2017年7月

7/31・月
 朝からかんかん照り。昨夜は確か十時には寝たのだが、三時間寝ただけで目が冴えて仕舞う。以後マンジリもせずという訳ではないが、多少うつらうつらしただけ。よって一日眠い。素麺を食べた後、御昼にバス出社。二時間ほど教えて、千寿に回航す。少し早目に終わったので上野に移動。立ち飲みBが支店を出したというので表敬訪問す。本店から異動して行ったU店長も居た。新店の立ち上げは激務らしく何だかやつれたよう。
 立ち飲みB、と言っても此処は全席座り飲みで、注文はタッチパネル式の端末を使う。また新築飲食ビルの五階と云う事もあり、店内は禁煙。而も建物全体が故郷をイメージしているらしく、Bも北関東というものを売りにしている。どうして群馬栃木茨城なのかは知らないが、まあ今時上野発の在来線は其の辺りまでしか行かないからな。桐生名物の「ひもかわうどん」なんてのもあって、案外旨かった(桐生に行くには東武線だけど)。ところでBは創業八年。此の度、大手飲食チェーンの仲間入りを果たしたのだという。数坪の店から始めて良くぞ此処まで成長したと感心す。併し大きくなって買い取って貰ったのか、あべこべ刈り取られたのかは、よく分からない。U君も頻りに首を傾げていた。
 今日は大した授業も無かったのだが、建物や電車やバスを出たり入ったりしていて、「おお暑い」と「ああ涼しい」を繰り返す。すると温度差にやられて、何だかあちこち体調がよくない。外周りも楽じゃないね。大人しく三杯だけ飲んで御仕舞とす(1980円)。帰りはU君にエレベーターまで見送り頂いた。殊勝な姿勢である。言葉ももう少し丁寧にしてくれればいいのだが。ちなみに南北、千代田、日比谷、銀座、半蔵門と頗るメトロに乗った。低温シャワーと冷房で外から冷やして直ぐに就寝。
 長い七月も漸く終了。併し一日と晦日では、まるで政治状況が違う。Aも愈愈御仕舞だと思えば、気持ちも華やぐが、つくづく政治というものは水物だな。吾人ですらちょっと驚いている。


7/30・日
 民進党の代表選挙にはE元官房長官が出て来るという。本命候補には違いないが、でも此の人、此の間一体何処で何をしていたのだろう。自身の潮が満ちるのを待っていたとすれば、少し性格が悪いな。いい日旅立ちを待っている間に、民進党は既に沈没寸前である。
 朝方にもう一雨。以後曇り。昼は池尻で付け麵。買い物は三便。少し動くと直ぐに蒸し暑い。よって草取りは進まず。午後は1984年に作られた映画「1984」を見る。『1984』は、ポストトゥルース時代に当たり、再び脚光を集めているよう。しかしまあ、現代における新しい全体主義とはこういう形ではないな。人人が、安全、安心、安定、正確、便利、快適、清潔、健康、注文通り、予測通り、方程式通り・・・、こういうものを追求すればするほど、世の中のあらゆるものが品質管理されて、新たな全体主義に近づくというものである。
 藤田省三大先生の言葉を借りれば、「不快を感じさせる全ての物事の元のものを根こそぎ何が何でも一掃しようという動機」こそが「全体主義的な思考」であり、「不愉快な社会や事柄と対面することを怖れ、それと相互的交渉を行うことを恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を隠し込もうとする心性」が「安楽への全体主義」を導くということになる。だから党とか独裁者とかプロパガンダなどは必要ではない。皆が皆、既に皆に対してのリトルブラザーなのであるから。
ところで主人公たちは、テレスクリーンを避けながら逢瀬を重ね、失われた人間性を取り戻すかのように情事に没頭している。全体主義に抗するのは、極めて個別具体的な肉体関係であるというのは、どうやら真実のようである。優れたポルノ映画は、恐らく優れたアンチ全体主義作品となりうるのであろう。夜は魚屋の刺身で中量飲酒。鰹、鯵、鮪と大量購入したので猫にもたらふく食べさせた。


7/29・土
 内閣改造を待たずして防衛大臣を辞任に追い込んだ例の日報問題で思うことを一つだけ。現場の指揮レベルでは、報告書に「戦闘が行われている」と正直に書ける自由さが、自衛隊に残っているという事。此れは組織としてのある種の健全性を示しているのではなかろうか。
 朝から草取り、いや草むしり。色色と刃物や道具を使って来たものだが、結局人間の手に勝るものは無し。軍手をはめて一心不乱に引き千切る。昨夜草叢に通行人が立ち小便をしたかもしれないなどと下らない想像をしてはいけない。大事なのは決意と実行力である。数次にわたる攻勢で45リットル数袋分の収穫を得た。試しに北朝鮮発表風に言うと、度重なる暴挙に対し怒りに震えた将軍様は自らの御手を以て、徹底的な攻撃を無慈悲に加え、反動的植物主義者どもは、恐怖に慄きながら成す術なく一瞬で一本残らず毟り取られた、とかね。阿保草。いやいや、別に草を目の敵にしているという訳ではない。そもそも植物あっての動物であるし、植物こそ命の母である。出来れば別のところに沢山生えて欲しいと思う次第である。
 という訳で朝から冷凍うどん、昼はレトルトカレーライスに一昨日のソーセージの残りを付けた。午後は暑くなりすぎたのか、夕方から結構な雷雨。買い物便が欠航したので夜は冷凍食品中心で中量飲酒。


