2017年12月

12/31・日
 本年最後の日。午前中は白いものが舞った。何処かの国がとうとう実験でもしたのかと少し驚いた(幸い初雪とのこと)。来年はこういう心配をしないで済むようにして貰いたいところだが、何しろAとTではね。買い忘れていたものを何回か買い足しに行き、昼は牛丼S。街を歩くと、結構チェーン店でも閉まっている。結構なことだと思った。
 基本的には極めて寒い一日。例によって取り寄せたおせち料理で晩から飲み始める。経費節約の為、今回は冷凍ものにす。和洋中の三段で一万数千円。札幌何とかホテルの料理長が丹精込めて作ったらしいが、本当のところはよく分からない。まず洋の段から解凍す。御品書きを見るとメインディッシュの原料は全て海外産。牛は勿論、鶏はブラジル、豚はハンガリー、エビはベトナムといった感じ。万国博覧会である。其れでも味はまあまあであった。大体一晩で五千円分費消す。高くはないな。立ち飲み屋でもまあまあの物を頼めば三人で行けばそれぐらいするだろうし。内需拡大。一意専心である。
泥酔の後、茹で麺を温めて年越しそばとす。例によってふにゃふにゃだが、其れと分かって食べているのでさして不満はない。生蕎麦や乾麺を茹でるのは面倒だからね。夜は流石に寒い。拙室も初暖房。アルコールが回り十一時には就寝。


12/30・土
 今月の備忘録。本務校近くの中華屋と惣菜店が閉店。共に老舗といわれる店で繁盛店ある。親子でやっていたから、後継者もいない訳ではない。パパママ世代が引退するのは分かるとして、息子さんたちはどうするのだろう(共にアラフォー世代)。今更外で働くのは体が慣れないと思うが。店舗は自前だと言うから今後は不動産賃貸業だな。結局家族で汗水たらしても、賃貸収入に追いつく稼ぎ無しという事なのかな。
 山田線の海側の復旧が再来年の三月に決まる。南北が繋がり、名称はリアス線で統一されることに。実に百キロ以上の路線となる。観光客を呼び込むためには横串も充実させなくてはならない。山田線の山側ももう少し何とかならないものか(現在一日四本)。
 朝から良く晴れた。小松菜が足りないというので買い足しに行く。自転車を操り、環七を越え、環八も越え、岡本辺りの無人販売所で漸く見つけた。一束200円。根が張っていて逞しそう。多摩堤通りの「花月」でラーメン休憩。此の辺もどんどんと家が建っている。近近に農地も無くなるな。崖線を登り、再び環八と環七の順に渡って帰る。午後も片づけや掃除、そしてアルコール類の買い増し。


12/29・金
 何とかコインが人気のようで、価格が高騰しているらしい。其のコマーシャルが無意味で凄い。「明日はハレルさビットフライヤー」「みんなで踊ろう」云云かんぬん。仮想通貨には海外決済を容易にするという大義名分があった筈なのだが。それにしても、仮想通貨に投機マネーが集まる。一昔前でもなんのこっちゃという事態である。第一、みなさんまだまだ現ナマを使っているのにね。
また何時か見学に行ったヘリコプター搭載型超大型護衛艦も改造して「護衛空母」にするらしい。まだ見積もりを取る段階だが、どう考えても改造費の方が高いな。という訳でいっそ新造しますなどというシナリオがあるのだろう。何度も言うが明らかに憲法違反である。其れに航空機の整備と搭乗員の訓練等等、上物にも途轍もない御金が掛かる。奨学金何十万人分に相当するだろう。
 朝から活動す。まず玄関掃除。其の後青果専用便を運転。今年は小松菜等も高い。昼は「侍」でラーメン。味はまあまあだが750円は高い。其れに此の豚骨醤油味というものも限界だな。此れ以上旨くならないもの。ならば技術革新と生産性の向上で安く提供して欲しい(そうなるとセントラルキッチンになるのかな)。更に夕飯の材料を買って帰る。
 御酒を飲んでいると妙な警報音が。早速認ためると火災警報器の電池切れのサインのよう。併し此の機種、電池の交換が極めて難しい。「外周部をもってベース側に押しながら回してください」などと意味不明なことが書いてあるが、出来たためしがない。やっている内に段段腹が立ってくる。而もピィピィという警報音の間隔は益益縮まる。結局金槌で叩き壊すより手がなかった。見たところ2004年製。初期の製品はつくづく酷いと思った。晩酌を台無しにされたので、犯人は実名公表す。ナショナルの「SH11864」である。開発者には猛省を促したい。


12/28・木
 駐車料金を現金納付しているお肉屋さんは、払っても無い二カ月分を払ったと言い張っている。家賃手帳を見れば一目瞭然なのだが、紙に書いてあることまで信用できないと言い始めたら、我我は何を信じればいいのだろう。新手のポストトュルースだと思った。
 さて本日から正月休みである。28日から休めることなど近年なかった。此れも大貧学院衰退の御蔭である。まず家作の周りを軽く清掃し、神保町に参る。三省堂で『ゴヤⅢ』を購入して「キッチン南海」へ。開店前から既に大行列。而も大半が吾人より年長(学生さんなど殆どいない)。みんなよく食べるね(そんなに食べて大丈夫か?)。多少待ったが無事カツカレー(750円)に有り付けた。其の後はぶらぶらと古書店を覗くも収穫は無し。其のまま九段下方面へ。武道館を抜けて出鱈目に歩く。併しこういう都心のことなど何も知らないな。特に皇居周辺などは全く。宮城遥拝!などという時代が再び来なければいいとつくづく思った。
半蔵門から地下鉄に乗り、直通して帰宅。まだ二時にもなっていなかった。すると五号室が退去すると連絡が入る。色色と溜めた人だったが、年明け早早に故郷に帰るのだという。此の所、引っ越しが多い。部屋はボロボロだから大規模工事だな。夜は白ワインを呑みながらゴヤ。拙室のテレビは地上波しか映らないからラジオを掛ける。最近はFM局などでも結構いい情報番組をやっている。


