2016年9月

9/30・金
 納骨の日。幸いまあまあのお天気。さてさて例によって小平霊園である。骨壺に位牌、高齢者のトイレ確認等等、準備万端整える。では参りましょうと、颯爽とアプリを使ってタクシーを呼び立てる。併し該当車がありませんとのお応え。文明の利器など、所詮はこんな程度のものである。其れならばと、近所の中通りまで行き、流しのタクシーを掴まえた。
 運転手は霊園の事は知らなかったが、カーナビを頼りに走り始める。ちなみに吾人のスマホなどは、高速三号線から都心環状線、四号線を使って行けと宣う。検索の設定が悪いようだが、全く以て、機械のくせに頭が可笑しくなっていると思った。現実の車は、高円寺辺りを経由して、一時間半近くかけて参る。途中環七の渋滞に巻き込まれて9570円。ご苦労様でしたと一万円を置いて返した。
 続いて霊園事務所に埋葬許可書を提出。初老の係長が古い帳面に、万代の名を書き込む。昭和の中頃から使っている都営の墓地なので、カード式台帳の知事名は美濃部さんであった。都知事も長い人が多かったから、最近のI瀬やМ添などは、かなりのレアカードと云う事になるだろう。そして優子さんも交えて、納骨の儀、四十九日法要、新旧位牌交代式、御本尊入魂式等等、一時間掛けて執り行う。
 それにしても老家人は、霊園前の石材屋さんから、数百メートル先の墓所に行くのも這う這うの体である。タクシーと車椅子の中間の乗り物が欲しいと思った。遊園地にあるようなゴーカート、東南アジア諸国でよく見る自転車タクシー、浅草にいるような人力車、どれか一つでもいいから、霊園に置くべきである。
 石材屋に戻り、暫時休憩。御坊さんとは此方でお別れ。ちなみに御布施は八万円。石材屋には墓誌刻み料など十一万円の支払い。以後適当な御寿司屋に入る。異様に混雑した店だったが、出て来たものは大したことが無かった。
此処から再びタクシーに乗ったのだが、帰りの運転手さんは、環七に出るのに青梅街道などを使うのはずぶの素人の所業ですなどと宣う。もっと近い道があると勢い込んで走って行ったが、結局吉祥寺駅周辺の渋滞に掴まる。多少は速かったが運賃は行きと大差無かった。此れで諸諸の行事は終了。こうして九月が終わった。
 豊洲問題では、土木部と建設部で責任のなすり合い。そもそも部局も隣り合うと、何の交流も無いというから驚く。併し新都知事は堂堂としている。こういうトラブル解決のために政治家がいるのですとでもいいたげである。今までの都知事が酷過ぎたから、まあ何とか劇場になるのも仕方がない面はある。だがそれにしても、幾らなんでも騒ぎ過ぎである。空洞があれば混凝土でも流し込めば佳かろう。全国区の話題になるような話しでもなし。地方自治の教材にはなるだろうが、そろそろ終わりにして欲しい。


9/29・木
 出張所に戸籍謄本を取りに行くも、吾人と万代伯母が同時に載っている戸籍は存在しないと言われる。老家人と万代伯母、吾人と老家人の二通の戸籍を合わせればよいが、前者は大変古い戸籍らしく、本庁舎でないと発券出来ないとのこと。敢え無く門前払いとなる。つくづく戸籍制度など面倒である。
大体戸籍があるのは東アジアだけであろう。グローバルスタンダードに合わせて廃止して欲しいと思った。尤も戸籍制度自体、古代世界のグローバル化、即ち中国化の遺産ではあるが。それにしても、何をするのも、腹が立つほど面倒臭い。平時ですら此の有様なのだから、災害でも起きて、罹災証明書一枚発行するのも大行列というのも何となく想像が出来る。本当に何とかならないものだろうか。
 午後千寿に。何だか再び咳が出るので博多ラーメンを急いで食べて帰宅。市販薬の残りを投入。今日も異様に蒸し暑かった。


9/28・水
 今日は参議院の代表質問。RH代表が壇上に立っていた。やや早口かな。速く読むから、読み飛ばしや読み間違いも多かった。もっとゆっくりと堂堂と演説すべきであると思った。大体国会中継など、高齢者以外聞いていないのだし。
 今日も異常な高温と多湿。草取りも出来ず。午後出社。退社後は碑文谷の立ち飲みBへ。超満員でまともな給仕を受けられず。直ぐに出る。家で冷凍うどん。


