2017年4月

4/30・日
 昨日以上の好天となる。昼は二キロ離れた軽めの二郎系へ。わざわざ群馬から来た人が居て「こういうラーメンは地元では食べられない」と称賛していた。まあ確かに、豚骨ラーメンは「なんでんかんでん」が出来る前は都内では食べられなかったし(多分)、少し前まで豚骨醤油ラーメンは横浜に食べに行ったものである。併し今では何処でも食べられる。北関東まで辿り着くのも時間の問題であろう。
 中日は多少盛り返して借金は五。最下位には違いないが圧倒的という訳でもなし。四位くらいにはなるかな。例のラジオ広報誌によると評論家の半分は中日を五位と予想している(残りは最下位)。


4/29・土
 土曜だが祝日である。御向かいの工事も無く頗る静か。世間的には今日から大型連休である。朝はコンビニのおにぎりを二個。お天気も佳く、「さあ何もしないぞ」という気になるな。併し本当に何もしない訳には行かず、エアコンの掃除と草取り。午後は野菜ジュースの大量廃棄。家人は健康に良さそうというものを色色と買い込んでは結局駄目にしてしまう。一部が凝固して仕舞い、缶を洗うのも一苦労であった。
 北の方では花火の実験。途中で失敗したそうだが、どういう訳だかメトロが臨時停止したという。地上区間が多い東西線なら兎も角、明らかに過剰反応だな。大体八月十五日だって汽車は走っていたのだし。


4/28・金
 終日晴れ。何だか宿酔気味。何とか収めて午後出社。チラシを配って歩いたが、宿酔明けの身には紫外線が堪えて何だかふらふらす。早目の退社後は鶴木さんらと「安安」で結局飲んだ。


4/27・木
 朝から曇り。ぼんやりしていると警察官がやって来る。てっきりまた振り込め詐欺の啓発だろうと思ったら、駐車場の車に別の車がぶつかったのだという。慌てて見に行くとナンバープレートが僅かに凹んだ程度。其れでも持ち主に連絡を取り、調書を作り、保険屋さんにうんぬんかんぬん。事故そのものより事故処理の方が事故のような物である。
 西も東も件の超豪華列車が走り出すよう。前にも書いたが、此の手の列車は贅沢の度が過ぎて、超高級旅館に偶偶車輪が付いたようなものである。併しJRはどういう積りなのだろう。旅行需要を喚起したいのだろうが、到底一般客が利用できる様な代物ではない(何しろ一編成の定員が数十人未満)。かといって他に乗れるような第二第三の列車も無い(特に西と東には)。超富裕層から二重三重に運賃料金を支払って頂いて、赤字ローカル線の足しにするという訳でもないだろう。
 吾人が唯一望む物は日常の中の贅沢である。例えば新幹線や特急列車の座席をほんの少しだけ削ってビュッフェのよう物を作って貰えれば、多くの乗客に恩恵がある。謂わば贅沢設備の分割設置である。流れる車窓を眺めて麦酒を傾ける。立ち飲みブームだから儲かるだろう。昼はカレーライスかサンドウイッチでも出しておけばよい。兎に角、殺風景な時刻表にあのマーク(流石にワードにはないみたい)が灯るだけで、列車に乗って何処かに行って見ようという気になる。
 午後は晴れた。月波君が都心で飲みましようというので、のこのこと出掛ける。先ず新橋の立ち飲みBへ。宮川店長も居たが、シフト表を前に浮かない表情。人手不足は相変わらずのようである。魔法のランプじゃないから、幾ら眺めても人は出て来ないな。混んで来たので、先日のちゃんぽんやへ。更にザギンのBに回航。ベトナムのDさんもいた。鯛焼きを買って来ては差し入れす。こうして飲み始めて数時間経った頃に、坪上君も漸く合流。更に新橋ビルの中華屋に腰を据える。すると見知らぬ二人組が入って来て、歌を歌わせて欲しいと宣う。何しろノーと言えない関東人なので「なごり雪」を歌って貰った。今時流しの歌唄いがいるとは思わなかった。一曲千円。都心に行くと色色とお金を巻き上げられる。十二時過ぎに帰宅。
 ところで月波君からは『法学志林』を受け取る。一昨年亡くなられた松圭先生の追悼号と云う事である。杉田先生の鋭い批評に暫し目を奪われる。併しまあ「アリストテレスは偉かったけれども量子力学を知らなかった点に限界があった」式の後知恵的議論と言う印象を拭えない。民主党政権にしろ、政治主導にしろ、兎にも角にも、一回やって見なければ分からなかったことばかりである(そしてより〝民主党的〞な存在としてのA政権!!という逆説が生まれたことも)。敢えて挑戦的な物言いをして問題提起をしたのだろう。
 一方細井保氏は、松圭先生と藤田省三先生を比較対照して、割と常識的な議論を展開させていた。学生時代にどちらのゼミにも参加したというから、松圭オプティミズムと藤田流ペシミズム、酸いも甘いも噛み分けた印象がある。