12/27・水
 朝方は宿酔気味。流動食(御粥)を食べ、まず診療所に。例によって意味の無い遣り取りをして処方箋を貰う。一種のお医者さんごっこだと思った。其の足で千寿校に向かう。今日も理科と社会の組み合わせ。江戸の三大改革は元に戻そう戻そうという復古的改革だから、時代が進めば進むほど、何の成果も上がらなくなる。時代の変化を認めない改革も挙兵も大抵失敗すると講義した。序でにT親方の場合もそうなるであろうと解説す。彼は大相撲を明治時代に戻したいらしい。何という時代錯誤だろう。
 すかすかに減った腹を「えぞ松」の回鍋肉で満たそうと飯田橋に回航。併し外堀店は定休日だった。止むを得ず本店へ。同じ回鍋肉定食だが、本店はややあっさり指向。外堀店の方がもっと肉肉しくて、本日のような空きっ腹には相応しいと思った。瓶ビール一本で其のまま帰宅。九時少し前。家でも缶ビールのみ。二日連続で飲酒というものは出来ないな。飲もうとしても口や胃が拒否する感じ。本務校には戻らないから年内の勤務は全て終了す。S子先生の怒号も無責任社長の阿呆面も見ずに済むと思うと清清す。


12/26・火
 談合問題を契機に土管新新幹線の是非を問う言説も多少聞かれた。併し道路と違って部分開業というものも無いだろうから、最早止めようがないな(例えば山梨までつくったところで何の役にも立たない)。大体此の手の工事が見積り金額で収まったことなどないだろう。此の先どれだけ膨張するか、名古屋まででも十兆、いや十五兆かな。みんな土管代である。大体民間企業が勝手に始めた工事に何時の間にか公的資金が大量に入っている。工事自体が既に粉飾だと言えよう。今ならまだ間に合う? KとAの昵懇ラインが崩れればね・・・。既に掘った穴は洪水対策の地下貯水池にでもすればいいか。国土何とか化も少しは必要だし。
 今日から講習である。御昼に千寿に出校。昨日気付いたのだが、地元の駅にもホームドアが付いていた。此れで当駅発の人身事故はなくなるな。其処で思い出すのはМ子さんの事である。小学校で同級だった彼女は此の駅で亡くなったらしい。もう二十年も前の話しである。事故だったのか自死だったのか吾人には知る由もない。明るい女の子だったのだけど。此処に書いて備忘しておくこととす。
 授業は二時から七時過ぎまでぎっしりと。何度も行くのが面倒なので、年内二日、年明け二日に集約したから仕方がない。退社後は月波君と客乃間君が来たる。千寿の名店を案内したかったが、「大はし」も「天七」も「永見」も満席。辛うじて「加賀屋」に入り込む。其の後は混んでいる西口から空いている東口に避難。「かあちゃん」と「福しん」のチャーハンで締めて帰った。帰宅は十二時過ぎ。


12/25・月
 今年生まれた赤ちゃんは94万人だそうで、昨年より数万人も減ったことになる。減り幅から考えると、詰まり今までが第三次ベビーブームだったという事だな。大したブームではなかったが、ブームもバブルも去った後で、其れがブームやバブルであったと分かる。ブームでも現状維持が精一杯というのが、此の国の恐ろしい実情である。
 未明は大雨。たっぷり降ったが朝は綺麗に晴れた。本日は本務校も千寿校も休校日。デイサービスに老家人を預け、家人と墓参りに参る。滅多に乗らない西武線で小平へ。降り積もった欅の葉っぱを掻き出す。風が強いので線香は自粛。其の後、石材店の並びの御寿司屋へ参る。随分前(多分二十年以上)に法事をやったことがある店である。丁度御昼だったのだが、扉を開けるとカウンターに座っていた店主は少し驚いたようであった。当然他客は無し。最近は御客が減っちゃってなどと高齢となった店主と話をした。日本酒二合に上握り。二人で七千円。流行らない寿司屋は在庫管理が難しい。ネタも解凍品が多かった。
再び黄色い電車(と言っても最近は黄色くないが)に乗って帰る。食べ足りない吾人は渋谷で「博多天神」のラーメン(500円)。注文から一分で到着し三分で食べ終える。博多ラーメンはこうでなくてはね。ただ博多+天神という屋号は地名的にあり得ないらしい(下町山の手みたいな感じ?)。新玉川線に乗ったらバスの家人を追い越して仕舞う。ツーロックして来たので暫らく家に入れず。夜は掛け蕎麦。風邪予防と称して、後先考えず食べたいだけ食べているから、此の頃体重が非常事態である。
 区の広報紙を見ていたら、ふるさと納税地方消費税の算定方法の見直しにより、来年度の減収は七十億にも及ぶと書いてあった。特養も保育所も建てられなくなると区長は怒っているようだが、ある程度は仕方がないな。地方から出て来て、好き好んで東京に住んでいる人ばかりはいないから。月波君も文京区には払っていないと聞いた。人も金も集め過ぎて仕舞ったら、マドリードになって仕舞うしね。いっそ都会を滅茶苦茶にした方がいい。保育園と老人ホームは十年待ち、道路はぐちゃぐちゃ、電車は毎日故障、街角には掻っ払いと酔っ払いと物乞いが溢れていたら、みんな呆れて故郷に帰るだろう。