9/27・火
 銀行の人が相続人である秋子叔母さんの様子を確認したいというので、吾人も序に会いに行く。と言っても、叔母は狛江の家を既に引き払い、昨年から海老名近郊の施設に入っている。吾人も初訪問である。海老名の駅で優子さんの自家用車に乗り換え。入居当初は色色とあったようだが、叔母は概して元気そうである。但し頭の方は体より先に弱って仕舞い、万代伯母の事もよく分からないよう。一応亡くなったことを伝えると、悲しむことは悲しむが、またすぐに忘れて仕舞うようである。遺言書の読み上げ等は最低限にして、一時間ほどで終了す。
 其の後、清二さんを交えて会食。実に十数年ぶりに顔を合わせた。一種の弔問外交である。飲水病が悪化して具合が悪そう。また優子さんは次の相続税を相当気にしている様子。今回は何とか払えるが、その次となると、吾人としても自信がない。というかそもそもそんな先のことまで考えられず。相続放棄若しくは贈与により、土地を吾人に集約させた方が佳いと言う。併し今更遺言書の書き換えも出来ない。何だか逆相続争いの様相である。土地があったらあったで、つくづく面倒である。都市部の地価が異様に高いからである。
 昼酒の後、駅まで送って貰って帰った。六時帰宅。九時就寝。今日も異様に暑かった。併し海老名駅前も変貌著しい。もう少し時間があれば、色色と見聞してみたかった。


9/26・月
 二日連続で晴れるには晴れたが、今度は異様に蒸し暑い。誰も何の注目もしていないが、今日から臨時国会。馬鹿馬鹿しい所信表明演説でも聞いて腹でも立てようと思ったら、沖永良部島辺りで地震があり、国会中継は中断。其れっ切り、出社す。
 退社しようと思ったら、今度は通り雨。這う這うの体で、碑文谷の立ち飲みBに避難す。此の店は本日オープンとのことだが、フランチャイズ方式の出店の為、本店等との人事交流は無し。従って知った従業員も居らず。一人で飲む。其れだけでは足りないので、矢鱈麺が歯にくっ付く店で博多ラーメン。下らない一日の労苦を却って進行させてから帰る。


9/25・日
 朝から漸く晴れた。咳は概ね収まる。家人は鎌倉へ。昼は老家人とコンビニ食。遅蒔きながら、咳と痰に効くという市販薬を購入。二日分で千円弱。市販薬評論家には現世でも成れるかもしれないと思った。雨と風邪で何も出来なかったが、所謂シルバーウイークも終了。木も草も伸び放題である。


9/24・土
 ずっと秋雨。痰の絡んだ咳が多くなる。昨日より具合が悪い。痰は概ね無色。鼻水は一切出ないが、鼻の奥から喉へ滴り落ちているに違いない。今回はどういう風邪なのだろう。それにしてもよく風邪を引く。風邪の症状より、その異常な罹患率の方に落ち込む。来世は医学部を出て、風邪の研究者に成りたいと思った。御昼から大雨。今月は雨の降らない日は二日だけだという。


9/23・金
 朝方は大雨。発熱発汗を繰り返した結果、明け方には概ね改善す。確かに凝った感じも解消す。なるほど、「風邪の効用」というのもあるのかもしれないと思った。午後になると再び発熱。金曜欠勤。喉は少し痛い。残り物のポンタールを服用す。思い起こせば、連休の辺りから異様に眠たかった。此れも前兆現象と言えよう。家で寝ているとわかるが地震多し。多くが震度一程度。ネットで調べるも震源はまちまち。


9/22・木
 朝方は大雨。昼になっても大雨。秋分の日。仲田大将に野球観戦に誘われていたので東京ドームに向かう。招待券を貰ったという内野指定席は、なかなかの眺め。当然巨人側である。本妻さんである節子さん、月波君も同席。吾人が誘われたと云う事は、当然相手は中日である。併し実に久久の野球観戦だと思った。
 三対二でリードしていたところ、九回裏二死から逆転ツーランホームランを打たれ、あっけなくゲームセット。まあ大将が喜んでくれてよかった。何よりも淡白な消化試合だったから、試合時間が短くて本当に助かった。二時間十八分で終了。正直長い試合なぞは見て居られない。併し今年の中日は最下位確定だな。選手にまるで覇気がない。
 其の後、立ち飲みBの水道橋店を訪問。だんだん大将が泥酔して来たので神保町まで散策。蕎麦屋で休憩してから帰った。八時半ごろ帰宅。正直吾人も体調がよくない。直ちに就寝す。夜半に掛けて発熱す。なるほど、あの痛みは風邪の前兆であった。


