2017年9月

9/30・土
 午前中は宿酔気味。漸く夕方脚立に上り、侵入して来た西洋朝顔を引っ剥がす。既に万代伯母の家を覆い始めているが、完全撤去には程遠く。兎に角凄まじい繁殖力である。而も株が古いのか花も咲かず。鬱陶しいだけである。夜は今季初鋤焼きに。安い肉にした為、及第せず。矢張り贅沢をしたという気分がしないとね。麦酒二缶のみ。
九月も今日で御仕舞。何も無い月にもかかわらず一万五千字。後半は政局に関する記述が増えた。ひと月後にはAが辞任したと書きたいものである。


9/29・金
 朝からすっきりと晴れた。野党共闘を反故にされた共産党は怒っているらしい。まあ二大保守政党というのも救いがないから、左派政党と言うのも必要なことは必要である。何れ野党再再編があるかもしれない。其の時、共産党が解党し、幅広い左派リベラルの礎となってくれるだろうか。くれないだろうな。共産党には、自身の存在が左派の可能性を却って狭めているのだという認識もなさそうだし。
 「やすらぎの郷」終了。四月と五月は大分見逃したが、月を追うごとに引き込まれた。老いと孤独と言うシリアステーマにコミカルエピソードが巧く散りばめてあり、主人公その他の為人がよくわかるストーリーとなっていた。大体人生というものはそういうものの繰り返しであるからね。老脚本家の面目躍如といったところであろう。併し最近のドラマは、人物の様様な側面まで描くには時間が足りないからなあ(三ヶ月クールの十回程度ではね)。そんな中、民間放送としては結構頑張った方であろう。ところで吾人も此のままのペースなら、こういう所に入るしかなさそうである。何しろ親戚も少ないし、大した友人もいないから益益困ったことになると思った。
 午後出社。退社後は鶴木さんらと佐渡屋へ。帰宅後のテレビニュースを見ていると、民進のリベラル派は揃って入店拒否にあったとのこと。ラーメンの人も愈愈本性を露わにしたな。リベラル派は、面従腹背で一旦入店し、所謂トロイの木馬戦術でホープ亭を乗っ取る計画も難しくなった。Aの退治はラーメンの人に任せるとしても、ホープ亭にはつくづく失望す。詰まりホープレスである。吾人としては、ついぞ投票先がなくなった。そういえば社民党って、まだあったんだよな。


9/28・木
 朝方は大雨。割と直ぐに止んだ。ところで、北が矢鱈とアメリカを恐れるのは朝鮮戦争時の絨毯爆撃のトラウマ、ロシアが意地でもウクライナを手放さないのはナチスの陸軍に国土を蹂躙されたトラウマがあるそうである(直接外国と接したくないらしい)。こういうことは日本人には分かり辛い。何しろ日本人だけは何もかもすっかり忘れているからな。
 臨時国会が開催され、二分後に解散される。奇襲を狙ったAの思惑はすっかり外れ、自爆解散となりそうである。まあしかし新党というものは破壊力だけはある。此れでラーメンの人も自ら出馬してくれば万全である。民進党も座して消滅を待つよりは幾らか増しだろう。こういう野党合同を画策しているのは、やはり例のO元代表らしい。壊し屋、最後の仕事である。とは言うものの多くの世人や吾人も含め、ラーメン総理などを望んでいる訳ではない。次は宏池会のK氏で十分である。兎に角、Aだけは一秒でも早く居なくなって欲しい。ただ、其れだけである。
 猫小屋を秋仕様に改装した以外は、駐車場に放置してあったキャリーバッグの解体。粗大ゴミ処分費を渋った誰かが捨てて行った模様。金属部分をドライバーで外し、本体は七十リットルの袋の中に。周囲を草木と一般ごみで覆って擬装すれば一丁上がり。正しくゴミとの闘いの日日である。
夕方から更に一雨。以後ぐっと寒くなる。併し肝心の小屋に外猫は入らず。発泡スチロールの板の上で包まっている。つくづく勝手だな、猫という存在は。併しもしも猿の代わりに猫が進化して、猫人類のようなものがいたら、どういうことになっただろう。何しろ自分勝手で孤独が好きだから、政治権力などというものの成立は遅く、かつ脆弱だろうな。非集権、地域分散。縄張りを巡ってやくざ屋さんの抗争のようなものは偶にあるだろうが、国家総力戦とかジェノサイドなどは相当少ない猫社会が出来ていた筈である。