12/24・日
 明日まで休みなのだが、何処かに行きたいが、生憎何処にも行くところがない。寒い時期は大抵何処も寒い。伊豆辺りは暖かいだろうが、一人で泊まれるような所も無いだろうな。 
午後はまあまあ晴れた。少し歩こうと、駒沢、深沢、目黒区方面と大移動す。都立大学駅近くでラーメン休憩。確か一年前に入った店だが、何だか雰囲気が違う。屋号も違うから経営が代わったよう。味は豚骨醤油のままだから間違い探しのようでもある。繁盛していた感じだったのだが。「トリツセンタービル」も取り壊し中。更に歩いて帰った。全部で三時間半、二万歩。晩食はスーパーのグラタンとスモークサーモンで御仕舞。
夕方から夜に掛けて映画「64ロクヨン」。一週間しかなかった昭和六十四年に起きた未解決誘拐殺人事件を追う内容。組織内の対立とか、記者クラブとの対決とか色色な不協和音が同時進行して邪魔臭いが、要は死には大きいも小さいも無いということ。改元騒動で掻き消されてはならぬものが必ずある筈である。あと気になるのは、昭和のシーンが暗い蛍光灯に照らされたようになっていたことかな。昭和末期はもう少し色鮮やかだったと思うのだが。舞台が北関東だからか。1989年の一月だしね。
真っ暗に成った頃、伊那から郵便小包が届く。須見伯母が頼んだ伊那のお酒であった。配達員の手は黒く煤けていた。荷物殺到で今年も激務らしい。咄嗟にみかんを二つ握らせて帰した。見ようによっては芥川の「蜜柑」の再来だと一瞬思った。併し荷物が届くというだけで何だか落ち着かない。兎に角、一回で素早く受け取らなくてはね。


12/23・土
 天皇誕生日。2019年以降は平日に戻す案があるそうである。天皇制云云以前の問題として、休みを減らすことには反対である。今年は土曜だが、年末に一日休めると気分が違う。これぞ公共の福祉というものである。
 朝は「富士そば」。昼は「Sガスト」で竜田揚げカレー御飯少な目(450円)。出た序でに本屋を三軒寄ったが、目当ての本は無し。両家人向けに昼の弁当を買いたかったが、いやしかし弁当屋というものも全てなくなったな。スーパーの弁当は喰い飽いたので、結局コンビニへ。併し高齢者が食べられそうものなど何一つ置いていない。結局二軒梯子して助六寿司を一つずつ買い求めた。御金があっても使うことができないのだから、物が不足しているのだと思った。高齢者は外食できないのだから、コンビニこそ高齢者向けの商品を作るべきである。
 今朝の「権力の副作用」という「本音のコラム」は面白かった(文責は師岡カリーマ氏)。何でも権力を持つと実際に脳の一部が損傷して、他人を思いやれなくなるそうである。其れでセクハラやパワハラは朝飯前となり、矢鱈長い会議と下らない報告書の作成で周囲を苦しめることになるのである。夜は鶏屋のもも焼き(一本350円)。世間的にはクリスマスである。


12/22・金
 今年もあと十日である。退社後は中華立ち飲みの二階で座り飲み忘年会。十数人集まった。といっても、職場も住区も社会階層も年齢も違う。飲み屋で知り合ったという仲である。吾人も半分ぐらいの人とは面識がなかった。何だかぎこちなく始まったが、アルコールが回るに連れて、砕けた雰囲気となる。二次会はカラオケ。一時半頃帰宅。其の後柚子湯につかる。


