2018年11月

11/30・金

 朝から穏やかに晴れた。ガレージセールも再開。拙宅の食器類も出品す。テレビの簡単リモコンを買いに数キロ先の家電量販店へ。ラーメンが食べたかったがどの店も開いていない。モーニングラーメンをやったら儲かるだろうと思った。簡易保険の手続きも無事完了。一方電話の会社からは書類が返って来る。今頃になって契約者名に不備があると。そう言えば加入権は変更していなかった。従って亡父の名前は当分不滅である。

 午後になると家人は香典返しの買い付けで渋谷の百貨店に赴く。ぼんやりしていると何時の間にか宅配便の不在票が入っている。夕方少しうつらうつらしていた。いや併し、此の不在にしていなかった時の不在票ほど嫌なものはない。ある種の敗北感が漂う。そして再配達依頼ほど面倒なものもない。夜は銀座アスタ―の弁当。

会長はずっと小菅暮らし。流石に可哀想と言う声が出ている。日本の司法も酷いからね。何しろ十九世紀の水準だから。こういう所で後進国丸出しである。吾人なら三日でありもしない供述を始めるな。

 

11/29・木

 朝方は小雨。以後晴れる。何だか何もする気が起きず漫然とす。午後出社。鰻犬先生が訪ねて来て大貧学院のホームページを手直しす。パソコンに詳しい人が近くにいて助かった。退社後はBで二杯だけ。まいばすけっとの焼きそばで締めた。

早目の帰宅の後は映画「日本沈没」を見直す。丁度東京が火の海になる所。丹波哲郎扮する山本首相は、戦闘機や偵察機は何の役にも立たないと憤慨していた。航空母艦を造るより国土強靭化の方が数段増しだな。一機百億のF35はものの二十年でスクラップになるが、道路や堤防は末代まで残る。そう言えば先日通った野方の辺りも酷い。古い街が無くなるのは辛いが、防災上に限って言えば西武新宿線も早く敷き直した方がいい。よって隣の家も作り替える。

 

11/28・水

 引き続き亡父と生計を同一にしていた家人の医療費の積算。十月までで約十一万円。随分使っているな。また口座振替手続きが間に合わなかった為、吾人の国民健康保険料を納めに行く。約二万円。何処も彼処も口座振替の開始が遅い。要はクレカにしろと言うことなのかなぁ。でもクレジットカードは手数料が高くて大抵のドライバーが嫌がると昨日往路の運転手氏は述べていた。結局キャッシュオンデリバリー、やっていることは江戸時代と同じである。

午後は簡易保険の請求に移る。また戸籍謄本が必要なよう。出張所に行って帰って四十分。勤勉さの在庫を使い果たして仕舞ったので本日欠勤。基本的には穏やかに晴れた。間違いなく暖冬である。

 

11/27・火

 まあまあの晴れ。早速車を仕立てて小平霊園に向かおうと思う。家人はどうせ同じ運賃なのだから背の高い車の方がいいと宣う。最近導入が進んでいる新型車の事だろう。近所の中通りまで拾いに行く。併し新車の空車などそう簡単に来るものではないと思った。難しい顔をして数台見送ると運よくやって来た。

初老の運転手と共に走り出す。環七や青梅街道も混んでいて一時間半近くも掛かる。運賃一万円弱。其のまま納骨及び四十九日法要の儀に。和尚さんも二年前と同じ人。参加者は優子さんのみ。例によって石材店から墓まで徒歩移動す。つい二年前、此の道を一緒に歩いた人があっという間に骨になって中に入る。

 天気もますます良く、順調に終了。其のまま「橙や」という和食屋に移動。日本酒を少し飲んで御開き。さてさて帰りもタクシーと行きたいところだが、一時間以上もじっと乗っているというのも案外草臥れる。其処で西武線で行ける所まで移動することにした。ノロノロの各駅停車に乗り、中野区の野方で下車。以後環七を南下する。若い運転手が旧型をぶっ飛ばして四千円。半額だな。四時過ぎに帰宅す。此れで納骨終了、つまりノー骨となった。家人も少し休めるだろう。本日の費用、石材店に十二万円、御布施が六万円、納骨係りの人にも五千円。大盤振る舞いである。どの道、一周忌も三回忌もやらないしね。

