10/31・火
先の選挙で大敗したAは漸く辞任を表明。公明と維新を足して辛うじて過半数なのだから、あと少しで政権を交代させるところであった。つくづく惜しかった。週末の日米会談が花道となるな。T大統領としても御同類が居なくなると寂しいだろう。そして自民党は総裁選。(以上フェイク日記)
ネット等によると収支内訳書の明細書は自作も可ということで、早速エクセルで作り始める。此れさえ書けばあとは何とかなる。五名分も作ることになるが、大丈夫。自信を持たなくては。何せまだ十月である。朝から家人の振り込み。三万円から手数料が高くなるので、最近は29999円振り込むことにしている(此れだと216円)。異常な超低金利なので銀行さんも手数料収入が頼みだと言うが、気前よく432円も払えない。
結局カーテンだけは交換しようということになり、吾人が自転車で赴く。不良品ではないので交換は出来ず、一旦返品扱いになる。返金手続きをし、改めてカーテン売り場に参るも、Bフックのカーテンは一つもない。店の人に聞くと既製品はAしかないが、全てBに調節出来るようになっているとのこと。成程AはBを兼ねるという訳である。大手の店は考えることが万事合理的だと思った。感心してばかりもいられない。ならばそもそも返品する必要などなかったのである。返品を返品したかった。其れも何だか不格好なので其のまま帰える。誠に先週からやっていることが滅茶苦茶、いや鎮具破具だな。語源に迫るような迷走ぶりである。
気落ちしたお腹を膨らませようと、用賀駅前の松野やでとんかつ定食(530円)。更に駒沢公園で開催中のラーメンショーにも寄った。一杯850円。台風で具が掃けなかったのか、大振り厚切り叉焼二枚に煮玉子乗せ。少しは得をしたと思いたいな。ちなみに公園辺りでも矢鱈変な格好をした人が目立った。成程、西洋の南瓜祭りである。何にしろ内需拡大は国民の義務である。明細書作成と用賀遠征疲れで昏昏と午睡。
座間のアパートから大量の御遺体が。殺人か、嘱託殺人か、自殺幇助かまではまだ分からないが、あのアパートは取り壊しだな。家主も可哀想である。殺したい人と死にたい人が巧く適合したのかもしれないが、こういうことはつくづく宜しくない。大体、人に限らずあらゆる生き物というものは、憐れにも時の流れに抗うことは出来ず、放っておいても方方で死んで行く存在である。だから態態殺したり、勝手に死んだりしてはならない。悠久でないのだからこそ、一日、一夜、そして一瞬に賭けるのである。だからハロウィンで燥いでいるくらいが丁度いい。一方福岡の現金強奪事件は犯人検挙。こうして雨ばかりの十月も終了す。
10/30・月
快晴。風強し。冬型になり、木枯らし吹く。ぼんやりしていると税理士事務所から電話がある。本年分の確定申告書の作成を依頼する場合、法外な費用(数十万円)が掛かるとのこと。何しろ当方は相続専門なので御容赦くださいと謝られた。昨年は相続業務序での特別割引(数万円)だったのだろう。困ったことになった。自分で書くか。まだ十月だが、気分は既に二月である(今日の天気も)。去年とそっくり同じものを出したら怒られるかな。大体の収入と支出は計算できるが、あの矢鱈細かい不動産所得内訳書の作成が地獄級の苦しみなのである。早速細かいボールペンを買って来ようと思った。
午後中目黒経由で出社。高校三年生が専門学校に入りたいというので志望書を口述筆記させる。書いてやりたいのはやまやまだが、生憎千寿校にはワープロの類がない。夕方に小諸蕎麦を食べたので腹も減らない。其のまま帰宅。またまたコンビニ食となった。パスタも案外旨くて感心す。よくよく見ると、容器の底に溝があり、脂やソースが滴り落ちるように出来ている。だから適度に混ざるのだろう。こういうものばかりが進化すると思った。
10/29・日
先週と全く同じような大雨。一週間前に戻りもう一度投票をやり直したいところである。何度やっても、同じ結果になったかな。日曜は三週連続の雨である。偶偶点けていたテレビ番組で女子アナウンサーが倒れて仕舞う。働かせ過ぎだろうな。在京キー局ならば、自社アナにフリーアナと人材は幾らでもいるのだろうが、結局仕事は一部の人に集中する。労働組合もあるのだろうが何か機能しているようには見えず。
昼はコンビニ食。序に毎日新聞を買う。読書欄で『維新の夢』の西郷論が紹介されていたので早速読み返す。そういえば次の大河ドラマは西郷隆盛だったっけ。来年は明治維新から150年だが、Aあたりはまた佳からぬ行事を考えているだろうな。つくづくもう一つの近代化というものは無かったものか。少なくともあんなに戦争ばかりではない、もう少し平和な近代があればね。其の末裔としても、多少は気が楽なのだけれど。
カーテンに引き続き、今度はベッドカバーも返品したいという。此れで返品率四割である。而も品物が嵩んで一人では持って行けないと宣う。勝手にしなさいと吾人も激昂す。返品するより廃棄した方が楽である。つくづくあんな店に連れて行って、却って本当に損をした。夕方から土砂降り。九時頃には止み、十時には星が出ていた。風は吹かず。
10/28・土
鮭から卵だけ切り取られる事件が多発。腹を裂かれ魚体は捨てられていたという。二重の意味で腹立たしい。どうせ盗むのなら全部盗んで全部食べるべきである。身は石狩鍋かチャンチャン焼き、頭もなますにして食え。皮もパリッと焼くと頗る旨い。
