2017年3月

3/31・金
 ずっと曇り。結構寒い。朝から眼科に行き眼圧の測定。すると前回よりは下がっているという。結局経過観察で御仕舞。女の先生には、睡眠をよく取り、ストレスに注意して下さいと言われたが、眼科に来ること自体が異常なストレスである。620円。
 御昼過ぎから冷たい小雨。午後出社。月波君来たる。鶴木さんと須々木さんのおじさんコンビを探し出し、密会に混ぜて貰う。更に中華立ち飲みと立ち飲みBと三連戦。帰りは相当に降られたが、一軒目で腹に入れた焼いた牛肉の御蔭で寒さは感じなかった。久久に結構飲んだ感じ。
 なお「特捜最前線」は僅か二週で終了。もっと再放送して欲しいと思った。大体今時テレビビジョンなんぞの前に大人しく座っているのは高齢者である。ならば古いドラマで十分である。そして相続手続きも全て終了。残った御金が吾人の口座に振り込まれていた。まあ此の御金であと一人ぐらい、まあまあの老人施設には入れるだろう。其の際、信託銀行の人には四月からは他店に異動しますと挨拶された。金融機関の宿命だな。こうして長い三月も終了す。


3/30・木
 スマホを使い始めて二年近くたったが、一向に入力が速くならない。勢い、音声入力を使うことになる。しかし性能が悪いのか、滑舌が悪いのか、出鱈目に変換されて仕舞う。少し拾ってみると、「今朝の朝日」が「計算の旭」(理系企業になりました)、「よろしく頼む」は「よろしく太郎」(ピコ太郎の親戚?)、「同一形態の店舗を増やす」は「ドイツ携帯の電波を増やす」(メルケル氏に褒められるな)に、はたまた「八時半」が「は痔半」(痛そうだ)だとか、枚挙の暇がない。
 それに「アル中患者」が「はる美ガラス」なんて意味不明だし、「その件を巡り目下思案中」が「その拳を握りカフカ思案中」になるなど、却って謎が深まるような物もある。キーボード入力の方はソフトウェアーの性能が向上してとんでもない物は少なくなったが、音声入力の方はまだまだ珍変換の宝庫である。何しろ音自体が変わるからね。音声入力誤変換大賞を募集したらもっと面白い物が集まるかもしれないと思った。
 一日晴れて暖かい。木曜不出社。商店街にカレー屋が出来ているので入って見る。一杯五百円。何でも専門店より家庭的な味を目指しているのだという。何も考えずに標準的な物を頼んだら、随分と甘口であった。此れでは幼稚園児か小学生のいる家庭の味である。今度は激辛にしなくてはならないな。


3/29・水
 件の旅行社には数十人の新卒内定者が居たのだという。元元は社員百人足らずの会社である。新入社員の多さ自体が此の会社の異常さを物語っている。旅行者の救済とともに入社予定者の救済も必要だな。併し求人数は嘗てないほど増えているというが、増やしたのはこういう会社ばかりなのかなあ。矢張り氷河期の間の一瞬の春。つまり間氷期と云う事である。
 ところで吾人も格安航空券で何回かは出掛けたことがある。一番最近でも十年以上も前のことであるが(二十年位前はトラベラーズチェックを腹巻に入れて行ったぞ)。最近は航空会社やホテル等等、何でもオンラインで直接購入できるらしい(当時は電話とファクシミリしかなかった)。こういう旅行代理店もビジネスモデルとしては、既に縮小期に入っているのだろう。
 御昼に出社。今日は八両編成。部活動による欠席多し。クラス授業だから進むに進めず。本当に迷惑である。退社後は立ち飲みB。ベトナム出身のDさんは他店に異動とのこと。将来の幹部候補生らしい。まあぼんやりした日本人より確かによく働いているからな。


3/28・火
 格安旅行会社が倒産し、数千人が海外に取り残されることに。海外旅行のリスクは国内旅行よりはだいぶ高いだろう。尤も今回の件は自費で帰り着けばいいのだから、人命に関わるような問題では無し。御金、と言っても精精十万円程度の特別損失で済む話である(でも片道航空券ってあるんだっけ)。
 教育を無償化するために憲法を改正せよなどと言う愚論が出て来ている。緊急事態条項の次は教育だそうで、改憲派はよくもこんな下らない理屈を次から次へと思い付くものだと呆れる。
ところで吾人とて教育予算を増やすことに異存はない。併しどうも予算増加の要望は高等教育に偏っているように思える。一方の義務教育は元元無償だが(まあ色色と保護者負担もあるにはあるが)、只はタダなだけに、非常に水準が低い。つまり先生の数も少なく、授業内容も極めて不十分であると言える。大方満員電車のような教室に児童生徒を監禁し、一方通行の詰まらない授業を壊れたテープレコーダーのように繰り返しているようなものである。そして其の裏ではいじめや暴力が蔓延ることとなる。こんな学校でよい大人に育つ筈がないな。御金のある家庭のみが私立学校に緊急避難させたり、学習塾や習い事等に通わせたりして、辛うじて補完しているのが現状である。詰まり、タダより高い物はないということである。
 高等教育を受ける受けないは自己の選択と決定によるものも大きいし、向き不向きもあるだろうが、公立の小学校や中学校は選ぶに選べない。選択の自由がない分野だからこそ、一定水準以上を全国一律に維持するのは国の責務である。併し文部省と言う役所も一体何処で何をしているのだろう。予算獲得の大好機が数十年ぶりに来ていると言えるのにである。相変わらず教科書に下らない検定意見を付けることに現を抜かしているようだが、もっと国家国民の為になすべきことがあると思う。ああそうか、小学校や中学校には天下り出来ないものな。
 何だか疲れが出て昼食後は昏昏と午睡す。世人の多くは十二両編成を週に五本は運行しているのだろう。給料は出るのだろうが、想像を絶する世界でもある。増して十五両編成とかは。色色な事を見聞きするだろうが、第一に日記に書き残す暇がないな。


