2018年3月

3/31・土
 血液検査の結果はまあまあ良好とのこと。コレステロール、尿酸等も基準値×1.2程度。血糖値も低い。買い物に続いて、拾った携帯電話を交番に持って行く。午後はバーI主催の花見会。三時に店に集合して近所の公園に向かう。参加者は十名程度。吾人より年下が多い。みな常連なのだろうが、一堂に会したことがないから、誰が誰だか分からない。唯一分かるのは店主だけである。まあそれでもアルコール力を借りればどうにかなるから不思議である。暗くなった頃に店に引き上げ、二次会へ移行。酔いが回った吾人は、頃合いを見計らって離脱す。十時には就寝(多分)。差し入れ分を含め会費は五千円。こうして健弱な三月も終了す。
三月の備忘録。本務校の商店街ではクリーニング屋が閉店。此の所、自前で作業しているような所はどんどん閉じている。また豆腐屋さんも長期休業中。どちらも店主高齢の為。三江線も廃止。


3/30・金
夜半から未明にかけて大風。異様に暖かい空気は何処かに流される。其れでも平年並みの気温。沖縄の伝統食品を放射性廃棄物の味がすると表現した高校の英語の教科書が訂正される。既に刷ってあるから総回収だな。日本を食べ歩いた英国一家の文章をそのまま載せてしまったよう。英国流のブラックユーモアの部分は手直しすべきであった。其れとも、何処かで「放射能の」という形容詞と「廃棄物」という名詞を差し込みたかったのだろうか。大抵の英語の教科書は必要な単語と文法を無理矢理組み込んでいるから、何だか不自然な遣り取りになるものである。
月波君が都心の桜でも眺めましょうと言うので出掛けた。市ヶ谷から飯田橋まで歩く。まだ三時過ぎたが、会社員などもブルーシートを広げている。佳い会社だと思った。そういえば今日はプレミアム何とかであった。桜は既に半分程度。世田谷に比べ少し早い。今年は特に早いから新入生や新入社員は間に合わなかった。もし後者が駆り出されているとしたら、其れはブラック何とかである。一方鳳生大学もどんどん建て増ししている。京都の駅みたいになっていて驚いた。
刺身でも食べようとさくら水産を目指すも、何時の間にか「腹八分目」という安めの居酒屋になっていた。一応入って見る。インスタ映えを狙っているのだろう、矢鱈大きな唐揚げが名物のよう。今更唐揚げを大量に食べさせられてもね。客乃間も来るというので腹五分で「備前」というラーメン店に移動。併し既にスープも麺もないというので水餃子を食す。麺が食べたくなり、結局何時もの「えぞ松本店」に。数千円を費消して十時過ぎに帰宅。


3/29・木
 北の小皇帝は北京に参り、中華の新皇帝と会う。こう書くと身も蓋も無い感じだが、米朝会談の下準備の為である。開国の意思は変わらない模様。何となく冷戦が終わるときの感じに似ている。此処は敢えて楽観論で行きたいと思う。但し日本は自ら蚊帳の外である。せめてジンドーエンジョをちらつかせるべきである。期限切れの防災食を送ることに反対する人は少ないだろう。
 異様に暖かく、異様に花粉が飛んでいる感じ。ロラタジンという薬を飲み、マスク掛けで閉じ籠っていてもくしゃみ止まらず。取り立てて無為。録り貯めてあった「ポツンと一軒家」という番組を見る。此れは衛星写真で見た一軒家を実際に見に行くという企画。中には都会から移住したような威勢のいい人もいるのだが、今回の放送では行って見ると廃屋だったり、空き家だったり。一軒家ではないが、集落で人が住んでいるというのは一軒だけというものもあった。当然住んでいるのはお年寄りばかりである。此れが地方の現実、そして全日本の未来の姿である。まあみんな比較的楽しそうに住んではいたけれどね。