例によって朝の五時にシロに起こされる。四時半から五時の間にやって来るのは定期便だから仕様がない(臨時便が本当に困る)。目覚めた序でにゴミ拾い。中流域も綺麗にしないとね。七時前にМ家で牛めし。また週末は雨だという。そしてまた台風だって。来週は何処かに出掛けようと思い、時刻表を開いて検討す。
須見伯母から蟹を貰ったので夕方から食べ始める。併し黙黙と解体してもズワイガニなど大して食べるところがない。冷凍食品で飢えを凌いだ。そう言えばソビエトが崩壊した直後は、矢鱈安いタラバガニが出回ったが、あれらはみんな食い尽くしてしまったのだろうな。つくづく惜しいことをした。尤も吾人は甲殻類は大して珍重しない質である。兎に角、酒さえ呑めれば、どんな憂き世も耐えられる。夜は本降り。夏の予定を秋に繰り下げた調布の花火大会も結局中止。つくづく、である。
10/27・金
今日も晴れた。両家人はインフルエンザの予防接種。高齢者は区の補助で安く受けられるらしい。ちなみに吾人は其の効能を認めていないので、受けたことはなし(痛くて高い思いをしても罹らないとは限らない)。所謂無防備人間宣言をしている。大体各種インフルは既に一回以上は経験している筈だし。家人は安静にしなくてはならないというので、朝から買い物は二便。
民進党の代表М原氏が辞任。例によってケロリンと謝罪していた。此の人は何時もそうだな。あんまり感情が出て来ない。信とか義とかあるいは怒といった、人間として押さえておくべき基本的部分が欠落しているような印象を抱く。だから頓珍漢だし、よく騙されるのである。
午後出社。チラシを配って歩く。数千歩。途中猫を犬のようにして飼っている家があった。詰まり、外には出してはいるが、綱に繋いでいる。解き放ってやろうかと一瞬思った。唯我独尊、誇り高き不羈独立の存在である御猫様を権力の下部のように扱ってはいけない。大丈夫、猫は必ず戻って来るよ。退社後は佐渡屋に直行。鶴木さんらと飲んでいる内に、通称ブータン国王(作務衣姿の初老男性)と出合う。今度若い女性を紹介するとおっしゃられたから、期待することにしよう。
10/26・木
漸く朝から晴れた。所謂ピリカンである。用がなくとも出掛けたくなる。偶には海を見ようと東横線と京急線に乗り、津久井浜下車。何時もの寿司屋に参る。併し客も少なく自動化コーナーしか開いていない。店内にはタブレット端末をクリックする音だけが木霊する。何だか活気の無い寿司屋というものもね。少しだけ飲んで退店。
海岸線をてくてく歩く。例によって尿意を催す。すると当てにしていた公共厠は大破していて使用中止。何と土台がごっそりと持っていかれている。結局緊急放出を余儀なくされた。21号の被害は内海でも結構なものであった。砂浜には漂着物が散乱。大小無数のプラスチック類の他に、便座なんてのも流れ付いている。愛用のトングとゴミ袋と軍手と収集車さえ待機していれば、吾人も拾ってやるのにと思った。でも大量にあるから一個大隊ぐらい必要だな、ゴミ拾い隊は。
それにしても海は気持ちがいい。やはり川とは比較にならない開放感である。ぶらぶらと三浦海岸駅まで。再び京急線に乗り、横浜西口界隈を歩く。十年ぶりぐらいに「吉村家」にも寄った。但し麺揚げが最後の最後になり、ふにゃふにゃで量も足りず。何しろ一度に十五人分も茹でるのだもの。まあ家系は何処でも食べられるようになったから腹も立たず。総本山だからと言って何時までも最高峰という訳でもないしね。夕方帰宅。遠足経費、交通費1600円、飲食代4000円。一万七千歩。寿司酒ラーメンが胃にもたれ、晩は絶食。
10/25・水
関東だけ冷たい雨。東京は二週間連続の降雨とのこと。リーグ優勝した広島は三位の横浜に一つも勝てず、日本シリーズに出られず。まあこういうサプライズがないとプレーオフをやる意味がないな。併しあの監督も優秀なんだね。中日はどうするのだろう。此のままではずっと最下位争いである。
中国の国家主席は御満悦のまま二期目に。功績が認められ毛氏や訒氏と並んだそうである。まあ確かに、中国バブルが崩壊して仕舞えば、世界経済も道連れになるだろうから、其の点の手腕には感謝しなくてはならないな。独裁制と資本主義というものは案外相性がいいのかもしれない。国家主席の野太い腕である。併しコネの無い庶民には厳しい世界だろうな。最近は中央アジアや南シナ海にも手を広げているらしいが、帝国の復活だとか、何かとんでもないことを考えていないといいが。主席の頭には宋や明あたりが理想としてあるのかもしれないが、彼らは元のようには攻めては来なかったしね。兎に角、中華思想は御料理だけで願い下げである。
午後出社。退社間際になって二十歳の男の子が訪ねてくる。曰く、仕事が詰まらないので公務員になりたいと。併しそもそもが勉強が苦手な子であった。現業職を狙うしかないだろうが、此れだけ民間委託が進んでいる世の中で、募集何てあるのかいな。面倒な相談者は無責任社長に預け、急いで立ち飲みBへ。此の所どうにも飲み過ぎであるから、二杯だけ慎重に飲んで帰った。またシロには猫用の枕を進呈する。一心不乱にふみふみした後は昏昏と寝るようになった。ペット用品というものはよく研究されている。猫工学の進歩である。漸く此れで矢鱈と起こされることも少なくなるといいが。