9/27・水
 朝からどんどん曇る。ホープ亭の開店会。柵みのない政治とか、リセットとか、何処かで聞いたようなメニューを並べていた。兎に角、Aを退陣に追い込めれば十分である。其れ以上は何も期待しないし、期待すべきではない。併し新党と言うのはインパクトがあるな。ひと月前とは一気に違う。政治状況は少なくとも表層的には動くときは動くものだと半ば感心し、其れ以上に呆れもする。
 午後出社。試験前と云う事で生徒が押し掛けているが、何だか少しも気持ちが乗ってこない。此の所ずっと鬱状態である。雨が降って来るので早く帰りたかったが、それ以上に何だか普通の大人に会って、話しをしたいと思った。其処で一年近く行っていないバーIを覗くも、先客多数。佐渡屋も混雑している。止むを得ず祐天寺の立ち飲みBへ回航。なんと此処も大混雑。何しろ月末だからかな。俸給生活者が出て来たのだろう。土地と建物が稼いだお金を只管呑み潰している吾人とはカレンダーの造りが違うのだと思った。結局Bで少し飲み、ラーメンの花月苑に寄って帰った。
 夜のニュースによると、民進党は自ら進んで解凍して、ホープ亭の出汁になるとのこと。政治家と言うのは当落が絡むと凄いことを思い付く。つくづく常人とは思考回路が違うと思った。吾人とて、日本政治というものは小学生の頃から見て来たし、鳳生大学でも色色な先生に学んだが、こういう形で動くとは少少予測の範囲を超えている。政治のダイナミズムと言うべきか、いや、なりゆきといきおいだな。爆発的化学反応である。ちなみにМ原代表に肩入れしていた京王の先生は怒っているのだろうか。Aを引き摺り下ろす為には、此処は我慢である。リベラル派の再建は選挙後にも出来るだろうし、今回は一種の偽装解党という見方もあり得る。政治にはある程度の数が必要である。帰宅後暫らくして大雨。
深夜になりテレビ東京系の「魔法陣グルグル」を見る。何時の間にか再再アニメ化されていた。要約すると無国籍無時代風RPG的物語で、勇者と魔法使いが魔王を倒すというもの。定番と言えば定番なのだが、主役から端役までの役割分担が秀逸で、どんな登場人物にも魅力と欠点と佳い出番がある。緩やかな世界観に加え、ボケとツッコミを繰り返すあたりは関西風の味付けもあって見ていて飽きない。昼間の教育テレビでやっても差し支えの無い内容である。こういう面白い話で心を癒さなくてはね。漫画やアニメには大して詳しくないが、吾人も推奨する数少ない作品である。


9/26・火
 昨夜のAは色色と解散理由を述べたらしい。今まで聞いたことすらない、取って付けたような論点を挙げる辺り、全く以て滅茶苦茶である。併し国難突破解散と言うのは噴飯物だな。Aの存在自身が既に国難である。本当に早く居なくなって欲しい。案外願いは叶うかもしれない。政治は決断だから野党共闘も急速に進む期待がある。
 何だか更に暑くなる。今夏はお盆前からが異様に涼しく、彼岸前後から却って暑くなった。出たり入ったりしながら、蔦を払ったり、枝を落としたりす。西側の無管理マンションにも立ち入り、伸び過ぎたヤツデなどを切ってやった。此の物件など完全放置状態で粗大ゴミなども散乱している。入居者はいるようだが、所有者と管理者は何処にいるのだろう。其れ以外は無為。


9/25・月
 昨日より暑い。午後二週ぶりに千寿に出校。大橋の王将に寄って帰る。帰宅は十一時を過ぎたので、Aの会見とかテレビ出演とかは大して見ずに済んだ。今夕に解散を正式に表明したそうである。
其れに先立つこと数時間、ラーメンの人も新党立ち上げを公表す。序に代表に就任するとのこと。ラーメンの人の新党だから、差し詰めホープ亭だな。併しそもそも首長と店主の兼務は巧く行かないだろうし、店は実は相当右に傾いているだとか、何れ永田町の本店に戻る腹積もりだろうとか、掻き集めた従業員は他店に居られなくなったような烏合の衆であるとか、メニューは保守なのに革新と言う寄せ集めであるとか、出汁は御得意の風見鶏に違いない等等、店主には誠に色色と疑念があるが、もしも開店の時だけでも繁盛して、Aを権力の座から引き摺り下ろしてくれれば、新店の存在価値は正しく其の一瞬にのみ存在し得るであろう。第一に、二、三年後には無くなっているだろうし。ちなみに新規開業した飲食店の七割は三年以内に廃業するそうである。


9/24・日
 まあまあ晴れた。再びの出鱈目散歩に。82系統のバスに乗り等々力へ。渓谷沿いに歩き、多摩川に至る。以後河川敷をとぼとぼと歩く。併し日本人は海洋民族だとか、山岳信仰に厚いなどとしばしば言われるが、関東平野の中の方に住んでいると、海は遠いし(行ったところで泳げないし)、とっくの昔に信仰心も失った。そんな訳で手っ取り早く自然を感じるのは、矢張り河川、就中此の多摩川であるなどと思いながら歩いた。大体海なし県と言うのは沢山あるが、川なし県と言うのは無いだろう。
バーべ―キュー集団を横目に丸子橋を渡り、新丸子まで。せめて海を感じようと適当な回転寿司に入る。何だかぱっとしないので食べ足りず。多摩川駅構内の「梅もと」にも寄った。帰宅後は「御福餅」も食べる(近所のスーパーでは赤福は売らないが此方は偶に売っている)。一万五千は歩いたが、結局相当なカロリーも摂取したことになる。