3/28・水
 朝から区の健康診断。と言っても何時もの内科である。可もなく優も無く。血液検査の結果は数日後。ちなみに選抜野球では彦根東慶應に勝利。名前から言って県立高校で、ルーツは彦根藩の藩校だという。ウィキペディアによると設立は1798年。詰まり寛政高校である。歴史的にも勝っているな。こういう地方の伝統校には少し憧れる。何しろ高校は横浜市北部の某私立高校だったから。
 午後出社。二時半から八時までずっと授業。口から沢山息を吐き出したら耳の方が治るかと思ったが、残念ながらそう言う事にはならなかった。服薬二日目、今のところ変化なし。退社後は晴雷亭に行くも誰にも行き会えず。こういう時にはバーIに回航す。すると近近に花見をするから是非来るようにと店主に言われた。今年はこういう企画にも出て見ようかと思った。誘われる内が華である。十時半ごろ帰宅。


3/27・火
 カキーンという左の耳鳴りが収まらないので、先日の耳鼻科に参る。今日は年増で小柄な女医の診察を受ける。割と気さくで丁寧な感じ。院長先生なのだろう。院内は大混雑であった。結局ビタミン剤や血流改善薬、むくみを取る漢方薬等が処方される。鼻が悪いと耳にも悪いから、抗アレルギー剤もきちんと飲むようにと言われた。診療報酬520円、薬代2020円。実際は此の3.3倍である。飲み代が減って、国民の医療費が増大している。良くない傾向である。早く治さなくては。
 午前午後と国会は証人喚問。件の局長、前国税庁長官の番である。余り詳しくは見なかったが、何故そのような改竄が行われたかについては、刑事訴追の恐れがあるので答えられないと繰り返した。そもそも喋る気がないから、喚問も時間の無駄といった感じ。併し此の人も高級官僚人生の最後の最後にこういうことになるとは予想し得なかっただろう。今まで以上に涙目で、ふさふさの髪にも白い物が増えたように見えた。何処で何をどう間違えたのか。何だか憐れだな。恐らく、忠勤過ぎたのだな。あれでは家産国家の家産官僚である。
 潮流に乗って東急も座席指定列車を走らせるという。但し大井町線の急行で夜間、編成に一両だけ組み込むことに。何とも中途半端である。併し通勤ラッシュ程無駄な物はない。本来なら、フレックス何とかと在宅勤務、地方分散でとっくの昔に緩和されている筈なのだが。デフレ時代の労働強化と東京集中で全く其の芽は摘み取られて仕舞ったのである。終日異様に暖かく、午後は昏昏とする。昼はスーパーの弁当。夜は冷蔵庫の残り物を片付ける。


3/26・月
 沢山寝ても、朝からぼんやりす。耳鳴り酷し。御昼前からテレビ桟敷で野球観戦。春の選抜高校野球、仲田大将の母校が出る試合である。二十一世紀枠という特別枠での出場だが、相手は生憎の超強豪校。軍事に準えるなら最早戦闘というものに成らず。幾ら予想されたこととは言え、見ていても気の毒である。まあアウトは死だが、戦争と違って本当に死ぬ訳ではないけど。
併し人口が減少している田舎の公立高校と強豪私立高校とでは、予算も人員も一ケタ違う。全国から選手を集めた後者は都道府県の代表ですらない。そんな高校野球というものがよく続いているな。日本の七不思議である。さて試合はと言うと、当初はどうなるかと思ったが、後半善戦し、見せ場も幾つか作れた。応援に行った大将も満足して帰京するであろう。午後出社。退社後は中華立ち飲みに鶴木さんを尋ねるも、井満さんの悪態が酷く、直ちに立ち飲みBに避難す。飲み屋の客にも明白な序列がある。様態、職業、話しの面白さ等等を掛け合わせて総合的に決まるのだが、此の所の井満さんは転落が著しい。何しろ髪はぼうぼう、話しは本当に完全に壊れたテープレコーダーだから。矢張り男は仕事をしていないと駄目だな。何はともあれBでは久久に閉店近くまで飲み通した。2300円。


3/25・日
 やめろ止めろというのに、西日本の原子炉が相次いで動き始める。大体此れからの季節は陽光煌めくのだから電気だって余るだろうに。一部には電気料金を引き下げて、顧客を囲い込もうという会社もあるよう。何度も言ったが原子力発電が安いというのは出鱈目である。動かして出て来たあがりは、莫大な廃炉費用と廃棄物の十万年分の保管料の積み立てに充てるべきである。
 昼は外に出た。新町のとむちゃんでトンコクラーメン(640円)。其の後は駒沢の公園に寄る。桜は満開。既に大変な人の出である。少しは見て歩きたかったが、あっという間に目も鼻も大破。急いで戻り、目を洗い、髪を掃除機に掛けた。今年の花見は無理だな。アルコールと抗ヒスタミンをほぼ同時に飲んだら、重力に逆らって立つことすらも出来ず。九時就寝。