7/28・金
 森の理事長夫妻は、補助金の不正受給で検察の取り調べ。ニュースでは、「主人は国の為に尽くしてきたのです」などと宣う夫人の過去の発言が流されていた。国家に奉仕して金が儲かるのだから大したものだと思った。でも此れ、漱石の『それから』に出て来る遣り取りにそっくりだと思った。つくづく此の国は百年前と変わっていない。また防衛大臣も漸く辞める準備が整った模様。あとはAだけである。
 まあまあ晴れて少し暑い。御昼に出社。月波君が来るというので、序にラインでおじさんたちを誘ってみた。すると丁度退屈していたらしく、柳夫妻、鶴木さん、須々木さんも二つ返事で来るという。偶には新天地を開発しようと、行ったことが無い東京М酒場という店を推奨す。退社して急いで駆けつけると、丁度みんなが憤慨して出て来たところであった。何と此れがとんでもなく酷い店で、パスタはぶよぶよ、マリネは酸っぱ過ぎ、チキンは焦げ焦げの焼死体で何一つ満足に食べられなかったという。今時そんなに不味いなんて、大した店だと逆に感心した。合流後は一般的な串カツ屋、何時もの中華立ち飲みを連戦するも、話題の中心はさっきの店の料理状況。推奨しておきながら吾人は入っていないから、何とも言えず。何とも申し訳がない。是非今度は其の味を確かめたいと思った。
 帰宅後、夜行ロケット運行実験。大して騒ぎ立てる程の事でもなし。でももし此れが昼間だったらどういうことになったのだろう。担当大臣が辞任会見していた筈である。となると多少は遠慮してくれたのかな。北の国はつくづくAの応援団である。


7/27・木
 今日も涼しい。何しろ呼吸をしているだけで幸福を味わえる。関東全域、軽井沢強制御招待と言ったところ。第一に電気も使わずに済むしね。朝から桐の枝切り。
夏から初秋に掛けてはオープンキャンパスの季節でもある。オレンジ大学から送られて来た広報誌には、「大学に遊びに来よう!」と大書きされていた。其れは如何にも微妙なキャッチコピーであった。
午睡から起きると、RH氏が党代表を辞任すると表明。併し後任なんているのだろうか。愈愈解体段階に入ったな。併し党内の右を切って、左に行こうにも、其処には元元共産党がある。左中間に挟まれた社民党のように埋没して仕舞うだろう。詰まり左にも伸び伸びとは広がれない。となると日本の左派勢力の可能性を狭めているのは、案外、此の特殊な政党かもしれないとも思った。共産党野党共闘はしても、解党的出直しなんてしてくれないだろうなあ。結局、自民、共産、そして件の宗教政党しか残らないのである。昼は素麺、夕方は草取り、夜は夏野菜と冷凍餃子に御茶漬け半膳。


7/26・水
 朝方までに大気が入れ替わる。漸く都内南部まで雨が降ってくれて、異様な暑さは強制終了。エアコンも勤続三十時間で停止す。降雨に連れ、気温はどんどん下がる。
漸く正気に戻って思い出したのだが、金長のラジオCMが面白い。舞台は田舎の中学校。男女のぎこちない遣り取りが、微妙な年頃をよく示している。此のまま連作してくれないかな。登場人物たちは来年は高校生になる筈である。「金長の国から」とかね。辛い夏の楽しみを一つでも増やしたい。
御昼にのろのろ傘差し自転車で出社。以後八時半まで連続授業。退社後は祐天寺の立ち飲みB。夜も異様に涼しい。換気扇すら不要。東日本強制冷房である。ああ、関東に住んで居て佳かったと思う瞬間である。東海道線で言うと、何処から切り替わるのだろう。名古屋は暑いだろう。やはり熱海辺りかな。やはり東海とは空気が違うな。昼前に家人が作った焼きそば。夕方にF蕎麦。涼しくても米飯が遠のく。


7/25・火
 昨日今日と閉会中審査。Aも交えての加計問題集中審議である。知らぬ存ぜぬ、記録にないし記憶の片隅にもないの連続。いやまあAは言葉だけは丁寧になったらしいから、知りません、存じませんと言うべきか。併し公人として要職に就く人は、日記くらい書くべきである。死後に公開すれば、歴史の審判も仰げるというものである。
肝心の審議の方だが、例によって真相を究明すればするほど即ち総辞職ものであるから、解明に至る筈も無し。そんな中でも、疑惑を招いた以上、特区制度は全面的に廃止しますとでもすれば、ツーベースぐらいにはなっただろうが。支持率のじり貧は続く模様。其の分、A財務大臣の薄笑いが気になる。併し当の加計という人物は一切出て来ないから不思議である。
 南風が吹き付け、依然として異様に蒸し暑い。カレンダーを見て、七月がまだ一週間もあると知って愕然とす。暑さの到来が早かったから、もう八月半ばの消耗度である。ところで本日は神宮球場が麦酒を半額にするという日。最下位争いを見に行こうと思ったけど、何だか胸が痞えた感じがするので断念す。こうも暑いと外出もできず。
 因って終日自室に引き篭もり朦朧とす。エアコンは昨夜から連続運転。ちなみに設定温度は二十九。其れでも十分涼しいから、如何に外が暑いかということ。昼は家人が買って来た「まい泉」のとんかつ弁当。夜は伊那のトウモロコシ。最近の物は甘味が強すぎると家人は頻りに憤慨していた。トウモロコシはトマトと並び、品種交代の激しい作物である。試しに「昔の玉蜀黍」で検索してみると、「クロスバンダム」と言う品種が売っていた。甘さ控えめでもちもち食感なのだという。でも今本当に食べたら、家畜の餌のような感じなのだろうな。昔は旨かった式のノスタルジーはつくづく要警戒である。