3/27・月
 栃木のスキー場の外れで雪崩が発生。冬山訓練中の高校生らが犠牲に。部活動にしろ旅行にしろ買い物等にしろ、家を一歩でも出ると何かしらのリスクは必ずある。家でごろごろしていた方が佳かったとは言わないが、もう少し何とかならなかったものだろうか。
 雨は中中止まない。朝から出社。今日から春の講習である。おまけに無責任社長が寄生虫、いや帰省中と云う事で、低学年の授業も担当す。以後八時までずっと授業。久久の十二両編成、通常期の二本建てである(と言っても客室はガラガラだが)。ただ講習初日なので事務連絡等も多く、落ち着かない。
退社後は天祐寺の立ち飲みBへ。軽く飲んで御仕舞とした。どうも最近行動がパターン化している。此方はもっとリスクを取って事故を起こさなければ、出会えるものとも出合えないなと反省す。


3/26・日
 北の皇帝はまた何か企んでいるらしい。またかと言うこと勿れ。今度は本当に危ない。周辺諸国、特にアメリカを挑発している積りなのだろうが、あべこべに腕を食いちぎられる事態になりかねない。内政的に進退窮まった米国大統領が八つ当たり的に先制攻撃する可能性が高まって来ているのである。そろそろ本当に静かにしないと、本当に国を亡ぼすぞ。併し諫めるような忠臣はもういないのだろうな。其の上、やられ間際に弾道ミサイルの乱れ射ちでもされたら、益益始末に負えない。朝から冷たい雨。終日在宅し、日誌と本の整理。


3/25・土
 偶には歩こうと思い、バスで成城に。其のまま出鱈目に歩く。まず御屋敷街を通り抜ける。すると崖線に面したところに計算機メーカーの創業者の家があった。丸で知らなかったが、カシオとは樫尾さんなのだという。博物館もあるようだが完全予約制とのこと。
崖を下るともう狛江市。途端に街並みが庶民的になる。どんどんと家が建っている。併し狛江と言うのも、都心部とも川崎や横浜のニュータウンとも違う。緑がありながら古い商店なども残っているから、両者のいいとこ取りといった感じ。最近人気があるのも納得できる。其れに坂が少ないのが良いのだろう。
 さてさて適当な回転寿司屋に入る。此の店はちゃんと職人が握っている。而も今日はあれがお奨めだとか、今から此の魚を下ろすなどと威勢がいい。所謂体験型の消費が売りなのだろう。どうせ寿司を食うなら、自動化寿司のタッチパネルで黙黙としているより、こういう活気のある方がいい。ついつい暴食す。麦酒一、酒二、皿も十。食べた分は減らさなくてはと思い、更に狛江の駅まで歩く。併し駅に蕎麦屋は付き物である。そして小田急と言えば何といっても「箱根そば」である。つい「かき揚げそば」まで胃に収めた。ハコそばも茹でたて方式で旨いことは旨いが、少し汁が砂糖甘いな。
 ところで東急には「しぶそば」があるが、生憎店舗は少ない。駅構内には「梅もと」もあるが、確か二駅だけ。田園都市線の地下駅は兎も角、改装された東横線の中目黒、祐天寺、学芸大学の高架下にも駅蕎麦屋を作る予定はなさそう。東急は蕎麦に関心がないと見える(もしや其れが東急クオリティー?)。駅周辺は目下F蕎麦に侵食されている状況である。其れに「吉そば」や「かしわや」もある。そろそろ帰ろうと思ったが、調布駅南口発狛江経由渋谷行きの小田急バスは、滔滔一日十本まで減って仕舞っている。次は一時間も来ないので、世田谷通りを何処までも歩いてやろうと思った。併し昼酒と暴食が祟り、幾らも歩けず。結局追い掛けて来たバスに乗って帰った。色んなものが胃に溜まり、晩は絶食。
 