3/24・土
 気が付けば右も左もメードインチャイナばかりだと怒り狂ったTさんは、鉄の関税を25パーセント引き上げるという。Tさんが怒る訳も分からないことはない。特に溶鉱炉は止められないから、鉄鋼は昔から問題になりやすい品目である。まあ何パーセントが適切かどうかは分からないけど。米中貿易戦争勃発? 其の内に怒りも収まるだろう。
 未明に激しい胃もたれ。旨いからといってもたれないとは限らない。こういう場合水分を多く取って、直ちに胃薬である。最近は「アコファイド」という処方薬を使う。そして胃の辺りに懐炉を張り付けた。一時間ほどで収まる。無事寝直した。
風邪はどうにか治った。実に二週間も掛かった。気が付いたら桃も桜も咲き出している。此の間は悉く記憶喪失、丸で空白の二週間である。ところで昨夜のテキストに志賀直哉の「焚火」が出て来たので早速読み直す。いやしかし、赤城山の方にも全く行ったことがないと思った。前橋からバスで一時間半だという。大正時代は足尾線の水沼から歩いて入ったらしい。吾人の体力なら夏場でもヘリコプター搬送だな。
午後は録ってあった映画「この世界の片隅に」。ディテールが細かい分、若い人は何回か見ないと理解できないだろう。スフとか、間諜とか、忠臣楠木公とか、敗戦の日に太極旗が挙がる意味とか。学校では習わないことが山ほど出てくる。一方、戦争が描かれていないとか、被爆の描写が簡素過ぎるだとか、加害責任がないとか、色色な批評も出来るだろうが、こういう余白を残した作りにしてあるというのが本作がヒットした一つの理由であろう。鑑賞者の想像や後後の学習に委ねる形となっている。精密だが敢えて主張を控える、詰まりすずさんの愛した水彩画のような作品であると思った。


3/23・金
 朝には喉の痛みは半減す。午後出社。行けば仕事が目白押し。来週からの講習の予定も詰める。夜は小雨。濡れて帰る。途中碑文谷の王将に寄る。餃子と炒飯。帰り掛けに今日の炒飯は旨かったと伝えると、妙に有り難られた。調子に乗って、「炒飯は中華の基本にして最高峰、火を恐れず、火を司る。謂わば火の王に認められた者だけが真に旨い炒飯を作る有資格者となる。君には其の資格が存分にある。」などとは言わなかったが、具と飯の混ざり具合、調味料と油の量等も確かに申し分なかった。一日一回は他人を褒めなくてはね。一日一誉である。喉の痛みは綺麗に取れた。流石に処方箋薬は効き目が素晴らしい。但し何だか眠くて仕様がない。一方耳鳴りは治らず。


3/22・木
 朝まで大雨。以後曇る。喉も耳も少しも治らないので耳鼻咽喉科に行く。耳鼻科は掛かりつけがないので、先日老家人を連れて行った新店舗に参る。吾人より年下の医官のような女医が突っ慳貪に診察す。鼻診て喉診て耳も診て二分で終了。喉の風邪が耳に移って中耳炎を起こしているとの見立てである。最後に三分ほど蒸気を吸引す。耳鼻科に来たのは十数年ぶりだが、治療手順は小学生の頃と大して変わらないと思った。初診料込みで1250円。耳鼻科も安いね。併し此の医院、働いている人も患者も女性ばかり。産科婦人科と見紛うくらいである。こうなると吾人の存在自体がまるで異物であると思った。
処方箋には抗生剤から漢方薬まで大量に出ていて1950円。トラネキサム酸もあったが市販品とは容量が違う。凡そ二倍の処方であった。貴重な国民の医療費である。早く治して、残った分は次回の風邪に使おうと思う。昼は「野郎ラーメン」。午後は少し晴れた。買い物は二便。薬のせいか昏昏と午睡す。夜はスーパーのピザとコンビニのパスタ。耳鳴り酷し。