4/26・水
 復興担当大臣が辞任。数数の暴言だったが、昨夜のは一段と酷かった。併し碌な大臣が回って来ないな。復興庁には。
 早速芥田先生に礼状を書こうと思った。メールでは何なので葉書を購入。折角なので全部手で書こうと思った。五枚用意したので何枚でも書き直す所存だったが、一枚書き損じたところで敢え無く断念す。結局ワードで作成して葉書に印刷した。時候の挨拶の他には、吾人なりに纏めた節を一応付け加えておいた。以下参照。
・・・「大正知識人の「自我」の陥っていたこういう〝ロマン主義化〟・「非合理化」の諸相が」、「「社会」を実証的に対象化してゆく視点」との結合を妨げ、「また国家の権力的機構的側面についても考察を深められ」なかったので、「「昭和ファシズム的な」な思想状況への推移」を止めることが出来なかったのですね。煩悶と彷徨を繰り返した結果、結局天皇や民族といったものに帰依するというパターンは、現代にも見られます。大正知識人の思想を追うことは極めてアクチュアルな問題だと思いました。・・・
 先生は此の博士論文を四十年以上前に書かれたそうである。提出まで間がなく、清書の際には奥様や妹さん、御母堂まで手伝われたと「あとがき」にあった。ワープロの登場により文書作成の手間は二十分の一、更にパソコンとインターネットの普及により発信コストは百分の一になったことであろう。手書きだと僅か三百字程度でも難渋して仕舞う。結局葉書は三枚余った。
 終日概ね曇り。午後出社。大貧学院で久久に折込みチラシを出すということになり、大急ぎで文面の構成と校正を行う。A4片面モノクロ刷りなので造作もないことである。併し文字を書き過ぎた結果、よく入らない。ワードの行間調整機能を使って、よくよく一枚に押し込んだ。いやしかしつくづく便利な話しである。それに原稿を新聞販売店に直接持ち込むことで結構安く済むそうである。此れは「リソグラフ」の御蔭かな。退社後は祐天寺のBへ。随分と空いていたので、新店長の辺田君とよく話して機嫌佳く帰宅す。


4/25・火
 朝から何時もの親方と新しい屋根屋さんが参る。早速見て貰った所、横樋に這わせてあった防塵ネットのような物に堆積物があり、水路を狭くしているという。吾人もよろよろと梯子を半分だけ上って現認す。前回の屋根屋さんが狭い開口部を保護しようと思って取り付けたのだろう。数年以上も経つとゴミが乗って目詰まりする一方、劣化して其れ自身がゴミと化している。取り除いた上で、樋の清掃。作業は一時間半ほどで終了。何とかこれで大丈夫そうとのこと。次の雨が楽しみである。
 午後は『アフター・アース』というSF映画を見る。未知の惑星で少年が成長するという物語。ドラえもんひみつ道具張りの便利グッズも役に立たず、例によって肉弾戦に。併し惑星間救難信号が発せられないと言って困り果てる姿は、ケータイが繋がらないと何も出来ない現代人そのものであるな。とは言うものの最後まで見て仕舞った。吾人がラストまで見たということは及第点である。ちなみに其の惑星は文明崩壊後の地球と云う設定らしい。ならば人類の成れの果ての姿も見てみたかった。
 併しあの少年ぐらい身のこなしが軽かったら、屋根くらいには簡単に上がれるだろうと思った。ちなみに同作品では、恐怖というものがテーマになっている(怪物は人の恐怖フェロモンを探知して襲って来るという仕掛け)。未来を思うから恐怖心が芽生える、今此の瞬間に心を集中しろと少年に親父さんは語り掛ける(何しろ本当の親子だそうですが)。なるほど、落ちるという将来を過剰に想像するから高所恐怖症が生まれるのだろう。でも今更・・・ね。
 其れにしても恐ろしいものは歳月を経るに従って随分と増えた気がする。飛行機に加え、健康診断、テロと地震、無灯火逆走自転車、デフレスパイラルハイパーインフレ、年金制度、財政破綻、確定申告及び相続税、上からも下からも水が溢れること、結局此のまま一人かもしれないという恐怖。さながら恐怖心恐怖症の様相である。もっと年を取れば変わるのかなあ。
飲酒も再開。飲んでいる時だけは恐怖を忘れる。酔うと時間軸が可笑しくなって現在進行形しかなくなるからであろう。従って二日酔い恐怖症というものは存在しない。