9/23・土
 北の国の小皇帝と合衆国の暴君は、国連の場を借りて言葉の応酬合戦。とてもじゃないが話しが通じるような雰囲気では無し。北もそろそろ黙った方がいい。所謂戦略的忍耐と言うやつである。三年も待てば合衆国の方は交代する筈だから。雨は未明には上がる。以後曇り。取り立てて無為。


9/22・金
 老家人用に運動靴を取り寄せたが、色色と難癖を付けて履こうすらしない。其れに履いたところで行くところも無いし、第一に歩こうともしない。つくづく精神力が足りないと思った。吾人も何十年かすれば、ああなるか、せめてああなる気持ちが分かるようになるのだろうか。
 午後から雨。バス出社。すると年寄りが集団で乗り込んで来る。堪らず途中下車。東横線に乗り換える。更に東急線の入り組んだ部分に入り、往ったり来たりしながら勤務先を目指した。バスで立つより、動いていた方がよっぽどいい。
まず小論文の指導。酷い内容で、正直修正の仕様がない。提出期限が近いので、吾人が全面的に代書した方が余程簡単だが、何とか添加と削除を繰り返す。授業の合間にぼんやりとしていると、今年就職した江田島君が訪ねてくる。曰く、折角大学まで出たけれど、クソみたいな会社でクソみたいな仕事をしていると。吾人は、クソみたいな会社でクソみたいな人間にならない為にも、大学で学んだことは無駄ではないと応した。そういう教養の類は、クソみたいな社会でクソみたいに出世している人から見れば、当然クソみたいなものだろうが、そういうクソのように見えるものこそが、クソ社会で絶望して、クソみたいな死を迎えないために益益必要なのだとも続けた。大体クソ学院でクソみたいなことを教えている吾人が言うのだから間違いのないことである。併しクソばかり出て来るから、さながらクソ問答だと思った。退社後は立ち飲みBへ。鶴木さんとクソみたいな会話をし、11系統のバスに乗り、環七でラーメンを補給して帰った。


9/21・木
 再び秋晴れに。朝は草取り。昼は「やすらぎの郷」。同所創立者にして芸能界のドン、加納栄吉氏逝去。最後の最期までテレビが詰まらなくなったと憤激されていた。確かに最近のテレビは、点けておくだけ、つまりラジオのようになっているなあ。テレビジョンを見ない人が大勢いるもの。うーん、番組が多すぎるからかな。午前午後は再放送に充て、民力休養、経費節減、其の上で乾坤一擲の特選報道番組や超長編ドラマ、衝撃バラエティー番組で勝負をして欲しいと思った。
ところで同所は、寄る辺のない元芸能人や芸能関係者の為に開所されたとのこと。別に華やかな世界に身を投じていなくとも、今後はこういう低年金、無資産、没交渉な人人が続出する予定である。結局、国が面倒を見るしかない。税金を幾ら集めても足りないと思った。また家人は鎌倉に墓参。老家人にカップうどんを食べさせ、吾人は外のラーメン。老家人には風呂に入れ入れと朝から怒鳴ったから、少しは入った模様。ちなみに加納氏は享年九十九、ならば老家人とてあと数年は頑張れる筈である。
 午後は『全体主義の起原』の読み直し。何しろ最近教育テレビで解説してくれている。此の分厚い三冊組は十年くらい前に買い、以後本棚の飾りとなっているが、よくよく読むと結構傍線が引かれている。なかなかいい所に着目していると、我ながら感心す。いやいや、こうしてテレビは結構見ていますよと、加納氏に伝えたいな。夜は安白ワインで泥酔す。


9/20・水
 朝から曇る。朝から解散と北朝鮮関連のニュースばかり。万事馬鹿馬鹿しい。腹が立って腹が立って仕様がない。もうテレビは見ないことにする。
午後出社。すると手違いで開錠できず。いっそ此のまま帰ってやろうと思った。一時間後に辛うじて復職す。退社後は中華立ち飲みへ。併し気分は優れず、早目の退散。こういう晩はせめて旨いラーメンでも食べて帰りたかったが、幾ら看板を掛け替えても一向に旨くならない博多ラーメン屋に寄る気にもなれず、また北海道ラーメンは既に撤収していた。一年とちょっと位だったな。結局家で冷凍うどん。こんな晩は猫でも弄るのが一番良い。ぼんやりしているシロを抱き寄せた。此の処の夜露に洗われ毛も綺麗である。


