2017年2月

2/28・火
 予算審議は今日から参議院に移る。当然予算規模も過去最高。まあ其の中でも社会保障費が増大するのは致し方なし(万代伯母も沢山使ったことだし)。尤もマイナス金利政策により国債の利息は嘗てないほど低い。利払いが減ってみんなすっかり安心しているようだから、財政規律はますます失われるな。誰も財政財政と言わないもの。まあ万が一にも景気が回復して金利が再上昇することなど、正直考えられないけどね。どちらしてもこういう幸運は長くは続かないだろう。
 件のウルトラ幼稚園に首相夫人が頻繁に出入りしていたことが追及される。A夫人というのも頼まれれば断れないタイプらしい。余程人がいいのだろう。併し居酒屋をやったり宿屋をやったり、エコロジストのような家庭内野党のようなと、丸で思い付きで動いている印象である。そう言えば、此の人のことを真面に考えることは今まで一度も無かった。何にでも共感しやすいタイプなのだと何処かの記事で読んだことがある。詰まりからっぽなんだろうな。晴れたが一日寒い。取り立てて無為。


2/27・月
 一日曇りで結構寒い。午後出社。明後日からは三月である。愈愈今年度も終了モード。今年は早かったな。大体どの学年も真面に指導した感じがしない。六月以来緊急事態の連続で、気が付いたら秋も終わりの頃であった。ひとを一人、あちらへ送り出すのも大変である。退社後はラーメン屋と立ち飲みBで一杯ずつ。段段花粉が飛んでいる。


2/26・日
 一日晴れ。漸く暖かい。日中は買い物と片づけ等等。時刻表を買い忘れていたので、昨日の本屋に再び参る。今回の改定は小幅なのでどうと云う事は無し。併し本屋が無くなると、こういう芸当も出来なくなる。街に彩りを与えるから、何処かの国では花屋の家賃は安くする慣習があると聞いたことがある。其れに準えると、本屋は街を知的にするから、やはり安く貸してやるべきであろう。夜は鍋もの。


2/25・土
 一昨日の事故は機関車の整備不良が原因らしい。北海道としては貰い事故であった模様。日中は宿酔気味。おまけに昨日の嫌な記憶もなかなか消えてくれない。こういう時は面白い本を読んで記憶を上書きするに限る。夕方近くに本屋に行き『サピエンス全史』を上下巻とも買い求めた。併し此の本屋も来月閉店だという。ビデオレンタル店を併設しても駄目だった。あんな本屋でもなくなると困るな。
 さて同書であるが、人類は農耕を始めたことで、却って馬鹿になったという記述が痛痛しい。狩猟採集民は生き延びるためにあらゆる部署を最大限使っていたのに対し、農耕民は作業が単純化された分、頭も体も一部分しか使わなくなったからである。勿論、現代人は更に・・・。夜は焼き鳥と冷凍の餃子。当然、鳥を掴まえる訳でも、皮で包むわけでもなし。全てアウトソーシングである。こういう文明は何時か滅びるかな。既に人間の方は滅んでいる感じだし。


2/24・金
 昨日未明に脱線した貨物列車の撤去が未だに出来ず、函館線の特急は運休。最早末期状態である。ふるさと運賃制度は無い物か。幾らか本当に寄付してもいいと思った。
 朝から結構寒い。老家人が病院に行きたいというのでタクシーを拾いに行く。家人と交代で数十分立っていても、一台も掴まらず。数十台、全て実車か迎車か回送であった。結局よろよろとバス停まで歩いて行くこととなった。丁度いい運動だな。最近のタクシーは初乗り運賃を下げたから、値下がりしたと勘違いしている人が多いのだろうか。
 其の後吾人も診療所へ。例によって1450円。年寄りのため渋滞していて三十分も掛かった。其の上、下の血圧が高いと散散怒られる。降圧剤まで処方されそうだったので、慌てて逃げ帰った。高い高いと言っても九十である。もうあんな迷惑な診療所は御免である。高脂血症薬は市販されていないんだっけ。
 午後早目の出社。都合により低学年の授業を担当す。幸い躾のいい子だったので、そんなに苦労はしなかった。それでも正直、小さい子の面倒などもう見られない。何しろポンコツ先生である。ところで保育士が直ぐに辞めて仕舞うとしばしば問題になっている。対策として待遇面を改善すべきだということになっているが、事の本質は、御金ではなく、草臥れて仕舞うことにあるのだと思う。何しろ自分がどんどん年を取って行くのに対して、子どもは子どものままだから、差は開く一方である。従って子ども相手の仕事というのも何年も出来るというものでもない。
 そういう点で考えると、幼保の先生は三十歳、小学校や塾の先生は四十歳、中学高校は五十歳ぐらいが、定年時である。勿論、適度にやる気と脂気の抜けたポンコツ先生がいいという分別ある児童生徒も居るだろうが、元元そういう通好みの生徒は多くない。其れに昨今の教育現場は苛烈を極めるから、ポンコツ先生ではなかなか務まらないだろうし、また先生のポンコツ化も早いのだと思う。また先生にそんなに早く辞められて仕舞っては、先生が足りなくなるという心配もあるだろう。ならば中途採用を増やせば済むことである。四十歳でリタイアする先生がいる一方、四十一歳でデビューする先生がいてもいい。いやむしろそっちの方が、上手く行くかもしれない。
 退社後は大将主催の金曜会。総勢七名が集まった。実に久久である。X女史のお子さんも高校受験の最中だから、大将と逢瀬を愉しむわけにも行かないのだろう。併し余りに久久すぎて、何だか会話はぎこちない。話題となるような情報が共有されてないからである。其の上、大将が全部支払うと言い始める。一次会からそういうことをされると拙い。払わせろ、いや要らないの押し問答となる。とうとう吾人が激昂して、そんなに御金が要らないのなら、トイレに流すか、厨房のコンロで焼いて仕舞えばいいと、声を荒げる事態となった。自分でも何でこんなに怒っているのかよくわからないが、兎に角そういうことになって仕舞った(数日来、何も面白いことが無かったからであろう)。反省しきりである。気を取り直して、其の後二軒ほど飲みには行ったが、心の固さのようなものは残った。一時半頃帰宅す。