9/21・水
 台風は去ったが、結局元の秋雨に。午後出社。昨年辞めた何も喋らない女の子が、同じ学校の新しい友達を連れて戻って来たが、矢張り此の子も何も喋らない。女は無口な方がいいとは演歌の世界の話であって、教える方としてはやりにくいこと此の上なし。意思疎通が苦手な子が、つとに増えたと感じる。お話しする力のことを、最近ではコミュニケーション能力とか対人スキルなどと言うらしいが、学業成績以上に、こういうものを向上させることは難しいだろう。何れ会話能力等等を数値化して序列づける時代が来るかもしれない。余りぞっとしない未来であるが。夜は再びの降雨。立ち飲みBで雨宿りの後、帰宅す。碑文谷で更にとんこつ醤油ラーメン。
 日銀はマイナス金利も含めて金融緩和を維持するとのこと。かの一般の理論でも、「スタンプ付き貨幣」(貯め込んだ紙幣を使うときは印紙を買って張り付けなければいけないというアイデア)というものは好意的に描かれているから、御金が腐って少しずつなくなるというマイナス金利政策も、ある意味では真っ当な政策なのであろう。ただマイナス幅を拡大するとなれば、不動産や株への投機的移動が始まり、再びのバブル経済に陥る。既に都心は過熱気味である。何はともあれ、デフレ脱却はどうにも出来そうにないことに変わりは無し。ただ二パーセントの物価上昇という看板は下ろすとのこと。遅きに失したが、総裁にも多少は現実が見えて来たのだろう。空気が変わったのか、何だか小咳が出る。右肩右腰、右膝も痛む。不定愁訴のオンパレードである。


9/20・火
 昨日からずっと雨。草取りも出来ず。台風は列島の南岸を接近。雨は次第に激しくなる。こうなると何もすることが無い。午睡とポコポコとケインズを繰り返す。中中難しい。吾人も経済学部でも入り直すかな。併し純粋な意味での金利生活者というものは、此の歴史的超超低金利で居なくなったが、日本は地価が高いから、地代生活者というものは結構多いだろう。但し莫大な相続税が掛かるが。
 風は吹かず。西から近づいた純正な台風だったから、関東に来る頃には漸減していた。気温は低いので、久久に湯船に入る。


9/19・月
 昨日までの収穫物を出す。70リットル入りの袋二つと、45リットル一つにぎゅうぎゅう詰め。拙宅近辺は各戸別回収になっているが、袋が重いと収集する人が気の毒なので、斜め向かいのマンションの集積場に纏めて出すことにしている。単身者を中心に三十世帯ほどは住んでいるようだが、拙宅の雑草だけで、全体の三分の一近く、重量ベースでは過半を占めるであろう。何度も言うが、ゴミの収集だけは誠に有り難い行政サービスである。
 安保法成立から丁度一年。自衛隊も海外出動に備え、具体的な訓練を始めるそうである。其れがどの程度であるかは知らないが、米軍などは、路上に仕掛けられた爆弾が車両の真下で炸裂し、運転者等が手足を吹き飛ばされた時の緊急止血法などという訓練もしているそうである。想像しただけでも、つくづく恐ろしい。
 敬老の日。自宅に籠って居てばかりではいけない。台風接近により天気は下り坂なので、東急バスの一日券(510円)で外出す。まず成城へ。更に二子へ。多摩川べりの中古チェーン書店に寄る。ケインズの一般理論の新訳の上下、加藤周一自選集の(四)を入手。1500円。結構お得だった。其の後、二子から丸子橋に移動しようと思ったら、バスは小杉まで延長運転するというので、其のまま乗り通す。
 併し二子も小杉も全く違う街になったものである。ただ東横線の北側はまだまだ古い。色色と散策するも、鳳生二高寄りの丸専というラーメン屋は、例によっての大行列で入れず。止むを得ず反対側のバスターミナルの古い中華料理店に入る。昼時だが御客は吾人只一人。肉野菜炒め(680円)に麦酒を一本。後後のラーメン(500円)で流し込んだ。併し三十年前の味であると思った。それでいて値段は現代風だから御客も来ないな。中華そばから生姜焼き定食まで色色出て来る街場の中華屋さんの事を、「町中華」というらしいが、王将や日高屋や東秀などという中華チェーンが続続出来たから、商売も立ち行かなくなると思った。新丸子まで歩き、大きな魚屋で貝を買う。小雨が酷くなってきたので電車を使って帰った。日没以降大雨。ホンビノズという外来種だったので、怪しんだ家人に滅多矢鱈と加熱される。酒蒸しにしたのだが、身がこちこちに固まり堅くて食べられず。大半は廃棄となる。どうにも食運がない日。