12/21・木
 博多発東京行きの新幹線を、台車が壊れたまま走らせたのは、西の運転指令らしい。東海の判断で辛うじて名古屋で止めたからいいようなものの、つくづく指令ミスだな。何処かで誰かが何とかしない限り、事故は何時か必ず起きる。目利きが居て欲しい所だが、問題は其の人が権限を有しているとは限らない点である。くわばら、くわばら。
 日本の生産性はGセブンで最低とのこと。そりゃそうだろうな。例えば宅配便。近所に配達されるものの三つに一つは持って帰る感じである。二度行っても一度の生産しかしていない。例えばコンビニ。夜中まで開けていても御客など大していない。サービス業の生産性は極めて低くなる。それでは何でそんなに御客にサービスするのかというと、少ない御客を奪い合っているからであろう。詰まりは総需要が足りていないのだな。此れは現場レベルの問題だが、其れに加え、無駄な会議と計画書と報告書が多すぎるらしい。事務職の知人は口を揃える。あらゆる産業のお役所化である(当のお役所はせっかく作った記録をあっという間に廃棄したと言い張っているが)。其の内に、箸の上げ下ろしまで報告書を作れと言われかねないな。此れとて、何かあったらどうするのだという、縮み志向、責任回避、アリバイ作り、詰まりデフレマインドの現れということになりそうである。幸い大貧学院にはそれ等はない。全てが行き当たりばったりであるからね。
 朝から晴れて当然寒い。家人は眩暈。よって買い物は三便。どの店も一長一短だから、掛けずり回らなければ、真面な品物は手に入らない。エルサレムを首都と認めない国には援助しないとTは脅しに掛かる。もう末期症状だな。「社会の上層部に文化創造の力がなくなり、空虚さと退屈さ加減ばかりが大袈裟な舞台を占めはじめれば」「つまりは貴族階級というものの解体期が、すでに現実に来ているということ」で「〝革命前社会のマゾヒズム〟症状をとりはじめた」(『ゴヤⅡ』集英社文庫版)といえるだろう。アメリカも愈愈近近壊れるな。
夜は「まつやのとり野菜味噌」で鍋物。スペイン産の安白ワインを呑みながら。でも此のワイン、スペインの何処産なのだろう。「ドン・ロメロ・ブランコ」しか読めない。またカタルーニャの人も相当怒っているらしい。州議会選挙で再び独立派が勝利す。「スペインの都市(=マドリードのこと)は残酷なものである。周辺からすべてを吸い上げてしまって、如何なる意味でも還付を、反対給付をすることがなかった」(『ゴヤⅠ』)


12/20・水
 日中晴れ。午後出社。取り立ててどうということも無い一日。立ち飲みB。夕刊によると、中東情勢はかなり危ないらしい。シリア×サウジアラビア×トランプでとんでもないことが起きるかもしれない(と藤原帰一が言っている)。とは言うものの中東問題の分析に割ける時間もないし、担当の脳内参謀もおりはしない。まあこうして色色な専門家の見方が自然と目に入って来るのが新聞紙のいい所でもある。


12/19・火
 未明に火事。近くではないが、何台も何台も消防自動車が走って行った。大火事と見えて、サイレンも気合が違う感じであった。行ったからには消しに掛かるだろうから漸く静かになると思った。すると今度はヘリコプター。何時までも旋回す。
 朝方はチバテレビでやっているアニメ版「美味しんぼ」を見る。河豚の白子に匹敵する味として、牛や羊の脳味噌が紹介されていた。吾人も二十年ほど前に同様の物を食べた記憶がある。併し今は食べていいんだっけ(プリオン怖い)。最近頭が悪くなったと思うのは、ひょっとして・・・。矢張り脳を食ってはいけないと思った。何事にも遠慮というものが必要である。
 続いて吾人も現場検証に参る。環七から少し入った古い民家が燃えたよう(死者も出た)。奥まっているので全体像は見えず。あの辺も極めて密集している。何十台も駆け付けたらしいが、消すに消せないな。接道していないから建て替えもできないのだろう。建て替え不能という建物も実は多く存在す。其の後、年賀葉書を購入し、中味を印刷し、宛名をボールペンで書き、投函す。こういうものは一気呵成に限る。ちなみに文面は以下の通り。
―― 本年もどうぞ宜しくお願いいたします。両家人に外猫三匹(シロ・グレ・ミケ)共々、無事越年しました。昨年はおととしの八月に亡くなった伯母万代(大正八年生)の相続手続きが漸く終了し、以後何だか虚脱感に包まれた年でした。
一方学習塾の仕事の方はと言うと、益益暇になり、とうとう週に三日の出勤で事が足りるようになって仕舞いました。空いた時間で、最近弱って来た父(大正十四年生)の面倒を見ています。別に何処が悪いという訳ではないのですが、流石に九十を過ぎるともなると、意欲がなくなって仕舞うようです。齢を重ねるということは、ある意味、全く新しい自分になることなのでしょうね。
という訳で、今年こそ何か挑戦したいと思う次第です。まだまだ若いですから。私自身は至って暇ですので、皆さまどうぞお誘いくださいませ。大蹇朋来。たいけんほうらい。全く知らなかった言葉ですが、こういうTシャツを着た人が近所を歩いていたものでつい・・・。――――
草臥れたので回鍋肉定食(780円)の遅い昼食。初めての店である。味付けはいいが、豚肉がふにゃふにゃで、噛み応えゼロ。一体どういう肉なのだろうと訝った。回鍋肉は三枚肉でなくてはね。またテレビ等は大相撲に続き、上野のパンダで盛り上がる。実に無意味な盛り上がりだが、コラムニストのO氏が、白頭山辺りにも珍獣がいれば、平和外交のカードとして使えるのにと残念がっていたのが面白かった(昨日のラジオ放送にて)。いやしかし、仮にピカチュウみたいのがいたとしても、高額の貸し出し料金を請求されて、ミサイル開発の足しにされるなぁ。


