い込んで来て吾人の誕生会の模様。有難いことには違いないが、今更家人に祝福されてもね。
ところで明後日から何の用もないけど九州辺りに出掛ける予定である。万事身軽な一人旅だから何事も決められず。併し宿だけは予約す。ホテル不足が叫ばれて久しいが、観光地でもなく、国際空港も無いような地方都市では、全て一泊五千円前後で手配出来た。アベノミクスは壊れたホットプレートのようだと有名な経済の先生が言っていたのを思い出す。大半の地域は相変わらず御客不足に悩んでいる。
少し荷物も纏めたが、此の年齢になるとまず第一に用意すべきものは薬である。コレステロール分解の為の処方箋薬に血流改善薬、それによく効く抗ヒスタミン点鼻薬、肌が悪いのでステロイド軟膏と宿酔対策の各種胃薬がそれらである。夜更けに猫を探しに行って蛙を二度も踏んづける。「古庭や 蛙踏み込む 叫び声」。幸いにして猫は低速で動く物には興味が無いようで、蛙に対してはまるで無関心である。
昼間は映画『あなたを抱きしめる日まで(原題Philomena)』を見る。最後の最後で、相方の男性ジャーリストは、何てことをしてくれたのかと老修道女を責める。併し主人公はそれを制止し、彼女を赦そうとする。女性としての喜びを知り、生みの苦しみを知り、別離の悲しみを知り、そして我が子の最期を確認したという主人公はつくづく強いと思った。此れは男には分からない女性の物語だとも思った。すると信仰に一途だった修道院の御婆さんは何だか却って可哀想に映る。人生の全てを掛けた善行が丸で無意味であったと知って回心するには、もう年を取り過ぎているからだ。


3/5・土
 結局宿酔に。日に日に暖かくなる三月は日に日に気が緩む。そうなると結局飲み過ぎるのである。午前中は運休状態。保護者面談の為、午後臨時出社。夕方にはおかずを買って帰る。
マスクをしていてもくしゃみ止まらず。「アレグラ」という薬を家人から譲って貰ったが、効用見えず。大体眠くなりにくいということからして効かない感じがする。結局異様に眠くなる旧世代の抗ヒスタミンを服用。アレルギー症状など、人の感覚をスローダウンさせる以外に抑える方法は無いのかもしれない。ほぼ休肝


3/4・金
 保育園が足らない足らないと言われて久しいが、概ね足りないは都市部であって、地方ではふんだんまでとはいかないが、ある程度は充足しているそうである。此れは介護施設などでも当てはまるという。結局は都市部、中でも東京圏に人口が余りに集中している為であろう。そうなると、件の一節は「東京○○」という風に改めるべきである。つくづく東京とは他にはないような珍しい仕事をしたり、難しい学校に通う為のところであって、普通に仕事をして普通に暮らすには東京以外の方がいいという結論に至る。併し人口が異様に多いから、普通の仕事も結局東京に集中して仕舞うのである。
 午前中は三号室の修繕作業。断続的に申告書類の作成を手伝う。何せ電卓に手書きだからまるで捗らず。午後遅めに出社。早目に退社して、月波君とおじさんたちの金曜会に混ぜて貰う。まずは焼き鳥屋へ。チューハイをがぶ飲みす。何時もの中華立ち飲みは大混雑しているので、月波君と隣のイタリア料理屋に避難。板子数枚隔てただけで此方は閑古鳥が鳴いている。安ワインを暴飲。更に立ち飲みBに参る。月波君を地下鉄で帰したあと、仲田大将に呼ばれて久久にバーIへ。X女史との恋仲は不変のよう。以上、散散飲んで帰った。


3/3・木
 アメリカ国民は面白半分でトランプに興じているよう。自暴自棄になった末の、一種の破滅願望だな。くれぐれも賭け事は良くない。嘘から出て来るまことなんて言うのも政治の世界では無いだろうし。
 午後千寿に出校。適当に授業を終わらせて帰ろうと思ったら、本務校からファクシミリが送られて来る。至急数学を解いて欲しいと。併し千寿の受信機の性能が悪く数字が潰れてよく分からない。結局ああだこうだと電話で指導す。つくづく段取りが悪いと思った。すっかり調子が狂って仕舞い、千寿駅構内の回転寿司屋に続いて、地元のラーメン屋にも寄ることになる。


3/2・水
 午後出社。都立高校一般入試の発表。併しまあ全員合格という訳にはいかない訳で。悲喜交交というべきかな。基本的な学費が掛からない公立高校の方が最近は人気がある。金伍萬円受け取る。
授業も無いので早目に退社。併し此れと言って行くところも、会うべき人も居ない。取り敢えず立ち飲みBに参るも超満員で真面な給仕が受けられず。直ぐに中華立ち飲みに避難す。まあまあ飲んでいると、見知らぬ中年客が突然引っ繰り返る。見たところ脳や心臓に異状は無さそうだが、心配した別の御客が救急隊を呼び立てる。どうにも過剰反応であると思った。それにしても自身の酒量も弁えないとは駄目な大人である。常識ある大人としては早目に帰宅。
名古屋近郊の駅でお年寄りが列車に撥ねられた問題で、家族には賠償責任は無いとの最高裁判決が出る。妥当な判断であろう。ところで当該駅は「共和」という。どういう訳でそんな駅名になったかは分からないが、比較的古い駅だそうである。協和はあるが共和は珍しい。それにそもそも日本では共和主義というのは認知すらされていないし、誰も標榜しない。次から次へと新党が出来、そのたびに政党名が使い捨てられて来たが、共和党だけは無い。


3/1・火
 今日から三月。例によって猫に予防注射を受けさす。シロとグレで二往復。動物のお医者さんも犬猫で混雑。内需拡大である。
また福島第一原発や被災地関連の報道も増える。そういえば吾人の日記にも余り取り上げていなかった。反省しなくてはならない。冬型の晴天。三号室には早速掃除屋さんが入る。