10/24・火
Aは増税分は現役世代への社会保障に使うとか言っていたが、どのみち増税自体を反故にする積りであろう。公約違反には違いないが、嫌な増税がパーになるのだから拍手喝采である。国家的な詐欺だな、此れは。曇り時時晴れ。空気は秋の乾いた感じ。
家人がカーテンを新調したいという。折角なので環八の沿いの大型店に案内しようと思った。まず駅に行き、電車に乗り、更にてくてく歩いて参る。矢鱈大きな店内を循環するうちに、シーツだのカバーだのと結構な量の品物を買う。併し配達してもらうには代金五千円ごとに五百円も掛かるのだという。買えば買う程に損をした感じで、意地でも持って帰りたくなるように出来ている。つまり車社会を前提としているのだろう。大荷物で電車に乗る気にもなれず、結局タクシーを利用。運賃2170円。得をしたのか損をしたのか。まあ、家人はああいう大型店には初めて行ったそうで喜んでいたから、此れも孝行の内である。
疲れたので夜はスーパーの惣菜。食後に買ったものを認ためていると、カーテンのフックが違うとかで、家人は交換に赴くと宣う。やっぱり高い買い物についたな。いやしかし、フックに上と下があるとは、齢い八十の家人ですら気が付かないのだから、吾人などが分かる筈もない。こういうことは小学校で教えて欲しいと思った。
10/23・月
夜明け前までには雨は峠を越し、代わりに大風が吹き始める。21号は其のまま上陸。超大型で非常に強い台風の割りには、どうということも無し。どういう訳だか通過後は暫らく凪のようになる(目だったのか?)。二、三時間して吹き返し。つくづく風というものは読みにくい。結局投票率は54%程度。台風が来なければもっと高かっただろう。紅林警部補も選挙区では落選。あと少しだった。
昼には晴れた。実に十日ぶり。秋雨前線も吹き飛ばされたから当分は晴天であろう。二階の六号室退去。部屋は綺麗だが、一年半と少しで出られてはね。最低三年は入って貰わないと。若い人は色色とあるからな。
午後千寿に出校。架線付着物の為、久喜行きは押上止まりに変更。段落としを余儀なくされた。途中散髪す。ところで千寿校は古い雑居ビルの二階にあるのだが、何だか裏手で猫の声がする。腹を空かしたか、助けを求めているのかずっと鳴いている。何度も見に行ったが姿は見えず。猫餌も置いてやったが、食べた形跡は無し。よくよく見ると交番の裏の物置小屋辺りで声がする。巡査が内緒で飼っているのか、迷い猫を保護したのか。何しろ交番は無人だから確かめようも無し。猫が気になって気になって仕様が無くなるあたり、吾人も立派な愛猫家である。
九時半までみっちり指導。「福しん」で炒飯。帰宅後麦酒一缶。少しずつ飲みながら選挙のおさらい。夕刊を見てもまだ確定していない議席がある。台風の影響で投票箱が集められず、開票には苦労したらしい。つくづく迷惑な選挙であった。社民党は辛うじて二議席。公明減少、維新の会はぐっと少なくなってくれて清清した。
10/22・日
昨日からずっと雨。当然雨脚は昨日より強くなる。七時になった途端に七分歩いて投票所に参る。投票は義務だと考えているので別にどうということは無し。そもそも毎日に通っていた中学校だしね(あまりいい思い出はないが)。ただ国民審査だけは何も書かなかった。全部に×を点けるのも大人げないしね。
夕方からは更に降る。併し降らせているのが秋雨の雲だか台風本体の雲かは分からない。色色と気象予報士がああだこうだと解説してくれてはいるが、結局どうなるのかはよく分からない(特に風の予測)。台風予報には規制があるそうだから、予報士であっても独自の見解は述べられない。だから心に響いて来ないのだろう。いや、そもそも誰にもよく分からないのかもしれない。起きたことの把握ならば最近の技術の革新でまあまあ早目に分かるようになってはいるが、起きてないことの予測は想像以上に難しいのだろうな。
あんまり見たくはないが、八時前後から開票速報を眺める。下馬評通り、というかAの思惑通りに与党は大勝す。ただ立憲民主も健闘す。一方現有議席の確保も出来なかったホープ亭は近近解散だな。此のまま立憲民主を中心に野党再編が進み、共産も解党合流してくれれば、次の選挙で一気に政権を交代させることも可能であろう。其れが小選挙区制というものである。私は絶望しない。たとえ最後の一人になっても(ここら辺は沖田十三風)。肝腎の五区は接戦の為、なかなか判明せず。翌二時頃になり立憲民主の候補者は僅かに及ばなかった。約二千票差。ホープ亭に四万も行ったから勿体ない話である。ただ重複立候補しているから五年ぶりの国政復帰は果たされたよう。
10/21・土
朝から大雨。朝から何度も上厠す。これらは東京湾直行だな。少し心苦しい。台風21号は異様に発達しているのだという。一方シロは小屋にも入らず、縁の下辺りを行ったり来たり。何が気に入らないのかは分からないが、つくづく困った猫である。