3/24・金
 引退された天皇の名称は、上皇にするらしい。有識者会議が決めたのだからそうなるのだろう。併し上皇と言うのは少少生生しいな。大体、謀反を起こされた上皇様は、何人いらっしゃったっけ。もう少し穏やかな名称は無い物だろうか。
 設備屋さんが来て、洗濯機の室内移設工事。三時間ほどで完了。此れで全ての工程が終了す。足掛け四日。見積もり等を入れるともっと掛かったな。それに入居中だから結構草臥れた。併し家賃は其のまま。設備投資というより単純更新だな。まあ二十年はいらっしゃる方だから。
 金曜不出社。本日は全面休講日であるから決してサボったわけではない。ところで最近のBS朝日では「特捜最前線」をやっている。本日は「初指令・北北東へ急行せよ」。一家心中しそうな親子を特命課で探し出すというもの。事件を未然に防ぐのも警察官の立派な仕事である。「西部警察」とは好対照的だが、「特捜最前線」も好きである。そうだな、差し詰め「特捜」では仕事と世間の厳しさを、「西部」では木暮課長のカッコよさを学んだな。詰まり車の両輪のようなものである。夜は厚揚げの麻婆豆腐。


3/23・木
 大工さんらを部屋に招き入れた直後に、臍の回りが急に痛くなる。腹痛なのか神経痛なのかは分からないが、割と表面がビリビリと痛むので直ぐに鎮痛剤を飲む。一時間ほどで治まった。年年歳歳、薬に頼ることが多くなった。痛みに耐えながら、証人喚問を見る。
 ところで何時も一人勤務だった大工さんも、今回は若い見習いさんを連れて来ていて、色色と指導しながら作業をしている。住宅リフォーム業というものも、バブルのような大当たりはしないだろうが、常に需要はある。其れに新築現場のように規格化されていないから、設計から施工までやり通す腕も必要である。正しく小商いの世界だな。激励の積りで、温かいお茶と肉まんを差し入れた。
 さてさて件の幼稚園理事長の証人喚問だが、A夫人から百万円を寄付された件りは本当らしい。まあ、かと言って、額も小さいし、直ちに法に触れる訳でもない(それでも官邸サイドは寄付を認めない模様)。此の理事長も誠に嘘だらけの人生であるが、Aと其のオトモダチに裏切られたと言って怒っているのは恐らく本心であろう。
 併しAを侮辱したから態態証人喚問を行うと言うのも、多くの識者が指摘する通り、かなり異常なケースであると言える。与党としては理事長のいかがわしさを暴き、Aを応援するための喚問であったのだろう。それに忖度と言うのは、曖昧模糊としているから、此れ以上の追及は中中難しい。それでもAに連なる右派人脈が、知的にもモラル的にも如何に劣化した人人であるか印象付ける結果にはなりそうである。まあ此れで幾らかでもAの支持率が下がるのは結構なことである。


3/22・水
 朝から晴れた。今日は電気工事と大工工事。剥き出しのユニットバスに壁を作り、部屋に同化させる工程。工事終了を見届けてから遅目の出社。金伍万円受け取る。来週からは春の講習なので、時間割を一気に作成す。
 中学数学は因数分解に突入。同類項をただ纏めるという式の整理に対して、異類項の中に共通因子を見付けるという因数分解は、兎角分断と対立を煽り立てる世の中にあって、却って貴重な経験であると講義した。併しまだ中学二年生の頭ぢゃ分からないだろうな。退社後は中華立ち飲みとBを連戦。


3/21・火
 未明から雨。漸く一号室の本格的工事に着手す。何時もの設備屋さんに加え、ユニットバス工事屋さんから二人。三人掛かりの大工事である。何しろ物が堆積している部屋だから、難工事でもある。ちなみに見積もりは75万円。
 韓国大統領は失職の後、検察の取り調べを受けている。最高権力者から下手したら容疑者か被告人に。こういう弾劾の仕方もどうかと思う。一方のI原元都知事は、都議会の百条委員会でも怪気炎を上げていたという。まあ、此方もどうにも仕様がない人物だが、かと言って、例えば逮捕しろまでとは思わない。大体政治家の責任とは結果責任なのであって、明らかな法令違反がない限り、検察等が追及する類のものでは無い。基本的には選挙である。詰まり何度何度も当選させ続けた選挙民が悪いと云う事である。工事立ち合いの他は外出も無し。夜は木曽と伊那の健康食。すんき漬けなど。一円も使わず。ほぼ休肝


3/20・月
 朝から伊那市駅に座席の指定を取りに行く。すると夕方の特急は軒並み満席。夜は空いているようだが、行きも帰りも暗夜特急では詰まらない。という訳で昼過ぎの列車を予約す。その後再びブルーベリー畑へ。防草シートを敷き詰め、剪定を手伝う。軽い昼食の後、一時過ぎの飯田線に乗車。みな何処かに行くか帰るらしく、二両の列車は満員に近い。此れも三連休の成果であろう。飯田線も此の区間はまあまあ大丈夫そうである。併し何しろドケチな東海だからな。安心はできない。
 岡谷で臨時の「あずさ52号」に乗り換え。十二両の編成だが、指定席もグリーンもぎっしり満席。矢張り月に一回は三連休を作るべきであるとつくづく思った。天気もまあまあ良く、八ヶ岳がよく見えた。景色は大変結構なのだが、もう飲めないし、食べられない。朝から白ワインをがぶがぶ飲んでいたので、例によって胃がざらざらである。車販員から「信州あずみの物語」という弁当を二つ買い、両家人への土産とす。家人は兎も角、何しろ老家人は何処にも出かけられないからな。せめて旅気分を味合わせたいと思った。五時前にはもう新宿に着く。今日は此処で御開きとす。ちなみに件の弁当は、如何にも田舎の駅弁屋が一生懸命に作ったという体裁で、家人にも好評であった。