4/24・月
 世田谷区から高額療養費十二万円を払い戻すという通知が来る。申請から二か月は経ったが、有難い話しである。此れで万代伯母がらみの手続きは全て終了だな。次は何時だろうか。願い下げるという訳にも行かず。此れこそ人知を超えたものである。
 中目黒まで徒歩連絡の上、千寿に出校。退社後も小諸蕎麦の「二枚もり」のみ。昼は納豆ライスだったから、今日は休肝節食日である。半蔵門線直通で帰宅。ところで先週の東武のダイヤ改定では新型特急が走る一方、浅草直通の快速が廃止となる。オールクロスシートで日光や会津田島まで行ける、料金不要の乗り得な列車だったのだが。此れからは特急に乗りなさいと云う事なのだろう。早く行くか、座っていくか、どちらかでも所望するなら追加料金を払いなさいと言う風潮である。併し新たな設備や速度で走る列車は堂堂と新料金を請求すべきだし、乗客も支払うべきである。でも今まであった列車が無くなるのは隠れた値上げであるな。


4/23・日
 朝から綺麗に晴れた。家人と鎌倉に向かう。母方の親戚と昼食会。叔父叔母に伯母が二、いとこといとこの子どもが四。総勢十四人だった。官吏をしている健二君や、姉の亜紀さんとも会う。併しこうして会うのも久久である。恐らく十年ぶり。特に健二君などとはもっと教育談義をしたかったが、細君らと鎌倉見物をするというので、二時間ほど会食をして御仕舞。まあ今年は本省勤務だと云うから、また機会があるかもしれない。
 併しいとこと言うのも不思議である。親戚には違いないが、母方にしろ父方にしろ、共有する親族は半分ずつ違う。そういうずれは齢を追って大きくなるものである。従って幾ら年が近いいとこと言っても、付き合いがあるのは概ね中学に上がるまでぐらいであろう。以後次第に疎遠になるのが常だが、かといって他の多くの幼馴染のように音信不通になるという訳でもない。幼い頃の共有体験(旅行や法事など)も多いことだしね。ところでザギンアスターの五千円のコースだったと言うが、大して旨さを感じず。舌が肥えた? いや、人生に於いて感動が無くなったのだと思う。帰りの東横線では目が覚めたら代官山であった。渋谷経由で夕方前には帰宅。


4/22・土
 朝から曇り。八時にF蕎麦で朝食。以後ぼんやりとしていると『大正知識人の思想風景』が送られてくる。今月刊行される芥田先生の御本である。てっきり月波君が注文したのかと思ったが、よくよく見ると著者代送と書いてある。御大自ら送って下さったよう。くれぐれも大切に読まなくてはならないと思った。其れに礼状も書かなくてはね。早速少し読んだが内容は頗る濃い。ところで吾人はちゃんとした本を読むときは蛍光イエローのボールペンで傍線を付けながら読むことにしている。となると殆どイエローで埋まりそうである。
 少し遅れて老家人の誕生日を祝おうということになる。読書の合間合間に、碑文谷の「北浜」に小鯛と鰹刺しを、三丁目の肉屋に牛肉を買いに自転車を走らせた。まあ老家人は、九十云歳何が目出たいというような顔をしていた。ただ鯛は焼きが甘く、敢え無く焼き直しとなる。家庭用のグリルではよく焼けない。其れにそもそも焼き魚と言うのは、実は相当難しいのだろう。
夜は再びの雨。原因箇所を特定しようと直ちに出動す。あちこちの立樋に手を当てて聴いて見た。どうも一本が流れていない感じ。併し此れは19世紀的な触診だと思った。


4/21・金
 隣の建物は所有者が代わった。其の際に突如として現れたのが自動販売機である。新所有者が利殖の為に設置したのであろう。夜道を無駄に明るく照らすのは結構なことだが、例によって空き缶、空き瓶、空きペットボトルが散乱することとなる。一応回収箱はあるにはあるが、あっという間に満杯状態である。それでいてサービスマンは滅多にやって来ない。売り上げより、捨てられる量の方が余程多いのだろう(駅への動線上そうなるのかもしれない)。結局縁もゆかりも無い吾人が片づける結果となる。そう言えば斜向かいのマンションも同様である。此方には通いの管理人がいるようだが、販売機とは丸で無関係を装い、片づけようともしない。つくづくこういうものは何とかすべきである。昨日奪われたのは金塊の買取りがらみの御金だった模様。併し金の延べ棒に札束の山。脱税の臭いが充満している。事件捜査と並行して税務調査も必要である。
 午後出社。今日もチラシを持って少し歩いた。例によってバブル期並みにあちこち建て替え中なのだが、集合住宅の他には介護施設も続続と建っていることに気が付く。こうなると此の国の主要産業は老人介護である。最早。併しハコだけ作って、人(勿論従業員の方)は集まるのかね。
退社後は鶴木さんを探して中華立ち飲みと立ち飲みBを連戦。週末と云う事もあってどちらの店も若い人が多かった。大方新入社員かな。就職状況は良かったのだろうが、社会全体に下降気流が吹いていることに変わりはない。離陸直後に墜落することに無いようにね。尤も吾人は離陸前に破壊されて仕舞ったようなものだけど。以後ずっと徒歩連絡である。