2/23・木
 ふるさと納税制度というものは全く知らない。此の制度を初めて聞いた時、地方出身の人が自らの出自を思い、概ね十八まで自分を育ててくれた野や山や川や海や県立高校に感謝して、出身地(本籍地?)に幾らかの納税をする制度であると勝手に想像していた。実態は全く異なるとのこと。今や返礼品の通販市のようなものに成っているのだという。それで世田谷区などは十数億円も住民税が流出したらしい。まあ、みんなついうっかり選り取り見取りの商品に釣られたのであって、厭厭世田谷に住んでいる訳ではないと思うところであるが。都市から地方に御金が回ることは結構なことに違いないが、もう少しどうにかならないものかと思った。
 午前中は小雨。午後遅く千寿に。中学三年の授業は今日で御仕舞。其の後は高校の数学。積分など数年ぶりに教えるから、微分積分を何度も言い間違えた。微分は点に、積分は面になるんだったっけ。もはや万事思い出せず。吾人も愈愈焼きが回った感じである。阿川弘之の表現を借りれば、ポンコツ車ならぬポンコツ先生だな。そろそろ廃車手続きに入りたいと思った。
 退社後は寿司の「大江戸」へ。併し御客もネタも少なく既に閉店モード。少し飲んで退散す。活気がない回転寿司屋などでは人間観察も楽しめず。風が強く、花粉酷し。


2/22・水
 官有物払い下げ事件がまた起きた模様。格安で仕入れた国有地に小学校を作る予定なのだという。元元は「Aシンゾー記念小学校」にする予定だったから尚驚く。本当にA辺りが関わっているとしたら一発辞任ものであるな。併し付設の幼稚園では教育勅語を暗唱させられるというから、右翼学園もあったものである。
 また最近では幼保でも国旗国歌を押し付けているらしい。保育園入れてやったから日本に感謝しろと言う塩梅なのだろう。つくづく酷い国である。まあ愛国教育などいうものは、やればやるほど、却って反発するものであるがね。
 早速税理士事務所から回答が来る。包括遺贈なのか特定遺贈なのか微妙な所だが、前者の方が税金は安いらしい。今回は包括遺贈と云う事にして書類を出した方がいいと言われたので、その通りにした。日中曇り勝ち。御向かいの基礎が完成したらしく、混凝土の隙間に残土を猫車で埋め戻し。此れだけは手作業である。そういえば今日は猫の日であった。
 午後まで宿酔気味。昨日は白ワインを一本半近く飲んだから無理もない。飲み過ぎ、即ちアルコール依存症気味だな。退社後は飲まずに帰宅。外猫にスーパーの鮪刺しを食べさせ、自身は缶麦酒二本で御仕舞にした。夜半から三度目の南風。春三番である。


2/21・火
 以前、此れだけ給料が下がったら、みんな呆れて愈愈働かなくなるだろうなどと書いたことがあったが、どうも其れは間違いであった。何とかミクス以降、就業者は百万人も増加したのだという。尤も其の内訳は、圧倒的に高齢者や女性の非正規雇用者である。低年金無年金の高齢者、あるいは旦那の稼ぎが余りに悪いのでパートに出るお母さん等等、みんな大変な境遇の人たちが続続と働きに出て来ていることが分かる。福祉に頼らず、不平不満も言わず、只管黙黙と働くから、つくづく日本人はまだまだ真面目だと思った。そしてこういう人たちが最低賃金間近かで働いて仕舞うから、却って賃金が上がらないのだろうな。
 一日冬型の晴れ。ところで都税事務所から「不動産取得税のお尋ね」という書面が送られて来ていた。数日来の解読を試みたが、とうとう一行も分からず。堪らず税理士事務所にファクシミリで送信し、模範回答を作って貰うこととす。次次と意味不明な書類が来るあたり、相続とはまるで何とかの審判である。
 其の後ぼんやりと通販のカタログを眺めていると、先月購入したエアコンが出ていた。型番等等も全く同じ。誠に極めて痛切に残念なことに、少なくとも三万円は安く売られている。いっそ見なかったことにしたかった。何しろ壊れてからの緊急購入だったからな。それにしても佐世保の会社は安いと思った。計画的に使えば得をするだろう。併し家電製品の正確なぶっ壊れ予定表などと言うものもないしな。つくづく計画経済など巧く行く筈はない。まあ此の一か月で、電気代とガス代は既に四千円程度は安くなっているという試算をして、溜飲を下げた。
 何だか夜も非常に寒く感じる。此の処、段段暖かくなったりしているから、つい油断して仕舞うのだろうと思った。厳冬期に比べ、却って暖房も多用す。寒暖に弱くなるのは、加齢に因るものなのだろうか。