9/19・火
 昨日より涼しく晴れる。折角なので何処かに出掛けようと思ったが、結局屋外作業。草の海の上に敷いて踏み板にしていたような廃材も捨てることにした。「せい家」の付け麵を挟んで午後も続ける。
 十一月に来日するらしい、あのぼんくら大統領を新内閣でお迎えするために、解散を急ぐのだという。そんな出鱈目な理屈はないし、そもそも何処まであの国に追従するのだろう。此れ以上の国恥は無いと思った。其れに八月の内閣改造は何だったのか。全てを破壊するテロ解散である。本当にAには一日でも一時間でも一分でも早く居なくなって欲しい。併し投票率も低そうだな。つまり、そういうことになるのだろう。するとつまり一党独裁だな。もはや中国やロシアや北朝鮮と大差なし。而も自ら進んで独裁を選ぶのだから、尚一層質が悪い。
 暇そうにしている現場監督に御向かいの部屋を見せて貰う。建物が大きいから全ての部屋が南か西か東に面するという訳にはいかず。設備は最新式だが、こういう所はどうにもならない。北向きは安いのだろう。


9/18・月
 南九州、四国、近畿と来た台風は北陸に抜ける。日付が変わった頃から急に南風。そして大雨となる。外猫が心配だが、もう七歳だから何とかするだろう。雨は割と直ぐに止んだが、強風は明け方まで続く。結局不眠。朝になり葦簀を片付けると、刎頚之友が発見される。隅に隠れていたよう。兎に角佳かった。台風が去り、かんかん照り。夏が蒸し返す。
 今更ながら敬老の日である。二百メートル離れた介護施設に行く老家人を少し見送り、少し迎えに待った。何時もの月曜日と同じである。九十歳以上は二百万人いるそうである。昼は弁当、夜はスーパーのとんかつ。九時就寝。


9/17・日
 辛うじて宿酔はなし。台風接近のため一日雨。近くの神社のお祭りも中止。つくづく生憎の台風である。報道各社一斉に衆議院は年内解散と伝える。まあそう云う事だろうな。ただ臨時国会の冒頭解散だけはやめて欲しい。多少なりとて議論をしたという形式が大事なのである。こんなことをAに言っても無駄だろうが。ところで民進の離党派も、北の国と同様、Aの応援団であるということに早く気付くべきである。新党乱立なら丸で勝ち目がない。いや、ひょっとしたら別動隊なのかもしれない。野党第一党をより完璧に壊すべく活動しているのだから。其の上でAと合流する積りなのだろう。何から何まで惨い話しである。
 終日在宅。暇に飽かせて「ガイアの夜明け・キリンとアサヒ宿命の対決」を見る。先輩社員による後輩社員への説教シーンが、パワーハラスメントではないかと話題になった回である。当該シーンも見てみたが、大したことはなかった。それにしてもビールの営業も大変だな。大半の消費者は味では選んでいないもの。となると価格とイメージの違いと云う事になる。いっそ広告宣伝営業費をゼロにしたらどうだろう。一缶五円くらいは安くなるだろうか。併し広告代理店もタレントもコピーライターも民間放送局も、当の営業員も失職して仕舞うから無理だろうな。でも吾人は年間数千円は得する勘定である。昼食晩食共に野菜中心。数日間はカロリーカットしなくては。夜も三缶のみ。ちなみに吾人は専らサッポロ「麦とホップ」である。
他は数日前の書評欄に在った『永井荷風ひとり暮らしの贅沢』を取り寄せて眺めた。文士たるものよく食べる。荷風文化勲章も貰った。名誉より年金が目当てで、其れを元手に踊り子たちに甘い物でも食べさせてやる積りだったらしい。併し受賞後は踊り子を始め近所の人たちまでもが、勲章のど偉い先生だからと急に余所余所しくなったとのこと。此れは本人も想定外だった。矢張り「いやだからいやだ」と断らなくてはね。ネットで調べると晩年の荷風が愛した市川のカツ丼屋も閉店したとのこと。残念だぁ。
夜になりNスぺ「黒潮・巨大海流の謎」。黒潮もフィリピン辺りの源流付近では栄養も疎らなのだという。其れが日本列島に近づくに連れて豊かになり、大きな鰹が育つとのこと。海の恵みに感謝したいところだが、近所には魚屋がない(みんな廃業して仕舞った)。あるのはセンター納品の駄目スーパーばかりである(刺身など角が取れて干からびている)。生憎世田谷までは流れて来ないな。