7/24・月
 とっくに廃止された急行能登が夢に出て来て、今から乗りに行くということに。目的地は金沢の先の福井。防衛大臣の地元に抗議にでも行く積りだったのだろうか。一方のAは、未だに今年中に改憲案を出すと言っているらしい。愈愈御自分の立場というものが認識できなくなっているようである。仙台市長選でも与党候補は敗退す。また梅雨の末期の豪雨で、奥羽線は路盤流出。秋田新幹線と言う名の在来線は大曲から先が不通に。一方「ゆふいんの森」は小倉経由で運転されているという。成程、其の手があった。鉄道はネットワーク産業である。其れに気動車とは、正しく機動車である。
 朝から異様に蒸し暑い。御昼にバス出社。小学生に生物を教えた後、千寿に回航。途中構内喫茶でコーヒーブレーク。生憎地下店なので列車は見えない。電光表示板を見ながら休憩す。併し東武特急の行き先、大田とか赤城とかを見ても暑そうなだけで旅情は感じず。鬼怒川温泉も熱そうだね。霧降高原とかを出して欲しかった。九時まで授業。東口で付け麵中盛。今日は二日分働いた。缶麦酒と黒糖焼酎を一つずつで直ぐに就寝。


7/23・日
 漸く朝から曇ってくれた。久久の三十度以下。御昼は小雨。買い物と草刈り。晩食は厚揚げ麻婆。


7/22・土
 朝から牛丼Sへ。割と久久である。暑くなると米食が遠のく。また昨夜はうっかりエアコンの設定を二十六度のまま寝て仕舞った。早速鼻水止まらず。朝から抗ヒスタミン。日中は大変な暑さ。外出草取り等一切不能。夜は宅配のピザ。
 防衛大臣には自衛隊内部からも反発が強まっているという。而も其処ら辺から情報が流出しているのだという。駄目な大臣に謀反を起こしたという悪しき前例にまで発展しそう。何しろ実力組織である以上、格段の注意が必要なのだが。


7/21・金
 朝から異様な暑さ。御昼に出社。今日から講習である。退社後は晴雷亭、立ち飲みBと連戦。割と飲んで帰った。ところで嘗ての生徒K君が訪ねてくる。社内昇任試験の相談に来たのだが、こういう時は何気ない時候の挨拶として「お母さん元気?」と聞くことが多い。すると「実は亡くなりました」と予想外の答えが。もうそろそろそういう年齢である。いやでもまだ早いな。六十前後だもの。


7/20・木
 今日も蒸し暑い。朝方から出張所に参り、電話機を回収箱に放り込んだ。世田谷でも一部小型家電はわざわざ別口で回収している。何かの役に立つのだとしたら、苦労して持って帰った甲斐があるというものである。
 昼は「絵島八割そば」を盛りで。午後はケアマネージャーがやって来る。老家人に入浴補助器を導入することになった。何だか奇妙な椅子が運び込まれた。それにしても此の処の老家人は、気力体力の衰微が著しい。万代伯母と今生の別れをしてから一年。何だか老家人もカウントダウンが始まった感じである。以後、昏昏と午睡す。
 防衛大臣には次から次へと問題が発覚。最早対応不能と言ったところ。Aのお気に入りらしいが、もう成長することはないな。Aは何れは鰤になるとでも思っていたらしい。併し不思議なものである。あれだけの高支持率が一気に萎むのだから。K元首相の言うところの「まさか」というやつかな。いやいや、人人の怒りもいよいよ沸点に近づいたのだろう。ラーメンの次は、魚の刺身が来たよう。田舎の何でも食堂のような感じである。


7/19・水
 昨日伊那に居た頃、民進党のRH氏が会見し、とうとう戸籍の一部を開示したのだという。例の二重国籍問題が何時の間にか蒸し返されていたらしい。何だか色色と言い訳していたようだが、駄目なものは一度たりとて駄目である。特に人権とか平等とかに関わる問題に関しては、妥協とか例外とかは許されない。致命的な判断ミスである。そもそもどうしてこんなことになったのか。何でも党内からRH下ろしが出ていることに対抗したらしい。併し今のところRH氏以外に党首候補も無し。こういう実に下らない内輪揉めを見せられると、民進党はつくづくオワコンだと思う。其れにRH氏は実に詰まらない正論を吐くことが唯一の美点だったが、其れも今回までの話しと云う事になるだろうな。
 六号室退去。早速掃除屋さんが入る。朝方は涼しかったので、吾人も前庭の草取り。午後出社。退社後は中華立ち飲みで中から冷やしたが、直ぐに暑くなる。気象庁によると関東まで梅雨明け。どうにもすっきりしない。何しろ此の所ずっと晴れていたから。梅雨に明確な入り口と出口があるというのも、御役所的発想であると思った。
 帰宅後、BS12でやっていた『発掘!鉄道記録映像』を見る。今回は「第三の鉄道」ということでモノレールを取り上げていた。何にも知らなかったが、大船から江ノ島に至る湘南モノレールは、三菱グループの謂わば実験線で、此処で成功すれば全国に大売り出しを掛ける予定であったとのこと。併しモノレールというものは、フランス式、ドイツ式、ロッキード式、三菱系、東芝系、日立系、色色と咲き乱れたが、殆どが遊園地の乗り物留まりである。多くが短期間で廃止されたし、また実用的に作った路線も高い運賃と赤字体質に悩むこととなる。新技術が必ずしも普及するとは限らない好例である。既存技術を積み重ねた方が過去の蓄積もあるし、コストも安いのである。
 となるとリニアモーターカーはつくづくますます大丈夫だろうか。夢の交通機関と持て囃された辺りは、モノレールと似ている。そしてどの国も実験線止まりである。つまり明らかにオワコンのような感じだが。他にも色色とあるぞ。コンコルド、ホーバークラフト、TSL、水中翼船…。何はともあれモノレールの歴史など考えてもみなかったので、大変勉強になった。