さてさて次のステップに進まなくてはならない。準確定申告に向けて医療費の積算。凡そ四十五万円。夜はラーメンとノンアルコールビールのみ。パソコンの光回線が遅くてどうしようもない。またスマホのパズルゲーム(ラインポコポコ)も動かない。此方は無料で遊んでいるから文句は言えまい。ただ他の操作も遅いし、電池の減りも速いから愈愈壊れるな。

 政財界は意地でも外国人を入れたいらしい。併しグローバル化も行きつくところまで行けば、いい人材が安安と入って来るとは限らない。精精あと数年だろう(最近はベトナムの方までいらっしゃっているのでアジアの残りはミャンマーラオスくらい)。物価と言う点では中国の沿海部の方が既に高い。詰まり日本に来たって稼げないよな。其れは日本人が一番分かっている筈である。

 

11/26・月

 朝は晴れたが概ね薄曇り。午後千寿に出校。途中散髪す。退社後は「かつや」でロースカツ定食と缶麦酒をかき込んで直ぐに帰った。明日は納骨である。

 

11/25・日

 大阪には万国博覧会が来るよう。「つくば博」で盛り上がった世代(当時小学高学年)としてはもう一度行って見たい気もするが、多分行かないな。そういう物に興味関心を失って久しい。子どもでもいれば幼少期の感動を追体験するという目論見も成り立つのだろうけど(多分「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!モーレツ大人帝国の逆襲」みたいになる)。2025年には維新の連中も一掃されていることを願うけどね。客乃間君からラインがあり、天皇制反対のデモが結構盛り上がっていたと。吾人も十代の頃ならば参加したかもしれない。そう考えると吾人も随分保守化したと思った。古い物が復活するのは困るけど、古い物は作れないから成るべく取って置きたいというのは自然な発想である。まあ其の程度の消極的支持ですけどね。

 一日穏やかな晴れ。朝から若林の大型量販店に参る。イヤホン、高齢者用簡単テレビリモコン、デジタル式温度湿度計、延長コードが欲しかったが、其の内の半分しか調達できず。店内が雑然とし過ぎてさっぱりわからん。あれではホームセンターの代わりにはならない。そもそも必要があって買いに出掛けているのである。不要な物を娯楽として買いに行って訳ではない。つくづく使えない店である。昼にラーメン食べに池尻まで行ったら日曜が定休日になっていた。其のまま上馬の中華食堂まで転進。今日も区内を往ったり来たり。勉強用の座卓とちゃぶ台は引き取り手無し。

 

11/24・土

 朝のお勤めの後は、出鱈目散歩に出る。小田急バスの一日券でまず成城へ。続いて千歳烏山。引き続き吉祥寺行きのバスを適当なところで降り深大寺まで徒歩連絡。早速門前の蕎麦屋で熱燗と鴨せいろ。丁度紅葉シーズンで大勢の人が出ている。大晦日の次に混んでいるといったところだな。大行列が出来ている店もある。あれでは一時間は待つ。そもそも蕎麦と言うものは、以下略。

 再びバスで調布へ。南側に移動。当然食べ足りないので「銚子丸」に入る。廻る寿司チェーン店だが変わったネタもある。長崎産の赤鯖というのが旨かった(一皿250円)。聞いたことが無い魚である(そもそも名前から言って形容矛盾)。スマホで調べると関西ではハチビキと言って下手な鮪より旨いとのこと。確かに、たしかに(二皿食す)。再び狛江までバス移動。一時間に一本の渋谷行きを掴まえて四時過ぎに帰宅す。バスは六本、飲食費約四千円。一万五千歩。本日は調理関係の小物しか動かなかった。夜は家人のチンジャオロース。

 

11/23・金

 自宅に還った鎌倉の伯父さんも具合が悪いという。幸い軽症らしい。いくら息子や御嫁さんが沢山いたとしても在宅介護は大変だよな。朝からすっきりと晴れた。冬型である。須見伯母が来るというので昼の弁当を買いに行く。飲食店は沢山あるが、ちょっといい弁当って地元では売ってないんだよね。唐揚げ屋で七百円の折詰めを漸く見つけた。吾人はひとりで「とらや」のとんかつ。