4/20・木
 今朝は猫と地震に起こされる。ところで米国大統領は生き生きとして、朝鮮危機を回避できると述べていた。出来ればそうありたいな。世論やマスコミ、議会や予算や法や裁判所などなどに細細な対策と配慮が必要な内政なんかより、首脳同士の直談判で一気に事態が進展する外交交渉の方が、彼の性分には向いているのだろう。
 正直なところ、吾人とて荻生徂徠の言うところの「聖人の作為」に期待して仕舞う。勿論聖人とはト大統領である。但し誤解することのないように。大統領自身は道徳的には明らかな破綻者であることに間違い無い。此の場合の聖人とは、「道」を創り出すような大政治家のことである。政治家の個人的なモラルと政治的成果を切断することに徂徠の画期性があった。つまり「修身斉家治国平天下」を綺麗に分離したわけである。中でも、「修身」と最も千切れたところにあるのが「平天下」、即ち国際政治の舞台である。
 福岡の銀行で三億もの現金を下ろした人が襲われる。いやしかし、そんな大金どうする積りだったのだろう(恐らく税金対策)。現金はつくづく危ない。如何に安全とされている日本でも本当に危ない。最近のゼロ金利政策を受け、一億円くらいは軽く入るという大型の金庫も売れていると聞くが、よくよく考えてみるべきである。併し先進国でこれだけ現金が流通しているのは日本くらいのことらしい。将来的には国際標準に合わせ、現金取引も規制の対象になるだろうな。
 一日晴れ。大きな外出も無し。刺身がないので、余った半片をミケに出したところ、妙な歯応えに随分と驚いたようであった(噛みながら吐き出していたが結局食べた)。関東人でありながら、半片だけは吾人も苦手である。


4/19・水
 猫も嵐も来ず、久久に朝まで直通睡眠。今日は新聞回収日。新聞屋さんは自分で配った新聞紙の他、直接関係の無い古着の類も持って行く。そこで件の古着物も全て回収に出した。序に家作から出たファーストファッションなんかも出した。古着類は数袋で、トイレ紙ひと巻きと交換。どちらにしても茫茫燃やして仕舞うには忍びないことである。
 以後取り立ててすることも無いので、BS12でやっていた「美味しんぼ」(デジタルリマスター版)を見る。実に三十年近く前のアニメ作品である。例によって究極対至高の戦いを延延とやっている。併し今から見ると、会社の社長が壱億円をさっと寄付したり、幻の鯖を釣るために何日も会社を休んだりと、バブル景気満載だなと思った。
 ただ、『美味しんぼ』には、「食について語る権利があるのは、池波正太郎開高健といった知識も経験も豊富な名のある作家ぐらい」であった時代の、「男が生活の一部でしかない食事にこだわるのは、卑しくみっともないこととされていた」「タブーを破った」功績があるそうである。其の上、「マンガを読んだ若者たちが、登場人物の大仰な口調をおもしろがって真似し、蘊蓄を語る」だけでなく、「食品の危険性や偽装問題にも目を向けさせ」、食に関する「関心を底上げ」(以上阿古真理『昭和の洋食 平成のカフェ飯』)したのだとすると、十二分にエポックメーキングな作品だったのだろう。当時はまるで気が付かなかったけれど。
斯くして今や一億総グルメ評論家気取りである。但し所得と内需は下がり続けているから、評論対象はB級C級に限られるな。ところで海原雄山氏は今頃何才になっておられるのだろう。そろそろ老人施設に入られているのかな。さぞかし、「こんなもの(介護用流動食)が食えるか」と怒鳴り散らして、介護職員を困らせていることだろう。でも、此の『美味しんぼ』って、結局どうなったんだっけ?
終日安定した晴れ。午後出社。退社後は立ち飲みBに行くも誰とも行き合えず。帰り掛けにイオンのミニスーパーに寄り、一玉百円のラーメンを買って茹でて食べて御仕舞にした。