二週続けて週末は完全な雨となる。地元の大道芸祭りも中止。内需も落ち込む。昼はコンビニ食。流石に弁当類は売り切れが目立った。夜は保存食。食後は暇に飽かせてユーチューブのドライブレコーダー集を見る。数数の大事故小事故未然事故、嫌がらせの運転に運転者の罵り合い等等の映像は下手なホラー映画よりよっぽど怖い(その昔、悪魔の自動車が襲って来るという「ザ・カー」という映画があったが、此方は車から飛び出た生身の人間が襲って来る)。基本的にバス以外の自動車には乗らないが、自転車や歩行者といったレベルでも争乱になっているのをしばしば目撃す。つくづく平常心でありたいと思った。でも人生には色色な時があるからな。眠い時、いけ好かない時、また逆に矢鱈大らかな時とかも。
10/20・金
一晩寝て起きてもまだ雨が降っている。おまけに台風まで来るらしい。雨雨降れ降れもっと降れ、投票率が低くなれと、与党や官邸辺りが祈った成果であろう。幸い北の方は静かにしてくれているが。
新聞によると平成は31年の三月までだそうである。忙しい年末年始を避け、会計年度に合わせた形。役所や学校関係にも配慮した模様。ただ現皇太子の誕生日は二月らしいから、休みを一日損したな。いよいよ此れで平成○○と付けた物も一気に古くなる。
漸く昼前には止む。家人は期日前投票に参る。結構混んでいたとのこと。一方の吾人はあくまでも当日決行主義である。三時前に出社。此の所の運動が不足しているのでチラシを持って歩く。序に立憲民主のビラも配ってやろうかと思った。併し少なくとも三つの点で問題があると思い直した。(一)運動員でもないのに勝手に配り歩いて良いのかという法的な問題、(二)職場のある地域には残念ながら選挙区候補者がいないこと、(三)そもそもビラが手元にない。吾人もこうして色色な言説を偉そうに垂れてはいるが、実際的な運動となると何をしていいか皆目見当がつかない。
早目の退社後は祐天寺の立ち飲みBでひとり酒。霧雨に巻かれ復路は軌道を見失う。つい三宿周辺に迷い込む。夜の三宿など数年ぶりである。何だか店もすっかり減り、少し寂しい感じ。大体駅から遠い飲食街など、態態行かないものな。三十年前の住宅街に戻りつつあると思った(そもそもあの辺には吉野家しかなかった)。国道に出て、味噌ラーメン屋に入る。此処も御客がいない。薄めのスープが矢鱈入った擂り鉢のようなどんぶりから麺を掬い上げて食べた。此れも少し前のスタイルだと思った。
10/19・木
「やすらぎの郷」のあとは「トットちゃん!」である。今週はトモエ学園編。戦時下であっても自由主義的な教育を行う小学校があったことは驚きに値する。翻って、現代にはあるのだろうか。ないのだろうな。其れこそ百校や二百校は欲しい所だが。学校教育法の下、認可されないのだろう。世の中が幾ら変わっても、初等中等教育は、相変わらずの前や右に倣えの全体教育である(不登校と自殺者が増える訳である)。もっと独自な教育を行う私学が出て来るべきだろうが、それでは大学に受からないからな(私学の目的が○○大学に△△人受かったというのでは少し悲しい)。大学入試も多少は変わって来たのだから、今後の創意工夫に期待したいところである(でもAS記念小学校なんてとんでもない学校が出来るだけかな)。本当に此の国の教育は、質的にも量的にも不足している。
朝方は大雨。而も異様に寒い。エアコンに続き、ガスファンヒーターも投入す。地元の駅で配電盤がショート。田園都市線の地下区間、つまり新玉川線は長時間運休す。四十年前と同じだと思った。今ではとても信じられないことであるが、旧玉川線つまり玉電が廃止されて新玉川線が出来るまでの凡そ八年間、此の辺りはバスしかなかった。誰もが黙黙とバスに乗っていたもので、吾人にもそういう微かな記憶がある(渋滞で動かないと家人は憤慨していたような気がするが)。あの頃は拙宅の近所にも畑が点在し、小松菜やサツマイモなんかを栽培していた(と思う)。此の間、如何に都市化が進行したのか恐ろしいほどである。人口が丸で違うから、今では区内の御客さえとてもバスでは運びきれまい。ニュース映像によると停留所には長い長い列が出来ていた。
夕方には漸く小降りとなる。電車に乗って新橋に向かう。件のちゃんぽん屋さんで仲田大将主催の久久の飲み会である。駅に参ると早速の謝罪文が張ってあった。B4サイズのワープロ打ち。誰も気にも留めず。大体通勤電車が止まったところで、嫌な学校や職場に行かずに済むのだから、大半の利用客は喜ぶ筈である。
鶴木さんと月波君も同席。肝心の大将だが、実に半年ぶりに会ったが、まあまあ元気そう。件のX女史との恋仲は続いているようだが、一時ほどの勢いはないらしい。散散日本酒を飲み、十時過ぎに解散す。佐賀の呉豆腐を御土産として貰った。
10/18・水
朝から晴れた。実に久久である。家人が外出しているので、老家人にはスーパーの炒飯弁当を食べさせる。すると激しくむせて仕舞う。もう間もなく常人食は無理になるかもしれない。生きて行くということは実に痛痛しいことであると思った。
午後は次第に曇る。其の後出社。退社後は中華立ち飲みに。飲み屋政談はほどほどにして今夜は介護論壇。年寄りはどうしてあんなに意欲がなくなって仕舞うのだろうという一大疑問に至る。此れは登壇者の全員の共通見解であった。夜は再びの雨。
10/17・火
目覚めてもずっと雨。此の所の天気もどうかしている。漸く午後には止んでくる。御昼は地元の瀟洒なラーメン店に入る。最も基本的なものが880円もする。不味くはないが、食べ終えても、あー食べたという感じがしない。同じ価格帯でも、例えば油淋鶏定食や焼肉丼セットの方が胃に叩き込んだという満足感があるだろう。ラーメンの原価を上げ、幾ら豪華にしても、効用には限界があると思った。