 夜は豚バラ白菜鍋にしようと思った。台所で火を使っていると何だか赤い。すわ、不完全燃焼か。東京ガスに緊急電話しようかと思った。まずは検索してみる。原因は水道水のカルキ成分らしい。どういう化学式になるのかまでは分からないが、気化したアルカリ性物質と反応して赤くなるのだという。今日買った加湿器(超音波式)を今日から使い始めていた。食後にもう少し調べてみると炎色反応と言う。数年に一度の割りでセンター試験にも出るそうである。成程、なるほど。此のペースで学習して行けば、数十年後には満点が取れると思った。本日の売り上げ、籐製の引き出し棚とミッキーマウスの貯金箱(「三菱銀行」進呈の品)。

 

11/22・木

 大体曇り。今朝は四袋、劣化した古い段ボールも可燃ゴミとして出した。此れで一段落かな。後はどろどろの古本の山がある。此れが最難関だな。取り立てて無為。何もする気が起きず、寝たり起きたりを繰り返す。今日は納め過ぎた後期高齢者医療保険料の還付手続きと火災保険の名義変更。いやしかし、何十通出したかな。朱肉もカラカラである。

 夕方出社。テストの結果が厳しかったらしく中一女子は何時になく真面目に聞いていた。少しずつ勉強する姿勢が出来ればいいんだけどね。そろそろスマホ中毒からも卒業する頃である。退社後は月波君が来たる。久久にA壇という居酒屋に。バーIにも寄って帰った。

 

11/21・水

 朝は冷えた。以後晴れ。朝一番で課長代理から電話があり、昨日の開示の報告。比較的好印象だったとのこと。此れを機に会って見るかな。其の人と。続いてS君と住宅メーカーの営業員がやって来る。既に大まかな見積もりも出ている。まあまあの物件が出来上がるよう。それにしても不動産業界というものは、果断即決、対応が早いね。なお松の木を残すとして、其の根がどれだけ張っているかで外構工事の費用がかなり変わるとのこと。来月に詳細な測量を行うこととした。

 午睡の後、早目に出社して諸諸の事務作業。退社後はBで。ベトナム人従業員に同国製のインスタントラーメンを差し入れた。軽く飲んで御仕舞。すると通り雨。堪らず適当な公園に緊急避難。周囲の住宅には大勢住んでいるのだろうが不思議と誰とも出合わない。森閑とした公園で漫然としていると、忽然とレインコート姿のおばさんが現れる。忽ち数匹の猫が出迎える。深夜のまれびとは餌やりおばさんなのね。野良猫に餌をやるなとか看板には大きく書いてあるけど、まともな神経の持ち主なら餌をやるよな。惻隠の情、今風に言えば人道援助である。 

本日の売り上げ、花瓶二、大きな火鉢一、年代物の量り(忠太郎爺さんが焼き芋を売っていた頃のものかなぁ)。亡父の自転車も無くなった。五年前に買って幾らも乗らなかった小径車。自作の譲渡証明書を付けた。街で擦れ違ったら面白い。また区による粗大ゴミの回収も行う。ゴルフバッグ、万代伯母のガスストーブ、伊那のホカホカカーペット。三品で1200円。

 

11/20・火

 朝から晴れた。信託銀行の人がやって来て、遺言書の開示。まあ我我に開示する分には何の問題も無いのだけどね。本日午後、渋谷の支店で第三の人にも開示するとのこと。どうなるかな、どきどきものである。相続で揉めるなど正しく悪夢である。

 昼はイオン系の中華食堂で炒飯とラーメンのセット(720円)。割と大盛りだが少し油っぽい。矢張り「福しん」の炒飯の方が旨い。午後も引き続き隣家の整理。義雄伯父さんの日の丸も出て来た。当時の塾長(小泉信三)の激励署名入り。慶応大学に問い合わせたところ是非送って欲しいとのこと。軍服と共に箱入れする。

夕方になるとパソコンのメールが送受信できず。また何かが詰まったか故障したのだと思った。色色やって見たが復旧できず。聞けばサーバー自体が壊れたとのこと。其れは吾人の全く関知し得ないことである。此の所、どうも少し参っているな。本日の売り上げ、小型の炊飯器。最晩年の万代伯母が少し使った。