3/21・水
 再び朝から冷たい雨。御昼前から雪になる。彼岸中日だがつくづく今年は寒い。終日引き篭もる。アメリカで実験中の自動運転車が死亡事故。夕暮れに霞んだ歩行者が見えなかったよう。自動運転など当分先だろうな。広く太い道ならともかく、拙宅の近所のように、人と自転車と看板を掻き分けてでものろのろと進めるようになるのは多分二十二世紀だな。まずは自動ブレーキと飲酒運転防止装置である。併し物を細かく動かすのは極めて難しい。此の分野は人間がやるしかなかろう。給仕や配送なんて仕事は最後まで残るに違いない。


3/20・火
 昨日の夜から冷たい雨。耳鳴りも治らず。午後は止んだが、外出も来客も無し。午睡の際、みたび喉を傷めた。併し抗生物質三日分、ロキソニン十錠以上、ペラック数十錠、プレコール、抗ヒスタミン点鼻薬浅田飴等等数千円分を投入しても少しも治らない。こんな風邪があるものかと落胆す。詰まり、吾人の生命力が落ちて来たのかもしれない。


3/19・月
 暫らく休みなのだが、とうとう何の計画も思い付かなかった。二三日出掛けることも検討したが、体調が佳くない上に、今週は菜種梅雨だという。という訳で只管自宅に駐屯す。老家人をデイサービスに送迎し、午後は植木屋さんが松を切りに来る。時節がら和菓子屋に御萩を買いに行って出した。先月移した桃は無事根付いたそう。夜はコンビニの冷やし中華。咳はどうにか収まりつつあるが、喉はまだ痛む。「プレコール」を買って備える。
 参議院は森友問題集中審議。とは言え真相は分からず。国会は取り調べ室ではないからね。其れに忖度を立証するのはそもそも難しい。与党は全部理財局の責任にしてしまいたいよう。それにしても一局の判断で公文書の改竄までするかね。結局、疑問と疑惑しか残らない。まあ支持率が下がるのは結構なことだけど。そもそも此処まで政権与党がやりたい放題になり、高級官吏の世界でも忖度が蔓延するのも、与党が大きすぎるからで、其れは即ち自民を勝たせ過ぎた国民の(無)責任である。


3/18・日
 朝から買い物。パン、野菜、猫餌の三便。朝だというのにぞろぞろと大学の方に人の列が伸びている。人相からして資格試験らしい。聞けば医療経営士だという。そんな資格があるとは知らなかった。世の中が高度化すればするほど様様な資格が必要なことは分かるが、こうも次から次へと資格を増やされてもね。其の内、道を歩くにも資格が必要になるかもしれない。試験は昼前には終わったよう。またぞろぞろと歩いていた。正味一時間半、マークシート方式だな。折角受けに来たのだから、もっと色色と受けさせてやればよいのと思った。そもそも日本の試験は時間も科目も少なすぎる。午後は肉を買いに行き、夜は鋤焼きにした。
 圧倒的多数でロシア大統領は再選される。いやしかしあと何年やるのだろう。ソ連崩壊後の混乱状態より独裁の方が増しという判断なのだろうが、未来永劫権力を握るという訳にも行かない。権力の継承ということを考えなくては。交代が巧く行かないと、また内戦からやり直しである。民主制は治世としては賢明な王政に劣るのだろうが、継承ということを考えるとやはり最善に近い政治制度である。


3/17・土
 朝から冬型の晴れ。シロとグレを獣医に搬送。恒例の予防注射。各6480円。何だか少し値下がりした。ジェネリック品なのかな。何だか草臥れて午後は昏昏とす。買い物にも行けず。昼夜ともに缶詰と冷凍食品。嗅覚も戻らないから食欲も不振の極み。


3/16・金
 朝方は大量の寝汗。すると今度は耳鳴り。何だか不定愁訴のオンパレードである。痰の絡んだ咳が多くなる。午前午後と漫然とす。夕方千寿に向かう。月曜の振り替えである。例によって地下鉄の長旅。マスク掛けだが、途中何回か咳込み他客の顰蹙を買った。苦行難行の上に辿り着いたが、肝心の授業は七時には終了。正味一時間である。そんなに生徒が居ないのならば適当な自習か演習にして欲しかった。何はともあれ今年度の千寿出校は本日で終了。清清す。町屋のBに寄るも、Dオーナーは相変わらずの不在。麦酒一杯で終了(940円)。此の一週間の外食費の少なさは記録に残るであろう。帰宅後は抗生剤にペラックを白ワインで。前線通過に伴い夜は冷えた。


