2018年6月

6/30・土
 今日もかんかん照り。家人の症状はまあまあ落ち着く。昨日は入院するぐらいの勢いであった。一種のノイローゼだな。午後登院。すると土曜の今日もリハビリへ。一応三メートルは歩けた。何とか回復基調にはある。以後はプロ野球などを見ながら老家人を見守る。こういう場合の個室はいいな。病室は涼しいし。ただバスとトイレは全くの不使用。勿体ないこと夥しい。バストイレ無しの二万円安い部屋があったのに。四時半頃退出。近くの鶏屋でローストチキンを購入。家人にはコンビニの素麺。五時過ぎから好き勝手に飲み始めた。こうして六月も終了す。


6/29・金
 家人の咳は続き、今日も吾人が登院す。丁度入浴中であった。既にあばらも出、随分と細くなった肢体ではもう二足歩行は不可能だな。見ているだけで何だか悲しいね。昼はスイートポテト味のゼリーと魚のすり身。前者は150キロカロリーに容量アップ。一応完食す。また食べたくなさそうな後者も看護師さんによって口に放り込まれていた(三分の一程度)。併し老家人は何もしてない筈なのに草臥れて草臥れて眠たくて眠たくて仕様がない様。永続的な睡眠が近づいている。此の間、吾人は怒鳴り続けて覚醒させていたが、昼過ぎには寝かし付けて退出す。
 異様に暑く、夏空が広がる。どういう訳だか関東だけが梅雨明け。午後はエアコンを点ける。電力節約の為、下らないテレビは消灯しラジオに交代。家人は夕方発熱。風邪がぶり返した模様。但しあの内科医には掛かりたくないよう。吾人が前前から指摘した通り、当該医師は文字通りの藪であるな。ところで藪医者の語源には諸説あるようだが、吾人としては先を見通す能力のない医者と言う定義を採用している。藪に目を奪われ、年寄りの数日先の姿も予想できないのでは家庭医というものは務まらない。今回の件で家人も漸く分かったよう(ナトリウムの低下傾向などは実は随分前から出ていた)。吾人ももう行かない(三月の風邪の処方箋も酷かった)。事実上の解任である。夕飯はコンビニの焼き鳥その他。タレは甘すぎ肉はブヨブヨで食えた物では無し。家人には千代田鮨。


6/28・木
 三日ぶりに家人が登院。代わりに吾人が休息。午前午後と朦朧とす。ちなみに昼は二つ食べたそうである。何とかなるかな。一進一退、一喜一憂。今日も異様に暑い。午後出社。鰻犬先生の御父上=元書籍販売店店主も亡くなったそう。だいぶ前から介護施設に入っていた。併し廃業して何年も経つというのに、今更商店街葬というのもないな。色色と無責任社長に相談しているようだが、完全な家族葬にするか葬儀屋さんに丸投げすべきである。何しろ廃業率七割以上、既に御爺さんと御婆さんしかいないのに、お手伝いとか出来る訳がない。どうも此の辺りの段取りが鰻犬氏は適当でないと思った。
 本日はサッカーの日だが、聞いて歩いたところ小中学生の関心は概して低い。そもそもサッカーって、見ても分からないものな。ちなみに舞台はボルゴグラード、嘗てのスターリングラードである。画面を見ると何だか暑そう。同名の悲惨な映画のイメージとは偉い違いだと思った。広島と姉妹都市らしいが、独ソ戦でロシアの街街が被った惨禍について詳しい日本人などは殆どいないな。
立ち飲みBで少し飲んで帰宅。すると居間のエアコンが点けっぱなし。二十七度の設定のまま窓が全開に。まるで気が付かない。どうも家人は耳が遠くなったよう。肝心の試合はと言うと、リーグ戦の規定によりポーランドに負けてはいるが、兎に角其のまま負けなくてはならないという不思議な展開に。只管パスを回しているという間延びした終わり方であった。牛歩サッカーだな。負け取った決勝トーナメント進出である。


6/27・水
 家人は今日も不定愁訴。吾人が登院す。担当医及びソーシャルワーカーと相次いで面談。万代伯母も入った有料介護施設に移す方向で話を纏める。先方の準備が整い次第、早ければ来週にも移送できそう。肝心の老家人はと言うと、運動訓練でも反応薄く、寝てばかり。頭も動かない感じ。昼はカレーの煮凝りを一つ。80キロカロリー。愈愈寝た切りだな。食欲、体力が落ち切れば、行く着く先は小平(霊園)ターミナルである。西武線で言うともう田無辺りに来ているのかもしれない。
延命治療? やるも後悔、やらぬも後悔。介護費用の手当て、隣の空き家の処遇、そして再びの相続。年金収入も減る。ひとりで担うには少し荷が重いな。万代伯母の死から二年しか経っていない。御昼過ぎに帰宅。スーパーの弁当を食べる。南風吹き荒れ、今日も真夏日。既に勤労意欲を喪失。臨時休講とさせて頂いた。九時就寝。