12/18・月
 春の改定では九州の列車もごっそり減るらしい。分割民営化から三十年。当初は巧く行くかに見えた分社化だが、事態は最悪の方向に向かいつつある。つくづく未来予測など、高か知れていると思った。人口減や過疎化などはある程度は予測できたのだろうが、実際には此の異様な低金利が経営安定基金を無力化し、三島会社の経営を直撃した格好となっている。三十年前に将来の金利がゼロになることを予測した人などいないだろうな。仮に全額取り崩すとして四国や北海道はあと何年持つのだろう。
 一日晴れ。中目黒まで歩いて日比谷線に。途中散髪す。時間があるので「りんりん」でカレーライスを御飯少な目で(330円)。此方の通常授業も年内は本日で終了。高校三年のSさんは今更ながら他塾に転校。AO入試に三回も落ちたものが、一般入試で通るとも思えず。理学療法士の学校に入れるといいが。また相変わらずT君は遅刻した上に手ぶらで登塾。彼を中三の頃から見ていたが、何か変わったようには思えず。専門学校に行きたいらしいが、こういう子を教える先生も迷惑だろうな。週一回でも流石にうんざりである。「大江戸」で軽く飲んで御仕舞。行きも帰りも『若き日の詩人たちの肖像』。此の所、堀田ブームである。


12/17・日
 再び冬型に戻る。買い物は三便。午後は「人生フルーツ」という記録映画。ニュータウンの造成地に、家と庭と林と畑を一から作ったというお話し。日本には珍しい仲の好い老夫婦だと思った。映画の半ばで御主人が天寿を全う。残された奥さんの方が心配になった(仲が悪い大抵の夫婦は、我儘な旦那に死なれた後、妻の寿命が一気に延びる)。矢張り庭のある生活の方がいい。幾つになってもやることがある。マンション暮らしは楽だろうけど、昔から年寄り殺すに刃物はいらないというからな。人間も鮪と同じで、あれやこれやと動いている内が丁度いいと思った。昼は蕎麦を茹でる。最初は盛り、二杯目は掛けにして食べる。夜は「オオゼキ」の牛肉を焼いて食べた。取り立てて無為。
大宮の特殊浴場が炎上、死者複数。ああいう建物は建て替えが出来ないというから、防火対策も進まないのだろう。歌舞伎町のビル火災が思い出される。あの頃はまだ青のビニールシートで隠すという習慣がなかったらしく、担架からはみ出たピクリとも動かない足までバッチリと中継されていた(と記憶している)。また昨日の事故も施工ミスが原因とのこと。技術者が足りない(多分四十代前半が)。いや、賃金が足りない、そもそも下請け施工会社に回る御金が足りない?


12/16・土
 朝からまあまあ晴れた。午前中は屋根屋さんが再び参る。善後策を検討したところ、破風板を取り除いて見ないと、根本的なことは分からないとのこと。大掛かり過ぎるな。まあ越水するといっても年に数回。台風と集中豪雨さえ我慢すればいいか。そもそも実害も無いし。という訳で今回は断念す。
 京浜東北線で架線断線。東海道も横須賀も全部止まる。何処も彼処もメンテナンスが追いついていないな。また先日の東急線の設備故障は施工不良+点検不備とのこと。大儲かりしている会社でも此の為体である。
 月波君がボロ市を見たいというので、夕方出掛ける。吾人は徒歩で、月波君は渋谷からバスで参る。直ぐに日が暮れて来て、夜市の趣き。温めたワンカップを飲みながら出店を覗く。ナイトバザール。こういう雰囲気は中中味わえない。色色と面白そうなものも売っているが、併し此れ以上、箪笥の我楽多を増やしてもね・・・。少し油断しただけで、家は人生のゴミ箱と化すからな。結局何も買わずに松陰神社横の居酒屋、西太子堂の中華屋、三軒茶屋の立ち飲み屋と三連戦。夜も暖かく、文字通りの飲み歩きには都合がよかった。泥酔して帰宅。十時就寝。


12/15・金
 午前中は曇る。台車が壊れて動かせなくなった新幹線が名古屋駅を占有す。御蔭で交互発着できないので上り線は恒常的に遅れが発生しているとのこと。新幹線史上初の重大インシデントである。結構危ない所であった。整備不良だな。大丈夫か。一方ライバルの飛行機の会社は整備士も操縦士も足りないらしい。
 午後も寒い。夕方前出社。冬期講習の時間割を決める。するとCAを務めているKさんが尋ねてくる。入社二年目だが、もう国際線にも乗っているとのこと。人手不足である。深夜早朝はタクシー送迎もあるらしい。儲かっている大企業は違うと思った。其れに運輸業の中でも、飛行機は晴れの日の乗り物、華があるな。偶にはエアラインに載って見ようかと少し考えた。でも飛行機はやっぱり怖い(新幹線も)。早目の退社後は晴雷亭で中華丼(530円)。其のまま自分で自転車を運転して帰った。


12/14・木
 『怖い絵』経由で、堀田善衛の『ゴヤ』に到達す。芥田先生に推奨された時は、ゴヤとゴーヤの区別も付かなかったが、爾来一年、漸く読み始めるところまで辿り着いた。併し分厚い文庫で四分冊、大変な大著である。冒頭の「スペイン・光と影」を少し読むだけでも、スペインという国(そもそも国ですらないのかもしれない)の困難さが伝わってくる。ところで芥田先生で思い出したのだが、先日亡くなった重電メーカーの元会長は、先生が大学院で学んでいた時にお隣の研究室にいたのだという。原発を矢鱈推進し、会社を潰す原因を作った人である。政治思想などをやっていたのだから、もっと大局的な判断ができなかったものだろうか。つくづく残念である。
 今日も冬型の晴れ。異様に寒い。昼は池尻の「ホーチャン本店」で天麩羅そば(500円)。生蕎麦を茹でているので案外旨い。ゴヤの後、吾人も年賀状を作成す。今年は少し近況報告を挟もうと努力す。といっても大した報告内容がないが。