4/18・火
 コンビニも無人レジを導入するらしい。何でも人手不足なのだという。いやしかし、此れは原因と結果を取り違えているな。人手が足りないのではない。そもそも店が多すぎるのである。それにしてもレジまで自動化されて仕舞っては、とうとう何にも喋らなくなるな。
 明け方まで大雨と大風。以後回復す。朝から方方の点検と清掃。例によって壊れた雨傘が転がっている。大抵は広げたままだからつくづく危ない。折れた部分を成るべく真っ直ぐにし、ビニールを柄に巻き付けて回収す。放り出して行く方も方だが、そもそもどうしてこんなに傘が沢山壊れるのかと言うと、其れは結局、矢鱈高い建物を作り過ぎたからである。壊れた傘は、突風を吹かせた当該建物にこそ叩きつけて来るべきだと思った。
 家人は再びの眩暈。結局買い物当番である。高齢者二人に、猫が三匹。一日三食家で食べるから、要求する物資も結構な量である。ネット通販は使わないし使えない。生協の宅配は週に一度は来るが、到底賄い切れず。それでいてあの商品は此処、其の食品はあそこと指定が厳しい。其れに少しは旨い物が食べたいし、不幸なことにどんどんと真面な小売店が無くなっているから、結局方方を自転車で走り回ることとなる。吾人がいなければ立派な買い物難民だな。


4/17・月
 朝は晴れたがだんだん曇る。午前の四時にシロに叩き起こされ、以後二度寝、三度寝と繰り返したが一向にすっきりせず。今夜から大雨だというので、雨樋の点検をしなくてはならない。やって来たのは以前施工して貰った塗装屋さん。高い所は平気なので早速屋根に登って見て貰ったが、よく分からないという。何でも開口部が非常に狭いので樋の中が見えないらしい。ならばゴミが詰まる可能性も低いか。
 万事すっきりしないまま千寿に出校。其のまま半蔵門線直通で帰宅。新型の電車だが、雨のせいで激しく空転す。何だか恐ろしいほど。こういう場合、モハとサハ、どちらが揺れるんだっけ。夜はコンビニ食。帰り掛けに軒を見上げたら、やっぱり漏れている。上に問題がないとしたら下かな。また設備屋さんに見て貰うしかなさそう。雨樋の打音検査をすれば原因箇所が分かるだろう。


4/16・日
 更に暖かく、初夏のような気候となる。買い物の他は、数キロ先に「とんこくラーメン」を食べに行ったのみ。
 夜はドラマ「小さな巨人」を見る。警察内部、特に本部と所轄警察署の相克を描く作品。本店(警視庁)と支店(所轄署)の不協和は「踊る大捜査線」以来、よく見られるテーマである(いやしかし、こういう対立が本当にあるかどうかは分からない)。全編を巡る異様な緊迫感が何だかわざとらしい。大袈裟な科白回しを見ていると丸で時代劇のよう。其れを少少コミカルに描いた「捜査線」はやはり革新的だったというべきである。併しTBSは昭和物が好きなのだろうな。銀行員の話しにしろ、自動車屋の話しにしろ。


4/15・土
 南風吹き荒れ更に暖かい。取り立てて無為。平壌で軍事パレード。音だけ聞いていると、運動会の入場行進を延延とやっているようなものである。そろそろ退場して欲しいと切に願う。併し皇帝は満面の笑み。目の前にいたら、いい加減にしろとど突いてやるな。


4/14・金
 朝方は宿酔気味。今日は一層暖かい。午後出社。少しまた歩く。併しまた続続と学習塾が出来ていて呆れる。此の一年で、少なくとも大手系が二つ、個人塾が一つ。どう考えて見ても儲かる筈がない。学習塾も生産性が極めて低い業種だろうな。そもそもサービス業全般が過当競争である。なおフランチャイズ方式の物は一つが閉店していた。金参万円受け取る。退社後は中華立ち飲みに。節制して麦酒三杯で御仕舞。
 熊本地震から一年。未だ罹災証明の発行が終わらないのだという。下らない学校の認可と国有地の払い下げは超特急で進む一方、証明書一枚発券できない。此の国の御役所はつくづくどうかしている。


4/13・木
 一昨年過労自殺した女性社員の母親が当の会社で講演し、軍隊のような社風を改めて欲しいと述べたという。いやしかし、この電通と言う会社は、恐らく陸軍そのものだったのだろう。ルーツは戦前にあるし、「戦後きわめて多数の旧軍将校と旧満州国官僚を雇ったため、その本社が「第二満鉄ビル」として知られるようになった」(ジョン・ダワー『昭和』)そうである。
 そうなると戦後発祥の会社にはもう少しいい企業風土があるのかもしれない。併し官僚機構にしろ民間企業にしろ、戦前と戦後に否定しがたい連続性があることは、既に多くの識者が指摘する通りである。「戦後、あらゆる製造部門は、戦時中の発展に基礎を置くことによって離陸することが出来た」(同書)。奇跡のような高度成長然りである。未だ多くの企業が成長モデル(即ち戦時増産モデル)に縋りついているのだから、私たちの社会の一部分は未だ戦後にすら到達していないという事なのだろう。
 朝は晴れたが。結局曇る。結構寒い。大量のニンニクのせいか、幸いして風邪は引かず。但し臭気が酷く、家人には何を食べて来たのかと詰問された。日中無為。晩はスーパーで買って来た小鯛を焼いて食べた。焼き魚と言うのも子どもの時分には概して苦手だったが、こうして酒を飲むようになると頗る旨い。特に二本の箸で小骨を一本一本荒うようにして身を粉下げ、日本酒で流す。重ねて言うが、相当旨い。併し味覚と言うのも随分と変わるものである。