3/15・木
 日中暖かく風強し。花粉も大量飛散なので外出は無し。先日のペンキの残りを使って、あちらこちらの汚い所を塗り直す。午後も体調優れず。何だか寒む気もする。喉も治らない。ぶり返した。抗生剤の残りも呑もうと思う。


3/14・水
 アメリカの外務大臣も解任されて仕舞った模様。政権内の数少ない常識人であるが、大統領とは元元不仲であった。此れが半年前なら少し心配した。併し現在では、御大自ら平壌でも板門店でも乗り込まれる勢いだから、大船に乗った積りで安心することにしている。何事も明るく考えなくては。兎に角、瓢箪から一度でも当たり駒を出してくれ。頼みます、大統領閣下。
 終日異様に暖かい。朝から小咳。喉を此れ以上痛めてはならない。「プレコール持続性せき止めカプセル」を呑む。何だか効いたよう。一方老家人は数日前から微熱傾向。一応何時もの内科へ搬送す。風邪等の取り立てての自覚症状はない。レントゲンまで撮ったらしいが原因は掴めず。要は老化により、全身のあちらこちらの細胞が痛んで、崩壊熱のようなものが出ているのだろう。長生きするのも大変である。
 午後出社。金七萬円受け取る。喉は益益痛む。ペラックを追加購入。其のまま帰宅。家に着いたらまずロキソニン。吾人も立派な薬物中毒である。痛みが取れ始めた頃に遅い夕飯。白ワインで流し込む。


3/13・火
 喉の腫れは半分程度。結局痛い。結局ロキソニン。抗生剤を止め、ペラックを併用す。そもそも風邪に抗生剤は効かない筈である。喉を治すには鼻通りも確保せねばならないので、点鼻薬と抗ヒスタミンも多用。市販薬の複合競技である。
三日間ほぼ寝た切りだったので、昼は外に出た。あちこちのドラッグストアーで品揃えと価格をチェックし、富士蕎麦に寄る。何だか異様に塩辛かった。味覚もリセットされた感じ。嗅覚もリセット。序に人生もリセットして欲しい所だが、其の為には途轍もない大病が必要であろう。それにしても今回の風邪もまあまあの規模であった。夕方久久の入浴。麦酒は刺激が強くて飲めず。赤ワインを少少。


3/12・月
 朝方はかなりの寝汗。喉の痛みは全く収まらず。水も涎も呑み込めず。続いて小咳。ペラック効果はゼロと判定。一日三回のところを四回服用したのだけど。まるでインチキ薬だと思った。第三類医薬品だからかな。毒にも薬にもならず。詰まり丸二日寝ていても殆ど良くならない。
 高脂血症の薬もない頃なので何時もの内科で診て貰った。インフルエンザは陰性。喉の炎症には抗生剤とありきたりの鎮痛剤(ロキソプロフェン)が処方された。ロキソニンなら家にもあった。診察料2300円。普段より850円プラス。早速服用す。一時間ほどで効き始め、あれほどの痛みは雲散霧消。しかし鎮痛剤というのは凄いね。痛みの原因は其のままにして痛みだけを取れるのだから。依存症が増える訳である。千寿校は欠勤。午後はずっと就寝。昼は御粥、夜はコンビニ食。白ワインをコップに一杯。ネットの情報によると、喉の痛みにはペラック+ロキソニンの組み合わせが市販薬では最高とのこと(現役薬剤師さんがそう言っている)。成程、なるほど。
 財務省は公文書の書き換えを正式に認める。政治家の関与を示した部分をごっそり削除したものを国会に出していたとのこと。次なる問題は誰がそういう指示したかということになる。高級官僚が官邸の意向を忖度して、ありのままの記述がしてあった地方部局が拵えた決裁文書を改竄したという事らしい。モリの問題は一年経って、振り出しに戻ったな。今更言うのも何だけど、財務大臣のぞんざいな態度には、呆れるのを通り越し、最早適切な表現が見当たらない。前局長を早速呼び捨てにしていた。