一晩明けてみると、ビジネスの神様は、集りの疫病神のような扱いになっている。周到に内部通報と解職準備が成されたよう。陶片追放だな。そもそも権限執行者には大変な苦労が伴う。何も目刺しを食べろとまでは言わないから、それなりの報酬は必要である。それにしても何十億である。もう少し自制心というものを持たなくてはね。ところで自動車業界には詳しくないが、こうなることを予想した専門家は居たのだろうか。鉄道にはあのKがいる。早く居なくなって欲しい。Aと釣るんでいるから難しいだろうな。

 

11/19・月

 割と重い曇り。本日の可燃ゴミ、45リットルで八台体制。全てが隣家から出た物ではないが、日日膨大な物品が砧(清掃工場)の煙と化している。午後千寿に出校。駅前の丸井を上がって行くと食堂街まで行って仕舞った。可笑しいな、何時の間にか紀伊国屋がなくなったよう。隣の駅ビルのブックファーストに上り直し、『堀田善衞を読む』。新書一冊買うのも面倒な世の中になった。退社後は町屋のBと並びの「檜家」を流して帰る。夕方から小雨。少し降られた。

 自動車会社の会長も逮捕される。報酬を誤魔化していたよう。報告書の二倍も貰っていたというから呆れる。大体役員報酬ほどお手盛りで法外なものはない。明日の今頃は千寿の先の小菅だな。畳の小部屋で猛省して貰いたい。そもそもの原資は従業員の働きであり、関連会社諸氏の協力である。

 

11/18・日

 概ね薄曇り。朝から自転車散歩。大橋の「吉そば」で蕎麦朝食。するとどんどんと現場仕事のおじさんが入って来る。出勤途中なのだろう。日曜だというのにご苦労様です。拙宅も近近巨額の発注をいたします。

引き続き隣家の整理。出て来た蚊帳は防草シートとして再利用。更に奥から出て来た長火鉢を展示する。すると夕方になり古い物を分けて欲しいというカップルが現れる。何でも開業したての事務所が殺風景なのでインテリアにしたいとのこと。長火鉢とアメリカ製の宝箱のようなトランクケースをレクサスのSUVに積んで行った。此れでだいぶ再就職できたな。昼はコンビニの肉まん。夜は大関の鯛の刺身他。

 

11/17・土

 隣の隣の町会で古着の回収。朝から自転車の前後に積んで三往復す。亡父のものに加え、隣家の押入れの奥の院から出てきたものも搬送。伊勢丹三越の紙に包まれていたから上等着なのだろう。此れで衣類は概ね終了。途中三宿松屋でミニ牛丼。

 試験前なので午後臨時出社。三時から七時まで諸諸の質問に答えた。晴雷亭に寄って帰る。本日の売り上げは、ガスファンヒーター、木製の踏み台、帯も粗方無くなる。

 

11/16・金

 ロ大統領の口ぶりだと、二島返還すら容易ではなさそう。そもそもロシアには領土問題は存在しないそうである。終日晴れ。取り立てて予定の無い日。引き続き片づけとガレージ無料セール。なお状態が良い比較的新しい本は図書館へ搬送し、大量に発見された古タオルは近所の施設に提供す。お年寄りのお尻拭きに使うそう。此方はデイサービスで亡父もお世話になったところである。彼方此方と走り回る内に昼は「ホーチャン」でカレーセット。夜はスーパーのフライドチキンに鯖の缶詰。

 本日の売り上げ、火鉢一(金魚を飼うそう)、七月に買った折り畳みテーブル、寅さんが使っていたような革製のトランク、極めて古い置時計(多分アメリカ製)、他小物多数。貯め込んだものも多いし、棄てざるえないものもまた多い。其れでもこうして文章化し、また電子データに残す分には容量は無限大である。

 

11/15・木

 介護保険の高額サービス費が返還される模様。八月と九月で凡そ九万円。早速書類を作成す。三割負担だったから還って来る金額も大きい。となると介護費用は八月は53万円、九月は50万円に下方修正されることとなる。続いて納めた介護保険料も還付されるらしい。相続人総代者選任届も出す。どんどん出さないとどんどん滞る。書類迅速、落書無用。大工さんが再びやって来て、南側の補強工事。卒塔婆のような材木を打ち付けた。一時間ほどで終了。ぐらぐらのサッシもがっしり固定。此れで一安心である。また家人は施設に挨拶に行く。