7/18・火
 早速午前中から活動す。今回の任務は低木の枝切り。一メートルほどの枝切り鋏で以て、邪魔な小枝をどんどんと切っていく。例によって、植物の無限成長性と人間による作為との対決である。まあやっていることは丸っきり世田谷の生活と同じなのだか、幾つか違う所もある。何せ山の中なので切った物は其のままにしておけばよい。切り刻んでゴミ袋に入れる手間がないので作業効率は実に数倍となる。
面白がって数百回は引き金を引いた。気分は大門か座頭市である。ついでに手入れの悪い隣りの別荘の木も切ってやった。併し敷地には少なくとも数百本の低木がある(と思う)。二時間頑張っても、文字通り切りがない。何せ人間の時間は有限である。俯瞰して仕舞うと、特に何か変わった様には見えず。いやいや、それでも多少は見通しと風通しがよくなったことだろう。
 昼食と午睡、更に仕上げの作業の後、伯母に駅まで送って貰う。帰りは列車にした。十六時過ぎの飯田線で岡谷に向かう。飯田線は例によってのろのろと進む。そもそもの線路が良くない上に、駅に着く度に車掌が乗車券の類を一つ一つ走り回って確認している為である。東海と言う会社は妙な所が真面目であると思った。辰野からは中央線に入る。すると結構速くなる。会社も変わった上、線路も旧本線にふさわしい規格で残っているのだろう。やはり列車というものも、遅いより速い方がいいと思う瞬間である。
 岡谷で更に速い「あずさ28号」に乗り換え。十二両編成の振り子車両だが、行楽帰りの客と出張客が混載され結局満席に。列車は空いている方がいいに決まっているが、なかなか願いは届かず。列車は西日を避けるように右に左にくねりながら進む。その都度吾人もブラインドを上げたり下げたりを繰り返す。
汽車弁当を食べていると関東平野が近づく。だんだん天気が悪くなる。大月から先は、雲が低く垂れこめ深山幽谷の雰囲気。関東は大荒れとのこと。それでもまあ何とか降られずに都内に入る。何しろ雨風雷に弱い中央線のことだから少しは心配していた。
新宿駅定刻到着。列車を降りる。普段と違う十番線に着いたので、何処が何処だか分からない。右往左往していると、汚いおじさんに罵られた。確かあの人は八王子から酒類を持って入った人である。指定席にうかうかと入って行ったから、車掌にたんまり料金を請求されたに違いない。それでむしゃくしゃしているのだろう。大抵の人は特急に乗って御酒を飲めば、贅沢な気分になって、百鬼園先生のように上機嫌になる筈である。
雷雨の影響で少しは涼しいのだろうが、右手には高遠の蕎麦と信州味噌と頂きものの胡瓜の束。左手には壊れた電話機を二台(子機も二台)と使用済み電池の小袋。背中には鞄。新宿、渋谷と乗り換える度に、這う這うの体で輸送す。


7/17・月
 木曽には昨日行ったから、偶には伊那谷を下って行こうということになった。併しスマホのナビゲーションは、あっちだこっちだと下らない事は言って来るが、肝心なところが悉く駄目である。最悪動かなくなる。生憎紙の地図など持って来てないから、最後は人間の目と勘が頼りであった。
併しこんな為体では自動運転車など、当分無理だろうと思った。第一にナビすら満足にできない。其れとも外資の会社が適当に作ったものだからからかな。コマーシャルなどでは「オッケー何とか」と言っているけど。当方は「どうなってるんだ」と、何度も叩き壊したくなった。但し箱を壊しても仕様がない。それに何せタダだからな。文句を言うのは筋違いというものである。
 結局何回か彷徨し、飯田にある「かぶちゃん村」という施設に辿り着く。此処は昔の伊那谷の生活が再現されている。テーマパークと言えなくもない。案内の人によると、運営は純民間会社だというから驚く。今時大丈夫なのだろうか。園内は綺麗だったが、人の出はかなり少ないと見えた。
まあ、更に南信には色色と面白い所があるのだが、伊那からでもハードルが高い。日本のチロルと言うところにも行って見たいが、今日は此処でおしまい。踵を返して伊那に戻る。往路は広域農道を使ったので、復路は国道153号で帰る。ところで飯田は焼肉屋が多い街と聞いていた。つい街道脇の店に誘われるように入る。名前は「孫悟空」。まるで中華屋の名前である。地元の店らしいが、他の御客は一組のみ。他県ナンバーのチェーン店に取られたな。可哀想なので適当に注文して食べて帰った。午睡と休憩の後、早夕飯ということで一献傾ける。伯母の運転で駅まで参る。延泊する吾人を残して月波君は早めの帰京。吾人と伯母で静かに少し飲んで御仕舞。