3/11・日
 熱は概ね下がるも、喉の痛みが酷い。併し拙宅には浅田飴しかない。家人にトラネキサム酸を買ってくるように指示する。「ペラックT錠」(第一三共)。早速服用す。本来なら昨日飲みたかった。具合が悪いとそういうことすら思い至らない。薬売りというのも必要だな。
 被災から今日で七年。当初震災日記ということで始めた此の日誌も、最近は関係の無いことばかり書いている。少し反省した。大地震も心配だが、南九州の火山も気になる。米朝会談の実施を受けてT氏も張り切っているよう。目立ちたがり屋にはこういう場が似合う。吾人とて期待を寄せております。大統領閣下、是非とも朝鮮半島に平和を。夜は再び発熱す。三十七度台前半。どうしてこんなに風邪ばかり引くのだろう。前回からほぼひと月である。朝は御粥、昼はコンビニ食、夜も御粥。二日続けて無酒。


3/10・土
 ひと眠りすると喉が痛む。詰まり喉風邪だな。今季二度目である。明け方に軽く発熱した感じ。漸く節節の痛みは取れた。午後は少し晴れた。ぼんやりしていると警察官がいる。愈愈無実の罪に問われる時が来たかと思った。隣のマンホールの蓋が壊れていたから器物損壊容疑で通報があったそう。蓋の素材は強化プラスチック。重い乗用車を停めていたから自然に割れたに決まっている。増して私有地である。警視庁は勿論東京都水道局の管轄ですらない。常識外れの通報をされて警察官も迷惑だと思った。写真を撮って直ぐに帰って行った。こういう頓珍漢な通報をするとなると、とどのつまり、隣の建物の新オーナーは非常識人ということになるだろう。会ったことはないが、気を付けなくてはならないと思った。特に外猫が心配だ。
終日安静にしていても少しも治らず。節節と喉は再び痛み、夜は三十八度台を記録。咳とくしゃみは一つも出ない。喉と熱のみ。またインフルエンザかもしれない(多分A型)。昼はうどん、夜は麻婆茄子。本日無酒。


3/9・金
 未明は大雨と大風。今年の春は狂暴である。暖気が入り窓ガラスは外から曇る。雨風が止んでも曇りのまま。北はどうも本気らしい。米朝会談すら実現の勢いで、核の凍結ではなく、放棄も言い出している。本気で脅した後は、本気で緊張緩和を求めて来るあたり、独裁者のやることはつくづくドラスティックだね。併しいい時期に五輪があったものだな。南の政権交代も(幾ら何でも其処まで見越していたとは思えない)。デタントを受けてイージス何とかもストップすべきである。早くしないとキャンセル料が掛かるぞ。
 何の予定も無いが午後出社。行っても行かなくてもいい日だが、月波君が飲みに来るというので片づけに出る。澱のように溜まっている古いテキストや書類を只管廃棄す。七時半退社。まず佐渡屋へ。鶴木さんと須々木さんも合流す。併し何だか調子が良くない。体の節節が痛む。また風邪を引いたと思った。中華立ち飲みに転進するも店は大混雑。紫煙も酷く窒息する感じ。月波君を遺棄して早早に退去した。夜は小雨。ぐっと冷えた。十一時半就寝。件の国税庁長官も辞任。何しろモリを巡っては死人も出たという。「点と線」と同じだな。何時の時代も課長補佐辺りが犠牲になる。鳳生大学出身かもね。


3/8・木
 朝からずっと冷たい雨。取り立てて予定も無い。こんな日は国会中継だが絶賛空転中。買い物序に昼を食べに出た。以前入ったアリパパという店がなくなっていたので、ワンツーシーというチェーン店で回鍋肉定食。一般的な味付けで可もなく不可もなく。御供の唐揚げが二個ついて950円(高い)。回鍋肉というと飯田橋のえぞ松だが、そもそもあの店の味が独特過ぎるのだと最近気づいた。何しろ和味噌ベースの味だからね。午後は久久に漫画を読む。最近は無料サイトがある。違法との声も大きいが、何しろ立ち読みしたくとも本屋自体がなくなっているからね。