3/19・日
 午前中は伯母とともに、ブルーベリー畑の整備。劣化した防草シートの撤去。花粉に巻かれるも、何とか昼頃には終了。丁度テレビでは伊那駅伝をやっている。折角だから見に行こうということになり、市街まで降りる。併し着いた頃にはみんな何処かへ走り去って仕舞ったよう。あれだけ大勢の選手が居た筈なのだが。一人ぐらい遅れて走っていて欲しいものである。
 其の後伯母を連れて木曽方面に。開田高原のかなり手前の蕎麦屋に入る。適当に見つけた店だったが、店内は空いており、蕎麦も直ぐに出て来て安心す。味もサービスも中中であった。再び伊那に戻り、薪の移動。夜は馬刺しと鍋料理にした。一升瓶に入った白ワインを飲むうちに眠くなる。早目に就寝。すると夜中には目が覚めた。ストーブに薪を焼ベ直す。


3/18・土
 朝から設備屋さんと何時もの親方が来て、一号室工事の最終打ち合わせ。其の後新宿駅へ。一応伊那に行くことになっていたが、月波君の仕事の都合がなかなかつかず、夕方の出発となる。新宿五時半の「あずさ27号」に乗車。座った瞬間から中量飲酒。途中車販員を呼び止める。NRE製の詰まらない弁当しか積んでいないが、此れも車内販売維持の為には仕方がない。
八王子までのろのろと走り、甲府で大量降車。満席だった車内もごっそりと減った。其れも其の筈、30分発の「あずさ」は元元の「かいじ」が化けたもので、松本へ行くのはおまけの余走のような物である。
 また此の列車は富士見にも停車する。其れなりに下車して行く。地元の御客はあずさに乗るなら27号と決めているのだろう。小さい駅にも手分けして停まるのは、在来線にしかできない芸当である。下手な新幹線よりよっぽど便利だと思うのだけれど。
益益車内は空っぽになったところで岡谷到着。飯田線に乗り換え。といっても直接の接続列車は無い。後から来た29号を待ってから出発す。三両編成の天竜峡行きだが、席はまあまあ埋まっている。伊那北到着。暫し夜風に吹かれながら徒歩で移動。何処かにいい店は無いかと物色す。
 併し年度末の三連休である。送別会等等に加え、明日は高校駅伝があるというので、繁華街も見たことが無いほどの人が出ていた。勿論高校生が飲みに来ることは無いが、引率の先生や役員や応援団を含めれば千人単位の人が宿泊しているとのこと。毎晩此れぐらいの人が居て欲しいものである。結局古そうな食堂を見つけて一献傾けた。コップ酒が五百円と少し高めだが、夜中までやっている店なのだという。二次会上がりの三次会の御客が大勢居て繁盛していた。ローメンも食べたかったが、具だけのローサイにする。其の後タクシーに乗ったのだが、運転手は道が分からず、どうにも遠回りす。3700円。深夜割増を入れても高かった。


3/17・金
 午後出社。金参万円受け取る。早目の退社後は、鶴木さんを探し当てて飲んで御仕舞。


3/16・木
 朝からキリッと晴れた。取り立てて無為。老家人も最近は入浴を渋るようになった。夕方早くに吾人がまず入り、浴室を温めた後、入浴を促した。通院通所、散歩か入浴、一日にどれか一つでも達成しなくてはね。


3/15・水
 昨日以上に寒い一日。今度はグレを掴まえて予防注射。今年は三匹とも順調に済んだ。天気が悪いと却って楽である。報道等によると、件の小学校に国有地を叩き売った当時の財務省の局長は、今は国税庁の長官なのだという。此れだから納税意識も高まらない。大した対策もせず、多額納税する万代伯母と其の相続人には、愛国勲章の一つでも欲しいものである。また今回の件では官僚側が官邸辺りの意向を忖度して、トントン拍子にことを進めた可能性が指摘されている。忖度はインフルエンザ並みに空気感染するのであろう。併し此の忖度と言うのも、英訳が難しい単語である。中には頑として融通を利かせないお役人の鑒のような人もいる筈なのだが。出世できないな、そういう人は。
 午後出社。退社後は実に久久に佐渡屋に参る。すると咲子さんが居た。今や一児の母である。うーん、政治というものは可能性の技術だなどと丸山先生の本には書いてあるが、政治を結婚に置き換えて見れば、吾人にも其の可能性はあったのかな。いやしかし、久久に佐渡屋に来てよかった。立ち飲みBと中華立ち飲みでは、そういう出合いも無かったから。ただ此の佐渡屋も立ち退きが近い。店主によるとまだ移転先が見つからないという。


3/14・火
 朝方まで小雨模様。さて確定申告の後は、猫の予防注射である。小屋で寝ていたミケとシロを急襲して獣医まで二往復。午後も雑多な書類の作成と送付。此れで待機中の書類は一旦ゼロとなった。
 サウジの王族が大挙して訪日。経済協力や投資を求めたという。石油が出なくなるか売れなくなれば、ラクダとテントの生活に戻って仕舞うという危機感があるのだろう。其れは日本も同じだな。輸出するものがなくなったら、えー、何時代に戻るかな。差し詰め、戦前あたりかな。また桑の木でも植え直すか。それにしてもサウジアラビアか。こういう中世みたいな国に石油関係以外の投資をして大丈夫なのかね。持ち物検査が厳しいから、おちおち出張も出来ないと思うけど。