6/26・火
 朝から換気扇の掃除。取り外した上で一度噛んだ鼻紙を総動員して汚れをこそぎ取る。まあまあ綺麗になった。続いて登院す。行って見ると老家人は朦朧としていた。どうもうつらうつらしていたよう。併し運悪く理学療法士が来て運動訓練に。吾人も付き添ったが、意識も意欲もレベルが低く、数回立っただけで終了となる。昼食はヨーグルト一つ。
それにしても此の間、様様な看護師さんや訓練士さんに、好きな食べものなどはないのですかなどと繰り返し尋ねられた。併しそもそも老家人はあれが食べたいとか此れがしたいとかいう、此れと言った欲望の少ない低欲望人間であったと言えよう。浪費をしない分、家計的には助かったが、欲望には人を動かす力がある。九十三にもなれば其れがなくなるのは有り得る話だが、やはり少しは何かなくてはね。だから老家人にはもうひと伸びする力が足りないのだろう。取り敢えず一時過ぎまで頑張らせた。「まことや」に回航してラーメン大盛り(680円)の遅めの昼食。午後は休息。今日も真夏日
引き続いてロシアでのサッカー大会。煌びやかなスタジアムには様様な広告が舞う。生憎日本企業の其れは少ないようだが、三十年前のパンを買う為だけの大行列、理不尽な官憲の規制、仏頂面のサービス業を考えてみれば大変な変化だな。ピー氏に支持が集まる訳でもある。こんなロシアを見れば隣の金氏の三代目も流石に拙いと思う筈だろう。翻って我が国は? うーん、三十年前の方が勢いがあったな。


6/25・月
 家人に代わり吾人が午前中から病院に乗り込む。老家人は入浴中であった。凡そひと月ぶり。以後嚥下の訓練。水は飲めたよう。続いて担当医による説明を受ける。炎症は概ね収まったが、間質の方の其れは慢性化しているとのこと。ただ特に悪化もしてないようなので現在は塩分バランスを取る治療を続けており、それらに目途が付けば急性期の病院としては任務終了になりますと。以後介護施設に移るとして、先方でどれだけの医療的ケアができるのか、ソーシャルワーカーとの交渉が必要であるとも。
こうして退院の目筈は少し立って来た。ただ例によって口から食べ物が摂取できなければ、首のところにカテーテルを差すか、口から管を入れて栄養を注ぎ込む必要が出て来るので、介護施設では少少難しいかもしれないとの指摘も受ける。そうなると療養型の病院行きかな。どちらにしても自宅には帰って来られない。老家人にとっても予想外だろう。何はともあれ早く口から食べて貰わなくてはね・・・。御昼になったので早速実食。どうにかこうにかゼリーは口から入って行った。凡そ80キロカロリー。一日に十個は食べなくてはね。眠り始めた老家人を見届けて退出。病院近くの蕎麦屋で遅い昼食。割子蕎麦。具沢山なので四皿で1560円。少し高かった。併し此の店にも幼少の頃にはよく来たな。何しろよく風邪を引くから小児科にも何度も掛かった。其の度に饂飩か何かを啜ったものである。自宅休憩を挟んで千寿に出校。今日は異様に暑い。
中学国語は「高瀬舟」に到達。併し喜助と言う人物は偉大だな、三度三度の牢屋飯に手を合わせ、下賜されたたった二百文に感動しているのだから。足るを知った人物。今風に言うと低欲望人間である。ところで最近の子は奉行も分からない。時代劇もやってないものな。低常識社会である。
退社後はスタミナをつけようと「かつや」でロースカツ定食。缶ビールを付けて1058円。例によってサクッとはしているが肉に何の味も無い。オンリーソース味である。せめて「和幸」ぐらいには行くべきであった。其れでも喜助なら旨い旨いと食べたのだろう。足るを知れ? でもね、皆がみな「かつや」で満腹になったら現代経済と言うものが回らなくなる。「和幸」も「まい泉」も「目黒とんき」も閉店ガラガラである。今風に言うと経済がシュリンクする。其れは新たな喜助を生み出すことに他ならず。帰宅後はチリの安ワインで飲み直し。此のところよく動いている。


6/24・日
 今日まで梅雨寒む。午前中まで雨が残った。昼過ぎに例によってふらふらの家人をタクシーに押し込み、病院に向かわせる。本日は吾人が留守の番。午後は晴れたので草取りと剪定など。家人は夕方帰宅。炊事は一切不能。此の所ずっと買い食いか冷凍食品である。併しナトリウムが不足すると全身が脱力に至るというから、老家人も実は相当前から間質を病んでいたのかもしれない。やれ意欲が足りないだとか、もっと運動しろなどと始終怒っていたが、実はとんだ見当違いだったのかなあ。そう考えると少し頂けない。
二号室の件で不動産屋のSさんが来る。つい隣の空き家を壊してテラスハウスのようなものを建てたらどうかと話しは広がる。マンションよりかなり安く建つらしい。設計次第で結構な植栽も残せるというから、猫も植木屋さんも喜ぶ。中中に良いアイデアだと思った。まあどちらにしても老家人の命運次第だな。十時就寝。サッカーは一分も見られず。