2/20・月
 埼玉にある大手オフィス用品通販会社の倉庫が炎上。極めて少額ながら大貧学院でも使っている会社である。倉庫には窓が殆どなく、真面に放水できないので、出火から四日経っても火が消せないという。併し航空母艦のような巨大な倉庫である。コンビニの商品もスーパーの食材も、最近はみんなこういうところから来ているのだろう。合理化の極致と言われるようなシステムでも、火事一つ消すに消せない。一種の非合理である。併しこういうシステムは一度壊れて仕舞った方が、街場の仕事は却って増えるな。例えばコンビニが無くなれば、定食屋や弁当屋やパン屋や御菓子屋や駄菓子屋や酒屋や文房具店や本屋や万事屋や行商人が悉く復活するだろうし。
 午前中から南風が吹き荒れる。先週に引き続き、春二番といったところ。楽しかった記憶は昨日までには消えてなくなる。何だか寒む気がするなど、再びの鬱状態。午後厭厭出社。今週からマスク着用。前線通過の為、夕方は大雨。帰る頃には止んだ。中華立ち飲みと立ち飲みBを連戦。北風強く、復路は大幅に遅延す。


2/19・日
 未明から起き出して、早速日誌を認ためる。北風強し。朝まで飲食停止。昼も軽いうどんのみ。再び冬型に戻り寒くなる。夜はスーパーの惣菜で小量飲酒。


2/18・土
 早く目が覚めたので、何時もの通りのラジオ放送を聞こうと思った。併し福島には民放AM局が一つしかなく、目当ての番組はやっておらず。「ラジコプレミアム」なら聞ける筈だが、御金が掛かるので加入していない。地方はラジオ放送がこんなに足りないとは思わなかった。何だか可哀想である。
朝食付きのプランだったので食堂に参る。会場は十階なので眺めはいい。御城も微かに見えた。其れに食事もまあまあである。「会津の馬肉じゃが」でモーニングビールと行きたいところだったが、アルコール類はなさそう。是が非でも持って来いとでも言えば出してくれるのだろうが、そもそも其処までして飲みたい訳ではない。
 さて二日目だが、早速帰ることにした。ところで会津若松には数年前にも来ている。其の時は新潟からSL列車で来て、電車に乗り換えて郡山に抜けた(そして在来線で帰った)。今回は只見線で来たから、会津鉄道野岩鉄道東武線というルートで帰ろうと思う。此れで四方向全て制覇である。様様なルートが取れるから会津は便利だと思った。小雪が舞う中、駅に向かい、「四社連絡片道乗車券」というものを発券して貰う。此れだと浅草まで一枚で帰れる。更に途中下車も出来るのだという。
 10時58分発会津線の一両のディーゼル車はほぼ満席。其の内三分の一は外国人観光客である。みな静かに雪景色を眺めている。台湾辺りの御客であろう。まあ雪を見て喜ぶのは、関東人も同じであるが。多くの御客が湯野上温泉で下車。身軽になった頃に会津田島に到着。吾人も途中下車す。駅前の店で蕎麦と日本酒の休憩。田島にも近近に東武の新型特急が乗り入れるそうである。今までなかったのが不思議である。会津に行くなら、せめて片道は東武特急でという案内をもっとすべきである。
 此処から電車に乗り換え。二両の列車は幾らかの乗客を集めながら谷間を進む。うとうとしている内に雪は消えていた。林に目をやると、杉の木には花粉がびっしりとついている。発艦間近といったところであろう。ドローンか何かで、接着剤か何かを吹き付けてやりたいと思った。
 新藤原で交換待ちの停車十数分。此れ幸いと、窓口で特急券を購入。東武の特急に乗るのも久久である。鬼怒川温泉で直ぐ向かいの「きぬ128号」に乗車。一応「スペーシア」と言う豪華車両である。個室やビュッフェのような施設もある。併し此のスペーシアという愛称も何だか古臭いと思った。尤も今春デビューの新型のそれは「リバティ」だというから、東武のネーミングセンスは昭和の遊園地といったところなのだろう。併しスペーシアと顔がそっくりだと言われた新幹線の方は既になく、登場から四半世紀も経つと何となくうらぶれた感じがする。
 一応ワゴンサービスもやって来たが、誰も止めようとしない。辺りを見回すと、座席は大体埋まっているし、アルコール類を飲んでいるお客も多い。併し右斜め前方はコンビニ食材のオンパレード、右隣は「キャベツ太郎」などという駄菓子をむしゃむしゃと食べている。東武の車内販売も其の内に亡くなるな。新型特急の方はどうするのだろう。
 かくいう吾人はビュッフェで一杯五百円の生ビールを立って飲んだのみ。連日の食べ疲れと飲み疲れで、もう何も喉を通らず。浅草到着16時45分。這う這うの体で、銀座線に乗る。八時就寝。晩は欠食す。
 