9/18・日
 秋雨に戻る。午後は止む。草取りと買い物、掃除と片づけ、休憩とラインポコポコを繰り返す。他は無為。夜から再びの雨。数日来の暴飲により、日中何度も上厠す。小食に努める。
 何度も言うが、草だけは無限に生えてくる。併も大半の植物というものは草食性の動物に食べさせ、其の肉や乳を利用する以外に、人間には何の役にも立たない。何とか新しい活用方法を、誰か発明してくれないだろうか。兎に角、物凄い資源量である。バイオエタノール? 作れるのかな。


9/17・土
 今日から四連休。併し何の予定も無い。再び区から書類が送られてくる。高額医療費を払い戻す用意があるが、本人は既に死亡しているから、相続人が書類を書いて送り返せと言う。しかも今度は、死亡者と相続人の関係が分かる戸籍謄本または抄本まで提出せよとのこと。もううんざりである。
 結構晴れて、結構暑い。多少の散歩と草刈りと低木刈り以外は無為。また台風が来るのだという。夜は王将の生餃子を買って来て、焼いて食べた。吾人には馴染みの味だが、家人には案外好評であった。皮がもちもちとして旨いという。


9/16・金
 今日も秋雨的曇り。午後出社。暇なので早目に退社したが、特に行くところも無い。大体立ち飲みBは満杯である。久久に中華立ち飲みを覗く。鶴木さんは居たようだが、見知らぬ大量のおじさんたちがいる。知らない人たちに合わせた下らない会話をする気にもなれず、愈愈行き場がないと思った。とうとう行き詰まったと思った。
 仕方がないので、天祐寺の焼き鳥Bに参る。以前、仕事場が嫌だ嫌だと言っていたH君も、はきはきと勤務していて安心す。機嫌よく帰ろうとすると、其のH君から、愈愈退職することにしましたと挨拶される。なるほど機嫌がいいのは、所謂有終の美と言う奴だったか。近くのコンビニで飲み物を買い、適当に差し入れしてから帰った。併し此れでまた知り合いが一人居なくなり、行くべき店も一つ減ると思った。


9/15・木
 兄弟、親子、祖父母と孫など、家族間の殺人多し。日本はアジアにありながら核家族化した珍しい社会であるから、止めに入ってくれる親戚縁者が不足しているのであろう。それでいて、家族など他人の一種と突き放すこともできないから、ついつい家人に余計な期待を抱き、その期待が果たされないと矢鱈と腹を立てているのだと思った。
 朝方は大雨。今日も曇り空。詐欺電話が掛かって来て、家人は割と途中まで聞いて仕舞ったそうである。大体、取り過ぎた介護保険料の二十円を還すと云って、封書に何枚も書類を送って来るのが行政の仕事である。電話一本で一万五千円ほど返しますなどと言う訳がない。申請だ、いや今度は支払いだなどと連日大騒ぎをしているから、ついうっかり信じ掛けたのであろう。それに最近の詐欺電話はフリーダイヤルで掛かって来るから、案外油断は出来ないと思った。
誰も何の期待もしていないが、民進党の代表にはRH氏が選ばれる。二重国籍などと言う下らない問題で色色と絡まれたが、まあこういう経験も政治家としての糧になれば、無駄ではないであろう。攻守ともに強くなければね。それにそもそも中華民国中華人民共和国と日本国の微妙な三角関係である。専門家でもよくわからないのが実際である。
 夕方千寿に出校。多少早目に終わったので、駅前の飲み屋街を探索す。客引きの魔の手を逃れつつ、「加賀屋」という焼き豚屋に。もつ焼き一本110円。キープボトルは一升瓶。店内は御客と豚の脂がびっしり。こういう感じの店は田園都市線沿線には一つも無いから不思議である。更に地元でラーメン。合わせて2500円余り。