12/13・水
 関東はピリカン。関東以外は大雪らしい。午後早目の出社。滞留した事務仕事を片付け、年賀状を作成す。金参万円受け取る。そう言えば、小学六年のO君に「先生の授業は為になっているかは分からないが、色色と話される内容は何だか為になっている気がする」などとしげしげと言われた。何か心に残る所があれば、其れで十分である。退社後は立ち飲みBへ。色色な皆さんがいらっしゃったが、酔度が異なるので、今一つ会話に参加出来ず。夜はもっと寒い。


12/12・火
 再びの冬型。今季は厳冬だという。散歩がてら買い物に。大橋まで参る。まず駅直結の中型書店で『怖い絵』の続編を二冊。其の後は、ラーメン花月ではなく、「香月」に入る。元祖背脂チャッチャの店。元元は恵比寿にあったらしいが、近所で出来たり消えたりしている不思議な店でもある。最も基本的なラーメンが850円。諸物価高騰中だと思った。元を取ろうとサービスライスまでうっかり注文す。でもラーメンに付いてきた御飯って、食べるタイミングが掴めないよな。肝腎のラーメンは細麺で上品な造り。一昔前のヒット作である。ただ器が矢鱈大きく、多くのスープが無駄になる仕組み。もっと器を小さくして少し安くして欲しいものである。ライスの方はラーメンの具沢山な所を口に含んだ時に一緒に掻き込んだ。
其の後タワーマンション一階のスーパーに。併し大橋も変わったな。螺旋階段のようなジャンクションが出来ているそうだが、生憎通ったことは無し。ただ地上を行き交う人人には迷惑な存在で、歩道には風よけのアクリル板が増設されていた。既に数千本の傘をへし折り、数十人を吹き飛ばしたのだろう。
名古屋辺りの東海道線で架線切断。朝から夕方までたっぷり止まったそう。中京圏は大混乱だった筈だが、全国のニュースには全くならないから不思議である。名鉄振替だから大した不便はないのかな。夜は「ガイアの夜明け」。外国人技能実習生の問題を指摘していた。此の問題は今に始まったことではないが、いやしかし、一万二千円の高級ワンピースを時給400円の人が岐阜の田舎で作っていたとは。アパレルというのは恐ろしい業界だな。


12/11・月
 朝から晴れ。朝から勤労意欲が漲って来たので、梯子に上り、蔦を払う。物置小屋の屋根は剥いだが、高い所までは取り切れなかった。茎は切断したのでゆくゆく枯れて行くだろう。久久に領地が回復したので、早速シロが上がり、日向ぼっこをしていた。働いた甲斐があるというものである。更に須見伯母が来訪。庭木弄りも手伝う。月曜朝から重労働である。
 午後千寿に出校。師走には生徒も疲れて来るらしく、少し早目に切り上げる。其のまま帰宅しコンビニ食。往路も復路も『震える舌』の原作(講談社文芸文庫版)を読み耽る。映画も凄いが、原作本の方も凄い迫力である。医師兼作家である石黒達昌氏による解説も佳い。


12/10・日
 リニア式土管新新幹線の工事を巡って、大手ゼネコン会社が取り調べを受ける。新聞には九兆円のビッグプロジェクトとあったが、何時の間にか四兆も増えたらしい。此の先どれだけ膨張することか。
 今日も晴れた。割と暖かい。久久に何処にも行く予定の無い日曜日。有名プロ野球監督の奥さんが急死。所謂悪妻扱いされていた人だが、本当の所は分からない。特に女房に先立たれた男性は寿命が縮むというから、監督が心配である。
夜は暇に飽かせて「スカイバウンド」というB級映画を見る。大空の密室劇は一瞬面白かったが、内容はC級であった。いやしかし、よくこんな映画作ったね。何か褒めるところがあるとすれば、電波障害により現在起きていることが分からないので、主人公たちが機内の古新聞から何とか推測しようとしていたところ。スマホ中毒の若者としては少し涙ぐましいと思った。


12/9・土
 朝から良く晴れた。昼飯、夕飯、猫の飯と買い物は三便。昼時のステーキレストランには行列が出来ていた。ボーナス月でもある。みんな輸入牛だけどね。晴れてもやっぱり寒い。御向かいに遮られ、一階は二時半には陽が沈む。また近所の店舗兼住居の長屋も、謎の胸像のある立派な家も取り壊し。こうして身の回りから昭和が消えて行くのである。