2/17・金
 何にも面白いことが無いので、何処かに出掛けようと思った。生憎吾人は列車に乗ってお酒を飲むだけで楽しくなるから、またそういうことをしよう思った。折角だから雪景色を見たい。
 混雑したバスで渋谷駅まで出る。みどりの窓口只見線経由の会津若松までの乗車券を購入。此れまた混雑した山手線に乗り、東京駅まで参る。10時16分発「とき315号」を待つ。マックスと言う愛称がついた巨人車両である。何とも言えない独特な顔をしている上に、二階の自由席は三列三列の詰め込み式。肘掛けも無いし、座席も倒れない。尤も乗車時間も長くはないから、腹も立たない。
 早速窓際に陣取り、缶ビールを傾ける。ひと頃流行った二階建て新幹線も今では上越方面に淡淡と走るのみである。就航から二十年近くは経ったかな。確か通勤客を捌くために開発されたと記憶している。当時は群馬や栃木に別荘のような家を建て、新幹線で通勤するというのが持て囃された。翻って最近は都心回帰である。会社が通勤費を出し渋ったのと、錬金術のように床面積を生み出す、塔のようなマンションを建て始めたからであろう。結局益益の一極集中である。
 関東は晴れ。上州の山山が美しい。さてさて案内によると車内販売はあるにはあるが、構造的にワゴンサービスは出来ないらしい。もしも買う気があるのなら売店までやって来いとのことである。階段を上ったり降りたりしながら、数両分を移動する。歩いて見て驚いた。一階も二階も指定も自由席も大方満席。オール二階建ての八両編成を二本繋いだ新幹線史上最大最高の輸送力列車であるが、つくづくよく乗っていると思った。
 高崎を過ぎるとトンネルだらけで何も見えず。谷あいの上毛高原駅停車。辺りは雪が積もり始める。途端に、日本人は雪だ雪だと、外国人はスノースノーと言い始めた。其の後、件の長いトンネルを抜ける。特急料金が勿体ないのと、雪景色が早く見たいとの理由で越後湯沢で下車。鰻をぎゅっと締めたような顔の新幹線とは此処でお別れ。在来線ホームに降りる。新幹線乗り換え客を乗せて四両編成の新型電車は雪の中を進む。
 新幹線駅の浦佐を越え、小出で只見線に。13時11分発只見行きに乗車。古いディーゼル車である。此の区間只見線は一日四本、昼の列車は此れ一本しかない。二両の列車は半ドンの高校生がまばらに乗る程度。一応車掌も乗っている。新卒者と見えてやる気もありそう。併し乗り換え線がある訳でも、切符の発券がある訳でもない。詰まり何もすることが無い。もっと乗客の多い路線に乗せてやるべきであると思った。こういう路線には定年間近の老鉄道員が似合う。併しそもそも国鉄末期に採用を極端に抑えていたから、五十代後半の人自体が少ないのだろう。
 只見は福島県になる。つまり新潟の高校生は雲の子を散らすように降りて行く。粗方降りたのを見計らって、湯沢駅で購入した「林道かまめし」というものを広げて見る。何で林道なのかは分からないが(多分峠に対抗したいのだろう)、紐を引っ張ると温かくなるのが良い。此の時期に温かいものを食べるというのは何よりも贅沢である。其れに此の釜飯、ボリュームもたっぷりであった。
列車では只見までしか進めない。此処からバス代行区間である。雨の中、マイクロバスに乗り換える。併し東京駅を出たころにはあれだけの乗客がいたのだが、今やたった六人。減少率99.5パーセントである。
 道路と鉄路は時折絡み合う。道路は除雪されているが、線路は雪で埋まり、数年前の豪雨災害で流された橋桁が痛痛しい。一応上下分離方式での復旧が纏まりそうだとは聞いてはいる。数十億円は地元負担になるとのこと。併し同線の中でも最も乗客が少ない区間である。観光列車を走らせる以外に活性化策は無いな。
 会津川口まで凡そ一時間。その間の乗り降りは無し。結構雨が酷く、雪解け水と相まって、時折バスは舟のようになって走る。何となく緊張するらしく、女の運転手も乗客もほぼ一言も発せず。無事に到着した後は、直ぐに列車に乗り換えとなった。会津盆地に入ると大量の中高生に御乗車頂くことに。車内は満席。此の区間は一日七本。会津の御金を使って只見線を直すのだから、少し増発してやるべきであろう。冬期減速ダイヤの為、17時38分会津若松到着。夏より二十分近く余計にかかった。
 例によって何だか飲み過ぎて具合が悪い。直ぐに駅前の藤田観光ホテルにチェックインする。胃薬を飲んで横になる。旅の楽しみの一つにローカルニュースを見るというものがある。民放の夕方のニュースは六時二十分頃から切り替わる。二号炉にサソリ型ロボットを投入したところ、直ぐに故障して何も分からなかったと伝えていた。こういうものは東京でもっと流すべきであると思った。大体東京の電力を作る東京電力の原子炉に穴が開いたのだから。併し今頃関東では何処かの何とかとかいう御店が安くて旨くてお得であるなどとやっているのだろうな。
 二時間ほど休憩す。胃が少し回復してきたので、何かを食べに出ようと思った。会津若松は、例によって駅と城下町が結構離れており、駅前にはホテルとチェーン居酒屋が数軒あるのみ。あっさりしたものを食べて御仕舞にしようと思ったが、大した店は見つからず(以前入った「マルモ食堂」は開いてなかった)。すると見たことのある黄色い看板が。其れは何と「ラーメン二郎」であった。少し逡巡したが、結局店内へ吸い込まれる。十数分後には大量の茹で野菜と麺と豚肉と格闘することになる。汗を吹き出しながら「小ラーメン」を何とかほぼ完食(肉は半切れだけ食べられず)。併し会津にまで来て二郎のラーメンを食べるとは思わなかった。日本全国、結局こういう食べ物に人気が集まるのである。ところで店内には東京のFMラジオが流れていた。都会の味なのかなあ。