午睡の後、夕方出社。退社後は立ち飲みBで凡そ二千円。帰宅後確認すると、本日の売り上げは座布団二、コーヒーカップのセット他。どんどん商品を補充せねばならない。但し着物の帯と亡父の画材(カンバス)は動きが悪い。

 

11/14・水

 天候も安定したのでガレージセールも再開。古美術屋さんに来てもらって見て貰う。土埃にまみれて見回ること一時間。目ぼしいものは何も出ず。古本の類は状態が悪く、骨董品のようなものも無し。特に軍刀や浮世絵が欲しかったようである。義雄伯父さんは学徒出陣だし、古い家と言っても昭和の初めの頃からだから、江戸時代ものとかないよなあ。其れでも蓄音機、手回し式洗濯機、大皿一枚、大小の掛け軸多数、軍用の水筒等、締めて五千円で引き取って行った。ピン札一枚、早速亡父に前に供えた。大セールの後は廃棄するしかないか。

 午睡の後、夕方前に出社。退社後は立ち飲みBへ。帰宅後本日の売り上げを確認。座布団一枚、花瓶二、行李、衝立も無くなっていた。

 

11/13・火

 例によって大量の不燃ゴミの搬出と朝のお勤め。続いて出張所に参り、必要書類を調達。其の足で小平霊園へ向かう。早目に名義変更をすることとした。今日は素直に高田馬場西武線に乗り換える。途中原宿駅の神宮側のホームが無くなっていて吃驚す。結構いい造りだったのだけど。そう言えば山の手線に乗るのも久久である。

曇天の元、管理事務所へ。手続きは直ぐに終了。後後の世代まできちんと管理しますなどという誓約書まで書かされた(実印押し)。いやしかしね、そもそも荒れ墓地にしようと思ってそうしている人は稀であろう。みな意図せざる結果なのである(拙家も極めて危険)。再来週は納骨なので、墓参りは簡単に済ます。小平南の「山田うどん」で天ぷらうどん休憩。適当な西武バスで武蔵小金井に出た。一日に二度も山の手には乗りたくないので、中央線で吉祥寺、井の頭線で下北沢。以後徒歩で帰宅。一万歩以上。

続いて不動産屋のS君を呼び立て、隣の空き家の解体と其の後を考える。吾人なりの大まかな青写真を伝えた(ある程度の植栽を残した形で賃貸物件を建てようと思う)。肝心の御金の方に関しては万代伯母の遺したものと老父の死亡保険金が頼りである。吾人とて、金融と言う近世最大の発明品の効能を認めない訳ではないが、銀行からは借りたくない。此方も大まかな金額を伝え、予算内で諸諸の計画が成り立つかどうかの検討を依頼した。今日は良く動いた。九時就寝。

 

11/12・月

 昨日談合坂のサービスエリアで購入したまたたび原木(300円)、三匹全員が無反応。反応には「個体差があります」などと書いてあったが、もう八歳のおじさんおばさん猫は何事にも感動しないのである。

 朝方は小雨。以後曇る。中目黒まで歩いて千寿に出校。少し歩きたい。自動車旅行だと運動不足になるからね。途中『編集者冥利の生活』。厳しく叱責したとかで小学生二人組が辞めて仕舞い、S子先生は消沈気味。吾人としては担当の生徒が少なくなる分は楽でいいんだけど。退社後は久久に「宇名とと」に。安いビールと五百円の鰻丼は健在。併し後者は随分小型化した。其れでも鰻は鰻。少しでも十分旨い。絶滅する訳である。

 

11/11・日

 宿酔は無し。早速薪ストーブを焚き付ける。まだそんなに寒くないので、小枝を中心に放り込んだ。自動車旅行だと総量としてのアルコール量が少なくて済む。何しろ「あずさ」だと新宿を出た辺りから浴びるほど飲んで仕舞う。回数券の廃止で今後は乗車機会が激減するだろう。健康にはプラスである。さてさて軽い朝食の後、早目の出発。と言うのも月波君が仕事がらみの市会議員の報告会兼飲み会に出なければならないとのこと。あちこちの店やサービスエリアに寄り、ワインや野菜やまたたび原木を積みながら戻る。