4/12・水
 昨日出掛けた際に見たのだが、家作の雨樋から水が溢れているよう。何処か詰まっているのだろう。早速何時もの親方に電話して、早早の点検を依頼した。勿論吾人が梯子くらい上ってもいいのだろうが、何しろ高い所も苦手である。そもそも吾人は世間一般で役に立ちそうなことは何一つも出来ない。釘一本打てないし、トタン板の一枚も動かせない。精精下らない理屈を捏ねるぐらいである。併し偶には雨の日にも見に行かなくてはね。
 朝からすっきり晴れた。午後出社。少しチラシを配って歩いたら、くしゃみが止まらない。つい油断してマスクをしてなかった。今季最大の被災となる。こうなると抗ヒスタミンも大して効かず。鼻を拭き拭き授業す。
 退社後は立ち飲みBに少し。夕方から寒気が入り異様に寒い。ついつい薄着をして来たので震えて帰る。北風が全身を通り抜け、何だか透明人間になったよう。堪らず碑文谷でこってりラーメン。J系という謎のラーメンだったが、どうやら二郎を真似た物らしい。ニンニク入りの小ラーメンを完食したが、それでも温まらず。また風邪を引いたのかもしれない。

 
4/11・火
 米国大統領は支持率も回復し意気揚揚。いっそ其のまま平壌を電撃訪問して貰えないものか。ニクソンの再来だと喜ばれるぞ(彼も国内では不人気だったけど)。何しろ三日もあればできる。冷麺食って高粱焼酎で乾杯(彼は飲まないんだっけ)。核放棄を前提とした相互不可侵条約の紙切れ一枚で、朝鮮危機は全て解消である。巧く行けばノーベル賞ものである。
 朝からずっと冷たい雨。『血盟団事件』を読み返しながら、ケーブルテレビでやっていた映画「日本暗殺秘録」を見る。すると隣りの新住人から挨拶される。と言ってもやって来たのは若い秘書さん。何でも地方の会社が買い取り、社長の仮住まいにするのだと言う。投資目的も兼ねているのだろうが、今時景気のいい会社もあったものだと感心す(結構高そうな御菓子も貰った)。しかし、御向かいは大規模な建て替えで、御隣りは売却。それはつまり、例のカタカナ三文字しか思いつかぬ。
朝は茹で饂飩、昼は冷凍焼きそば。夜も冷蔵庫の在庫一掃セールの予定だったが、麻婆豆腐に使う葱がないのでコンビニまでは出掛けた。


4/10・月
 野党共闘に反対して某議員が民進党を離脱。曰く「保守政治家として認められない」と。でもそもそも何で保守政治家が民進党にいたのだろう。自民党に入れなかったからと言うのが主な理由だろうな。こういう輩はあと何人いるのか。この際、みんな出て行って貰った方がいい。
 朝から概ねうす曇り。今年度は月曜が千寿校に出校となった。まず中目黒まで歩き、桜を見物。併し出勤前では酒も飲めず。酒の無い花見など、花の無い花見のような物である。其のまま黙って日比谷線に。途中散髪す。平政君に丸投げしたので高校数学の担当は無し。ポンコツ先生は万事楽な方を目指す。併し此方も生徒は少ない。本務校に続いて千寿校も左前だな。
 退社後は久久に大橋方面へ。南口の自動化寿司に入る。此の時間帯は全て注文制なので、必死にタッチパネルを捲る。併し食べたかった鯵も鯛も鰯も鯖も悉く売り切れ。すっかり落胆す。すると売り切れた筈のネタがレーン上を行進している。注文品とのタグがついている。よくよく見ていると何遍も回ってくる。注文者はどうしたのだろう。注文したことを忘れたのか、注文したまま帰ったのか(後者ならば一種のテロ注文である)。御客に置き去りにされた数皿は、干からびながら同じところをぐるぐると回っていた。


4/9・日
 今日も午前中は小雨。午後も昨日以上にしつこく残る。結局夕方に買い物に出た程度。夜は魚屋の鰹のたたき。自家製なので旨かった。
 秋田に一編成だけ残してあった583系も引退。とうとう寝台には乗れなかった。吾人が学生の頃には夜行急行が残っており、確か「津軽」に充当されていた。座席でうとうとしながら、北を目指した覚えがある。北陸や東北辺りでも普通電車に改造された車両にもよく乗ったが、ついに寝台に体を横たえることはなかった。つくづく心残りである。昭和も国鉄もますます遠くなった。もう何処かに行って仕舞いたい気分である。