2/16・木
 午前中は宿酔気味。体調優れず午後千寿に出校。二時間ほど喋っている内に漸く回復す。要はずっと宿酔だったのである。飲まずに帰宅。本日無酒。


2/15・水
 北の皇帝は異母兄を殺害。以前から暗殺の危険を訴えていたが、まさか本当に殺されるとは。裏切者は許さないのだろう。併しこういうことをしている国家はどういう末路を辿るのだろう。
 依然として中学生の自殺多し。前にも書いたが、中学校はもう止めた方がいい。大体中学校に通って、頭が良くなったという話しを聞かない。そもそも頭が良くなるような指導もしていない。其の上、性格も悪くなるのだから、中学校というものは、いっそ綺麗さっぱり無くなって仕舞った方が、世のため人のためになるのである。かといって全部止める訳には行かないから、クラスの授業は午前中で終了。給食の後は全部選択制にすればよい。嫌なことが沢山あっても、半ドンなら耐えられるだろう。一日晴れ。午後出社。退社後は立ち飲みBで遅くまでいた。


2/14・火
 再び税理士事務所から質問書が送られてくる。今度は相続税である。特に謎の出金記録を幾つか指摘される。税務署に先手を打って説明したいのだろう。伯母に必要な物を買い与えましたと言いたいところだが、併しそうすると其の領収書はあるのですか言われるからなあ。適当に贈与されたので、適当に蕩尽しましたとでも言えばいいのかな。贈与税の非課税枠って幾らだったっけ。一日晴れ。回答書を作った以外は、取り立てて無為。


2/13・月
 朝からずっと晴れ。従って結構寒い。午後出社。今年の受験も都立高校の一般入試を残すのみ。一方的に送り付けられて来た中学高校大学の大量のパンフレット類の処分に取り掛かる。但しビニール封筒と冊子類とチラシ類に分別せねばならず、非常な手間である。それにしても膨大な紙とエネルギーの無駄であるな。入学した学生生徒一人当たり、一体どれだけの広告宣伝営業費が掛かっているものだろうか。こういうことはトップシークレットだろうな(当然下に行くほど高くなると思われるが)。退社後は立ち飲みBで軽く御仕舞。


2/12・日
 辛うじて宿酔は無し。朝からF蕎麦へ。日米ゴルフ会談も終了。大統領も比較的大人しかったという。何しろ世界中から呆れられているから、此処は安全運転なのだろう。外交と言うのは未経験中の未経験だろうし。ところで首相Aと寿司ばかり食べているという官邸寄りの老ジャーナリストに、何某スシローと言うのが居る。例によって会談は大成功だったと盛んに触れ回っていた。まあ何というか、ある程度は彼の言うように、窮地に陥りつつある大統領をお助け申し上げた、何てこともあるのかもしれない。どちらにしても本当のところはまだ分からないと言ったところ。一日晴れ。山陰は再びの大雪。午後は節制して晩食は鋤焼きにした。
 夜は公共放送で「見えない貧困=未来を奪われる子どもたち」。子どもも親も世間体を気にしてどうにかこうにか表面を取り繕っているから、却って貧困が不可視化されているという内容。服やスマホに傾斜配分した結果、趣味とか旅行とか習い事とかに割くお金がなくなり、子どもが育つ機会を逸しているのだという。ちなみに貧困のかなりの原因は親の離婚。シングルマザーの非正規雇用ではねえ。成年男性の給料もだだ下がりだが、二人で稼げばまだ何とかなるのだろうが。それにしても、貧乏、貧困、御金がないの連続である。社会情勢はもはや昭和三十年代に戻った感じだな。あの頃は高校に行きたくても行けない人が大勢いた。