3/7・水
 更に冬型に。而も曇っているので余計に寒い。午後出社。ところで就職先が決まらない平政君は、其のまま郷里に帰る予定だという。困ったな、彼に辞められると理系担当が居なくなる。今更数学を教える気力など吾人には残っていない。退社後は立ち飲みBとバーIへ。途中公共放送テキストの『100分で名著・松本清張』を買って読む(565円)。放送大学のテキストと違って安くていい。寝台特急と座席の夜行急行を巡る階級論が面白い。今はどちらもなくなって仕舞ったが、後者に当たるものは高速(ツアー)バスだろうな。辛い上に危ない。
 相撲に引き続きスポーツの騒動はレスリングに飛び火。教え子に巣立たれたコーチが怒って嫌がらせをしているらしい。素直を送り出せないのだろうな。あらゆる権力は腐敗する。そう言えば中国の国家主席は終生主席になるという。名誉主席とか適当な役職では満足できないらしい。本当は皇帝になりたいのだろう。恐ろしいこと限り無し。


3/6・火
 雨はすっかり上がる。再び冬型に戻る。朝からゴミの分別とゴミ拾い。蛙の横死多し。何匹も側溝に流した。今更どうでもいいことであるが、本日は吾人の四十云回目の誕生日でもある。昼は冷凍牛丼。夜はスーパーで一匹三百円の小鯛を買って焼いて食べた。
 南の訪問団を北の皇帝は歓迎したとのこと。どういう魂胆があるかまでかは思い至らないが、少なくとも国家理性というものを失ってはいないという印象を受けた。自棄になってニイタカヤマを登ってくる可能性は低くなった。取り敢えずは佳い方向である。


3/5・月
 今日も異様に暖かい。冬が寒かった分、何だか全身が弛緩した感じ。居眠り運転が増えそうである。昼頃から南風吹き付け、雨となる。止み間を狙って、千寿に出校。八時に退社。町屋の立ち飲みBを覗くも、Dオーナーは居ないらしい。余り飲む気も興らないので「町屋商店」という店で付け麵のみ。地名を冠していてもチェーン店なんだろうな。冷や盛にしたら麺が冷た過ぎた。あれでは冷や素麺である。粗熱を取るくらいが小麦の風味も感じられて丁度いい。帰路『戦争調査会』。帰宅後もう一雨。本日ほぼ休肝


3/4・日
 偶には出掛けませんかということで、梅でも見ようかと水戸に行くことにした。同行は月波君と客乃間君。まず朝早く上野に行き、青春18きっぷを買い、勝田行き普通列車に乗る。行きはグリーンにした(780円)。平屋建ての所を貸し切り状態にして麦酒を傾ける。「ゆうづる」も「はくつる」も何処かに飛び去って仕舞ったとか、「フレッシュひたち」は「いなほ」として頑張っているなどと話しをす。併し常磐線に乗るのも久久だが、ずっと関東平野なので面白みがない。海はないし、山も大して近づかない。詰まり人家が減り、蓮根畑が増えて行くことくらいしか変化がない。そんな中、梅山が見えて来たので偕楽園駅に臨時停車。結構な人の出である。梅の開花は半分くらいかな。桜と違って色色な種類があり、而も長く咲いているから観光には適している。平安時代までは花見といえば梅だったのだけどね。江戸末期にソメイヨシノが現れてからは、梅は完敗状態である。気温は異様に高く、風も強まり花粉が直撃。マスクをしていてもくしゃみ止まらず。
レストハウスに暫し避難。梅ワインで休憩す。店内は大混雑。高齢女性まで給仕に出ていた。早速注文を間違えていて気の毒そう。此れも一億総活躍だな。観梅の後、再び臨時駅から電車に乗る。偕楽園駅には上りのホームはないから、ひと駅下って、水戸駅下車。併し駅の南には何の店も無い。漸く「水戸駅南食堂」を探し出し入店す。所謂定食チェーンのようだが、最低限の御酒も出すようなので丁度良かった。店が少ないらしく、店内は二時だというのに混雑していた。
再び駅に戻る。観梅客で上りの特急も軒並み満席だという。三時半頃の普通列車普通席に乗車。まあまあ混んではいたが全員着席。ボックス席に陣取ったが、うとうとす。どうせ寝て仕舞うから普通もグリーンも同じである。五時半に上野駅着。早速座り飲みBに立ち寄る。U店長も居た。来月には退職するのだという。Bも人材流出だね。二時間ほど飲んで本日は解散。メトロに乗ってもくしゃみ止まらず。向かいに座っていた外国人親子は透かさず避難して行った。おいおい、インフルエンザではないんだけどね。海外に花粉症はないのかな。併し飲み疲れ、歩き疲れ、くしゃみ疲れた。持参したキッチンペーパーの束は全てなくなった。直ちにシャワー入浴と抗ヒスタミン。九時半就寝。一万八千歩。