4/8・土
 どうにも隣りの御主人はとっくに転居していたことが判明。一階が自宅で二階三階は貸部屋と言う賃貸併用住宅だったが、恐らく丸ごと売って仕舞ったのだろう。併し丸で気が付かなかったし、何の挨拶もなかった。先代から顔が合えば挨拶程度はするくらいの仲だったが。まさかとは思うが、ローンが払えなかったとか。
 朝から小雨模様。一日遅れて「孤独のグルメ・シーズン6」を見る。相変わらず歩いて食べるだけの番組だが、見ていて飽きない。そう言えば一週間前、日本人の65%は日本社会に満足しているという内閣府の調査が公開されていた。てっきりエープリルフールの冗談ニュースの類だと思ったが、案外そうでもないのは、結局みんながみんな飲んで食べて嫌なことは其の日の内にすっかり忘れて仕舞うからだと思った。つくづく日本は食品産業の発展した国である。外食中食、和洋中華にエスニック、値段の高い安い、チェーン店から家族経営まで。懐と腹具合で如何様にも楽しめる。其れに飲食という行為は相手がなくても出来るからね。
 昼は伊那から持って帰った「高遠絵島八割蕎麦」で盛り蕎麦。乾麺ながら下手な手打ちよりよっぽど旨い。雨は午後までしつこく残った。暴食が祟り日中何度も上厠す。今年初めての草刈り。此方もシーズン開幕である。


4/7・金
 共謀罪が審議入りするらしい。法学部出身なのだが何しろ方角違いに歩いてきたので、余りコメントするほどの知識がない。ただ権力が一旦本気を出せば、立小便から自転車の無灯火運転、宿帳に書く年令を適当に誤魔化したことや、マイカーの相乗り移動等等まで、あらゆる法令違反で検挙することが出来るという事だけを指摘しておく。
 米国大統領はシリアの空軍基地をミサイル攻撃す。戦術的にはやむを得ない判断であろう。併し前任者がとうとう踏み切れなかったことをあっさりやり遂げた。此の思いっ切りの良さが新大統領の真骨頂である。ただ同じことを朝鮮半島でやられると相当困る。
 朝から例の診療所に行く。例によってさして意味の無い問診をされて直ぐに帰る積りだったが、今日は血液まで取られた。何と2760円。元元健康な人を寄って集って不健康だということにして、御金を毟り取る。医療マフィアの成せる技である。
 午後徒歩出社。早早に退社し新橋へ。仲田大将の同郷人がちゃんぽん居酒屋を開店したというので表敬訪問。鶴木さん、須々木さん、月波君、鰻犬先生も参加。色色と酒とつまみを出して貰った。特にババロアみたいな豆腐が旨かった。あの辺の郷土食なのだという。二時間ほど飲んで立ち飲みBの銀座店へ移動。宮川店長とも久久に会ったが元気そうで何より。吾人は少しだけ中座して銀座界隈を一回りす。地元では丸で見ないような綺麗なホステスが闊歩しているあたり、夜のザギンというのは別世界だね(値段も一ケタ違うだろうが)。
おじさんたちと別れ、月波君と「博多風龍」というラーメン屋に。そんなこんなの銀ブラも大量飲酒で御仕舞。タクシーは空車の海が出来るほど余っていたが、地下鉄は余りに大勢の御客が押し寄せたのでかなり遅延していた。
 

4/6・木
 木曜不出社。南風強く非常に暖かい。偶には食べたことの無いような昼食を食べようと思った。併し地元には大小百もの店がある。散散逡巡した結果、評判の餃子専門店に初めて入る。小振りの焼き餃子が六個で290円。御飯にスープが付いても500円しないから安いと言えば安い。味は可もなく不可もなく。例によって餃子と言うものは最高値と最低値が余り離れていない食べ物である。そう言えば原日記には飯田橋の名店が度度出ていたが、未だに行ったことが無い。かの地では真っ先に居酒屋に行き、ついつい酒を飲んでしまう。酒さえあれば、肴は腐ったイカでいいというのが、大方の酒飲みの心情である。
 シリアでは再び化学兵器が使用されたよう。併しあのアサドと云う男だけは、目の前にいたらぶん殴ってやるな。


4/5・水
 御向かいの鉄骨の組み上げは終わったよう。三階だと思ったのは実は二階で、更に一階分継ぎ足された。すると結構高い。ところで御隣りのマンションの御主人は暫らく姿が見えない。郵便受けにはチラシ等が入り切らないので、少し片付けてやった。一か月ぐらい前の物からある。海外旅行にでも行ったのだろうか。何しろ男の一人暮らしだから少し心配である。
 朝から暖かい。午後出社。明日からの通常授業の時間割を決める。今年度は週三回の出勤となりそう。何しろ生徒も居ないし給料も払えないから。JRのダイヤ改定風に言うと、御客様の減少と講師の老朽化状況を鑑み、より適切な出勤回数に改めます、と言ったところ。退社後は鶴木さんらを探し出し、二時間ほど飲んで御仕舞。