2/11・土 
 旧紀元節で休日。今年は土曜日に祝祭日が当たる割合が多い。日曜休みの現場仕事の人と個人商店は連休が出来て喜ぶだろうが、会社員は堪らない。早く振り替え休日の制度を作るべきである。また其の場合は金曜日を休みにして、月曜との分散化を図るべきである。
 午後外出す。鷺乃間君の新居にお呼ばれする。日吉で月波君と待ち合わせ。まず二人でゼロ次会。沖縄料理屋で生ビールを牛飲す。一時間ほどして鷺乃間君と合流。併し日吉と言うのも、まるで縁が無い街である。そこで駅から延びるキャンパス内を散策す。大体京王グループと言うのも、義雄伯父さんの遺品を奉納したことと、埼玉の付属高校を受けた以外、何の接点も無いな。ただ真冬のオリオンの破壊力は秀逸で、たまらず構内のトイレを使用させて貰う。所謂記念トイレである。
買い物の後、地下鉄で移動。新築のマンションを購入したとのこと。妻子が帰省中とのことで、御招待と相成った。みんな着実にステップアップしているね。其れに、鷺乃間君は所謂ブレインワークのようなことをやっているから、職業人生も充実していそうである。
 早速酒を飲みながら、推薦図書を紹介するという書評会。鷺乃間君は『八月の砲声』、月波君は芹沢光治良のエッセーと『夢遊病者たち』、吾人は『サンカの社會』。矢張り第一次大戦の事は気に掛かるようである。以後数時間に渡り歓談。ただ新しい物件は天井が高く、エアコンの利きが非常に良くない。飲んでいる内に寒くなって来て結構困った。
 帰り掛けに日本料理屋に寄る。鯛めし専門店と言うのも珍しい。其の上、刺身がのった生の鯛めしである。日吉の郊外で南予地方の味に出合えるとは思ってもいなかった。併し月波君は卵を食べられないというので、吾人が結局二人前を制覇。牛飲馬食でふらふらで帰宅。久久の長時間大量飲酒であった。


2/10・金
 朝からピンと晴れた。万代伯母及び相続人当てに「高額介護合算療養費等支給申請書」が送られてくる。年間で上限を超えた金額が払い戻される制度のよう。併し月月単位では既に幾らか払い戻されている筈だから、その辺は相殺されるのだろう。社会保険制度も学士や修士レベルではわからないねえ。それにしても御金を返してくれるのは有り難いが(しかも今回の書類は簡単)、こんなに気前よく返して、果たして制度が持つのかつくづく心配である。
 強烈な寒気が入り午後は曇る。時折小雪も舞う。夕方出社。特にすることも無く早目の退社。天祐寺の焼き鳥Bへ。といっても焼き鳥は機械が壊れたので終了したとのこと。半自動の立派な機械だったが、最近は焼き鳥を注文する人は殆どいなかった。空焚きのし過ぎで損傷したのだと思った。そんなBであったが、今晩は満員状態。最近の人は金曜日ぐらいしか飲まないらしい。三人しかいない従業員は疲労困憊。近くにある寿司チェーンTの見切り品(半額)を差し入れて帰った。何だか風邪っぽいので早目の就寝。


2/9・木
 首相Aは訪米へ。先方はゴルフコンペまで催してくれるそうである。歓待の一方、何を要求されるか、例によって戦戦恐恐である。あり得ない話ではあるが、オレ様の国は手一杯だから、お前の国で難民を五十万、移民を百万人は引き受けろ、どうせ人が減って困っているのだから丁度いいだろうなどと言われたらどうなるだろうか。無茶苦茶な要求だと突っぱねることが出来るであろうか。いやいや、移民はともかく、難民に関しては人道問題である。
 朝から雨。時時小雪が舞う。御昼過ぎまで漫然とす。何も面白いことの無い一日。途中散髪す。千寿駅構内の寿司屋へ。こういう晩はつい暴食す。日本酒三合に絵皿多数で三千円。更にK諸蕎麦。ところで帰りの車内には「全身脱毛」を勧める広告が張ってあった。併しそうしたら、つるっ禿になる筈である。髪は毛ではないらしい。つまり髪は貴重で毛は余計という定義なのだろう。では髪の毛という表現があるが、此れはどうなのだろうかなどと考えながら帰った(植毛や増毛という表現もある)。


2/8・水
 二型飲水病の患者はそもそも自分が悪いのだから、治療費は十割負担にして、払えなければさっさと死んで仕舞えばいいなどと書いたアナウンサーがいた。当然司会の仕事は失い、暇になったものだから、何と維新の会から次の選挙に出て来るのだという。ところで医療系の資格試験には禁忌問題と言うのがあって、其処を間違えると全体の点数が良くても不合格になる。要するに医療従事者として不適格と認定されるのである。此のアナウンサーも、明らかに不適格、一発退場レベルであると思うのだけれど。選挙に出るのに資格審査は無いものなあ。併し維新と言うのも本当に酷い政党である。
 先月の電気使用量626キロワット。昨年比7パーセント減。エアコンをあれだけ使って減っているのだから、新型機投入の効果であろう。家電だけは最新が最高である。午後出社。例によって喋らない女の子が退会すると言い始めたらしい。無責任社長がああでもないこうでもないと言って来たが、吾人は大抵無感動である。喜もないし怒もない。そもそも大貧学院での仕事に関しては、最近はあらゆる感動詞を失ったかのよう。概ね消化試合の様相である。退社後は立ち飲みBで軽く御仕舞。