3/13・月
 朝から税務署に参る。今年から新装と相成った新庁舎である。週明けと云う事もあり列は異様に長い。五十分待って二分で終了。予め専門家に見て貰ったので、何の誤りも指摘されなかった。26万と5900円を即時納付す。今年はしっかりと経費や控除で落とさなくてはならないと思った。領収書の一枚は血の一滴、助数詞が違う。ならば領収書の一枚は、血判状の一枚。語呂が悪いな。
 帰る頃には列は更に長くなっていた。一人で何十通も出す迷惑な人が居たからね。あれでは一時間半は待つな。郵送やネットで済ませる人はどれくらいいるのだろう。みんな年に一度の事だから、却って列に並びたがるのだろうと思った。謂わば確定申告祭りである。「税務署に行ったら酷い混雑で酷い目に遭ったわよ(税金ばっかり高くて此の国はどうしようもないわね)」と語りたいのだろう。
午睡の後に出社。何の面白みも無い一日。退社後は中華立ち飲みと立ち飲みBに軽く寄って御仕舞。帰り掛けは雨に降られる。帰宅後は吾人の申告書の作成。今年は住民税だけにした。


3/12・日
 愈愈此の日記も七年目に突入である。詰まり震災から丸六年。日本社会等等を含め、何が変わったか、それとも変わっていないのか。批評をする上で考慮しなければならないのは、社会も変わるのと同様、自分も変わるという点である。だいぶ前になるが、呉にある海自の博物館に行った。其処には掃海艇が展示してあり、ペルシャ湾で機雷の除去に当たったという元自衛官が解説してくれた。印象的だったのは、ぷかぷか浮いているだけの機雷を撃つのも結構難しいとのこと。潮と波で機雷も動く、其れに船も揺れる。動いているものから動いているものを狙うのは、想像以上に難しいのだと。
 なるほど、社会時評や評論の類もそれと同じである。定点観測をしていて、変わる社会を眺めている積りであっても、実は自分も変わっている。世の中が変わり自分も変わっているから、変化に非常に鈍感であったり、其の逆で余りに意固地になり過ぎて、世の中の変化を過剰に嘆いたりする。どちらのケースも批評としては失敗である。よい批評をするには、そういうずれを認識していて、其れなりに自己修正していかなくてはならないとのだと思った。ところで、件の元自衛官は、射撃のコツとして、潮の流れを読み、自分の波と対象物の波の呼吸を合わせるのだと言っていた気がする。
 偶には歩かなくてはならないと思い、朝から出鱈目散歩に出る。まず東横線の駅まで歩き、終点の中華街まで行く。そういえば最近旨い炒飯を食べていないと思った。併し一人で入れるような店がない。確か中華街の外れに回転飲茶の店があって一人客には重宝したのだが、何時の間にか無くなって仕舞ったよう。其れにそもそも大半の店がまだ開いていない。結局桜木町まで歩き、「川村屋」で370円の天ぷらそば。店は少し動いたようだが、味は変わらず。昔ながらの駅そばである。
 序に野毛界隈も歩く。ドギツイ駄洒落で日中友好を訴える中華の「三陽」も健在。佇まいは変わらないようだが、此処も少し移転したよう。何だか間違い探しみたいである。此方も営業前。駅まで戻り、横浜線に乗る。炒飯に再挑戦しようと思い、菊名で適当な店に入る。パラっとはしていたが、何となく旨味と盛り上がりに欠けた味であった。炒飯は中華料理の基礎にして最高峰である。旨い其れを作るのは極めて難しい。
 併し行列のできるラーメン屋と言うのは沢山あるが、炒飯のそれは無い。というか、そもそも炒飯専門店と言うのは見たことが無い。どうしてなのだろう。炒飯ばかり注文されては、料理人の腕と肩が壊れて仕舞うからだろうと推測した。再び駅から歩いて帰る。スマホの万歩計によると一万五千歩。結構歩いたが、家に着いても午後の一時にもなっていなかった。夜に掛けて申告書の完成を急ぐ。