4/4・火
 朝から牛丼のМ家で朝定食。牛丼屋で牛丼以外の物を食べるのも久久である。450円ながら小鉢も色色と付いてくる。鮭、納豆、漬物、海苔。お得と言えばとお得である(但し塩分が濃い)。併し此れを家庭でやれと言われても無理だな。パン食と朝食抜きが進む筈である。片づけ易いように、皿は重ね、容器殻等は纏めておいた。
 漸く暖かくなり桜も急激に咲く。火曜不出社なので周辺をウロウロとしたのみ。ところでプロ野球も始まっているが、中日ドラコンズは敢え無く開幕四連敗。今年の監督は大学出の人格者らしいが、何しろ戦力がね。併しこんなに弱くして仕舞って、球団首脳陣は一体どうするつもりなのだろう。まあ新聞も斜陽産業だからな。もう本当に御金がないのかもしれない。併し同じ新聞でも読売の方はまだまだ元気そう。あちらは副業が沢山あるんだろうな。


4/3・月
 結局かなりの宿酔となる。七転八倒ほどではないが二転三転程度とはなる。何とか収めて御昼に出社。夕方にはラーメンが入った。金参万円受け取る。通り雨あり。退社後も其のまま帰宅。早速二日分の日記を認ためる。入浴後もノンアルコールビールのみ。昨夜も最後は此れにすべきであった。結局白ワインに止めを刺された格好である。


4/2・日
 朝から鎌倉に参る。というのも年の離れた従兄が整体治療院を開業している。今までは何となく足を向けることはなかった。何しろ自らの経年劣化を認めるようなものだからね。併し肩は勿論、膝も痛いし、腰も痛い(後者は数年前の雪掻き以来のことである)。須見伯母の強い指示の下、行って見ることにした。序に月波君も同行す。併し鎌倉の伯父さんの家に行くのも久久である。結構周りの家が建て替わっており結構驚く。ただ伯父さんも益益頭が弱って仕舞っている。現在要介護四だそうである。
 施術は一時間ほどで終了。其の後従兄に行きつけの日本料理屋に案内される。結局三人で昼酒。支払った施術代は粗方飲食代に消えて仕舞った。何だか申し訳ないけど、まあ年が離れた従兄だからね。従兄とは此処で別れ、月波君と帰京。確かに肩は軽くなっている。膝も腰もまあまあ良い。生まれ変わってピカピカの新造船のようにはならないけれど、効果はあることはあるな。
 横浜で東横線に乗り換え。まず祐天寺の立ち飲みBで座って飲む。更にバスで移動。吾人は途中下車し、スーパーで買った刺身と弁当を両家人と猫に届ける。再び月波君と合流して、パスタ屋で締めの飲酒。八時就寝。


4/1・土 
 午前中まで小雨が残る。朝からF蕎麦に。朝の内から蕎麦が食べたくなるぐらいの酒量が適量である。体重がまた増えそうなので昼過ぎから歩く。何しろ飲んで食べることぐらいしか楽しみがないからな。日本全国のエンゲル係数も増加傾向だという。
近所の大公園では雨にも負けずに花見をやっていた。併し今年はまだまだ咲いていない。それに桜の木自体が大分減って仕舞った感じである。桜も高齢化が進んでいるとは聞いた話である。午後は漫然としていたので買い物に行かなかった。従って晩の食卓に刺身は無し。何時も強請りに来るシロとミケに「今日は無いよ」と伝えると、「なあんだ」と云う顔をしていた。
 JRの発足から今日で三十年。本州三社と三島会社の格差は益益開く。そう言えば、数日前にBS-TBSで「世界に誇る夢の超特急〜新幹線開発物語」というのをやっていた。上條恒彦扮する十河国鉄総裁は、東海道新幹線の黒字を以て、北海道と九州の赤字路線を支えますと豪語していたな。リニア新新幹線の建設と右翼国家の設立に心血を注いでいる東海の名誉会長に是非とも聞かせたい言葉である。ああいう自称愛国者どもは、故国の国土と鉄路が荒れ果てても一向に構わないのだろう。
 いやしかし、東海と言う会社自体が実に不思議な存在である。本州が西と東に分割されるのは致し方無しとしても(電電公社はそうなった)、そんな中に割って入って、超ドル箱の新幹線を分捕って大儲かりしている(おまけに英語名がセントラル。其れに何しろローカル線は飯田線高山線紀勢線ぐらい)。こういう会社は再度分割して、四国と九州と北海道と、序に沖縄のモノレールの面倒も見させるべきである。