9/16・土
 まず側溝の掃除。溜まった土砂を掃き出す。其の後、不動産屋に書類を搬送。常時草が生え放題の駐車場も、此の所、立て続けに埋まった。みな工事屋さんである。建設特需のお零れに少しは与らなくてはね。
其の足で神宮球場へ参る。藤松君主催の大学野球を見る会。と言っても、やって来たのは月波君のみ。肝心の鳳生大学は不甲斐ない負け方。ただ吾人は目測を誤り、大分早めに到着。第一試合にて日本で一番難しい大学が勝つところを目撃する。二季ぶりだそうである。何でも凄い投手がいるとの事。
 試合終了を見届けてから、少し歩いて都営地下鉄に乗る。都営交通の中でも12号線には滅多に乗らない。恐らく生涯二度目か三度目である。吊り掛けモーターのような音がして驚いた。併し同じ都内でありながら、世田谷には都営と名の付く物で使えるものなど何もない(多分水道ぐらい)。其れに都立高校にも行って無い。固定資産税を沢山支払っている東京都西部の住民は損をしていると思った。ただ拙宅は墓地だけは辛うじて都営である。
大分遠回りをして、牛込神楽坂の「三宝」という焼肉店に移動。店内は直ぐに満席。運動選手に人気があるらしく、牛とは言わないが羊の一匹ぐらい食い尽くしそうな一団も居て頼もしい。吾人たちは藤松君お勧めの牛頬肉を中心に散散飲食。更に「龍朋」という中華屋にも参る。焼肉というものは食べつけていないのでよく分からないが、此処の炒飯は誠に秀逸であった。どちらもしっかりとした個人店である。其れに最初に入った外苑前の名無しの立ち食い蕎麦屋も旨かった(「信越そば」と言うらしい)。外食文化と言う点でも、山手線の内側のオールドトーキョーには敵わないと思った。人口密度の問題かな。ふらふらになって何とか帰宅す。
 そう言えば神宮には「目を覚ませ」という掲示が沢山あった。ヤクルトの応援幕である。併し起きろと言うことには寝ているという前提がある。起きて真面目にやっていてもあの結果なのだから、非常にアイロニカルだと思った。叱咤激励と言うやつかな。中日も酷いことは酷いが、ヤクルトは圧倒的な最下位である。


9/15・金
 昨夜は缶ビール一つだけだったので、非常にすっきりとす。朝方から何気なく「鳳生大学寄付者芳名録」を眺めていると、月波君の名前があった。一万円を寄付していた。通信制の経済学部も卒業したらしいから、其の御礼と云う事なのだろう。ちなみに個人の寄付額の最高は500万円、最低は50円。数百円程度の寄付者まで律儀に載せているから感心す。義雄伯父さんの遺品を寄贈した関係で、京王大学の同様の物も見たことがあるが、鳳生大学とは一桁、いや二桁違っていた(確か三億円を寄付した人が居た)。最高と最低を比べても仕様がないが、併し50円の寄付って・・・。
 台風18号は急回転し、列島縦断コースだという。いっそ北の方に行ってくれないものか。巨大事故や自然災害で、政治体制が転換するということも多い筈だし。でも犠牲になるのは庶民だからなあ。買い物は二便。青果を中心に買い揃えた。ニュースはまたまたミサイル一色だが、台風被害で生鮮品が値上がりする方が、よっぽど生活にとっては危機である。午後出社。退社後は佐渡屋に直行コース。乳飲み子連れの咲子さんとも会う。あの店は禁煙だから安心して入れるな。


9/14・木
 今日も同じようなお天気。何だか宿酔気味で、午前中は区間運休。其れでもゴミは出さなくてはならない。四十五が二つに、七十が一。此れで滞貨一掃。溜まっていた剪定ゴミが全てなくなった。あとは伸びて来た分だけを取ればいい。今年は実に早かった。三連休が近いが台風が接近とのこと。元元何の予定も無いけどね。日中何度も上厠す。終日漫然とす。


9/13・水
 朝から晴れて、久久の三十度超え。午後出社。退社後は久久の中華立ち飲みに。久久の二千円超えであった。


9/12・火
 昨日は色色と節目の日でもあった。3・11から六年半、ナインイレブンから十六年である。十六年前のあの日は確か台風が去って、気持ちのいい晩であった。大貧学院での勤務を終え、少し飲み、自転車がないので徒歩で帰宅したと記憶している。家に着いたら大騒ぎになっていて驚いた(当初は小型機の衝突だと思った)。やはりあれから世界は変わって仕舞ったのだな。
 一方ビルマの田舎では大量の難民が発生しているらしい。此処で注目されるのはア氏の対応である。丸で切れがないと、あちこちから非難の集中砲火である。野党や言論人とは違うから、政権内部に居るというのは大変である。此処が踏ん張りどころだな。少しは本格派の政治家に成れるだろうか。
 南の風と雲が来て、降ったり止んだりを繰り返す。夕方前には空は青くなった。草取りも低木刈りも一段落。高木の方は秋の終わりに専門家にやって貰う予定である。従って大体漫然とす。ボーシヨーチョーとセーサイキョーカは似ていると思ったりした。