3/3・土 
 モリカケのもりの方で、公文書改竄疑惑が浮上。朝日が報じている。早速国会で問題となっていたが、政権御自慢の朝日批判が封印されているから、疑惑は事実なのだろう。財務省の立場が弱くなるから、却っていいのかもしれない。此れで増税延期は確定だな。
小田急の複複線化工事が完了す。ダイヤ改正は二週先だが、利用者は待ち遠しいだろう。工事開始から三十年。計画段階を入れると更に長い。それにしても三十年か。若い社員でももう五十代である。早期退職に応じたり子会社に移籍したりする頃である。そう言えば、鳳生大学で習ったE先生は確か麻生区に住まわれていて、小田急線が混んで遅くて堪えられないとしばしば嘆かれていた(二限スタートでも)。そんなE先生も数年前に退官されて仕舞った。先生、お元気でしょうか。小田急線が速くなりますよ。朝粥の後は、中華食堂であんかけ焼きそば+炒飯のセット(800円)。大関で牛肉を買って帰った。イチボという部位だったので味は良いが、高齢者には少少噛み切れなかった。
 ところで轍田さんの息子さんも都立高校には合格したという。是非将来は鳳生大学に進ませたいと言っていた。何処かいい学習塾がないかとも尋ねられた。いやしかし、中学の成績がオール三程度では厳しいだろうと思った。そもそも勉強が嫌いな人が大学に行ってはいけないし、子どもに大学に行って欲しいからと高校生にもなる息子を強制的に塾に通わせるという選択も無い。何か別の所を伸ばすべきである。


3/2・金
 今日も春という感じ。花粉酷し。薄着でもマスクは厚着。午後徒歩出社。此の時期に大した生徒がいる訳ではないから雑用のオンパレードである。模試の会社に合否報告をし、エアコンのフィルターを掃除し、例によって一方的に送り付けられて来た学校パンフレット類の分別廃棄。どれも一ページも見ない。つくづく紙の資料は無駄である。
六時半に退社。滅多に乗らない都営地下鉄で内幸町へ。件のちゃんぽん屋さんで仲田大将主催の金曜会。他に鶴木さん、鰻犬先生と田岡さん。大将は母校が春の甲子園に行くというので終始上機嫌。何時もの「よかよか節」炸裂で、呉豆腐から始め佐賀牛のステーキ、連子鯛の南蛮漬け、鯨の刺身等等を高級日本酒で押し流す。会費は三千円で済んだ。酩酊状態の大将をJRに押し付け、吾人はメトロで帰宅。今日は万事首尾が良い。胃も肝臓も財布も時間もセーブしたから首尾というより守備だな。


3/1・木
 明け方は激しい雨。以後急速に回復。大風は吹かなかったが、暖気が入り春の陽気となる。こういう日は古い中華屋でラーメンと炒飯が食べたいと思った。併し拙宅周辺のそういう店は全てなくなって仕舞った(思いつくだけで、さつき亭、二宮、来々軒、中華一番・・・)。そういえば坪上君の家の近くには「どさんこ大将」があったことを思い出したので、のこのこと出掛けた。辿り着くには着いたが、昼の営業はやらないみたい。ならば下北沢に優れた古本屋があると聞いたので行って見た。此方も営業前。つくづく店運がない。其処で茶沢通りにある「丸長」という中華屋に入る。此れは当たりであった。街中華の要素が全てある。「散歩の達人」の取材も受けたよう。ラーメンと炒飯のセット840円。でも代沢か。少し遠いな。高齢な店主夫婦には頑張って欲しいと思うが。
帰り掛けに八百屋と巻き寿司屋に寄る。いい店はみんな国道の向こう側にあるから不便極まりない。夕方前に老家人を散歩に連れ出す。併し百メートル先で断念。吾人も花粉に巻かれ緊急入浴す。続いて老家人も強制入浴。凡そ二週間ぶり。