昨日に引き続き『八月の砲声』に挑戦する。併し所謂通史もので内容もぎっしりだから中中読み進まず。こういうものは拾い読みも出来ないので苦労する。何しろ第一次世界大戦のことなど何も知らないからな。ウィキペディアを引きながら匍匐前進である。
福井の中学校で担任と副担任に叱責された生徒が死亡。いやしかし、よくあれだけ一人の生徒をこっぴどく指導し続けたね。都会の学校では考えられないな。つくづく田舎の中学の先生は暇である。でも大学などでもパワハラ紛いの指導がしばしば問題となる。熱心と言えば熱心なのだろうが、学生の指導にそんなに沢山エネルギーを割ける先生がいるというのも少し驚きである。やはり人格に問題があるのだろうな。
10/16・月
不思議なもので今日も雨。おまけに寒い。憂鬱な月曜日、ブルーマンデーである。二週ぶりの平日の月曜日でもある。交通情報によると混雑の影響で電車も遅れ気味。先週は平日が四日であった。別に週の休みを三日にしたところで、世の中は生産物で順調に溢れ返っている。プレミアムフライデーでも、シャイニングマンデーでも何でもいいから早くやるべきである。
午後千寿に出校。退社後も小諸蕎麦のみ。早速温かいかき揚げ蕎麦。行きと帰りに『八月の砲声』を読み進める。此の本は過日の映画でも取り上げられていた。流石にK大統領は博学である。T現大統領は? 本など読んだことも無いだろうな。節税や財テクや女の口説き方の本とかは読んだとは思うが。帰宅後、家人の飲み残したビールを半缶。ほぼ完全休肝日。本日の支出360円。
10/15・日
下らない今回の選挙の唯一の収穫は、都知事の暴言の御蔭で民進党が分裂し、立憲民主党が出来たことかもしれない。予てから民進党はもっと左に舵を切るべきだとは思っていたが、党内対立が酷くて其れも叶わなかった。当事者たちの意図せざる結果ではあるが、此の度、晴れて左に切ることが出来た。漸く此れで政治の対立軸がすっきりす。次の次の選挙で更なる躍進が狙えるだろう。其の前には経済危機も来るだろしね。
昨日以上にずっと雨。雨が降っているので近間で遠出をしましょうということになり、高円寺に参る。景色を見ようとバスに乗る。渋谷からのバスは中野までしか行かないので一駅分歩いた。中野の辺りも丸で知らないが、何時の間にか大学街が出来ている。高円寺の古本屋も健在。
月波君と合流。実は此処には立ち飲みBから独立した人が店を構えている。若い人が多く店賃も多少は安いのだろう。起業しやすい街である。併し当該店はまだ営業前。仕方なく「大将」という焼き鳥屋と餃子の満洲国に入る内、腹がパンパンになり、目的の店では幾らも飲めなかった。這う這うの体で電車に乗り、七時過ぎには帰宅。また行かなくてはね。ちなみに店主のOさんは店に泊まり込んでいるという。家族とは週に一二度会う程度なのだそう。飲食業というのは大変である。職住が近くなくてはね。今日は一万五千歩。でも遅く歩いたから距離は少ないだろう。疲れ方が先週とは丸で違う。
10/14・土
昨日と同じようなお天気。暫らく冷たい秋雨だという。家人も風邪を引く。昼は乾麺のうどん。食料が不足しているので買い物便多数。夜は厚揚げ麻婆。
10/13・金
また沖縄で米軍のヘリコプターが不時着炎上。イージス艦の相次ぐ事故といい、米軍も人が足りていない感じ。カリフォルニアの山火事、メキシコ湾沿いのハリケーン被害も大きい。もっと本国の守りを強化すべきである。
与党圧勝の事前予測だが、こういう場合二つの反応が想定されるそう。一つはバンドワゴンと言って勝ち馬に乗る傾向、もう一つはアンダードッグと言って負けそうな方を応援する傾向。併し後者が出るのは昭和後期までだろうな。人人がそういう義侠心のようなものを失って久しいもの。一日小雨が降ったり止んだり。午後出社。退社後は晴雷亭と佐渡屋に。誕生会やら送別会やらが重なり店内は大混雑。
少し辟易しながら佐渡屋を出る。実を言うと数軒先には老夫婦の居酒屋がある。七、八年くらいまでは結構通った店である。最近は開店していても休業同様の状態らしい。店の明かりは既に落ち、二階の窓から気配が漏れる。あれはパパさんかママさんか。最近は店の上に越して来たのだと聞いたことがある。古い家屋だから住まうにも大変であろう。何だか少し申し訳ない気がした。
10/12・木
新聞各紙序盤の情勢分析が出る。昨夜の吾人の世論調査と相違ない結果となる。あーあ、つくづく日本人に政治は無理だあ。特にホープ亭の失速が著しいという。本当にホープレスである。此れでラーメンの人も都政に専念することになるな。此の党に次は無いだろうし。最近はカップ蕎麦の「緑のたぬき」と言われているらしいが。つくづく、あーあ、あーあ、である。それでも民進党があのままあり続けたよりかは多少は良かったかあ。立憲民主は議席倍増の勢いらしい。元元が少ないけどね。
朝から腹が立ったので、朝から腹が減った。牛丼のМ家に行き、四百円の朝定食。確かにこういう時でもパンは食べないな。結構晴れて、一昨日以上の異様な暑さとなる。午睡をしていると、老家人が喉が痛くて痛くて仕様がないので、今すぐ耳鼻咽喉科に行き、喉を焼きたいと宣う。医院まで拙宅から数百メートルの距離だが、しかしもはや歩けはしない。仕方なく簡易車椅子に乗せて搬送す。