6/23・土
 午前中は草取り。家人が眩暈で動けないというので吾人が昼前に病院へ。昨日の今日なので然したる変化はなし。続いて職場へ回航。二週続けての土曜出社である。途中晴雷亭で炒飯と小瓶の休憩。昼酒中の須々木さんと会ったので少少毒を吐かせて貰った。以後数時間指導す。遅れて来た無責任社長と交代して夕飯前には帰宅。碑文谷の東急おかず横丁で色色と買って帰った。
 今日は沖縄の日。自作の詩を朗読した中三の女の子には胸を打つものがあった。公共放送の七時のニュースでちらっと見てもそう思ったのだから、中継ではもっと凄かったのだろう。放って置いたらあと何十年も、まるで好き勝手にとは行かないまでも、色色と悲喜交交に続いたであろう何百万人何千万人もの普通の人生を誠に無残な形で強制終了させるのが戦争と言うものである。其処に些かも肯定される要素はない。また知事は随分具合が悪そう。此のまま勇退だろうな。


6/22・金
 家人が疲労困憊しているというので吾人が朝の八時半から病院に乗り込む。途中担当医の説明。呼吸、炎症の状態はまあまあなので、そろそろ食べる訓練を始めるという。但し此れに失敗するとより濃厚な栄養剤を点滴せねばならず、鎖骨辺りの静脈に大穴を開ける必要が生じるとのこと。まさかとは思うが、もしもそんなことになったら愈愈到頭ターミナルは近いと思った。
昼、早速の実食。祈るような気持ちで見ていたが、ゼリー一口で激しく咳込み、直ちに中止。みな吸引器で吸い出されて行った。結局禁食。週明けにやり直すということだが、其れまでに痰が切れているといいが。併し此の風邪はしつこい。何しろ吾人ですらまだまだ咳痰が出る。それにしても事態は想像より相当悪い。と言う訳で少少絶望して二時頃帰宅。「さとう」で遅い付け麵。小ビール付き。併しラーメン屋が適当に作った付け麵は量が足りない。本気になれば四回の箸さばきで浚えて仕舞う。最低でもラーメンの五割増しの麺を出して欲しいと思った。


6/21・木
 一日曇り。寝ても覚めても不安感と言うか緊張感のようなものが晴れることはない。老家人未だ絶食。早く口から食べさせて欲しい。退社後は焼き豚屋におじさんたちを訪ね、更にバーIに少し寄って帰った。


6/20・水
 朝から大雨。午前中から家人は病院へ。午後は止み間も出た。午後出社。吾人も行きしなに訪問す。鼻の酸素は外れたが点滴は続く。夜間は軽い拘束も受けた模様。早く口から食べ物を入れなくては。しかしながら縦しんば全快したとしても元元が一日二十時間も寝て仕舞うほぼほぼ寝た切り爺さんである。介護の問題は避けて通れないな。前途多難に変わりなし。夜は再び雨。金参万円受け取る。其のまま帰宅。ほぼ休肝


6/19・火
 朝から老家人の様子を見に行く。血色は良さそうだが、寝た切り老人に違いはない。早く動けるようにならなくては。続いて銀行へ。固定資産税、都市計画税、住民税の支払い(二人分)。総額221万円余。昨日の今日だから腹も立たず。納税は都民及び区民の義務である。ちなみに吾人の住民税は丁度六万円であった。梅雨の晴れ間。吾人も依然咳が残る。老家人の回復にも時間が掛かるな。午後は漫然とす。嗅覚も戻らず食欲も不振。二日続けて冷凍食品。少し落ち着いたので夜はサッカー観戦。日本対コロンビア。舞台はロシアだが、明らかに後者の応援者の方が多い。ヨーロッパ辺りで働いている人たちが馳せ参じたのだろうか。下馬評に反して日本勝利。初戦と言うこともあり相手側も緊張していて退場者を出したからな。予想外の勝利に国民も戸惑っている感じ。期待度が低いと喜びも少ない。
 昨日の地震でも電車が一日近く止まり関西方面は大混乱。迅速な点検方法はない物か。此れと言って損壊した所は無し。まさか順法闘争している訳ではないよな。地震とサッカーの間に加計の理事長が会見。一年以上逃げ回って僅か二十分。
 二号室が退去するという。家賃を散散支払わず法手続き寸前までいった人である。まだ一年分溜まっているが多少減額して放免することにしようと思う。老家人の快癒を願っての一種の恩赦だな(出て行ってくれた方が有り難い)。