3/11・土
 昨夜税金関係が漸く収まり、やれやれとぼんやりとしていた頃に、南スーダン警固番役から撤収するというニュースが来たる。どうも支持率低下への先手を打った格好である。あれだけ戦闘ではなく、暴力組織同士の武力抗争だと散散言い張っていたのにである。権力というものは常に狡知だとつくづく思った。併しみんな撤退して仕舞って南スーダンは大丈夫なのだろうか。国際社会が見放す訳にも行かず。其れと此れとは次元が異なる問題ではあるが。旧宗主国は何処だっけ。もう少しアフターケアすべきである。
 朝から工事が煩い。起こされた序でに牛丼Sへ。御昼過ぎから少し外へ出た。旧ダイエー碑文谷店を訪問。上から下まで練り歩きたかったが、改装工事未了のため四階までしか開いていない。一通り見回りして御仕舞。
 続いて駅前の本屋で『地学のススメ』。講談社ブルーバックスなど実に二十年ぶりである。併し此の本屋も色色と工夫している。ついつい目にした『海防艦激闘記』も購入す。海防艦と言うのは駆逐艦より更に小型の軍艦で、戦前は国境警備と海難救助、戦時中は対潜哨戒と船団護衛、戦後は引き上げ輸送と活躍する(一部は海上保安庁に再就職もした)。元元は島の名前を付けていたが、大戦後期に余りに沢山造ったので、「海防艦○○号」と名無しのナンバーシップも多い(乗組員も多くが民間船上がりだったという)。戦艦や航空母艦巡洋艦のように海戦記には出て来ないが、縁の下の力持ち、派手さは無いが、正しく防衛戦力。海上自衛隊は何でもかんでも護衛艦と云う事にしているが、此方こそ元祖護衛専門艦である。専守防衛を国是とするならばもっと注目されるべき存在である。
 更に「肉の丸徳」で特選牛肉を三百グラム。序に寄った古本屋でジョン・ダワーの『昭和』。あっという間に一万円が無くなる。何しろ昨日の今日だから、財政規律も緩む。すると都税事務所から封書が来ている。どきどきして開けると、不動産取得税は非課税になったとのこと。何だか分からないが合格通知のような物である。併しなったらなったで「不動産取得税非課税申告書」を出せと言う。結局また書類書きである。


3/10・金
 ネット通販の荷物が激増したおかげで、宅配便大手が値上げを検討している。現場は人手が足りず、従業員の自己搾取に頼った結果、数百億円単位で残業代未払いがあるという。元元は飛脚の会社よりホワイトな印象があった会社だが、最近はシンボルマーク同様真っ黒化していたのだろう。値上げは凡そ四半世紀ぶり。此の間ずっとデフレだったから、供給サイドはずっと弱かった。まあこういう形で物価が上昇するのは、悪い話しではない。値上げした分はきちんと待遇改善に役立てて欲しい所である。巧く行けば、賃金が下がり更にデフレに陥ると言う負のスパイラルを断ち切ることが出来るかもしれない。
 信託銀行の人と税理士さんが愈愈来るというので、朝から居間の掃除と不要物の疎開留置。優子さんも交えて午後から面談開始。相続税の計算は全て終了したとのこと。控除枠の活用や段段駐車場の資産価値を低く見積もった結果、当初の粗い想定よりかなり下がった。銀行や税理士さんに払う手数料や免許登録税等等を考慮しても、万代伯母の遺した御金の結構な程度は残る予定。何とか此の土地を守って行けそうである。何しろ伯母は疎開もせず、懸命に守り抜いたというからな(但し戦後になって食料不足がますます酷くなり、大阪の岸和田に暫し避難する。其の際に母屋を又貸しされて、帰京後は立ち退き裁判まで起こしたそうである)。
 序に老家人の確定申告書もざっと見て貰う。生涯に一度か二度の相続税というものは余りに巨大かつ複雑すぎて何の質問も出ないが、年年歳歳所得税に関しては色色と聞きたいところが山ほど出て来る。優子さん共共、暫し質問攻めにした。二時間弱で諸諸の面談は終了。余勢を駆って申告書も清書する。するともう夕方であった。金曜不出社。
 それにしても極めて多額の納税であるとつくづく思う。もう少し何らかの対策をしていれば、税金も減ったのだろうか。正しく、タラレバの話しだが。前回の相続以来、伯母が三十年に渡り貯めて来た御金は半減することになる。とは云え、元元は家作に住んでいらっしゃる概ね地方出身者の御家賃である。其の一部でもいいから地方交付税交付金として地方振興に有効活用して頂きたいと切に思う次第である。でも無理だろうな。大方下らない補助金に消えて仕舞うだろうし。だから此の国の納税意識が益益希薄になるのだと強く思う。いや併し、相続手続きも漸く此処まで来た。安白ワインを延延と大量飲酒す。


3/9・木
 盛り(森友学園)の次は、掛け(加計学園)だそうで、別の学校法人との癒着問題も出て来る。大学新設で極めて不自然な手続きがあるのだという。此処の経営者もAの長年のオトモダチだそうで。愈愈二穴目だな。併し学校と言うのは儲かるね。
 御向かいにはクレーン車が来て、鉄骨の立ち上げ。見たところ三階と言っても案外低い。まあまあ陽当たりは確保されそうだな。千寿出校が無くなったので木曜不出社。溜まっている本を少しずつ崩して読む。


3/8・水
 朝は結構冷えた。再び冬型に戻る。午後出社。退社後は天祐寺の立ち飲みBへ。焼き鳥が無くなったので、メニューは其の他の店舗と全く同じ。もう少し独自色を出さなくちゃねぇなどと、暇そうにしている店長と話し合う。でもK社長は鉄の規律を強いるらしく、現場には丸で裁量がないという。聞いた話だがK氏の元職は何とか予備隊。実力組織上りは融通が利かないから駄目だと思った。
 数杯ほど飲んだのち、ロータリーの花月苑に。久久に「にんにくげんこつラーメン」。更に隣の本屋に寄る。古くからある個人経営の店である。狭いながらも品揃えが工夫している。つい『昭和の洋食・平成のカフェ飯』という文庫本を購入。此の店のように色色と工夫できることはある筈である。まあ其れも権限がなくてはね。帰宅後は数日遅れて「呑み鉄本線・日本旅」。今回は真冬の津軽鉄道弘南鉄道五能線には乗ったことがあるが、あの辺の私鉄は未踏である。行くなら冬だな。となると来年だな。