2/7・火 
 二号炉にカメラを入れたところ、溶けた燃料が散らばり、手が付けられない状況とのこと。併し六年も経っても漸く此の程度の事しか分からないのだから、廃炉解体などあと何十年掛かることか全く想像もつかない。つくづく取り返しのつかない大事故である。
 一日晴れ。風強し。例によって家人は胃の定期検査。例によってふらふらなので、最寄り駅まで迎えに行く。今日の衆議院予算委員会は丸ごと天下り問題。事の発端は文部官僚が高田馬場の教授に就任した件である。長年に渡り、駄目だ駄目だと言われても、一向に天下りはなくならない。官と民がある限り、此の問題もどうにもならないな。こういう場合、全て民に任せよというリバータリアンならどう考えるのだろう。少しは参考になるかもしれない。併し突如として馬場の教授になった件の文部官僚は、どんな講義やゼミナールを受け持ったのだろう。ゼミ合宿などもしたのだろうか(新歓コンパとかも)。夜はスーパーの総菜を並べた。


2/6・月
 昨日の新聞によると、経営難に陥った地方私大を自治体が引き取り、公立化つまり事実上の第三セクターのような感じにする所があるという。学費も下がり、学生も増えたから、地元としては大歓迎なのだろう。成程、其の手があったかと正直感心した。一足先の高等教育の無償化(但し半額程度)である。併し少子化はこれから一段と進む。学費半分でも学生が集まらなくなったらどうしょう。ならば次はほんとに無償化する? まさかね。
 御向かいは基礎部分に混凝土の注入。どんどんとミキサー車が来る。そう言えば、先月会った藤松君は、昨年建設会社に就職して、行き成りミキサー車の運転を任されたそうである(余りに危ないので、直ぐに止められたとのこと)。大卒者は増えたけど、大卒の仕事は増えないな。更に今後のIT化が直撃するのはホワイトカラーの事務仕事だというから、御先は真っ暗である。となると、大学での勉強などどうせ何の役にも立たないのだから、折角だから歴史や文学や思想を思いっ切り勉強しようなどという発想が出て来るかもしれない。
 朝から暖かい。併し午後に前線が通過。以後冬型に戻る。午後出社。金参万円受け取る。すると近くの催し物会場でワイシャツが一枚千円で売っている。大手紳士服店の臨時アウトレットだという。色付き物を二枚購入す(吾人はワイシャツだけは比較的派手な物が好きである)。割引率は八割にもなるから結構得をしたと思った。退社後は立ち飲みBで鶴木さんらと歓談。


2/5・日
 北海道の特急も車内販売は大体なくなるとのこと。一番最近に渡道したのは2010年。「北斗」や「オホーツク」に乗ると、弁当注文サービスというのがあり、予め販売員に依頼しておけば、途中から出来たての駅弁を積んで、席まで持って来てくれた。「かにめし」などを食べた記憶がある。併し遠軽の駅弁屋は車内販売の廃止と共に廃業したらしいから、これももう思い出の中、つまり「思い出食堂」入りである(辛うじて「北斗」では車内販売は継続するらしい。積み込みサービスも)。三両、四両編成の特急で採算が合わないのなら、いっそ車掌が売って歩いたらどうだろうか。「銀河鉄道スリーナイン」では、車掌さんが食堂車で給仕もしていたのだし。いやいや、九州辺りでは、ついに特急のワンマン化も検討されているというから、其れも無理かあ。スーパーやデパートでは頻りに駅弁など売っているが、実際の駅弁は車内販売ともに既に絶滅コース入りである。大体曇り。午後は小雨。昼はカレーうどん。夜は厚揚げを使った麻婆豆腐。外猫の為に鮪ぶつ切り。


2/4・土
 米国の国防長官が来日。軍人上がりの強面おじさんなので、何を言われるか、此の処何だかみんな戦戦恐恐としていた。大統領とは違いまあまあの常識人らしいから、取り敢えずは穏当に終わった模様。併し駐留費をもっと支払えだとか、置いてある兵器の減価償却費も負担しろなどと言われたかどうか、本当のところは分からない。そもそも軍人と政治家の立ち位置は自ずと異なる。優秀な戦術家や戦略家が其のまま佳い政治家になるとは限らないものである。此の人はどういうタイプなのだろう。それにしてもAは来週早速訪米するのだという。参勤交代あるいは朝貢外交である。余りこういう言い方はしたくないが、こういうことを国恥というのだろう。
 大体東アジアの国際情勢が緊迫しているというが、万が一にも北朝鮮が暴発したとしても、精精最初の半撃で鎮圧されるだろうし、仮に中国が海洋進出して来たとしても、ほぼほぼ無価値の無人島が乗っ取られるぐらいである。モスコーのミサイルが東京をロックオンしていた頃とは、比べ物にならないほど低い危機のレベルだと思うのだが。
 一日晴れ。立春らしく暖かい。近所の古本屋で『サンカの社會』を手に取る。記録写真も散りばめてあり、凄い迫力の本である。つい衝動買いす。2500円。でも此の本、何処までが本当なんだったっけ?