終日晴れた。中央道も快調其の物。都下の石川パーキングで蕎麦休憩。当然冷凍物である。そう言えば今回は蕎麦を食べなかった。長野県で食べたものと言えば、ラーメンとカレーだけ。本当の長野通は蕎麦屋などには行かないものである。午後一時前には到着。実に四時間を切る水準。千葉方面に回航する月波君とは直ぐにさようなら。

 直ちに排水管の点検。此の所は排水ノイローゼである。矢張り滞っている。バケツ二杯目で漸く流れた。此の苦しみから早く解放されたい。続いて伊那ゴミの再分別。瓶缶段ボールは言うに及ばず、壊れた鍋や電池電球やゴム草履等等の諸諸まで。全て世田谷の基準に合わせて分別し直す。何しろ月波君が借りて来たマークXと言う高級セダン車のトランクに入り切らなかったくらいだから、リヤカー一台分はあった。それにしてもゴミもワインも持って帰れるから自動車と言うものは便利である。期間は短かったが、少し気分転換が出来た。月命日なので、諏訪の御酒と、伊那の干し芋を供える。

 

11/10・土

 朝から晴れた。先ず木曽の神社にお参り。木曽福島の道の駅の後は、「宮古」という小料理屋でラーメン休憩。昼は中華そば屋、夕方以降は居酒屋という設定らしい。老夫婦でやっている。夜も楽しいのだろう。伊那谷へ戻り、駒ヶ根の光前寺に。紅葉シーズンと言うことで大変な人の出。まあ偶にはこういう観光地然とした所も良いと思った。

ところで此の街には有名なカレー屋があるというので表敬訪問す。落ち着いた店で旨いことは旨い。併しライスに対してルーが少な過ぎる。結局カレーまぶし飯となる。ライスを半分にするか、ルーが二倍は欲しい(値上げしてでも)。従ってカレーを堪能するという水準まで至らず。本格的な海外式のカレーは何処もそうなのだろうか。日本式のカレー屋しか行かないし、而も御飯少な目で注文するからよく分からない。隣の家族連れは、ライスとナンをどんどんお替りしていたけれど。

 少少落胆して山荘に戻ることに。ところでハイセンスのリモコンは酷いセンス。国内型とは明らかに違って極めて使い辛い。量販店に寄って汎用型を追加購入した。こういうところで差が付くのだな。海外メーカーとは。以後方方の片づけ。今回は山荘に堆積している大量のゴミも持ち帰る予定である。

六時ぐらいから須見伯母の料理で飲み始めた。「五一ワイン・スーパーエコノミー白」という1.5リットルの大瓶を空けた所で御開きとなる。

 

11/9・金

 朝から小雨模様。ところで隣の自販機は釣り銭切れで一週間以上何も売って貰えず。丁度ならいいだろうと硬貨を入れても直ぐに戻って来る。全く出る当てのない飲み物を温め、また冷やし続けている(ドウシテ?)。

 午後は本降り。夕方月波君が自動車でやって来る。テレビその他を積み込み、伊那に向けて出発す。都内は大渋滞だったが、高速道路に乗るとスイスイ動く。但し雨は止んだが霧が酷く、時折制限速度以下で走る。其れでも拙宅から二百キロ少少。あちらこちらのサービスエリアを冷かしながらも凡そ四時間で着くのだから自動車と言うものは速い。

 須見伯母が待っていてくれて、早速飲み始める。途中テレビの設営。15型の日立は32型のハイセンスに置き換えとなる。また拙宅で不要になった大型ホカホカカーペットも伊那に転勤。堂堂と広げた。此方の台風被害は軽微。リンゴの収穫も大丈夫そう。

 

11/8・木

 概ね曇る。大量に発掘された古着の類を可燃ゴミに。概ね数十年以上も前のものだからリサイクルにも出せず。リヤカー一台分ある。ゴミが無料な二十三区でよかった。何でも取っておくと後世の人が苦労する。あちら側で万代伯母と亡父はくしゃみしているだろうな。

 続いて保険金の請求書の作成。増えた分は八年間で38万円。利率0.4パーセントくらい。銀行の定期預金よりかは幾らかいいか。また信託銀行の人に聞いたところ、遺産分割協議中でも家屋の解体は可能とのこと。ただ第三の人がどう出るか分からないので、遺言書の開示以降にした方がいいと言われる。どちらにしても解体は年明けだな。まずは応急措置を依頼することとする。