9/11・月
 以前書いたように、御隣りのマンションは所有者が売却の上、引っ越された。新所有者は秘書を名乗る人が一度挨拶に来て以来、全く消息不明。結局無管理マンションである。木は枯れ果て、草は伸び放題。散乱したゴミの片づけと分別は吾人が行う始末(何しろ分別しないと収集してくれない)。本当にどうにも仕様がない。
 まあまあ晴れて、そこそこ暑い。午後千寿に。試験前と云う事で相変わらずS子先生は狂ったように怒鳴り散らしている。あの国会議員ほどではないが、録音したら面白いだろうと思った。スマホがあるので出来ないことも無いが、直ぐ隣りで授業している吾人の間抜けな声も録音されて仕舞うから、思い留まった。結構忙しくて、食べたい物を思い浮かべる余裕がなかった。其のまま帰宅。
帰り掛けは『闘う文豪とナチス・ドイツ』。やはり他人の日記は気に掛かる。併し相手は大文豪だし、まして全十巻、十数万円の大著である。近くの図書館で揃えてくれないかな。それにしても最近は一般人でも大量の日記が書くことが出来る。キーボードとインターネットの御蔭である。手では大量に書けないし、公開するという動機がなければそんなに長く続けられない。吾人の日記も3・11以前は、手書きの非公開である。従って一日三行程度の短いものである。
 また此の処の老家人は益益不機嫌に。今日など癇癪を起こしていた。体が思うように動かないことにイライラしたらしい。怒るくらいなら、もう少し運動すればいいのだが、何しろ半寝た切りのような物だからな。肉体の衰えに精神の方が付いて行けないのだろう。


9/10・日
 早く起きたので、久久の出鱈目散歩に出る。世田谷線小田急線を乗り継ぎ、生田に降り立つ。其処から市バスに乗り宮前平に。一駅歩いて宮崎台まで移動したが、散歩番組に登場するような面白そうな店は何も出て来ず。結局田園都市線に乗り、溝の口下車。少し歩き回ったが、流石に朝からやっている飲み屋はないな。再び構内に戻り、「梅もと」に入る。天麩羅そば390円。此処は茹で置き麺使用だが予想以上に旨い。家に着くとまだ十時にもなってなかった。
帰宅後は遠くの八百屋に青果専用便。序に巻き寿司屋に寄る。何時の間にか建て替わっていて驚いた。此の商店街も廃業が相次ぎ、歯抜け地帯のような状況だが、建て替えてまで商売を続けるとは頼もしい。夜は枝豆と厚揚げ麻婆。結構暑かったが冷房を点ける程では無し。本日は作業も停止す。
夕方前、新宿駅の少し手前で火災が発生。偶偶通り掛かった小田急線の各駅停車に燃え移る。併し電車の屋根もあんな風に燃えるのだね。世が世なら桜木町事件になる所であった。新宿経堂間は長時間に渡り運休す。せめて上原から千代田線に流せないものかなあ。もうじき複複線になるというのに。
夜はNスペ「沖縄と核」を見る。ナイキとかメースBとか、ある意味懐かしい(?)名前が沢山出ていた。それにしても数十年も前から此の戦力である。北のミサイルなど骨董品のおもちゃのような物だがね。それに兵器が幾ら世代交代しようとも肝心の沖縄の基地については何も変わっていないが。


9/9・土
 件の議員は民進党を離党す。迷惑を掛けた責任を取って・・・と云う事らしい。何しろ保育園の不足と言う問題を追及していたからな。百年前ならば家庭で処理される問題が政治に直結するのが今日の世界である。例えば、育児は元元は家内、時代が下っても精精地方公共団体の仕事である。だがそれらは今や立派な政治課題となる。仮にAと言う自治体が艱難辛苦の上に保育園を増設した。併し其れが知られるや否や、隣接するBやCの自治体から住民がどんどん流入して仕舞う。結局保育園がAもBもCも足りないことに変わりはない。詰まりは国の問題である。
ということで家庭をないがしろにしたらしいという議員自身の極めて個人的な問題であっても、急速に政治的問題となり、ブーメランのように議員当人の資質の問題に還って来る。密会する時間を得る為に保育園が必要なのかと言う風に。
個人的な課題が政治に直結するあたり、やっぱり儒教的世界観の方が適しているのかな。此の議員の専門が外交とか財政ならば、また違ったのだろう。それらは票にならないか・・・。アレントか誰かが、政治というものは、やれ個人のアクションだの、アゴーンだの、自己表出だのと称賛したギリシャの頃とはえらい違いであるとつくづく思った。
朝から晴れて、朝から草取り。其の後牛丼Sへ。久久に行ったが、すっかり一人勤務に戻った模様。大量の仕事を押し付けられた若いアルバイト店員は、言葉は丁寧だが、何だか仕事が荒い。下げた食器をぶん投げている。何かの拍子に怒り始めるのではないかと冷や冷やす。婆さんでも一人、補助員として雇えないものかなあ。年寄りは朝に強い筈だし。
以後も延延と草取りす。ところで数日来、吾人愛用のトングが見当たらず。ゴミの回収、分別、取った草を袋に押し込むことなど、八面六臂の活躍をして来ただけに気に掛かる。良く手に馴染んだ、謂わば刎頚之友である。文字通り草の根を掻き分けて探したが、結局見付からず。一体何処へ行って仕舞ったのだろう。
買い物は三便。野菜が高くて閉口す。二便目は遠目のスーパーへ。ちなみに経路途上には有名な発明家が住んでおられる。家作も持っているのだが、ゴミ置き場は誠に極めて惨憺たる残念なことに。流石の発明王も自動分別器までは開発できなかった模様。だからこそ、いいトングが必要なのである。
名古屋から東京に向かっていたJRバスが炎上。幸いけが人等はなかったが、バスはまる焼け(多分荷物も)。側面の燕も無残にも焼き鳥である。まだ就航三年の新車だそうだが、エンジンから茫茫出火したとのこと。併しバスの事故は後を絶たない(JR直営であっても)。
東京名古屋はバスで行くと大体六時間である(運賃は五千円位)。併しそもそもバスと言う乗り物は、乗ったところで精精三、四時間が限度の乗り物であろう。何時間も走らせるから、引っ繰り返ったり、火が出たりする。それ以上は断じて列車で行くべきであると思った。「こだま」をもう少し値下げ出来ないものか(三時間で六千円とか)。あるいは在来線で昼行の直通快速を走らせるとか(四時間で五千円とか)。併しJR東海の事だから、リニアが通ったら、(厭厭)検討しますとでも言うのだろうな。