2/3・金
 リベラリズムの本質は、反転可能性にあるという。つまり私はあなたで、あなたは私になる可能性があった。生まれた国や性別や親が選べないのと同様、受け継いだ財産もそもそもは偶然の産物であり、其の偶然を元手に稼いだ学歴や職歴や預貯金なのだから、何もかもが個人の努力の結果という訳ではない。ならばなるべく公平なルールを作り、偶然により格差が拡大しないような方策を取るべきだということになる。
 しかし、私があなたで、あなたが私になったかもしれないと言うのは、あくまでも想像の世界の話である。こういう想定を成立させるためには、相当な想像力が必要である。思い起こすのは、小学生の頃の出来事である。友達の友達ぐらいの御家に偶偶お邪魔したことはないだろうか。自家との生活水準の違いに驚くようなことはなかっただろうか。ああそうか、此の子の家は色色と大変なのだと思い至ることが一度や二度はあった筈である(当然その逆のケースも)。こういう経験が想像力を育むのだと思う。
 となると幼稚園の頃から高級私立校に通い、グリーン車以外は乗ったことが無く(そういえば普通車って何色をしているの?)、貧乏な人など会ったこともないし見たことも無いし、大体「あなた」って誰のこと、私の回りには「私たち」しかいませんよ、などと宣う人が増えて仕舞ったら、そもそもの想像力を作る「気づき」の機会も得られないから、やがてはリベラリズムというものも成立しなくなるだろう。かの国の分裂ぶりは、そういう人が一段と増えていることにあるのだと思う。「俺たち」以外は、みな「奴ら」と言う風に。目前のひとを三人称複数で語るとき、差別と暴力が生まれる。そしてそれは、此の国でも…。
 午後遅目の出社。久久にチラシを配って歩く。まあ宣伝と言うより自身の運動の為である。また続続と御家や集合住宅が建っている。例によって金利は嘗てないほど低いが、こんなに建てて大丈夫なのだろうか。退社後は立ち飲みBへ。退職間近のN君は他店に異動。独立すると知られて、K社長の怒りを買った模様。何しろK氏は料簡が狭いからなあ。


2/2・木
 高い高いと言われている大学の学費だが、地方から上京してくると、授業料の他に住居費も掛かる。元元日本の大学には学生寮が少ない。単身者用の公営住宅も無い。民営アパート頼みである。まあまあの部屋を借りれば、家賃の他に光熱費等等、年百万円は余計に必要である。此れが第二の授業料として重く圧し掛かる。確か同級生の中には、自治体が運営している県人寮から通ってきているのも居たが、最近はどうなのだろう。地方自治体もこういうものにもっと御金を使うべきである。
 一日冬型の晴れ。三号室入居。午後家を出る。まず税理士事務所に参る。老家人の確定申告を依頼す。併し申告書をフル規格で作るとなると、途端に有資格者の仕事となり、結構な費用が掛かるとのこと。何だか随分勿体ないと思った。但し不動産所得の収支内訳書ならば、万代伯母の準確定申告の時の物が使えるので、割安に発行出来ると言われる。成程、九月以降の四か月分だけ足し算すればいいのだから、そういうことになるだろう。早速二つ返事でお願いす。また元となるデータは同じなので、此れに不動産の持ち分の割合を掛けていけば、同様の物は何通でも作れるとのこと。三つ返事で、吾人の分、従妹の優子さんの分、秋子叔母さんの分も御願いす。あの恐ろしく細かい内訳書さえ出来て仕舞えば、後は適当に控除の計算さえすれば良く、もはや確定申告など終わったも同然である。早く来い来い二月の十六日、早く行きたい国税庁である。
 足取り軽く千寿校へ回航。ユークリッドの互除法などを教えて帰る。昼のたぬき蕎麦を食べ過ぎたので、今夜はコンビニ食で軽く済ませた。支出五百円。


2/1・水
 例によって、食品廃棄が問題となっている。日本でも年間数百万トンが捨てられているという。原材料ベースなのか調理済みベースなのかによって随分違うと思うが、勿体ないと言えば勿体ない。併しこれらの食品が全部消費者の口に届いて仕舞っては、結局同じ分量の食料が、何処かで余ることになる。物がない時代ではないので、ますます供給過剰、過剰在庫に陥ることは間違いない。どちらにしても困ったものである。
 余った物は、気前よく誰かに譲渡すればよいと常常思う。そもそも蕩尽とかポトラッチとかは、人類社会の普遍的な古層である。低生産力の時代でもそうだったのだから、現代はもっともっと消尽しなくてはならない。ぱあっと外国に上げて仕舞うか、いっそ難民でも受け入れて、みんな綺麗さっぱり奢って仕舞えば佳いと思った。午後出社。退社後は立ち飲みBで軽く御仕舞。結構寒いからどの店も空いていた。