9/14・水
 今日も秋雨模様。昨日の計算だと、数年にわたる介護生活と、微妙な地価の上昇により、思ったより御金が残らないらしい。両家人共共がっくり気味である。併し今更相続税対策など出来ないから、後の祭りと言うやつである。其れに更なる要介護者が出れば、一千万単位の御金が僅か数年で消滅して仕舞うだろう。拙宅の家計も思っているほど易しくはないという事実に思い至る。中間層から貧困層に転落というのも、あながち冗談ではないかもしれない。月命日と云う事で葬儀社から花が送られて来る。もう一か月、まだ一か月。死んだ人は税金を払わなくていいから、万事気が楽でいいと思った。
 午後大貧学院に出社。こんな馬鹿な会社で阿呆みたいなことをしているから、御金が足りなくなるのである。無責任社長の顔を見ているだけで腹が立ってくるから、一切顔を合わせ無いようにした。もう職場近くで飲む気もしない。イオン系のミニスーパーで御つまみ類を買い、其のまま帰った。


9/13・火
 豊洲新市場は必要な盛り土工事をしていなかったりと、最早底なしの状況。もう移転は無理だろう。あの建物はゴミのリサイクル工場にでもするしかなさそう。毟り取られた税金を返して欲しいと思った。
 午前中は大雨。午後は信託銀行の人が来る。優子さんも交え、伯母の遺言書の開示。まず、長長と遺言書を朗読す。特に異議も無い。試算によると、何とか諸諸の税金等も伯母の遺した預貯金で支払えそうとのこと。紙に印刷された御金は、文字通り紙切れになる心配があるが、土地と建物さえあれば、また稼ぎ出すことが出来る。一所懸命、気分は鎌倉武士である。ただ伯母の準確定申告は当方がやらなくてはならないとのこと。また恐怖の書類の作成であると思った。
開示作業等等は二時間ほどで終了す。吾人より年上の、そもそもの給料が高い銀行員が三人も来たから、此方の手数料も高い。概ね高級乗用車一台分になる。併し税金で取られることは分かっていたのだから、少しは隠し財産でも作っておくべきだったと後悔す。その場合は結局箪笥銀行かな。現金はやはり危ない。
 それにしても物凄い額の納税である。其の上、折角納めても、大方無駄なコンクリートに使われるだけである。日本社会でリバタリアニズムのような思想が流行しないのが不思議とも言える。まだまだ日本人は真面目に納税していると思った。草臥れたので、夜は冷凍食品。また漸くもんじゅ廃炉にしてくれるとのこと。此れで何百億円かは救われる。


9/12・月
 概ね曇り。昨夜も飲んだ抗ヒスタミンの副作用からか、終日ぼんやりとす。午後出社。退社後は久久に立ち飲みBに入る。併し御酒を飲んでいても、何だか少しも面白くない。鬱状態だと思った。自転車保険の更新。3990円。


9/11・日
 以前、金利ゼロの日本経済は資本主義ではなくなってきていると書いたが、既に市場経済でもないらしい。公的資金を使って株式を買い漁った結果、かなりの数の上場企業の筆頭株主が政府系機関なのだという。立派な統制経済である。而も買うだけ買って後先の事は何も考えていないというから、無計画経済である。
 秋雨前線が伸びて来て朝方は小雨。漸く涼しくなる。御昼は久久に自転車で出掛けた。三キロ先の幹線道路沿いの「とむちゃんラーメン」に入る。ずっと前からある店だが、バスやタクシーで区内を行ったり来たりしている内に、此の店が段段気になっていた。赤い看板にコの字の古いカウンター。まるで田舎道のラーメン屋である。名物だと言う、とんこつではなく、トンコクラーメンを味わう。640円。麺は細目ストレートだが、味は豚骨醤油に近い。家系ラーメン登場前の素朴なこってりラーメンといったところだろう。例えるなら八十年代の味である。色褪せた看板には未だに加盟チェーン店を募集していると出ていたが、本当だろうか。再び自転車で帰る。夜は秋刀魚を焼いて食べた。根室産とあったから、輸送が大変だったろう。根室線は復旧の目途すら立たないらしい。