6/18・月
 朝方大阪北部で震度六弱。老家人依然として動けず。結局万代伯母の入っていた有料高級老人ホームに連絡を取る。勝手知ったる所だから下見の必要も無い。直ぐに入れてくれるだろう。但し月額四十万円。伯母の死去から僅か二年。まさかこういうことになるとはね。
 午後になっても起き上がれず。何だか具合が昨日よりも悪そう。発熱、ぜろぜろとした咳もある。様子を見に来ていた須見伯母との協議の結果、先ずきちんとした医者に見せた方がいいとの結論に至る。併し最早半身を起こすことも困難である。結局ダイヤル1と1と9の出番となった。関西では大変な所だが東京消防庁の救急隊は直ぐに来てくれた。予め話を付けておいた近所の大病院に緊急搬送。ピーポーピーポーと走り出して五分で無事到着。
各種検査の結果、肺に炎症が起きているとのこと。併し其れが持病の間質性肺炎が急速悪化したものなのか我我のウイルスが移ったものなのかは判別付かず。もしも前者なら大ごとだと担当の女医さんはおっしゃったが、恐らく後者であろう。蓋し血中のナトリウム濃度が低下しているから前者の可能性も捨て切れないらしい。其のまま入院。例によって山ほど同意書と申込書を書き、一日三万数千円の個室に入る。腕に点滴、鼻から酸素、下腹部にはおむつを当てる。晩は絶食の模様。
各種手続きを終え、吾人は五時頃には帰宅。留守番役の須見伯母に状況を伝えた。遅れて戻った家人によると何だかもう元気になっていたという。風邪は万病の元。今回は介護より医療の出番であった。須見伯母の強い進言の御蔭で入院に至ったことを鑑みると、吾人の判断はかなり悪かったと言える。トイレの番がなくなっても寝つきはよくならなさそう。十時就寝。


6/17・日
 未明に呼ぶ声がする。降りて見ると老家人が居間で動けなくなっていた。困ったな、手など幾ら引っ張っても駄目である。併しヒトという生き物はどうやって立ち上がるのだろう。まず我が身で実践して確かめた。其れを参考にして、うつ伏せ状態を仰向けにし、続いて上半身を起こし、腰を持って一気に立たせた。考えて見ると二足歩行と言うのは大変だな。重力に物凄く逆らわなくてはならないから。月面に老人施設を作ったら丁度いいだろうとも思った。同様の事態が更に一度。
 断眠で朝からふらふらす。此の所、安い外食かコンビニ食ばかり。風邪も治らず。湿った咳が出続ける。「プレコール」も効能無しと判定するに至る。其処で思い切って二錠飲んだら何となく収まった。市販薬も用法と容量を守っていては治るものも治らない。また昼夜となく老家人をトイレに搬送。此の生活が長くなると続かないな。今日も涼しい。昼はスーパーのとんかつ弁当。夜は千代田鮨。涼しいので久久に湯船浸かる。東北新幹線は五時間半の不通。原因は「はやぶさ」に別の鳥が衝突したらしい。速く地上を走るにも限度があるな。


6/16・土
 朝から小雨。異様に涼しい。寒いくらいである。比較的よく寝たものの咳鼻止まらず。風邪治らず。市販薬と先日の処方薬の残りを合わせて服用す。咳止めと痰きりと喉の痛みを取るものだから重複はない筈である。此れで一家全員が謎のウイルスに感染。幸い老家人が一番軽い。
 運の悪いことに土曜出社。無責任社長は新潟帰省中につき今日は吾人一人である。行かない訳には行かない。休めない日に限ってこうなるな。一時半から九時半まで勤務。土曜なので取り立てて沢山生徒が来る訳ではない。風邪を移すと悪いのでマスクを掛け教室の隅でじっとしている。咳を堪え堪えは本当に辛い。其のまま帰宅。残っていたメジコンを服用。


6/15・金
 夜中ポータルブルトイレには一人で行けたよう。実は吾人が気配を消して張り付いていた。と言う訳で猫が起こしに来なくなったと思ったら、老家人の番をしなくてはならない。断眠は続く。
 午前中には雨が降りだす。梅雨寒む。止み間を狙って何時もの内科に搬送。風邪は軽いが老衰傾向は医療の範疇ではないから打つ手はないらしい。更に車椅子の納品。内用と外用の二台を配備す。栄養食品と尿漏れパットも購入。此方としては機動的に対応している積りだが、常に後手後手だな。そもそも介護に先手と言うものはないよな。午後になり漸く落ち着く。吾人も夕方少し発熱。風邪を移された。前回からまだ三ヶ月である。