酷い暑さの中を人と車を掻き分けて行く。ごろごろごろごろごろごろと押している内に、取っていた順番は疾うに過ぎて仕舞い、すると何と最後尾になるという。何しろ待合室は患者で溢れ返っている。併し耳鼻科というものはどうして何時もこんなに混んでいるのだろう。鼻が低くて息の通りが悪い日本人の宿命だと思った。兎にも角にも何十分も待てない。其処で新店を開発しようと、別の医院に転送す。再びごろごろと来た道を引き返し、別の道に入る。此方は最近出来た医療ビルに入っており、その名もずばり、お花クリニック。而も空いていた。まだ常連客が付いていないのだろう。耳鼻科の掛かりつけは此方に変更である。
さてさて肝腎の喉の方は大した炎症ではないと言われた。焼いたかどうかは知らないが、吸入器で何かを吸わせて御仕舞。大体万事大袈裟なのである。あれやこれやで一時間半も掛かった。家人共共草臥れ、買い物にも行けず。晩は焼き鮭にベーコンエッグ。一日に二度も朝飯を食ったことになる。併し老家人もとうとう歩けなくなった。こうして車椅子を押していても、何だか少し切なくてね。悲しい安白ワインを呑む。夕方から雨。一気に空気が入れ替わり、晩夏から初冬になるという。
酔いが回らないので映画「13ディズ」を見る。キューバ危機を描いた少し昔の作品。いやまあ、誤解や勘違いや行き違いで、くれぐれも米朝戦争の無いようにして頂きたいものだけど、あの大統領じゃあな。併しルメイという将軍はどう仕様もないね。危うく世界を滅ぼすところであった。流石に東京を丸焼けにした張本人なだけのことはあると思った。
10/11・水
衆議院選が公示。引退した筈の元特命捜査課の紅林警部補なんかも立憲民主で出て来ている。三つ巴にならない分、案外田舎の方が勝つかもしれない。
新聞等によると、都心部のマンション等では、買った時より売る時の方が高くなる物件があるそうである。大体建物というものは経年劣化するのだから、スーパーの刺身のように古いものから安くなって行く筈である。其の逆の事態が起きているのだから、其れをバブルというより他はあるまい。
日中曇り。併し案外暑い。午後出社。中華立ち飲み、立ち飲みB、そして中華立ち飲みに出戻る内に、暫し政治談議となる。吾人が、Aだけは早く辞めて欲しいと宣うと、A以外に誰がやるのと割と即座に反論される。政権が代わることに抵抗感があるようである(与野党交代がある場合だけでなく、自民党内の総裁の交代、つまり疑似政権交代に対しても)。そもそも日本の総理大臣は精精二三年で交代していたし、別に其れで混乱はなかった。騒乱が起きたり、その影響で水道が出なくなったり、ゴミ収集車が来なくなった訳ではない。必要以上に変化を恐れるあたりは、どうにも臆病になっているのだと思った。此れも高齢化の影響なのだろう。何だか仏頂面をしながら帰路に就いた。
10/10・火
早速植木屋さんが参る。今回は御主人の奥さんが初登場す。併し吾人を加えても計三人。大方草取りに追われる。草刈り機でごおごおとやってもあんまり捗らず。而も今日は異様に暑く、吾人などあっという間に這う這うの体である。夕方までやっても木木は結構残り、二トン車も満杯にならなかった。
駐車場方面は綺麗になったが、拙宅周辺は手付かず。これらは来年に持ち越しとなる。家人もお茶出しや老家人の通院等に時間を取られ、買い物にも行けず。夜は冷凍食品。また建設会社の車は漸く今日から入った。どうやら前の工事が長引いていたのだろう。併しそもそもどうしてこんなに草木は生えて来るのだろう。不動産賃貸業というものはゴミと草との格闘であると思った。途端に汗疹と蕁麻疹。直ちにステロイド軟膏と抗ヒスタミン。
10/9・月
体育の日。更に晴れて夏日となる。昨日は交通費は掛からなかったが、二次会以降の経費を沢山出した関係で、すっかり御金が無くなる。暫らくは緊縮財政である。それにあれだけ食べても一日経つと腹は減る。此方も暫らくは菜食主義である。
午後になり、近くの公園でパン祭りというのをやっていたのを思い出した。行って見ると既に大行列で会場に入ることすら出来ず。パンで行列など、丸で末期のソビエトである。いやしかし、みんな他に行くところがないのかね。よくよく考えて見ると、吾人はパンというものは週に一二度、一枚か一個食べるか食べないかである。従ってパンのことなど何も知らない。世の中にはパンマニアというのも相当いるのだね。昼は四百円の助六寿司。晩食は納豆豆腐に蒟蒻炒めに中量サラダ。
御酒は控えめにして、夜は大人しく「ヨーロッパ1300キロ・爆走ラーメン屋台」(テレビ東京)という番組を見る。食材を現地調達しながらラーメンを作り、売った御金で旅をするという企画。出演は創作ラーメンで有名な店主。こういうタイプの料理人は、様様な食材に接するたび、イマジネーションがどんどん湧いてくるらしい。楽しくて仕様がないといった感じで、次次と新しいラーメンを生み出していた。(一方女房役の男性アイドルはかなり真面目な性格らしく、電卓片手で原価計算に追われていた。何だか対照的だった。)創作料理家というものは、コラムニストや随筆家の発想に似ていると思う。彼らもどんなネタからでも文章を編み出すからね。