12/8・金
 渋谷の放送局に受信料を支払うことは概ね義務であるとの最高判決が。強制加入、詰まり自賠責保険国民健康保険国民年金と同じように実質的な税金であるな。此れでは、彼らが一番嫌がる「国営放送」になって仕舞うと思った。両者が対等な契約であるという建前があれば、もっと視聴者の意見も聴くだろうに。国民の声を届けるという御題目のもと、政治介入が益益進むかもしれない。今月の電気使用量293キロワット。前年比10%減。既にエアコンは終夜運転の一日二十時間勤務だが、まあまあ少ない。新型転換効果が出ているのだろう。
 朝から曇天。午後出社。夕方から冷たい小雨。雪でも降ってきそうで。退社後は晴雷亭で炒飯を当てに酒を二合。中から温めて帰る。其れでも寒くて、祐天寺の本屋に緊急避難。何か買わないといけない雰囲気なので、『怖い絵』の文庫版を購入す。美術のことなど何も知らないので、こういう本をまずは手掛かりとしたい。
帰宅後にケーブルテレビでやっていた「震える舌」。幼い娘さんが破傷風に罹患して酷い目に遭ったというだけの内容だが、極めて恐ろしい作り。此の映画を確か小学生の時分にテレビで見て、世の中にはこんなに理不尽な病気があるものかと衝撃を受けたものである(ハショーフーの語感は極めて爽やかなのに比して)。爾来三十余年、今見直しても矢張り恐ろしい。特に血まみれの痙攣シーンなどは・・・。ただ此の映画、子どもが親の手に負えなくなると言う点で、反抗期の隠喩だな(「エクソシスト」は第二次で此方は第一次)。
それにしても、破傷風日本脳炎狂犬病結核、何とか熱、何某菌、ああだこうだウイルス・・・等等、こうした感染症のリスクは極めて小さくなった。医療の進歩、公衆衛生の向上、詰まりは文明化の偉大な恩恵である。まずは感謝しなくてはならない。其れでも病気は益益恐ろしい。我が身を見れば、加齢に伴う病気に震える日日である。幸い血圧と血糖値は高くはないが、尿酸とコレステロールと眼圧が高い。そろそろまた健康診断を受けなくては。


12/7・木
 朝から晴れた。両家人に弁当を食べさせ、吾人は家電量販店へ。購入したのは千円余りのキーボード。先代のパソコンから引き継いだものは十年選手で、左側のシフトキーの損耗が激しい。今回交換に至った。何しろひらがな打ちだから使用頻度が違う。併しキーボードもピンからキリまで色色とある。成るべくタッチが固い物を選んだ。万年筆や原稿用紙にこだわる作家さんは沢山いたらしいが、キーボードにこだわる人はどれくらいいるのだろう。パソコンの中身はみんな一緒だから、そういう外部品ぐらいしか最早こだわりが持てないと思うが。
グレとミケが喧嘩をしたらしく、同じ小屋に入らない。此の場合グレが追い出されて仕舞い、憐れにも無宿猫である(庇の上の座布団で寝ていた)。止むを得ずもう一軒建て増しす。此れで猫三匹に猫小屋が三軒。猫もひとり暮らしがいいらしい(シロは元元個室対応)。ひとり寝は寒いんだけどね。
 またTさんが何かやらかしたらしいが、知らない自由を行使させて頂くことにした。暫らく中東に目が向いてくれると、東アジアに時間的余裕が出て来るというものである。いやしかし、他人の不幸で喜んで仕舞っては往けないな。


12/6・水
 国連事務次長が平壌入り。アメリカは取り合わないようだから、愈愈国連に助け船を求めたらしい。そろそろ何とかしないと危ないことになると思った。また政府は巡航ミサイルの検討を始めたという。明らかに憲法違反である。北の皇帝も件の国営アナウンサーも益益激昂するな。今の所は半分以上は冗談だが、伊那への疎開も検討しようと思う。併し何十年も戦時体制が維持できるという北の政治体制も益益不思議である。いい加減、草臥れて来るだろうに。それにしてもAとTを何とかしないと本当に本当の無茶苦茶なことになるぞ。
 一日晴れ。暇に飽かせて「インスタグラム」というものも始めてみる(インスタグラム=簡単に言うと、画像投稿SNS)。かと言って取り立てて載せる写真も無い。猫と鉄道を撮ったものを幾つか挙げてみた。フォロワーが付くとも思えず。まあ其れは吾人が此れだけ書き溜めた文章とて同じことである。そもそも吾人は投壜通信の積りでやっている。何時か誰かに届けば、其れで十分である。
 午後出社。面談によると、O君に続きEさんも不登校になっているとのこと。明るい子だった故に、少し驚いた。共に中学一年生である。其れでも当学院には通って来ていたから、まるで気が付かなかった。つくづく中学校とは過酷なところだと思った。まあ不登校というのは色色と面倒だろうが、それでも家と学校以外にいるところがある子は、まずは幸せであると考えるべきであろう。特に最近の大貧学院は、トモエ学園化が著しいので、通いやすい環境であることは間違いない。無理して登校し続けて心身を病んだり、其のまま引き籠りのようになるよりかは、幾らかは増しだからね。退社後は中華立ち飲みへ。夜は結構冷えた。


12/5・火
一日概ね晴れ。家人は銀座で昼餐会。老家人にはコンビニのオムライス(450円)を食べさせ、吾人は「せい家」のラーメン(540円)。何とか兵衛という寿司屋に行ったらしいから、一人当たりは二十倍だな。まあ偶には贅沢して貰わないとね。猫にもスーパーの刺身を食べさせた。風が吹き、何度も落ち葉掃き。流石にザギンのシースーは旨かったらしい。感動気味に語っていた。


12/4・月
 朝方はかなりの宿酔。久久に黄色い物を見た。昼は煮麺。一日曇り。午後出社。此方の生徒に京成のイメージを聞いたところ、台風に強いという答えが。成程、何かいい所が必ずあるものだと思った。退社後は「かつや」で「ロースカツ定食」(745円)。例によって肉に何の味もないが、此の時間に此の値段である。店内は大混雑していた。
 夜はノンアルコールビールを飲みながら「呑み鉄本線日本旅・三江線」。列車本数があまりに少なく、周辺は超過疎地帯ということもあり、途中下車先に難渋していた。此処もあと数ヶ月で廃線である。完全休肝