7/16・日
 朝方は結構な宿酔に。何とか収めて周囲の散策。徐徐に体調も回復したので、まず電話機を買いに量販店に参る。自動車さえ使えれば、世田谷よりよっぽど沢山の店がある。助かると言えば助かる。但し車がないと何にも出来ない。途端に無能力者である。極端と言えば極端である。
4000円程度の見切り品を購入。其の後、木曽まで出る。「停車場」という蕎麦屋に入店。割子そばセット(1680円)。蕎麦も旨かったが、おまけで付いてきた初霜と言うお菓子が更に旨かった。柿をペースト状にして砂糖と柚子を合わせたらしい。自家製とのこと。是非和菓子屋も併設すべきであると思った。其の後、一瞬の通り雨。
 神社にお参り。すると何だか食べ足りないので、「ラーメン大学」の木曽福島キャンパスに入学。漸く二回生と言うことである。併しシンボルキャラクターの「大ちゃん」はおらず。きりりとした角帽が印象的だったのだが。早速味噌ラーメンを食す。何も信州まで来てチェーン店に入らなくてもと言う意見もあるだろうが、こういう地場の店を巡ると言うのも結構面白い。でも此の大学チェーンも退潮気味の模様。吾人が学生の頃はあちらこちらに在って、「此のままじゃ大学に入れないよ」「ならばラーメン大学に入れ」なんて遣り取りが沢山されたものだが。何しろ大学が増えたから、ラー大も其の役割を終えたのだろう。以上、散散胃に詰め物をして山荘に戻る。
まず電話機の取り付け。更にあらゆるリモコンの調子が良くないという。あらゆるリモコンの電池交換を試みる。高齢女性に家電のメンテナンスは難しい。更に問題は廃棄物である。取り換えたからには捨てなくてはならない。非定住者にとって、難しいゴミの類を出すのは大儀である。其処で吾人が担いで帰ることにした。夜は野菜の天麩羅に刺身蒟蒻。精進料理で中量飲酒。


7/15・土 
余りに暑いので伊那に避難しようと思った。幸い家人の体調もまあまあである。二三日くらいの外出は許されよう(其れにそもそも息子が行くところは自分の姉さんのところである)。JRの座席指定を取りに行く気もしなかったので、今回は高速バスにした。昨年落成した新型バスターミナルも見てみたかったというのもある。午前中は排水溝の点検と各種買い物。一日二日は飢え死にしなくて済む程度を買って冷蔵庫に詰めた。兎にも角にも、各種用件を済ませ、午後新宿に向かう。同行は例によって月波君。
新宿のターミナルは正式にはバスタと言うらしい。旧ターミナルの貧相さと比べれば雲泥の差である。いつの間にこんな立派な建物が出来ていた。併し何処から土地が湧いて出たのだろう。見たところ跨線橋が大型化した上に堂堂と建っている。つくづく建築技術は現代の錬金術、いや錬床術というべきである。
 連休初日ということで、富士山五合目行きなどは全便満席。次次とバスが出て行く。次次と御客も来る。巨大ターミナルである。客の国籍の多さから言えば、国際空港に来たみたい。また乗り場もぐるりと沢山あるので、バスの入場も少し早い。以前は二つしかなく、正しく秒単位で駆け込むように乗る必要があった。
 十四時三十五分発の駒ケ根行、伊那バス二号車に搭乗。幸い半分程度の乗車具合。車は最新型らしいが、例によってバスというものの大きさには限りがあるから、余り有り難いという訳でもない。早速出発す。旧ターミナルのように、通行人を掻き分けて恐る恐る出ていくようなことはしない。建物をぐるぐる回って降りてから、堂堂と国道に出た。
 序盤は道路混雑の為に多少はもたついたが、中盤以降盛り返し、定刻通り伊那市に到着。ところが此方のターミナルも建て替え中とのことで、随分遠くに降される。這う這うの体で市街に戻り、「うしお」に入店。更に新しい中華屋にも行き、散散飲んでタクシーで上がる。今晩の運賃は2700円。伯母を交えて歓談す。電話機の調子が良くないという。早速買いに行くことにした。
併し伊那の夜は寒いほど。布団を掛ける。長いズボンを履く。汗疹も一瞬で治る。此れは水がいいからだろう。


7/14・金
 一方のA政権の方は、「働き方改革」の看板はもう下ろして、次は「人づくり革命」だそうである。連立与党に配慮して、人間革命でも始める気なのだろう。よくもまあ次から次へと、下らない標語を思い付くと呆れ果てる。まあ其れもあと少しの辛抱である。
 今日は老家人の診察の日である。まず家人がタクシーを拾いに行く。併し三十分経っても掴まえられず、手ぶらで戻って来る。やむを得ず、バス停まで歩いて行くことにするという。すると早速、老家人が歩けなくなったと連絡が入る。慌てて簡易車椅子を引っ張り出して、追い掛けて行った。バス通りまで乗っけて行くと、案外素直に空車が来た。併しタクシーが無いだけで、出発まで都合一時間の大騒ぎである。タクシーというものに不満があるとすれば、本当に肝心な時にまるで役に立たないという事であろう。そこで九時の診察予約も変えて貰うことにした。何も朝一番で参る必要などないのである。
 昨日以上の猛暑となる。午前中の騒動の後は、「やすらぎの郷」で落ち着く。併し此のドラマ、画面の内外を問わずして、次次と物故者が出る。何せ高齢者が登場人物の大半を占める以上、仕方のないことだが、何だか見ていて辛い。老家人、家人の様子を見ていると、此れは吾人にも早晩訪れることであろう。あとどれだけの時間が残されているのか。
 午後出社。金参万円受け取る。漢字検定監督等の為、大変忙しい。ひとりで祐天寺の立ち飲みBに参る。最近の祐天寺店は何だか御客が若返り、二三十代が大半を占めている。何だか急に歳を取ったよう。こういう晩は、例の老脚本家の心境である。頭の中には件の主題歌「慕情」が絡みつくように流れる。併しああいう情念を歌える人は、あの人以外に居ないね。帰宅後直ぐに入浴。夏の猛攻を受け、あちこち痒い。満身創痒である。ステロイド系クリームを次次に塗り込んだ。