9/10・土
 結局宿酔気味。午前中に仏壇の納入。家具調の落ち着いた感じ。御供えを乗せる板なども出たり入れたりと可変。最新のシステムキッチンに似て、よく出来ていると思った。但し国産材の国産品にしたから物凄い価格。此れも内需拡大である。
チェーン店で300円の「ざるうどん(小)」を食べ、午後は断続的に草取りに取り組む。日差しは何とか避けて作業したが、イネ科の雑草の花粉は避けられず。くしゃみ止まらず。結局抗ヒスタミン
 セントラルリーグでは広島が四半世紀ぶりに優勝す。中継を見ていたが、選手も観客も感極まった様子で、どう喜んでいいのか分からないといった雰囲気があった。併し本当のファンというものは何十年も待てるのだな。何時いつの日か、再び政権交代が起こるだろうか。


9/9・金
 北の方でまた何某かの実験が行われた模様。皇帝も旧式な通常兵器では敵わないと観念したのであろう。高性能なミサイル部隊と危ない弾頭さえあれば、撃ち滅ぼされないと考えているらしい。其れに多くの余剰軍人も農作業等に振り向けることも出来る。合理的と言えば合理的な判断である。
併し何だかもう手が付けられないな。幾ら経済制裁をしても、図面や部品の類は漏れ伝わって仕舞うあたり、此れもグローバル化の影響なのだろう。いっそ恐れ入りましたと平れ伏すことにして、北の軍人を駐屯させてみたらどうだろう。彼我の余りの生活水準の違いに激怒して、本国に戻ってクーデターでも起こしてくれるかもしれない。ミサイルも生活も五十年は遅れているのだから。
 今日も暑い。夕方本務校に出社。先週と先先週は事実上のサボタージュ。八月の二回は千寿校だったから、本当に久しぶりの金曜出社である。併し然したる感動も無い。早目に退社す。晴雷亭とバーIに行くも誰にも合えず。どちらの店も暇だったので、店主らとは結構話しした。前者の亭主は検査の結果が真っ黒であったと、Iの店主は膀胱に穴が開いて散散な目に遭ったと、どちらも病気の話しであった。十一時前には帰宅。


9/8・木
 降るぞ降るぞといった大雨は結局降らず。雨雲は全部北関東の方に行って仕舞ったよう。但し午後は一雷あった。
 小平霊園門前の石材屋さんに電話して、納骨と四十九日法要の段取りをつける。その際、墓誌に刻む戒名等等を至急知らせてくれと言うことになり、ワードで作った文書をファクシミリで送信す。併し拙宅の電話機兼ファクシミリ機を使用するのは、開闢以来初めてのことである。まず分厚い取り扱い説明本を探し出すことから始めねばならなかった。ピーヒャラヒャラピーと懸命に送信したが、いやしかしファクシミリというものは、メールより全く信頼感がない。直後に先方から無事届きましたという電話があって一安心す。
 午後遅く千寿に出校。本日は『人口と日本経済』という新書を拾い読みす。人口減少は必ずしも日本経済には打撃ではなく、高付加価値の物やサービスを売り出すことが出来れば、まあまあの経済成長が期待出来るというのが著者の立場である。其れもそうだと思った。牛丼やハンバーガーばかり食べてないで、偶にはきちんとした料理屋に行き、美味しい物を食べられれば、今夜は贅沢をしたという佳い気分にもなるし、第一にGDPも増えるであろう。併し既に多くの中間層が零落し、更に多くの国民が一円でも安い生活必需品を買い求めるために右往左往しているような現状である。其れもまた難しいことであると感じた。要は給料、即ち労働分配率が低すぎるのである。
 退社後は先日の七ちゃんに参る。一本100円の焼き鳥と、一杯250円のクエン酸サワー等を複数消費す。1400円。濃い目の焼酎甲類を相当飲んだから、帰宅は十二時近かった。



9/7・水
 台風と前線の影響で漸く朝から曇る。併し湿った空気が入り、曇った分しか気温は低下せず。降ったり止んだりを繰り返す。すると御昼には晴れて結局暑い。午後出社。退社後は920円の付け麵で御仕舞。
 併し夜になっても、「暑い」か「蒸し暑い」かのどちらかの言葉しか出て来ず。「あたりまえのことをいうな」と石原吉郎あたりに怒られそうである。「言葉がむなしいとはどういうことか。言葉がむなしいのではない。言葉の主体がすでにむなしいのである」(「沈黙と失語」)。体を外と中から冷やしたら、だいぶ涼しくなった。夜半から雨。