6/14・木
 朝から老家人が起き上がれないというので跳ね起きる。すわ寝た切りかと思ったが、暫らくすると起きて来た。どうも体力低下が著しい。其れとも家人の風邪が移ったかな。発熱等はないが何だか具合も機嫌も悪そう。起きた序でにドラッグストアーに参り、少し飲んだらおにぎり一個分と言う栄養食品を購入。補助的に飲ませようと思う。
併し昼前とうとう排泄に失敗。もう一メートルも自力では移動できず。万代伯母が使ったポータブルトイレの緊急登板となる。振り返ってみれば今日という一日は、重大な転機となった日として記憶されるな。六月十四は介護記念日、詰まり始まりの日である。午後出社。急いで退社。ハンバーガーと麦酒を半缶のみ。芥田先生との伊那旅行も中止。此方側からお誘いしたのに申し訳ない限りである。吾人も小咳。「プレコール」を服用。それにしても外を歩けなくなって僅か数週間、最早立つことすら満足にできず。加齢と言うのは残酷である。
午後山陽新幹線が人を撥ねる。先頭車両の露と消えた人物を探して広島以西が終日運休。鉄道ダイヤに対する自爆テロである。小倉広島を在来線では無理だよな。


6/13・水
 家人はまあまあ回復したが、急激に食欲が落ちた老家人はほぼ寝た切りとなる。何時の間にか本格的な介護生活である。甘いものなら食べられるというのでプリンやヨーグルトやメロンやケーキ類を集中投与。此のまま流動食だな。具合の悪い年寄りばかりを見ていると此方も気分が滅入って来る。一般的には要介護三程度までは自宅で見るようにと言う御触れが出ているようだが、正直想像を絶する。午後出社。立ち飲みBで小怪気炎。確かに吾人も咳っぽい。
何にも使っていないのにスマートフォンの電池が急に減って昼に100近くあったものが、夜には10パ―セントとなる。システムの不具合だな(過去にも一度あった)。どう仕様もない。こういう下らない製品を作って売ってメーカーは平気なのだろうか。


6/12・火
 薄曇り。家人の風邪未だ治らず。特に咳が止まらない模様。となると昼は件の激安スーパーの300円弁当。結構旨いから、みんな群がって買っている。デフレは続くな。何時までも。午前午後と草取り。一日休むと二日伸びている。
 米朝会談は早目の終了。合意内容までは与り知らぬが、開かれたこと自体が既に優である。今後も巧く事を運べば、大統領の支持率も上がるし、半島の非核化も進むだろう。何よりも戦争が回避されたのだから喜ぶべきである。あの問題で「成果」が出ないとしてもね。
夕方大統領が会見す。欧米系の記者からは人権問題に関しての質問が相次いだ。あんな体制を保証して大丈夫なのかと。まあ二千万の民から飢え死に出さないことが人権の一つだろうし、まして戦争による人死にを避けることが最最優先である。それにしても大統領としてもいい勉強になったのではなかろうか。売るの売らないのという土地取り引きとは違うのだから、何事も一気には進まないものである(我我も含めてどうも拙速に結果を求め過ぎている。デジタル時代の悪弊である)。此れでイランとの核合意の見直しの見直しにも着手して欲しいものである。前任者の苦労等も漸く分かって来たのならばね・・・。無理かぁー。


6/11・月
 新潟知事選では与党系が勝利。うーん、稲作単作地帯は野党が強い筈なんだけどね。そう言えば内閣支持率に東西の差はあるのだろうか。明日の会談前に両首脳ともシンガポールに前乗り。北の人も中国の民間機を借りて来たよう。此方もアメリカ製だけどね。
 昨日からずっと雨。デイサービスも欠席。となるとすることがない。午後まで漫然とす。雨中千寿に出校。此方の中学生を見ていて気が付いたのだが、「コロンブス」という見たことも無い教科書を使っている。版元は光村図書。国語の教科書で有名な会社だが英語も作っていたのだね。余り売れてないらしいが(23区では2つだけ)、併し微妙なネーミングだな。同業他社も「王冠」とか「水平線」とか「光輝」などという愚にもつかない名前が付いているが、今時「コロンブス」はないよな。「ポスコロ」とかに改称した方がいいと思った。漸く雨も止んだので退社後は町屋のBへ。Dオーナは不在。二杯だけ飲んで帰った(1050円)。帰宅後カップ焼きそば。ほぼ休肝


6/10・日
 昨夜新大阪行き最終新幹線でテロ事件。庇った男性が死亡。乗客が亡くなったのは二例目だな。そう言えばあの放火事件も此の時期だった。六月は悲惨な事件が多い。
朝から小雨。一転して涼しい。まずはゴミ拾い。途端に飲料系が増えている。最近は海に流入するプラスチック類が問題となっているが、もしも吾人が海辺に住んでいたら膨大な廃棄物を日日回収している筈である。水を得た何とやらのように張り切るな。其処に支障があるとしたら当該自治体のゴミの区分であろう。折角集めても有料な上に「砂や塩分が付着したプラスチックゴミは回収できません」とかシールを貼られたら途端にやる気をなくすかもしれない。他は低木刈りを少し。
昼は上馬の中華食堂でミニ回鍋肉丼とラーメン(700円)。午後は次第に本降りとなる。晩は老家人を給仕す。冷奴、大根おろし、塩鮭一かけらと濁り酒を少少。併し御飯は小さな茶碗に半分も食べない。何時の間にか老家人はこんなに食欲が落ちていた。正月頃はもう少し食べていた筈なのだが。何時からこうなって仕舞ったのだろう。吾人の日誌を読み返しても明確な記述は無し。真に重大な変化と言うものは当事者すら気づかない内に進行し、やがて誰かが気が付いた時にはもう取り戻せないほどの懸隔が生まれているものだと思った。其れは何も老化や病気に限ったものではなく、社会や政治の変化と言うものも同じだろう。台風接近のため夜には大雨となる。風はなし。泥だらけのシロが何度も上がって来る。雨で臭いが流されるのが不安らしくあちこち掘り返しているよう。困った習性である。