9/8・金
 数日ぶりに晴れる。従って作業も再開。昼に盛り蕎麦を沢山食べると、酷い眠気に襲われる。午後出社。併し眠くて眠くて、思考も停止。矢張り過食は佳くないと思った。八時ぐらいに漸くすっきりとしてきた。
退社後は晴雷亭と佐渡屋に鶴木さんと須々木さんを尋ねる。妙齢女性とも話しが盛り上がり、上機嫌で帰宅。やはり本務校で教え、周辺で飲んで帰るのが宜しいと思った。なお鷺乃間君には第二子が誕生。身の回りで人が増えるのは喜ばしい。またコンビニで自転車保険の更新。3990円。無事故だがちっとも安くならず落胆す。


9/7・木
 更なる制裁強化ということで、今度は石油の禁輸措置を検討中とのこと。流石にロシア等の反対もあり、実現するかは不透明。併し石油となると嫌な思い出があるな。余り追い詰めると、本当に新高山を登って来るかもしれないから、矢張り止めておいた方が佳い。一方の元地方創生大臣は、非核三原則の見直しまで言い始める始末。本音が出るな。明らかに危機に便乗した火事場泥棒である。
また民進党の前政調会長には個人的問題が出て来て、新幹事長に成れず。別に公的な仕事をさぼった訳ではないし、刑事事件になるような件でもないんだけどね。政府を追及する立場だったから、中中厳しいのだろうな。修身斉家・・・、つくづく儒教の国であると思う瞬間である。それに攻めは強いが守りに弱いのは、検察官上がりだからかなあ。他山の石も沢山あったというのに。恋は盲目とはよく言ったものである。でも此れだけ話題になるのは一種のやっかみだな。大半の日本人はイタリア人やフランス人みたいに愛せないし。併し此の所、週刊誌にネタがどんどん持ち込まれる。偉い人は余程気を付けなくては。
電気使用量237キロワット。前年比14%減。冷夏だったから、どの程度省エネ効果が出たのかは判明せず。朝から小雨模様。買い物は一便のみ。草取りも出来ず、終日漫然とす。


9/6・水
 午前中は宿酔気味。そんなに大量には飲まなかったが、ちびちびとでも五時間近く飲むとね。また朝から小雨。早くも秋雨といった感じ。午後出社。金参万円受け取る。退社後も其のまま直帰。レトルトカレーに缶ビールを一つ。対外的には一円も使わず。


9/5・火
 午前中は切った草木の整理。例によって収集車に乗せるまでが一苦労である。買い物は二便。高齢者は一回一回の食事は大した量ではないが、一日三回家で食べるから要求される物資は結構多い。
 午睡の後、都心に向かう。例によって月波君に誘われた。余り早くから行って飲み過ぎるといけないので、バスを使っていくことにす。まず東急バスで渋谷へ。更に都バスに乗り換える。併し東急の降り場も、都営の乗り場もどんどん移動している。渋谷駅の永遠再開発である。01系統新橋行きに乗車。此の系統は都内有数の繁華街を通る。併し五本木の方は年中通るが、一本足した方は降りたことすらない。吾人は都会生活に向いていないのかもしれない。
 まず立ち飲みBを表敬訪問。月波君と合流。宮川店長は居たが、相変わらず人が足りていない模様。オペレーションは崩壊状態。気の毒なので直ぐに新橋ビルに移動。坪上君を加え、界隈で延延と飲む。彼も管理職に就任したそうである。最後は二号館の地下の「こひなた」に参る。何処も彼処も立ち飲み屋ばかりだが、此処の立ち飲みは本物だと思った。いやあ新橋の地下にこんな空間があるとはね。正しく異界である。