10/8・日
朝から数キロ離れた家電量販店へ。老家人の電気行火は余りに古く(推定年齢三十五)、火でも吹いたら困るので買い替えに出掛ける。広い売り場に行火は四種類。後継機種はあることはあったが、一種類で在庫も一つ。ナショナル製だが当然メードインチャイナ。それでいて七千円もした。こんなものを使うのは大年寄りだけだから、もはやライバル会社もライバル製品も無いのだろう。
天気もいい。さてさて何の予定も無い単身者集団を誘って、飲みに行くことになっている。本当は何処か旅行に行きたかったが、女の独身者は出掛けるが、男同士では行かないからな。それでも偶には郊外に出ようということで、駒沢公園横の焼肉王という店に参る。参加者は月波君、客間君、藤松君、西嶋君。みなは都心から電車やバスで、吾人は歩いていく。妻帯者の坪上君も来てくれた。此の店は食べ放題に飲み放題。注文は自動化されて、どんどんと運んでくれる。サイドメニューも肉も予想以上に旨かった。四時に入ったのだが、帰る頃には大行列が出来ていた。こういう郊外型の店は珍しいからね。
結局欠食児童のように食べ過ぎた。公園で暫時休憩。更に上馬の中華屋に徒歩連絡。更に地元のカラオケ屋にも入る。人に聴かせる歌もないが、人の唄を聞くというのは面白い。偶にはカラオケもいいと思った。十一時頃帰宅。よく食べ、よく飲み、よく歩いた。一万六千歩。一階の六号室入居。但し入居者が男じゃね。挨拶に行く気もなれず。すいません。
10/7・土
霧雨がしつこく残る。そんな中、御向かいは引っ越し。まずはオーナー家族。すると賃貸組も越して来る。搬入は大渋滞。新築だとこういうことになるな。引っ越し管制官が必要だと思った。
御昼には晴れた。さてさて本日から四連休だが、然したる予定も無し。火曜日に植木屋さんが来るというので乗り鉄にも出掛けられない。仕方がないので、久久に駅の向こう側の商店街を歩く。また新たなラーメン屋が出来ていた。各地で修業したラーメンマスターが満を持して開店したとのこと。叉焼は旨かったが、醤油を溶かしたようなスープに乾麺を茹でて七百円ではね。中中厳しいだろう。
失業率は過去最低になったなったなどと与党などは自画自賛しているが、併し全く賃金は上がってこない。恐らく仕事が自動化され細分化されているから、大した仕事がないのだろう。大体高等教育まで受けたところで、其れに似合うような仕事がないからね。大学を無料にして、世の中の皆が皆、学士や修士になったところで、収入が増える訳ではなし。しかし不思議だな。文明が進めば進むほど、却って労働が単純化されて行くのだから。厳しい労働から解放され、人はより創造的な存在に成れるんじゃなかったっけ? 併し創造性を発揮してもあんなラーメンじゃあなぁ・・・。矢張りラーメン大学は必要である。出来れば大学院まで出た方がいい。
老家人は喉が可笑しいと言って寝ている。見ると真っ赤な顔をしている。高熱が出ていて、すわ救急車かと心配したが、測ってみると三十六度少し。寒い寒いと言って布団を被り、電気行火まで点けていたから、すっかりのぼせたのだろう。つくづく年寄りには付き合い切れない。夜は薄味の鍋ものにした。
10/6・金
未明に目覚める。膨満感と鼻づまり。其れに何だか息苦しい。肺に空気が入って行かない感じ。堪らず胃薬と抗ヒスタミン。三時間ほどのたうち回る。どうにも体調不良である。口呼吸が良くないのか。過呼吸なのか。季節の変わり目だからか。此の所、三時間程度しか寝られない。
選挙報道に携わっていた女性記者が過労死したと渋谷の放送局が発表していた。選挙取材というのは大変だろうな。現場を歩いて声を拾い、予測をするのだが、公共放送ゆえ余計に間違いが許されない。プレッシャーが違う。そうして集めた情報を元手に、評論家やコラムニストや編集委員は、ああだこうだと偉そうなことを言うのだが、そう言えば彼らが過労死したというのは一切聞いたことが無いな。
ラーメンの人は出馬しない模様。此の一週間で、追い風は向かい風に変わりつつある。勝てないとでも思ったのか。大体保守色が鮮明過ぎるし、余りに横柄だからね。火事は最初の三分間、選挙は最後の三日間などと言った政治家がいたらしいが、今回は珍しくこんな感じで目が離せない選挙となっている。なおAの応援演説の予定は極秘扱いとのこと。デモ隊が押し寄せて来るからだそうである。
運動が不足している上に雨が降るというので歩いて出社。片道約六千歩。併し何処も彼処も解体工事と普請工事の真っ最中。バブルなど一向に崩壊して貰って困らないが、此の実需がなくなったら、一体日本経済はどうなるのだろう。家が建つと云う事は、建設関連業に留まらず、家具や家電の会社、引っ越し屋から蕎麦屋に至るまで極めて裾野の広い一大産業である。併しバブルというものは崩壊してみないことには其れがバブルであったとは分からないというから、予測不能だな。
退社後は佐渡屋に。ちなみに店主は佐渡に帰省中。此方は商売順調の証拠だな。更に日高屋に寄っている内にバスに乗り遅れる。やむを得ず、タクシーで帰宅。1770円。飲み代と合わせて丁度五千円。帰宅後は地震に大雨。
10/5・木