3/7・火
 老家人に蕁麻疹が出て来て困っている。例の診療所に行かせたところ、血液だけ取られて、後は皮膚科に行って欲しいとのこと。よろよろしながらバスに乗り転院す。案の定、ありきたりの抗ヒスタミンステロイド系塗り薬が処方されて御仕舞。大体そんなものだろうと思った。どうもあの医者は見立てがよくない。何の病気を疑っているのかは知らないが、誇大妄想の事大主義である。何でもある程度は見て貰わないと家庭医の役を果たせない。
 再び寒気が入り、北風強し。花粉も飛んで来る。取り立てて無為。夜は魚屋の刺身と唐揚げを買って来る。


3/6・月
 日記の続きを書こうと思ったら一昨日書き足した部分が上書きされていない。計数百字分が無くなって仕舞った模様。結局書き直しである。極稀にこういうことがある。どうしてなのだろう。
さて国会だが、北が再びミサイルを射ち上げたとかで中断す。件の小学校の問題も追及に水を差した格好となる。結果的にAを応援しているようだな。併し北の皇帝も愈愈追い詰められているのだろう。此の処、行動が常軌を逸している。でも一体何に追い詰められているのだろうか。少なくとも米も中も無視し続けているのだけれども。
 再開後の国会を見ると、Aも相当動揺している模様。八億もの値引きなど、余程の大物議員の働きかけが必要であろう。窓口以外の公務員と遣り取りしたことは無いが、彼らは融通が利かないことで成り立っている世界であるから。ひょっとすると政権も引っ繰り返るかもしれない。Aとしては、質の悪い取り巻き連中の長年の御贔屓に感謝して、少しだけサービスしたつもりが、蟻の一穴になったと云う事になるのだろう。
 午後は通り雨。年度末の適当授業期間である。中学二年生の国語では、斎藤孝漱石に関する随筆を解かせた後、実際に草枕を読ませてみた(こちらは大学入試の問題)。何処まで分かったかは分からないが、三月はこういうことが出来る。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。今日は四十云回目の誕生日だか、実に詰まらないものである。


3/5・日
 朝から電車に乗って月波君が参る。明日まで車を借りているので、何処かに出掛けようということになっている。吾人としては珍しい自動車旅行である。早速出発す。折角だから贅沢して高速道路を使おうと思った。普段はバスか自転車で行き来している渋谷の入り口から堂堂と首都高速に入る。首都高の料金は一律だから、折角なので遠回りすることにす。
 併しずっと都内に住んではいるが、道路増して高速道路とは丸で縁がない生活である。中央高速バスには偶に乗るが、都心環状線など全く知らない。だからモノレールが出て来たら「あ、モノレールだよ」、東京タワーが見えたら「え、東京タワーだ」と、つい見た儘の反応をす。御上りさん全開である。どちらも珍しい物ではないが、地上やJR線からとは見え方が違う。大体鉄道民は地下に潜らせて、自動車組がこんなにいい景色を独占している。何だか不公平だと思った。
 天気も良いし渋滞も一切ない。其れにマーク何とかという高級車なので走りもいい。普段とは全く違う都内を見聞しながら東北道に入る。本日の目的地は埼玉の行田にある古いドライブイン。折角だからと持ち込んだ安田レイのアルバムを丁度一枚聞き終えた頃に一般道に降りる。自動車旅行にはやはりJ―POPである。其れにこうやって自動車で出掛けるのも学生以来の頃であると思った。
 予定通りに「オートレストラン・鉄剣タロー」に到着。古い自動販売機が残っていることで有名である。以前参った「自販機食堂」とは違い、此処は現役のドライブインのまま残っている。早速箱入りハンバーガーと、天麩羅うどんを食す。どちらも昭和テイスト満開。最近はお客も増えたようで、次から次へと同じような人が入って来る。経営的には苦しい時期があったと聞いているが、頑張って商売を続けてきた甲斐があったね。新しいものは幾らでも作れるが、古いものは作れない。使い続けて古くするだけである。
 其の後近くの古墳群を表敬訪問。更に近所の日帰り温泉に入る。さて復路は一般道を走ることにした。只管17号線を南下する。沿道には郊外型の店舗がびっしりと並び建つ。どのチェーン店も丸で縁がない。牛丼屋と日高屋を除き、環七の内側には一つもないような店ばかりである。折角埼玉に来たのだから、埼玉らしい店に入りたいと思った。しかし「山田うどん」は一級国道沿いには出店しない方針らしい。探している内に都内に入る。其のまま江戸川橋に。月波君の居住地である。車を置いて、ぶらぶらと飯田橋まで歩く。文京区と新宿区の境らしいが、此の辺のことも全く知らない。案外古い商店が残っていて感心する。出版印刷関係の会社も多い印象。世田谷とは此処が違うな。立ち飲みBで一時間半、更に安いラーメンで締めて御仕舞。帰宅は八時前。