9/4・月
 朝から小雨模様。診療所に参る。血圧は137の87。許容範囲である。待合室は古い人でいっぱい。二十分は待った。四十五日分の高脂血症薬の処方箋を出して貰って御仕舞。診療報酬1450円。薬代1070円。
セーサイキョーカと何とかの一つ覚えのように連呼する一方、アメリカの政権内部でも北朝鮮容認論が出始めた模様。ある程度の戦力保持と体制の維持を黙認しようという立場である。もはや先制攻撃も限定空爆も不可能なのだから、其の辺が現実的な落としどころだな。なお北の重武装化を追認するのだから、日韓両政府は却って反発しそう。併し幾ら何でも北の方から攻めて来たりはしないだろうし、実際に何処かの国を侵略したり他民族を虐殺したりしている訳ではない。国體を護持しさえすればいいのだから、案外易い案件でもある。それにしても何時かアメリカに爆殺されるというのも史上最大の被害妄想であるし、個人的な保身の為に核ミサイルまで持ち出すのも史上最大のごね得である。ギネスブックに載るな。三代目は。
午後千寿に出校。授業を詰め込まれるだけ詰め込まれて閉口する。五時から九時半まで息つく間もない。退社後は「福しん」へ。相変わらず、此処の炒飯は安定して旨い。駅からは雨に降られた。家に戻るとアレルギー酷し。堪らず抗ヒスタミン。ちなみに此れは「新アルシン鼻炎カプセル」という市販品。一錠二十円でよく効く。冒頭の高脂血症薬も市販品を出して欲しいところである。面倒臭くないし、大体医療費を削減せよという国の趣旨にも合う。そもそも吾人は納めた社会保険料の元を取ろうなどいう考えは微塵も持ち合わせていないし、実際にそうすべきではない。


9/3・日
 朝から秋晴れ。当然草刈りだが、夏も終わりに近づき、死期を悟った藪蚊の攻撃が凄まじい。此れではブラッドガーデンである。昼は隣町の「ラーメン希家」へ。チェーン店らしく自前で出汁など取っていない感じだが、案外旨い。セントラルキッチンの方が衛生的でいいな。しかし店員は全て外国の方。横浜ラーメンもグローバル化が著しい。
午後から延期になっていた皇族の会見。其れに先駆けて北の核実験。まさかぶつけて来た訳ではあるまい。併し男の人は大変だな。幾ら望んだこととはいえ、立ち小便は勿論、立ち飲み屋にも行けないもの。夕方は前庭。さっぱりさせたので街灯の光もよく透過する。秋という感じである。


9/2・土 
 結局かなりの宿酔に。原因は鶴木さんにある。飲み放題の終了間近に濃いお酒を大量に頼むのが宜しくない。勿体ないから全部飲んで、結局翌日こうなるのである。飲み放題サービスも止めた方がいいな。WHOが何か勧告していなかったっけ?
 朝方まで雨だったが、昼には綺麗に晴れた。向学しようと『日中戦争全史』を上下巻共に取り寄せる。結構売れているらしく、上巻は既に第二刷であった。併し中国大陸も東欧やロシアウクライナと同じかそれ以上のブラッドランドだと改めて思った(更に国共内戦文化大革命と続く)。大半の日本人は知らないし、知ろうともしないことであるが。
寝冷えをしたのか、鼻水止まらず。直ちに抗ヒスタミン。読書の疲れと相まって昏昏と午睡す。夜は缶ビールを一つ。


9/1・金
 寝ている間に月が代わり、今日から九月。遠くの台風が北風を呼び込み、依然として涼しい。防災の日。流石に政府も予知を前提とした下らない避難訓練は止めたよう。直下型が行き成り来たことを想定していた。
また今日は虐殺の日でもある。ラーメンの人が追悼文を出さなかったことで批判が広がる。此の人の本質は、こういう細部から明らかになる。明らかになるにつれ、あっという間に萎むだろうな。なんとかファーストの会も。なお都議連中がボロを出さないのは、厳しい箝口令が敷かれているとのこと。半分くらいはどう仕様もない人たちだから、鉄の規律がないとね。暴言暴挙が出て来ないのは残念だが、戦術的には正しい判断である。
誰も何も期待していないが、民進党の代表選挙。元外務大臣が選出される。最近は京王の若い先生と組んでやや左に寄っていたから、まあ其れもいいだろう。併し野党共闘はどうするのだろう。何しろ小選挙区なのだから、やらないことには勝てない。参議院も半分近くは一人区だし。また社会保障を充実させるといっても、御金がないな。少少の増税では医療費と年金の自然増に食われて御仕舞である。日銀に引き取らせた国債を内緒で消滅させるぐらいの禁じ手を使えば、何とかなるかもしれないが。
午後出社。今頃になって高校三年生が入って来る。而も横文字の入試で大学に受かりたいらしい。過去問を調べると、常識問題に面接に小論文等等。新聞社の就職試験のよう。つくづくこういう面倒臭い入試は止めて欲しいと思った。併し真冬の一般入試というものも早晩消滅し、入試もシューカツのようになるな。入試と名の付くものは既に夏から始まっているもの。退社後は焼肉チェーンでミニ金曜会。夜は大雨。アルコールを頭から太腿に移動させて帰る。