7/13・木
 ラーメンの人が言い出した「時差ビズ」だとかで、田園都市線も一本、早朝列車が増発されたよう。駅頭などで盛んに宣伝されていた。電車は年中無休で混雑しているのに、何故此の時期なのかと言うと、三年後のオリンピックを想定しているらしい。ラッシュが酷くては観客も動けないからね。
併し満員電車だけはなくならない。ソーホーだとか、在宅勤務だとか、色色言われているが何一つ普及している気配がない(産休、育休、有休ですら)。「週休二日、しかもフレックス」なんて歌に歌われた時代から四半世紀も経っているのに。此の間、ずっと不況だったからな。貧すれば鈍すで、結局身体の丈夫な人が幅を利かせる世の中である。新たなアイデアも生まれないし、当然イノベーションも起らない。最新の情報通信産業などは少しは違うのだろうが、此れも米国の受け売りだからね。さてさて此の時差ビズ、早く来た分、早く帰らせて貰えるのだろうか。
 一日南風が吹き荒れる。買い物は一便。浄水器のカートリッジがないというのでドラッグストアーに買いに行くも、何処にも売っておらず。似たような店が何軒できても、此れと言って何の役にも立たない。土地がないからホームセンターは作れないからな。日中蟄居。夕方草取り。雨が少ないから、案外伸びていない。


7/12・水
 結局相当な宿酔となる。午前午後と七転八倒。当然絶食。其のままふらふらと出社。夕方になり、コンビニの御結びを二個、よく噛んで食べた。併し、どうしてこうなって仕舞うのだろう。月波君が次から次へと注文するからだと思った。酒飲みは万事いやしくなるから、出されたお酒は結局みんな飲んでしまう。それで翌日にこうなるのである。毎度毎度同じ失敗をしていると、ラインを使って強く抗議した。
退社後も其のまま帰宅。碑文谷で付け麵。当然無酒。今日もかんかん照り。梅雨とは思えず。夜まで暑い。此処まで暑いと一本道作戦も使えず。拙室も初冷房。冷やした部屋で日記も二日分書く。


7/11・火
 一部識者によると、A政権とはヤンキー政権であるらしい。つまり戦後の憲法体制という巨大な秩序に挑み、其の破壊を目指しているのだと。だから何か言われると直ぐにかっとなるし、自分たちのオトモダチを大事にするのだと。こうなると保守ですらない。秩序の破壊を願うのだから、反動と言うのだろう。此の点においては、アメリカのバノンとかいう人と似ていると思った(彼はレーニン主義者だという)。それともイスラム国に近いかな。破壊の後は、現人神による支配、詰まり戦前回帰である。参ったな、国の最高責任者が此れなのだから。でもそれもあと少しである。だから毎日楽しい。
昨日の閉会中審査は成果無し。当たり前である。何かしらの成果があったら、即総辞職ものであるから。大体、動物のお医者さんが足りない足らないなどと言われているが、そもそも人間のお医者さんだって、足らないところは足りない。偏在は獣医に限ったことではあるまい。
 今日も物凄い暑さ。午後エアコン交換工事。寝室なのでパナソニック製の安い機種にした。当然メードインチャイナ。リモコンが露骨に簡素で何だか笑えるほど。エアコンで大事なのは室外機である。此れで拙宅のエアコン三台全てが2010年以降の製造となる。省エネ基準達成である。なおエアコン屋さんは八月まで予定で一杯だという。忙しいのはいいことだが、余りに暑いから気の毒である。もう少し気候のいい時期に替えたかったが、家電の類は結局壊れるまで使って仕舞うからね。ちなみに同期の三洋は家作に三台付いている。大丈夫かな。今年は猛暑らしい。
 月波君から暑気払いをしましょうと言うので、神保町まで出かけた。まず古書店を覗く。すると清沢冽の『暗黒日記(戦争日記)』がある。岩波文庫の抄録版は読んだことがあるが、本録は初めて見た。なかなか分厚く、大変な迫力である。会敵必討。ついつい購入す。3700円。
鷺乃間君も合流し、まず「ランチョン」という老舗ビアホールに。麦酒650円と高額なので三杯で打ち止めにす。続いて古い蕎麦屋に移動。ところで鷺乃間君は近近管理職に昇進するそうである。目出たい話しの筈だが、彼は組合活動なんかも熱心にやっていたから、手放しに喜べない模様。あちら側の人になることに警戒しているのだろう。万事真面目な性格だからね。木暮課長のような管理者を目指せばよいとアドバイスした。月波君ともう一軒行き、ふらふらになって帰宅す。十時ぐらいまで飲んだかな。


7/10・月
 イスラム国に占領されたモスルは漸く奪還される。併し見たところ市内は瓦礫の山。まるでスターリングラードである。また新聞報道によると、Aの支持率は軒並み下落。一か月に十ポイントずつ下がったよう。今までの支持率が奇跡のような物だったから、崩壊し始めると実にあっけないものである。また本日は加計学園問題を巡って、衆参共に閉会中審査。併し肝心のAは外遊中。実質的な卒業旅行だな。
 更に暑くなる。日中蟄居す。午後千寿に出校。途中床屋に行く。エプロンをつける際に「苦しくないですか」と必ず聞かれる。つい「生活が苦しいです」と応えた。自虐ネタが口から飛び出るあたり、潜在的な機嫌がいいのだろう。何しろ、盛り、掛けと来て、ラーメン(大好き小池さん)が現れたのである。蕎麦屋のメニューで考えると、次はかつ丼(刑事事件)辺りかな。それで総辞職である。めでたし、めでたし。でも取調べにかつ丼って、誰が考えたんだ。其れに何れも要職にあった人たちである。せめて、「かつ重」くらいにはしなくてはね。
 少し早目の退社。「大江戸」に入る。此の店はある時間になると半額になる。つまり回っているものが一旦回収され、一皿四貫の倍盛りとなって出て来る。以後全てがオーダー式に移行する。早速隣の若者は二皿取っていた。廃棄を出さないようにするのは飲食、小売業の基本である。