 夕方出社。走っている傍から暗くなる。夕暮れの住宅街は物憂い雰囲気。高緯度中緯度地域は季節の変化が大きい。放っておいても気分が明るくなる春とは違い、秋は精神的には危ない季節である(春はもっと危ない人がいるけど)。だからハロウィーンだのクリスマスなどと色色なお祭りをやるのだと思った。では此の時期の日本だと、酉の市? インパクトがないな。冬の節分をもっと盛り上げて貰いたい。退社後は立ち飲みBと中華を回航。天屋先生のパイチューを口に含む。強烈だね。現代人は毎夜毎夜こうして憂さを晴らして帰るのである。

 

11/7・水

 引き続き隣家の片づけ。ウタ婆さんの葬式(昭和六十二年)の香典袋などまで取ってあるから敵わない。全て捨て去るより他になし。婆さんは自宅で看取られ、葬儀も自宅だった。御近所さんからも色色と貰っている。立冬だけど穏やかに晴れた。暖冬だといいな。寒いと年寄りが大勢死ぬ。米中間選挙、下院は民主党が取った。少し大人しくなってくれるといいが。

 夕方までに出社。金二万円受け取る。退社後はBとI。後者では二杯しか飲まなかったので、おまけとして自主制作CDを購入す。合わせて三千円。残念ながら聞くことはないな。本日の売り上げ、花瓶一、お盆一、漆器三、招き猫一、画材一、半紙一束。

 

11/6・火

 朝のお勤め。今朝は少し引っ掛かっていた。数日に一度の割合だな。引き続き納骨の準備。なお都立霊園の名義変更には戸籍謄本から印鑑証明、返信用の切手まで必要だと言う。流石に御役所である。続いて民間生命保険の請求。コールセンターの女の人には謹んでお悔やみ申し上げますなどと丁寧に言われたが、いや併し一千万支払って、受け取るのが一千万円+利息分って、どういう契約なんだろう。詰まり定期預金? 相続税も掛からないから一種の節税策? こうして世の中を見回すと、分からないことが実に多い。他は電気炬燵の解体。此方を伊那に持って行こうかと思ったが状態が悪いので断念す。2004年製の割りにコントローラーも稚拙。とんだ安物を使わせて仕舞って、万代伯母も気の毒だった。今からでも謝りたい。

午後から大雨。ガレージセールも中断。役所にも郵便局にも行けないから昏昏と午睡す。夜は残り物か冷凍食品。併し隣家の片づけを進めていると、色色な物が出て来る。殊に何かの教本とか。万代伯母が勉強したのだろう。ずっと独り身で、また此れと言った外の仕事もしていなかったのだが、其れでも何かをしようとしていた痕跡のようなものがある。

 

11/5・月

 朝方に一雨。以後晴れたり曇ったり。早速花瓶の類から玄関付近に並べ、「さしあげます」と紙に大きく書いた。再就職出来ると良いが。本位牌も届く。三万数千円。

午後千寿。S子先生からも香典を貰う。退社後は「加賀屋」で三杯のみ。帰宅後確認すると売り上げ(といってもゼロ円だが)は花瓶一、行李一、置時計一。まだまだ続続と品出しする予定。ところで記帳に行った家人によると、みずほ銀行だけ西暦に移行しているという。役所と金融機関だけは頑固に和暦を貫いていたのだけど。愈愈一角が崩れたな。

 

11/4・日

 特異日が終わると曇り勝ち。再び祐天寺に参り「Sガスト」でカレーの朝食。鶏の竜田揚げを付ける(450円)。もう一度空き家を点検すると二階のサッシ部分も外れ掛かっている。道路側に落ちたら大変危険である。解体するしかないな。手っ取り早く駐車場にでもするか。併し古いものが沢山あって捨てられない。大昔の家作帳とか五十年前の雑誌とか戦前の教科書とか。歴史的価値と言うのはないけどね。兎に角片づけを加速させようと思う。午後から小雨。夜はチキンとサーモンのソテー。市販のホワイトシチューのルーを溶かして掛けたら、コテンコテンになって巧く行かなかった。

 