9/6・火
 昨日以上の真夏の暑さとなる。こうなると作業も出来ず。草も枝葉も伸び放題である。ところで、ふた月前にばっさり切った楓だけはあんまり生えて来ない。葉先も縮れて変色している。どうも暑さにやられたよう。秋には佳い枝垂れ紅葉となるので、枯れて仕舞わないか、はらはらと見ている。剪定など木にとってみれば、大怪我のような物なのであろう。併し名も知らぬ雑木だけはすくすく生えてくる。また台風が来るという。夕方になり、スーパーに焼いた秋刀魚を買いに行ったら、一匹300円もするのでやめにした。確かにまだまだ暑くて暑くて、秋刀魚と言う気分でもない。


9/5・月
 昼過ぎになってもぼんやりとす。吐き気等は無いが、何をしても直ぐに漫然となる。大変頭が悪くなった感じ。生憎、今日もかんかん照り。日中何と三十三度にもなる。窓外を見ているだけでくらくらす。
 午後ふらふらと出社。今頃になって読書感想文を書いてくれと言われたが、こういう時はキーボードも速く打てない。口述筆記と行きたいところだったが、這う這うの体で、「走れメロスの突っ込みどころ」というタイトルで二千四百字ほど書いた。
 併し相変わらず滅茶苦茶な物語である。そもそも此のメロスと言う主人公自身、突如として王の暗殺を思いつくなど出鱈目な性格であるし、王や石工など出て来る人物も悉く幼児性が抜けていない。こんな奇妙な御話がどうして中学校の教科書に出続けているのか、少し考えて見れば不思議である。退社後も不二蕎麦に行って御仕舞。410円しか使わず。昨夜の二十分の一といったところである。夜も暑い。一体いつまで暑いのか。帰宅後は缶ビールを一つ。ほぼ休肝
 深夜になり、頭が割としっかりとして来たので、「走れメロス」に関する論文を検索してみると、幾つか出て来る。教育界でも色色と議論になっているらしい。生徒や先生にああだこうだと討議させ、批判精神を養うのが授業の主眼であるとしたら、文部省も随分と革新的になったものである。


9/4・日
 朝は小雨模様。次第に晴れて暑くなる。先週延期した月波君に会うために夕方目黒に参る。まず蔵前と言う何時もの大衆酒場へ。其の後、新店を開発しようとぶらつく。丁度蒲田の中華屋の支店があったので、入って見た。なかなか安くて良かった。例によって紹興酒を大量に飲酒す。ところで月波君は十年掛かりで、経済学部の通信課程を卒業したとのこと。併し学士を二つも取って、一体どうするのだろう。カルチャースクールの一種だと思った。生涯学習即ち、生涯学部学生である。十時には帰宅するも、徐徐に酔いが回り、次第に前後不覚となる。


9/3・土
 首相Aは、ウラジオストックに露大統領を訪ねる。ファーストネームで呼び掛け、御満悦の様子であった。併し返してくれと言って、返すような相手でもなし。気長に経済協力していくしかないだろうな。ところで、中国に気を付けろという人はうんざりするほど沢山いるが、ロシアに注意しろとは誰も言わない。幕末以来のロシア脅威論はまるっきり鳴りを潜めているから不思議である。
 四時起床。五時から周辺のゴミ拾い。六時過ぎに牛丼Sへ。並盛と味噌汁と生野菜。昼はとんこつ醤油ラーメンと、食欲全開である。その合間合間に草蔦を引っこ抜く。日中三十度程度。真夏より幾らか涼しい筈だが、此の時期の暑さは却って身に堪える。日中夜間と冷房を多用す。
 誰も何の注目もしていないが、民進党の代表選挙が始まる。まあRH氏の国民的人気というものに期待する以外に手が無いのが現状である。怒ってばかりという印象が強い同氏だが、最近は器の大きさもアピールし始めているよう。野党のリーダーならば、概ね与党に噛みついていれば良いが、現実に権力を担うには度量の大きさのような物も必要であると気付いたのだろう。あと少し愛嬌があれば・・・と言って仕舞うと性差別だろうな。いやいや、人間一つぐらい弱い所があった方が愛されるものである。