3/4・土
 朝方、不動産収支内訳書が送られてくる。早速老家人の所得税の計算を開始する。昨年は大きな工事が無かった上に、草むしりなどの経費も計上出来なかった、更に本物の領収書も何通か失くしたので、不動産所得が結構増えて仕舞った(加入していた厚生年金基金の解散により年金収入は8パーセント減)。納税金額も10万円程度は増える見込み。相続税に比べたら僅かだが、何だか悔しいな。一方の吾人は不動産所得四か月分を加えても課税所得に達しない模様(何せ大貧学院の給与収入が50万円と過去最低最悪を更新)。こういう場合でも申告が必要なのだろうか。
 夕方月波君が現れる。何でも借りて来た車を一晩置かせて欲しいと。置いた序でに、地元で飲むことにした。立ち飲み屋を連戦す。二店目はたこ焼き屋があったところである。半年ほど前、何だか大改装してワンランク上の立ち飲み屋になっている。まだ若い店主によると元元の地権者であったのだと言う。訳あって、此の場所に店を出すことになったとのこと。地元に知った店などなかったから、今後は贔屓にするかもしれない。割と早目にお開きにす。


3/3・金
 昨秋以降すっかり大人しくなったI原元都知事が出て来て会見をしていた。腹が立つから一切見なかったが、最近は多少体調がよくなったのだろう。老人元気で素直がいいと言うが、此の人は死ぬ寸前まで悪態をつき続けるのだろうな。まあ正直な話し、移転の犯人探しというのも余り生産的ではない。造って仕舞った施設の方はどうするのだろう。そちらの方を早く考えるべきである。
 余りに不愉快なので金曜不出社。取り立てて無為。夜は「下剋上受験」。受験のストレスで父は胃潰瘍に罹り入院している。何も其処までのめり込まなくてもと思う次第である。併し、いい中学か高校に入れて貰って、いい大学を出て、いい会社か役所に入り、其の間友人先生上司部下先輩後輩等等に恵まれ、心身ともにまあまあ健康で比較的長く勤められる人と言うのは、どれくらい居るのだろう。其れこそ、針の穴を通すような困難さである。其れでも親としては居ても立ってもいられないのだろうな。こういうのはカルヴァン派の予定説に似ている。将来が分からないからこそ、ますます不安に駆られ、ますます一生懸命になるのである。併しながら、盛り上がっているのは中学入試ぐらいだな。中学高校と上がるに連れ、親も本人も諦めて仕舞うもの。


3/2・木
 払い下げ事件は益益炎上し、国会に続いてワイドショー等も取り上げる。此れで少しは支持率も下がるな。併しこういう政治家の口利き事件は後を絶たず。そういえばA利大臣の方は有耶無耶になって仕舞ったが。併しあの幼稚園児にさせていたという運動会での宣誓内容も極めて稚拙である。例によって中韓が怖い怖いに、「A首相頑張って」である。「五族協和」「興亜奉公」「東亜新秩序」など戦前の「理想」の欠片すらないもの(日本人は日本人だけで日本列島で静かに暮らしたいと望んでいるようだけど)。ところで吾人が園長なら、差し詰め「We shall overcome」を合唱させるな。左翼幼稚園だと怒られるかな。
 午後から再びの雨。『文藝春秋三月号』を読みながら出校。「経産省東芝を見放した」によると、原子力ビジネスは「マフィアとも呼ばれる人々や企業が繰り広げる生き馬の目を抜くような」世界で、東芝には「世界レベルでの経験も知見も、完全に不足していた」そうである。要は、いいように騙されて仕舞ったとのこと。何せ御公家さんと言われる社風であるからな。世界進出は完全に間違っていたのだろう。それにしても原子力産業というものは、兵器産業とともに駄目な産業である。こういうものからはさっさと撤退するに限る。エアコンやエレベータやLEDやLSIやL特急のような民生品をつくるべきである。でももうエアコンはやってないんだっけ。其れに日立と殆ど被るんだろうな。となると・・・。
 今日で千寿校の勤務も御仕舞。幸い都立高校組はみんな合格したという。御礼の御菓子を分けて貰って退社。帰り掛けにS子先生に本務校の運営状況について尋ねられる。つい本当のことを言いそうになって仕舞って、危うく自制した。S子先生は無責任社長の会社員時代の部下だそうだが、一体どれだけのことを把握しているのだろう。
 そして構内の回転寿司屋に寄る。ネタも御客もじっくり観察す。例えば、隣の不倫カップル風の中年男女は、男は酒しか飲まず、女はネタに醤油を振りかけているぞとか、後から入って来た東大の御厨似の男性は酒も飲まずに安い皿を立て続けに食べた後、少し躊躇ったが450円の中トロで締めてあっという間に出て行った、という感じである。併し吾人も暇だな。雨は夜には止んだ。


3/1・水
 朝から曇り勝ち。今日から三月だが何も面白いことは無し。夕方から雨。其のまま帰宅。冷凍食品と缶詰食。ちょっと見ない内に期限切れの缶詰が大量に見つかる。当分つまみには事欠かないな。対外的には一円も使わなかった。