11/3・土

 朝のお勤めの後、空き家の上窓が外れているのに気が付いた。一部のガラスが割れ散っている。脚立を出して片づけた。愈愈崩壊し始めている。早く何とかしなくては。続いて西友に行きテレビを購入。「ハイセンス」製。勿論メードインチャイナ。所謂ジェネリック家電なので32型で二万数千円の品物である。此れを「あずさ」ではなく、月波君のクルマで伊那に搬送する予定。持ち帰った後は、引き続き空き家の修繕。他のガラスも落ちて割れて飛び散ると危ないので、ガムテープを張り付けた。まるで戦時中である。開いたところには取り敢えずビールの段ボールを宛てがう。すると肝心なところで布テープが無くなる。慌てて買いに行ったが、百円店のものは薄すぎて駄目なんだよな。

 さてさて土曜であるが文化の日である。晴れの特異日日本国憲法公布の日でもある。明治節に戻せなどと言う声も聞こえなく無くなったので良かった。午後鶴木さん主催の「川崎市民祭り」へ。方方の屋台村にて大量飲酒。例によって座って飲むところが少ないが、探し回って何とか得られた。鮎の塩焼きからワンカップまで一般小売価格に近い値段で売っているから酒飲み天国である。閉園時間になったので「天龍」に転進。ふらふらになって帰宅。途中多摩川駅構内の「梅もと」で蕎麦休憩。ひとりで食べる天麩羅そばには気楽と言う薬味がついているから頗る旨い。祐天寺の駅ビルが新しくなっていたが特筆すべきことは無し。コーヒーショップより駅蕎麦屋が欲しい(ずうっと前にはあった筈)。鯉は鷹に一つしか勝てずシリーズ終了(ドウシテ?)。

 

11/2・金

 今年のカレンダーもあと二枚である。欠礼葉書(約二十枚)も投函。家人は鎌倉へ。昼は地元の店でとんかつ。老夫婦プラス娘さん(?)でやられているらしい。ロースかつ定食が八百円。とんかつ屋と言うのも古い店が多い。御つまみ類もあるから昼より夜の利用の方が合うかもしれない。

午前午後と漫然と周囲の掃除と整理。亡父の手帳を広げていたら、裸体を写した一片が出て来る。相当古いものである。爺さん、後生大事に隠し持っていたな。家人には黙っていよう。心なしか振り返って見た遺影が一層笑っているように見えた。夜は崎陽軒の弁当。

 

11/1・木

 渋谷の騒乱も昨日で終わり。映像を見ると物凄い人の数であった。将棋倒しが起こらなくて佳かった。そもそも憂き世である。みんな集まって騒ぎたいよな。あんまり目くじらを立てるようなことでは無し。年に一度の事だから許してあげなよ。どうにも最近の日本社会では、「他人に迷惑を掛けること」を極度に嫌う傾向がある。雑踏警備は警察本来の仕事だし、ゴミ拾いや後の始末は渋谷で利益を得ている人や近隣の年寄りがやればいい。お互い様である。こういうことに矢鱈不寛容な人は恐らく自らの幸福感が足りていないのだろう。

 さてさて月も代わったが、やっていることはまるで同じ。まず朝のお勤めと称して排水管に水を流す。取り立てて異状は無し。続いて石材店に電話をして納骨と四十九日法要の手配。水道の明細書が来る。前年同月比25パーセント減。三分の二にはならないよな。

 御昼前に設備屋さんが来て配管の視察。見た所どうも中央部が何かしら欠損している模様。劣化だな。矢張りコンクリートの三和土を叩き壊して管を作り替えるよりなさそうである。全長数メートル。工期は二日程度、予算三十万だな。

終日冬型の晴れ。ゆうちょ銀行の人が来るというので早目の出社。またシステム変更だという。慣れた頃にはさようならである。以後暇なので半年ぶりのチラシ入れ。街並みも少しずつ変わっている。新築住宅を中心に投げ込んだ。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。復路久久の不審尋問に遭う。二度目の防犯登録も抹消されていたことも気に掛かったが、若い巡査に「おとうさん」と呼び止められた方の衝撃が大きかった。日韓関係は再び混迷の模様。まあ、消えた筈の請求権が復活すること自体は歓迎すべきことなのだけどね。