9/2・金
 朝から晴れて暑そうだが、偶には出掛けることにした。実に六月以来、二十三区を一歩も出ていなかった。というか足を踏み入れたのも目黒、品川、足立区程度で、職場関係以外全くなし。こういう時は、特急列車に乗りたい。手っ取り早いのは小田急ロマンスカーだが、箱根というものは明るすぎて宜しくない。となると、矢張り西武のレッドアロー号と言うことになる。池袋を十時半の列車で出た。
 平日の午前中に秩父に行く人などほぼほぼ居ない。列車は空気輸送である。窓位置が悪いので、一つずれて座ることにした。缶麦酒の栓を開け、悦に入っていると、所沢で一人乗車。選りによって此の座席だという。思わず「ここ!?」と素っ頓狂な声を出して仕舞った。通路を挟んだ反対側など誰も居ないのにもかかわらずである。数少ない乗客をわざわざ固めて座らすことも無いであろう。どうにも西武の発券システムも賢くないと思った。こういう点でも私鉄は既にJRに追い越されていると感じる。
 秩父に着くと案外人が降りている。と言っても一車両七人として五十人程度。ロマンスカーとは一ケタ違う。此れでは西武も大赤字である。併し此の線が本当に軽井沢まで伸びていたら、どうなっていただろうか。当の西武鉄道はへんてこな投資集団に絡まれて困っていると聞いているが。
秩父仲見世街も工事中と云う事で、見るべき店も無い。其のまま秩父鉄道御花畑駅に行く。すると半分くらいが外国人観光客となる。成程、平日の昼にローカル線に乗るのは、高齢者か観光客、中でも免許の無い渡航客の割合が必然的に高まる。何れ日本中の過疎鉄道やローカルバスを、外国人観光客が乗って支えるような時代が来るかもしれない。
 三十分ほど待ち、やって来た東急の中古電車に乗る。長瀞駅下車。併し暑くて暑くて観光どころでなし。其れに川の水も濁っていて風情も台無しである。そうなると観光地食堂のような所に避難するより手が無い。大して旨くないかつ丼を食べて御仕舞。早速帰ることにした。来た道を戻るのでは面白くないので、其のまま秩父線に乗り、今度は寄居に向かう。併し秩父鉄道には毎駅毎駅、きちんと駅員がいるから感心す。大昔の鉄道を髣髴する。
 寄居の駅前の余りの寂れように驚く。最早撤退あるのみである。併し東上線には速い列車など何もない。只管急行に乗り、途中からメトロに乗り換え。結局三時間近くかけて世田谷まで辿り着く。何だか牛飲した結果、胃がざらざらである。帰宅後は絶食、断酒す。それでもまあ久久に列車に乗れて楽しかった。巷間では鉄分補給と言うらしいが。


9/1・木
 再び「年金ダイヤル」に電話す。六七月分の年金を返納する旨を伝えたところ、年金の返納を申請する書類というものは存在しないとのこと。放っておけば、何れの日にか、返せという通知が来る筈だから、其の時に対応して欲しいと言われる。成程そういうものか。ならば、「申立書」も頑張って書こうかな。
 今日もかんかん照り。防災の日である。官邸は「南海トラフ」の大地震を想定して訓練していた。以前は東海地震だった筈である。其の「東海地震(が来るぞ)説」も、静岡県地震学者にとっては予算獲得のための「打ち出の小槌」であったと、東京新聞が「予知信仰の崩壊」という記事で伝えている。何しろ熊本で大地震が、北海道で大洪水が起こるのだから、小槌には事欠かない。例の国土強靭化と言うやつである。巨大な利権だな。昔陸軍今防災である。まあ軍備に費やすよりまだマシだろうけど。
 なお根室線は鉄橋が崩落。「おおぞら」も「とかち」も長期運休とのこと。ひとつ前の台風で「オホーツク」も止まっている。此れでまたローカル線の廃止に拍車が掛かると思った。此方にも国庫の御金をもっと入れるべきである。
 午後千寿に出校。今日は『世界(九月号)』を通読す。経済記事が多くて読みごたえがあった。経世済民は国の基本である。やはり憲法よりかは・・・。憲法学者には申し訳ないが・・・。かくいう吾人も最初に入ったゼミナールは憲法であったのだが・・・。ところでE先生はお元気だろうか。ライバルの京王のK先生は、怒りに震えるほどお元気であるが。
途中散髪す。退社後は牛丼Yへ。新発売の生姜焼き定食を注文す。490円と安いから、おかずの量が極端に少ない。麦酒のあてに肉を幾切れか摘まんだら、すっかり御飯が余って仕舞い困った。いっそ汁かけ御飯にしようかと思ったが、吉野家の味噌汁はインスタントぽくて旨くないからやめにした。湿度が高く、相当蒸し暑い。