6/9・土
 朝から異様に暑い。家人の風邪が悪化。咳、鼻、熱の所謂フルコース。稼動人口はとうとう一人となる。家事支援をしながら午後は映画「イミテーション・ゲーム」。エニグマ解読器のことなど何も知らなかったが、色色と考えさせる内容で面白かった。特に解読内容をどこまで詳らかにするかは極めて高度な政治的判断を要したという点に。此れは究極の選択だな。まあそんな立場には一生関わらないけどね。
昼は柏屋のコロッケカレー(520円)。夕方近所のスーパーに参る。勝浦の鰹があって案外旨かった(ミケも喜んだ)。何時も解凍魚と養殖魚しかない店だが偶にはこういう品物を売らなくてはね。老家人には握り寿司を出す。少しは食べたよう。夜更けになり落とし物があったことを思い出した。小袋を開けて見てみるとデジタルカメラ。早速交番まで持って行く。生憎建て替え工事中で更地のまま。電話ボックスのような詰所は置いてあるが、中には電話も無ければ紙もペンも無い。結局其のまま置いて帰った。交番の割りに不案内だと思った。


6/8・金
 老家人通院の日。玄関先まで歩くことすら困難に。うーうーと思うように歩けないことに癇癪を起こしていたが致し方なし。老化の速度が加速している。本人も周りも付いて行けない程である。こりゃああと数か月だな。早く施設を見付けなくては。
大体晴れて昼は暑い。取り立てて無為。家人は咳風邪。夜に一雨。先日何処かの学会が南海トラフが動いたら大変なことになるという報告を出していた。直接的な被害も凄まじいが、生産手段の損壊より日本経済は長期にわたって停滞を余儀なくされると。其れは正しく国難だと。其処で映画「日本沈没」を少し見直しした。併し丹波哲郎扮する山本総理は立派だな。政治家としての凄みがある。対処法?日本海側への移住しかあるまい。少なくとも数百万人。そういえば国難突破などと馬鹿な事を言っていた首相も居たな。


6/7・木
 人手が足りないということで外国からの人材を新たに五十万人も受け入れる計画があるそうである。ある程度の日本語が出来て、而も五年勤めたら都合佳く本国に帰ってくれるような人がそんなに沢山集まるとも思えず。机上の求人広告だな。併しそもそもそんなに人が足りてないのだろうか。そりゃあ、若くて元気で安い給料で働いてくれるような人は不足するに決まっている。もっと給料を上げれば、みんな家の中から労働市場に出て来る筈である。おじさん、おばさん、おばあさんかもしれないが、巧くおだてれば十分な能力を発揮する筈である。
 駿河の銀行に新たな不正融資が発覚。中古物件一棟買いの際、入室率や家賃を改竄していたそう。空き部屋に偽のカーテンまで取り付けていたというから酷い話しである。未来の事は分からないから将来の予測を多少甘くするのは佳くある話だが、嘘の現状報告をするというのはもう一段悪質だな。併し家主になりたい人が大勢いるようだが、楽して儲かる仕事などない。毎日毎日草取りとゴミの分別が必要である。更に滞納者との交渉、設備故障への対応、修繕、雪掻き、雨垂れ、騒音トラブル・・・、そして税金。
 昼前には晴れた。早速二日分の草取り。来世は苗字も変わるような気がする。差し詰め、草刈か草取だな。続いて近所に介護施設が出来たので家人と内覧に行く。地域密着型特別養護老人ホームグループホーム+小規模多機能介護所が一つになっている。介護施設も区分が細かい。色色制度的な違いがあるのだろう。現在のところ一番可能性が高いのは三番目のところかな。併し居室にトイレは無し。新築の割りに設備不良である。入る頃には必要ないという事なのかなあ。どちらにしても老家人にはもう少し頑張って貰わなくては・・・。あと一年、いや二年。万代伯母のような高級施設(有料老人ホーム)に入るとなると吾人に御金が残らなくなるので。それにしても極めて多くの人が自宅で介護しているのである。御苦労な話しである。
 午睡の後、出社。取り立てて言うことも無い一日だが、中華立ち飲みに行くと女占い師が大変な怪気炎。此処まで絡むのは凡そ二年振りかな。元気なことは結構だが辟易とす。バーIに寄って耳直しして帰った。帰宅後録画してあったニュース番組を見る。二月に取材された晴雷亭が漸く出ていた。旦那を叱咤激励する毒舌妻の居るお店という設定。なかなか言い得て妙である。テレビ局と言うのは佳く纏めるものだと思った。