7/9・日
 昨日以上の暑さとなる。草取りも出来ず。簾を買いに行った程度の外出のみ。


7/8・土
 一日暑い。依然として梅雨前線は西日本で圧し曲がっている状態。纏めて降った九州北部は大変な被害の模様。皇室行事も延期となる。朝市で泥葱を入手。そうなると葱たっぷりの麻婆豆腐が食べたい。東急ストアーに「庄内の厚揚げ」を買いに行く。一つ二百円。此の厚揚げ、生地はしっとりとしているが、適度なスキがあり、いい鮨職人が握った舎利のよう。やはり味を決めるのは豆腐である。豆腐くらい、いや豆腐こそ、多少いい物を食べるべきである。
 丁度先週の今日、A首相は秋葉原で演説し、野次攻撃に遭う。すると、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」(+美しい日本から追い出してやる)と激昂す。器の小ささを印象付ける結果となったそうである(こうなると分かっていれば、吾人も行きたかった)。今後秋葉原は反権力の象徴のような場所になるかもしれないけど、そもそもの演説には来なくなるな。つくづく日本には異議申し立てをするような広場がない。何はともあれ、Aには終わりが見えた。想定より二年は遅かったが。政権がのたうち回るのは見ていて楽しいが、やはり一日も早く居なくなって欲しい。ちなみにAの後は、再びのAだという。財政再建は進むだろうが、大風呂敷を広げたままの金融緩和策の撤収は相当難しい。まあ此れも誰かが何時かはやらなくてはならないことである。


7/7・金
 今日も暑い。午後出社。面談に補習に講習準備等が重なり異様に忙しい。何だか最近生徒がパラパラと入って来た。退社後は中華立ち飲みに行く。久久の晴れた七夕だったが、会いたいような人とは行き合えず。碑文谷の柏屋で四百円の天麩羅そばを食べて御仕舞。麦酒で内から冷やし、シャワーで外から冷やす。そして一本道作戦である。台所の換気扇を点け、拙室の窓を開ける。其の間の室内の扉を全て開け放てば、涼しい風がどんどん入り、家の中を一巡りし、暖められて出ていくこととなる。前熱帯夜までならば十分対応できる。


7/6・木
 久大線の鉄橋も流された。「ゆふいんの森」も長期運休確定である。また多くの家も水に浸かったり、壊されたりもした。流木被害が多いのは、山が荒れているからなのかな。バイオマス発電で燃やして仕舞えばいいのだが。また鶴木さんの身内の人も日田に住んでいて被災されたとのこと。一方の関東はまあまあ晴れて日中三十度前後。取り立てて無為。夕方一雨あっただけ。


7/5・水
 朝から何時もの内装屋さんに電話をしてエアコンの手配をす。今回は量販店でも通信販売でもない選択にした。北の方はアメリカまで届くミサイルの実験に成功の模様。何時の間にか造っていたのだろう。此の半年で、纏めて実験して、纏めて進めた。双六で言えば五とか六を連発して一気に上がりといったところか。となると核放棄等を迫るのも、もう無理だろう。掌を返したように国際社会に温かく迎い入れるより手が無いな。いっそアフリカ辺りのPKOでもやって貰おう。そうやって少しずつ慣らして行く。其の内、気分も変わるだろう。何しろ、世界に輝く一等国なのだから。其れに、小さい中国がもう一つできたと思えば、そんなに腹も立たない。
 段段晴れて結局暑い。午後出社。事務仕事多く、正直授業どころではなし。金弐万円受け取る。退社後は中華立ち飲みへ。何だか雨が降り出しそうなので、職場に傘を取りに帰る。ぱっと電灯を点けると、奴らがいた。併し近寄ってくる訳でも、逃げる訳でも、当然襲って来る訳でもなし。見ようによっては出迎えていると思えないことも無い。いやしかし、奴らというか彼らに、こういう感情を抱いたことは今まで余りなかった。吾人としても意外である。何しろ酔っていたからな。九州北部は大雨。


7/4・火
 グレの数次に渡る攻撃と、朝の五時半から酔っぱらった若者たちが鬼ごっこか何かをやっていたので、三時間程度しか眠れず。おまけに八時からは御向かいの水道管接続大工事。止むを得ず、起きて草取り。併し異様に蒸し暑く、十五分やって一時間半休憩を数ターン繰り返して、午睡に移る。
 流石に各エアコンも使用開始。すると家人の部屋の物が調子が悪いという。音を確認すると、停止する寸前といった感じである。三洋電機製の十年物だが、元元が安かったから、あまり造作も良くなかった(特に室外機)。ストップゴーをすると機器に負荷が掛かるから、なるべく点けっぱなしにしておくよう指示す。何しろ寝室兼病室だから、一息に壊れたら目も当てられず。暑い上に、台風までやって来る。夕方から次第に大雨となる。夜半には止む。