12/3・日
 朝から出掛ける。目的地は佐倉。歴史民俗博物館の「1968年−無数の問いの噴出の時代」展を見る為である。千葉市在住の芥田先生もお誘い申し上げだが、生憎津和野に出張中との事。学生だけの参加となる。まず東西線で行けるところまで行き、京成線に乗り換える。西船橋駅から京成西船駅までは徒歩数分。まあでかい駅だと思えば腹も立たない(何しろ此の経路が一番安い)。併し西船橋といっても、JRと京成では丸で別物。前者は殷賑な駅ナカ商店街まであるが、後者は昭和四十年代で時が止まったかのような廃れよう。釣りかけモーター車でも走って来そうである。此方の線はスカイライナーも通らなくなったから、何だか見放されているな。やって来た新型の電車に乗り、只管下る。各駅停車は臼井止まり。後から来た快速も佐倉止まり。成田まで行くのは今もって一時間に三本しかない。酷いダイヤだと思った。北総や東葉高速は運賃バカ高、京成自体も決して安くはない(西の私鉄に比べて)。千葉には碌な鉄道会社がないと思った。いやしかし、こうして京成を各駅停車で巡ることは今までなかった。万事興味深い。
 博物館近くの「長寿庵」という蕎麦屋でアルコール休憩。月波君、藤松君、客乃間君の順に到着合流。中量飲酒ののち、今から歴博に行くのですよと言うと、店のおばさんが招待券(800円相当)をくれた。蕎麦代が只となった形。案外得をした。長者庵だな。さてさて企画展は、結構な人の出。特に大学紛争のコーナーに人が集まる。若い人もいるが、現役で暴れていたような人も多い感じ。しかし大権力や大資本や大空港相手に闘うことはあっても、大学の先生を吊るし上げようとはなかなか思わないな。まして芥田先生を。其れに問いはあっても、答えを探して来なかったから、日本社会は此の為体である。社会運動の類も一旦途絶えると流れを取り戻すことは容易ではない。
 その後常設展を中世から近代まで歩く。併し此処の展示物は膨大で、行けども行けども昭和まで辿りつかなかった。四時頃退出。佐倉在住の藤松君の案内で、「幸」という食堂で一献。吾人らは刺身定食。魚の食えない客乃間君は国産豚のとんかつ定食。店内はあっという間に満席。なかなか優れた店であると思った。さらに「福来軒」という中華屋にも寄る。
帰りはJRとなった。各駅停車で千葉まで出て、総武快速に乗り換える。大分止まっていたが、一旦走り始めると結構速い。120キロ運転である。新快速ほどではないが、圧倒的な走りである。此れでは京成は一たまりも無いな。京急のようにJRに対抗しようという気力も湧かないのだろう。態態鉄道で頑張らなくても系列のテーマパークは大儲かりだしね。結局品川まで乗り通す。山の手で目黒。運賃1144円。京成経由より勿論相当高いが、此れは快速料金込みだな。目黒からバス。九時半帰宅。


12/2・土
 朝から牛丼Sへ。入浴の次は散髪ということで、数百メートル離れた理容店に連れていく。行きは急いでいたので車椅子。帰りは歩いて貰った。兎に角、一日一仕事である。七号室正式退去。御菓子を貰った手前、うっかり持ち去って行った物干し竿の事は切り出せず。まあ相殺だな。買い物は二便。早速近所の工具屋で物干し竿を補充す(1250円)。その他は取り立てて無為。夜は缶麦酒一、白ワインをコップに半分。ほぼほぼ休肝


12/1・金
 昨日と同じようなお天気。老家人が久久に入浴したいという。浴室を温めるためにまず吾人が先行入浴す。朝風呂など滅多にしないから、何だか調子が狂う。其の後家人の付き添いで入浴。恐らく二週間ぶり。来年からは訪問入浴でも頼むしかないな。そう言えば施設に入っていた万代伯母などは、意識混濁、呼吸不全の状態でも入れられていた。流石に臨終の数日前に中止となったものだが。
 皇室会議改元はひと月遅れて再来年の五月となる。統一地方選に配慮したという事らしいが、何だか不自然。大体メーデーだろ。会計年度に合わせた方がいいと思うが。やはり四月と報じたA新聞へ当てつけだな。まあ、五月一日を臨時祝日にすれば国民も喜ぶ(すると三十日も二日も休みになるらしい)。大衆天皇制というやつだな。併し此れで、昭和、平成、新元号と、三つを頭の中で変換しなくてはならない。もう、無理だな。あ、そうそう大正生まれもいるぞ(老家人は大正十四年生まれである)。
大相撲の場外乱闘は依然継続。幸い、我慢し切れなくてついつい発射した北のロケット問題も霞んでくれた。またT親方は蒙人横綱を目の敵にしているよう。併し彼らの働きがなければ、国技館などとっくに昔に川崎球場になっていた筈である。感謝すれこそ、わざわざ非難してもね。大体日本人だって品格も何もないだろう。
午後出社。退社後は晴雷亭に鶴木さんを尋ねるも一足違い。ひとり酒である。其の内、大将から連絡があり久久にバーIへ。実に一年振りである。マスターもX女史も元気そう。大将から日本酒を貰う。父君の二十五周忌だそうで九州に帰省していたとのこと。