6/6・水
 朝から雨。関東も入梅。昼過ぎまで漫然とす。午後バス出社。すると向かいのお肉屋さんも愈愈廃業することに。此の所は認知症が出ていて満足に稼働できない状態が続いていた。本来ならそうなる前に辞めるべきだが、御子息等とは絶縁状態と言うことで辞め時を失っていたのである。結局民生委員の出番となっている。我我の前では円満な商売人だったが家庭では大変な暴君だったそうで、其れを聞いて少し驚いた。今では帰る家も無いというから気の毒極まりない。早く施設に入れて差し上げないと。退社後は立ち飲みBに軽く寄り11系統で帰宅。夜には大体止んでいた。
 日大の問題にそろそろ飽きる頃に、和歌山の資産家が変死するという事件が起こる。こうして何から何まで心太式に忘れて仕舞うのだろう。しかし78歳と結婚した22歳の若妻とはどういう人物なのだろう。両者ともに底知れぬ虚無を感じるのであるが。


6/5・火 
 文書改竄廃棄の全ての責任はふさふさの前国税庁長官、当時の理財局長にあると言うことになる。適当な内部処分で御仕舞。こんな決着、ふざけているよな。
 朝は冷凍のパスタ。昼は「さとう」でとんこつ醤油ラーメン(700円)。頼みもしないのに御飯が出て来たが大きな海苔で巻いて食べると案外旨かった。気分は学生さんである。他は断続的に草取り。午後固定資産税等の納付用紙が送られて来る。どういう訳だか昨年より少し安い。何故だろう。何しろ何枚もあるから、どの振り込み用紙がどの土地と建物なのか皆目わからないままである。そういえば昨年は幾らか還付されたような気がする。となると矢張り少し上がっているな。率にして2%半。生まれ変わったら税理士になりたいと思った。来世は色色と目標がある。まずは江戸時代からあるような公立高校に進み、体育会に入り、山に登り、大学では税務と医学を勉強して、風邪の研究者になるんだったっけ。今から勉強しないと間に合わないな。


6/4・月
 六・四でむし、蒸し麺を使うから本日は伊那ローメンの日と言うことだが、基本的にはあの日であろう。武力弾圧はやり過ぎだが、自由や権利よりも十億の民を飢えさせぬ方が先決と言うことで一党独裁を是認するような意見も当時あったように記憶している。あれから三十年近く。十分食べられるようになっても政治的には不自由なままである。此の先どういう落とし前が付くのだろう。日大問題は泥沼化の様相。教職員がもっと声を上げるべきだろうが、そう言えばタレント性のある教授って居ないよな。日大には。
 今日もかんかん照り。例によって老家人の送迎。デイサービスの四階まで直行させる。改めて見てみると確かに御婆さんばかり。こういうところに御爺さんが一人で行くのも消耗すると思った。行きたがらない訳である。つくづく長生きするのも楽ではない。特に男はね。
 午後出校。暑中千寿の街を少し歩く。相変わらず徳俵という店は行列中。凄い料理を立ち飲み価格で出してくれるらしいが、入れない店は既に店ではない。ところで近所に「掃部寮」というのがあった。文字通り何処かの寮なのだが、かもんと読む。宿場町の古い地名で元は律令時代の役職名。文字通りに宮中の清掃係だった。思わず古いものと出会って吃驚した。退社後は久久に「福しん」へ。久久の炒飯はやっぱりしっとりと旨かった。麦酒と白ワインを一杯ずつのほぼほぼ休肝。胃腸と肝臓を休める。