7/3・月
 未明から南風が吹き込み、行き成りの熱帯夜となる。一瞬で汗疹が。昨日の投票率は51パーセント。まあ此方も吹いたことは吹いたのだろう。よくよく見ると世田谷では自民は三議席と全員当選。自民惨敗に手を貸せず、つくづく残念である。何せ議席が八もある大選挙区だから、風の影響も受けにくい。
 日中三十三度に達す。午前午後と漫然す。というのも普段は人間のことを飯の種ぐらいにして思っていないグレが、何度も上って来ては甘えてくる。当然睡眠妨害。一年に一二度はそういう時期があるからつくづく不思議である。此の所、グレはずっと無断外泊をしていた。恐らく何かの事情で先方から追い出されたのだろう。そして急に里心が付いたという訳である。
夕方千寿に出校。退社後はとんかつを食うと先週から決めていた。早速揚げ立てを食す。併しよくよく噛み締めて見ると、肉に何の味もしないことに気が付く。安い輸入豚なのかなあ。結局はソースの味で食っているのである。揚げ方はいいのだから、いっそ肉を持ち込みたいと思った。つまり揚げるだけの店、正真正銘の揚げ物屋なんていうのがあってもいい。


7/2・日
 香港返還から二十年。此の間、二制度目の民主主義も相当侵食されて仕舞ったよう。強面の国家主席は式典に出て来て、何だか得得と喋っていた。それにしても此れだけ相互交流が盛んになり、インターネットもある(本国では肝心な所は削除されるらしいが)というのに、中国の民主化だけは全く進まない。経済発展ノットイコール民主化である。ロシアを見ても分かるように、そもそもの経済も開放経済という訳でもないのだろう。大事な所は党に悉く抑えられているというから、一種のマフィア資本主義である。となると経済危機というショック療法を待つより手が無いのかもしれない。
 朝から都議会議員選挙に行く。徐徐に晴れて次第に暑くなる。昼は中華食堂に。何時の間にか国道の此方側に移転している。店舗は拡大しているから業務拡張である。確かに並の中華チェーンより安くて旨い。一方、歩行能力の落ちた両家人は手に手を取って投票に行ったが、老家人は投票所まで辿り着けなかったという。もっと涼しい内に行くべきであった。
 夜は「KUNOICHI 2017」を見ながら、各局の開票速報を斜め見る。まず前者の説明。要するに女性だけで風雲たけし城を攻略するというもの。挑戦者たちは、跳んだり、撥ねられたり、水に落ちたりする。タレント、アスリート、一般の方方が割と公平に扱われていて、見ていて飽きない。
 さて後者だが、どうやら自民は壊滅。都民何とかが大勝す。風が吹いたのだろう。まあ都民何とかが何をするとも思えないが、Aに大ダメージを与えられたことだけは評価に値する。大体都議会選挙と言うのは政権への(不)信任投票だからね。Aとしては、元の防衛大臣を冷遇したことが都知事選への出馬を促し、巡り巡って自身の倒閣に繋がったというべきか。また世田谷では民進議席を回復(前回は二人出して共倒れだった)したものの、都議会では第五党となる。
 今後は何何ファーストが雨後の筍のように出て来るだろう。ニューコンテンツの登場である。自民への対抗勢力は、結局風頼みだから、次から次へと出て来ては、直ぐに飽きられて捨てられるの繰り返しである。筍の旬はますます短い。二年ぐらいだろうな賞味期限は。一方、例の蝗は次の票田を目指してどう動くか。今度は新新進党でも作るのかな。


7/1・土
 朝方烏がけたたましく鳴くので外を見てみると、狸(のようなもの)が走っていた。そういえば、ハクビシン(らしきもの)も見たことがある。歩いているのは酔っ払いだけではないな。併し昼は何処にいるのだろう。家で寝ているという訳でもなかろう。都会の不思議である。いや、でも、猫の見間違いかな。正しく百猫夜行。
 人手不足でも賃金が上がらないのは世界的傾向らしい。今後の自動化、コンピューター化が怖くておちおち人を雇い入れられないというのが其の説明らしいが、どうにも本質を捉えていないような気がする。大体産業が自動化され徐徐に無人化されるというのは今に始まったことではない。
やはり資本主義が限界に達したというのが本当の答えでないだろうか。資本主義は成長を前提としている。貯め込んだ利益は投資に回し、それでも足りない御金は借りて来なくてはならない。臥薪嘗胆。今日より明日、明日より明後日(は生産力が向上しもっと豊かになる)。明後日のために今の支出を抑えよ、の精神である。必然的に労働分配率は下がる。併も折角苦労して投資しても、何しろ経済成長が止まっているから、大して儲からない。元手を磨らない事を第一に考えると、投資はしない方が佳い。という訳で利益はそのまま内部留保として貯まることになる。
 ならばいっそのこと、投資も留保も止めて、余った御金は社員に配って仕舞えばいいのだと思う。西日本の何処かにそういう眼鏡販売店があったと聞いたことがある。利益は社員と御客で山分け。つまり社員には臨時ボーナスを配り、御客には利益還元セールをして御仕舞。市場経済である以上、利益の追求はする。でもそれ以上の拡大は目指さない。正しく、脱成長、脱資本主義、脱近代化である。
朝から降ったり止んだりの繰り返し。梅雨も本番である。夕方には晴れた。昼は冷凍食品。買い物は二便。夜は京樽の茶巾寿司。老家人は食欲が足りないと、黄色の着物だけを剥がして食べていた。真っ裸にされた其れは何だか恥ずかしそうであった。夜は取り寄せた『数学する身体』という本で少し向学しようとした。