東京湾の奥の方は汚くて水泳には適さないのだという。オリンピックの際は問題になりそうとのこと。特に大雨の後は酷いらしい。合流式下水道の為である。確かに拙宅の汚水と雨水は同じところを流れて行く。手っ取り早く下水道を整備するためには合流式しかなかったのだろう。今から分流式にするのには巨費が必要である。ならば大雨時の大便は御遠慮下さいと注意喚起するしかないな(してもいいけど流すなと)。いやしかし後進国丸出しである。
朝から御向いの舗装工事。があがあとやっているので寝て居られない。従って溜まった事務仕事を片付ける。まず電電公社に電柱の土地使用承諾書の発送。名義が変更されたので新たに出さなくてはならない。年三千円が振り込まれるとのこと。併しよくよく考えてみれば此の引き込み線に繋がっているのは、今となっては拙宅だけである。電話会社というのも案外気前がいいと思った。続いて老家人の個人事業税の振り込み(約一万円)。更に日本工業炉厚生年金基金に書類を送る。基金の清算後に御金が少し余ったので幾らか振り込まれるらしい。長生きすると得をする。更に信託銀行に送金。此れは遺言書の預かり賃である。長生きには経費も必要である。すっかり一時間半も掛かった。生きて行くのも楽ではない。続いて蔦の撤去。南側に生えた其れは常緑性で粘着質。鋏を数か所入れて一本一本引っ剥がした。夜はスーパーのとんかつその他。
10/4・水
ところで三台も借りた建設会社は一切車を入れに来ない。所謂架空経費なんだろうな。何ヶ月か本当に借りて、実際は何年も借りたことにするのだろう。未明に空気が入れ替わり涼しくなる。
ホープ亭が候補者を発表。半分以上は民進出身。まあ一旦受かって仕舞えば、出馬の際の所謂踏み絵を反故にすることなど造作もないことであろう。兎に角、今は数が必要である。但し都市部を中心にかなりの選挙区は三つ巴となる。肝腎の東京五区も民進の元職が立憲民主党で出て来る模様。うーんどうしたものかなあ。もう少し何とかしないと。午後出社。金四万円受け取る。事務仕事と質問が同時に押し寄せてもの凄い忙しさであった。げんなりして佐渡屋に行き、一人で飲んで帰った。
10/3・火
ホープレス亭に入店を拒否された元官房長官は立憲民主党をつくる。併し立憲とは少少名前が古いな。一応第三極ということだが、一極二極に比べ圧倒的に小さい。形式的とはいえ護憲や革新やリベラリズムを唱える民進党が無くなると、もはや改憲勢力ばかり。つまり戦前の保守二大政党の時代と同じである。そういえば民政党も政友会もどちらも立憲が付いたっけ。ならば自民もホープレスも改憲と頭に付けるべきである。次の次は愈愈翼賛選挙ということになりそうだな。ラスベガスで銃乱射。通りの向かいのホテルの上から機関銃で撃たれたら逃げようがない。恐ろしいものは遠くの弾道弾より隣の弾丸である。
報道によると、七月の豪雨で壊れた日田彦山線の南側は何の工事もされていないらしい。昨年の台風で流された根室線の一部区間も放置状態。どんどんと鉄道が途切れて行く。「日本の鉄路を大切にする会」で一人ぐらい国会に送り込めないものか。
何だか異様に蒸し暑い。小量の草取りをしつつ、ゴミ袋に余裕が出来たので空き家の片付けも再開。例によって全く捗らないが、少しずつ捨てて行く。夜は鶏の唐揚げ他。
10/2・月
案外曇って蒸し暑い。不思議なもので一週間も経つと、新党の熱気も何だか冷めた。もうラーメン劇場にもうんざりである。投票まで三週間もあると言うべきか。夕方から雨。
中目黒まで歩いて出社。退社間際に大きな音がしたと思ったら、目の前の交差点でタクシーと乗用車が激突していた。幸い重傷者はなさそう。道路は途端に大渋滞。若い巡査が早く交通規制しろと上役に怒鳴られていた。千寿辺りだと警察官の気性も荒いね。多少検分してから駅に参る。小諸蕎麦を食べた後、缶入りのハイボールを買って乗る。メトロの車両が来て助かった。車端部に物を載せるスペースがあるから飲食には向いている。でも東急や東武車にはないから不思議である。本日は此の一缶のみ。
10/1・日
都民の日。とはいうものの学校が休みにならないから、あまり実感はない。そもそも此の処ずっと都知事の日日である。併しあの横柄な物の言い方を見ると、愈愈鼻白むな。結局民進党は左右に分裂。半分はホープレス亭へ。半分は社共の方へ。民進党は何れこうなるこうなると言われていたことだから、大して驚かないが。併しМ原代表もいいように手玉に取られたな。其れに三つ巴になって仕舞ってはね・・・。
残念ながらリベラル系など精精三十、共産を足しても五十も受からないだろう。恐ろしい時代になったものである。第二段階として、ホープレス亭も分裂して、三分の二は自民に入り、三分の一くらいは帰って来るかな。そして政界再再編である。いやしかし、此れは一種の究極の選択だな。Aを追いやる為にホープレスに入れるか、其れによりにリベラルが事実上壊滅するか・・・。
朝からよく晴れた。七時台から再びの出鱈目散歩。田園調布にバスで出て、以後多摩川まで降りる。少し河川敷を歩いた後、蒲田まで歩く。「山田うどん」に入りたかったが、店はまだ準備中。別のうどんを食べ、大森経由で帰宅。一万五千歩。可成りの距離をバスに乗り移動したが、車道を堂堂と遊弋する自転車に接触し掛ける。車道はバス優先である。頭の悪い自転車乗りが多くてつくづく閉口す。