6/3・日
 町内会の古着回収の日。七号室から出ていた大量のファストファッションも供出す。東南アジアの人が一生懸命作った服である。茫茫燃やして仕舞うには忍びない。ところで今朝の朝日の俳壇歌壇欄は面白かった。ドクダミは十薬と書き六月の季語とのこと。日陰者のイメージだが、「この植物のたくましさや凛とした風情をよく描いている」句も多いと識者(角谷昌子)は語る。いやいや、拙宅を見てください。臭いもさることながら余りに生え過ぎて、清楚で凛とした十字の白花がうじゃうじゃ状態。此れだけ沢山あると何だか集団で見つめられているようで実に気持ちが悪い。其れでも確かに除草剤を使ってトータルに駆逐しようと思わないな(第一猫に悪い)。「痛みを引き受けることも選択の一つ」ということで、腰を屈めながら一本一本引き抜いている。
朝から電車を乗り継いで世田谷文学館へ。林芙美子展。此の人のことなど何も知らない。『放浪記』も読んでみようと思った。日記形式だから読みやすいだろう。併し館内はガラガラ。つい「ムットーニのからくり劇場」なんてのも見さされた。其の後は祖師谷の駅まで日陰を選んで歩く。緑も多く閑静な感じだが、毛細血管のような小径しかないから中中辿り着かない。行き止まりや巻き道が多くて閉口す。
昼になったので駅近くの「香氣」と言う店で麦酒休憩。坦坦付け麵。840円もする割りに量が少ない。概ね胡麻と山椒代だな。腹が一杯にならないのでついつい「箱根そば」にも寄る。此処は「もり」がなくて、「ざる」が390円。矢張りつゆが砂糖甘い。「小諸」のあっさり味の方が舌に合うと思った。
高架下の小田急の本屋で『介護民俗学という希望』。其のまま23系統の東急バスに乗る。日曜だというのに大混雑。前後の運転間隔、遊弋する自転車、乗り降りや信号とのテンポも全て悪く、バスはあっという間に数珠繋ぎののろのろ状態(特に東急の運転は丁寧過ぎて駄目である)。区内の移動はやはり自転車に限ると思った。でももう暑いな。二時前には帰着。一万三千歩。以後午睡。ドクダミ類とは一日の停戦。夜は唐揚げを買って来て、家人の冷やし中華(明星中華三昧使用)と合わせた。例によって食い過ぎた。そう言えば、本日の「貧乏コンチクショウ」展では食い物への記述が目立った。あれから百年近く。食べ物だけはあるよな。有り難いことではあるがね。


6/2・土
 米朝会談はやるみたい。水面下ではジャブの報酬が続いているようだが北側の機嫌を損ねない程度にして貰いたいものである。何しろ無条件降伏ではないので。また日本大学の理事長は相撲部出身とのこと。此の人も雲隠れ中。日大で体育会があれだけ優遇されるのは学生闘争を抑え込んだ功績からだそうである。あれから五十年、今度は体育会が元で第二の闘争が湧き起ころうとしている。
 朝から草取り、買い物、不動産屋。続いて老家人を床屋に搬送。前回から凡そ三ヶ月。一段と衰微した姿を見て、理容師のおばさんも心配していた。何しろ老化は日進月歩、先月まで出来たことが今月には出来なくなる。謂わば逆赤ちゃんだな。昼は上馬の蕎麦屋へ。初めての店である。セット物はなさそう。猛烈に腹が減っていたので、盛り蕎麦にフル規格の親子丼を付けたら1230円もした。少し高いし(昨日のスーパーのかつ丼など300円である)、付いてきた味噌汁が過剰。そもそも幾らなんでも食べ過ぎである。夕方も草取り。腰に悪いので鉄器を使う。
 夜は公共放送で「ミッシングワーカー」。初めて聞く用語だが、要は求職自体を諦めた無業者の事。親の介護をきっかけに無職になった中高年独身男性が多いよう。其れに元元引き籠もりの人、病気で動けなくなった人などを入れたら実に膨大な数に及ぶ(正直吾人もかなり危ない)。失業率などあっという間に二倍になるだろうな。働く意欲をなくした人が多いという扱いだが、仮に働いても精精最低賃金程度だから、みんな働きたがらないというのもあるだろう。何しろずっとデフレーションだからね(若くて元気な人が安く雇える)。しかし番組に出て来る人はみな冴えない表情。仮に賃金が少しでも社会と繋がる上では働かなくてはね。もう少し待遇を改善すれば、みんな家から這い出して来ると思うのだが・・・。


6/1・金
 朝からかんかん照り。但し湿度は低い。腰の痛みは半減す。昨日出来なかったことを今日やらなくてはならない。まず鎌倉への送金。月初めと言うことでATMは長蛇の列。御金を出したり入れたり振り込んだり通帳に記帳したり。先進国でこんなことをやっているのは日本くらいだと聞いている。大体パソコンから振り込んでも手数料が同じと言うのが解せないよな。
続いて新しいスーパーへ。併し過日食べて旨いと思った「酢豚弁当」も「若鶏竜田揚げ弁当(和風ソース)」も出来ていない。11時半まで三十分待ってもとうとう来なかった。イカリングのフライとか鯖の塩焼きとか枝豆のちぎり揚げなどは疾っくのとうに上がっているのに。大体朝から酒を飲む奴が居るだろうか(依存症である)。まずは昼の弁当を作るべきである。つくづく気が利かない店だと思った。
夕方ぼんやりしていると駐車場に自転車を止める人が居る。そう言えば訪問介護の事業所が借りたいという話があった。すっかり立ち消えたと思っていた。契約書は全く来てないが、いざ停めるとあらばまずは草を刈らねばならぬ。緊急出動。何をするにしても腰が丈夫でないといけない。夜は肉まんと牛焼肉。
 ところで芥田先生との旅行だが来月の第一週と決まる。早速全員に声を掛けたが、即座に全員に断られた。結局月波君との三人旅である。上意下達、有無も言わせない某アメフト部が羨ましくなるな。来世は体育会に入りたい。こうして六月はやや憂鬱な形で始まった。